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2013.03.20
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大学はこれからの自分の人生について考えるところである。“なりたい”から“なれる自分”に、自分を高めるためのキャンパス・ライフ。



「学ぶことの喜びを学ぶ」 と言えるかもしれない。
文学部の学生が大学の何年間かで文学を学ぶことの喜びを学んだとしたら,それは大学生として立派に学んだことになるだろう。
たとえ読んだ本の数が少なくても,何一つ教室の授業を記憶していなくても,その学ぶ喜びを学べたなら,大学生活は成功なのだ。

学問の意義についても検討しています。

真理は生活によって裏付けされなければならない。
真理を真理として求めれば,その求める人間を普段の生活からいよいよ引き離すことになる。
そのことは「俺は真理を求めているのだ」という思い上がりを生み,それを求めないで生きる人間を批判することになる。

日本のある種の知的といわれる人たち,つまり学者や文化人の腐敗は,じつは真理を生活の原点でとらえようとしないことからきていると僕は思う。

批判性と同時に合理性 である。
そして合理性を身に着けるということは,今ある社会の仕組みの不便さに怒りを覚えるということでなければならない。
合理性を学ぶこと,合理性を身につけることは,非合理的な社会の仕組みに怒りを覚えることで初めて意味を持つものだ。
僕は,内容のある怒りを覚える,ということだけで,何よりもその社会に参加している証拠だと思うのである。




筆者の実体験を踏まえた大学生活をどう過ごすかについての指南書になっています。

ポイントは,希望を持てるかどうか,自己イメージを変える,今まで頑張ってきた自分をほめる,迎合から抜け出すという心理面でのアドバイスが多いです。

大学は人生の生き方を学ぶところです。
決して就職予備校ではない。
大学は経済危機に立ち向かう勇気を,見えないものを見る能力を,失敗に耐える力を学ぶところである。

選ばなければどの大学にでも入れます。

自分で選び取って入ったのでなければ,入ってから自分がどういう役割を社会に対して発揮したいか,人生から問われているものを見つけ出す必要があります。
そのための時間と若さが大学時代にはあります。






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最終更新日  2013.03.20 11:28:14
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