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今日は、天気が悪くて、気温が低かったですね。私は、北方系の遺伝子が強いらしく、寒さには強いのですが、暑さには弱いので、気温が低いときは、逆に元気になります。今朝、電車に乗って、座席でゆったりと本を読んでいたところ、突然、「はふっ・・・はふはふ・・・」という、不思議な音が聞こえました。「とうとう幻聴が聞こえるようになったか・・・」と不審に思って、ふと、顔を上げると、私の向かい側の座席に座っている高校生の女の子が、肉まんを食べていました。肉まんは熱いらしく湯気が立っており、女の子は、はふはふと息を吐きながら、おいしそうに食べておられました。私の利用している路線は、下り電車なので、いつも空いているのですが、それでも1車両に20人くらいは乗客がいます。そして、彼女は、どう見ても、ごく普通の女子高生で、別に変わったところは感じられません。しかし、そこそこ可愛い彼女は、他の乗客に注視されながらも、べつに気にする様子も無く、そして、肉まんのおいしそうな香りが車内に広まり、かなり離れた席のおばあさんが不審そうに鼻をくんくんいわせても、全く動じる様子がありませんでした。よほど空腹だったものと思われます。彼女に限らず、最近、電車内で食事をする女性が増えてきたように思います。年齢層にかかわらず、明らかに増えてきています。先日は、ケンタッキーフライドチキンを、大学生らしい女性が車内で食べ始め、さすがにあまりに独特の匂いが立ち込めてきたので、早々に車両を移りました。車内で化粧をする光景は、まあ、もう慣れてきましたし、ご本人の「工事」が徐々に完成に近づいていく様子を、私も興味深くみられるので、良しとしましょう。実際、完成している部分と未完成の部分が混在するお顔は、とても不思議な様相を呈しており、結構、楽しめます。しかし、食べ物は、さすがにどうかと思います。パンとか菓子類のように、ちょっとした食事程度であれば、「ああ、いろいろと忙しいんだな」と同情もしますが、堂々と、フライドチキンや肉まんで朝餐をとられ始めると、匂いで他人に迷惑をかけます。今度は、私も、朝の電車内で、キムチと、サンマの焼き物に、納豆汁で軽く一膳頂いてみようかと思います(笑)
February 28, 2006
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今日は、気温が低かったようで、オフィスでも午前中はなんとなく肌寒くて、風邪がぶり返したかと心配しました。午後から、たぶん、この1年間で最も重要なプレゼンテーションの機会があり、とても緊張しましたが、久しぶりに、自分でもかなり満足な出来でした。あとは、水曜日にもうひとつ大きなプレゼン機会がありますが、これを終えれば、たぶん、仕事がかなり楽になります。これで少し落ち着いて、いろいろなことを考えたり、本を読んだりすることができるようになります。なんだか気が抜けてしまって、少し疲れ気味です。昨日の日記は、少し筆が滑り過ぎたなぁ、と反省しています。オリンピックを無邪気に楽しんでいる方々を批判したいわけではないのです。ただ、無責任で、無定見で、都合の良いときだけ正義を振り回す、そういうマスコミが嫌いなだけなのです。新聞はまだマシですが、テレビ、とくに民放はひどいような気がします。営利企業なので視聴率を気にするのは理解しますが、そうであれば、「正義を追求する」という「壮大な建前」、あるいは「フィクション」はいい加減、やめたほうがよいように思います。善悪二元論で割り切れるほど、世の中、単純じゃないのに、それを飽きっぽい視聴者にもわかりやすいようにするため、単純図式化して決め付けて報道することが、すべての問題の根源なのだと思うのです。マスコミの存在意義を否定しているわけではありません。飢えたハイエナのようなマスコミがうようよしている、と思うから、問題行動を自制している人もいるはずですから。ただ、「自分たちこそが正義」と思うのは、いささか行きすぎです。そう言いたいのなら、常に首尾一貫して、視聴者の意見や視聴率を気にしない報道姿勢を貫くべきでしょう。営利企業なのにあくまで正義を追求しようとするのは、ハイエナが肉食を止めてベジタリアンになろうとしているようなもので、所詮、無理ですし、そう取り繕っている姿をみるのは、痛々しく気の毒で、滑稽です。ああ、また筆が滑りすぎてしまいましたね。。。。
February 27, 2006
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今日は、一旦、10時頃に目が覚めましたが、カーテンを開けて、雨が降っているのをみて、なんだかまた眠くなってしまって、二度寝してしまいました。次に起きたのは13時頃でした。昨晩は、くずぐずしているうちに3時になってしまい、楽天さんの定例メンテナンスが始まってしまい、日記を更新できなかったので、早速、起き出してから日記を更新しました。そのあと、ゆっくり新聞を読んでシャワーを浴びて、コーヒーを飲みました。今日のコーヒーは「パプアニューギニア」のハイローストです。なんだか音楽が聴きたくなって、オリンピックに敬意を表して、「トゥーランドット」のアリア集を聴きました。オリンピックは、実はほとんど見ていません。放映時間が夜だったこともありますし、帰宅してからビデオをみるだけの時間も気力もないからです。もうひとつ、理由があります。それは、なんとなく、ナショナリスティックなところがあまり好きではないのです。日本語に訳すと「民族主義」。確かに、日本人選手が好成績を収めるのは良いことですし、国内におられる関係者の喜ぶ姿をみるのは心地よいものです。しかし、不幸にして思うように活躍できなかった選手について、「がっかり」とか、「気を取り直して次の選手の活躍を・・・」といったアナウンサーのコメントを聞くと、無性に腹が立つのです。オリンピックに出るだけで、すごいことではないですか?そのために、彼らは、毎日の厳しい練習に耐えてきているのです。彼ら、彼女たちは、「国民の代表」としてオリンピックに出るのではなく、自分のためにオリンピックに出場するのです。自分の練習の成果を発揮するために。「国民の代表」として「国威を発揚」するために、彼ら、彼女たちはオリンピックに出るのではないのです。よって、彼らのミスを指弾するようなことを言う資格は、マスコミや視聴者にはないと思うのです。安藤美姫さんが4回転できなかったとき、落胆するようなコメントをしたマスコミの関係者は、スケートで2回転ジャンプくらい楽々とできるのでしょうね? そうでなければ、そんなコメントをする資格はないと思います。彼女は、出場選手を決める段階から、不必要なほどマスコミから騒がれていたうえ、骨折も抱えていて、心身とも万全のコンディションではなかったのです。それでも、彼女は、果敢にオリンピックで闘いました。十分な結果が出せなかった原因は、彼女自身が最もよくわかっており、そして、今後、彼女が自分で消化して乗り越えていくべき課題であり、マスコミや視聴者がとやかく言う筋合いの話ではないと思います。その他のスポーツについてもそうですが、少なくともアマチュアスポーツについては、マスコミやファンがミスをした選手のことを批判するのを聞くと、私はただちに不愉快になります。オリンピックでもうひとつ嫌なことは、他国の選手のミスを喜ぶような発言が聞かれたりすることです。そもそも「国籍」って、何なのでしょうか?私は、個人を識別するための単なる「記号」のひとつでしかない、と思います。どこの国の選手であっても、すばらしい結果を残したなら、そのこと自体をきちんと評価して、感嘆すべきことなのではないでしょうか?フィギュアで、ロシアや米国の選手が転倒したときに喜ぶような発言がマスコミの一部で聞かれたようですが、つくづく残念です。ナチス時代のドイツのベルリンオリンピックでは、ドイツ選手の活躍がナチスの政治的宣伝と国民の民族主義の扇動に使われました。フセイン時代のイラクでは、オリンピックでミスをした選手が、「国家の恥さらし」として、帰国後に拷問にかけられました。ボリビアでは、ワールドカップでオウンゴールをしてしまった選手が、帰国後、殺害されました。自国選手の活躍を楽しみにする、「無邪気」な民族主義は、ある程度は仕方ありません。しかし、視聴者に対する影響力を持つマスコミは、十分に慎重であるべきです。視聴者に迎合するような発言は、視聴者の民族主義を煽ることにつながりかねないということを、きちんと認識すべきだと思うのです。「民族主義? 先進国ではそんなことの危険性はみんなわかっているよ」と嘲笑されるかもしれません。しかし、つい10年前、ヨーロッパの一角、イタリアの隣接する地域で、「ユーゴスラビア」という国家が消滅したとき、剥き出しの民族主義によって、凄惨な内戦が行われたことを、私は鮮明に記憶しています。その数年前に冬季オリンピックが開催されたサラエボ市では、セルビア人民兵が街を取り囲む丘の上から、連日、「ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国」政府のビルを砲撃しただけでなく、無関係な一般市民が集まる市場にすら迫撃砲を打ち込み、多数の市民が亡くなりました。丘の上からよく見える、街の大通りは「スナイパー(狙撃兵)通り」と呼ばれ、通りを歩く市民が狙い撃ちされました。街の外に出られないため、やむをえず、犠牲者は冬季オリンピックのスタジアムに埋葬されました。今でも、そこは、市民墓地となっており、あまりの墓石の多さに呆然とさせられます。ユーゴスラビアは、旧共産圏諸国の中で、最も市場経済化が進み、共産政権時代も言論の自由がかなり保証されている「明るい近代国家」だったのです。当時、異民族を追放したり殺害したりする「民族浄化」(エスニック・クレンジング)や、異民族の女性をレイプして民族の血筋を絶って混血化させる暴力は、セルビア人によって行われている、と報道されていました。しかし、これは、敵対するイスラム教徒側が米国の広告代理店と契約して、映像をうまく編集してマスコミに流させたことが成功した結果でした。米国の三大ネットワークをはじめ、欧米マスコミがテレビのニュースで、上半身裸でやせ細った白人男性が収容所の鉄条網の向こうからテレビカメラを悲しげに凝視する映像を流した直後、欧米の世論は沸騰し、「後進的で、欧米と異なる価値観を持つセルビア人」を非難する声で満ち溢れ、米国政府はイスラム教徒側(ボスニア・ヘルツェゴビビナ政府)を支持する態度を鮮明にしました。しかし、実際には、その白人男性は、セルビア人の設けた「収容所」にいたわけではなく、自宅の近くの有刺鉄線の近くにたまたま立っていただけでした。有刺鉄線は塀代わりで、しかも寸断されており、別に彼の自宅が鉄条網で隔離されていたわけでもありません。やせ細っていたのは、彼が病気だったからなのでした。それどころか、内戦の当事者すべて(セルビア人、クロアチア人、イスラム教徒)が「民族浄化」の暴力を行っていたことが、戦後になって明らかになってきました。オーストリア文化の影響を受け、国民の大半がカトリックであり、価値観を西ヨーロッパ諸国と共有しているはずの「先進的なクロアチア人」ですら、こうした行為を行っていたのです。「近代的な価値観を持つ市民でも、極端な民族主義に走ることがありうる」、「マスコミ報道は必ずしもいつも正しいわけではない」。そうした事例を実際にみてきた私は、マスコミがあまりに「民族主義」を煽るような報道をするのを見ると心配になるのです。「愛国心」は必要です。自分の生まれ育った場所を自然に愛するようになるのは、おかしなことではありませんし、「愛国心」を否定するほうがおかしいと思います。なので、私は、教育基本法に「愛国心」について記載することについては、別に反対しません。仮に「愛国心」を否定する教育が行われているとしたら、ある種の「自己否定」であり、きわめて奇妙なことですから。しかし、「自分と異なる人・集団」を敵視して排除しようとするのは「愛国心」ではなく、「偏狭な民族主義」でしかありません。「現代の日本では、そんなことは起こらないよ」と、これまた嘲笑されるかもしれませんが、一部の学校でみられる、特定の人をターゲットにした攻撃は、「自分と異なる行動様式を持つ人」との共存を否定する意識の現れではないかと思われてなりません。昨日、紀伊国屋書店で「レバノンの歴史」(明石書店)という本を買ってきました。外務省の元レバノン大使が書かれた本です。地中海に面した小国レバノンの首都ベイルートは、「中東のパリ」と言われ、中東の金融センターとして繁栄しました。この国は「宗教の博物館」と言われるほど、たくさんの宗教が混在しています。カトリックの一派であるマロン派、ギリシャ正教、ギリシャ・カトリック、アルメニア正教、イスラム教スンナ派・シーア派・ドルーズ派などです。そうした宗教ごとに「民族」が形成されており、民族間のバランスを保つため、この国は、常に「多極共存型政治システム」を模索してきました。一例をあげると、国会の議席配分や閣僚ポストは各民族の人口に比例して割り当てられ、大統領はキリスト教マロン派、首相はイスラム教スンナ派、国会議長はイスラム教シーアが分け合っていました。それは独立後しばらくはうまくいっており、隣国イスラエルとの戦争にも巻き込まれることなく、平和の中でベイルートは、「中東のパリ」、「中東の真珠」と呼ばれ、中東最大の金融取引センター、あるいは、地中海の高級リゾート地として繁栄しました。しかし、一旦、そのバランスが失われたとき、二度とバランスは回復せず、15年間にわたる内戦が始まりました。ベイルートは文字通り粉砕され、かつての高層ビルは焼けただれ、外壁が破壊されたビルの、かつては外国企業のオフィスであった場所で、市民が生活するような光景が珍しくなくなりました。どうしてそうなってしまったのか、なぜ「多極共存型政治システム」が機能しなくなったのか。大学の「政治学」の講義で、レバノン問題について聴いて以来、ずっと私の中では疑問となっていました。ようやく、その疑問が解けそうです。
February 26, 2006
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今日は9時頃に起きました。天気は快晴で、朝の眩しい光を浴びて、久しぶりに気持ちのよい朝を迎えました。昨日は花粉症がひどくてぐったりしていたのですが、昨晩、寝る直前に、大きな発見がありました。医務室から処方されていた点鼻薬(鼻にさす薬)の効果が薄いので困っていたのですが、昨晩、寝る直前に、薬をさそうとして、何気なく同封されていた注意書きを読んだところ、新事実を発見しました。以前使っていた点鼻薬は噴霧式で鼻の中に薬剤が吹き付けられるタイプのものでした。しかし、最近、処方された点鼻薬は、薬剤の散布力(噴出し力)が弱く、なかなか鼻の粘膜全体に薬剤が浸透せず、効果が出にくかったのです。それもそのはずで、この新しい点鼻薬はそもそも噴霧式ではなく、薬剤を鼻の中に吹きつけたあと、数秒間、天井を向いて、鼻呼吸することにより、引力と吸気の力で薬剤を鼻の奥に流す仕組みだったのです。早速、方法を改めたところ、数分後に、鼻詰まりが解消し、鼻水も止まりました。あんな苦しんだのが、まるで嘘のように。。。。。「ご使用に当たっては、用法・容量をよくお読みください」という「使用上の注意」は、こけおどしではなかったのですね。。。。おかげで今朝は、快適な目覚めでした。お昼過ぎ、大切な友達に会うために出かけようとしたとき、いきなり電話がかかってきました。まあ、電話というものは、たいてい、いきなりかかってくるものですが(笑)[例外として、私のオフィスには、「用件は5分後に電話します」とかいう電子メールを送ってくる人がいますので、もうすぐ電話がかかってくることを事前に私が予知できるケースもあります]今日、オフィスに部下が休日出勤していたのですが、作業上のトラブルが発生して報告してきたのです。幸い、部下がいろいろと試行錯誤しているうちにトラブルが解消したため、最終的には事無きを得たのですが、これで出発が30分近く遅れました。。。余裕をもって10分くらい前に着きたかったのに。。。とにかく、駅まで急いで行って、地下鉄の車内からメールで遅延の連絡をしました。ようやく待ち合わせ場所に着いて、そこから少し離れた閑静な住宅街を歩きました。緑が多くて、静かで、本当に気持ちが良くなり、こういうところに住めたらいいなぁ、と本気で考えてしまいました。そういう場所に連れて行ってくれた友達の感性・センスの良さもまた嬉しかったのです。いろいろなことをたくさん話し、また、思いがけないものも頂いて、すごく嬉しくなりました。こんなにリラックスして、楽しい時間を過ごしたのは、何か月振りだろう、と、帰りの電車で考えていました。友達の悩みに、適確なアドバイスができたかどうかは、自分でも心残りでした。でも、これからも、ずっと見守って支えてあげていきたい、と強く思いました。私の知識や経験が、そういう形で活かされたら、本心から、これ以上の喜びはないと思うのです。その友達には、私にそうさせたくなるような魅力があります。品性の高さ、快活さ、努力を惜しまない心、思いやり、そして、私の知識・経験を活用して付加価値をさらに高めることができる素質(潜在能力)があります。学生時代、ゼミ合宿の帰り、他のゼミ生は車で寄り道しながら帰ったのですが、私と指導教官はそれぞれ別の用事があって早めに帰らなくてはならず、特急列車で帰京することになりました。その帰り道、恩師が私に言ってくれた言葉があります。「他のゼミ生の手前、決して公けには言えないことだが、ゼミに入ってくれて嬉しかったよ。2年生の最初の講義でディスカッションがあったとき、君の意見は群を抜いていた。どんな経済政策でも、必ず負の側面がある。学生は、正の側面ばかりみて政策効果を論じるけれど、それでは十分ではない。経済政策立案者は、正負両面をみて、そのどちらが大きいかを冷静に判断しなければいけない。あのとき、君の意見は絶対少数で、というか、君は孤立無援だった。しかし、君の意見のほうが正しいと私は思っていたよ。他の学生の手前、明確に態度に出せなかったけれどね。私は、石炭の山からダイヤモンドを見つけた気分だった。でも、まだ原石のままだ。これからどうするかは、君次第だ。ただ、このダイヤは、長く放置すると、確実に劣化して価値が落ちるという点で、普通のダイヤとは違う」私もまた、「原石」を見出しました。恩師が私にしてくれたことを、今度は私がする番です。そのようにして、知識は受け継がれ、社会は進歩してきたのですから。世の中は、結局、「回り持ち」なのです。自分の受けた恩恵は、後に続く、ふさわしい誰かにちゃんと引き継がなきゃいけない。それが自分の世代的責務であるように思うのです。さて、友達と別れてから、新宿の紀伊国屋書店に行きました。年明け以降、忙しくて疲れてしまい、休日に外出することが久しくなかったので、久しぶりに書店に行きたくなったのです。いつも思いますが、紀伊国屋書店は暖房が効きすぎているように思います。。。。探していた本を見つけて、これまた嬉しい気分で、地下道から地上に出ようとしたとき、足が階段に引っかかって、見事に転びました。荷物を持っていなかったほうの手で身体を支えたので、荷物に傷はつかなかったのですが、代わりに手を擦りむきました。いよいよ足が弱ってきたか・・・と淋しく苦笑して、その場を立ち去りました。「麒麟も老いれば駑馬にも劣る」という言葉が中国にあります。この場合の麒麟とは「一日に何千里も走れる名馬」、駑馬(ドバ)とは農耕用の駄馬のことです。そんな言葉をふと思い出しました。自分を麒麟になぞらえるとは傲慢な話ではありますね。
February 25, 2006
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今日は、午後4時頃から、急激に花粉症がひどくなりました。くしゃみが激しくなり、目は痒いし、鼻水はとまらなくなるし、仕事への集中力が激しく低下しました。今シーズン最初の「悪化日」です。こんな日は、いつもは飲まない花粉症の薬を飲んで、部屋を暖かくして、早く寝てしまうのが一番です。たぶん、お昼過ぎから降り始めた雨が午後4時頃に上がったのが、今日の悪化の原因だと思います。明日は症状が軽くなって欲しいものです。大切な友達と会う予定がありますので・・・。本日はこのへんで休みます。オリンピックのことなど書きたかったし、コメントやBBSのお返事も、とても書きたかったのですが、明日、ゆっくりと書くことにします。
February 24, 2006
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昨日は久しぶりに早く寝たので、今朝の目覚めは快適でした。爽快な気分で、新聞を取るために舎宅のドアを開けた瞬間、もう本当に「瞬間」というくらいの速さで、鼻の奥がツーンとしました。1年ぶりの「懐かしい」感覚。一瞬にして悟りました。これは花粉だ。。。。新聞を読んでいると、早くも、目尻が微妙に痒くなり始めていました。まだそんなに激烈になっていませんし、仮に激烈になっても、四六時中、マスクをしなければならないほどではないので、普通に暮らせるのですが、1シーズンに数日、身体中の水分、または、脳が溶けて、鼻から出ているのではないかと思われるほど、鼻水が止まらない日があります。鼻の噛みすぎで、鼻の先が赤くなります。目が痒いときには、目玉を取り出して水で洗って、またもとのようにはめ戻したい気持ちになります。こんなに辛い春ですが、でも、私は春が大好きです。木々の枝に葉が茂り、空がどんどんと明るく高くなり、少し冷たいけれど、でも暖かさを含んだ、柔らかい風が吹く、そんな春の日の午後が大好きです。それに加えて、桜でも咲いていれば、もう言うことなし、です。そういえば、虎屋さんの季節のお菓子、来週から「桜餅」に変ります。昔から不思議に思っているのですが、なぜ、お米を粗く搗いて造った粉を「道明寺」と呼ぶのでしょうね。そういう名前のお寺で初めて作られたからなのでしょうか。子供の頃は、「道明寺」と「燈明寺」を間違えて覚えていて、新田義貞の戦死した福井の「燈明寺畷」(トウミョウジナワテ)を連想して、あまり好きではなかったのです(笑)今では、桜餅の「道明寺」は大好きです。3月4日の土曜日に、久しぶりに虎屋さんに行こうかな、などと思い始めています。帰りに新宿の伊勢丹に寄って、ジャン・ポール・エヴァンでチョコレートを買うか、渋谷の東急に行って、チーズ専門店のフェルミエで、羊乳のチーズを買おうか、いろいろと楽しみに考え始めているところです。
February 23, 2006
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今日はとても早く帰宅しました。仕事が落ち着いてきたこともあり、今のうちに早く帰って、ゆっくり休んでおこう、と思い始めたからです。久しぶりに19時にオフィスを出たら、あまりにも駅が混んでいて、驚きました。おそらく、いつもと同じような混み具合なのでしょうが、私の帰宅している23時台と比べれは、「激しい混雑」に該当するので・・・。帰宅途中で書店に寄って雑誌をみたり、CDを選んだり、久しぶりに、人間らしい時間を過ごしたような気がしました。帰宅してからも、ゆっくりとコーヒー(ブラジル甘熟のフレンチロースト)を飲みながら、買ってきたCDを聞いたりしていました。そんなふうに、一息つくと、「それでは、今度は経済関係のレポートでも読もうか」という気になれます。普段は、へとへとに疲弊しているので、帰宅すると、もう活字を読みたくない気分になってしまっていて、夕刊すら流し読みで済ませてしまいます。やはり、適度な休息をとらないと、かえって効率、生産性が下がるものだなぁ、と、今更ながら思いました。最近、自分、少し度を越して働きすぎていたかもしれない、と改めて感じました。まあ、忙しかったから仕方がないのですが、やはり、仕事が峠を越したのだから、休めるときにはしっかり休息をとろう、と固く決心しました。そんなことを考えていたら、私が新人の頃に先輩に言われた言葉を思い出しました。「休むも仕事のうち」「仕事の一環だと割り切って考えて、きちんと休息をとれ。働きすぎると、そのときは良くても、長続きできない」という意味です。最近、友達に「たまには自分を甘やかしたほうがいい」と言われました。まさに、その通りです。私のような者のことを気遣ってくれて、そうしたことを言ってくれる、大切な友人を持てたことを、心から感謝したいと思っています。
February 22, 2006
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今日も、なんだか慌しいうちに、一日が過ぎてしまいました。午前中は、たて続けに打ち合わせがあって、気がついたら、もうお昼になっていましたし。午後は、100ページ近い資料を隅々までチェックして、書き損じや誤字脱字や修正漏れを潰していて、これまた、ふと、気がついたら、窓の外が暗くなっていました。終電近くまで残業したのですが、また元気なようです。帰宅するとき、最寄り駅から歩いていて実感したのですが、確実に夜も気温が高くなっている感じがしますね。もう、春はそこまで来ているようです。しかし、良いことばかりではなく、花粉症が発症する季節でもあります。昨春は、花粉量が空前絶後の多さだったため、1シーズンで3度ほど、体調が非常に悪くなり、シーズン終了間際に、風邪を引いて高熱が出て、結局、ゴールデンウイークあたりまで体調が戻りませんでした。高熱が出た日は、ちょうど、私の加入している中世史の学会が東海大学で開催されており、うすら寒い教室で半日、講演を聴いていたため、夜になって高熱が出ました。講演自体はとても面白く、以前から関心のあったテーマだったので、非常に満足したのですが、帰りの小田急線の中で、自分でも、どんどん熱が上がってくるのがわかるほどで、結局、新宿までたどり着いたところで、文字通り、ふらふらになってしまい、やっとの思いで、休み休み歩いて、タクシー乗り場まで行って、タクシーで帰宅しました。帰宅してからも、信じられないほどの悪寒があり、久しぶりに高熱を伴い「本格的な風邪」にかかったことを実感しました。花粉症で体力が衰えていたことが原因だと思っています。ちなみに、一昨年は、やはり、シーズンの終了間際に、仕事中、何の前触れもなく、右耳が聞こえなくなりました。慌てて病院に行ったところ、「耳詰まりだね。薬飲んどけば治る」と言われて、薬を処方してもらったのですが、全く効かず、本当にひどい目に遭いました。今年は、例年以上に忙しくて、疲労しているため、一体、どんな症状が出るのか、今から心配です。花粉量は昨年よりも大幅に少ないらしく、それだけが救いなのですが・・・。
February 21, 2006
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今日もなかなかハードな一日でした。でも、体調がかなり戻ったせいか、深夜まで頑張って来ました。風邪はすっかり全快しました。なんだか、いくらこなしても、新しい案件が出てきて、いつまだ経っても仕事が終わらない感じですが、とりあえず3月冒頭に、確実にヤマを越えることがわかり、少し先が見えて、頑張れる気になりました。最近、やはり、少しずつ朝の気温が高くなっている気がします。最寄り駅の渡り廊下に張られているポスターも、満開の梅林が映されています。最近知ったのですが、「蝋梅」(ロウバイ)という梅は、黄色い花が咲くのですね。なんだか梅らしくもなく、でも、春の色、という感じもして、少し気になっています。梅の花を見ると、毎年、必ず思い出すのが、お能の「胡蝶」という演目です。旅の僧が京の都に上ってきて、一条大宮あたりを通りかかると大きなお屋敷の門が開いている。ふと、中を覗くと、美しいお姫様が庭の満開の梅花を眺めているので、つい話していると、やがて、自分は、蝶の精である、と、名乗られます。何ゆえ蝶の精が、このように人の姿を借りて現れたのか、と僧が問うと、蝶の精は、次のように謡います。「我、草木の花に心を染め、梢に遊ぶ身にしあれど、深き望みのある身なり。などやらん昔より、梅花に縁無きことを嘆き、来る春ごとに悲しみの、涙の色も紅の梅花に縁無きこの身なり。げにや色に染み、花に馴れいく徒し身は、はかなきものを花に飛ぶ、胡蝶の夢の戯れなり」蝶に生まれて、いろいろな草木の花を慕って訪れ、木の梢あたりをひらひらと舞い遊ぶこの身ですが、実は、深い望みがあるのです。どういうわけか、昔から、梅花は寒い時期に咲くので、寒さに弱い蝶である私は、梅花には縁が無く、毎年、とても悲しく思っていました。このように彩り美しく染まった姿を持ち、花を慕って舞い遊ぶ、この身ですが、所詮、一春だけのはかない命です。それでも、どうしても梅花を賞でてみたいという夢を持っていたのです。(抄訳)そうした強い想いが現世に残ってしまい、すでに寿命が尽きてこの世のものでなくなった蝶は、いまだ成仏できずにいたのです。それを聞いた僧は、哀れに思い、経を手向けます。すると、読経の功徳に救われて、胡蝶は浄土に生まれかわることができました。胡蝶は、礼を述べると、名残惜しげに、庭の梅花の周りを何度も飛び回り、やがて、白み始めた朝空に向こうに消えていくのでした。という、内容の演目です。能舞台の真ん中には、大きな作り物の梅花が据えられ、演者(シテ、と呼ばれます)は、美しい装束で、頭に蝶の羽を模した小さな金冠を被り、蝶の飛び遊ぶように優雅に梅花の周りを舞います。胡蝶の、梅花という「美」に対する、ひたむきな、真っ直ぐな想いを感じられる、幻想的で美しい作品です。毎年、満開の梅花を眺めるたび、私は、まだ寒い空気を感じつつも、心の中で「梅花に縁無き、この身を嘆き」という謡の一節を思い出します。温暖化で、梅花の時期に蝶が舞い遊ぶようになったら、こうした季節感も喪われていくのでしょうか。
February 20, 2006
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本日2本目の日記です。夜になってから、唐辛子の入った韓国風雑炊を妹が作ってくれました。身体がほかほかと芯から暖かくなり、なんだか気分まで回復してきました。なんだか自分は、単純な仕組みでできてるなぁ、としみじみ感じました。ここ数日間の日記を読み返していて、なんだか愚痴ばかりだなぁと、思わず苦笑しました。14日、バレンタインデーだったのですが、特段のこともなく過ぎました。実は、内心、「中元、歳暮と同類の、義理のチョコレートはもらいたくないなぁ」と思っていたので、今の職場ではそうした慣行がないと聞いて、ほっとしました。前のオフィスでは、まだそうした慣行があって、しかも部下はほとんどが女性だったので、「お返し」がとても大変で、心底、うんざりしたからなのです。それに、実は、この行事自体、あまり好きではなかったりします。というのは、この行事があるために、2月は、チョコレート・ショップで売られるお品の品質が明らかに下がるからなのです。ショコラティエ(職人さん)の数が変わらない中で、需要が急増するため、どうしても手を抜かなければ仕事が回らないのでしょう。それは理解できるのですが・・・。そのため、私は、2月は14日より数日後でないと、チョコレートを買いに行かないことにしています。2月に入って、まだチョコレートを買いに行っていなかったので、そろそろ出かけようと思っていたのですが、体調を崩していたので、やはり躊躇して、外出の予定のある妹に白金台の「オリオール・バラゲ」まで足を伸ばしてくれるように頼みました。 こちらのチョコレートは、フランス系のボンボン・ショコラですが、メーカーはスペインのショコラティエです。 買ってきてもらったのは、「ウイスキー」、「プラリネ」、「コーヒー」の3種です。 いつもながら食べるのが惜しくて、涼しい場所に置いて、ちょっとずつ頂こうかと思っています。 と、ここまで書いて、「そう言えば、今月は全然、画像をアップしていないな」と気づきました。日記を書くだけで精一杯で、画像をアップするだけの、心の余裕がなかったのでしょうね。 ついでに、2月5日と2月6日にも、それぞれ虎屋さんで買ってきてもらったお菓子の画像をアップしておきました。毎度ながら、デジカメの技術が高くなく、申し訳ありません。。。 ↓「オリオール・バラゲ」のショコラたち。
February 19, 2006
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今日は2時ごろに起きました。なんとなく何にもしたくない気分で、取り立てて集中して本を読むこともなく、中途半端な一日です。シャワーを浴びて、いつもより時間をかけて念入りに歯を磨き、歯間ブラシを使ってから、マウスウォッシュで仕上げをします。今日は体調はすっかり回復して、声もかすれがなくなったのに、なんとなく、すべてのことにモチベーションが湧きません。たぶか、明日から、また仕事が始まることについて、軽く憂鬱になっているからなのでしょう。やはり、自分の本当に得意している分野、やりたい仕事ではないと、あまり前向きに取り組めません。まあ、だからと言って、おろそかにするつもりはないのですが。。。自分の後に仕事を引き継いだ人に、「あいつは、こんないい加減な仕事をしていてのか」などと思われるのは、やはり嫌なのです。ただ、そういう義務的感覚で仕事をしていると、やはり、なんとなく「労働=苦痛」という嫌な感覚になりますね。以前、経済分析を担当していた頃は、休日に仕事をしていても、全く苦にならず、むしろ、楽しいくらいだったのですが。。。組織の中でのローテーションであり、未来永劫、現在の担当分野を続けるわけではないけれど、やはり、経済分析を担当していた頃が、ちょっと懐かしく思われます。普段は、こんなに弱気にはならないのですが、きっと、最近、気分転換の機会がないせいでしょうね。気づかないうちにストレスが蓄積されているのかもしれません。仕事は今月一杯か、来月冒頭まで忙しい予定ですが、それでももうゴールが見えてきているので、そんなに深夜まで残業しなくても済みそうです。だからこそ、重要なブレゼンテーションを終えた今、「勝利の後の虚無感」みたいなものを、そこはかとなく、感じているのかもしれません。こんなときには、これからの楽しい予定を企画するのが、最も有効な対症療法になります。とりあえず、次の週末には、友達と会うので、まず、それが楽しみ。3月中旬には、見たかった能・狂言が国立能楽堂で開催されるので、それも楽しみ。3月に入ったら、平日でも早く帰れる日が増えてくるので、そんなときには、フレンチかイタリアンの会食を友達とセットしようかな。そう言えば、最近、朝、出勤するときに眺める、空の色が明らかに春の色に変わってきているような気がします。気温は低いけれど、確かに春の陽の明るさの兆しが感じられるのです。もう数週間すれば、桜も咲き出しますね。今年は、舎宅のベランダのプランターを、もうひとつ増やして、育てやすい野菜の種でも蒔いてみようかと思っています。グリーンがあるとないとでは、気持ちの潤いは全く違うし、何かが育っていくのをみるのは、やはり楽しいものですし。今日の日記第一弾は、なんだか取りとめもないものになってしまいましたね。まあ、こんな日もあるでしょう。
February 19, 2006
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今日は、10時頃に起きました。夜中に喉が渇いて咳が出て、2、3度、目が覚めましたが、起きたときの気分はとても良く、すっかり疲労も回復したようです。声のかすれもすっかり取れました。午前中は、最近の体調悪化のせいで散らかりっ放しだった部屋を整理しました。芳香剤(新茶の香りがします)を詰め替えて、本は書棚に戻し、クリーニングから戻ってきた衣料品はクローゼットに格納し、見違えるように部屋が広くなりました。ふと、カレンダーみると、もう18日です。今日あるいは20日には、多くの高校で卒業式が行われていることでしょう。私のプログを読んで頂いておられる方の中にも、卒業を迎える方々がたくさんおられると思います。3年間、あるいは6年間、ともに同じときを生きてきたお友達と別れることに寂しさを感じておられる方も多いと思います。また、高校とはまったく違った環境である大学や専門学校への進学、あるいは就職に直面し、前途に漠たる不安を感じておられる方々もおられると思います。しかし、大切なお友達との関係は、お互いの気持ちが通じていれば、今後も途絶することは決してありません。新しい生活が忙しくて、一時的に疎遠になったとしても、容易に切れてしまう絆ではないはずです。だから、安心してくださいね。前途への不安については、新しい環境に直面する人は、だれでも、どんなときでも、不安を感じるものです。しかし、その不安が実現されるかどうかなんて、今の時点でいくら考えても、予測できないものです。不安材料にこだわればこだわるほど、もっと悪いことばかりを考えてしまいがちになります。とくに、夜、不安なことを考え始めると、どんどんマイナス思考が強まってしまいます。少なくとも、夜、前途の不安について考えることだけは、損あって益なし、と思います。ですから、不安なことについて考えなければならないときには、むしろ、天気の良い明るい午後をお薦めします。しばらくは、夜は、ベッドに入ったら、何も考えずに寝てしまうほうが、疲労も取れて、明日への活力も生み出されて、事態をきっとより良い方向に導いてくれると思います。何も「明日を思い煩うことなかれ」という楽観主義をお薦めているわけではありませんが、世の中には、一身でいろいろと考えても、予想できないことも多いのです。私たちエコノミストは、経済の先行きを予想するとき、その前提となる周囲の環境が大きく激変しているときには、あまり先行き予想はしたがらないものです。それは、予想するための材料が、いくらたくさんあると言っても、すべての材料を得ているわけではないからなのです。予想するための材料が足りないときには、下手な予想をしないのが最善です。しばらくは、自分では積極的にポジションをとらず、そして先入観も持つことなく、ただ無心に、世の中の向かう方向を見極めようとします。皆さんが新しい環境に入られるときも、同じことが当てはまるのではないかと思います。皆さんは新しい環境において、期待通りのこと、期待はずれなこと、好材料、悪材料、とりまぜていろいろとご覧になることでしょう。でも、それらのひとつひとつにばかりこだわっていると、きっと大きな意味での「新しい環境への評価」ができなくなってしまうのではないかと思います。まず、必要なことは、周囲の環境をよく見極めること、そして、慣れることです。新しい場所への通学・通勤に慣れて、余裕が出てきてから、次のことを考えても遅くはありません。なんでもかんでも一度にやろうとすると、人間、そんなに器用ではないので、どこかでうまく行かなくなり、それで自信を失ってしまって、マイナス・スパイラルにはまり込んでしまう可能性があります。新しい環境に入って気持ちも勇躍、と、いきたいところですし、周囲にもそういう方も多いかもしれませんが、大切なのは、「step by step」で進む「勇気」を持たれることだと思います。自分のペースで、少しずつ新しい環境になれていけばいいのです。それから・・・推薦で進学された方々。一般入試で合格された方に対して、引け目を感じる必要は皆無です。どちらも、それなりの苦労をして進学されることになったのですから。学力面で不安に思われる方がおられるかもしれませんが、私の経験から申し上げて、全くの杞憂です。私は受験を経験せずに、内部進学者として高校から大学に進みました。確かに1年生の時には、受験で入ってこられた方との学力の差は歴然としていましたが、2年生になったとき、学力の差はほぼなくなっていました。そして、卒業時、成績優秀者として、大学当局から「金時計」を授与された者のうち9割は高校からの内部進学者でした。このエピソードからわかるように、大学で大切なのは、4年間で何かを学ぼうとする意欲を持ち続けることなのです。あなたが推薦を選ばれたのは、ただ楽をしたい、というの理由ではなかったでしょう?どうしても、その学校に進んで、自分の関心のある学問を学びたかったからでしょう?だったら、その気持ちを4年間、忘れずに、持ち続けてください。あなたの成功は、きっと、あなたの後に続く推薦入学の後輩たちを勇気付けるでしょう。同じように、一般入試で合格された方も、いつまで「出自」の違いにこだわらず、せっかく同じ進路で出会うことになったのですから、その出会いを前向きに生かして、お互いに刺激しあって、高めあっていって頂きたいと思います。社会にでるとき、かつて大学や専門学校に入学するときに推薦だったか一般試験だったか、などという区別は、採用担当者は一顧すらしません。現時点での能力、適性しかみてくれません。そうであるなら、プライドもコンプレックスも捨てて、今を精一杯生きることこそが、正しい選択ではないかと思うのです。これからまだ入試を控えている皆さん、私は闘争心を失え、と言っているのではありません。ただ、闘争心とは、他者を蹴落とす闘争心では長続きしませんし、それだけが目的化しやすくなります。他者ではなく、おのれ自身との闘争に克ってこそ、一段と強くなれるのではないでしようか。試験がたまたまうまく行かなかった場合、起こってしまったことを悔やんでも時間は戻りません。次の試験に向かって、「忘れる、忘れる、next、next」という気概で、長丁場、どうか乗り切ってください。今まで勉強してきたことは、必ず成果となって現れるはず。自分を信じて、頑張ってください。同じ空の下、遠くから、皆さんの健闘を祈念しております。
February 18, 2006
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今朝は、引き続き体調が悪く、身体がだるかったのですが、2日も続けて仕事を休むわけにもいかず、多少の倦怠感には目をつむって出勤しました。午前中はあまり体調に変化はなかったのですが、お昼近くから、急に強い空腹感を感じるようになりました。感覚だけでなく、実際におなかが活動をしている実感があり、どうしたのかな?と思っていました。午後から、信じられないほど、倦怠感が後退していき、夕方には、まだ声はかすれているものの、すっかり倦怠感はなくなり、仕事の能率もフル稼働状態にまで回復しました。考えてみれば、今日は忙しくて、うっかり薬を飲み忘れたにもかかわらず、です。咳もすっかり止まり、頭の重さや悪寒もなくなりました。夕方、医務室で薬を処方してもらったとき、医師に聞いてみたら、「たぶん、普段から、弱い風邪をよくひいているので、身体の抵抗力がそのつど強くなっていき、自然治癒力が高くなっているのかもしれない。だから、睡眠さえしっかりとって過労気味でになければ、風邪を撃退できるのかもしれない」と言われました。半信半疑だったのですが、夜になると、猛烈に空腹感を感じるようになりました。仕事は早めに切り上げて、帰宅したのですが、最寄り駅まできたところで、急にラーメンが食べたくなりました。駅の近くにとんこつラーメンの、比較的有名なお店があるので、そこに立ち寄り、唐辛子のたくさん入ったラーメンの大盛りを注文しました。店員さんがちょっと驚いた顔で、「これ、すごく辛いですけれど・・・」と言うので、「はい、お願いします」と答えると、「この客、残さないかなあ」というような、露骨に心配そうな表情をしておられました。もともと私は、太っているわけでもないのに、食べる量が多く、いわゆる「痩せの大食い」タイプであり、しかも、子供の頃から辛いものには強いのです。子供の頃は、両親から「辛いものを食べると馬鹿になる」とよく脅されましたが、そのつど、「韓国の人は辛いものをよく食べているけれど、決して馬鹿じゃないよ」と反論していました。注文したラーメンが出されたとき、私の隣席の大学生くらいの男性が、私のラーメンの真っ赤なスープと、私の顔を交互に見比べているのがわかりました。彼は、普通のとんこつラーメンで、しかも普通盛りなのに、彼よりも小柄で痩せている私が、こんなたいそうなものを食べているので驚いたようでした。私は非常に空腹だったので、かなり速いペースで食べてしまい、隣席の男性とほぼ同じくらいのタイミングで食べ終わってしまいました。唐辛子のせいで、身体の芯からぽかぽかと暖かく、体力が回復するかのような感じがしていました。風邪は熱消耗性疾患であり、体力や栄養が普段よりも消費されるため、いつも風邪の回復過程では、激しい空腹感を感じるのです。どうやら、今回の風邪は峠を越えたようです。帰宅してから、念のため、風邪薬を飲んだところ、いつものように急激に眠くなり、そのまま寝てしまいました。皆さんには大変ご心配をおかけしましたが、もう大丈夫です。自分でも、あまりの回復の早さに少し驚いています。やはり過労気味だったのが良くなかったのでしょうね。昨日、まる一日、ずっと寝て、疲労が取れたので、急に回復に向かったのかもしれません。
February 17, 2006
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本日、ついに全く声が出なくなり、また、咳が止まらなくなったため、休暇をとりました。とにかく、一日のうちで起きている時間が2時間に満たないほど、寝続けました。先ほど、目覚めて、とりあえず、咳が止まったことを確認しましたが、まだ声はあまり出ません。妹と話していても、声がかすれてしまいます。あまりにも寝すぎたらしく、少し背中や腰が痛くなってきました。体力はかなり回復したようです。このように風邪で倒れても、食欲だけは衰えていないので、危機的な状態ではなさそうです。明日はなんとしても出勤しないと・・・・。
February 16, 2006
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今日のプレゼンテーションはまあまあの出来でした。とりあえず、無難に終わった感じで、それでも、ほっとしている自分がいます。今朝は、起きた時点で身体中に倦怠感が蓄積されていて、ベットから這いずって出てきて、ユンケルをまず一気に飲みました。しばらくその場にうずくまっていると、少し身体が暖かくなってきて動く気力が出てきたので、シャワーを浴びて身支度をしましたが、出勤する頃には、もう眠くて、だるくて、目を開けていられないほどでした。そこで、こんどは、目の覚める「ブラック・リゲイン」を飲んで、少し足元がおぼつかないものの、なんとか出勤しました。やっとオフィスに着いた時点で、熱が上がっていたので、とどめに、医務室から処方されていた強めの消炎鎮痛剤を飲みました。プレゼンの最中、自分でも血圧が上がって、心臓の動悸が激しいのを自覚していましたし、たぶん顔も少し紅潮していたのではないかと思います。大役を果たしたあと、なんだか一日中、雲の上を歩いているような、足元のおぼつかなさを感じていました。午後4時頃からは、ほとんど声が出なくなり、咳が激しく出て、夕方からは視野が明らかに狭くなってきているのを感じました。ようやく終業時刻となったのですが、電車で帰宅する体力が残っておらず、タクシーで自宅まで帰ってきました。それから今までずっと寝ていたのですが、ようやく先ほど目が覚めて、人心地ついた感じに戻りました。まだ声は出ませんので、明日は休んでしまうかもしれません。でも、また重要な打ち合わせがセットされているので、本当は休むわけにもいかず・・・・。久しぶりに体力の限界点に到達してみた一日でした。
February 15, 2006
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今日は、午前中はあまり咳が出なかったのですが、午後から激しく咳き込むようになりました。ちょっと微熱っぽい感じもします。本音では、ゆっくりと休養をとって風邪を治したいのですが、今はそう悠長なことを言っている場合でもなくて・・・。明日の朝、極めて重要な幹部説明が予定されています。いわゆる「晴れ舞台」です。私が発表者なので、とにかく、この日のために気力だけで頑張っている感じです。これが過ぎれば、とりあえず、毎晩10時には帰宅できるようになると思います。明日一日、とにかく頑張って、悔いのないようにレクチャーを終えてきます。明日は、即効性のある強い咳止めシロップを飲むつもりです。あまり身体には良くないのですが、あの1時間を乗り切るためには手段を選べなくて。咳で消耗しているので、今日はこのへんで。コメントやBBSの書き込み、本当にありがとうございます!いつのまにか、このプログも1万ヒットを超えました。本当にありがたいことです。こうして生まれた新しい絆、大切にしていきたいと、心から思っています。お返事、金曜まで待ってくださいね。ちゃんと心をこめて、書きたいので。
February 14, 2006
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寝ようと思ったのですが、ベッドに入ったら、咳がひどくなって、寝付かれません。やれやれ。眠らなければならないときに眠くならず、起きていなければならないときに眠くなる。人間とは不便なものですね。今、咳止めシロップを飲みました。効くまであと30分くらいでしょうか。退屈なので、甘酒を造って飲んでいます。飛騨の造り酒屋さんの酒粕を使っているので、砂糖を全く入れていないのに、麹だけのやさしい上質な甘さで、十分に満足できます。ほかほか身体が暖かくなってきました。
February 13, 2006
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土日であんなに長時間寝たのに、日曜日の夜はよく眠れました。恐るべし風邪薬。。。朝起きたら、喉の痛みがひどくなっていて、少し熱っぽかったのですが、休めるわけでもなく、憂鬱な気持ちで出勤しました。オフィスに着いて、いつものように忙しく働いていたら、だんだん喉の痛みが薄くなってきて、いつのまにかなくなっていました。こういうとき、気力が体調にも影響を与えるんだなぁ、とつくづく思います。高校生の頃、実家で飼っていた犬(♀)が肺炎に罹って、獣医さんも匙を投げたとき、奇跡が起こりました。ホルモンバランスが崩れて、想像妊娠状態になったのです。そうしたら、急に元気になって、肺炎から立ち直ってしまいました。母性というか、「これから仔犬を生んで育てなきゃ!」という強い意思が病気を駆逐してしまったようで、獣医さんも「ときどき見られる現象ですね。運が良いです」と驚いていました。そうした事例をみてきているので、心療内科を私は信用できるのです。心療内科は精神科とは全く違うものです(私はどちらも治療を受けたことがないので推測でしかありませんが・・・)。もっともっと広く普及して、みんなが気軽に治療を受けられるようになったら、きっと悩みが原因で体調を崩したり、それを苦にして、さらに体調が悪くなったり、というケースをかなり減らせるのではないかと思います。いろいろな方の日記を読んでいて感じるのは、みんな繊細で、目をそらさずに自分ときちんと向き合おうとしていて、それでストレスを溜めてしまうのではないか、ということです。だから、評論家やコメンテーターが「最近の高校生はお気楽で・・」というようなステレオタイプなコメントをするのを聞くと、激しく不愉快になります。確かに、「明日を思い煩うことなかれ」という性格の方もおられると思います。でも、自分や、そして、自分を取り巻く環境に、たったひとりで果敢に向き合おうとして、苦しんでおられる方もまた多いのです。なんとか力になってあげたい、と心から、痛切に思います。そんなに自分を責めなくていいんだよ、と言ってあげたいのです。苦しいことがあったら、常に闘うだけでなく、ときには、逃げても良いと思うのです。兵事には「戦略的撤退」という言葉があるくらいですから。逃げて逃げて、そして、そこで体制をゆっくりと立て直して、機会を十分に狙って、反撃すればよいのです。ナポレオン戦争当時のロシア皇帝はモスクワまで捨てて遠く逃げ延び、やがて反攻してナポレオンを破りました。逃げることは決して悪いことなんかじゃないのです。頑張ることは確かに美しいですが、だからと言って、頑張らないことが悪いわけじゃないのです。頑張れるときまでの、休養の期間だと思えばよいのではないでしょうか。今日はなんだか話にまとまりがありませんね。ちょっと咳も出てきたし。自宅に戻って気力が緩んだようです(笑)とりあえず、今日はこのへんで。
February 13, 2006
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寝る前に飲んだ風邪薬のせいで、眠りが深くなってしまい、目が覚めたのは16時過ぎでした。起きてから新聞を読んで、ぼんやりとテレビを見て、時間を過ごしました。今日は、昨日痛くなったほうの喉は痛みが退いているのですが、反対側の喉が痛くなっていました。血痰も出ていて、これは本格的な風邪だと認識しました。たいてい、喉の炎症から発熱につながっていき、つらくなるので、とにかく休日の間に喉の炎症の峠を越せさてしまいたいと思っています。部屋を暖かくして、暖かいお茶を飲んだり、ときどき、ベッドに入ったりして、怠惰きわまりない生活を送っています。本を読みたいとは思うのですが、こんなときに読んでも頭に入らないので、とにかく静養に徹します。最近、内容のある日記が書けていないなぁ、としみじみ思います。余裕のない生活を続けている証拠ですね。書きたいことはたくさんあるのに。。。明日から、また忙しい1週間が始まりますが、とりあえず、週の後半には大きなヤマをひとつ越すので、それまで頑張らないといけません。今日の日記の第一弾でした。。。。
February 12, 2006
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今日は10時頃に起きました。予想していた通り、喉が痛くなっており、早速、昼食を食べて、薬を飲みました。読書をしようと思っていたのですが、風邪薬のせいで激しく眠くなってしまい、午後から、寝たり起きたりしていました。本当はもっと有意義に休日を使いたかったのですが、まずは、体調を元に戻すことが先決なので、とにかくゆっくり休むことにしました。寝ている間に、いろいろと夢をみた記憶があるのですが、どんな夢だったかは覚えていません。日が暮れてから22時頃まで、溜まっていた新聞記事のチェックをしました。なんだか、何も生産的なことをせずに1日が終わってしまったような気がします。まあ、こんな週末がときどきはあってもよいのでしょうが。。。
February 11, 2006
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やっと週末です。今日は、自分が主役として長い説明を何度もする機会があったので、それなりに緊張しました。柄にもなく、事前に読み上げ原稿を作ったりして、準備してしまいましたよ。かんり込み入った話で、しかも時間が限られているので、効率よくスムーズに理解してもらえるように、いろいろと工夫しました。結果はおおむね成功だったので、ちょっと肩の荷が下りたような感じでいます。体調も、予想に反して悪くならず、踏みとどまっています。やっと週末までたどり着いたので、ゆっくりと休んで体力を回復したいと思います。今週は、朝、目覚めたときに、全身に倦怠感とか、昨日の疲労感の残滓が、はっきりと感じられて、「あー、もう、休みたい」と何度も思いました。でも、今は、私の部署はみんな忙しいのです。そこで私が休んでしまえば、私の担当するはずだった仕事は他の人に流れることになり、その人の負担を増やすことになってしまいます。私が決裁しないと先に進められない仕事も多く、私が休めば、部下の仕事にも影響が及んでしまいます。そう考えると、休むことはできませんでした。自分的には、相当、悲愴な気分で、毎日、出勤していました。それだけに、やっと週末を迎えられて、今、激しい解放感に身を委ねています(笑)
February 10, 2006
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今日は夕方から、激しくだるくなり、背中や足が痛くなり始めました。私の場合、足が痛くなるとき、ズキズキと痛くなるのではなく、なんだか疲労後の筋肉痛のように、足が張って痛くなる場合には、たいてい、体調が非常に悪くなる前兆なのです。まだ喉が痛くなったりしていないし、熱も出ていないので、風邪の症状は出ていませんが、今までの経験から考えると、おそらく土曜の午前中に喉が痛くなって熱が出て、土日はずっと寝たきりになる可能性が高いように思います。週末、出かけたかったのになぁ。。。せめてインフルエンザではないことを祈るばかりです。。。
February 9, 2006
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今日は、さすがに夕方くらいに、へばってしまい、頭が全く働かなくなってしまいました。午後早々から、疲労感が強く、眠気さましの医薬品(大手製薬メーカーのきちんとした医薬品です。ドリンク剤より多少強いです)を飲んで耐えていましたが、夕方には、とうとう力尽きてしまいました。なんとか21時過ぎまで仕事を続けていましたが、とうとう見切りをつけて帰宅しました。皆さん、コメントやBBSの書き込み、ありがとうございます!!とても嬉しいです。前に進む勇気が与えられる気がします。金曜日になれば、復活しますので、それまでお返事、お待ちくださいね!今日は、帰宅した直後から、激しい眠気に襲われているので、早々に休むことにします。。。。
February 8, 2006
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今日は、激しく忙しくて、1時過ぎに帰宅しました。0時近くまでずっと報告書を作成していたので、なんだか神経が興奮しているようで、妙に頭が冴えています。でも、身体は正直でなんだかだるいですね。とりあえず、今朝はあまり雪が深く積もらなくて良かったですが、それでも革靴だと滑りやすくて、ハラハラしていました。今年は、あと2回くらいは降るのでしょうか。さて、そろそろ休むことにします。
February 7, 2006
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今日は週初から、かなりハードな一日でした。来週末まではこんなペースでの仕事が続きそうですが、とにかく頑張って乗り切らないと。。。毎日、いろいろな面で「綱渡り」のような、ギリギリのところでなんとか踏みとどまっている感じです。朗報があって喜んでいたら、一夜明けたら一転して、凶報に変わり、慌てて収拾に走り回り、なんとか大事に至らぬ前に火を消して、ほっと一息つくと、もう外が暗くなっています。充実はしているけれど、経済分析を担当していた頃のような達成感がなく、毎日、その場しのぎで走り回っている、妙な空虚感があります。仕事を選べる身分じゃないので、とにかく毎日を乗り切らなければならないのです。私が毎日の荒波を乗り切らないと、部下も一蓮托生で沈んでしまうので、責任は重いですね。とは言うものの、早く「年季奉公」が明けて、もとの経済分析のセクションに戻してもらいたい、というのが、偽らざる本音なのです。今日は、帰り道で、舗装されたばかりの道路から、激しく湯気が立ち上る光景を見ました。100メートルくらいにわたって、寒気の中、激しく湯気が立ち上り、なんだか幻想的でした。ふと、「あぁ、温泉でも行って、ゆっくりしたいなぁ」と、心の底から思いました。新緑の季節になったら、仕事も落ち着くでしょうから、また箱根に行きたいです。。。帰宅してから、妹に買ってきてもらった虎屋さんの和菓子「椿餅」を食べました。シナモンの香りがすばらしいお餅で、なんだかリラックスした気分になれました。 ↓虎屋さんの「椿餅」。本物の椿の葉が上下についています。
February 6, 2006
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今日はなんだかとても眠くて、だらだらと寝たり起きたりしていたら。夕方4時近くになってしまいました。最近、心配だったことがあるのですが、昨晩、とりあえず、大事に至っていないらしいことがわかり、ほっとしました。それで、少し気が抜けてしまったのかもしれません。午後になってから、妹に買ってきてもらった虎屋さんの節分のお菓子を食べました。蒸し羊羹に花豆が入っていて、おいしかったです。さて、りえにゃん☆さんから回ってきた「呪いバトン」、やってみることにします。Q1.今やりたい事 本を書きたいですね。時間さえあれば、できるのに。。。Q2.今欲しい物 まずもって「時間」ですね。より現実的には、「スキャナー」です。資料をコンパクトに整理したいですー。Q3.現実的に考えて今買っても良い物 本ですね。国際観光関連の本を買おうと決心したところです。Q4.現実的に考えて欲しいし買えるけど買ってない物やはりスキャナーですね。なかなか良い機種が見つからなくて考え中なのですよ。Q5.今欲しい物で高くて買えそうにない物 大きな家ですね。地下に書庫専用の広い部屋が欲しいのです。Q6.タダで手に入れたい物 語学力。いつまで経っても英語がうまくなりません。 Q7.恋人から貰いたい物 ネクタイ。センスの良いものが欲しい。。。Q8.このバトンを5人に回す 興味のある方、5人ぐらいおられるでしょう(笑)「呪い」とは、どんなものなのでしょう(笑)。さて、今日の話題です。実は今日まで、敢えて、この話題を避けてきたのです。商業活動に影響があるといけませんので。3日は節分でした。実家では、豆まきをして、最近、はやりの「恵方巻き」を食べたようです。西日本では、節分にイワシを食べる習慣があるようですね。実は、日本では、一年のうちで最もイワシが売れるのは、この節分の時期なのです。イワシ、と言うと、日本近海で獲れる新鮮で安価な鮮魚、というイメージが強いのですが、実は、年々、漁獲高が急激に減ってきています。乱獲が原因という説もありますが、温暖化が影響して海水温度が変わり、海流が変化した、という説を唱える人もいます。2005年のイワシ(マイワシとウルメイワシ)の漁獲高は24,208トン。2004年が40,232トンでしたから、約4割も減少しています。このように国内での漁獲量の減少を受けて、イワシの輸入量が増えてきています。かつて、輸入されるイワシは、魚粉の形態(イワシミール)で輸入されて、肥料や飼料にされるケースが大半でしたが、今は、鮮魚店やスーパーで食用として販売されています。輸入イワシの原産地は、アメリカのオレゴン州とカリフォルニア州、そしてメキシコの太平洋岸が中心で、2005年には、アメリカから20,410トン、メキシコから9,023トン、それぞれ輸入されました(数字はいずれも魚粉ではなく、食用に輸入された冷蔵品のものです)。総輸入量が33,589トンですから、この両国で全体の87.6%を占めていることになります。そして、2005年のこの総輸入量は前年比10.3%の増加であり、うちアメリカ・メキシコからの輸入量は6.3%の増加です。と、このように数字を並べられても、あまり実感が湧かないでしょう。2005年の国内での漁獲高が24,208トン、輸入量が33,589トン。つまり、既に、国内に出回っているイワシは、国産品よりも輸入品のほうが多く、皆さんが食べているイワシのうち58.1%が輸入品なのです。節分にイワシを召し上がった方のうち、かなりの方が、アメリカ原産のイワシを頂かれたわけです。イワシに限らず、最近、水産物の漁獲高が世界的に急減しています。乱獲が原因で、このままでは、サバ、イワシ、タラ、マグロ、アワビ、タコ、そして、サメですら、2010年には、漁業経営が成り立たなくなるような漁獲高まで落ち込むことが懸念されています。毎日、スーパーや鮮魚店の店頭には、大量の魚が並んでいますが、注意深くみていると、その価格が少しずつ上がってきていることがわかります。各国の漁業関係者が次々と漁場を開発して、なんとか漁獲高を保っているのですが、もはや開発され尽くしてしまい、新しい漁場は見つからなくなっています。代わりに、近縁の他の魚種を代替品として売り出す傾向が強まっています。代表的な例では、欧州の空港で売られている「キャビア」は比較的安いので驚かされますが、実は、これは「ダンゴウオ」という正式名称のカサゴに似た魚の卵なのです。それだけでなく、最近は、海草から抽出したアスパラギン酸を原料として、人工キャビアを作って売り出すケースも増えています。その原料となる海草は南米のチリに多いのですが、世界的に需要が急増した結果、これまた絶滅が心配されるほど水揚げが減ってしまいました。一見、スーパーや鮮魚店には魚が豊富に溢れていますが、その裏で進む危機があまり知られていないのは、極めて残念です。マグロやキャビアの減少は、新聞記事になりますが、イワシやサバの減少は、世界的に漁獲高が急減して、もはや輸入量が維持できなくなって価格が上がり始めないと、新聞記事にはならないでしょう。しかし、国連食料機関(FAO)の統計では、水産資源の枯渇が顕著に現れてきています。私たちの子や孫から、「あの魚は、お父さんやおじいちゃんの世代が食べ尽くしてしまったんだよね?」などと言われないようにしたいものです。その決め手は、やはり漁獲制限しかありません。資源が完全に枯渇する前であれば、まだ間に合います。かつて、秋田県では、ハタハタという魚が名物でしたが、乱獲の結果、ほとんど獲れない状態になりました。そうなると、価格が上がり、利益幅が大きくなるので、さらに、ハタハタを獲ろうとする。そうした悪循環が続きました。数年前、秋田県の漁協では、意を決して、全面禁漁に踏み切りました。第二次大戦中、人手不足や燃料不足で漁業ができなくなったあと、戦後、ハタハタの水揚げが急増したことを、お年寄りが覚えていたことが、きっかけとなったのです。漁業関係者にとって、収入が途絶えることになる、この厳しい選択が、それでも受け入れられたのは、もはやハタハタが絶滅寸前となっていたことに、関係者すべてが強い危機感を共有していたからです。そして、一昨年、禁漁期間が明けて、海に網を入れたところ、ハタハタが大量に水揚げされたのです。今、国際的に、この秋田県の経験が非常に注目されています。当時の漁業関係者の英断を高く評価したいと思います。 ↓ 虎屋さんの節分のお菓子。花豆の入った蒸し羊羹です。
February 5, 2006
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今日は10時頃に起き、午後から横浜の実家に行き、かつて自分が使っていた部屋の片付けをしました。今月末に実家が引越すので、それに当たって、不要な荷物を減らすため、部屋の整理が必要となったのです。引越しといっても、僅か30メートルくらいの距離なのですが、私が生まれてから初めての引越しで、両親ともいろいろと大変なようです。私は、就職して2年目に実家から地方研修に出て、そこから東京の独身寮に戻ったので、実家の私の部屋は、就職2年目の時点で、時間が止まっています。部屋の押入れ、書架、の引き出しからは、中学・高校時代の教科書やテスト、大学時代のテキストや自分が執筆したレポート、そして、当時読んでいた本が大量な出てきました。とくに思い出深かったのは、私が最初に読んだ経済の本がまだ残っていたことです。ちょうど中学2年生の時に読んだ「地方銀行」、「都市銀行」、「商社」という3冊の本です。そして、高校2年生のときに買った「日本の商人」という全8巻の本も出てきました。値段は忘れてしまいましたが、当時としてはかなり高い買い物で、自分でも、さんざん悩んだ末に買ったものです。さらに、高校3年生のときに執筆した世界史のレポート2本(このブログのプロフィールにも書いてあります)も残っていました。これは、残っているとは全く予想していなかったので、かなり驚きました。内容は、やはり稚拙で、事実関係は詳細によく調べられていましたが、それでもいま少し深く掘り下げられておらず、分析不足で、単なる事実の列挙に過ぎませんでした。枚数制限を意識したらしく、書き込みが浅い部分と深い部分が混在して、バランスも取れていないし。うーん、これでは駄目だぞ、当時の自分。。。そして、高校生の頃、好きだった女の子の写真が机の引き出しの奥から出てきました。これは、さすがに赤面モノですね(笑)私の高校は男子校なので、たまたま母校の中学に用事で行った帰りに見かけた他校の子を好きになりました。人生、不思議なもので、あのとき、友達に強く誘われて、渋々、遠回りして画材屋(だったと思います)に行かなかったら、彼女と出会うこともなかったのです。たしか、あのとき、私は、なんだか疲れていて、早く家に帰りたかったのですが、明日の美術の授業で使うものを買いたい、と言う友達に、仕方なくつきあって、少し遠回りして品川駅で降りて、高輪の丘に向かって坂を登っていたのでした。その途中ですれ違った「S栄」(英国のイメージのある学校でした)の生徒さんの中に、ひときわ目を惹く子がいたのです。まったく接点のない世界の人でしたので、コンタクトをとることもできなかったのですか、たまたま同じ選択科目(政経)を採っていた友達の彼女が、そこの学校の人で、そのツテで知り合いになることができました。難解で有名だった政経の授業の内容を、その友達に時間をかけてわかりやすく説明する、という代償を払いましたが(笑)。そんなに親密な友達ではなかったのですよ。顔見知り程度だったのですが、とにかくツテがなかったので。。。ただ、彼女も受験を控えていたし、私も、自分の前途をなんとか切り開こうとして、気持ちにあまり余裕がなかったせいか、数回、お会いしただけで、そのうち自然に連絡が途絶えました。付き合った、という部類にも入らないでしょうね。単なる知り合い程度でした。お会いしたときに一緒に撮った写真があったのですが、他人が映っている写真というものは、破ったりして捨てるのはなんとなく抵抗があって、処分に困って、机の引き出しの奥に入れたまま、忘れていたのです。さすがに今回は、もう時効だろうと思って、処分させて頂きましたが。そんなことをいちいち思い出しながら、部屋の整理をしていたら、まるまる6時間もかかってしまいました。夕食は、実家で寿司の出前をとって、両親と頂きました。そのとき、いつもいるはずの黒猫がいないことに気づきました。母親に尋ねると、2月1日に亡くなったとのことでした。この猫は、私が大学4年生のとき、いまの職場の採用面接の最終試験の日の朝、雨の中、実家の庭に迷い込んできて、ぶるぶると震えていた仔猫(まだ目が開いたばかり)を拾ったのです。当時、鳥を飼っていた実家では、父が猫嫌いだったこともあり、仔猫といえども、飼うことには大反対でした。しかし、目の前で震えながら精一杯生きようとしている小さな魂をみて、私は、どうしても見殺しにすることができなかった。おとなげないとは自覚しながらも、両親に向かって、「この猫を飼わないなら、今日の面接には行かない」と言い放ち、両親を脅迫してしまいました。結局、両親は呆れ果てながらも、「もらってくれる人が見つかるまで」という留保条件付きで、飼うことを承諾してくれました。そんなに大恩のある私のなのに、この猫は私には全くなつかず、あれほど猫嫌いだった父になついてしまい、父もいつのまにか猫好きになってしまいました。そんなわけで、実家に居る間、私と猫は、微妙な緊張関係にあり、お互いに接触を避けて暮らしていました。そういった「いきさつ」もあり、猫がいなくなったことは、とてもかわいそうに思いましたが、比較的冷静に受け止められたはずでした。しかし、母が居間の小さなテーブルの上に飾られている猫の写真に、好きだったマグロの刺身を供えて、「そのうち、ちっちゃな黒い仔猫に生まれかわって、また、うちに戻ってくるんだよね」と話し掛けているのを見たら、彼と出会った、あの朝のことが急に鮮明に蘇ってきて、不覚にも涙が出てしまいました(今も、これを書きながら、少し涙ぐんでいます)。結局、私には全くなつかなかった彼ですが、それでも、常に記憶の場面の端々に、彼の姿が残っており、確かに彼は家族の一員だったのです。私が実家を出たあと、彼はよく両親を慰めてくれました。ありがとう。心から礼を申します。そして、また、生まれかわって、うちに戻っておいで。今度は私にもなついて欲しいな。
February 4, 2006
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今日は、23時くらいに帰宅できました。仕事は忙しいけれど、密度が少し下がってきて、立ち止まって物事を考える余裕が出てきました。そうすると、やはり、見えなかったものが見えてくるようになって、ミスも減るし、生産性も上がりますね。帰宅してから、音楽を聴いていました。私は、疲れたときや、何かをやるのが面倒になって投げ出したくなったとき、よくショパンを聴きます。英雄ポロネーズ、幻想即興曲、バラード第1番ト短調などが好きです。勇気付けられるというか、前に歩みだす気力が与えられるような気がします。そして、聴き終えたあと、必ず、少し寂しくなります。ショパンは、誰にも真似できないような全く新しい音楽の世界を創り出しました。それに比べて、私は、エコノミストとしては、どうしても誰かの亜流になってしまっているような気がするのです。自分に独創性が欠けているのは、自分が最もよくわかっています。才能が乏しい分だけ、人一倍、努力して、積み上げてきたのですが、それでも独創性の乏しさは、時には悲しいほど致命的で・・・。そして、一方で、同じエコノミストのレポートを読めば、誰が優れていて、誰が凡庸なのか、それはすぐに峻別できるのです。俊才の才能を見出す力はあっても、自分が俊才になる力はない。才能、というものが、生まれたときから備わっている「天賦の才」なのだとしたら、神は残酷なことをするなぁ、と思います。でも、だからと言って、投げ出してしまっては何も前には進みません。才能の差があるなら、才能のある人の何倍も努力するしかないのです。才能の差を感じたのは、高校3年の終わり頃でした。付属の大学の経済学部への進学が決まっていた私は、入学前の春休みに、少しは体系的に経済学を勉強してみようと思い、「経済原論」の教科書を買って、自分で読み始めました。経済には中学生の頃から強い興味があり、経済や金融関係の本はかなり読んでいましたし、日本経済新聞も親に頼んで購読させてもらっていたので、自分なりに経済知識はあるつもりでしたし、高校の政経でも常にトップで2位の人に20点近い大差をつけていたので、自分では強い自信があったのです。しかし、大学の教科書を読んでみると、全くわからないのです。字面を追うことはなんとかできて、意味はわかっても、書かれていることの「メカニズム」を理解することができないのです。あれは、正直、激しいショックでした。結局、自分は経済をわかったつもりになっていただけで、本当は何もわかっちゃいないんだ。そう思うと、全身から力が抜けていくような虚脱感に襲われました。このまま経済学部に進学しても、ちゃんとやっていけるのだろうか。そう思うと、ただ怖くて、春休み中、憂鬱な気分で過ごすことになりました。そんなとき、医学部に進学した友達とたまたま会うことがあり、持っていた教科書をみせて、「この部分(かなり複雑な数式)がわからないんだよね」と言ったら、彼は、ちょっと「うーん」と考えた後、枯れ木の枝で公園の地面に数式を書いて、「たぶん、数式で説明すると、こういうことなんだと思う。要するに、最初の局面では、X(労働量)が1増えるとY(生産高)は3増えるけれど、後の局面になると、Xが1増えても、Yは0.2しか増えなくなる。だんだんYの増え方が小さくなるんだよ」と説明してくれました。彼にそう言われた瞬間、私は、まるで厚く垂れ込めた雲が一瞬にして消え去ったような感覚を覚えました。確かにそうだ。一定の広さの農地に野菜の苗を植えていくとき、ある一定量までは苗を植えただけ収穫は上がるけれど、あまりにもたくさん植えすぎると、お互いが邪魔しあって、伸び悩み、収穫量の増加幅が小さくなってくる。それと同じだ。そして、そのとき、はっきりとわかったのです。彼は、数式を簡単に解くことでメカニズムを容易に理解することができる才能がある。きっと、こういう人が新しい理論を作っていくんだ。私は、自分の得ている知識・情報を頭に思い浮かべ、その相互連関関係を考えることからメカニズムを理解するアプローチしか採れない。だから、私は、誰かが作った理論を理解して使って、世の中の経済事象をみていくしかないだろう。自分に経済学者としての重要な素質が欠けていることを初めて強烈に認識されられた瞬間でした。そして、その認識はやはり正しく、私は、経済関係の書籍を読んで内容を理解することはできるので、「分析レポート」などは内容の濃いものが書けるのですが、経済理論を自分なりに編み出して、独創性のある「論文」を書くことは結局、できませんでした。そして、今も、経済理論を使って世の中の経済事象を分析する「エコノミスト」にはなっているものの、博士号を取れるような学位論文は書けそうにありませんので、学者になれる見込みはありません。将来、どこかの大学の教授に取り立ててもらえたとしても、「研究者」としてではなく、「教育者」としての役割を期待されることでしょう。ただ、それも悪くないな、と思うのです。「偉い学者」にはなれなくても、「偉い学者の書いた論文や主張を理解できる学者・エコノミスト」として、「偉い学者」の研究成果を若い人にわかりやすく教え、その人たちの中から、さらに「偉い学者や革新的な経営者」が生まれたら、とても嬉しいことではないかと思うのです。そのようにすることが、それなりの能力を与えられて生まれてきた、この私の役目であるような気がします。そうわかっていても、私は、ショパンを聴くたびに、いつも少し淋しい気持ちになるのです。きっと、まだ心のどこかで、「もっと高い才能を持って生まれてきたかったな」と思っているのでしょうね。映画「アマデウス」では、ウィーンの宮廷音楽家のサリエリが、モーツアルトの才能を妬んで毒殺した、というシナリオで描かれていますが、私はサリエリの気持ちはよくわかるような気がします。そして、真実はサリエリがモーツアルトを毒殺したのではないことも。モーツアルトの音楽を初めて聴いたとき、サリエリは、その素晴らしさを理解して興奮し、とても嬉しかったと思います。嫉妬も感じただろうけれど、それ以上に、偉大な才能によって新しい世界が創られる、その瞬間に立ち会っている喜びを感じたと思います。宮廷音楽家としての地位は危うくなるかもしれない。でも、ヨーロッパの宮廷はウイーンだけじゃない。ウイーンが駄目なら、パリでもフランドルでも北イタリアでも、彼の程度の才能があれば、生活するには全く困らないどころか、賞賛に包まれた人生を過ごすことができたはずでした。彼が自分の保身のために、後進の才能を潰したとは信じたくない気がします。同じ世界に生きる者として、自分のいる世界を大きく大きく発展させてくれる人をみるのは、スリリングで楽しく、次に何が起こるか、世界がどう変わっていくのか、考えるだけで、わくわくするじゃないですか。知的好奇心は嫉妬に勝るのです。今年は、モーツアルト生誕250年。どんな新しい事実が明らかになるのでしょうか。
February 3, 2006
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今日は、仕事は順調だったのですが、夕方くらいから、激しく頭が痛くなりました。最初は、後頭部のごく狭い範囲だったのが、やがて左半頭が痛み出してきました。ズキズキする痛みではなく、ジーンとしみわたるような嫌な痛みです。脳内出血かと疑ってみたのですが、手足とも痺れもなく、言語も明瞭なので、単なる偏頭痛でしょう。腹痛が治ったら、今度は頭痛か。。。今日は早く休むことにします。
February 2, 2006
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今日は、一日中、外出していました。仕事は、明らかに峠を越した感じが強くなっています。とりあえず、身体がここまで持ってくれたことに安堵しています。オフィスに電話を入れたら、インフルエンザで休暇をとった人がまた増えた模様でした。実は、この数年間、記憶にあるだけでも20年間近く、インフルエンザに感染したことがありません。この間、普通の風邪にかかって、こじらせたことはありますが、外出禁止になるようなインフルエンザにかかったことはありません。そのため、もし、インフルエンザにかかったら、相当、ひどくなるのではないかという気がしていて、内心、非常に心配しています。とくに私は発熱にはとても弱いので、高熱が出れば、目まいがするほど衰弱することは目に見えています。こんな忙しい時期に何日も出勤できなかったり、周囲の人に感染させてしまったら、大変なことになります。とりあえず、自分でできる予防策として、帰宅したら、うがいと手洗いを必ず行うようにしています。よく歯を磨いておくのも、風邪の菌が喉や口内で繁殖するのを抑制する効果があるらしい(とNHKのニュースで言っていました)ので、歯磨きも念入りに行うようになりました。ただ、これから心配なのは、花粉症が始まることです。花粉症で喉や鼻が炎症を起こしているときは、風邪にもかかりやすくなっており、非常にリスクが高いのです。花粉症が始まる前に、インフルエンザの流行が下火になってくれることを切に願いします。今日は、外出先から、少し早め(22時頃)に帰宅して、少し疲れたので、ベッドに横になりながらテレビを見ていたら、いつのまにか寝てしまい、ついさっき、日付が変わってから目が覚めました。いつもこれくらい早い時間に帰宅できると、体調を維持できるのですが。。。。週末まで、あと2日。なんとか頑張らないと!
February 1, 2006
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