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昭和47年3月14日いよいよ今日が溝口での最後の撮影になります。この日は途中での撮影をできるだけやめて、本命の場所に賭けることにした。でも途中の香呂駅ではC11の発車までは間に合うので、ここでの発車を撮ることにしたのです。これです。けっこう面白い写真になりました。早朝の雰囲気がうまく表現できたのではないかな。続いて発車です。あと一駅です。自転車をこぎます。バイクがあればもっと動き回っていい場所に行くことができますが、残念ながら高校生には無理。目的の場所でまずはC57の客車を写します。もう少し北側だったら煙が出ていたのではと今になって思っている。狙いの構図の場所に行きましょう。僕がこだわっていた好きな場所です。せっかくの写真ですが、こうしてみると不満があります。左の松にこだわって後補機が消えている。もう少し右に寄って撮影すれば良かった。なぜなんだろう。後方の鉄塔などが気になったのかな。そうすれば、連続シャッターで写した前のコマも作品としての価値が出たように思う。それでも、まあ思い入れのある場所で、狙った構図で写せたのが満足でした。細かい不満はあるのですが、これが当時の僕のレベルです。作品の出来よりも、撮影の行動に価値を見つけたい。次の写真がパネルにした作品です。この日が最終列車ということで、機関士も気合が入っていたのか、すごい煙でした。普通ならもっと手前で煙が途切れるのですが、この日は僕が撮影していることを知っているかのように、サービスしてくれました。この後補機列車は何度も撮影したが、最後の最後ですばらしい写真を手にすることができました。今までよくがんばったなあと、感無量でした。この後の昼の列車がないところから、おそらく学校には行ったと思う。でも、少し疑問がある。機関区でのさよなら行事を写しているのです。可能性としては高校入試で休みだったのかな。このときの写真は多いので次回にします。 この列車の撮影後日談をひとつ。同じクラスの生徒の父親がこの列車の機関士だったんです。あまり話はしたことがない人だったが、新聞でこの最後の列車のことが話題になったときに、「私の父が運転していたのよ」と、のたもうた。「そうだったんですか。へぇ~、それはそれは、どもども。」この後のさよなら列車も牽引したそうです。「ふ~ん、さよか。煙をありがとうと言うといて。」この写真をお世話になった機関区にプレゼントしようと、いう気持ちはあったが、実現しなかった。なぜって、写真を焼かなかったから。金と時間がない。いつの日にか、と思っていたらもう時期を失っていた。 気に入った場所でしたが、もうここに来ることはないだろうと思った。実際にこの後はここに来ていない。C57はまだ運用があったのだが、どうしても家の近くか、遠い生野まで足を伸ばしていた。溝口あたりでもっと撮影していればと思うが、それとて難しい。なんせ、金のない高校生です。これが限界でした。次はさよなら列車です。印象と記憶に残っていない撮影ですが、今回スキャンしてみて驚きのコマでした。僕自身も初めて見る写真なのです。では、おやすみなさい。
2008.02.29
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昭和47年3月13日(月)1972先週から早朝の撮影が続いている。今までにない早朝撮影をしています。なぜかって? それは・・・・・悲しい話でございます。写真を見ていただければ、それが分かります。なにぶん涙もろい性格でして、ネガをスキャンしながら悲しみを思い出していたのです。 カメラをもって朝飯も食わずに家を飛び出します。まずは、京口駅にて。この写真を覚えていてください。このC11363号機は数時間後には変身します。きれいになるのです。この踏み切りは1年前までは、人手によって開閉されていました。列車の通過にあわせて踏み切り番がハンドルをくるくると回していました。ATSという列車制御装置では駅のすぐそばに踏切があると、とんでもなく長い間、閉まったままになることがあります。距離によって警報がなりますから、駅に到着する前から閉まってしまいます。これが機械がアホなところです。おりしも、国鉄の合理化によって自動化になってしまった。古い踏み切りを写したネガがあるかどうか、記憶がないのですが、あれば即刻載せますね。 先を急ぎましょう。今日も10コマ以上を予定しています。北上して後補機をねらいます。この日は砥堀あたりまで行った。もっと近くで、いい場所がないものですかねえ。これを写して学校へ。 あとの作品は放課後に遠征したものです。お気に入りの場所ですが、家から遠いのが難点です。明日の朝もここに来ることになります。昼間には列車本数が少ないので機関区に行った。行かなくてはいけないのです。だって・・・・17時25分発のC57旅客列車を機関区構内で撮影。逆光で天気も良かったので、こんな写真に挑戦です。さて、次の写真からは涙が出ます。僕だけですが。早朝に写した363号機が掃除されて、きれいに磨かれています。ペンキも塗りなおされています。普段はきれいに磨かれることはなく、ススとホコリで汚れているのですが、この日はきれいに磨かれています。嬉しい気持ちと、悲しい気持ちが同居しながら、この作業を見つめました。播但線で撮影してきた1年近い年月が思い出されます。家からここまで何回通っただろう。たくさんいたC11達がどんどん減っていった。 ついに終わりのときが来たのです。その最後の一日のために化粧が施されています。いわば死に化粧みたいなものです。涙が出てとまらないよ~。泣きながらこれを書いています。となりにはすでに化粧がすんだ331号機が休んでいます。明日のさよなら列車は2両で牽引します。C57はもう少し先に廃止になりますが、C11は明日の3月14日で終わりです。普通は1両で牽引するところですが、やはり機関区のみなさんも朝の後補機列車が名残があるのでしょう。各地でさよなら列車が開催されていましたが、ここではめずらしい編成での列車を考えたようです。もうじき廃車される運命のSLの点検と整備をしている職員の姿をじっと見ていました。構内にいるSLファンは僕だけです。今だから言えるが絶対に僕が一番多く機関区に通った。夜にも行っていました。カメラを持っていなくてもSLの顔を見に行っていた。数ヶ月前にDE10が投入されて、C11の本数が激減したが、不思議なことにその後はまた復活して本数が元にもどった。やれやれとは思ってうれしかったが、やはり永遠に続くわけもなく、いつかはこの日がくると思っていた。構内には夜の列車のためにC57が休んでいた。このC57も半年先には消えていく運命です。明日はいよいよC11の最終日。どんな写真が撮れるでしょうか。(自己満足評価ではベスト5に入る出来だと思う作品です)まだ、涙が出ています。今夜は眠れないのかなあ。
2008.02.28
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以前に制限をしていまして、楽天の方にはOKなのですが、その他のみなさんには申し訳ないですが、禁止処置にしていました。その間は快適に過ごすことができまして、禁止の効果は効いています。さて、このたび都合によりまたまた、解除にしました。少し不安はあるのですが。先日の不正アクセス防止法案のことが新聞に報道されてから、メール送信などが減少しているのではと、確かめたい気持ちもあります。というわけで、制限解除です。また、eo光のプロバイダがどの程度の制限をしているのかにも興味があります。どれくらいの効果があるのでしょうか?ちょっと楽しみですね。それと、SLシリーズについての報告です。楽天のフォト用の容量は50MBなのですが、昨日確かめてみるとすでに半分を使っています。あと24MB分しかない。というわけでこれからの写真はもっと小さくしてアップします。こういう写真は大きい方が見栄えがいいものですから、できるだけ大きくと思っていたのですが、そんなわがまま言っていたらアップできなくなりますからね。仕方ありません。まだまだいっぱいあるのですが、これからはぜひ載せたい作品を厳選していきます。今までのようにあれも、これも載せたいとやっていたら全部は入りきれない。これから絶対に載せたい九州編があります。また会津線や北海道もあります。カラーもあるのです。どうしたらいいんだべぇ~。SL編だけを別のブログに作るか、HPを作るか?どうすべえ、おらは「ナヤンデルタール人」になっただ。では、明日からまたアップします。今日はお休みです。みなさんごめんなさい。
2008.02.27
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昭和47年3月12日(日)1972昨日予告したように本日は伯備線です。ネガの順番からすると、どうやら最後の撮影みたいです。合計で4~5回行っているのですが、ほとんどが相棒とSL同好会のみなさんとの合同撮影会みたいな感じで行っていました。一人で行ったのは2回かなあ。あまり記憶がはっきりしません。まあいいか。では、解説をしながら写真を載せていきましょう。 有名な布原信号所は新見駅の北側にあります。駅ではありません。駅と駅の間が長いうえに急勾配があり、途中に列車の交換用の停車場が作られました。ここの説明は以前にアップした布原信号所の記事にちょっと詳しく書いています。3つ北の足立駅から回送のD51をつけたところ三重連となり、おりしもSLブームのさなか全国的に有名になりました。写真を載せながら解説したほうがよさそうですね。これが撮影地の鉄橋です。向こうに見えるのが布原信号所。駅ではありませんが、切符はありました。ぞろぞろと歩いて鉄橋を渡ります。SLの写真はよくあるが、こんな写真は少ないでしょう。手前側はトンネルで山肌を削って撮影しやすいようにひな壇みたいになっています。料金が200円だったかな。金を取るようになって国鉄とひと悶着ありました。「お客(SLファン)のために煙をサービスしているのに、地主でもない奴の金儲けのために煙が出せるかあ」と、国鉄が怒ったことがあります。(追加の説明をします)ここは知るひとぞ知るという場所だったのですが、D51三重連で有名になってくると多数のファンが押しかけるようになった。好意で撮影しやすく枝打ちをしたり、ひな壇を作った人が、そのうちお金を徴収し始めた。それを知った国鉄が怒ったわけです。それで、国鉄は無料を主張したが、地主の許可を取っているからと、場所を整備した人は譲らない。これだけの労賃がかかっているからとの主張は平行線。そこで国鉄は対抗して、煙を出さない運転をするようになった。とばっちりを受けたSLファンが抗議して話し合いがおこなわれた。(追加文でした)なんとか決着がついて撮影ができるようになったが、人数制限もあり場所取り合戦です。このときは遅いほうだったので、サイドからになりました。直前の逆行運転の貨物です。まだ、場所を決めかねている人がどこに陣取ろうかと悩んでいます。撮影に邪魔な場所に行くと怒号が飛んできます。「邪魔やあ~、それぐらい分からんのかあ~、ボケ~。さっさと動かんかあ~。」確かにドンくさい奴やら、迷惑な奴がいました。何十人もの人が構えているわけですから、もしも邪魔な場所で写そうものなら、きっと撮影が終わったら、そいつは袋だたきです。撮影直前までうろうろしているのがいました。こっちもひやひやしました。いよいよです。まわりが緊張と興奮で雰囲気が変わります。駅に列車が入ってきます。まだ、煙は細くちょろちょろ出ている程度。時刻がせまってくると、煙に勢いが出てきます。発車がちかい。この鉄橋からトンネルに入ってからもきつい上り勾配を進むために、蒸気圧をあげて勢いをつけるわけです。来るぞ。 熱気と興奮の言葉があたりをせわしくしています。山間の渓谷に発車を告げる汽笛が鳴り響きます。 それも3連発。ぼーっ、ぼーっ、ぼーっ、 と3台ごとに異なる汽笛を響かせて、動き出します。アニメにしたいけど大きさを確保したいので、そのまま載せます。煙の量と勢いで列車のスピードがわかると思います。とにかく近くで聞けば、その轟音にびっくりしますよ。連続したシャッター音があちこちで「カシャ、カシャ、カシャ」 興奮と熱気に包まれた撮影場所はしばし、興奮の余韻が残っているかのような雰囲気でした。お目当ての列車を写したら、さっさと帰る人も多かった。 単機回送がのこのことやってきたが、間の抜けたわびしさを感じた。やはり三重連の撮影後の虚脱感からなのかなあ。普段はこの後の重連を写したりするのだが、何回も来ている人はそれよりも、今日はもうひとつのメインの客車の三重連を狙って移動した。僕らも追いかけ開始。これは井倉洞の近くの鉄橋です。到着が遅れたのか、後ろからの追いかけ写真だけとなっている。次は本命の三重連です。なぜか当時は縦位置の構図に凝っていた。ここは横位置のほうが良かったかな。バックの渓谷は雪景色だったらきれいだっただろうなあ。遠いところは季節や天候の違いを題材に撮影するのは困難です。写せるだけで満足しましょう。おまけです。この列車が伯備線のD51三重連のさよなら列車です。帰りにまだ撮影していった。次はこれです。ちょうど梅がきれいに咲いていた。このあたりの写真は腕の見せ所かな。いつ来るか分からないので、じーっとカメラを構えたままで数分間待つのです。そして、一瞬を捉えます。鉄橋の下の傷が気になりますが、時間があれば修正してみます。この伯備線は山岳路線ということで、D51の重連はいくつもあった。たしかに急勾配と重量物の運転ではD51の力をもってしても重連でないとだめだったのでしょう。それゆえ人気だったんですけど。最後に、かわいい写真をどうぞ。中国山地の山肌に民家がある。渓谷と鉄橋の伯備線。いつかカラーで撮影に行きたいものです。本日の撮影終了。
2008.02.25
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昭和47年3月11日(土)テスト期間も終わって、早朝から撮影ができるようになった。普段とあまり変わらんが、それでも心理的には遅刻したらいけないという、プレッシャーはありました。普段ならぎりぎりで教室に入っても、その後グー、グーできますが、テストではそれができませんから。あ、いやなことを思い出した。あるときのテスト中に寝てしまったことがある。このときのテストだろうか?数学のテストが始まって1問目を解いたあたりで意識がなくなった。ふと、監督の先生が「あと残り5分」と言った。それで目が覚めた僕は「え~、さっき始まったばかりやん。うそやろ。」あたりを見回すと、「なに寝ぼけてんの?」という顔、顔、顔。 どうやら寝てしまったということが分かってあせった。むちゃくちゃあせった。心臓が飛び出るくらいの驚きとはこんなことをいうのかな?どうしよう。時間が過ぎてしまったのはもう戻らない。どうしたらいいのか。全部解ける自信はあるが、いかんせん時間がない。ぱっぱと解けて点が取れそうな問題をやったが、配点の多いところは解く時間もなく、あえなく討ち死に。他の教科は取れなくても納得だが、数学だけは勉強していたので、これで点数を出さないでなんとする、という感じでした。その数学でなんたる不覚。得意の数学だったがこのときで今まで続けてきた高得点の神話は途切れてしまった。それ以来、下り坂を転げ落ちるように成績は急降下していった。楽しいブログを書いているのに、なんでこんなことを思いださなきゃいけんのよ。もう。せっかく、思い入れのある写真を載せようと思っているのに。気を取り直して、アップしましょう。この日は土曜日でした。なんで分かるかって?次の日が日曜日で伯備線に行ってD51の三重連を写しているからです。次のアップは伯備線ですよ。まだ、播但線の貴重な写真がこれからです。例によって早朝から出かけています。昨日が溝口までの遠征だったので、さすがに疲れて本日は仁豊野で撮影です。ここでの目標は3本の煙です。 まずは、仁豊野駅の南で1本写します。ありふれているかな。そして駅に向かい、C11候補機付の列車の到着です。土曜日だというのに窓からカメラを向けている高校生がいる。この先に4つの高校があるがその生徒だろうか。半分うらやましいが、自分が乗っている列車を写せないのはあわれなり。目的の写真がこれ。 野里駅でもこのような風景があるが、すれ違うのがC57の客車はここです。ローカル線の小さな駅に煙が三本立ち上がります。気に入った写真なので、もう一枚。SLの輪郭が分かりにくいですが、ここでは煙が主役ということにしましょう。その後はC11の発車を写しますやはり引っ張るほうが力をいれています。後ろはなんとなく気合半分という感じ。この日は土曜日ということで、昼からは機関区へ遊びに行った。相棒も来ていた。別に連絡し合っているわけではないが、不思議なことに撮影地でよく会った。思考回路が似ているらしい。4時ごろに到着の貨物列車を姫路駅の手前で撮影。そしてすぐに、C11が発車。貨物はすぐに引き下がって操車場に行くのだが、いったん姫路駅の播但線ホームに入ります。そのときは、すぐにC11の客車が出発した。架線が張り巡らされた構内を窮屈そうに走っている。左の方には新幹線のホームが見える。どこかに新幹線とSLを写したネガがあると思うのですが、これも後のお楽しみ。タンク車がバックで走行しているのはサイドから写すに限りますね。お尻を写しているみたい。次は記念写真です。集煙装置のないすっきりしたSLです。相棒の家は駅のすぐ近くだったので、僕以上に通っていたのじゃないかな。なんども顔を合わせているが、記念撮影となると数が少ない。自分たちの姿を写すにはネガがもったいない。と、どちらも思っていた。後ろに写っている時計は5時25分。そろそろ、旅客のC57の発車です。これを写して本日の撮影終了。明日は岡山県の新見へD51三重連を写しにいきます。そうです、あの有名な場所です。
2008.02.24
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昭和47年3月10日夜はネガの整理や機関区までの散歩が日課だった。だから、朝は弱い。しかし、C11の後補機列車は写したい。通算で何回行ったのかなあ。ほぼ満足なのですが、今見ると後悔しています。どうして構図をもっと決めなかったのかと。作品を吟味することなくひたすらにネガの収集をしているような状況でしたから、今になってこうしておけばよかったとちょっぴり残念な気持ちです。では、どうぞ。仁豊野駅を発車してすぐの場所です。後方の山が削られているところは現在宅地になっています。さらに北上します。ここは香呂との中間地点ぐらいだったかな。C57137はきれいなスタイルですきなSLでした。さらに連続シャッターで写しています。ほんとはこの前のコマが決めるはずだったんですが、ぶれていました。ちょうどサイドのナンバーあたりにピントがきています。さらに・・・通り過ぎた写真はオマケのつもりなんですが、こうして見るとけっこういい感じですね。こうして次々と姫路行きのSLを撮影しながら、目的地へ自転車を走らせます。多くの高校生が南下しているのに、一人だけ逆行して学校から離れていく。バカな男です。友だちはこの列車に乗って学校へ向かっていました。ときどき俺を見つけたら手を振っていましたね。がんばってペダルをこぎましょう。溝口駅の少し北に畑と池があった。ここがお気に入りの場所です。このコマまでは池に映るSLを考えてシャッターを押すのですが、この後が夢中になっているので、ついSLを中心に持ってきてしまう。三脚をセットすればいいのだが、当時のスポーツタイプの自転車にはカバンをくくるのが精一杯でした。もし、プリントしていたら、反省して今度はこうして写そうと思うのですが、当時はなかなかプリントしなかった。店に出せばネガに指紋・キズを付けられてしまうのでつい自分でプリントするまで延期していた。ネガの収集期間でした。この時は連続で10コマ写している。連続アニメにしてもいいけど、ここは失敗をそのまま載せましょう。構図を考えたけれど、そのときは直前のコマで十分だと思ったんです。でもこうして見ると、上の部分をカットして、下をいれるべきだった。くやしいよお。池のことよりも後ろの補機が入るかが気になっていた。それが目的だったんですけどね。プロが見たら、ここは池に映った方がいいというだろうなあ。同じ場所で後ろのSLを写してもいいのだが、後ろのC11をアップで写したいと走りました。あせる必要はなかったのに。手前に進んでいるのだから。通り過ぎて次の写真です。不思議な写真です。SLの正面を写しているのですが、これが最後尾なんです。この場所でカラーで写したものを以前にアップしたけど、そのときもこの構図で写した。これまた不思議ですが、同じC11363でした。前回はアップしなかったので今回出します。ほんとに不思議です。この列車ここまで走って写したのは2回だけなのに後ろのSLが同じC11363号機でした。写した日付はカラーが8ヶ月後です。 これを写した後は全力で自転車をとばします。渋滞している自動車をすいすいと追い抜いていくのです。そして、ちょうど8時30分の授業に間に合わせます。まあ、ほんとにバカだわ。放課後も撮影しています。 京口~野里間にて。ナンバープレートが夕日に当たってきらりです。直線区間で駅までにはまだ時間があるせいか、機関助士がのんびりとしています。鼻くそでもほじっていたら面白いのに。 こんな調子で写真を載せていたら、すぐに制限いっぱいになってしまうなあ。SL写真を載せているサイトは数あるけど、こんなにほいほいと駄作を載せているのは僕ぐらいのものかなあ。どうなんでしょう。まだ知らないサイトがたくさんあるのでしょうね。本日の撮影終了。
2008.02.21
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昭和47年3月9日(1972)この日もテストの日だった。ちょっと自転車で北へ向かいました。それも朝早くから。根性ありましたね。朝のC11後補機付客車は列車が長いので、このあたりまで遠征しないとうまく写せません。仁豊野駅南の直線区間で撮影です。まずは、姫路行きのC11を撮影です。光が弱いのか光量不足で像がはっきりしません。まあ、朝の雰囲気が出ていてこんな作品も愛嬌ということにしましょう。次が本命の補機付です。後ろが入る場所となると限られてきます。もっと山の上に上がるとかすれば、いいのでしょうが、自転車では難しい。この列車が日曜日にあれば、なんとかするのですが、この列車は通学の高校生を乗せるために甘地駅までなんです。そこで半分に切り離して、後ろが姫路行きとなります。前の編成は寺前まで行きます。というわけで、平日にしか運行されません。だから、高校生の僕にとっては撮影しにくい列車でした。一応僕の名誉のために言いますが、高校は精勤賞でした。一日だけ祖母の危篤のときに九州に行くために土曜日に休みました。それがなければ皆勤賞ですよ。中学校も皆勤だった。真面目だったんです。(?)理解に苦しみますね。もう1本C57の客車を撮影してから学校へ行っています。それでテストを受ける。 悲惨な点数だった。2年生の最後のテストだから、200番は越えていたなあ。3年になると下からベスト10ぐらいまで下がった。勉強しない奴は落ちるのです。テストが終わったら、また近くの場所に撮影に行っている。このC57128号機は福知山から転属して来ました。これは滋賀県の大津市に保存されています。このときの思い出話は後ほどに。もう一度仁豊野まで足を伸ばしました。またしてもC11292号機です。不思議ですねえ。何度も写していますね。毎日写していたらこうなるのもしかたない。駅で和田山行きのC5795との交換を写した。駅で列車がすれ違うことを「交換」と呼んでいたのは、じつはタブレット交換から由来します。上の写真に移っている駅員は見えにくいですが、タブレットという輪っかを持っています。これを反対からくる列車と交換するのです。単線区間で列車が衝突するのを防ぐ方法です。今みたいに無線電話がある時代ではなかったのでこの方法がとられていました。交換風景を写したネガもそのうちに出てくるでしょう。 C11の番号がかくれているのがいけませんね。C5795号機の発車です。この列車から降りた乗客はしばらくホームで待たされます。C57が発車してもまだ、反対ホームのC11が出発していません。C57から受け取ったタブレットをC11の機関士に渡して、C11が発車します。この待っている時間が結構長く感じますね。両サイドにホームがある駅ではこんな具合です。時代を感じるなあ。今はどうなっているんだろう。この駅は現在も高架になっていないので、ひょっとしたら・・・・一度訪ねてみる必要がありそうです。
2008.02.20
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速度の測定をしました。gooのサイトに入ります。最初のページに速度測定というのがあります。回線の種類を選んで、住所の郵便番号を入力し、電話番号も最初の数字を入力する。そして、測定開始。じゃじゃジャーン。平均20Mbps。う~ん、まあこんなものかな。100Mをうたい文句にしていた初期の頃と違って、実際にはそんなに出ないことがみんなに知られてきたので、とにかく早いとしかアピールしていない。以前のケーブルTVは15Mの契約だったが、実際には数メガしか出ていない。とりあえず、画像の描画速度はストレスなくすいすいと出てくれます。変えてよかった~。皆さんのところはどのくらい出ていますか?
2008.02.19
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テレビのコマーシャルに負けました。というより、以前から計画していた光ファイバーになりました。今までは地域のケーブルテレビで15Mのスピードでした。これで十分なのですが、テレビの番組や電話代、多チャンネル番組の視聴と総合的に光に変更しました。先ほどテレビとインターネット設定が終了。無事にネット接続できて、ここに書き込みができるようになりました。ばんざい! ついに100Mです。僅かですが早くなったような気がします。理論上はこれが最高速度ですから、もう満足です。でも、でも、不思議ですよね。あんな細いガラスのケーブルで放送映像も電話もインターネットもできるのですから。放送チャンネルもあれだけの数が見られることに感激ですね。あとは、迷惑メールのブロックです。今までのプロバイダでは迷惑メールのブロックが情けない状態でしたから、今度からは気持ちよくできますね。でも、実はプロバイダメールは使いませんね。もっぱらフリーメールばかりです。その方が使い勝手がいいですからね。とりあえず、光はえらい。ばんざい。ウレピー。なんとも軽薄なおっさんでした。
2008.02.17
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昭和47年3月8日連続して昼間の写真があるのが不思議に思っていたら、この数日は期末テスト期間中。テストが終わったらすぐにカメラを持って撮影に行っていました。夕方でもないけど4時の貨物列車を写します。このあたりは今ではほとんど宅地になっていますが、まだ畑が残っている。不思議な地域ですね。後方に広峰山が見えます。前日にアップしたC11292がありました。ちょっと解説します。たくさんのC11がいましたが、戦時型がはっきりわかるのがこれでした。除煙板が普通と違います。鉄が不足していた頃には、できるだけ木材を代用していた。それでL字型の型枠に板を付けていた名残です。戦後に鉄板を付けましたが、枠はそのままに残ったようです。他のC11と比べて下さい。なお、「はねとび」でもここは現物どおりに再現してありました。もうあの「短縮鉄道」はなくなるのかな。もう一度みたいです。車庫で休車となった345号機です。この後は後藤工場へ送られてしまった。姫一でのC11の中で一番大きな数字でした。まだ、火が入って休んでいるところ。昨年までは車庫にはC11がいっぱいいたの。DE10にねぐらを取られたようです。SLが乗るところにはそれぞれに大きさが違うので、運転席の場所が目印をつけてあります。見えるかな?次はちょっと悲しくなる一コマです。機関区の設備が解体されていきます。はじめが大型蒸気機関車用の石炭(豆炭)ホッパです。ガスバーナーで細かく裁断されています。C57は和田山で積んでくることになり、C11もベルトコンベアーで積み込むようになりました。というわけで、大型のこのホッパはいらないことになってしまった。いよいよSLがこの機関区から無くなるのかと思うと、心にぽっかりと穴が空いたような感じでした。この日は偶然にも95番と94番が並んだ。そして93番も近くにいた。このあとの17時25分発の客車を牽引します。C11292が4時50分の客車を牽引して出発した。そして30分後にはC5793号機があとを追いかける。京口に戻ってこの発車を写すことにした。自転車でとばします。無風状態の夕暮れにライトを点灯させて93号機が出発していった。いい趣味を持っていたなあ。これで勉強もすればいいのだが。本日の撮影終了。
2008.02.15
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自分の自己満足の作品集に訪問して頂いてほんとにありがたいと思っています。コメントはなくても、訪問者の履歴をみていると嬉しくなりますね。あ!今日も来てくれていたんだ。と連絡ができなくて歯がゆい気持ち。携帯からのアクセスも番号からいつも来てくれている人だとわかります。ブログランキングに参加していないし、ほんとに自分の作品集をいつか開きたいと願ってきましたから、こうして作品を公開することができて最高の気分です。そして、その一枚一枚にかつての思い出がよみがえってくる。おじんになったんだなあと、つくづく思いますね。近いうちにブローニー版を取り込めるスキャナを買います。そうしたら、今までの分もやり直したくなるかも。小さなホコリや傷を自動修正してくれるそうですから、これは便利です。これからのネガには記録写真みたいな写真がたくさんあります。またも同じようなものばかりでつまらんなあ、と思うでしょうが、ごめんなさい。芸術作品ではありません。自分の思い出集なんです。
2008.02.15
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今日はバレンタインデーという自分にとっては縁のない日でございまして、まして、昨日帰郷している愚息にいたっては、ほんとにこんな日はいらないと思っているでしょう。義理チョコを母親からもらっていましたが、感動などあるはずもなく、こんな寂しい青春を送っている我が子が情けない。俺がおまえの年には北海道やら九州やら飛び回っていたんだぞ。まあ、愚痴はよそう。そのうちなんとかな~るだろう。前日にアップしたネガの残りですが、載せたい写真があります。 昭和47年3月5,6,7日(1972年) 毎日のように撮影していたら、いろんなことがありまして、あちゃ~、と思ったりこの野郎め、なんてこともありました。前にアップした3月5,6,7日分のネガは面白い思い出があります。ネガからするとこの日は日曜日なのかな。朝から京口駅で8時40分発の貨物列車の発車を写しています。 何度も写していると、変わった構図で写したくなるものでして、線路沿いの草木を入れてみました。自分では凝ったつもりでも結果は、なんじゃあ、つまらん。なんてことが多かったですね。やはりアップがないとつまらんね。では。発車の迫力は重量貨物の時が最高ですね。C5793とC5794はどちらも集煙装置を付けていました。95号機はトンネルの少ない寒冷地出身なのでつらら切りがついていた。連番の3台であったが、それまでの働いてきた環境はだいぶ違うようだ。経歴でいえばこのC5711号機がピカイチです。長崎本線で特急かもめを牽引したことがあり、その当時は門デフにカモメのマークを誇らしく付けていました。僕は当時のSL雑誌にこのマーク付きの写真を見たことがあって、そのかっこよさにうっとりしたものです。九州で撮影したC57117や112などの仲間と同じ門デフなのですが、豊岡に配属されたときには、集煙装置、重油併熱装置が付けられて、重装備仕様となってしまった。播但線には豊岡機関区の12両のC57が配属されて働いていたが、この頃までは貨物も旅客もほとんどの列車をC57が牽引していた。お城を入れた構図はここが一番写しやすかった。でも光線状態からは朝の方がいいのだが、ここまで足を伸ばすには気合いが必要です。つい近くの京口で済ませてしまった。播但線には11号機が最若の番号だったが、46年の暮れに京都の梅小路から転属となったC575号機は梅小路機関区の花形だった。昨年の秋に梅小路機関区のC57が運用されていた京都から亀岡までの山陰本線が無煙化された。その後、京都から姫路までのC57重連の臨時客車が運行された。そのときの市川鉄橋での写真がまだ見つからない。そうだ、前の日曜日に倉庫から残りのネガを探し出すことができました。ただねえ、あまりにも多すぎて・・・それに、ブローニー版に力が移っていたので、35mm版では良い作品が少なくなっています。まあ、当分在庫はあるでしょう。さて、C575号機の話は次の機会に譲りまして、この日はひどい仕打ちを受けたことを書きましょう。朝の野里駅でのことです。姫路行きの列車が次々とやってきます。C11の列車本数が多いのですが、和田山からのC57の客車もありました。そのシーンです。ドレーンの出し方が半端じゃねえ。こりゃ、おいおい、ちょっと、待ってよ。わ~~、こりゃひどいわ。出し過ぎやで。白い湯気に包まれることは何度か経験しているが、このときのが一番ひどかった。これはなんだ。嫌がらせか。それともサービスか。それとも仕方がなかったことなのか。このあと僕はしばらく白いけむりに包まれて、大事なカメラを服の中にかくした。線路に入りすぎている奴が時々いたので、機関士の中にはSLファンを心よく思っていない人もいただろうが、僕はいままでの撮影で 「こら~、危ない!」 となったことはなかった。マナーを守る模範的な高校生でした。(この後、ありますが・・・・)この日はなんとなく、誰かのとばっちりを受けたような気がしました。きっと、憎しみのドレーン・ブッシューだったような・・・
2008.02.14
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数ヶ月前から若手芸人(と言っても30才以上が多いが)のテレビ番組に「はねるの扉」というのがある。詳しくは見ていないのだが、その中に「短縮鉄道」というコーナーがある。今もあるのかな? 現代の若者言葉が短縮して表現しているのをどれだけ知っているかというクイズです。まあ、ちらっと見るのは面白いかな。そのクイズを出すタイミングで音楽とCGがバックに表現されます。そこに描かれているSLはなんと、僕が好きだったC11です。それもC11292号機なんです。誰がこのSLをモデルに考えたのだろう。ちょっと嬉しいですね。CGで表現していますから、なんとなくSLであればいいとか、番号もありえないでたらめな数字を使うのかと思ったら、ちゃんと実在したSLを表現していた。それに、細部にこだわっているところが感心しました。その訳は、こうです。まずは写真をどうぞ。 姫路第一機関区所属のC11292号機です。朝の7時14分 姫路発寺前行きの後補機付の客車です。2コマ前は後ろのSLが見えるのですが、ここではC11292のアップを優先しました。C11は若い番号は戦前に作られています。しかし、この後半の番号では戦争中のために設計が簡略化されています。それはボイラーの上にある蒸気溜の二こぶが球形ではなく、直線的に作られているということです。「はねるのとびら」で使われているCGにも背中の二こぶが実際のC11292号そのままに作られているのです。これは偶然ですか?誰かがモデルとして写真でも渡したのかな。家族は番組を見て「わはは。」と笑っているけど、僕はゲームに入る前のCGに釘付けです。じっくり見ています。そして感激しているのです。誰なんだろう。僕にとっては不思議なシーンなんですよ。では、比較に四角い戦次型と戦前の丸形をみて下さい。ついでに京口駅の乗降風景です。後方には川西飛行機工場跡地にマンションがどんどん出来ていきました。この311号機は戦時型です。同じ京口駅でも写真はたくさんあるので、ここはカラーでどうぞ。C11177号機はボイラー上のこぶが球形です。外観上はそこが大きく違っている。この番組については、細部にこだわって仕事をした職人の気概を理解して、それに感動している国民がここに一人いるのです。CGを作るのは時間がかかるし、大変な労力を必要とします。ご苦労様でした。その代わりに、しっかりと高い評価を下したおっさんがここにいますから。製作の苦労話などを関係者と話したいものです。 野里~京口間の田んぼの風景です。手元にあるネガは撮影時間と場所がランダムなので、整理してアップするのが難しいです。とりあえず、手当たり次第にアップしますね。夜行性動物のみなさん、まだ起きてますか~。たぬきはこれから寝ます。ぐーー。
2008.02.12
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夏休み・・・いい言葉ですねえ。夏の思い出は青春だあ~。 とにかく夏と言えば炎天下の撮影を思い出す。そして、ひたすら歩いた。生野駅を頂上として生野峠は北と南のどちらにもいい撮影地があります。北は山裾をじわじわと坂が上ってくる。南は二駅で一気に渓流沿いを下ってくる。どちらもC57にとってはきつい勾配です。どちらかというと南の渓流沿いが好きだった。こちらは線路沿いに道が狭くて、地元の人しか通らない。車のすれ違いが難しいのでSLマニアもこちら側は敬遠していた。峠の北は国道が並行していたりするので、撮影しやすく、人気でしたね。僕はヒッチハイクで南側をよく通った。なんせ、車のすれ違いができにくような狭い道路ですから、たまに通る車に無理矢理のせて貰います。道をふさいで手を広げて通せんぼの状態ですから、乗せなきゃ通れない。厚かましい性格が役に立っています。ちゃんとお礼は言いますよ。敬語を使って感謝の気持ちをいいます。また、乗せてもらうかもしれませんからね。そんな渓谷沿いを彷徨って撮影地を捜し歩きました。播但線の写真の中で誰も撮影していない場所。ここです。こんな用水路があるなんて気が付きませんでした。この下が道路です。もちろん舗装なんてされていません。まるで秘密の場所を探り当てたような気分ですが、写真にしてみるとなんてことはない。意気込んで写しても、さっぱりなこともあれば、適当に写したら意外と良かったこともあった。誰も持っていない写真があったほうがいいですよね。自己満足。それで、遠景を写したら、次はすぐに左を向くと、線路が目の前なんです。それがこれ。傷もなくピントもばっちりでした。うまく撮影できると気分がいい。この後生野まで戻るときもうきうきでした。車が捕まらないのはしゃあない。でも全部歩くとなるとちと時間がかかりすぎる。どうせ列車本数が少ないので焦ることはありませんが、夏の一日をのんびりと過ごします。ほんとはのんびりできないのですけどね。これは海水浴列車なんですが、帰りの臨時列車が昼過ぎにやってきます。それまで時間があるので、ちょっと和田山まで遊びにいきました。レンガ作りの車庫が歴史を感じさせてくれます。このC57113は気に入っているSLでした。高校卒業して春休みに九州に行ったらこの113号機が宮崎にいた。懐かしい気持ちだったが、いなくなったC57達に会えなかったのが寂しい。なんとも複雑な心境でした。ここではこの1枚しか撮っていない。もったいないよなあ。列車本数が激減しているので以前のように多数のC57には会えません。火が入っているのは3~4台だったのでしょうか。今度は峠のすぐ手前の丸山築堤で撮影です。冬の季節にはC57三重連で知る人ぞ知るといった有名撮影地です。 アップでもう一つ。この95号機はつらら切りが付いています。デフと煙突を結ぶ弓形の棒のことです。トンネルにつららが下がっているときに、これが役にたつと言われます。前任地は寒冷地だったのかな。新潟の新津機関区だったような記憶があるが・・・この後はヒッチハイクか列車で帰るパターンでした。日曜日に家にいたことがなかった。
2008.02.11
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さて、九州の写真が多かったので、そろそろ別の地域の写真も載せないと飽きてしまいますね。手元の写真の続きとして、播但線のネガがありますので、それをアップしましょう。昭和47年の3月で播但線は無煙化だったのですが、人気のせいで少し遅れました。しかし、C11の近郊列車は全てDL化され、C57が数本だけ貨物や、臨時列車を牽引していました。夏休みということで時間はあります。クラブも引退しており、遠慮なく撮影に出かけます。本数が少なくなったので、撮影地を選んで行きました。誰もが撮っていないような場所もあります。では、では、はじめましょうか。 長谷~生野 C57156の臨時客車 播但線では生野峠越えが有名です。寺前から峠の山線に入ります。ここは築堤があり撮影しやすく、煙も多いので人気の場所でした。ここで、一気に蒸気を上げてトンネルに入っていくのです。まずは、きれいな水と渓谷美です。続いて得意の連続撮影です。GIFアニメは容量オーバーで出来ませんでした。 線路脇に立っている架線は「はえたたき」と呼んでいましたね。この言葉はもう死語になっているのでしょう。今もあるのかなあ。殺虫剤だもんね。この迫ってくる瞬間に連続でシャッターを押すことの難しさは、やった者にしか分からない。三脚を立てていれば、なんとかできるが、手持ちでぶれないように写すには、難しいのです。なんで三脚を立てないかって?それは、次の写真を撮りたいからです。このトンネルではかつて運転士が死亡する事故が発生しています。長いのです。九州の霧島越えや矢岳越えも長いのですが、ここはカーブがきつい。煙で意識を失って、ブレーキがきかずにトンネルの側面に機関車がぶつかって、運転士は死亡したそうです。かっこいいと僕たちは撮影していますが、運転士にとっては健康のことを考えると、SLは運転したくないものですね。無くなるのは当然のような気がします。 C5793号機 集煙装置がついています。トンネルの中で煙が勢いよく上がると運転席などに猛烈な勢いで入ってきます。そこでトンネルに入る前に、上の出口をふさぐのです。そして後方へ流します。すると煙の暴れ方が弱くなって運転席への乱入が押さえられるわけです。山口線のC571号機は以前は付いてなかったが、山口線の長いトンネル対策として集煙装置が付けられました。でも、最近は取り外しているそうですね。大丈夫でしょうか。撮影している人がぶさいくだからはずせと言ったのかな。運転士のことも考えるべきだと思いますがね。どうせかっこいいとか、悪いとかそんなことは撮影者の勝手なエゴですから。 生野から戻って、途中の駅です。この写真には当時の駅の仕組みが写っています。左下にワイヤーが並んでいます。これは駅から操作する腕木式信号を上げたり、下げたりするためのものです。現在は電気式ですが、当時は物理的に信号機の腕をこのワイヤーで引っ張って動かしていました。その右はレールのポイント切り替えの標識です。その右にレバーが見えています。これを動かしてレールを切り替えるのです。当時は人手でした。その後モーターが付けられていき、駅からスイッチを入れたらウィーンと切り替わります。左はその係員の詰め所です。踏切も昔は人手で上げ下げをしていました。写したネガがあるかもしれない。通行可のマークは自動車の若葉マークと同じですね。止まれは○に横線です。これも交通標識と一致しています。列車の左側に同じ標識が見えますか。そちらは進入禁止の○に横線になっています。つまり、今のSLは手前にある標識で進行可。こちらから駅へ向かう方は進入禁止というわけ。夜は見えにくいので、その上に赤と青のランプが点くようになっています。何でも写しておくものですねえ。もう少し追い掛けました。有名な被写体をバックに写します。線路に平行に構えたので、背景が傾いて写った。失敗でした。こんなことを高校3年生でやっていたらあかんやろ。勉強は?う~ん、来年するわ。
2008.02.11
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今回の撮影旅行は延岡で終了した。そこから、帰路についたわけだが、疲れですぐにねてしまった。途中で目を覚ました。津久見駅で停車だった。何回か津久見高校が甲子園に出場していたので名前は知っていた。この年も出場を決めていた。駅のホームのどこかに出場を祝う垂れ幕が架かっていた。「へぇ~、ここが津久見かあ。」(初めて絵文字を使いました)今まで寝ていたのに、偶然起きたのだ。そしてまた寝た。家に帰ってからテレビで高校野球をみていたら、あれよあれよと勝ち進み、ついに優勝してしまった。「へぇ~、なんたる偶然。」僕と同い年の水江投手がかっこよかった。長身できゃしゃな体とチームワークの良さが印象的だった。十数年後、1986年(調べました)奈良に旅行することがあった。初めて天理市を通過した。このときも、「へぇ~、ここが天理かあ。」と思った。夏の大会が始まるときに親父とどこが優勝するかなと話をしたときに、僕はすかさず、「天理やで。」と言い切った。その時の天理は下馬評ではそんなに注目されていなかった。けれど、自分には何か予感があった。その年に旅行したのが奈良だし、天理も通った。それに、津久見のときと同じ気持ちを持っていたので、不思議とここが優勝するような気がした。結果はその通りになった。俺には予知能力があるのかな。これは超能力だ。「俺はエスパーだ。」と思ったが、次の年からはさっぱり当たらない。やはりあの時だけの偶然だったのだろう。でも、不思議な思い出だった。
2008.02.10
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久しぶりに相棒の家に行った。あいにくデジカメを持って撮影に行っていたので会えなかったが、後輩と共に昔話に花が咲いた。古い記憶はだんだんと薄れてくる。自分でこうだと思っていても、実はそうではなかったようなことが度々ある。おじんたちがこうして昔の思い出を語りながら、食事をしたり飲んだりするのが結構様になってきているように感じる。頭には白い毛が混じり、しわも増えてきているが、昔のことを語るときはその当時のまま。おっさん、おばさんが過去を振り返りたがるのは当然のことのように思えてきた。なるほど自分がそんな年になっているんだ。それぞれに記憶が残っている部分が違っていて、お互いの話しでなるほどそうだったかと、納得することになる。自分が今回の旅行での不思議なネガのことも、一つ謎が解けた。相棒が無くした写真の一部だがプレゼントすると喜んでくれた。人間は趣味を持つことが大事だといわれるがその通りだなあと、つくづく思う。金と時間はかかるし、子供がこんな趣味なんかと思うだろうが、やっている本人はご満悦なんです。残されたネガもこうしてブログに出さなければ、ゴミとして燃やされてしまう運命。燃やされてしまうまでに、こんなことをやってきたんだ。と、自己主張したい。このブログも自己満足のために開設したのだが、やって良かったと思っている。これまでのネガ整理がすんでいないので、他の被写体を撮影する気力はない。一段落したら、また何かを求めて行動することになるだろう。次は何がいいだろうか。自然の風景?行事、建物、人物、車、家族。撮影対象はいくらでもある。デジカメの進歩によって良い写真がいっぱい撮れる。 自分の主義主張、理論、感じること、趣味、特技、やってきたこと、その他なんでもいい。せっかくこんな便利なものがあるのに、商品のコマーシャラルだけを並べるのはもったいないと思いませんか。僕のブログに大勢の方が来てくれていますが、いろんな方がいますね。アフィリエイトとかいう商品の紹介もいいけど、それだけでなく、なにかしら自分の考えを出したらもっと楽しくなると思う。興味のない物のコマーシャルだと、すぐに閉じてしまう。この人はどんな意見を持っているのか、どんな人生を送っているのか、面白い経験談や悲しい物語もなんでもここにさらして、気持ちをすっきりしたら人生楽しいと思うけどなあ。そんな人たちの訪問は大歓迎ですね。
2008.02.09
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人と人の出会いと別れはつきものですが、そんな中でも多くの人と知り合えるこのネットの世界でも別れはあります。なんとなく訪問が疎遠になっていつのまにか、訪問しなくなったひともあります。次々といろんなブログをみていると、素晴らしい内容の方を知り、そしてそこに通うようになっていく。僕もSLの写真を載せるようになって訪問する先が広がった。僕と同じ年代の方のSLマニアだった人のブログを読んだりして、共通した考えを知り、共感したりしています。人それぞれに人生があり、その時代を懸命に生きている。そこにその人の人生がある。振り返るようになった年なんだなあと思うと同時に寂寥の念がわいてくる。もう自分の人生はあと残りわずか。昔、上司が言った。35歳のときだった。「君は人生の半分を過ぎたんだよ。おそらく70歳ぐらいが人生だよ。もっと生きたとしても、その人生はオマケみたいなもんだ。やりたいこと、自慢できること、認められるようなことを成すには、せいぜいがあと20年だ。さあ、何ができるかな。どんな人生を過ごし、70歳を過ぎたときに自分の人生はこうだったんだと、自慢できるものが残せるだろうか。」この話を聞いて、愕然とした。そうだ、人生の半分が過ぎたんだ。しかし、あとの人生といっても、今のレールの上をただ走るだけではないか。途中脱線するか、急行列車になるか、鈍行列車になるか、はたして何列車になるのだろう。あれから、20年が過ぎようとしている。仕事と子育てとに追われた日々だった。その間に自分をどう高めたか。その評価が今出ているような気がする。評価は○か△か×か。どれなんでしょう。今が20代、30代の方は人生を築き上げている真っ最中です。過去を振り返ることはまだしなくていい。懸命に生きてほしい。振り返るような年齢になったときに後悔しないために。後悔ばかりの人生だったように思う。井上陽水の歌に「人生が二度あれば」というのがあります。60歳を過ぎてこの歌をしみじみと歌うだろうなと思っていたが、すでにその領域になっている自分がいる。第2の人生に踏み込めなかった自分が悲しい。後悔ばかり。新しく人生を踏み出した勇気ある人に捧ぐ。「人生は思い出づくり」幸多かれと願う。
2008.02.07
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昭和47年8月3日いよいよ最終日です。家を離れてすでに6日です。高校生が自分の趣味で家を離れることがあっても、せいぜい2、3日でしょうか。修学旅行でも4、5日ですね。金も乏しい中で、たった一人で1週間近くを過ごすにはそろそろ限界ですね。無性に帰りたいと思うようになりました。この日は宮崎の北を写します。勾配区間がないので、煙は期待できません。延岡行きのC57に乗り込みました。下りたのは佐土原だったと思う。一緒に乗り込んでいた若者がSLを写しに前に来ています。僕はここで発車をねらいます。駅の構内では電化に向けての架線工事が進んでいます。まだ架線は張られていませんが、そのうちにSLが消えていくことでしょう。自分がのめり込んだSLが消えていく。なくなっていくのです。寂しいです。撮影しながらも心は晴れません。寂しさを紛らすようにシャッターをきっていました。構内に架線用のコンクリート柱が立ち始めました。近代化が老兵を追いやって行きました。D51のボイラーにC57の足回りを付けたようなこのC61にはここでの仕事は役不足でしょうね。かるがると貨車を引っ張っていました。この鉄橋の場所が特定できません。どこなんでしょう。左に現像時の失敗で光が入っていますが、この作品にはこれも愛嬌かなと思えます。運転席下の従輪が1つと煙突が長いのでC57ですね。これは朝なのですが、なんとなく夕暮れのような感じがします。日が昇って逆光がきつくなってきました。C61が長い貨物列車を引いています。先輪が2つ、動輪が3つ、従輪が2つシルエットで分かります。さっきのC57とは違いますね。河口を下って線路の構図を考えます。ちょうど流木があったので、これを入れたら面白いかなと思いましたが、自分で感動したほどではなかったですね。う~ん、なんとなく自分が疲れているのが分かるような作品です。南国のきれいな空だった。長い鉄橋を分かるように写せばよかった。何枚も写せるような長い鉄橋だったが、僅かしかシャッターを押さなかった。この8600形式のSLはどこの路線で運用されていたのだろう。延岡からは高千穂までの路線があるが、その昔は日之影線といって、もう少し手前までだった。南延岡機関区の扇形車庫とターンテーブル。フィルムはこれが最後でした。持って行ったフィルムは全て使い終わった。現地で追加のフィルムを買う金もない。もう十分写したよ。今度は高校を卒業してから来ることにした。その頃には見ることのできないSLがいるだろうなあ。何番が生き残っているだろう。さらば、宮崎。長いようで短い1週間だった。
2008.02.07
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昭和47年8月3日南九州撮影の旅の最終日となりました。そろそろ、体力、気力がなくなっています。それに気になることがあります。今回の旅は実は3人で出発しました。僕の相棒と高校の後輩です。夜行列車で鳥栖で下りたのですが、そこまでは一緒でした。しかし、その後の行動が別々になってしまった。撮影地の話は事前に計画していたが、なぜか別行動になりました。そして不思議なことに筑豊のどこかで偶然に再会したのです。じゃあ、それから同じ行動だったかというと、これまた別行動になってしまった。どこをどう撮影しているのか分からない。今の時代みたいに携帯があればすぐに解決できるのですが、当時はそんなことが全くできない。ひたすら計画どおり撮影をするしかない。僕は春休みにも一人できているので、なんとかなると思って行動している。2人の内の相棒は2度目ぐらいなのでなんとかなるし、なんとかできる奴です。でも一人はSL撮影旅行が経験がない同じ高校の後輩でしたから心配でした。責任を感じます。なぜ、別行動になったのかなあ。撮影地の希望が違っていたからとしか考えようがない。相棒は僕以上に心臓が強く、厚かましさ、図々しさは僕のはるか上をいっている男です。二人が同一行動ならばまあ大丈夫です。一目置いている男でしたから安心でした。なんとかしているだろうと、妙に納得していました。では、相棒が写した写真が数コマあったのでここに載せますね。彼は可哀想に、家を新築したときの引っ越しのどさくさで大切なネガが行方不明となってしまいました。あんなに熱中していたのにです。それに、撮影センスも良くて、良い作品が多かった。ほんとに残念です。僕が行ったことがない場所の写真を数コマくれたので、それが今よみがえります。素晴らしい写真だったのでいらないコマを欲しいと言ったら、連続写真の内で、現像時に傷の付いたものをくれた。カットしていますが、左側には大きなひっかき傷がありました。いい写真だったから嬉しくて一緒に保存していた。次はD51です。こちらは決めの写真を撮った後のオマケのコマですね。少しピントが甘くなっています。この数コマ前はピントばっちりの迫力ある写真でした。彼はこの撮影地を気に入っていました。筑豊本線での最大の峠、冷水峠です。かつて行ったことがある場所へのこだわりでお互いが離ればなれになった。僕が写したものと比べると、う~ん。負けたか。こっちの方がいいねえ。他にどんな作品があったのでしょう。もう一人の後輩はネガをきちんと保管しているでしょうか。さて、僕の最終日の作品ですが、次回に出すことにします。
2008.02.06
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昭和47年8月2日宮崎での宿泊は疲れのため寝過ごした。今日は吉都線です。またもやC5557号機を追い掛けます。しつこいですねえ。こんな男は嫌われます。撮影地には昼頃に着いた。小林駅の東側です。どこの駅なのか分かりません。駅を出て少し登り勾配で左に曲がっています。地図で調べたのですが特定出来ませんでした。まあ、いいか。何処だろうと、「そんなの関係ねえ」 あ~あ、嫌いなタレントの真似をしてしまった。 これです。完全な逆光になってしまった。「向こうに見えるは~、なぞの駅~」(竹田の子守歌の調子でどうぞ)通りすがりに、もう一枚。 SLのはるか彼方に高千穂の山が見えますか。手前のススキがちょっと邪魔でしたね。山を構図に入れることは考えていたが、目の前の草までは気が回らなかった。でも、こんな写真もいいでしょう。さあ、追い掛けます。つかまるかな?小林駅で少し長く停車していたので、なんとか追いついた。今度も高千穂の山を入れています。これは地図で川の場所から特定できました。小林と西小林の間です。バックの林がSLのシルエットを消してしまっている。場所を選べないからなあ。昼間の吉都線はSLの列車が少なくて、良い場所も分からないので、宮崎に戻った。そして、前回に気に入った写真が撮れた大淀川の鉄橋で写すことにした。たった1行で済ませてますが、その間の移動距離はすごいですよ。途中でのSL撮影はしていない。きっと疲れて眠ってしまったんだろうな。吉都だ。?僕は前回(春休み)もここで撮影した。大淀川鉄橋のそばにホテル「フェニックス」というのがあり、その庭で撮影した作品が気に入っていた。今回、地図で調べるとあれれ、ない。そのホテルがない。まさかです。僕の勘違いなのかなあ。35年も経てば景色も変わりますよね。このフィルムのSLの上の方は雲ではありません。ネガに付着した汚れです。フィルムの現像後に水分を取るときにスポンジでこすって表面に薬品の粉が残ってしまっている。この次にスキャンするときは掃除にチャレンジしてからやります。傷を付けずに取り除く方法を聞いてからでないと、下手をするとよけいにひどくなりますからね。このネガには傷がついている。SLの上空です。こんな傷を修正してくれるスキャナがあるそうです。奮発して買おうかな。護岸近くに小舟が数艘あったのでそれを入れてみました。気が付かないかな。このころは南宮崎までが電化されることが決まっていて、線路横に架線用のポールが立っていた。南宮崎以南はずっと後で電化された。西側からが多かったので、線路の東側に行って、逆光撮影に挑戦です。夕日というほどではないですが、シルエットがきれいでした。C61です。本日はここまで。
2008.02.05
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昭和47年8月2日(1972年) 前日は宮崎で宿泊した。この時の話は書かなければいけない。写真はのちほどにします。長くなるかな?どこで寝るか。それが問題だ。旅行を始めてから数日経っている。それまでの宮崎を拠点にした撮影では、 夜行列車で大分あたりまで北上し、途中で宮崎行きの列車に乗り換えます。つまり列車で寝るわけです。欠点は寝過ごしたら大変だということ。乗り換え駅が近くなると熟睡できません。かろうじて体を休めるのが精一杯でした。朝に宮崎に着いて撮影開始となるわけです。当時は九州周遊券というのがありました。どこまで乗っても期間内は同じ料金です。便利でしたねえ。(笑) 家を出てから蒲団で寝ていないし、風呂にも入っていない。だいぶ体が臭くなっているような気がします。まともな旅館なんかには泊まる金がないので、いろいろと知恵を出します。それと厚かましく図太い神経を利用します。それは機関区の方と仲良くなるのです。蒸気機関車に乗車する運転士たちは仕事が終わると、体がススで顔も黒くなっています。体も汚れます。当然、風呂があります。そうなんです。機関区の風呂です。まあ、全国で多くのSLファンがいましたが、機関区の風呂に入ったのは僕だけでしょう。自慢にもなりませんが・・・・。風呂に入った機関区は吉松、都城、宮崎、学生時代には北海道の北見、釧路。連日の強行軍で体力に自信のある僕も疲れています。ほんとにいいお風呂でした。疲れが取れるような気がしました。そして、寝るのは早朝出勤者のための宿泊所。2段ベッドでした。「どこでもいいですか?」 「どこでんよか。」ありがたいことです。でも、どこでも良かったわけではなかった。朝の5時前に起こされた。「おい、○○。時間だぞ。」起こしてくれました。頼んでないのになあ。外に出て背伸び一発、まだ眠い。起こした人が話しかけます。「あれ、○○じゃなかと?」あわててもう一度起こすべき人を起こしに行きました。どうやら、寝る場所が決まっていたようです。ごめんなさい。すみませんねえ。この日はおかげで、予定どおりに始発列車で目的地に行くことができた。次の日は寝る場所を確認したので、起こされることはなかったが、寝過ごした。疲れているのです。若いといっても、ひたすら歩き回っていましたからね。 さて、この日の最初の写真は早朝だったので、SLがライトを点けています。どこの駅の発車なのでしょうか。記録がありません。わかりません。行動記録からすると、霧島神宮あたりかなと思います。もう一枚。南九州の門デフはかっこよすぎです。他に117号機もすばらしい。前からもいいが、通り過ぎたこのシーンが感激するのです。力強くドラフトが響き、吐き出されたドレインがあたりを包み込む。今なら動画で残せるのになあ。次はC5557号機です。昨日はサイドからの美しい走行写真を撮りましたが、今度は正面からです。この写真の数コマはブレていたり、ピンぼけだったりで失敗でした。これだけがかろうじて見せられるかな。場所を変えて、北永野田あたりで写しました。 これ? 何? 分からん。 わざわざ撮影するために場所を変えた訳だから、臨時ではないと思うが、さりとてこのC58の列車がなんのために走っているのか?日豊本線にC58の運用は無かったと思うし、後ろのC11は何なんだ。想像したのは鹿児島にいたC11を宮崎に移すのに単独では無理なので、助っ人にC58に牽引してもらったのかな、と考えた。勾配がきつく、トンネルの長いのが霧島神宮~国分の間と山之口~青井岳の間にもある。それしか考えようがない。不思議な回送列車でした。 昼ごろに休憩をかねて、観光に行った。次はSLではなくて観光写真です。一緒に写していた人が「近くに霧島神宮があるから」というので付き合うことにした。近いということだったが、車で行ってもまあ、遠かった。おまけに駐車場から歩いても遠かった。でも行けて良かった。線路付近ばかりを歩いていますから、近所に名所、旧跡があっても行っていない。それは、いつでも行けるやろ。という感じですね。しかし、それだけのためには行けないものです。たった、一枚の写真ですが記念になりました。
2008.02.04
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昭和47年8月1日 吉都線を撮影する予定がどうしたのか、フィルムがない。撮影していないというより、ネガを見ると吉松発の列車で都城まで行っている。都城で機関区撮影のあとは、日豊本線に足を伸ばしている。疲れて乗り過ごしたのかな?それとも撮影場所に魅力がなかったのかな。?吉都線については別の撮影旅行で写していますから、そのときのアップの時に出します。思い出しました。C55です。九州で2両だけ残っているC55が吉都線ではなく、日豊本線と肥薩線で運行されていたのがわかったのです。吉松に宿泊したにもかかわらず、宮崎以南に撮影場所を変更した。やっと、謎が解明できた。この後の撮影されたSLの写真でわかりました。結果的に良い作品が撮れたので、まあ満足です。では、今回はドバ~と出します。当時はミニスカートが流行りましたね。別にねらったわけではありません。偶然です。ほんとだって。信じてください。お願い。僕の恋人はSLなんですから。宮崎県では「原」を「はる」とか「わら」と地名がついています。東国原知事も「ひがしこくばる」と発音しますね。このSLは何だったんだろう。D51の予定だが、はやりC57だったかなあ。不思議なことに写してないのです。都城機関区です。昔、親父から都城はな、「みやこんじょう」と地元は言うのだ。と聞いたことがあった。駅に着いたとき、駅員の発音に留意して聞いたら、やはり「みやこんじょう」でした。このC57127は走行写真が少ない。美しいサイドをどうぞ。青井岳鉄橋です。この鉄橋のすぐ左が駅になっています。宮崎と都城を結ぶこの山岳路線では青井岳駅の南が峠のピークです。この鉄橋は以前に来たときも写しているのだが、なぜか来てしまった。この角度の写真しか撮れないのですぐに離れた。というより、この列車の後にC5557が左から右へ宮崎方面へ行った。これを追いかけた。やっと追いつきました。C5557号機です。このときはヒッチハイクがうまくいかずに、追いつくのに時間がかかりました。いらいらしながらでした。かろうじて清武の鉄橋です。この清武はジャイアンツのキャンプ地で有名かな。このあたりまでが宮崎平野です。意気込んだ割にはなんてことはなかった。次の列車もここで写した。その頃はなぜか、鉄橋にこだわっていた。もっと別の角度から写せばいいのだが、つい本数を稼ごうと安易な構図にはまってしまう。これはC57の何号機だろう。門デフの先が少し欠けているような形です。そこで、もっと南西の沓掛辺りに行くことにした。沓掛という駅名は当時は3つあったそうです。この日向沓掛と信州長野の信濃沓掛です。信濃沓掛は現在西軽井沢に名前を変えました。やはり軽井沢という名前がいいようです。あと1つは忘れてしまった。ごめん。いよいよ、気合いの入った写真です。南国九州にはこのパシフィック型のC55やC57がよく似合う。きれいです。機関区の皆さん方もよく磨いているのでしょう。どこのSLよりも車体がきれいで光っていた。南国らしさを出してみました。C57117号機です。門デフのサイドビューがきれいです。後追いの写真もあるのですが、似たようなものがあるので、次にゆずります。次はもっとほれぼれする美しさです。(自分だけ?)美しい。ああ、ほれぼれする。サイドビューがこんなにきれいなSLは他にないでしょう。貴婦人と呼ばれたC57と同じスタイル、形のようですが、C55のスポーク動輪が全体のバランスをよくしている。たった2両のC5557とC5552号機のために追いかけているようなものです。続きです。言葉がでない美しさ。夕日をあびて車体が輝いています。 南九州の中でも山岳路線は少しはあるが、2つの山越えはC55とC57にはつらい。高速運転用のC55やC57は急行列車や都市部での客車列車などを牽引していた。無煙化の波に押され、苦手な勾配路線を最後の活躍の場として余生を送っていました。山登りに向かうSLを見てたら、涙が出てきた。
2008.02.02
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帖佐と加治木間の桜島をバックにした撮影がうまくできたので、気分は最高によかった。この2駅の間には現在「錦江」という新駅ができています。だから撮影場所は「帖佐~錦江」となります。川は別府川です。夕方に鹿児島に戻るとすでにC5552号機は吉松までの往復の仕業を終えて、戻っていた。朝に写したときとはSLのメンバーが変わっていたのでそれを撮影した。これがC5552号機。ほかにめずらしいSLがいた。D60です。なぜ?ここにいるのか?どこで働いているのか、分からない。とりあえず記念撮影します。このSLも門デフなんですね。とにかく広かった。もっと全景が入る場所を探したが、なかなか見つからず、あきらめた。とにかくSLがごろごろいる感じです。腹へったので飯食ってまた戻ってきました。夜の機関区は楽しいですよ。ここでは一枚だけ載せます。左後方にはC5557号機がいます。その左となりはC56です。ここは関係者以外は立ち入り禁止が普通です。その当時はSLブームだったので迷惑にならない常識のある行動であれば、わりと自由に出入りが出来ました。この後は吉松で一泊です。吉松は田舎の小さな駅です。肥薩線と吉都線の分岐駅なので、機関区は少し大きい程度なのですが、駅舎は小さくここで寝るには無理。学生時代には寝袋を持って行動していましたが、高校時代は寝るための道具は用意していない。いままでは夜行列車を寝る場所にしていましたが、ここにはそんな列車はない。吉松は山間部の街なので、鹿児島よりひんやりしています。それでもさすが、南国九州です。夜でも結構あたたかい。そこで、寝る場所はSLの運転席。次の日の乗っていく列車を牽引する予定のD51の運転席で仮眠することにした。ボイラーの温かい熱で気持ち良い温度でした。これが実はとんでもないことになってしまったのです。迷惑をかけたことではありません。低温やけどです。朝の5時ごろに機関車を動かすために機関士がやってきた。運転席に上がったら、「わあ~!」誰もいないはずのところに人間がいるのですから、そりゃびっくりですよね。「すんません。ここで寝ていました。」「大丈夫だったか?」「はい、はい。じゃあ、失礼します。」疲れていたけど、熟睡できたので元気がでてきた。このときには気が付かなかった。昼頃にどうも足のふくらはぎがちくちくする。まるで蜂にでもさされたようだ。ズボンをめくってびっくり。なんと腫れあがっている。やけどです。ぷくっと膨らんでいます。低温やけどというのは聞いたことはあったが、まさかこんなことでなるとは。やけどの2度という程度でした。水泡ができて大きさはピンポン玉の半球形分ぐらいの大きさでした。えらいこっちゃ。どうしましょう。どうすることもできない。水泡をつぶさないように気をつけていたが、歩き回っているうちについに破れた。ぴりぴり、ちくちく痛い。好き勝手なことをしているんだから、こんな罰も少しはあるわいな。当時はそのうち治るだろうと思っていたが、意外にも重症で、筋肉の内部が半球形分固まってしまった。まあ、生活する上で支障はないので、後遺症といえる程度ではないが、今も右のふくらはぎにはやけどの後が残っている。この傷を見る度に吉松での一夜を思い出す。吉都線の写真は次回に載せます。
2008.02.02
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