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最高学府はバカだらけ〜全入時代の大学「崖っぷち」事情〜【電子書籍】[ 石渡嶺司 ] 2007年に書かれた本だ。 中大も都心回帰に傾いているようなので、その点16年前の本なんだなと思った。 けれどもすでに16年前からネットは学生に浸透していて、なんとあのアタック25ではネットを利用したカンニングがあったらしい。 このころの学生はすでにおりこうさんになっていて、講義出席率が高く、おかげで学生街の雀荘なんか商売あがったりになってしまったとか。 就活は、1年生からやらなければならない状態になり、模擬面接で、記者志望の学生に聞くと、朝日と読売は嫌いだから読まない、日経に入りたい、のだそうだが、じゃあ、ほかの紙との経済面の記事の違いは何かと聞くと要領を得ないとか、CA希望者が、ANAに入りたい、理由はドラマに協力的だから、日航はそうじゃないと答えたそうだが、実は日航もいろいろドラマに協力的だと事例を挙げていうと、ぎゃふんとしていたとか…。 だからバカなんだと著者はいうわけだ。 そもそも著者と彼らが嚙み合わない話で、決して彼らがバカだからではなかったんじゃないのか。 なぜならこの本が書かれて16年、大卒後就職していればアラフォー、組織の中核を担っている人たちだよ。 それ以上に今の時代の危うさを考える時期に来ているのじゃないのか。 この本の時期から現れたネット族が今度はAI族になろうとしているじゃないか。 バカという前に何とかしなければならない問題点を検討しなければならない時代になってきたんだな。 たしかに少子化の中大学そのものが変化しなければならない時代に入った。 どうすればいいのかを発見した大学が今後勝ち残ることになるのではなかろうか。 古い本もたまには役に立つのかな。(8/18記)
2023.11.01
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LDとディスレクシア 子どもたちの「学び」と「個性」 講談社プラスアルファ新書 / 上野一彦 【新書】 時代は共生社会の実現に向かっている。 それは価値観の多様化を認める社会の実現とリンクしている。 その結果いわれのない差別が忌避される。 今はその過渡期で逆に差別的な個人が感じている今まで普通の感情を述べれば攻撃されてしまう。 それはともかく本書のテーマであるLD等について著者は 富めるものはますます富み、貧しいものはさらに貧しくなる現象を、聖書の「マタイによる福音書」(*)の聖句から「マタイ効果」というそうだが、小さいときに受けた不利が持続し、さらにその不利さを増幅させてしまうことは珍しくない。 *マタイによる福音書 二五─二九 「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」 このマタイ効果を払拭するために、われわれはなにをなすべきなのだろうか。 ディスレクシア、あるいはLD、ADHDといった障害を克服して、社会的に成功を収めている人々の話も、よく目や耳にする。としそして このエジソンと『窓際のトットちゃん』(黒柳徹子著 講談社)の著者こそ、東西の不登校ならぬ学校不適応の元祖かもしれない。ということそして 実は、ダ・ヴィンチとアインシュタインにはディスレクシアとしての共通点が多い。 ダ・ヴィンチは字を読むのに困難を感じていただけでなく、無口で、弁論が苦手、暗算も弱かった。 彼も音韻ループに問題があり、その弱点克服のために絶えずメモをとり続けたと考えるのは、妥当な推論ではないだろうか。 ダ・ヴィンチの絵にもその特徴は表れる。 当時絵画の世界を支配していた宗教画の様式美に対して、彼は写実に徹した。 それが鋭い視覚的感受性として活かされると同時に、科学的な実証性においても花開き、万能の天才の名をほしいままにした。というように学習障害を負った方に天才が多いということを知らされるのだ。 そのことについてははるか昔から言われていたように思う。 だが私の周辺には障害を負った方がいても上記のような才能を示した方はいなかった。 だから実感がない。 しかし様々な場面で障害を負った方々が一生懸命活動している姿を見ると本書のような理解はたしかに必要なのだと思う。 さて本書をもって今回の講談社α新書16冊を読了した。 又新たなKindle Unlimited生活を見つけた。 さて今度は何に挑もうか。
2022.04.24
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成功する子は食べ物が9割【電子書籍】[ 細川 モモ ] 子供のために作られた本のような感じだけれど実は栄養学がてんこ盛りの実用的な本であった。 つまり大人にも 十分に通じるものなのだ。 むしろ栄養が偏りがちな高齢者はにとってこの本は参考にすべきものだと思う。 栄養に関する5つのキーワード、これは大事だと思う。 まずは成長期の子供の脳と身体をつくるために欠かせない5つのキーワードを覚えましょう。 5つとは筋肉を作るタンパク質、骨を作るカルシウム、脳を作るDHA、血液を作る鉄、腸を整える発酵食品のことです。 筋肉を作るタンパク質:肉、魚、豆腐、チーズ、卵 骨を作るカルシウム:ヨーグルト、チーズ、煮干し、ひじき、高野豆腐、小松菜 DHA: サバ、サンマ、ブリ、しらす干し 血液を作る鉄:牛モモ赤身肉、豚ヒレ肉、マグロ、あさり、卵 腸を整える発酵食品:納豆、味噌、ヨーグルト、キムチ、漬物 これらの物は系統だって考えたことがなかったけれど普通の料理で使っている材料である。 つまりこれまで通りに料理をすれば良いのだと思う。 ここで豆腐料理のレシピを一つ紹介する。 豆腐に関してはなかなかレシピが揃わなくて苦労する料理でもあるのだ。◎ 豆腐の海苔ダレがけ ○ 材料 ・ 豆腐1丁 ・ A(海苔1枚 すり白ごま大2 ニンニクのすりおろし大1/2 きび砂糖小2 醤油大3 ごま油大1) ○ 作り方 1 海苔はポリ袋に入れ手でよくもんで細くする。 ボウルに入れ残りの A を加えて混ぜる。 2 豆腐を4等分して器に盛り1を適量かける。 次、お母さんは食品群のコーチというくだり。 お母さんは食品群のコーチになったと思ってください。 サッカーや野球のチームがスター選手、足の速い選手、守りの堅い選手などがバランス良く揃わないと勝てないのと同じ。 栄養素が体の中できちんと機能するためには1、2、3、4群から食品をバランスよく揃えないといけないのです。 まずは4つの食品群を買ってベンチ入りさせて下さい。 そして例えば2群のたんぱく質であれば朝は卵、昼は肉、夜は魚と豆腐というように同じ食品ばかりがピッチに立たないように朝、昼、晩でチーム編成を変えましょう。 1群:親子ともに不足しがちなカルシウムや鉄を補う乳製品、卵 2群:筋肉や血液など体を作るたんぱく質が摂れる魚介、肉、大豆製品 3群:体調を整えるビタミン、ミネラルの宝庫緑黄色野菜、いも、果物、淡色野菜、海藻 4群:脳と体を動かす大切なエネルギー源、ご飯、パン麺、油脂、砂糖 ただし油脂と砂糖はエネルギーとなる栄養素以外はほとんどない。摂り過ぎに注意というもの。 こういうのは栄養学の基礎ですな。 対象を子供に絞っているので実にわかりやすい記述であった。 しかし冒頭に書いた通り本書は高齢者にも十分通用する栄養学の本なのだ。 バランスの良い栄養補給というのが健康には重要な要素だ。 偏らない食事をこれからも心がけたいものだ。
2021.08.13
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学校が生きる力を奪う 三池輝久 本書では今日の少年問題を著者の専門領域から分析して発表している。 そのうち、 彼の作文には、「……今回の地震は、自分の心配のことより、ほかの親せきや、身内が大丈夫かどうかと、心配することのほうがこわかったです。 村山さんが、スイスの人たちがきてもすぐに活動しなかったので、腹が立ちます。 僕は、家族が全員死んで、避難所に村山さんがおみまいにきたら、たとえ死刑になることがわかっていても、何をしたか、わからないと思います」と書かれていたという。 被災地での彼の心痛と不安、被災者への同情、村山富市首相(当時)への義憤、どれをとっても私たちに理解できる心情ではないだろうか。 これほどの思いやりと正義感をもっている彼が、人格の変調をきたさないで殺人が犯せるであろうか。というのは、凄く特異な文章だ。 この文章を読む限り、あの少年Aの弁護に終止し、被害者及び被害者遺族に対する思いやりが微塵も認められらない。 それじゃあ、極端な話、巨大地震が発生したら、それだけ多くの凶悪な少年犯罪が発生するというのか。 少年Aを普通の人格だと決めつける著者の真意がつかめない。 本件は、少年による凶悪犯罪として、日本犯罪史上まれに見る特異な事件だった。 にもかかわらず、少年Aに同情するという著者の論法では、せっかくの科学的な研究結果も没にされるのがオチではなかろうか。 土曜・日曜も休みなく続けられるスポーツ部活は、犯罪的ともいえる。 子どもたちの発育は、小学校から中学校にかけてスピードアップする。 この時期のハードな部活は、彼らの精神・身体的成長を障害する。 部活によって、もたらされる子どもたちの慢性疲労状態は、15〜20パーセントにおよぶのである。 この状態は、一生後遺症で苦しまなければならない可能性をもっている。 このような勝敗にこだわり、子どもたちの健康を顧みない指導をおこなう部活のコーチは、子どもたちへの虐待の罪に問われかねない。などという書きっぷりも特異ですな。 ですが、少年Aの論法よりはましだと思う。 上記は少年の側からの話だけれど、上記に関しては、教師の側からギブアップが出ており、土、日の部活はなくなる方向に向かっていると思われる。 たしかに土、日の部活の問題は、著者の言うように少年の側からの論点が不足していて残念に思う。 そのほか、少年の脳の問題から様々な問題に突っ込んだ点は、力作でもある。 したがって、上記の少年Aに関する記述は、返す返すも残念でならない。
2021.02.10
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本屋さんで待ちあわせ [ 三浦しをん ] 本書は面白い本を紹介している。 その中でも私が読んでみたいなと思ったのは 笑った小説 奥泉光 神器軍艦橿原殺人事件(上・下 新潮文庫) 時は太平洋戦争末期,軍艦橿原の中で起こる不思議な事件の謎を海兵石目君が追うというストーリー。 ものすごく真剣な戦争論,日本論なっていて息もつかせぬ展開。 久生十蘭 従軍日記 講談社文庫 一応は日本の報道班員として従軍しているはずなのにグータラしすぎだ。 日記の前半はほぼ麻雀する。 しかも結構な割合で負ける。の2編。 どちらも戦争ものですな。 戦争にあこがれているものではないが,生まれたのは戦後11年もしてから,それでも小学校時代はなぜか戦争ものの漫画が溢れ,先生は赤化して,反戦,反戦,なんて言って,中学校に上がる頃は大学紛争の真っ只中。 戦争を経験していなくとも戦争を経験している世代でもある。 なぜ日本は今次世界大戦を望んだのか。 その結果は一体どうだったのか。 そして私はなぜ靖国神社で涙が溢れてやまないのか。 私たちは今次戦争を抜きにして歴史を語ることはできないのではなかろうか。 したがってどうしても戦争に関する小説に興味が出てしまうんでしょうなあ。 そういう世代もやがて少なくなる。 でも絶対戦争は避けてほしい。 平和の時代を生きてきて私は強くそう思う。
2018.10.11
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電車が好きな子はかしこくなる 鉄道で育児・教育のすすめ (交通新聞社新書) [ 弘田陽介 ] 今年小学校4年生になった孫息子は鉄道が好きで、今もプラレールの世界が部屋を陣取っている。 3歳のときから私達夫婦と東京旅行に行っており、その時の思い出をプラレールに重ね合わせていた。弘田陽介 このような心の働きは子供が自分の心の世界を深めていくのに非常に大切なものです。 近年では「メタ認知」と言って子供が自分でどのような心の状況を有しているのかを意識しながら更に心を働かせていくという二重になった心の在り方が学習に大きく関わることが分かってきています。 つまりメタ認知とは自分の心が、今、どういう風に働いているかを自分で知るということです。 子供は鉄道のおもちゃを使って遊びながら、自分で操作可能なおもちゃの世界と、鉄道の外部の実物の世界と重ね合わせながら、自分の想像上の楽しみの世界に浸っています。 この三つの世界のうち、今、手元にある現実は実際にある限られた鉄道のおもちゃと素材で作った駅であることを子供は知っています。 もっとリアルな背景とか10両編成くらいの鉄道のおもちゃがあればいいなと願望しながらも、実際に手元にあるおもちゃをフルに使ってまた記憶にある鉄道の情景をおもちゃに乗っけて可能な限りの想像の世界を作っていきます。 と、正にそのとおり。 プラレールの高さに自分の目を持っていき、空想の世界に浸っていた。 その新幹線つばさの中には自分と祖父と祖母がいたのだ。 孫は今新幹線の車掌さんになると言っている。 運転士でないところが肝だ。 4年生になってプラレールを動かすことも少なくなったが、実はこの世界を壊したくないのは私の方で、休日の掃除の時間に動かしている。 まこと、子供の成長は早い。 でも、今年も東京旅行をする予定だ。
2018.04.27
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先生が壊れていく 精神科医のみた教育の危機/中島一憲【2500円以上送料無料】 先日、町内の集まりがあって、最近の学校の様子が話題になった。 小学校の担任が1年のうちに何回も変わっているという。 多分精神的なものだろうという話だったが、私はこの本を読んでいたので、妙に納得した。中島一憲 開かれた学校をつくるには第一に学校内部の改革が必要です。 従来の学校は学級王国といわれたように良くも悪くも一人の教師が学級の全責任を持ち他の教師は口出しできないような閉鎖的な雰囲気がありました。 しかしそのために教師が様々な問題を一人で抱え込み悩んで倒れていく現状からすればこれまでの学級王国のような体制はもはや通用しません。 問題を一人の教師が抱え込むのではなく教師同士が自己開示し相互協力していく体制づくりが必要です。 というような現況である。 人はますます精神的に病んでいく。 一体この世の中はどうなっていくのだろう。
2017.03.08
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【送料無料】 学校防災最前線 教職研修総合特集 / 阪根健二 【ムック】 一言で言うと危機意識の有無が命を救ったか否かの分岐になったのが今回の巨大地震の学校安全の結果ではなかったのか。阪根健二 私は目の前の出来事が夢なのか現実なのか見極めがつかないまま山の斜面にいる児童や職員に向かって早く上がれと叫んだ。 1時間の山中避難の始まりである。 山道は見た目以上に険しくしかも途中からの雪で歩きにくくランドセルを背負った児童にはその場において登るよう指示した。 足腰が立たず自分に構わず先に行けと言って聞かない女性高齢者を引っ張り男性職員3人が交代で背負い2人が下から支えて登った。 夢中だった。 後日バキバキと音を立てて襲ってきた真っ黒い水の壁が学校近くに住む三年生のK男家族四人共々家ごと雄勝湾まで連れ去りその幼い命を奪ってしまったことを知る。 雄勝小学校で唯一犠牲となった児童である。 これだけ必死に避難しても、1名でも犠牲者が出れば避難に成功とは言えない。 そういう悔しい思いが当該校の教員にある。 まして多くの犠牲者を出してしまった学校では、いまさらながら危機意識が不足していたと言わざるを得ない。 今は、どこの学校も必死に訓練を重ねている。 それが時の流れとともに風化しないのを祈るばかりだ。
2017.03.07
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モンスターマザー [ 福田ますみ ]価格:1512円(税込、送料無料) (2017/3/6時点) いじめ事案について、必ずしも加害者と言われているほうが悪いわけではないという著書である。福田ますみ 裁判長はハンガーで 殴打したことは有形力の行使であり裕太君は精神的苦痛を味わったとして山崎翔平君に対し1万円の支払いを命じたがいじめであるとは認定しなかった。 県と校長については監督責任もないとして両者への原告の請求を棄却した。 一方加害者と決めつけられ精神的苦痛を被ったと主張してさおりへの損害賠償を求めていたバレー部の提訴については私生活上の平穏などを侵害し社会通念上受忍すべき限度を超えていると認めて関係者等23名に一人当たり5000円から5万円を支払うよう命じた。 またさおりのバレー部への反訴については請求を棄却した。 原告さおり側の全面敗訴と言っていい内容である。 しかし、こういうのも最初にいじめありきで、加害者と言われた側が一方的に悪者として報道されたのだろうな。 上記のとおり、裁判では、モンスターマザーの全面敗訴であり、正義が働いたということなのだろうが、いじめの真偽も難しいのが現状ではないのか。 特に教育現場では、混乱が起きていると思われる。 そのせいで、教員が精神的におかしくなる例も絶えないらしい。 変な時代になってきたものだ。
2017.03.06
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[増補版]なぜ関西のローカル大学「近大」が、志願者数日本一になったのか [ 山下柚実 ] 近大人気がすごいらしい。 関関同立より受験生を集めるばかりか、明治、早稲田、日大よりも上、つまり、日本一だ。 偏差値レベルで、産近甲龍、関東の日東駒専レベルなのだが、それを覆すアイデンティティーである。 逆に言うと偏差値による序列に釘を刺したということなのだろうか。山下柚実 近大の前に厳然と立ちはだかる偏差値。 関西地区で言うなら「関関同立」「産近甲龍」という偏差値による序列だ。 それは入れ替え戦のないリーグ戦みたいなものと世耕氏は表現した。 「関関同立」「産近甲龍」と言ったグルーピングはあまりにも固定的で偏差値という既成概念に縛られすぎている。 そう批判する教育関係者は多い。 偏差値以外の様々な価値を無視してはいないかと怒りを込めていう人もいる。 だが自らの力によっては変えることのできない偏差値という枠組みが大学をめぐる現実を決定している。 入れ替え戦のないリーグ戦とは言い得て妙だ。 早慶上智、MARCH…か。 今年も大学入試は悲喜こもごもだ。 入れ替え戦のないリーグ戦が一生を左右するのだから恐ろしい。
2017.03.01
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【中古】 大卒無業 就職の壁を突破する本 /矢下茂雄【著】 【中古】afb 私の経験上、話し言葉云々よりも常識のなさが今の若い人の特徴だと思う。 ひところ、ゆとり世代と揶揄されたことがあるが、もう、そこいら中一面にゆとり世代が広がっている。 だから、会社の面接になど行っても、いくら、いらない関節語は省きましょうなどと言っても、それ以上に常識のなさが出てきそうで、本当にその会社の担当者は、どのように考えるのだろうか。 厳粛、厳正であるべき大学入試が、AOとかなんとか、わけのわからぬ輩を入学させている。 先ごろ、テレビを観ていたら、慶応を卒業したという女性が、福沢諭吉先生のあの有名な言葉を答えられずにいた。 そういう時代だ。 伝統を軽んずる方向に向かい過ぎてはいないか? 本当に日本の行く末が心配である。矢下茂雄 いらない関節語は省きましょう。 今の若者たちは、やっぱ、そのなんというか、沈黙など意味不明のつなぎ言葉が大変多い。 こうした余分な言葉が入った途端に受け答えが学生くさくなります。 ビジネスの場で求められるハキハキとした緊張感ある話し方からは程遠いといえます。 日頃友達同士でこんな言葉遣いをしている学生に社会人としての受け答えをしろと言っても難しいことはわかります。 私自身も毎年学生の面接に立ち会いますが、そういう子が多いからこそしっかりとした敬語が使えたり自然できちんとした話し方ができる学生はキラリと光るものがあります。
2017.02.28
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【中古】 キャンパスの中のアスペルガー症候群 こころライブラリー/山崎晃資【著】 【中古】afb 今の時代は障害者に優しくなっている。 昔は、アスペルガー症候群なんてわからなくて、いうこと聞かない子供を悪者にしていた。 あらためて病気と決めて、今度はしたり顔で理解して、彼らを包み込むことは偽善のような気もする。 ともかく彼らが大学で頑張っていることは確かだ。 本当は病気と捉えず、性格だと割り切ったほうが自然な気もする。山崎晃資 アスペルガー症候群では周囲を怒らせてもその理由がわからないため本人は困っています。 何故か友達や恋人ができません。 表面上で付き合う友達ありますが腹を割って話せる友達がいないのです。 大体腹を割ってという言い方が通じないかもしれません。 言葉の文字通り切腹ととられる可能性があります。 その反面先輩や指導教員から言われたことは実によく覚えています。 返事もきちんとします。 アスペルガー症候群の学生で母親や兄に暴言を吐いても担当医に対しては大変丁寧な受け答えをする人がいます。 態度も礼儀正しく言葉も過剰な程厳密に定義して使っています。
2017.02.27
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】ニュージーランドが、いい [ あいはらゆみ ] あいはらゆみ 私が学んだことはひとつ。 教育ってバラバラでいい。 ニュージランドの登校初日にもうそれだけはわかってしまった。 小学校入学にあたって用意したものといえばランチボックスだけだった。 ノートや筆箱は? 消しゴムは必要ないのかしら。 と思うのだが、この国ではランチボックスだけあればOK。 教室に入るとテーブルの上に丸い缶がおいてあり、その中にえんぴつが立っている。 一種の教育論である。 教育ってバラバラでいい=教育の多様性だ。 日本では考えられない光景に著者は驚きを隠せない。 でも驚いてばかりもいられない。 その国に溶け込むという即応性、順応性が求められる。 日本人だとここで学力は大丈夫なのかとかしつけはどうだなんて考えてしまうが、ニュージランドではその心配が必要ないらしい。 子供なんて適当にやっていれば育つものよ、気にする必要もないという考えなんだろうな。 そりゃああんた、教育の放棄ってことじゃないのか。 子供を自由に育てていいのなら、学校も先生もいらない図式になるよ。 ただ、教育の多様性はあってもいいと思う。 ただし教育の放棄はあってはならぬ。
2015.09.27
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【古本】米百俵/島宏【中古】 afb 島宏 松下村塾で教え始めたのは世間的には安政4年(1857)の10月と言われている。 そして松陰が井伊直弼の安政の大獄のため江戸伝馬町の牢で斬首の刑にあったのが安政6年(1859)10月27日のことである、 だとすると、松陰が松下村塾で教えたのは丸2年に過ぎない。 こんな短い期間に、あれだけ多くの英才が輩出したというのは奇跡に近い。 かつて小泉純一郎が折に触れ、米百俵を持ち出していたのを思い出す。 しかし、私は、その詳細についてうろ覚えであった。 米百俵とは、要するに、飯を食べず学校を建てるという話だ。 米百俵ごときでは藩民の腹を数日満たすだけだが、学校を建てれば、長期的に見れば、その藩がいきいきと生きるということだ。 藩の基礎は、というより国家の基礎は教育にありということだ。 私たちは、あまりにも目の前の幸せにこだわりすぎていないか? 国家百年の計がいかに大事なことか。 ただ、餓死する人々を目の前にして、米百俵を学校にする勇気があるだろうか。 ないですね。 やはり、民に米を振る舞い、その場をしのいでしまうだろう、私は。 あと、この人の奥さんがなんとも素敵だ。 一方的に離縁されてもなお、尽す。 今の世では、考えられない男と女だ。
2015.03.13
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【送料無料】大学法人化 [ 中井浩一 ]価格:882円(税込、送料込) 全共闘世代には当時の敗北をちゃんと総括できないだけでなく時にはうわべだけのポーズとしてそれを維持しているに過ぎない人達も多い。 彼らは反体制派であることがアイデンティティだから守旧派とは死んでも言われたくない。 なんだったんでしょねえ。 あの全共闘。 何一つ変わることなくあの時から今日まで連続している。 ばかりかそんなことあったのかってことだろうねえ、今の人達にとっては。 あの時の学生運動ってすごかったよなあ。 大学は永久に左傾化するものとばかり思っていた。 ところが守旧派は急激に持ち直し、今に連続している。 今の大学生には気概というものがない。 残念である。
2013.11.08
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【送料無料】旧制高校真のエリートのつくり方 [ 喜多由浩 ] ノブレス・オブリージュ、高貴なるものは義務を負う。 少なくとも二カ国語を話せないとコーヒーブレークでは孤立してしまう。 そんな時高等学校でやった勉強やフランス語が随分役立った。 旧制高校は憬れでした。 私達の時には既に大学になっていました。 教養部とか教養課程と言われていました。 似ても似つかぬものでした。 それでも何かを求めていました。 でも何も得るものはありませんでした。 旧制高校の蛮カラの真似は高校時代にやってみました。 おかげでいい成績を取れませんでした。 もう今は昔です。 はるかな昔です。 それ以上に旧制高校は遠いものになってしまいました。
2013.11.07
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就職に強い大学・学部 偏差値・知名度ではわからない 朝日新書 / 海老原嗣生 【新書】 結局本書の結論は長い間かわりばえのしない早慶上智、MARCH、日東駒専、大東亜帝国順に就職も決まるということだ。 だとしたら読む価値なし。 就職も大学入試の段階で決まっているということは今や常識以外の何者でもあるまい。そのような中で例えば日大は地方公務員に力を入れているとかそういうベタな情報も少しは入っているが、全体的に序列のままの就職戦線なら、下位大学の学生にやる気が起こるまい。 かくしていつまでもブランド大学の栄華は続く。 死ぬまでその価値が変わらない。 それが今の日本の大学の序列の形だ。 ひところ明治、駒沢などとMARCHの一角を揶揄する言葉が流行ったが、それも今やあまり使われていないようだ。 何を言っても大学受験の段階で頭脳の序列が決まっているわけだから、就職だって既に決まっているのが当たり前といえば当たり前。 抗っても仕方ない。 だから何浪しても自分で思う自分の実力通りの大学に入るべきだということだ。 本当に一生の問題だ。
2013.01.28
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今、読書が日本人を救う著者:鈴木健二 〇 著者に感動を与える3点セットは,メガネと水泳と魂の美しさだそうです。〇 魂の美しさという観点から見ると子供というのは,実に美しいものでしょう。だから図書館長の著者は,「私がほほえましくもまた感心して眺めるのは,この年齢ぐらいまでの幼稚園児や保育園児でも小学生でも借りて家で読んできた本を図書館職員に返す時に,両手で本を持って,「ありがとうございました」と大きな声で言って,丁寧に頭を自然に下げること。」などという感想を持つのです。〇 本が子供を育てます。〇 だから本を子供に与えなければなりません。注1 二歳児に三歳児の能力が備わっている。2 人生の中でつまらないのは,面白くないことを二度繰り返すこと。3 「若いというのはそれだけで美しい。一人の人間の魂を獲得するのは,星の世界の全てを,自分の手の中に収めるよりも,はるかに貴く難しい事である」by吉田紘二郎「静かなる土・麦の丘」4 メガネと水泳と魂の美しさの3点セットが,生まれてから75歳の現在までの私を支えてくれた感動でした。5 子供の本の選び方を見ていると,幼児は表紙の色にかなり左右される。棚から抜いて表紙の絵が気に入ると,読み始める。6 私がほほえましくもまた感心して眺めるのは,この年齢ぐらいまでの幼稚園児や保育園児でも小学生でも借りて家で読んできた本を図書館職員に返す時に,両手で本を持って,「ありがとうございました」と大きな声で言って,丁寧に頭を自然に下げること。7 読み聞かせを胎児のうちから始めよう。
2009.11.06
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不良少年の夢著者:義家弘介 著者は、ヤンキー先生として最近とみに露出度が高まっている人である。 テレビ出演した際の彼のコメントは、この人が本当に不良だったのかと思えるほど理路整然としている。教育のツボを心得た人という気がする。 彼を横浜市の教育委員とした横浜市長は、素晴らしい目をもっているということになろうか? 著者は、そもそも長野県の人らしいが、不良少年をあつめて更生させる北海道の余市高校に入学する。 家庭の不和等あり、両親の離婚、母親が継母など、良くあるよくない家庭環境に反発し、不良になってしまう。 そして、児相を通じて里子に入り、余市高校にはいるわけだ。ここでは、足の爪はがしをしてまで落とし前を付け、明治学院大学に入学する。この大学は、1、2年が横浜キャンパス、3、4年が白金キャンパスであり、ここで横浜との関係ができている。 再び余市高に戻り、教鞭をとる。そして、横浜市教委というプロフィールである。 彼の大学での努力は、並大抵のものではなかった。彼の勉強法は、ボールペンによる徹底した書いて覚えるものである。一週間で1本消費したという。 正に努力は、報われる、というものだ。 それにしても、これだけ命を張った人生を生きてきたからこそ血の気のある教育が可能になるのだろうな。 学校のいい子チャンがただ先生になってもこの国の教育は良くならないだろう。教員のための大学院大学などと言うものも議論されているが、そんなものより、実社会をたとえば3年以上経験した人とした方がいい先生になれる可能性が高いのではなかろうか? ここまでをまとめるとこうだ。 著者の生き様を見ていると、教育には、如何に家庭が重要であるかがわかる。先ず家庭だよな、子どもは、ということ。 世の中のことを知らない世間知らずの人を教員にしてはならないと言うこと。 それには、社会人経験のある人を採用する方法に改めなければならないと言うことだ。
2007.09.01
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不登校という生き方著者: 奥地圭子 不登校というものを教育界では、問題行動と捉え、著者が言うように「首縄」といって、「首に縄を付けても、学校に引っ張っていこう」と考え、数値化して、努力しているようだ。 しかし、著者が言うように、不登校の児童生徒を無理に学校に連れて行こうという試みは、確かに不毛のことだと思う。 だって、行きたくないのだから仕方ないじゃないか。そして、その理由も千差万別。その子ども一人一人の理由によっているのだ。 行きたくない者に縄を付けるのは、反対。居場所を作ることは、必要だろう。今の教育が間違っている。 不登校に関しての本だし、不登校に関しては、著者は、プロだと思う。 しかしながら、不登校と非行を並べ立てて書いていることには、反感を覚えた。著者の非行に関する意見には反対である。 分からないことは、書かないこと。これは、原則だろう。 特に埼玉における女性教師が学校で刺殺された殺人事件に関しての被疑者の側に立った意見は、断じて許せない。 殺されないように防犯を講ずるというのは、次元の違う話で、被害者は、毅然とした態度でこの子どもをなんとか教え導こうとしていたのである。 殺人という厳然とした結果が出た以上、どんな理由があれ、殺した側を賛美し、死亡者の尊厳を損なうような意見を述べるべきではなかろう。 そうでなければ、保護更生などという制度もまた不必要なことである。 ここまでをまとめるとこうだ。 不登校というものについてもう少し社会全体で考えなければならないのではなかろうか?。 確かに、教育界の問題ではあろうが、その根底には、家庭があるわけだし、本書のように、居場所を作ってやれば、何らかの動きにつながるとしたら、この問題にもう少し光を当てるべきだろう。 大体、不登校の問題など、一般の人は、ちーっとも知らないよ。それに悪戦苦闘している教育界は、網の中でもがいている鳥みたいだ。
2007.08.16
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高次脳機能障害著者: 橋本 圭司 脳には3つの働きがある。生活の根幹というか本能的な部分を司るところ、運動するところ、それに感情や判断するところである。 一番最後の部分、つまり、大脳や間脳、前頭葉と言ったところが司っているところに異常を来すのを高次脳機能障害という。 概念的に高次だから、高次という名前が付いたものらしい。 急に怒りっぽくなったり、感情がでなくなったり、記憶がなくなったりなど様々な症状が出るのだが、家族の存在がとても大きい。 家族は、そのようなことに気付いたら、何よりも先に脳精神科に連れて行き、診断をあおげという。 この病の重要なポイントは、先に書いたとおり、家族である。 家族の理解が何よりも必要なのである。 その結果、目を見張って良好に推移することもあるらしい。 が、あくまでも脳が損傷しているわけだから、完治とはいくまい。 症状が出ているとはいえ、特に知能に異常がない場合もあるらしい。人様々なようだ。 それにしても人は、様々な危険性を負って生きているのだなとつくづく思う。 いつどこでこのような障害が起こるかは分からないのである。が、それでも、生きるという基本的なコンセプトに向かって努力を怠らない。 それが一番大事なことではなかろうか。 妻が、そのような人々を扱っている施設に勤めている。だから、私も高次脳機能障害の人がいると言うことは知っていた。 が、知識的に勉強したのは、今回が初めてだ。 ここまでをまとめるとこうだ。 本障害には、基本的に家族の理解が不可欠である。 しかし、私たちその周辺にいるものもまた理解しなければならない障害である。 本障害の他、世の中には、たくさんの障害がある。我々は、そのような障害者が安心して生きていける社会にする責任がある。できることから支援していこう!
2007.06.09
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LD(学習障害)とディスレクシア(読み書き障害)著者: 上野 一彦 LDとは、ラーニング・ディスアビリティー、すなわち学習障害のことである。 これは、昔は、問題行動と言われていたのだろうが、21世紀では、障害に分類され、学校では、手厚く支援されている。 LDの偉人は多い。アインシュタイン、トルーマン大統領などなど多すぎるくらい著者は、名を挙げて紹介している。 そのようなLDの本であるが、なぜ、LDという症状が起こるのか明らかでなかった。 今のところ分かっていないから敢えて書かなかったものか、それとも書くのを忘れたものか。 どうしても読者は、理屈っぽくて、なぜなぜという意識を持つから、理屈が本にないと、興味半減になる。 いずれにしろ、LDが障害と認知され、教育の現場でしかるべく処理されるようになったと言うことは、とても素晴らしいことだと思う。 彼らには、丁寧な指導が必要なのだそうだ。なんでも、付きっきりの母親がいて、一丁前に育て上げた例もあるそうだが、そのような母親は、数少ないだろう。やはり、公の機関がきちんと支援しなければならないというのが本旨である。 丁寧な指導によって、LDの子は、キチンとなると言うのだから、やはり捨てっぱなしにしておくことはできまい。 逆にいうと、偉人の発掘、隠れた才能の発掘にもなると言うことだろう。 学習障害は、まず、読み書き不能と言うところから始まるらしい。ひどくなると、修復不能というような状態になるらしい。 しかし、多くが修復されると言うことを考えると、このような障害者に如何にケアできるかということが私たちに与えられた課題なのだと思う。 そのような中、教育界では、きちんとした制度が平成19年度から始まるのだそうだ。 この辺のところ、一般人には、まだまだ未知の部分ではないかと思う。 このような事柄こそ、報道陣は、一生懸命報道すべきだと思うのだが、なぜみんなに知れ渡るように番組を組んだりしないのだろうか。
2007.05.18
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「ダメな教師」の見分け方著者: 戸田 忠雄 本書を読んで感じたこと。それは、いささか古い観念であると言うこと。 著者は、校長がみな苦痛に陥っていると書いている。しかし、そんなことは、事実にそぐわないことだと思う。 そもそも自分で希望して校長に昇任しているわけだし、教科やクラスを担任しているわけでもないから、管理者として責任を取る以外に苦痛なことなどあるまい。 つまり、危機管理者としてきちんと機能していれば、苦通など伴うわけがないじゃないか。 危機管理がきちんとできないから苦痛が伴うのである。 この辺の感覚的なところが古いという感じがするのである。昔の感覚で書いているような気がしてならない。 いずれにしろ、教育は難しい。 著者は、ある教師が教員の世界を「野球」にたとえたことに腹を立てている。 しかし、そのことの何が悪いのだろう。 著者は、優秀な教員だからこそ、様々な研修等出張が立て込み、その穴を駄目な教員があたって、結局何もしないで終わるという。そのような状況が野球の選手交代に似ていると表現したことを批判しているのだが、組織であれば、当然のことであり、野球の選手交代と何ら変わりのないことではないか。あたりまえのことである。ただ、戦力に差が出るだけの話だ。感覚的に著者は、おかしい。 それに、簡単に優秀とか駄目という評価をしているのだが、そんなに簡単にできるのか?人の評価くらい難しいものはないはずだ。主観で評価するのが一番良くない。評価は、客観的で公平な数値によるべきである。 その数値は、東大-京大-医学部に何人合格させたか、というものが一番顕著な例である。これを教員評価の3点セットというらしい。 しかし、それを認めると、塾と何ら変わりないじゃないかと言うことになるのだが、それはそれでいいんじゃないか。現実的だもの。夢を追っていては、子どもはいつの間にか大人になってしまうのである。3点セットに何人入れたかというのは、公平で客観的な尺度である。
2007.05.14
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~福岡市教委が昨年8月に実施した小中学校教員の採用試験が事前に漏洩(ろうえい)した問題で、福岡県警は4日、漏洩を受け、行方不明になっていた元小学校長(65)が同市西区金武の山中で、首をつって死亡しているのが見つかったと発表した。捜していた知人が発見した。現場の状況などから自殺したとみている。~ じゃあ、真相はどうなんだ!死ぬのは、卑怯である。本件は、事実が明らかになって以来、なんの進展も報道されていない。福岡の教育は、おかしいといわれても仕方がないんじゃないか?疑惑の受験者は、合格取消にすべきだ! 雪かきして市内をドライブしたつまらない1日。本を読む気にもなれず、映画を観る気にもなれず、そんな日もあるよね。 それでも付き合ってくれた妻に感謝! ブログ、ライブドアより、楽天のほうがアクセス数がある。 少しだけ参考書を読んだ。
2007.02.04
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