あけやんの徒然日記

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あけやん2515

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2012年01月14日
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カテゴリ: 野球

 まさに記憶に残る投手だった。太く短い野球人生。津田氏は右手中指の血行障害を患い、脳腫瘍に侵され、現役生活は10年で終わった。記録面では野球殿堂入りした先人に大きく劣る。しかし得票は昨年の212票から237票へと伸びた。
 「マウンドで首を振ったら必ず真っすぐ。味方にも敵にも分かった。それでも真っすぐ勝負にこだわった」。91年に津田氏とダブルストッパーを務めた広島・大野チーフ投手コーチは振り返る。86年5月8日の阪神戦(甲子園)では、9回1死満塁で弘田、バースをオール直球で2者連続3球三振。同年9月24日の巨人戦(後楽園)では、直球をファウルした原(現巨人監督)が左手首を骨折した。91年4月14日の巨人戦(広島)で、最後の相手となったのがその原。北別府氏の後を受けて8回から登板も、無死二、三塁から同点の左前打を浴びた。そして降板。これが津田氏の生涯最後のマウンドだった。
 「巨人戦は体調が悪いのは分かっていた。つらかったですね」。晃代夫人は自宅テレビで観戦。翌15日に広島市内の病院で精密検査を受け、脳腫瘍と診断された。「ツネ(津田)のためにも優勝しよう」。当時の山本監督やナインはポケットにお守りを忍ばせ、一丸となって優勝を果たした。
 精神面の弱さを克服するため、津田氏は「弱気は最大の敵」「一球入魂」と書いたボールを持ち歩き、マウンドでは阿修羅のごとく振る舞った。しかしユニホームを脱ぐと一転。冗談好きで「優しい人」(晃代さん)になった。ファンの脳裏に今も鮮烈に刻まれる「炎のストッパー」。時空を超えて、その勇姿がよみがえった。【スポーツアネックスから引用】




 津田投手と言えば、たとえ相手に読まれていても直球で押してくる投手でしたね。球の速さでは山口高志投手(元阪急)や最近だったらクルーン投手などすごい投手もいるわけですが、例えば山口投手の場合は大砲のような文字通り剛球を投げ込んでいたのに対して、津田投手の場合は速いだけではなくて球のキレとか、その勢いが半端なかったように思います。
 その球の勢いは本文にもありましたが、原現巨人監督の手首を骨折させるくらいのものだったわけですからね。

 それから本文にはありませんでしたが、津田投手と無二の親友の森脇選手(現オリックスコーチ)との仲は闘病生活を続けていた時にも続いていて、「俺の年俸を半額にしてでも現役復帰させられるよう球団にかけあってやる」と励ましていたとのこと。その後、残念ながら帰らぬ人となった後に森脇選手自身の結婚披露宴の席上で、津田投手の席を用意していてその写真はスポーツ新聞の記事で見たことがありますが、涙を誘うものでした。

 故障などで低迷から復活し、その速球を武器にしてセ・リーグの強打者を打ち取り、当時最強打者だったランディ・バース選手に真っ向の直球勝負で3球三振に切ってとり「津田はクレイジーだ」と言わしめたくらいの伝説の投手、もうこんな投手は二度とでてこないかもしれませんね。

 そんな選手をテレビで見ただけで生で見る機会はありませんでしたが、こんな投手を見ることができた時代にいたということだけでうれしいものです。





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最終更新日  2012年01月14日 15時54分54秒
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