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今日は10時頃に起きました。本当は赤坂の虎屋さんに粽(ちまき)と柏餅を買いに行こうと思っていたのです。休日は、季節の生菓子の売れ行きが早くて、早めに出かけるか、電話してお取り置きして頂かなくては、とても買えないのです。でも、新聞を読んでいるうちに、実家から電話がかかってきて、横浜の実家に行くことになりました。別に急用ではなかったのですが、先日の引越し以来、実家に行っていなかったので、そろそろ顔を出そうと思っていました。それに、5月1日から、虎屋さんの季節の生菓子の品揃えが変わり、柏餅、粽のほかに、もう2種類、とても良さそうな和菓子が販売されるので、5月1日以降に行ったほうが良いかな、とも思い始めていたのです。ということで、虎屋さんには、5月2日、出光美術館に行った帰りに寄ることにしました。もちろん、お菓子は当日の朝に電話してお取り置きして頂くつもりです。そう決めてから、ベランダのプランターに水をやりました。昨夕、あんなにたくさん水をまいたのに、もう乾燥している部分があり、気温の上昇をまた感じました。風もちょうどよい温度で、寒くもなく、暑くもなく、なんだか気持ち良い感じで、いつもより長めにベランダに出てしまいました。午後は、2時頃に家を出て、地下鉄などを乗り継いで夕方に実家の最寄り駅に着きました。実家までの途中の道で、小さい頃、私がよく行った丘が切り崩されてマンション工事がかなり進んでいるのを見ました。思い出の場所がなくなってしまうのは、少し寂しいものですが、でも、あの場所からの横浜港の眺めは抜群なので、新しく住む方たちにも、小さい頃の私たちと同じように、存分に眺望を楽しんでもらえたらいいな、と思いました。マンション建設、以前の日記にも書いたのですが、私は、むしろ賛成なのです。私の実家のある街は、急速に高齢化が進んでいて、人口も減ってきています。商店街は次々と店が閉店しも人通りが減って、治安が悪くなってきています。そんな中で、マンション建設によって、新しく若い世代の方たちが転居して来られれば、きっと街にある程度は活気が戻るように思えるからです。過去の思い出を取るか、それとも、街の活性化を取るか、と迫られたら、私は、街の活性化を選択したいと思うのです。シャッターが下ろされたままの商店や歯の抜けたような商店跡地が延々と続く、もとの商店街を歩くのは、あまりに痛々しく、悲しい気持ちになります。以前の活気を知っているからこそ、栄枯盛衰をことさらに感じてしまい、居たたまれない気分になります。過去の思い出がなくなってしまうのは辛いことですが、新しいマンションができて、そこから、また新しい思い出やご縁ができてくれば、「街」にとってはプラスなのではないか、と思うのです。あの場所は、永久になくなってしまいましたが、子供の頃にあの場所で友達と遊んだこと、家に帰るのが惜しくて、暮れて行く夕日をいつまでも眺め続けたこと、学校帰りに港の夜景があまりに美しくて、いつもしばらく眺めていたこと、春になれば、向かい側の丘の桜並木が満開で、それはそれは美しかったこと、そういう景色はすべて私の記憶の中にとどまって残っています。今は、それでよいのではないか、と思うのです。夕日や夜景や桜の景色を、新しい住人の方も、きっと愛でてくれると思うから。私の思い出がたくさん凝縮されている、あの場所を新しい住人の方にプレゼントしたいと思うのです。ここで育った子が、同じような景色をみて、同じように感じて、同じような思い出を創ってくれるのなら、この丘がマンションに変わっても、私にとって、本望であるような気がするのです。
April 30, 2006
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ようやく、今週1週間分の日記を書くことができました。PCのダウンと修理、そして、セットアップやいろいろなソフト(ウイルス検知など)のインストールで、気ぜわしい1週間でした。これからは、引き続き、毎日の出来事や感じたことを書いていきますので、よろしくお願いします。今日は、なんだか、とにかく眠くて、一旦、9時に起きて新聞を読んだ後、ベッドに横になって考え事をしているうちに寝てしまいました。次に起きたのは、2時過ぎでした。天気は悪かったのですが、そろそろサトイモの種芋から芽が出始めているので、思い切って、プランターに植え付けることにしました。先日、種苗会社から買った「野菜用の土」を、サントリー山崎工場のウイスキー樽を利用したプランターに入れましたが、土の柔らかさにまず驚きました。空気がたくさん混ざっているような、なんとも言えないフワフワ感があって、ちょっと感動しましたよ。大きなプランターなので、種芋を10個ほど植え付けることができました。少し小さい箱型のプランターにも同じ土を入れ、こちらにはオクラの種を蒔きました。いずれも夏の暑さには強い品種ですし、サトイモの葉はみずみずしくて鑑賞用にもなりますし、オクラの黄色の花はなかなか美しいものです。問題は、夏の給水です。朝と夜は私が水をやれますが、日中は、私も妹も出かけているため、水をやれません。サトイモもオクラも、夏の間は一日2回以上、水をやらないといけないので、思い切って、自動給水機を買うことにしました。時間を決めて、タイマーで給水できる機械で、そんなに高い価格でもなかったので、早速、通販で注文しておきました。コンクリート剥き出しだったベランダが少しでも緑で覆われれば、わずかでも室内が涼しくなるかもしれません。それ以上に、何かを育てる喜びを感じられるかもしれません。植付けを眺めていた妹に、「何かを育てるのって、いいぞ。何かやってみないか」と言ってみたところ、「私はお兄ちゃんを育てるので精一杯だから、私はいい」と言われてしまいました。「育てるって言ったって、もう子供じゃないんだからさ」と不満げに言うと、「育てるというより、生かす、ということかな」と言われてしまいましたよ。ペット並みの扱いです(笑)ペットと言えば、今朝、新聞を取りに外に出たら、ちょうど知らない猫が舎宅の階段にいて、目が合ってしまいました。「おや、これは珍しい」と思って、白と灰色の毛並みの小さな来訪者をしばらく眺めていたら、目を細められて、「にゃぉ」と挨拶されてしまいました。私も、周囲に誰もいないことをよく確認して、小声で「にゃ」と挨拶を返したら、猫は、尻尾をピンピンと2回ほど左右に振ってから、ゆっくりと階段を下りて行きました。家に入ってから、妹に「今、知らない猫に挨拶されたよ」と話したら、「きっと、知らないオヤジに見つめられたから、とりあえず威嚇してきたんじゃないの? 猫にしてみれば、『このオヤジ、じろじろ見るな。変態!』とかいう心境かもしれないよ」と言われてしまいました。最近、妹の口が悪くなって、困っています(笑)今日は、これから、ちょっとずつコメントや書き込みにお返事をお返しして、またまた寝てしまいます。なんだか気候が良いせいか、疲れがたまっているせいか、いくらでも寝られる感じです。明日は、赤坂の虎屋さんに柏餅と粽(ちまき)を買いに行く予定です。月曜日は出勤で、火曜日から日曜日までお休み。出光美術館に行ったり、お気に入りのフレンチのお店で友達と食事をしたり、妹と高尾山の和食のお店に行ったり、部屋の整理をしたり、「終末のフール」を読んだり、いろいろと計画が盛りだくさんです。あ、ひさしぶりに、DVDの「山猫」(イタリア映画)も見たいですね。
April 29, 2006
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今朝は、天気が良く、空の色が一段と初夏に近づいたような気がしました。私が通勤で使っている路線(私鉄)は、途中駅でJRと接続しているのですが、乗り換えには、一旦、駅を出て、5分ほど歩かなければなりません。そのため、両方の駅をつなぐ道は、いつでも乗り継ぎ客がたくさん歩いています。4月になってから、その道で、私は、3人で固まって歩いている高校生の女の子たちを見かけるようになりました。たぶん、新しく高校に進学した1年生なのでしょう。通勤・通学時間帯が重なっているようで、ほぼ毎日のように見かけますが、別に珍しい光景でもないので、ほとんど気に留めたことはありませんでした。今日は、たまたま、ちょうど彼女たちの近くを歩いていたのですが、そのとき、こんな会話が聞こえてきました。「私たち、背伸びして、今の学校に入っちゃったから、大変だよね」「でも、入っちゃった以上は、とにかくがんばろうよ」「わたし、みんながいるから、がんばれるよ」彼女たちにしてみれば、別に何気ない会話だったのでしょうが、私は、思わず、ハッとさせられました。オフィスでも、私や同僚はよく愚痴をこぼすことがあります。愚痴というものは、ストレスを幾分は緩和するものの、どうしても後ろ向きで、非生産的なものです。与えられた環境の中で、自分からアクションを起こすことなく、ただ愚痴をこぼして、環境が変わるのをただ待つだけの私たち。それに比べて、彼女たちは、与えられた環境の中で、まず自分たちが変わろうと、勇気を持って努力しようとしている。なんだか、忘れていたこと、どこかに置き忘れてきたこと、を思い出させられたような気分になりました。そして、私は、心の中で、彼女たちの前途に幸あれ、と、呟きました。なんだか、今日は、良い一日になりそうに思えました。仕事は相変わらず忙しく、また0時過ぎまで残業で、またまたタクシーを使ってしまいました。来週からは、本気でタクシー利用を控えなければいけませんね。帰宅してから、ネット書店で本を注文しました。伊坂幸太郎「終末のフール」(集英社)。4月の新刊で、読もうかどうか、ずっと悩んでいた本です。新聞の書評などの評判も良く、内容も、私が想像していたような暗い絶望的なものではないようなので、決心しました。「5年後に小惑星が衝突して地球が滅びる」ということが発表されて、2年が経過。仙台市郊外に住む、ごく普通の市民は、3年後の「終末」の到来を知りつつも、毎日を精一杯、ひたむきに生きている。その姿を描いた8本の小説から成る本です。私がこの本を読もうと決めたのは、著者の一言を新聞で読んだからです。「人は、いずれ、みな死ぬ運命です。でも、だからこそ、生きている時間を大切にし、勇気を持って、懸命に生きようとするのです。それをはっきりと描きたかったのです」小説を読むのは、久しぶりです。いまから、ちょっと、楽しみにしています。
April 28, 2006
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今日は妹の帰宅が遅くなるので、私は帰宅時に近所のロイヤルホストで夕食を食べました。お店はいつものように、それなりに混んでいて、ガヤガヤとしていましたが、私は、ファミレスとはそういうものだと思っていますし、そういう、あまり激しくない喧騒は嫌いではないので、別になんとも感じませんでした。グランメゾンのフレンチレストランであれば、静かに会話を楽しみながら食事を楽しむものですが、ファミレスでは、軽めの喧騒や世間話を聞けて、それはそれで楽しいものなのです。食事が半ばまで進んだとき、私の後ろのほうの席の男性が、店長に食って掛かり始めました。かなり大きな声だったので、内容がはっきりと聞き取れたのですが、要するに、近くの席の子供が走り回ってうるさい、という苦情のようでした。それは、私も理解できるのですが、彼はさらに「あんたの店では、ああいう客と私と、どちらを大切にするんだ? ロイヤルという組織は、どちらを大切にすると言うんだ?」などと言い出しました。双方のお客さんを前にして、店長がそんなことを答えられないのは目に見えているのに。そういう、自分の優越的立場を笠に着た態度を取るような客は、最低だ、と思います。それに、その子は、確かにちょこちょこと走り回っていたのですが、別に大騒ぎしていたわけでもなく、それでもそんなにそれが嫌なら、その子に直接、「お店では静かにしようね」と言えば良いだけのことですし、そもそも、こういう場面に遭遇するのが、それほどまでに嫌なのであれば、もっと高級なレストランに行くべきでしょう。ファミレスでこうした光景に出会うのは、別段、珍しいことではなく、リスクは事前に十分に予見できたはずですから。私が苦々しく思いながら、ほうっ、とため息をついて、食事を続けていると、今度は、その男性は、その子のお母さんに詰め寄り始めました。「子供のしつけはちゃんとしろ」、「静かにさせられないなら、店に連れてくるな」という点は、私も同感でしたが、それにしても、その子の態度は「そんなに強い口調で文句をいうほどの騒がしさ」ではなかったので、私は「少し言い過ぎでは・・・」と思っていました。そのうち、彼は、とんでもないことを言い始めました。「外国人との間にできた子供だから駄目なんだ」、「父親はちやんとしつけなんかしていないんだろう」。。。。その言葉が聞こえてきたとき、私はハッとしました。その子は確かにハーフっぽい顔立ちをしていましたが、子供の頃はそういう顔立ちの日本人は珍しくないので、私はなんとも思っていませんでした。私の後ろのほうの席での出来事だったので、私は気づかなかったのですが、どうやら、その子と同じテーブルには、日本人のお母さんと外国人のお父さんがいたようなのでした。そして、お父さんがトイレに立ってお母さん一人になったのを見て、その男性はお母さんに文句を言い始めたようなのです。卑怯極まりない、恥知らずな態度。それがわかったとき、私は、全身が震えるほど、激しい怒りと不快感で一杯になりました。この男性は、一見、言っていることはまともそうだけど、実は違う。単に、ほかの事で、自分がいらいらしていたのを、今回の件にすり替えて、他人を攻撃してストレス解消しようとしている。それが、はっきりとわかったからです。私がフォークを止めてその光景をじっと見つめていると、派手な服を着た年老いた女性が、その男性のところにやってきて、「**ちゃん、もう帰りましょう」と声を掛けました。どうやら、その男性の母親らしき方でした。それでも、なお、その男性は、小さい子のお母さんに毒舌を吐き続けていました。お母さんは最初は申し訳なさそうに謝っていて、「ファミレスなので、小さい子でも入れるかと思ってしまいまして・・・」と釈明したのですが、それを聞いて、男性は「ファミレスなんかに子供を連れてくるな。コンビニでなんか買って食べさせて、車の中において置けばいいだろう」と言い出しました。お母さんが「それはそうなのですが、小さい子を車の中において置くのは不安なので・・・。チャイルドシートの鍵も忘れてきてしまったので・・・」と遠慮がちに答えると、男性は「鍵を忘れたのは、あんたの過失だ。そのためにみんなが迷惑しているんだ」と、大声でわめき始めました。そして、男性が「外国人の父親だから」とか「こんな子はロクな大人に育たない」などと言い始めると、さすがにお母さんも怒ったようで、「それは関係ないでしょう?」と反駁し始めました。お母さんが反論に転じて、男性はさらに怒りが増したようで、「だらしない、どうしようもない子供だ」とか「あんた、きちんとしつけをしないと、いずれ大きくなって、子供に殺されるよ」などと言い出しました。男性の声が大きくなってきたので、子供はすっかり怯えてしまい、お母さんに抱きついて震え始めました。店内の他のお客さんもみんな、このやり取りを聞いて、凝視していましたが、それに気づいた男性の母親が「**ちゃん、うるさくなってきたので帰りましょう」と声をかけ、男性もレジに向かいました。そして、店を出る寸前に、男性の母親がその男性に向かって、「**ちゃん、あれでいいのよ。よくがんばったわね。外国人と結婚する女なんて・・・・」と言っているのが聞こえました。実は、男性がレジに向かうとき、私は、何気なく、彼の手を見ていました。彼は、もう白髪混じりの年齢でしたが、薬指にはリングがありませんでした。私はそのときは「ああ、独身なんだな」とだけ思いましたが、先ほどの母親の発言で、事情がわかったような気がしました。彼は、母親に溺愛されていて、わがままに育てられて、少しのことも我慢できないような、そして、母親の持つ偏見をたっぷりと受け継いだヒトに成長してしまっているんだ。私は、うんざりしました。彼は、あんなに激しく他者を批判する資格なんて、ない。憂鬱な気持ちで食事を再開すると、しばらくして、後ろのほうの席で「大丈夫? あんなヒトの言うことなんて、気にしないほうがいいわよ。ああ、お子さんのことをあんなにひどく悪しざまに言われて、悔しかったよねえ。怖かったよねぇ」と言う、中年の女性の声が聞こえました。振り向いてみると、あのお母さんが泣いていました。おそらく、悔し泣きでしょう。そして、俯いて涙を拭くお母さんを、見ず知らずの中年の女性と、その方の娘と思われる若い女性が、しきりと慰めていました。そのうち、お父さんが席に戻ってきて、その様子に驚いた顔をしました。お母さんが英語で、この間に起こったことについて説明すると、お父さんは、深くため息をついて、「世の中には、いろいろなヒトがいるよ。その男性も、そして、こうして慰めてくださる方々も。子供のことは、強く叱らなかった私たちも悪い。そうでなければ、そんな変な男に絡まれることにならなかったんだから。今後は、気をつけよう」と、流暢な日本語で答えました。この一家がお店を出るのを見ながら、私は、非常に憂鬱な気持ちになりました。批判した彼にも、子供時代はあったでしょうに。彼は、幼児の頃から品行方正で、はしゃいだりすることは一度もなかったのでしょうか。それにも増して不愉快なのは、人種的偏見を堂々と人前で披瀝した、彼の品性の低さです。しかも、力の強そうな外国人のお父さんが離席したすきに、お母さんを攻撃するという、卑怯さも。そして、それを咎めようともしない母親。身なりは立派でも、品性はあまりに下品で、見るに堪えません。本当に嫌な光景を見てしまいました。そして、その光景を黙って見ていて、何もしなかった自分も、また卑怯者のひとりだ、と思いました。
April 27, 2006
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今日、PCが修理から戻ってきました。いろいろとセットアップして、ようやく使えるようになりましたよ。意外と早いご帰還で少し驚きましたが、ハードディスクが全損だったので、単に部品交換だけすれば良く、それで返送が早かったようです。不在中、メッセージ頂いて、本当にありがとうございます!!非常に嬉しいです!!また毎日、日記を書いていきますので、どうぞよろしくお願いします!不在中の分も、そしてコメントのお返事も週末には書き上げます!
April 26, 2006
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今日も相変わらず、仕事が忙しく、一日中、打ち合わせ続きでした。朝から仕事が立て込んでいて、自席でペットボトルのお茶を飲むのも、やっとのことでした。私は、自席では、よく「そば茶」を飲んでいます。ジュース、ドリンク類は、なんだか口の中にべたっとした甘味が残るような気がして、あまり好きではないのです。子供のころから、蕎麦屋で出される「そば茶」が好きだったこともあり、今では、毎日、そば茶を飲んでいます。そのほかには、トマトジュースも好きです。これも、子供の頃から大好きでした。忙しいとき、仕事の切れ目に飲み物を飲むと、それだけで気分が落ち着くものです。ちょっとした気分転換になります。構内にある売店に飲み物を買いに行くとき、廊下の大きな窓から庭園が見えるのですが、つい1か月前までは茶色一色だったのに、今は、もう青々と芝生が生えています。こんなとき、季節の移ろいと、植物の生命力を感じますね。そろそろ自宅のベランダのプランターに土を入れて、サトイモの種芋とオクラの種を植えなければいけないなぁ、と、ふと思いました。今日は、結局、0時近くまで残業して、電車で帰宅する体力も気力も失せて、タクシーを使ってしまいました。今月、タクシーを使いすぎです。いくら残業手当が支給されるからと言っても、タクシー代もかなりの高額になるので、少し控えなければ、と思い始めています。
April 25, 2006
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PCが壊れて修理に出したのですが、意外と早く2~3日で戻ってくることになりました。それまでは、妹のPCを使うことになるのですが、彼女も頻繁にPCを使っているので、私の使える時間はとても短くなりそうです。それは仕方ないのですが、やはり、以前よくお伺いしていたサイトに辿り着けなくなってしまったことが、痛恨の極みです。でも、いつまでも悔やんでいても仕方がありません。ご縁があれば、また出会えるだろうし、それに、今回の出来事によって、きっと、また新しい絆が生まれると思うので。。。最近、少しずつ気温が上がってきましたね。そろそろ初夏を想起させる空の色になってきました。今朝、出勤するときに、近所の家の庭に鯉のぼりが上げられているのが見えました。最近、赤ちゃんが生まれたお家です。まだお節句には少し早いのに、きっとご両親はお子さんの誕生がとても嬉しくて、大事に大事に育てておられるのでしょうね。なんだか、胸の中が、ほうっ、と暖かく感じられました。
April 24, 2006
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今日はなんだか眠くて、ずっとベッドにいました。 起きてはまた眠り、という感じで、はっきり目覚めたのは16時過ぎでした。 妹のPCを使わせてもらっているので、長時間は使えず、不便です。 頂いたコメントへのお返事も遅くなりがちで、申し訳ありません。 この書き込みも携帯からです。 まだ、好きだったサイト様に到達できず悲しいかぎりです。こんなことになるなら、早めにリンクをお願いしておくべきでした。 「最近、ツカサが来なくなったな」と思われた方、どうか「元気ですか」だけで結構ですので、BBSに足跡を残してくださいませ。本当に困っています。絆、切りたくないのです。
April 23, 2006
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今日は9時ごろに起きて支度をして、お昼過ぎから外出しました。14時から、千駄ヶ谷の国立能楽堂で狂言を三番、見るためです。演目は、「子褒め」、「武悪」(ぶあく)、「唐人相撲」です。「子ほめ」は、落語を翻案したもので、落語の筋を知っている人達にはちょっと物足りなかったかもしれません。内容も、取り違えによって発生する面白さ、だけに集中していて、ただ笑うだけ、というものです。「武悪」は、見ていて、身につまされて、涙が出ました。主人からの独立を考えて内密に準備をしている武悪という名の家来に対して、主人はそれを見過ごせば、自分のライバルになってしまうため、今のうちに殺してしまおうと考えます。そして、別の家来である太郎冠者(たろうかじゃ)に、武悪を討ち果たして来い、と命じて、太刀を渡します。太郎冠者と武悪は幼なじみ。太郎冠者は必死になって、武悪の弁護をしますが、主人から「武悪を討てないのであれば、お前も一味と見なして討ち果たすぞ」と脅され、やむを得ず、武悪を討ちに出かけます。武悪は力が強いので太郎冠者は、だまし討ちにすることにして、川の中で魚を取らせます。武悪が川の中で身動きがしにくくなったところで、太郎冠者は刀を向けて、討ち果たしに来たことを告げます。武悪は、もはやこれまで、と観念しますが、太郎冠者に対して、「自分が家にいるときに、そのように告げてくれれば、妻子に別れができたのに」と言い、また、「幼馴染の太郎冠者に、川の中で、蛙が踏み殺されるように、殺されなければならないとは・・・」と呟き、うつむいて泣きます。そして、西に向かって手を合わせ、太郎冠者に「どこからでも斬りたいところから斬れ」と言い、太郎冠者も刀を構えますが、何度も刀を振り下ろそうとして、その都度、途中で止めてしまいます。彼も、幼馴染を斬りたくないのです。さんざん躊躇した挙げ句、太郎冠者も泣き出します。そして、「どこか遠国に逃げて暮らせ。妻子の面倒は自分がみるから心配するな」と言い、武悪を逃がします。そして、主人には武悪の首を討ったと報告し、後の祟りを恐れた主人は太郎冠者を伴って清水寺の観音様にお参りに行こうと出かけるのですが、その途中、命が助かったことを観音様のおかげだと信じて都を発つ前にお礼参りに行こうとしている武悪と出会ってしまいます。進退窮まった太郎冠者は、武悪に「幽霊の真似をしろ」と言い、武悪は白い着物にざんばら髪で主人の前に現れ、「あの世の大殿様(主人の父)から言い付けられて来た」と言い、次々と太刀や小刀、扇子などを主人から巻き上げ、最後に「あの世の屋敷は広すぎて、自分ひとりで住むのは寂しいので主人を呼んで来い、と大殿様から命じられた」と言い、恐れおののく主人を追い掛け回します。主人は舞台を逃げ回った挙げ句、「許してくれい、許してくれい」と叫びながら、退場します。私が身につまされたのは、自分が太郎冠者のような立場に立ったことが何度もあるからです。上司から部下の評価をめぐって「あいつは駄目だから切り捨てろ」と指示され、必死に弁護したのに聞き入れられず、やむなく、部下を切り捨てざるをえなかったこと。組織内の部署間の対立があったとき、対立する部署にいた自分の仲の良い同期と戦う形となり、結局、悩んだ挙げ句、心を鬼にして、同期を斬るような戦略をとったこと。あのときの葛藤がまざまざと蘇ってきて、太郎冠者の心情が痛いほどわかり、こらえきれずに落涙してしまいました。また、今更ながら、「自分が斬った人達にも妻子がいたんだ」ということに気付き、なんとも情け容赦のないことをしてしまったものか、と悔やまれて仕方がありませんでした。自分はあのとき、彼らを斬るより他に手段はなかったのか。太郎冠者のように、なんとか彼らを助けることを考えられなかったのか。いろいろと考えさせられる演目でした。「唐人相撲」は、日本から「相撲留学」のため、当時の先進国である中国に行っていた相撲取りが、帰国することになり、皇帝に挨拶に行くと、皇帝から最後の名残に自分の家臣たちと相撲を取れ、と命じられます。相撲取りは、次々と家臣を投げ飛ばし、ついには、皇帝自らが相撲を取ると言い出しますが、投げ飛ばされてしまいます。普通の狂言は、登場人物が多くて10名程度ですが、この演目は40名にも上るため、能舞台は出演者で一杯になります。そして、何よりも目を引くのが、衣装と言葉です。中国風のきらびやかな衣装を身にまとい、言葉は、エセ中国語です(笑)。まったくでたらめな、それでいて、中国語チックな言葉を羅列して、それを通詞(通訳)が日本語に訳して相撲取りに伝えるわけですが、その発音(「唐音」<とういん>と呼びます)がなんとも珍妙で、「ショウロンポウ」、「チンゲンサイ」といった言葉も使われるため、観客は大笑いします。また、皇帝が相撲装束に着替えているときに、臣下たちが歌う中国風の歌は、40名の大合唱で、他の狂言にはみられない迫力があります。今回の演目は、原作を少し変えていて、結末は、自分の形勢が危うい、と感じた皇帝が「この勝負引き分け」と言って相撲を終わらせてしまいます。原作のように、日本人相撲取りが中国の皇帝を投げ飛ばすのは、日本人にとっては、当時の先進国である中国に勝てた、という点で溜飲が下がるものだったのでしょう。現代に置き換えてみれば、日本人相撲取りがブッシュ大統領を投げ飛ばすようなものです。しかし、現代の中国人がこの結末を目にしたら、気持ちが良くないでしょう。投げ飛ばされて無様な負け方をする皇帝を見て、心中、穏やかではないと思うでしょう。立場を逆にして考えてみれば、韓国のテコンドーの選手が小泉首相をコテンパンに打ちのめすようなもので、韓国人はうれしいでしょうけれど、私たち日本人は複雑な気持ちになるでしょう。そういう観点から、私は、原作をアレンジしたのは良いことだ、と思うのです。この演目が作られた当時、日本と外国の交流は少なく、この演目を外国人が見ることはありえませんでした。しかし、時代は変わったのです。時代に応じて演目を変えることがあっても、それは、ある程度は許されるのではないか、と思うのです。今回の作品で、相撲が終わった後、日本人相撲取りと他の中国人家臣は、ともに馬を組んで、皇帝を担ぎ上げて、意気揚々と退場します。原作では、皇帝を投げ飛ばした相撲取りは、そのまま一人で退場し、家臣たちが投げ飛ばされた皇帝を引き起こし、家臣たちが馬を組んで、皇帝を担ぎ上げて、どことなくバツが悪そうに退場するのですが、私は、今回の終わり方のほうが良い、と思いました。帰宅してから、本を読んでいたのですが、なんだか眠くなって、21時過ぎには寝てしまいました
April 22, 2006
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昨晩、日記を書き終えた直後、PCの画面がフリーズしました。仕方なく電源を落として、再び立ち上げようとしたとき、Windowsがいつまで経っても上がらず、それに気付いた瞬間、全身から血の気が引きました。あわててリカバリディスクを使ったものの、修復プロセスが途中で中断してしまうため、PCメーカーのコールセンターに電話しました。30分間、ひたすら保留音を聞かされて、ようやく電話が繋がったのですが、結論は、ハードディスク・クラッシュでした。。。。これで、ブックマークもみんな消えてしまい、好きだったサイトにも行けなくなってしまいました。さすがにひどく落胆すると同時に、なんだか、こんな簡単なことで絆が切れてしまうんだなー、と思うと、寂しい気持ちになりました。今は、妹のPCを借りています。今日は帰宅してから、必死に、記憶を辿って検索ほかけて、気に入っていたサイトに辿りつくことができつつありますが、それでも検索に引っ掛からないケースもあり。。。今度からは、こまめにバックアップをとることにします。
April 21, 2006
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昨日の日記、実は今日、帰宅してから書きました。昨日は、日記を書く気持ちになれず、そして、今日も、昨日の内容として、何を書くべきか、少し悩みました。当り障りのないことを書いて流してしまおうか、それとも、自分の心の中の葛藤をさらけ出そうか。私が、その瞬間に考えたこと、思ったことを、綴っていくのが、この日記の「在るべき姿」ですし、なによりも、いろいろなことを批判する内容を書く私が、その自分の弱い心を、きちんと直視しようとしないのは、フェアではない、と感じました。それで、まとまりのない文章ですが、思ったことを、そのまま書いてみることにしました。書いてみたら、なんだか、思いが「精製」されたみたいで、気持ちがかなり明るくなりました。なんだかんだと言っても、自分は自分でしかないので、自分のペース、やり方で、生きていくしかない。そんなふうに、ちょっと割り切れました。
April 20, 2006
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今日は、退職する同僚の送別会でした。これまでに何度もみてきた、デ・ジャヴのような光景。私も、退職して、別の組織でエコノミストとして働くチャンスが、これまでに何度もありました。その都度、悩んで、悩んで、悩んで、そして、結局、踏み切れずに、今に至ります。跳ぶチャンスは、そう何度もないのに、いつも、直前で、躊躇してしまう。リスクを取らなくては、チャンスを活かすことはできない。それは、よくわかっているのに、ずるくて、臆病な私は、いつもチャンスだとわかっているのに、一歩踏み出す勇気が出ない。送別会のあと、なんだか一人になりたくて、夜道を何駅分も歩いて、疲れて歩けなくなるまで歩きました。歩き疲れて、自分の居る場所もわからなくなって、タクシーで帰宅しました。タクシーの中で、「自分の居る場所もわからない、か。まるで、今のオフィスでの自分のようだな」と思って、ふと、淋しく微笑みました。跳ぶチャンスをモノにした同僚は、とても輝いて見えました。そして、私には、何一つ変わらぬ明日が待っています。それはそれで仕方のないこと。でも、悔いのないよう、自分は、自分の今居る場所で、自分なりに、毅然として、凛として、まっすぐ前だけを見て、生きよう。どこまで貫きとおせるかわからないけれど、走れるところまで走ってみよう。変わらぬ明日を「つまらない」と思うのではなく、変わらぬ明日を「また同じように生きられる」、そのことを、大切にしよう。私は私。彼は彼。それ以上でも、それ以下でもないのですから。
April 19, 2006
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今朝は、早朝出勤だったので、一日中、眠くて、なんだか調子が出ませんでした。ようやく元気になってきたと思ったら、もう夕方で。。。。最近、部屋の中が、ありえないほど散らかっています。買ったまま読んでいない本が積まれていて、みるたびに良心の呵責を感じます。ゴールデンウイークは、まず部屋の整理をして、ゆっくり読書したいと思います。今、とくに読みたい本は「東欧の20世紀」(人文書院)です。東欧は、文化的には西欧とかなり異なっています。トルコやオーストリアの領土となっていたため、「国民国家」の成立が遅れ、そのためにようやく独立を果たした後にも、政治的な動揺が続きました。そして、第二次大戦。あまり知られていませんが、東欧のうち、ハンガリー、ブルガリアなどは、ドイツの側に立って参戦したのです。これらの国々では、結局、民主政が根付かず、第二次大戦当時は、まるでナチスのミニチュア版のような、独裁政権が成立していたのです。そして終戦。20世紀の終わりまで続く、ソヴィエトの支配の時代が始まり、自由は失われ、経済は著しく停滞しました。今、東欧は、EUに次々と加盟し、その賃金水準の低さを武器に、ドイツなどの有力企業の工場が次々と建設されています。この本の「帯」には、次のように書かれています。「国民国家・帝国の躓き(つまづき)の石」まさにその通りだと思います。オーストリア、ドイツ、トルコといった帝国は、いずれも東欧での問題に足をとられて、消えていきましたし、そのあとに成立した国家は、国民の間に深刻な亀裂を抱えて、政治は常に不安定でした。「国家」の存立を危うくさせるもの、それは、この地域の複雑な「民族分布」です。第二次大戦後の「強制的な住民交換」によって、「民族のモザイク」は少しは整理されましたが、所詮、それも限界的なものに過ぎませんでした。そして、20世紀の終わりには、人工国家「ユーゴスラヴィア」が終焉のときを迎えました。今、この地域は「EU」という、新たな「擬似国家」に加盟しています。EUが真に民族を超越した存在であるならば、この地域にも、ようやく安定が訪れるでしょう。しかし、そうでなければ、EU加盟によって、東欧から西欧への、安価な労働力の大量流入、つまり、移民の波が高まることに対して、西欧人が危機感を強め、移民排斥運動が起こるでしょう。すでにフランスでは、トルコのEU加盟に反対する意見が強まりつつあります。表向きの理由は、移民の流入による「失業への恐れ」、しかし、本当の理由は、イスラム教徒(モスリム)の大国が「ヨーロッパの一員」になることへの、嫌悪感や拒絶感です。これは、結局、EUが、一皮剥けば「キリスト教国クラブ」だということに他ならず、「民族の呪縛」から脱した、ローマ帝国のような「普遍的国家」になり得ていないことを、如実に物語っています。EUに、イスラム教国のアルバニアやボスニア・ヘルツェゴビナ、そして、「東欧の大国」トルコが加盟するかどうかを巡って、これから激しい議論が続くでしょう。東欧が、EUにとっても、「躓きの石」にならないことを、強く期待したいと思います。
April 18, 2006
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今日は、一日中、オフィスで社内メールを打っていました。もちろん、私用ではありませんが・・・。今日は、帰宅してから、少しだけブログに手を入れました。うーん、眠いので、今日はこれまで。
April 17, 2006
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昨晩は、本を読んでいたら止まらなくなってしまい、結局、寝たのは、今朝の6時でした。。。そして、起きたのは、ちょうど14時。8時間睡眠でした。今日は、天気が良くなく、曇天でしたが、こういう天候のときには、妹が偏頭痛で体調が悪くなり、機嫌が悪くなるので、なるべく顔を合わせないようにしていました。妹からは、「偏頭痛の時には、応答するのも憂鬱なので、なるべく声をかけずに、そっとしておいて欲しい。用事があったら、こちらから声をかけるから」と言われているのです。そういうわけで、今日は、静かに一日を過ごしました。さすがに本を読むのも疲れたので、部屋の整理をしたり、DVDを見たりしていました。DVDは、先日の日記にも書いた「山猫」です。夕方になって、ふと感じたのですが、この2日間、鼻の調子が良いようです。そろそろ花粉症の季節も終盤なのかもしれません。季節は、花から新芽の季節へと移りつつあるのでしょうね。そろそろ、虎屋さんの柏餅や粽(ちまき)が楽しみに思えてくる時期です。とくに、粽(ちまき)は、絶品です! 虎屋さんでは、、関東と京都で、販売する粽の種類を変えておられるようですね。京都のみの販売となる「外良粽」(ういろうちまき)、一度、賞味してみたいものです。夕食はパスタでした。副食には、新橋のチーズ専門店「フェルミエ」さんから買ってきた、コルシカ産のフレッシュチーズの「ブロッチョ」に、シチリア産のハチミツを少しかけて頂きました。次の水曜日あたりに、イタリア・ピエモント州産のチーズが届くので、それまでに今あるチーズを食べきってしまおうと思っています。フレッシュチーズは、柔らかくて、深みのある優しい羊乳の味わいがします。コルシカ出身の、あのナポレオンも、そして、その母のレティツィアも「ブロッチョ」が好きで、息子が出世して皇帝になった後、レティツィアは都であるパリに出てきたのですが、どうしても「ブロッチョ」の味が忘れられず、コルシカから羊を連れてきたそうですが、パリでは、同じ味のチーズは作れなかったそうです。夕食後、砂糖が少なくなっているのに気づいたので、いつものお店にネットで注文を出しておきました。以前は、普通の砂糖を買っていたのですが、精白しすぎた砂糖は、身体に有益なミネラルなどが失われていることを知って、黒糖に変えたのですが、黒糖は、また独特な味わいがあり、嫌いではないものの、合わない料理もあるのです。それで、いろいろと知り合いに尋ねたりしているうちに、「和三盆糖」に行き着いたのです。和三盆は、四国の香川県と徳島県の一部で栽培・製造される砂糖です。薄く赤味を帯びた砂糖で、黒糖にはかなわないものの、普通の白砂糖とは比較にならないほど、ミネラルを含んでいて、味も、淡雪のような感じで、口に入れた瞬間に、さあっ、と溶け、そして、うっすらと後味が残ります。白砂糖のように、口の中に、べたっ、と甘味が残るようなことがありません。通常は、和菓子の原料として使われるのですが、最近では、製糖所が一般家庭用に袋売りしてくれるようになったので、容易に入手できるようになりました。私の家では、私も妹も、コーヒーには、時々しか砂糖を入れません。コーヒーそのものの味を楽しむのが好きだからなのですが、それでも、料理などに砂糖を使うことがあるので、それなりに砂糖消費量はあります。塩は、以前の日記に書いたように、シチリアの岩塩と、同じくシチリアの塩田で作られた自然塩を使っています。砂糖も塩も、そんなに莫大な消費量ではないですし、それに、やはり、口に入るものは身体を構成するものなので、きちんと気をつけたい、と常々思っているので、少し高くても品質の良いものを買うようにしています。そのかわり、私も妹も、家では、ほとんど酒を飲まない(月に1~2度くらい、シェリー酒やアマレットをグラス1杯程度、チーズとともに頂く程度。ビールや日本酒は、家では全く飲みません)で、またタバコも吸わないし、ゴルフもしないので、トータルとしてみれば、他の家庭と同じくらいの出費にとどまっているのではないかと思います。シェリー酒は、酒精強化ワインの一種で、スペインで作られています。要するに、発酵途中のワインにブランデーを加えて発酵を止めたもので、アルコール度数が高く、甘味が強いため、フレンチ・レストランなどでは、食後の「デザートワイン」として出されます。アマレットは、杏(あんず)を原料にしたリキュールで、素晴らしく「美しい」香りを持っています。クッキーに入れたりしても良いものです。両方ともチーズなどと一緒に食後に頂いたり、邪道な使い方かもしれませんが、アイスクリームにかけて食べると、絶品です。日本酒を飲まないため、大吟醸などの高級な日本酒を頂いても、処理に困ってしまい、妹が煮物をするときに使うことになります。日本酒が好きな方に知られたら、激怒されるような使い方です(笑)オフィスの宴会などでは、やはり日本酒やビールを勧められるので、そのときは飲みますが、好きなわけではないので、お付き合い程度にしています。今週は、水曜日にチーズが届き、土曜日には、千駄ヶ谷の国立能楽堂に友達と狂言を見に行く予定なので、それを楽しみに仕事を頑張れそうです。狂言は、台詞が限りなく現代語に近いため、内容をほぼ完全に聞き取れるし、演目と演者によっては、見ていて笑えて楽しいものです。下手な演者では、単なる「ドタバタ・コメディ」に堕してしまって、テレビのお笑いに慣れてしまっている眼には、まったく白けて映ってしまい、笑えませんが・・・。笑った後で、考えさせられます。「人間って、いつの時代にも、本質は変わらないんだ。いくら文明が発達して、世の中が便利になっても、ヒトの中身は、そうそう変わらないんだ」愛、憎、思いやり、嫉妬、欲、見栄、臆病・・・能では、白砂糖のように「精製」されて、すべてが美しい余韻を残した終わり方になっていますが、狂言は、「綺麗事」で済ませずに、人間の本質をリアルに描いています。疲れたらサボりたい。楽をして儲けたい。他人の物はよく見えて、自分もやがて欲しくなる。自分のことを自慢したい。でも、武家の式楽(公式の行事で演じられる音曲)ですので、黒糖のように「精製」されていないわけではなく、観客に、「ああ、こんなこと、自分にも、ちょっとあるよね」という、ほんのり共感を誘うような笑いなのです。これもまた、和三盆のようなもの、だと思うのです。
April 16, 2006
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今日は、お昼頃に起きました。天気も良くて、気分の爽快な目覚めでした。目覚めてすぐに虎屋さんに電話を入れました。虎屋さんでは、毎月2回、季節の生菓子の種類を変えるのですが、今日は、月前半の生菓子の最終販売日なのです。今日、買いそびれると、また1年、待たねばなりませんので、念のため、お取り置きをお願いしておいたのです。それからシャワーを浴びて支度をし、ベランダのプランターに水をやりました。この1週間の間に、アシタバやルッコラの葉が一段と大きく成長したほか、昨年秋にこぼれ落ちたシソの種から芽が出ていました。5月のゴールデンウイークに入ったら、もうひとつのプランターに野菜専用の土を入れて、オクラの種を蒔く予定です。夏になったら、黄色の美しい花と、おいしい実をたくさんつけてくれるでしょう。また、先日買った、ウイスキー樽を再利用したプランターにも、野菜用の土を入れて、そちらには、サトイモのタネイモを植える予定ですが、まだ種苗会社からタネイモが届いていません。関西でよく栽培される「タケノコイモ」と呼ばれる品種なのです。14時頃に家を出て、地下鉄を乗り継いで、赤坂の虎屋さんに行きました。何組か、家族連れのお客さんがいらしたのですが、目ざとく私の姿に気づいた番頭さん(店頭支配人?)がお店の奥から急いで出ていらして、大きな声で「いつもご贔屓にありがとうございます!」とおっしゃったので、一斉に注目されてしまい、ちょっとだけ恥ずかしかったです。お店を出るときには、その方をはじめとして、売り場にいらしたお店の方全員が、「ありがとうございました」と深々とお辞儀をなさったので、またもや、他のお客さんに注目されてしまいました。お店を出たところで、何気なく振り返ると、ご家族で来店されたお客さんが、私のほうをみて、驚いた顔でなにやら話しておられるのが見えました。すみません。私、VIPではないのですよ。。。ただ、毎月2回、お店に伺って、自分と妹の食べる分だけ和菓子を買っていくだけの、ケチな客なのですよ。今日のお買い物も和菓子2個、合計840円なのですよ。。。。まったく顔から火の出る思いで、赤坂見附駅に向かい、丸の内線で新宿に出ました。紀伊国屋書店に行くまでの地下道は、相変わらず人が多くて気温が高く、うんざりしました。書店では、さんざんいろいろな売り場を歩いた末に、ラテン語の本を買いました。単なる文法の本ではなく、ラテン語にまつわる、いろいろな話が書かれていて、なかなか面白そうだったのです。私は、今までラテン語を系統立てて学んだことはありません。ローマ帝国の公用語であり、「ヨーロッパ諸言語の母」と呼ばれるラテン語は、ヨーロッパでは、いまでも「教養」のひとつとして学ばれています。以前、ある官庁主催の国際シンポジウムのあとのパーティに出たとき、ポルトガルの高官と話す機会があり、彼が話の中で、「運はガラスでできている。輝くときに、砕け散る」というローマの格言を使ったのですが、その格言は、たまたま私も知っていたので、「Fortuna vitrea est, tum cum splendet frangitur」とラテン語で答えたところ、ひどく驚かれました。そのあと、私が頼んでもいないのに、彼の知り合いのイタリアやフランスの役人に次々と紹介され、そのつど、彼が私のことを、「彼は、ラテン語を知っている!」と説明し、それを聞いて、私は内心、「これは困った・・・」と当惑し、一方、ヨーロッパ人たちは、みんな目を丸くして「OH!」とか感嘆の声を挙げる、ということが何度となく繰り返されました。そのときには、「なんで、イタリアやフランスの役人に紹介されたのだろう?」と不思議に思ったのですが、後から考えてみれば、ポルトガル語、イタリア語、フランス語は、それぞれラテン語の子孫なのでした。彼らは、極東の島国で、自分たちの「母なる言語」を耳にして、興奮したのでしょうね。そんなことを思い出して、ちょっとだけラテン語を勉強してみようかな、と思い、初歩中の初歩の解説書を買ったのです。帰宅してから、本日の生菓子「竹子形」(たけのこがた)を頂きました。羊羹で作られた筍の皮に肉桂(ニッキ<シナモン>)で色が描かれており、中に餡が入っています。銘々皿に載せた時点で、シナモンのかぐわしい香りが広がり、羊羹も餡も、甘さを控えた味わいで、非常に美味でした。 ↓ 虎屋さんの「竹子形」。天保15年(1844)に考案・発売されました。
April 15, 2006
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今日も仕事が忙しかったのですが、やはり週末が近いということで、なんとか頑張れました。最近、本をたくさん買っていたので、自宅の自分の部屋では、本がうず高く積み上げられた状態になっています。もはや本棚に入りきれないのです。。。それで、帰宅してから、少し、本の整理をしました。仕事が忙しいときほど、一種の現実逃避なのか、たくさん本を買って読む傾向があります。おそらく、仕事で使わない部分の神経あるいは脳を使うことで、バランスを保っているのかもしれません。読んでいる本は、政治、経済、歴史、食べ物に関するものなどです。今、最も楽しみにしながら読んでいるのが「史料が語るビザンツ世界」(山川出版社)です。もともと私は、東ローマ帝国に関心があり、長年、いろいろな本を読んだり、研究者(歴史学者)と話したりするのをとても楽しみにしています。東ローマ帝国は、ご存知のように、ローマ帝国の東半分、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を首都とする帝国のことで、コンスタンティノープルの旧称である「ビザンティオン」から名前を取って、後世の人々からは「ビザンツ帝国」と呼ばれています。ビザンツ帝国は、西ローマ帝国が476年に滅亡した後も、「敵同士を戦わせる」、「遠交近攻」など、卓抜した外交力を駆使して民族大移動やアラブ人の侵攻を食い止め、中世末期の1453年まで存続しました。世界史地図帳をみると、千年に亘って、延々とギリシア、トルコ地域に「ビザンツ帝国」が残り続けている姿が容易にみてとれます。世界史の授業で取り上げられることは少ないのですが、この国が防波堤の役割を果たしたため、アラブ人(サラセン人)が東側からヨーロッパに侵入することができなかったわけですし(西側のスペインはアラブ勢力に占領されてしまいました)、古代ローマ帝国の文化を中世の西欧に伝える役割も果たしました。モンゴル勢力のヨーロッパ侵攻時には、ロシアやポーランドが占領され、オーストリアやフランスはモンゴル騎馬兵の馬蹄の音に怯えて暮らしたたのに対して、ビザンツ帝国は、むしろ積極的にモンゴルと友好関係を結んで平和を保ち、現在のイランに成立したイル・ハーン国や、黒海北岸に成立したキプチャック・ハーン国とは、婚姻関係を結んでいたほどです(ビザンツ皇帝の娘がハーンたちに嫁いだのです)。なかでも、イル・ハーン国王アバガには、ビザンツ帝国最後のパライオロゴス王朝の創始者ミカエル8世の娘であるマリアが嫁ぎましたが、彼女は、イル・ハーン国でとても大切にされ、またその人柄を慕って、多くの現地人(イスラム教徒)がギリシャ正教に改宗したと言われています。彼女はアバガの没後、コンスタンティノープルに戻り、「モンゴルのマリア」と呼ばれていましたが、父である皇帝がまた別の国王との結婚を画策しているのを知り、修道院に入り、余生を過ごしたと伝えられており、その教会は現存しています。最後の王朝であるパライオロゴス朝―ギリシャ語で「古着」を意味する不思議な家名(姓)です―は、オスマン朝トルコ帝国の侵攻に悩まされ続けましたが、「パライオロゴス朝ルネサンス」と呼ばれる文化の興隆期を生み出しました。イタリアンルネサンス初期の代表的な画家であるジヨットは、アドリア海を隔てて近接するビザンツ帝国から影響を受けたらしいと言われており、また、ビザンツ帝国が滅亡する直前、多くの学者や文化人がイタリアに亡命し、彼らの知識がイタリアンルネサンスの起爆剤のひとつになったと考えられています。ビザンツ帝国については、皇女や皇妃の話がたくさん伝わっています。ビザンツ帝国では、官僚制度が整っていたため、公文書がたくさん作成されましたし、また日記を書いたり、史書を書いたりする学者や文化人にも恵まれていたので、史料がたくさん残っているのです。10世紀末、当代随一の学者になった皇女アンナ・コムネナは、第一次十字軍に対するビザンツ帝国の冷めた見方を後世に伝えていますし、勇気ある彼女は、のちに弟と皇位を争うことになりました。11世紀初、8歳でビザンツ帝国の少年皇子アレクシオスに嫁いだフランス国王の妹アニェスは、12歳のとき、自分の夫(アレクシオス2世)を殺して即位した、40歳も年上の新皇帝アント゜ロニコスと無理やりに再婚させられました。当時の人々は、アニェスへの同情から、この歳の離れた結婚をひどく嫌い、史料によると、「恥ずかしげもなく、老いぼれたアンドロコニスは、薔薇色の頬をした、まだ蕾の少女と寝た」と口々に非難したと言われています。アニェスもまた、この結婚をひどく嫌がったと伝えられています。史料によると、ある晩、自分の夫だった少年皇子の夢を見て、「アレクシオス様!」と叫んで目が覚め、自分がいかにつらい環境に居るのかを思って、夜が明けるまで泣いていたそうです。その新皇帝も恐怖政治の末にクーデターで殺害されてしまい、彼女も殺されそうになるのですが、フランスを刺激するのを恐れた人々によって助命されます。しかし、その数年後、フランス軍を中心とする第四次十字軍が、帝国のライヴァルであるベネツィアの策略によって、行き先を勝手に変更して帝国に侵攻し、ビザンツ帝国は一旦、滅亡するのです。アニェスは、フランス軍に丁重に保護されますが、自分の母国の軍に踏みにじられる帝国の様相を目の当たりにして、「自分はフランス語など、とうの昔に忘れてしまった」と言って、しばらくフランス人と口をきかなかったそうです。彼女は、フランス協力派のビザンツ人の将軍との三度目の結婚を、今度は自分の意思で実現させます。そして、今度ばかりは、幸せに生きたらしい、と伝えられています。ビザンツ帝国には、このほかにも、たくさんの皇女・皇妃の話が伝わっていますが、それは、おいおい、気の向いたときにお話していくことにしましょう。さて、本の整理を少しだけしたあと、先日、虎屋さんで買ってきた羊羹「桜の里」を頂きました。上下二層に分かれていて、上半分は桜色の道明寺羹、下半分は緑色の羊羹で桜の葉が入っています。道明寺羹は桜餅のような食感で、羊羹はほんのりと桜の香りがします。おそらく、桜の花と葉をイメージしており、桜餅の羊羹タイプのようなコンセプトなのでしょうね。あっさりとした甘味がとてもおいしく、玉露によく合う和菓子です。 ↓ 虎屋さんの「桜の里」。
April 14, 2006
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↑ 虎屋さんの桜餅。今日は、朝は比較的好天でした。いつもの時間に家を出て、しばらく歩いたとき、民家の桜が見えてきたのですが、私がそのすぐ脇をまさに通り過ぎようとしたとき、目の前で、局所的に花が、さあっ、と散り始めました。少し驚いて、木の枝を見ると、小鳥が止まっており、小鳥が枝を歩むたびに、その震動で、花が散っていたのでした。少し離れた桜並木では、色の濃い八重桜が咲き始めました。あでやか、という言葉がまさにぴったりの、紅色の花弁が、モサッ、と枝についており、そして、コントラストになるように、薄飴色の葉が遠慮がちに伸びています。私の実家にも、八重桜があります。私が生まれた年に、両親が植えたもので、今では、すっかり幹も太くなり、雨風にも揺るぎない堂々たる樹勢を見せています。八重桜が満開になると、そろそろ気候も暖かくなり、また、ゴールデンウイークの予定をあれこれと考えたくなりますね。今年は、ゆっくりと自宅で過ごし、合い間に、友達とおいしいものでも食べに行こうかな、などと思っています。今週も、あと一日。頑張って、仕事してまいります!
April 13, 2006
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今日は、なんだか身体が疲れていて、15時過ぎまで寝てしまいました。せっかくの休暇を有効に使いたかったのですが、静養できたので、まあ、いいか、と思っています。部屋の掃除をして、ベランダのプランターに水をやり、ふと、思いついて、種苗会社のホームページを開いて、花や果樹、野菜の種や苗のカタログを見ました。今のベランダの広さではまず無理なのですが、果樹が欲しい、といつも思っています。栗、金柑、クルミ、ザクロ、アンズなどに関心があります。秋になって、いろいろな実りがあるのを見るのは、とても楽しいものです。カタログをみていたら、かなり特殊なものまで売られていて、少し驚きました。サトウキビ、小豆、京野菜(万願寺とうがらし、賀茂なす、など)、オリーブなど、個人のお庭では難しそうなものが掲載されていましたが、おそらくプロの農家の方を対象としているのでしょうね。最近、農林水産業は従業者の高齢化が進んでいますが、農業については、若い世代の人が新規参入するケースが増えてきており、少し方向性が変わってきたようです。土に親しみ、緑を慈しむ農業には、やはり都市部で生まれ育ったヒトを惹きつける何かがある、と思います。一方、高齢化が深刻なのは漁業です。漁業は、まず船舶という、比較的お金のかかる設備投資をしないと開業できませんし、そのためには、船舶免許が必要だったり、また海洋関連の法律を熟知する必要もあり、さらに遭難などのリスクがあることから、新規参入が非常に難しいのです。最近、漁獲高が減ってきていますが、それは、天然資源の減少だけでなく、就労者の減少なども影響し始めているのではないかという気がしています。夕方から、本を読み始めました。以前から読みたかった「モスのココロ」(生活情報センター)です。以前にも、日記に書きましたが、私は、モスが好きです。それは、品質を重視する、という、ごく当たり前の、それでいて、貫徹するのが非常に難しい理念を、しっかりと実践している、その経営理念に強く共感を覚えるからです。ハンバーガーなどを「ジャンク・フード」と呼ぶヒトがいますが、モスは「ジャンク」ではない、と私は思っています。使用している素材について、その生産者からのの流通履歴がしっかりと管理され、いつ、どこのどなたが生産・出荷した素材を使用しているのか、きちんと顧客に開示できているような食べ物を、「ジャンク」とは呼べないでしょう。外資系の某ハンバーガーチェーンとは違うのです。だからこそ、同社との「商品の差別化に」成功して、生き残って、むしろ業態を拡大しているのです。私は、外資系チェーンを否定するつもりはありません。安価で手軽に食べられる「ファストフード」を日本に根付かせた功績は大きいのです。そして、現在でも、品質よりも価格を重視するヒトは外資系チェーンに、そして、価格よりも品質を重視するヒトはモスへ、というように、消費者に多様な選択肢を与えているのです。モスで使用されている牛肉について、私は、豪州産の穀物肥育牛(グレインフェルド)だろうと思っていたのですが、本を読んで、はじめて、豪州でもタスマニア島で放牧されている牛や、ニュージーランドの牛だということがわかり、しかも、牧草肥育牛(グラスフェッド)であることに驚きました。グラスフェッドは、独特の味と堅さがあり、日本人にはあまり好まれない肥育法なのです。だからこそ、私たちが一般に持っている「堅くて味の落ちるオージービーフ」というイメージが形成されてしまったのです。一方、グレインフェッドは、いわゆる霜降り系の肉で、米国を中心に生産されています。牛丼などに用いられている肉は、ほとんどすべてが、こうしたグレインフェッドです。グレインフェッドは、穀物だけではなく、さまざまな飼料が用いられており、その中に、狂牛病の原因とされる肉骨粉がかつては含まれていたのです。その結果、狂牛病で米国産牛肉の輸入が停止されると、たちまち牛丼の販売が停止されることになったわけなのです。また、グレインフェッドは、狭い牛舎にたくさんの牛を閉じ込めて、短期間で肥育させる大量生産方式であり、成長ホルモンなどが使用されるケースも多いと言われています。一方、グラスフェッドの肉でも、臭みや堅さのない肉がありうるのです。広大な牧草地に放牧して、ストレスのない環境で生育した牛肉には、こうした問題がありません。ただし、必要とされる土地は広くなくてはいけませんし、それでも生産量に限りがあるため、どうしても価格が高くなってしまいます。モスで使用されている野菜は、農薬を使用しない有機農法で使用されています。だからこそ、農家にとっては手間がかかるうえ、天候の影響も受けやすく、収穫量が少なくなりがちで、価格が高いのです。品質と価格はどうしても比例するのです。日本の農畜産業は、外国産の安い農産物の輸入の増加で苦境にありますが、私は、逆転の発想が必要だと思っています。中国などとの人件費水準の格差を縮小することが無理である以上、むしろ、徹底的に手間をかけて、味と安全性という「品質」で勝負したらよいのではないか、「日本の農畜産物は価格が高いけれど、味と安全性は絶対に信頼できる」という、「ブランド」を確立するのです。国内には、確実に、価格よりも品質を重視する消費者は一定量、存在していますし、また、経済発展の著しい中国や韓国、シンガポールといったアジア諸国の富裕層も、「高品質高価格」を受け入れる環境が整ってきており、販路を拡大することができると思うのです。衣服や工業製品は、安価で品質が悪くても、生命には別段の異状はありません。しかし、口に入るものは、品質が悪ければ、生命に影響が出ます。狂牛病や鳥インフルエンザなどの流行によって、そうした認識が、今、世界的に、急速に広まりつつあります。そうした時こそ、厳格な品質管理手法を駆使して、世界一厳しい消費者ニーズを満たしてきた、この国の農畜産業の出番なのです。農業には、まだ情報化が進んでいない部分があり、たとえば、携帯電話を利用した無線通信によって、温度管理などが24時間、容易にできるようになり、労働コストを下げることが可能なのではないか、と思います。「IT化で生産性が上がったのか」という点は、経済学者の中でも、意見が大きく分かれるところですが、私は、「どうしても人間の多大な関与が必要で、コスト削減が難しかった産業」については、IT化は生産性向上に寄与すると思っていますし、単なるコスト削減にとどまらず、就労者の苦痛を減らすことにより、産業福祉の向上にもに寄与すると確信しています。たとえば、農業、水産業、鉱業などです。日本では、第一次産業は衰退産業だと思われていますが、私は、それは誤りだと思っています。今、急速にBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)と呼ばれる国々が経済成長を続けています。最近の一次産品(農産物、原油、鉱物資源など)の国際市況が上昇傾向を強めているのも、こうした諸国の経済成長によって、これらの一次産品を原料とする製品への消費者ニーズが高まる、と予測しているからです。水産資源の減少も、たとえば、白身魚のソテーなどのような、比較的高価な料理に対する世界的な需要増加が影響しているのです。農産物についても、すでにチーズでは、中国の輸入増によって、日本などに製品が回らない事態が起こっています。家畜の飼料となるトウモロコシについては、今まで主要な輸出国であった中国が、国内需要の増加(要するに、経済発展によって所得が増え、みんな豊かになって、肉を食べられるようになったのです)から、今年、輸出を停止し、国際市況が大幅に上がっています。これまで「途上国」と呼ばれてきた中国が、その賃金の低さを武器に、「世界の工場」として、先進国から工業製品の生産を受注するようになり、それによって、工業生産が増え、労働者の所得が増え、急速に豊かになってきています。そして、10億人の人口を抱える中国が豊かになる、ということは、それだけの需要増加が発生する、ということなのです。中国の経済成長により、資源の価格が上がり、こうした資源を多く生産するロシア(原油)、ブラジル(鉄鉱石、石炭)が潤い、経済成長を遂げる。そして、これらの国々でも、労働者の所得が増え、より高級なモノやサービスに対する需要が増える。インドの場合は、ちょっと別です。インドは、もともとインド哲学に代表されるような「思考能力」に秀でた国民性を持ちます。そこに着目した政府が、数学教育やソフトウエア産業に力を入れた結果、優秀なソフトウエア技術者が量産されることになりました。彼らの賃金は米国に比べてはるかに安いのに、能力は米国人と同じです。そうであれば、ソフトウエアは、米国で生産するよりインドで生産したほうが割安です。そのうえ、インドは、もと英国の植民地だったため、米国と同様に「英語の国」なのです。米国人とのビジネス上のコミュニケーションも容易なのです。こうしてインドは、ソフトウエア産業を中心に高度成長を続けており、それによって、国内には、高級マンションやショッピングセンターなども続々と建設されるようになってきています。このようなBRICSの経済成長が、一次産品の価格を押し上げている状況下、これまでコストの高さがウイークポイントだった、日本の第一次産業にも追い風が吹くようになるはずなのです。いずれ、海外の安価な輸入品も、値段が上がりはじめからです。大量生産が可能な工業製品と異なり、天然資源に大きく依存する第一次産業(農林水産業、鉱業)は、価格が上がっても、なかなか生産が増えず、価格が高止まりしやすい傾向があります。私は、日本でも、やがて、第一次産業が脚光を浴びる成長産業になる時代が到来する、と思っています。問題は、そうした国際的な経済環境の変化に、第一次産業の就労者が対応できていないことです。チャンスが巡ってきつつあることを、自覚すれば、道は開けるのです。
April 12, 2006
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今日は、また上司に激しい嫌悪感を抱いてしまいました。彼とは、どうも価値観が合いません。自分の美学を通すためには部下を犠牲にしても構わないと思っているらしい点など、どうも利己主義的な部分ばかりが目について、あまりにも潔くない生き方であるように思えてしまいます。そんな人物を上司として奉らなければならないのは、非常に苦痛であり、同僚と顔を合わせれば、すぐに「彼は異動しないかな・・・・(溜息)」という話題になります。打ち合わせなどで彼と話していると、無意識のうちに嘔吐感を感じて、気持ち悪くなってきます。明日は休暇をとって身体を休めようと思っているので、少しは気分転換もできるでしょうか。
April 11, 2006
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今日は、やはり週初だけあって、一日中、忙しくしていました。出勤するとき、オフィスの近くの桜並木から、風に煽られて、花吹雪が散るのをみて、本格的に春になったことを実感しました。毎日、少しずつ、朝の空の色が明るく澄んでいくように感じられるのは、私だけでしょうか。今日は、仕事が忙しかったせいか、少し疲れてしまいました。本当は、昨日、届いた本「モスのココロ」について書きたかったのですが、力尽きてしまいました(笑)とりあえず寝て、体力を回復します!
April 10, 2006
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今日は、ゆっくり過ごしました。お昼過ぎまで寝て、それから、部屋の整理をだらだらと続けて、夕方になってから外出しました。妹の誕生日が近いので、お祝いにステーキを食べに行ったのです。兵庫県三田市に本店がある有名なステーキ屋さんで、おなか一杯になるまでステーキを堪能しました。たまには、ビーフも良いですね!なんだか満腹になったら眠くなってしまい、ショッピングもせずに帰宅して、私は、そのまま少し寝て、妹は私が貸した映画のDVDを見ていました。イタリア映画の傑作「山猫」です。私の好きな映画のひとつで、先日の民主党の代表選挙の際の演説会で、小沢氏が「山猫」の台詞のひとつを引用しており、それを妹に話したところ、見たいと言うのでDVDを貸したのです。彼が引用したのは、次の台詞です。We must change to remain the same.変わらずに生き残るためには、自分自身が変わらなければならない。この台詞は、主人公のサリーナ公爵の言葉です。舞台は、イタリア統一戦争(リソルジメント)の最中のシチリア。名門貴族で、山猫の紋章を持つサリーナ公爵が、貴族の時代の終わりに直面して、どのように生きることを選んだか、というお話です。社会が大きく変わるとき、どのようなタイプの人間が新しく現れて、古い世代のヒトに取って代わろうとするか、そして、その動きに抗わず、むしろ、自分も、不本意ながら同調して、家の存続を図る。あらすじは書きませんが、新興資本家の若く美しい娘の仕草ひとつで、品性の低さ、あるいは育ちの悪さを描ききっており、そして、そんな娘にかすかな嫌悪感を感じつつも、若さに惹かれていく自分に、思わずハッとする老公爵、時代の流れに乗って躍進しようとする公爵の甥(資本家の娘の婚約者)、など、奥行きの深い素晴らしい作品です。圧巻は、ラストの大舞踏会のシーンです。資本家の娘とワルツを踊る公爵、そして、あまりの華麗さに言葉を失って、ただ無言で見つめる他の貴族たち。このエキストラには、本物のシチリアの貴族が出演しているのです。これは、この映画の監督であるルキーノ・ヴィスコンティ氏が貴族の出身であったことで可能になったことなのでした。多くは語りませんが、私は、是非、この映画を多くの方にお薦めしたいと思います。この映画を知っていたとは、小沢氏もなかなかセンスがいいな、と、少し思いました。たとえ、それが彼のイメージ戦略のひとつだとしても、それを考えたプランナーのセンスを高く評価したいと思います。
April 9, 2006
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今日は、9時過ぎに起きました。天気も晴朗で風も少なく、よい日和です。お昼に友達とイタリアンを頂く約束があったので、遅れないように支度を整えて家を出ました。目的地に着くまでの間、真新しい制服を着て、ご家族と一緒に歩く高校生くらいの方を何組も見かけました。ちょうど入学式のシーズンなのですね。桜がまだ散っていなくて良かった、と、つくづく思いました。お昼は、中目黒で友達とイタリアンを頂きました。目黒川の両岸の桜並木を眺めながら、アンチョビやサーモンの前菜、ピザ、パスタ、リゾット、カジキのフライなどをおいしく頂きました。全品ともにおいしく、量もちょうどよく、大満足でした。友達とは、近況についていろいろとお話しました。私の言葉が、少しでもお役に立てれば嬉しい限りです。こうして友達といろいろと話すのは、私にとって、仕事とは違った角度から、物事を見て、そして考えることができるので、とても貴重で重要なことだと思っています。その後、新宿に出て、紀伊国屋書店に寄ってから、帰宅しました。最近、体調を崩しがちで、休日に外出ができなかったので、久しぶりの外出はとても快く、また、土曜日はお昼過ぎまで寝てしまうことが多いのですが、土曜の午後にゆっくりと街を歩くのも、また良いものだと実感しました。これからは、土曜日は少し早起きをして、休日をもっと有効に使おうと決心しました。どこまで実行できるか、甚だ怪しいですが(笑)帰宅すると、通販で注文してあったDVDが届いていました。子供の頃から好きだった「大岡越前」第一部のDVDボックスです。私の実家は、父親が時代劇が好きで、私もその影響で時代劇をよく見させられました。時代劇と言えば、皆さんがすぐに思い出されるのは「水戸黄門」だと思います。しかし、私は、「水戸黄門」は好きではありません。それは、「法」の位置付けが軽視されているように思えるからです。法を破るヒトには、それなりの事情があるのは、私も理解しています。そして、そうした個別の事情を勘案して、法を運用していくこともまた大切である、と思います。しかし、法の運用を、たった一人のヒトの判断で、勝手に変えたりするのは好ましくなく、公平性を欠くと思うのです。法を運用するヒトが清廉潔白で善良であれば、そうした運用が歪みをもたらすことはないでしょう。しかし、必ずしもそうではない、ということは、これまでの歴史が証明しています。また、法を運用するヒトごとに、判断基準が異なることがありえますので、その場合には、ヒトによって、下す裁決の内容に差異が生じることになり、裁決を受ける側にとって、不公平となります。法は、それを運用するヒトごとに、運用の仕方に差異があってはならないのです。それが「法治国家」というものです。その対極に位置するのが、「人治国家」です。法に頼らず、常に臨機応変に、個別のケースに応じて為政者が判断をしていく、という理想は素晴らしいのですが、それは、あくまで、為政者が「正しい」場合に限られます。為政者の判断ひとつで、裁決が変わるようでは、公平性は保てませんし、なによりも、「悪い為政者」が出た場合には、最悪の事態を引き起こします。法を厳格に遵守することは、杓子定規のようで、融通が利かないように思われますが、一方で、それにより、いつ、いかなる場合でも、一定の判断基準に従った裁決が可能となり、公平性が保てるのです。「水戸黄門」は、「人治国家」の最たるものだと思うのです。確かに、彼の裁決は個別事情をよく勘案したものですが、ケース・バイ・ケースで、裁決の内容が異なっており、やはり、彼本人においても、一貫性が保てていません。また、同じ罪に対する判定であっても、彼が訪れた地域では、彼の判断で軽い処分に止まり、一方、彼が訪れなかった地域では、重い処分になるわけですから、公平性が保てていません。「幕府の目の届かないところで泣く庶民を救う」というのは、確かに重要なことですが、彼個人の力では限界があるのです。したがって、彼の採るべきことは、「幕府の目の届かないところ」を縮小しようとすることであり、それを制度的に確立すべきことが「天下の副将軍」たる彼の責務であるはずだと思うのです。全国漫遊などしている場合ではないのです。一方、大岡忠相(タダスケ)が、町奉行として、担当できる職務範囲をきちんと認識し、法を厳格に運用し、「公平性」に配慮している点を、私は好ましいと思うのです。そうすることで、社会秩序が守られ、平和な生活が維持できるからです。漠然とした話では実感が沸かないと思いますので、ひとつの例を出します。「裕福な商人や大名から金を盗み、貧乏な庶民に配る」という行為をするヒトを、一般に「義賊」と呼びます。「義賊」は許されるべきなのでしょうか?私は、許されるべきではないと思うのです。まず、商人や大名が裕福なのは、彼らが不正をしているからではなく、彼らは、正当な「経済行為」を行なって、その結果として利潤を得ているのです。そうした「正当な経済行為」の結果として得られた利潤を、ただ単に「たくさん儲けているから」という理由で奪うのは、理不尽なことです。利益を稼ぎ出すことが悪だとされるのであれば、誰も経済活動をしなくなってしまい、経済は破綻します。実際にそのようなことをして、破綻していったのが、20世紀に存在した社会主義国家です。ただ、社会主義国家は、法によって、等しく、富裕者から資産を奪ったため、一応、法的手続きは踏まれており、公平性は保たれています。一方、「義賊」の場合には、彼が独断で「儲けている」と認定した相手からだけ、資産を奪っているわけです。彼の情報収集力がさして高くない場合、不公平が発生します。こうした「義賊」に対する対応は、「水戸黄門」と「大岡越前」では大きく異なります。水戸黄門では、まず間違いなく、無罪放免となるばかりではなく、「よくやった!」と褒められてしまうケースすらあります。「大岡越前」では、「窃盗は犯罪行為である」として、理由にかかわらず、処罰の対象となります。「それでは、貧しいヒトが救われなくなってしまうではないか」と思われる方もおられると思います。しかし、それは「福祉政策」として、別の観点から議論されるべきものなのです。「福祉のために必要だから」という理由で、ある日、突然、自分に対する税金だけ引き上げられるのは、誰でも不公平だと思うでしょう。それと同じです。「福祉政策の財源」にする、という理由で、不法な手段で特定個人の資産を奪うようなことが認められてよいわけがありません。最近、テレビ(TBS)では、「大岡越前」の放映が終わり、「水戸黄門」の放映だけ続いていますが、私は、密かに不満なのです。
April 8, 2006
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ここ数日、暗い内容の日記が続いてしまいました。以前から、「日記は、良くも悪くも、自分の真の軌跡だ」と思っており、心情を偽ることなく書き込もうと思っていましたので、暗い内容だとわかっていても、書き込むことにしたのです。しかし、こんな内容なのに、きちんコメントやメールを送って頂ける方がたくさんいらして、本当に本当に勇気付けられました。つくづく、サイトを運営していて良かった、と思うことができました。いろいろと考えたのですが、やはり、日記は、どこまで続くかわかりませんが、毎日、書いていくことにしました。私の毎日の「軌跡」あるいは「足跡」を残しておきたかったし、帰宅して日記を書くことによって、私も「職業人モード」(official)から「書斎人モード」(private)に気持ちを切り替えることができているからです。また、自分の中で形にならずに散らばっていた思考の断片が、日記に書くことで、整理されて形を成すようになることがよくあるからです。今回の件は、自分にとっても良い経験でした。これをきちんと活かしていきたいと思います。
April 7, 2006
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引き続き、気分が上がりません。なんだか、とにかく、もう疲れました。日記、しばらく休みたくなってきました。今、激しい自己嫌悪です。
April 6, 2006
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すみません。なんだか気分が上がらず、疲れています。自分がしてきたことが、否定されたようで、無駄だったように感じられて、ひたすら疲れを感じています。自分の気持ちというものは、相手に伝わりにくいものなのですね。「善意」が実は相手を苦しめていたことがわかって、今、最悪な気持ちです。
April 5, 2006
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今日は、とても暖かかったですね。私も、昨年11月以来、3か月ぶりにコートを着ずに出勤しました。通勤途中の道では、桜が満開で、風に吹かれて花吹雪が舞っていました。仕事は相変わらず忙しいのですが、ようやく、以前のような、自分のペースに復帰しつつあります。相変わらず、上司の保身とスタンドプレー好きには激しく不愉快ですが、早く異動してくれることだけを祈って、毎日を耐えています。先日、上司と衝突したとき、ひとつ悟ったことがあります。それは、いくら私や部下が、彼に反論・抗議しても、彼は、全く自分の考えを変えることがない、という事実です。これを悟ってしまうと、憤るのが馬鹿馬鹿しくなってしまいました。そこで、今は、「面従腹背」の姿勢を貫いていて、「聞き違えた」あるいは「勘違いした」、「うっかり忘れてしまった」という振りをして、合法的に彼の指令をサボタージュする戦術に、私を含めて、部下全員が転換しています。この「裸の王様」作戦は、実は効果を挙げていて、上司と正面から衝突せずに、上司のめちゃくちゃな指示を有名無実化することができるようになってきました。しかし、ここまで、自分だけスポットライトを浴びたがるヒトも珍しいなぁ、と思います。自分の功績のためには、部下がいくら苦しんでも、かまわない。うまくできたことは、自分のお手柄。失敗はすべて部下のせい。あまりにも思考パターンが単純で、行動が手にとるように予測できるので、苦笑せざるをえません。ここまで、他人の目を気にせずに、自己中心的な行動を、全く恥じずにできるというのは、ひとつの才能かもしれないなぁ、と思い始めています。上司の浅ましい振る舞いをみて、「自分も気をつけなくてはならない」と思えるので、反面教師として最適かもしれません。私は、自分の品性を失うことなく、凛として生きていきたい、と思います。なんだか、愚痴になってしまいました。。。。ちょっと、今日は、またまた上司の自己中心的な指令を受けて、うんざりしていたので、つい、書いてしまいました。なんだか疲れてしまいました。今日は、少し早く寝て、忘れてしまいたいです。なんだか本当に眠くなってきました。書き込み、コメントのお返事、ごめんなさい、水曜までお待ちください。
April 4, 2006
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今日は、年度初だったので、とにかくいろいろなことが変わり、一日中、その対応で奔走していました。ちょっと疲れ気味なので、日記は火曜日に書きますね。でも。。。今日、入学式を経て、高校生、大学生になられた方に、心からお祝いを申し上げたいと思います。新しい世界に、臆する必要はありません。自分から進んで歩いていけば、きっと、新しい環境を楽しみ、広がる友達の絆を感じることができると思います。急ぎすぎず、慌てず、でも、欲張りに、好奇心旺盛に、この新しい環境を思う存分、楽しんでしまってください。明日は、あなた方のために用意されているのです。
April 3, 2006
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日曜日、夕方4時まで寝てしまって、起きた後も、ぼうっとして、しまいました。月曜日に早く帰ってこれる予定だったのですが、そうもいかず、火曜日に日曜日の日記を更新しますね!コメント、書き込み、大変嬉しいです!もうちょっとだけお返事、お待ちください!
April 2, 2006
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今日はお昼過ぎから友達と会う予定があったので、朝8時に起きました。起きた途端、頭痛と悪寒と喉の痛みを感じて、ハッとしました。鼻も詰まっていて、寝ている間に口を開けて呼吸していたらしく、口の中が渇いていました。この3年ほど、毎年、3月末から4月初にかけて、必ず体調を崩しており、しかも、病状もかなりひどくなっていたのです。今年はそんなことにならないように、昨日もきちんと風邪薬を飲んでおいたのに。。。とりあえず、まだ出かけるのに時間があるので、オフィスの医務室から処方された解熱剤を飲みましたが、時間が経つにつれて、身体がどんどん重くなり、喉の痛みも増していきました。解熱剤で熱は下がったとしても、原因となる喉の腫れが治っていないので、このまま外出すればまた、昨年のように、ひどく悪化して高熱が続くことになりかねない、と思われました。それでも、せっかく予定を調整して時間を作ってくれた友達に、迷惑をかけるのがひどくためらわれて、ギリギリまで、外出しようかどうか、悩んでいました。悪寒が退かず、ベッドの中で悶々と考えて、時間が過ぎましたが、そのうち、だんだんと咳が出るようになってきました。それと同時に、胸の気管支のあたりが少し痛くなってきて、さすがに「これは、外出したら、著しく悪化する」と思われましたし、友達にうつしてしまうことも危惧されました。というのは、今朝から、妹も同じような症状で寝込んでおり、私から感染した恐れがあったからです。やむなく、友達に予定の延期を連絡したところ、快く応じて頂けました。しかし、私自身は、毎年、この時期に具合が悪くなるのがあらかじめわかっていたのに、それを防ぐことができず、大切な友達に大きな迷惑をかけてしまったことで、激しく自己嫌悪しました。友達は、きっと、いろいろと準備して、楽しい昼食になるように配慮して頂いていたのに、私の健康管理の拙劣さのために、台無しにしてしまった。ただ、ただ、申し訳ない気持ちで一杯です。そのあと、部屋の電気を消して寝ることにしました。風邪の時には、薬を飲んで、睡眠を摂ることが最も効果がありますので。熱のせいか、自分の不甲斐無さに情けなくなったせいか、いろいろな夢をみて、そのつど、何度も目が覚めました。寝汗をびっしょりとかいていて、目覚めるたびに衣類を着替えなければならないほどでした。あまり意識もはっきりとしておらず、どんな夢だったかももはや覚えていませんし、着替えも、朦朧とした意識の中で、半ば機械的に済ませたような感じでした。はっきりと目が覚めたのは、夕方です。とりあえず、熱が下がり、悪寒が治まったので、ベッドから出られるようになりました。朝、薬を飲んでから、かなり時間が経ったので、そろそろ再び薬を服用しないといけないのですが、何か食べないと薬が飲めないので、仕方なく、先日買ったチーズを食べました。せっかくのチーズなのに、まったく味が感じられず、石鹸を食べているような感覚でした。咳は、激しくはありませんが、まだ散発的に出ます。喉はまだ痛いままです。今日はまだ新聞も読んでいない状態だったので、部屋を暖かくして新聞を読んだりしていましたが、そのうち、また眠くなったのでベッドに入りました。次に目覚めたのは、深夜3時頃でした。今度は、腹痛で目が覚めました。薬で胃が弱ったらしく、胃のあたりが、錐をねじ込まれるような痛みで、起き上がることもままならず、ベッドに横たわったまま、胃のあたりを押さえていました。あまりに痛みがひどいので、今度は眠くならず、ただ痛みに耐えるしかありませんでした。寝ている間に発汗して、喉が渇いてきたので、なんとか起き出して、片栗粉をお湯で溶かして、胃への刺激の少ない和三盆糖を入れて、葛湯を作って飲みました。温かい飲み物を飲んだせいか、少し元気が出たようで、胃の痛みも少し和らいだような気がしました。ただ、まだ眠くならないので、仕方なく、ネットをしたりして気を紛らわせていたのですが、ようやく5時近くになって眠くなってきたので、ベッドに入りました。咳は、心配したほど悪化せず、その点だけは、ほっとしました。咳がひどくなると体力が激しく消耗されるからです。少し身体が楽になってくると、また、友達に迷惑をかけたことを思い出し、暗い気持ちになりました。もっと、しっかりしなくては。。。
April 1, 2006
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