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今年の8月までは楽しめた今年のカープの野球。8月はじめにズムスタへ行ったときは、その後になってあんなにチームが変わったかのように負け続けるとは思いませんでした。当然その原因を追求して、来年に向けての対策をしなければならないのは、野球に限ったことではない。プロジェクトなんかでも計画通りに進まなかったのであれば、原因究明と再発防止をはかるものなので「痛みを伴う」と監督自身がコメントしていたことからもその覚悟はあるんだろうと思っていましたが、カープの野球はそうではないらしい。 ご存じのように、打てない代打陣とそれをしつこく使い続ける首脳陣、もちろんそこには「信じて使う」というのはありかもしれないけど、結果が出なければこれまでのチーム功労者であっても下げざるを得ないはずなのに使い続けてあのざま・・。だったら、来季に向けて「痛みを伴う」というのであればそのような選手や首脳陣が一掃されるのかと思いきや、ほぼ誰も一掃されず。コーチ陣はほぼ留任って、大失速の総括はどうした!? これで来年もペナントレースを戦うって、どうなんだろう。一応新外国人の補強は行ったようだけど、これは実際にペナントレースが始まらないとその評価はわからない。先日もこの話題を取り上げましたが、その時点では首脳陣の交代があるのかどうかはわかりませんでした。他のチームは積極的に動いているのに何らそんな話が聞こえてこないことを不安に思っていましたが、誰も責任とらないなんてありえん・・・。本当に来シーズンは100敗するんじゃないかな。40勝できるかどうか・・・。完全に他のチームのボーナスステージになりそうな予感・・・。 「痛みを伴っている」のはファンだけのようですが、暗黒時代突入と思えば仕方ないかな。たまに勝てればいいか・・・。 ところで、楽天ゴールデンイーグルスの田中投手が退団となりましたね。本人がそのようにしてほしいということらしいのですが・・・。 田中投手といえば、24勝0敗の成績をあげたくらいの活躍でメジャーにも行きましたが、メジャーから帰ってきての成績はいまいちぱっとしていないようですね。私はパ・リーグは詳しくないのでわからないのですが、メジャーへ行く前のような状況ではないようで、やはりメジャーで投げるというのは相当体や心にもプレッシャーがかかるものなのですね。年齢的にも30歳後半というプロ野球選手としてもだんだんきつくなる年齢ですからね。 そんな田中投手を獲得しそうなチームってあるんですかねぇ。ネームバリューとしてはすごい選手なのですが、ここ数年はほぼ勝てていないし、今年も1試合しか投げていない。名前で押さえ込めるほどプロの選手は甘くないですからね。そういえば、いつだったかyoutubeで晩年の金田正一投手の苦悩をみました。日本プロ野球では記録にも記憶にも強烈なカネやん。最晩年の巨人時代はそれまでの勤続疲労なのか思いのほか球が走っていないし、抑えるのもかなり苦労していたように見えました。それでも400勝を達成するのですが、本人はもっとできると思っていたようで・・・。そんなレジェンド投手も他のチームでは「退団するならうちへ」というようにならなかったのは、あの強烈的な個性は横に置いて戦力的には計算できない、という判断があったのかもしれませんね。 田中投手の場合は、あと3勝で200勝。そのあと3勝をあげるだけの投球ができるのか疑問視しているチームが多いので、積極的な動きが今のところないのかもしれませんね。(今のところヤクルトが検討しているようですが) 高校野球でもレジェンドだった田中投手、次はどのチームのユニフォームを着ることになるんでしょうね。
2024年11月26日
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今日も出張で姫路方面へ行っておりました。その帰りに元町で途中下車して、妻へのお土産と飲んで帰ることにしました。いつも行く三宮の串カツ屋さんは臨時休業という情報をあらかじめ仕入れていたし、そういうときに新しいお店を開拓しようということで。 先日。神戸・元町へ行った際に元町通商店街の中に気になるお店があったのを思い出し、行ってみることにしました。東京では割とよく見かける焼き鳥のお店、関西では少し少ないかなってね。 「焼き鳥のヒナタ」です。 ほかにもいろいろ頼んだのですが、一人だったのでそんなにガツガツ食べることもなく、一通り食べて帰りました。一人だったらこういう飲み方できるし、本来は立ち飲み屋さんがよかったのですが、もう一つ気になったところは混雑していたので。
2024年11月25日
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今日は久しぶりの練習試合が深北緑地野球場(大東市)でありました。相手は、大阪閃光さん。過去に何度か対戦したことがあります。今日は久しぶりにサードで出場、途中からキャッチャーに変わりましたした。 試合は、1回裏にI5さんとO3さんのタイムリーで幸先よく2点を先制したものの、その後は相手投手に6回裏までパーフェクトに抑え込まれる状況でした。先発のI5さんは立ち上がりから調子が良かったのですが、4回表に突如として四球とエラーなどで3失点。それ以外の回は、守備もよく踏ん張っていたのですが、その回だけでした。 そして迎えた最終回、K14さん、I5さんががしぶとくヒットで出て一死後、O3さんのタイムリーとM23さんのサヨナラ内野安打で4-3で勝ちました。最後の二イニング投げたT11君が今季初勝利に加えてガゼルスに入っても初勝利でした。 私の成績は2打席2三振といいところなしでした。 ところで、チームのキャッチャーの道具が老朽化で壊れたので新しいものを購入しました。そのカラーがちょうどチームのカラーリングによく似たものがありました。よく見つけたなぁと思いました。〔今日の成績〕1打席目 三振2打席目 三振 22打数3安打3打点6三振6四球 打率.136
2024年11月24日
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今日は妻からのリクエスト、「神戸・元町で買い物したい」とのことだったので、車で移動しました。 待っている間は、メリケンパークでのんびりしていました。ちょっと今日は肌寒かったですけどね・・・。 そして、昼食は元町にある「一貫楼」へ・・・。 私が注文した五目揚げそば・・・ 妻が注文した酢豚・・・ 娘が注文した油淋鶏です。 それから、一貫楼といえばやはりこの豚まん。我が家では551よりもこっちの方がはまっています。 蒸したてをいただきましたよ。 そのほかにも買い物しましたが、妻も娘も久しぶりの神戸を楽しんだようです。車は混雑していましたが、その辺は抜け道などを駆使して切り抜けました。
2024年11月23日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、例によって今日ではありませんが、昨日食べたカレーです。 しかも例によってなじみの梅田の「ミンガス」のカツカレーです。 仕事の前に食べて、出張に行きました。ここでカツカレーを食べて気合を入れました。 ところで、ここのお店には椅子はあるのですが、今日は立ち食でした。
2024年11月22日
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昨日は出張で姫路方面へ行っていました。そして、帰りにいつもとおり三宮の串カツ「まこと」で一杯ひっかけて帰りました。 この日は、大根とかしいたけがラインナップに入っていて、いもも絶品とのことでいただきました。 前にも書きましたが、このお店は私が93年に神戸の職場へ移籍した時からなじみのお店なんですが、少し遅い時間に行くとお店の先代のご主人の奥さんがおられることがありました。でも、ここ5年以上お見掛けしていないので元気にされているのかなって気にしておりました。 するとこの日、お店の入り口が開くと懐かしいお顔が・・・。その人も私の顔をみてはっとされたようです。 私「おっかさん、ご無沙汰しています! お元気でしたか?」 私がその奥さんのことを勝手に「おっかさん」と呼んでいたのですが、その奥さんも私の顔を見ると「いやぁ、久しぶり~元気にしとぉった?」と声をかけてくれました。元気そうで安心しました。 なかなかありえないようなタイミングでしたが、お会いすることができてホッとしました。
2024年11月21日
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俳優の火野正平(本名・二瓶康一=にへい・こういち)さんが、14日に死去したことが分かった。75歳。東京都出身。葬儀は家族で行った。俳優として時代劇・映画で活躍したほか、歌手としても長く活動し、昨年は新曲をリリース。プライベートでは“元祖プレイボーイ”として数多くの浮名で70年代のワイドショーを騒がせ、「モテ男の代名詞」として知られた。(中略) 私生活では71年に結婚し2児の父となるが72年に離婚。結婚直後に新藤恵美との交際、さらに翌年には小鹿みきとの交際が報じられ、その後も仁支川峰子ら有名女優との浮名が浮上。70年代のワイドショーを賑わせ“最大11股”などと報じられたが、82年に事実婚を公表した。火野さんのモテぶりから、「火野さん=モテモテ男性の代名詞」となり、モテる男性有名人を「平成の火野正平」と称して報じるメディアが多数存在していた。【スポニチアネックスから引用】 火野正平さんがお亡くなりになったとのこと。出先でケータイのニュースを見てびっくりしました。 少し前までNHKBSで自転車に乗って全国を走り回っておられましたね。時々見ていたのですが、純粋にサイクリングを楽しんで、出会う人とのふれあいを大切にしているような感じでした。 火野正平さんは、ドラマなどで主役よりも脇役で輝くような感じだったように思います。「京都殺人案内」で藤田まことさんとの絡みがあったと思うのですが、自然な関西弁でのやりとりは見ていてほっとするものでした。 そんな脇役で輝く火野正平さん、若かりし頃は本文にもありましたようにプレイボーイとして名をはせた人。晩年はすっかり頭髪がなくなっていましたが、若かりし頃はフサフサ(といいながら晩年を知っているだけに怪しい感じがしましたけど)で、背は大きくない(168cmだったそうです。私とほとんど変わらん)し、決して二枚目というわけではなく(失礼!)、そこまで情勢と浮名を流すことができるんだろうって思っていました。そして、名前の挙がった女性からは多額の慰謝料を請求されることなかった。本当に不思議な方だと思いました。確かどこかで見たような気がするのですが、火野正平さんが狙う女性は有名女優ではなく、「三番手・四番手」だったかな。要するにトップクラスの女優さんは主演の人が行くだろうし、自分の立ち位置を考えれば・・・だったかな。そのような感じのことを書いてあったように記憶しています。そういったところと母性本能をくすぐるところがあったのかもしれませんね。 ドラマなどで飄々としてつかみどころがない役が多かったように思いますが、このような役柄を自然に演じられる味わいのある俳優がだんだんといなくなってきましたね・・・。 火野正平さん、お疲れさまでした・・・。
2024年11月20日
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先日、西宮へデリカSWのオイル交換へ行った際に、甲子園周辺を歩きました。前にも書きましたが、私は96年に結婚して3年間は甲子園の南側にあった団地に住んでいましたので、阪神ファンでなくても甲子園球場はなじみのところです。毎日この球場を見ながら出勤し、この球場を見ながら家に帰るんですから、熱狂的な阪神ファンの方にとっては夢みたいなところでしょうね。残念ながら私は阪神ファンじゃないけど。 それはさておき、このような掲示がありました。左側がFA宣言した阪神タイガースの4番打者大山選手です。まさかFA宣言するとは思わなかったけど、出身が茨城県ということで在京球団に行きたいのかな。待遇的には球団はかなり評価してくれていると思えるけど、「金じゃない」なんて言われたら厳しいですよね・・・。ちなみに、右側の近本選手も今回の大山選手のFA宣言の流れを参考にする、と言ったとか・・・。 ところで、カープの場合は主軸選手が次々に他球団に移っていくのを何度も見てきました。川口、江藤、金本、新井と中心選手が抜けていくのはなかなか辛いものでした。最近は西川選手もオリックスへ移籍しましたね。いずれも高騰する年俸が厳しくなって放出に至ったんじゃないかって思っているのですが、そんな主軸選手が抜けていくことになれていないチーム、特に阪神ファンの方にとっては「なんでやねん、なにが不満やねん?!」って思うでしょうね。確かに主軸選手が移籍するって普通は考えられないですからね。でも、歴史的にはあり得る話で、それはカープだけでなく他のチームでもあったわけだし、阪神ファンの人たちもそれを受け入れないと行けないのかもしれませんね。受け入れがたいとは思うけど。特に、移籍先の一つに水道橋のオレンジのチームも入っているとなれば、「心穏やかに送り出す」心境にはならないでしょうね。それはよくわかります。カープでも水道橋のオレンジのチームへFA移籍したことがありましたから。でも、その代わりにやってきたのが人格者のチョーさんこと長野選手でしたね。 どのような結果になるのかはわかりませんが、ファン感謝祭にも参加されるとのことなのでどんな話が飛び出すのか、それともまだ決まっていないなら何も話さないかもしれませんね。岡田前監督(どんでん)の掲示もありましたが、このような掲示はそのうち撤去されて来シーズン用に代わるでしょうから、阪神ファンじゃないけど記録しておきました。
2024年11月19日
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ふらっと立ち寄った駅を紹介するこのシリーズ、第52回目は山陽本線の富海駅です。 下関から普通列車に乗ってやってきました。 今や貴重となった国鉄時代からの115系3000番台に揺られてやってきました。 実はこの駅にやってくるのは二度目なんです。最初にやってきたときは、こんなにきれいだったかな・・・? この案内にあるように、駅から歩いてすぐのところにきれいな砂浜があります。 最初にやってきたときは、普通列車で下関方面へ向かっていたのですが、あまりのきれいさに感動して途中下車したのでした。 山陽本線は海沿いをカーブして走っていまして、海がきれいに見えるのです。 駅から海岸へ行く途中に道路がありますが、海水浴シーズンは混雑するのでしょうか。 国道からは外れているので、海水浴シーズンでなければとても静かなところです。前回やってきたときも今から20年くらい前の10月か11月ごろだったと思います。 逆光ですが、砂浜が広がっています。 奈良は海なし県なので、やはり海に憧れますね。遠浅の海なのかな・・・。 山陽本線の列車が海沿いを通っていきます。これは普通列車のようです。 こちらは貨物列車ですね。 最初にやってきたときも、ここで海を見ながら、通過する列車をみながらのんびりしていました。 そして、私が乗るはずの列車まで見送ってしまって大慌て・・・。その日は、ここで途中下車さえしなければ普通列車だけで目的地の博多までいくはずだったのですが、新下関から新幹線で向かうことになってしまいました・・・。 今回は次に乗る列車の時間をしっかり把握して、のんびりしていました。何も考えずに海を眺めるっていいなぁってね。 そんなことをして、再び駅に戻ってきました。木造のこ線橋がいい味を出していますね。 山陽本線は貨物列車の本数が多いのです。本州と九州を結ぶ重要な路線ですからね。 そして、次にやってきた普通列車で徳山へ向かいました。
2024年11月18日
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今日は、西宮の三菱のディーラーへデリカSWのオイル交換と車検の見積もりに行ってきました。オイル交換は、交換予定距離数よりもやや超えてしまったのですが・・・。車検の見積もりもあったので、時間がかかるとのことだったので、その間は食事をして待つことにしました。 甲子園球場にほど近いところにある「百楽」という中華屋さん、ここの麻婆丼は私のお気に入りで、お店が当時住んでいた甲子園九番町にお店があった時からのお気に入りなんです。 食事が終わってから、浜甲子園まで歩いてみました。ここも上の子供が小さい時の散歩コースでした。 さて、車検の見積もりはというと18万円くらいとのことだったので、まぁ想定内だったのですが、それ以上にお金がかかることがもう一つありました。というのは、タイミングベルトの交換があるということ。法定交換部品の一つで10万キロごとに交換することとなっていますが、過去2回は10万キロまでに交換していて、全会派19万キロで交換しています。現在28万キロなのでちょうど今くらいに変えるのがいいのですが、それにかかる費用が車検と同じくらいかかるというもの。合計すると36万円弱かかるけいさんになるというのがつらいところ。車検を通さないわけにはいかないし、タイベル交換しないのもダメ。車を買い替えるのも無理となれば、どうすりゃいいんだ?というところです。 さて、困ったなぁ・・・。
2024年11月17日
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今日は毎年恒例の職場野球部の大会がありました。今年で68回目の大会、広島と四国のチームを迎えての大会、私の大阪の職場が主催となります。持ち回りでやっていますので3年に一回主催となるのですが、毎回頭を悩ませるのが「グラウンドの確保」「お弁当」「懇親会の場所」です。 「グラウンドの確保」は、何とかお願いして何とかなっています。「お弁当」はこれまでお願いしていたところが廃業されたのか全然連絡が付かず。そこでいろいろ検討してみたのですが、これも何とか調達することができました。「懇親会の場所」は。これまで使っていたところがやめてしまったようなので、これもチームの監督が別のところを探してなんとかなりました。一応、開催までには懸念はすべて払しょくされたので大丈夫だったのですが、ここにたどり着くまでが試合よりもしんどく感じました。あとは、当日の天候。こればかりはどうしようもないんですけどね。 さて、前置きが長くなりましたが、心配された天気も曇天でしたが開催することができました。試合会場は、大阪府泉南市の「J:COMサザンスタジアム」です。ここは、南海本線樽井駅から徒歩10分くらいの距離にあって、ほかのチームからも人気のある野球場なのです。 開会式では、優勝旗などや個人賞の返還がありましたが、昨年大会で優勝監督となった私(正確には優勝監督ではなく、監督代行)も賞を返還し、優勝縦のレプリカをもらいました。長いことこの大会にでていますが、賞をもらうのは初めてでした。 試合は広島=四国の職場の対戦でスタート、メンバーに力のある四国のチームが試合を優位に進めて勝ちました。その負けた広島と私の職場の大阪の職場の対戦が第二試合でした。その試合に先立って、監督のM55さんから「あけやん、スタメンでサードだから」との話が・・・。ここ数年実力のある若手が私の職場チームにも入ってきて、私のようなおじさんは実質裏方になっているんだけど、冗談ですか?と尋ねると「人がおらん」・・・。いないことはないんだけど、誤算は大会直前になって若手二人が急遽参加できなくなったこと。一人は親戚に不幸があったこと、もう一人は仕事の関係で参加できなくなったとのことでした。そんなこともあって、久しぶりに9番サードで出場しました。 先発投手は、昨年の大会MVPのH19君。左のサイドハンドからの速球が武器なのですが、立ち上がりから力みがあって序盤から苦しい展開に。それでも何とか持ちこたえていたのですが、中盤以降に失点、結局5-1で負けました。私の打撃成績は、1打席目が四球、2打席目がピッチャーエラーでいずれも出塁しましたが得点にはつながらず。守備機会もサードを守りながら1回だけ。それでも、久しぶりになれたサードを守って楽しかったです。来年は今回参加できなかった若手が来てくれるはずなので、私の出番はありません。 3試合目は1試合目に勝利している四国のチームとの対戦。四国の投手は大会屈指の好投手K18君。去年はワンチャンスを生かして勝利したので何とかなるかと思ったのですが、途中までパーフェクトに抑え込まれる状況・・・。対する私の職場の先発は、こちらも速いテンポで投げ込むH61君。しかし、上位打線にうまくつながれて失点、終盤には走者一掃のタイムリーを浴びるなどして7-0で負けました。去年は優勝しているのですが、連覇ならずでした。 なお、この試合には私は出場していません。ファールボールを追いかけたり、イニング間においてキャッチボールの相手をするなど裏方に徹していました。 ところで、懸念していたお弁当は、ほっかほっか亭にお願いしまして配達してもらいました。そして、弁当ガラの引き取り(いずれも有料ですが)もお願いしまして、これまでの大会と変わらない状況で行うことができました。お弁当の内容も申し分ないものとなっていました。 それから、審判についても毎回お願いしているSKYCUPさんにジャッジをお願いしました。ジャッジのコールの大きさなどでとても好評なんです。 大会が終わって、場所をりんくうタウンへ移動。入浴タイムを経て懇親会へ。私は車なので飲めませんでしたが、それでもほかの職場チームのメンバーといろいろと話をして懇親を深めました。四国チームのY22さんや広島の職場チームのH30さんなどは若い時から何度も対戦して気心も知れているので、この集まりが楽しみで野球をやっているといっても過言ではないです。他のメンバーもおいしいもの食べて、がっつりと飲んで楽しんでいました。 そんな大きなイベントが終わり、また来年の暖かくなる時期までは職場チームの活動としては休止となります。来年はもっと練習して、練習試合もやってかないといけないなぁって思いました。
2024年11月16日
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今日11月16日は妻の誕生日。しかし、今日はあとで紹介しますが職場野球部の大会があって早朝から夜の懇親会まであったことから、食事などに行くことができませんでした。 そこで、先日りくろーおじさんのチーズケーキを買ってプレゼントしました。 期間限定のりくろーおじさんのチーズケーキ誕生40周年記念の焼き印入りでした。 後日、遅ればせになりますが、誕生日の食事へ行こうと考えています。
2024年11月16日
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奈良公園(奈良市)で観光客が雄ジカの角に刺され、けがをする事故が急増している。 9月の被害者数は35人で、5人だった昨年に比べ7倍になった。雄は発情期の秋に特に攻撃的になることが多く、10月には京都府で死亡事故も発生したことから、県などは警戒と啓発を強化している。 県によると、けがの多くは鹿せんべいを与えた際にシカに触ることで起きており、9月には10人が病院に搬送された。うち1人は太ももを数センチ刺され出血する大けがをした。また、京都府福知山市の田んぼでは10月上旬、農作業中の男性(68)が胸から血を流して死亡しているのが発見された。府警は野生の雄ジカの角に刺されたとみている。 公園内でのけがについて、県の担当者は「今年の多さは異例。雄ジカが例年より100頭ほど多いことが影響している」と話す。県などは安全のため、8月下旬から1日10~15頭のペースで角を切っているが、「追い付かず、結果的にけが人の増加につながった可能性がある」と指摘する。 けが頻発を受け、シカの保護活動を行う「奈良の鹿愛護会」から協力を依頼された県と奈良市は、駅の電子看板やSNSで、シカにむやみに触らないことや、雄ジカに注意することを呼び掛けている。愛護会の山崎伸幸事務局長は「シカはペットではなく野生動物。適度な距離感を持って触れ合ってほしい」と訴える。【時事通信ネット版から引用】 奈良公園へ行くと、普通に見られる鹿。奈良以外からやってきた観光客の方々は街中に普通にいる鹿の群れにびっくりするでしょうね。おとなしい鹿がほとんどなのですが、発情期はそうでもないようで・・・。しかも、あの大きな角を持っている個体は、発情期でなくても怖いですよね。あんなので突かれたら本文にもありましたけど下手すりゃ大けがや亡くなるリスクもあるわけですから。だから、奈良公園周辺の鹿は角を切り落とすことをしているようですけど、それでも自然の生き物ですから全力でぶつかられたら怪我しますよね。 ただ、最近はどことも一緒かもしれませんが、海外からの客が大勢やってきているのですけど、この人たちの行為が鹿たちをイラつかせているのではないかって思ったりします。例えば鹿せんべいをじらしてなかなか与えないとか。そういう光景は何度か見たことがありますが、「はよあげたれや!」って傍目で見ていたら思うようなこともありますから。先にも書きましたが、鹿も自然の生き物でペットではありませんし、人間が理解できない行動をとることだってあるでしょう。体当たりとか角を振り回すとか・・・。 奈良へ来られる方、鹿は見た目はかわいいかもしれないけど、やはりそこは野生動物なので適当な距離感で接してもらえたらと思います。こっちに悪気がなくても、体当たりしてきたり追いかけられたりすることもありますから。(私の息子は、5歳くらいの時に追いかけられて転倒していました・・・) そういえば、このブログで奈良公園の鹿に対する接し方について紹介した看板があることを紹介したと思います。意外と鹿は凶暴であることを書いてあったと思うのですが、あの手の看板をよく鹿が集まる(っていうか集めているんだけどね)興福寺周辺とかに多く設置してほしいって思います。
2024年11月14日
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先日の九州鉄道記念館で見かけた車両の続きです。かつては東海道・山陽・九州・東北など全国を結んでいた寝台特急、ブルートレイン。国鉄が分割民営化されてしまって、そして新幹線が発達し、高速バスが勝地を結ぶようになってくると姿を消してしまいました。使われていた車両も次々に廃車となってしまいましたが、現役当時のままで保存されたり再利用されているものもあります。ここでは、現役当時のままで保たれていました。 ここに展示されているのは14系とよばれるシリーズのスハネフ14です。 14系は1972年に登場。このスハネフ14には床下に客車内の照明や空調設備用としてディーゼルエンジンが搭載されていました。それまでの20系は電源車を別に連結していたのですが、この14系のようなスタイルは列車の行き先を複数に分割することができるというメリットがあり、実際に東京~長崎・佐世保行きの特急「さくら」のように行き先を二か所に仕向けることが可能となりました。ただ、静寂性が求められるはずの寝台車の床下にディーゼルエンジンがあるわけですから、なかなか騒々しいと思いますが・・・。 寝台の様子です。14系は登場当初は3段寝台だったのですが、その後の改造で2段寝台になりました。3段寝台当時はちょっと窮屈だったでしょうね。2段寝台だとゆったりとくつろぐことができるスペースとなっています。 私は現役当時のブルートレインや東京~大阪間の寝台急行「銀河」に何度も乗ったことがありますので、この空間はとても懐かしいものです。この車両は、シートが張り替えられてしゃれたものになっていますが、国鉄当時は青色一色のシートでした。上段も下段も利用しましたが、どちらも快適でした。 窓側にはテーブルがあるのですが、通路側にもこのようなテーブルがあります。2段寝台なのでお客さんは2人いるわけですが、寝台に入るまでは下の段が座席替わりとなります。よって、通路側に座った人のテーブルはこれを使うことになります。 それから、通路には窓のところにこのような椅子が収納されています。なかなか寝付けない時にこういうところに座って窓の外を見る、なんていうこともできたんですね。 窓側には灰皿もあります。懐かしい国鉄当時の灰皿、客車はもちろん、急行列車や快速の車両にもありましたね。 それとセットであったのが、この栓抜き。ビンの飲み物がポピュラーだった時代には、必需品ですよね。私は実際に使うことは少なかったかな・・・。この栓抜きの上が窓側のテーブルになります。 車内の銘板です。号車札を入れるところも懐かしいです。 車端部にはこのようなスペースもありました。2段寝台の向かいには壁になっていまして、圧迫感はあるかもしれないけど、個人的にはこのスペースで寝てみたかったなぁ・・・。 それにしても、高速バスは運転士不足ということが表面化してきているし、「朝起きたら目的地」という寝台列車の需要はあると思うんです。ところが、国鉄が分割されてしまったので復活させようという雰囲気はないですね。東京~大阪間に運転されていた急行「銀河」なんてホテル代よりは高いかもしれないけど、寝て起きたら大阪(あるいは東京)って最高だったんだけどな・・・。東京~大阪間だけでなく、ほかの地方でも利用された方はとても便利だったと思うんです。 現在の寝台列車というと、東京と山陰の出雲市と四国の高松を結んでいる「サンライズ」しかありませんが、いつの日か復活してくれたらいいなぁって思っています。
2024年11月13日
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広島は12日、九里亜蓮投手(33)がFA権を行使すると発表した。昨季に海外FA権を取得していた。 九里は8年連続で20試合、100イニング超の登板を重ねるなど故障知らずの鉄腕。DeNAなど複数の国内球団が興味を示しているとみられ、メジャー挑戦を含めて去就が注目される。 九里は亜大から13年ドラフト2位指名で広島入団。通算260試合に塗板し、21年の最多勝など通算71勝を挙げている。国内FA権を取得した21年は権利を行使せず、3年契約で残留していた。 今季は自身初の開幕投手を務めるなど23試合に登板。7勝10敗で防御率3.21だった。【スポニチアネックスから引用】 まぁカープファンはこういうことは慣れっこですけど、実際に出ていかれるとなればつらいなぁ。 でも、これまでカープのために故障なくがんばってくれたし、残りの野球人生を金銭面においても充実したものにしてもらうためにも、喜んで送り出すのかな・・・。金満球団のファンの人にしてみたらこんな思いはすることなんてないでしょうけどね・・・。 さて、FA宣言して海外へ、というのが基本線のようですが、メジャーがどれくらい評価しているかわからないですよね。もし、あまり評価されていないとして、それでも行きたいというのならいいのですが、金銭面でそれほどではないんだったら国内の他球団へ、っていうことになるんでしょうね。カープの場合はFAしたら引き止めないって言われていますし。 国内だったらどこへ行くんだろう、水道橋のオレンジのチームかな・・・。どこへ行っても、怪我なく頑張ってください。カープ戦は手を抜いてね! ところで、今シーズンは9月に入って劇的な負けっぷりで優勝争いから脱落しただけでなく、Bクラスにまでなったカープ。新井監督は来シーズンについては「変化の年。痛みも生じる」というようなことをコメントしたそうですが、今のところ痛みを生じているのはファンだけのようですね。9月に大失速した総括もせずに、選手、コーチはそのままで何の変化はなく、主軸投手はFAで出ていく。とりあえず新外国人は補強したようですけど、これとてオープン戦で大当たりしたとてペナントレースに入ると途端に打てなくなるのは何度も見てきたことですし。このまま何の変化もなければ、来シーズンに入ってからさらに痛みを生じるのはすべてのカープファンのようです・・・。開幕して9連敗! なんて容易に想像できそうです・・・。 そういえば、今シーズンオフにはほかの球団の選手でもメジャーチャレンジなんていう話が出ていますね。中でも驚いたのが千葉ロッテの佐々木投手。まだ23歳なのでポスティングではなくチャレンジすることに対して賛否両論のようです。 見た目しかわからないのですが、個人的に思うのは体系的にかなり線が細いのが気になります。久里投手のようにがっちりした体形だったらタフだろうし、しかもメジャーは試合数が多いだけでなく、移動するのが大変だといわれているし、ボールの質やマウンドの堅さなど日本とは全く異なる状況ですからね。そんな状況をもちろん理解していくんだろうけど・・・。 ポスティングではないのでチームには移籍料というのかな、そういった金銭が入ってこないし、心情的には「ここまで活躍の場を与えてきたのに」なんていう意見もあるようですけど、本人は何とも思っていないだろうし、何の愛着もないんじゃないかな。だから、個人的には久里投手のような喜んで送り出す、というよりも、「はいそうですか」って感じかな。 ところで、プロ野球の今年のゴールデングラブ。遊撃手部門でカープの矢野選手が選ばれましたね。あんな異次元の守備、肩を見せ付けられたら、ほかのチームのファンも納得されたのではないでしょうか。久しぶりに「魅せるショート」がでてきましたね。来シーズンも怪我には注意してさらにすごいプレーを魅せてほしいです。ただ、残念なのは「該当なし」というのに投票した記者が3人もいたとのこと。ぜひともその3人に聞きたいね。「なぜ該当なしなんだ?」って。矢野選手以外にも各チームのショートのいい選手がいるはずなのに、何が気に入らなくて「該当なし」なんだろう。もう記者投票って記名式にして、その投票した理由や該当なしにした理由まで書かせるようにしたらいいんじゃないか。当然その理由は書けるよね、いい大人なんだから。しかもスポーツ紙の記者なんだから、さぞかし目も肥えているはずだし。 今日は久しぶりのプロ野球の話をたくさん書きました。 ここまでご覧いただきましてありがとうございました。
2024年11月12日
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ふらっと立ち寄った駅を紹介するこのシリーズ、第51回目は近鉄の天理駅です。 天理駅は近鉄とJRの駅が同居するような形になっていまして、高架がJR線、近鉄はこの高架の少し奥に駅があります。 近鉄天理線は、近鉄橿原線の平端から分かれて天理にやってくる路線で、この天理が終点となっています。 私は天理には何度かやってきたことがありますが、いずれも車でした。列車でやってきて駅に降り立つのは初めてです。ましてや近鉄天理線に乗るのも初めてでした。 さて、天理駅に列車が入る直前に蒸気機関車と客車が見えましたので、行ってみました。 保存されていたのは、蒸気機関車を代表する形式のD51形でした。この691号機は1942年に国鉄鷹取工場で製造、主に奈良周辺で使われてきた機関車であるとのことです。 その後ろには、茶色い客車が連結されていました。客車もセットで、しかもちゃんと屋根付きのフェンス付きで保存されているのはいいですね。自由に立ち入ることができないのはもどかしいのですが、いたずらされてモノを盗られるよりはいいのかな。 ちなみに、茶色い客車もなかなか貴重なものでして、オハ61という元々木造車両だったものを車体を鋼製化して作り替えたものなのです。よって、車内は向かい合わせのクロスシートが並んでいるものの、その背ずりはクッションのない板張りとなっていまして、その様子は天理駅に到着する列車の車内から辛うじて見ることができました。 初めてやってきた天理駅ですが、天理といえば高校野球(それ以外のスポーツも強いのですが)の強豪校の天理高校と天理教で有名となっていますけれども、個人的には前出のような貴重な車両を大切に保存してくれていることに感謝したいと思います。
2024年11月11日
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先日の九州鉄道記念館で見かけた車両についての続きです。今回紹介する車両は私と同い年の車両です。 581系です。この車両は1967年に登場、私も1967年うまれです。 昼間は座席特急、夜間は寝台車として使われました。車両のスタイルもそれまでのボンネット型からそれ以降の国鉄特急のスタイルを確定したものとなりました。 登場当時のパンフレットなのかな、それも展示されていました。そこにもありますように、昼間は特急「みどり」、夜間は寝台特急「月光」として使用されていました。 「月光」のサボがはいっています。 行き先表示器です。 登場当初は山陽新幹線は開業していませんから、新大阪から東海道・山陽本線と門司から鹿児島本線を経由して運転されていました。 先頭車両には「JNR」のマークがありました。このマークに憧れました。 室内はというと、残念ながら現役当時のまま、というわけでがありません。国鉄末期になって、寝台列車の廃止が相次ぎ、余剰となったこの車両を通勤用に魔改造するということが行われ、寝台部分を撤去もしくは使用停止して、形式も715系と改めて長崎本線などで使われました。 ところで、寝台列車として使われていた時は通路を挟んで三段のベッドが設置されていました。その関係でシートの間隔はかなり広かったのですが、昼間の特急として使われる際にはリクライニングはしないし、当時の急行列車よりはシート間隔は広いかもしれないけど、急行列車のような向かい合わせのシートでは特急料金を払うにはなんだかなぁだったのかもしれませんね。 ちなみに、581・583系を改造した419系がJR西日本に引き継がれて長らく使われていて、私自身も北陸本線で何度も乗ったことがあるので、この車内はかなり懐かしく思いました。残念ながら419系としての保存車両はありませんが・・・。 話を戻して、世界的に見てもかなり珍しい昼夜兼用の車両として登場、最後は通勤用の車両に改造されてしまいましたけど、このような形で保存されたのは価値あるものだと思いました。
2024年11月10日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、例によって今日ではありませんが、先日食べたカレーです。 べたですが、カップヌードルのカレーです。 たまに無性に食べたくなって購入。やはりおいしいですね。 献血でもらったけんけつちゃんが蓋が開かないようにがんばってくれています。 カップヌードルは、普通のヤツが一番好きなのですが、カレーもいいものですね。
2024年11月08日
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先日、泉大津港から阪九フェリーに乗った際に、気になる車両がありました。 車を止めていたところから、遠くに見慣れたバスが止まっていました。 あの色は、南海バスだよな・・・。 これ以上近づくのは無理だったのですが、ギリギリまで行ってみるとやはり南海バス、日野のブルーリボンシティでした。LEDだった行先表示は取り外されていまして、南海バスを示す表示などは黒く塗りつぶされていましたが、オレンジと赤の波模様はそのままです。 このバスはどうするんだろうって思っていたら、私の車と同じくこの船に乗りました。バスは私の車とは違う車両甲板に乗船していきました。ただ、新門司港からどこへ行ったのかはわかりませんが、中古バスとして九州のバス会社のどこかで使われるのかな・・・。
2024年11月07日
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このところ雨が降ったり、暑かったりで作物の様子が心配だったのですが、今朝様子を見に行ってみました。 白菜にネットをかけていたのですが、葉が伸びて窮屈になっていたのでとりました。このところ冷えて込みもでてきているので、これから巻き巻きモードになるのかな。まだ今のところは巻きは浅いけど。ブロッコリーも大きくなりつつあります。 最後の方に植えた水菜も結構大きくなってきました。白菜とともに鍋料理に入れられたらいいなぁって思っています。
2024年11月05日
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先日の九州鉄道記念館で見かけた車両についての続きです。ここにはかなり貴重な車両が保存されていました。 この正面がラウンドした車両、「キハ07」です。一般的な鉄道車両は食パンを切ったような四角い車両が多いわけですが、こんなラウンドした車両はかなり珍しいですね。空気抵抗を抑えることを考えてこんな形になったといわれていますが、そこまで影響したとは思えないですけどね。 この車両は長らく豊後森機関区(大分県)にて保存されていたのですが、九州鉄道記念館が完成した際に移籍してきたそうです。客車列車で見られた行き先案内板(サボ)がいい味を出しています。 キハ07は、国鉄を引退後は私鉄に移籍してその後も活躍を続けたり、同系の車両がつくられたりとなかなか優秀な車両だったようです。 ここに保存されているキハ07 41は、1937年に製造されて1969年に引退するまで九州島内で活躍していたとのことです。 キハ07のむこうには、クハ481が保存されていました。私にとっては、北陸本線の特急「雷鳥」で使われていたのをよく覚えていますし、おなじみの車両です。しかし、ここで保存されている車両はちょっとマニアックです。 この車両のサイドビューです。鉄分の少ない人には意味が分からないかもしれませんが、窓の大きさが一般の車両と比べるとやや小さめなんです。なぜ小さめなのか? その答えは、この案内板に書かれていました。元々はクロ481というグリーン車だった車両だったんですね。それを普通車に改造したもの、それがこのクハ481-603なんです。 クハ481-603と表示されていますが、元はクロ481-5だったので窓の大きさはグリーン車当時の大きさなんですね。 車体の妻面には、新製当時の昭和44年日本車両製造の銘板が取り付けられていますが、改造銘板はないですね。昭和58年に当時の鹿児島車両所で普通車に改造されています。 車内は現役末期のままですね。JRになってからは、シートがもっといいものに交換されたものが多かったのですが、わたしにとっては座り心地が良くなくてもこちらの方がなじみますね。 それにしても、ほかにもっといい車両があったと思うのですが、あえてこの車両を残すことにしたというところにこだわりを感じました。
2024年11月04日
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私は1972年1月から1996年6月までと1999年5月から2001年1月まで合計30年近く実家のある大阪府堺市に住んでいました。みなさんは堺市にどんなイメージをお持ちでしょうか。関西以外の方にとっては「堺市って何がある?」って思うでしょうね。堺市は大阪市のすぐ南に位置していて、大阪府の政令指定都市の一つです。世界最大規模の古墳、仁徳天皇量があるところなんですけど全国的な認知度は低いかもなぁ・・・。「もののはじまち みな さかい」なんて言われて中世の時期には南蛮貿易で栄えた由緒正しいところだったりします。もっともその当時の堺は環濠都市、すなわち堀に囲まれた地域だったそうですが・・・。発展していくにつれて環濠都市の外側に広がって、戦中戦後を経て最近では旧美原町も加えた広大な市域になっています。 そんな歴史も文化も豊かな堺市なのですが、それだけ大きくなって人の出入りも多くなれば、これはどうしようもないことですが変なのも一定数入ってくるというのは避けられないところ。いつだったかの大阪ローカルの番組だったと思うのですが、堺市の周りの市町村に住む人たちが堺市についてどんなイメージを持っているか、という質問に対して盛大にディスられていたのをみて、堺市出身の私にとっては残念に思いつつも「まぁだろうな」と妙に納得するところもありました。ただ、私はこれまでそんな場面に出くわすことはあまりなかったのですが、この連休中に堺市の実家へ行って立ち寄ったスーパー銭湯で「やはりそうだわな!」って思うような場面が立て続けにありました。〔その1〕 スーパー銭湯によっては、料金を「先払い」のところが多いのですが「後払い」のところもあります。施設内の飲食などを受け付けの際に渡されるQRカードなどで利用して最後に支払うというパターンです。今回のところがそれにあたります。 その受付をするために並んでいたところ、あとからきた女の親子三人連れが私が並んでいるところを悪びれることなく順番ぬかし・・・。「なんだ、こいつ。日本人じゃないんか?」。たまにいるのですが、たいがいは日本語の通じないヤツなんですけど、そいつらはがっつり日本語でしたわ・・・。〔その2〕 お会計をしようとでてきた私。そのQRは下駄箱のカギと一緒になっていて、下駄箱のカギを受付に渡して精算、という仕組みです。ところが、私はそのカギを下駄箱にさしたままにしていたことに気が付いて戻ってみると、さっきまで使っていた下駄箱のカギがない! 靴は取り出したんだからカギはあるはずなのになんでないんだ? ものの1,2分の間になくなることなんてあるのかよ、って困惑しながら受付に事情を話すと、受付の人も困っていました。そりゃそうですよね、靴はあるのになぜカギはないの?っていうことなんですから。 どうやら、そのカギがなくなった想定されるいきさつとしては、「受付せずに下駄箱に靴を入れてそのまま入場した」ということじゃないかとのこと。前出のとおり、スーパー銭湯には「先払い」のところもありますので、それと勘違いしたんじゃないかとのことですけど、もしそうだったとしたらお金払っていないんですけどね。要するに、「カギが刺さったままになっているのを見つけて、それで施設を利用して、頃合いを見てカギを当該下駄箱に刺してそのまま施設を出る」なんていうことができるということになる、つまりは「タダ入り」ということなんですけどね。 それにしても当事者のやろう、お店の関係者にとっつかまってがっつり注意されて、「出禁!」になっていたら痛快なんだけどな。 今回紹介した「その1」も「その2」も、当事者がクソなだけで堺市全体が悪いわけではないことは、もちろん私もよく理解しています。ただ、同じ場所で立て続けにこんなことを目の当たりすると、前出の番組で堺市が盛大にディスられるのも妙に納得できるし、堺市出身ということ自体がとても恥ずかしく思えてしまいます。 その1やその2で紹介したようなことは、残念だけどほかの地域でもありうる話だし、もっとひどいこともあるだろうな、って思います。でも、なんだかなぁ、自分自身の出身地で「テレビ用に面白おかしくしとるだけやろ?」って思っていたことがそうじゃないんだと思ったわけで、かなり残念な気分になりました。
2024年11月03日
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先日の九州鉄道記念館の続きです。 先日のブログにて紹介した関門トンネルを専用に運転されていたEF30の前に活躍していたのがこのEF10でした。関門トンネルが開通したのは1942年、その当時に活躍して性能も安定していたであろうこのEF10が使われたのではないかと思います。先日紹介したEF30もそうでしたが、海底トンネルという性格上、普通鋼では腐食が心配されるのでステンレス車体となっていましたが、このEF10も塗装はされていますがステンレス車体となっています。 電気部分は芝浦電機、車体などは汽車会社で製造されたプレートが取り付けられています。 その奥には、ED72が展示されていました。この車両は鹿児島本線などで客車列車をけん引するために製造されたもので、1号機は試作車となっています。このため、ヘッドライトに特徴があります。横から見ると車体が「くの字」になっています。要するに車体下部の方に向けて絞られているような感じです。 このED72は1961年に東芝で製造されたもの。赤い車体は交流電気機関車の特徴です。今のJR貨物でも交流区間を走る電気機関車には赤い色が使われていますね。 このED72が活躍している時代には、生で見たことはありませんが、九州の鉄道の歴史を語る上でも大事な車両なので、このように展示されているのはありがたいです。
2024年11月02日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、例によって今日ではありませんが先日食べたカレーです。 最近お気に入りのインド料理店に行ってきました、香芝市にある「シャクティー」で、今回はランチです。 ランチメニューも充実していて、ナンはお替り可能です。 チキンカレーです。カレーの辛さは5倍にしてみました。汗かきながら完食しました(笑)。
2024年11月01日
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