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僕のSL撮影日記には登場する仲間が2人いる。同級の相棒と一緒に九州まで行った、写真部の後輩くんである。現在、全紙に引き延ばした作品を後輩くんのギャラリーで道ばた公開中であるが、冗談のかたまりみたいな奴なんです。相棒が保存していた本を買う話の時も、そばで「2万円でいけるんとちがうの?」とか、まあ、まじめな顔できつい冗談をいう。その後輩くんからのメールがきた。もう、もう、もう、も~~。なんと、11111のキリ番は彼の携帯だったのだ。その内容です。 こんばんは。会社の昼休みに携帯でたぬきぶたを覘いてびっくりです。尊敬する先輩のブログ入場番号11111をゲットできただけでも光栄ですのに、まだその上に、家族の大好物である御座候(回転焼き)を一年間分も頂けるなんて!家族全員で喜んでおります。(誰も1年分なんて言ってない )ただ、厚かましいお願いですが、定期的には、なかなか頂きに行けないと思います。ですので、行く3~4日前には必ず連絡を入れますので、その都度、希望数をもらえるように願います。ブログには一年分(730個)となっておりましたが、 (そんなこと言ってない!)こちらも、定期的にいけないので、一年分=365個で十分だと思います。(謙虚なのか厚かましいのかどっちやねん)話は変わりますが、プロフィールの写真ですが、私は昔の先輩の勇姿を見て、自分も35、6年前に戻れるような楽しい気持ちで一杯でしたので、今の先輩の写真は見たくないですし、少なくとも、服は着て下さい! まあ、あきれるというか、話の度に「おまえ、吉本に行ってたら人気者になってたで~。今からでも遅くない。行け!吉本へ。」なんて、ばかな会話がはずんでいます。相棒と3人はどうも似たもの同士のようです。個性ありすぎや。とりあえず、近いうちに訪問するので、その時には御座候を10個買って行こう。もちろん俺が5個食べるけど。
2008.06.30
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迷惑メールの対処方法についてご指導有り難うございます。さて、さて近頃はSLの写真のアップがありませんで、ごめんなさい。スキャナを貸し出し中につき、ちょっと意欲が減りまして、おまけにPCの調子も悪くて、なんやかやで、さぼっております。といいながら、ちゃんと生活はしているわけで、このところ土日ごとに野球観戦となっています。15日の大阪ドームで日本ハム対中日です。久しぶりにデジカメを持っていきました。まあ、そのすばらしさをご覧下さい。カメラはコニカ・ミノルタ、デジカメから撤退したのを受けて、店頭で無惨にもたたき売られていたのを買いました。ノーマル35mmで3倍ズームとデジタルでその4倍です。つまり最大12倍までアップにできます。でも12倍ということは420mmの望遠レンズと同じですから、手持ち撮影ではぶれまくり。でも、そこはセミプロ級?の腕でカバーです。といっても、ほとんどがぶれていました。かろうじて数枚が見ることができる程度です。中村のりを狙いました。場所を変わってからもう1枚フラッシュもなく、手持ちで40分の1秒です。手ぶれ補正の効果でしょうか。すごいですね。ただし、動きのあるシーンはだめですね。これは27日の分。動く前ならいいけど動きはじめたら対応できない。当然ですねえ。ほんとに手ぶれ補正効果はすごいです。三脚がいらないのだから。これは21日の阪神対日本ハム戦。負けている、悲しい。逆転を信じて風船を飛ばす。いけ~~。飛べ~。願いもむなしく・・・・・また負けた。じつは甲子園には25年ぶりにきたのです。岡田、掛布、バースがいた頃でした。相棒と甲子園に乗り込んだのだが、たしか3回見に行って全敗。それ以来行ってない。20年ぶりの応援はなにやら、いやなジンクスを作りそうで、気が重かった。そして、その通りになった。もう行かない。行ったらまける。おれは疫病神か?悲しいよお。ぐすん。うあ~ん、びぇ~。良かったこと。場内で売っている弁当です。金本のスタミナ弁当はうまかった。昨日のスポーツ新聞に新たにいろんな新弁当が作られたとかいてある。まあ、一つヒットすれば次々と出てきますね。商魂たくましいです。でも。おらあ、いかねえだ。行くもんか。いったら負けるんや。いじけるで。ほんまに。もう少し写真を載せよう。さすが、稲葉。チャンスできっちりと仕事をしてくれますね。テレビでは稲葉の打席で応援団のみなさんがジャンプをするので、その辺りがゆれるのです。それをこの目で見たかった。北海道の札幌ドームならもっとすごいのでしょうね。オリックスも最後まで粘ったが、浜中がヒットを打てなかった。打てば逆転サヨナラ。だめならゲームセット。日本ハムは武田、マイケルと守護神を出して逃げ切り。帰り道はしんどかった。浜中が最後でした。見る方は楽しかったよ。最後まで白熱したからね。浜中ちゃん、がんばんべえ。
2008.06.29
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悲しいなあ。ブログの書き込み制限を解除したら早速きましたねえ。nttpc.ne.jp のドメインはどなたかいらっしゃいますか?以前はplalaのドメインから書き込みがあって禁止したのですが、また、nttpcからですね。こんな場合はnttpcへ苦情を言うべきなんでしょうか?というわけで、しばらく様子をみます。そしてnttpcを利用されている方がいない場合は禁止させてもらいます。ほんとにあきれますね。さて、キリ番の話です。ちょっと前に1万アクセス達成ということで、それが信州大学だったことは前のブログに書きました。もう一つの珍しい番号が発生しました。そうです、11111です。まあ、珍しいといえば珍しい数字です。同数字の並びですからね。次は22222となりますが、今までのペースだと約1年後でしょう。他の方と違ってこのサイトは時間がゆっくり流れております。自動巡回を設定してお客を呼び込むこともしませんし、ランキングも参加しません。ただ、自分の書きたいことを自分のペースで書くだけです。この同数字並びはケータイからでした。11113 2008-06-27 13:09:40 ☆fuwari-usagi☆さん11112 2008-06-27 13:09:05 EZweb11111 2008-06-27 13:08:51 EZweb ← ケータイさんでした。11110 2008-06-27 11:37:41 *.ocn.ne.jp11109 さんはお呼びでない方でしたので消しました。どなたでしょうか。分かりましたらお知らせください。他にもEZwebさんはたくさんいますので、分かりませんねえ。ということで前後賞は不明、前前後後賞(そんなのありか?)はふわぞうさんでした。(笑)まあ、ちょっとしたお祝いということで、景品目録の進呈です。記念品?そんなものは食べてしまって消えてしまう方がいいのです。というわけで、食い物。う~ん、やはりこれしかない。姫路名物「御座候(ござそうろう)」あんこのたっぷり入った回転焼きでございます。ただし、送りませんので、こちらに来たときに進呈します。アハハ(いつになるやら・・)お酒の好きな辛党の方は食べたくないものです。1個食べたらもういらないと言いますね。これを俺は7個一気食いをしたことがある。食べたときは幸せだった。しかし、しばらくするとこの苦しさは後悔になった。おなかの中であんこがどろどろと渦巻いているのがわかった。胃もたれで苦しかった。甘い、甘い食い物を広めてメタボ同盟を作るのじゃ。駅の地下街に店があるので、ぜひ食べてみんしゃい。うまかで~。こんなにおいしいのに値段は1個70円。狂乱物価値上げの時も5円単位で値上げする良心的な会社です。今時、和菓子もまんじゅうも100円が最低ラインだと思うが、この安さは感動です。2個食って140円。これで幸せになれます。1個や2個はうまい。3個になると勢いじゃ。5個はやめようと思うので、周りが後押し。6個になると歯が浮くのがわかる。体中のカルシュウムが溶けていくのが分かる。歯はぐらぐらする。そんな貴重な体験ができます。ただし、糖尿病が怖い人は2個までにした方がいい。同じフロアの近くに200円の激辛ラーメンがある。これは昔からあるが、とにかく安い。僕が高校時代は100円だった。ただし、あまりの辛さと、ラー油たっぷりで汁が飲めない。一度は食べてみんしゃい。後悔するで~。(こんな宣伝していいのかな)
2008.06.28
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またも、やってしまった。順調にブログ管理画面が動いているからと安心してしまった。書き込みが終了して、いざ公開とボタンを押すとサーバーが見つからないと、エラーメッセージが・・・・そして哀れにも書き込んだ内容がぱあ~~。再度の書き込みです。今度こそ。ワープロで下書きしています。なんとも不便なルーターでしょうか。さて、今日は書き込み制限の解除についてです。今までに迷惑メール、エロメールが頻繁に書き込まれていまして、頭に来てしまい軒並み制限しました。すると、常連さんも書き込みができなくなりまして、こちらも寂しい思いをしました。そこで、今回全部を制限解除しました。またまた、迷惑メールが来るとは思いますが、その都度アドレスを証拠として残し、子供に渡すことにします。近頃はネット社会の迷惑行為については厳しく検挙や逮捕といった厳しい姿勢で警察も動いています。手が回らない忙しさですが、民間に委託して書き込みについてチェックしているようです。もっと、金銭での被害だけを取り締まるのではなく、迷惑行為についてもびしびしと摘発してほしいものです。できるならやってみろとばかりに、犯行予告を書き込んで逮捕されている人たちがいますが、逮捕されてはじめて罪の重さに愕然としているのが実情です。悪いことは悪い、だめなものはだめとはっきりするべきでしょう。さて、話題は変わって、プロフィールの写真を変えました。昔の写真を載せていたのですが、現状とかけ離れているという指摘がありまして、泣く泣く現実のたぬきさんに変更しました。でも、かわいいでしょう? だれか言ってよ。きゃあ~、たぬきさんかわいい~。特にそのおなかが・・・(やはり無理か!!)
2008.06.26
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1年時だけの寮であったが、自分にとっては強烈な印象を与えてくれた。そうそうたる名物先輩たちがいた。最年長は8年生。訳あって寮を出ていたが、なんと隣の下宿屋に住んでおり、寮生と同じ扱いだった。寮内の放送で電話のときには呼び出していた。聞こえる距離だからまあ、納得ではあるが。このM先輩には、1年の終わりにほめられた。自慢にはならないことです。冬に受験生を宿泊させることになっていた。受験生はアットホームな扱いで、夜にはお茶の会などを開いて、歓迎していた。そのときに世話した数人が先輩づらして参加した。もちろん僕もいた。しょうもないことに、自己紹介なんぞをやって、名前と出身高校ぐらいの挨拶なのだが、ぼくの時に8年生はお節介にも追加の説明を加えた。「このたぬきはな、すごいんや。麻雀がとても強い。1年でここまで強いのはめったにいない。えらい!」「そんなあ、麻雀が強いなんて自慢にもなりませんよ。1年365日の内の300日以上はやったかなあ。それだけですやん。」残りの日数はSL撮影と、サークルの合宿と泊まりのアルバイト、帰省と・・・うむ、ひょっとすると330日以上かな、やったのは。たしかに寮内のジャラジャラのするところに必ずいた。「麻雀しかしなかったというが、それだけ熱中してやるということはたいしたもんや。」「いやあ、おまえはすごい、えらい。おれは心底おまえに感心しているんやで。」「おれも、麻雀には自信はあるんやけど、このたぬきにはさんざん痛めつけられた。 いやあ~、参ったよ。」ほめられて嬉しいのか、それしかしなかった自分が情けないのか、なんとも言えない心境ではあった。このM先輩は名古屋で高校の先生になった。もう今年で定年か?なんせ入寮して2ヶ月で僕は「麻雀小僧」という別名をもらったぐらいなんです。でも、でも、ですよ、これで幸せになれたかな? 違います。不幸でした。なんて馬鹿な大学1年生を過ごしたのかと、自己嫌悪でしたね。まじめに出席して単位は全部取れた。サークルも続けた。アルバイトもいろんな種類をやった。SL撮影も九州に5回行った。関西本線や参宮線も。やらなかったこと。勉強とスキー。(大いに反省)名物の先輩の話の続き。7年生が3人ほどいたかな。6年生はいっぱいいた。5年生もぞろぞろいた。4年生が学年では中間です。3年生の寮役員が下働きみたいです。2年と1年は存在感が薄い。10人ぐらいいた1年の中ではやはり目立っていたかな。麻雀狂いのお馬鹿さん。充実した学生生活だったなあ。(爆)おかげで、卒業してから勉強するはめになった。まあ、人生はどこかで勉強し、どこかで遊ぶようになっているのでしょう。収支決算はみなさん、どなたも同じじゃあないでしょうか。いや、まじめな人はそれなりに出世してますね。簀巻きの時のT副寮長は大手のM電機に就職し、地元に帰って系列販売会社の社長です。もう一人のT先輩も地元の金融機関に就職。留年していた先輩たちもそれぞれに、高校の先生や中学校の先生になっている。自分の握り拳を口の中に入れることができた、T先輩は京都の高校の先生になった。バイクで信州まで行ったときに途中で高校に寄っていきました。まじめに先生をやっていましたよ。たいしたもんです。文学部と理学部の寮だったので、みなさんの就職は先生が多かった。あのアホな行動をしていた人たちが先生と呼ばれているんですねえ。この寮での生活は戦後30年経っても変わりなく行われていた。その様子は作家の北杜夫さんの「どくとるマンボウ青春期」という本に詳しく描かれている。そのままの生活をやってきた。〔 北杜夫=本名は斉藤宗吉(斉藤茂吉の息子)松高から東北大学の医学部に進学 〕酒が入ると、ストームというパンツ1枚で下駄をならして寮内を踏み歩く。もちろん寮歌をわめきながら。今はコンクリートの新寮になっているのが、伝統は今も引き継がれているのだろうか。当時の皆さんとの同窓会があれば行きたいですね。もちろん酒と麻雀でしょう。
2008.06.24
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初めての場所に置いてきぼりをくらって、はてどっちだ?まわりは明るくなってもまだ人通りはありません。山の形と太陽の方角からなんとなく、こっちだな、と決めてリヤカーを引きます。まさか、蒲団をリヤカーに積んで歩くはめになるとは想像もしていなかった。当時の学生の引っ越しシーンではリヤカーが活躍したと、聞いたことはあるが、まさかねえ。まるで、夜逃げしているみたい。 そうしている内に川の流れが聞こえた。そうだ、ここだ。ここから北へ進めば知っている町並みが見えてくるはず、はず、はず・・・・・ない。え~、知らんよ、こんな場所。おかしいなあ。もう一人の簀巻き仲間のI先輩が「たしか川は二つ渡ったはずだが。」そうだったか。実は疲れて車中(リヤカー)で寝てしまっていた。だから川は一つだと思っていた。「じゃあ、そう少しこっちに行けばいいのかな?」「そうだと思うよ。」何となく頼りなさそうな感じがするが、寝ていた僕は先輩の意見に逆らう根拠もなく、賛成して進んだ。やっと、二つめの川にたどり着いた。そうか、ここまで来たか。ここからは分かるぞ。寮の近くまで来ると人通りも多くなって、リヤカーを引く二人をみんなじろじろと見ている。まあ、恥ずかしいったらありゃしない。このときの僕は撮影から帰って、着の身着のままで寝ていたから、ジーパンはいて、外出着の格好でした。これが、もし普段の寝ている時だったら、大変だあ~。寝るときはたいていパンツ1枚だったからなあ。いいときに簀巻きに来てくれたもんです。先輩の方はきちんとパジャマでした。生活リズムのできた人でした。寮生には似合わない感じの人でした。なんの因果か、2ヶ月後にはこの人と同室となった。 やっとのことで寮に着いた。玄関では犯人達が出迎えてくれていた。「遅いやないか。どこ廻っていたんや。心配したぞ。」蒲団の上からのしかかり、暴れた僕を蒲団の上からぼこっ、ぼこっと蹴った奴がこの中にいる。まあ、儀式なんだし、撮影旅行が済んだ後だから、よかった、よかった。もし、これが撮影に行く朝だったら、これはもう暴れまくりです。「てめえら、覚悟しやがれ。SL撮影ができなかったら、みんな半殺しだあ。」と、わめいたかもしれない。そんなことはないな。だって僕、紳士だもん。(うそ) ちょっとした台の上にはお茶が用意してあった。なんと、気の利く行事なんでしょうか。ちょうどのどが渇いていたし、おいしくいただきました。「なんで、そんなに遅かったんや。」にこにこ顔のT先輩。(北寮総務の副寮長格)「え~、道に迷いまして。どっち行ったらいいか分からんかった。」「普通はみんなもっと早いで~。」ふん、まだ、松本にきて1ヶ月だぞ。そんなに散歩にも行っていないし、わからんわい。 出迎えた連中はおもしろがってにこにこ笑っている。そんな状況では怒るわけにもいかないし、ありがたい儀式でした。到着したのは7時前ぐらいか。1時間は歩いていないが、けっこうな距離だった。せっかく新しい蒲団を母が用意してくれたのに、引きずった時に端っこが少し汚れた。汚れた部分をはらって片づけます。同室だった先輩は「やあ、ごくろうさん。簀巻きの時は同室のもんは教えてはいけないことになっとるでなあ。まあ、無事でよかった。」N先輩はとても2つ上には見えない哲学者みたいな風貌だった。まさしく哲学科の学生だった。ところで、この日も休みだったのかなあ。大学に行った記憶が少ない。なんせ、机に向かって勉強したことがない。というより、机はなかった。麻雀の勉強は徹夜で何回もしたが、教科書を寮で開いた記憶がない。恐ろしい学生時代だった。
2008.06.23
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新入生歓迎簀巻きの続きせっかく続きを書いたのに、またもや途中でダメになった。今回はどうもおかしい。突然にPCがリセットされて立ち上がろうとするが、BIOSの修復画面でハングアップ。どうやらウィルスかな。やばい!!大事なデータを他に移して再インストールになりそう。そのリセットが起きたのが前回のブログの続きを書いて、そろそろ終了というときだった。最悪です。せっかく書いた1時間が無駄になるし、もう一度書くのも力が入らない。以前にもこのようなことが起きて、その反省からワープロで作ってアップをすることを心がけていたが、つい順調にいっているからと、油断してしまった。では、では、お待たせ~(待っていないって)の続きです。寮にはたくさんの寮歌が伝えられていた。コンパのたびにみんなで歌うのでけっこう知られていた。寮生以外にも有名な「春寂寥」や曲名は忘れたがしんみりとした曲、元気の出る曲などいっぱいあった。寮のサイトにはこの寮歌集のサイトがあり、驚くほどの数である。これらをまとめ上げた方の苦労は大変だったろうと感心している。さて、歌を歌いながらぞろぞろと歩く姿を町の人たちはどんな風に思っているのかと、不思議に思うが、そこは地元に愛されてきた自慢の松高です。寮生の奇行、蛮行については昔からのものとして、非難があがることもなかったという。まあ、学生時代のかわいいやんちゃ行動ですね。 だいぶ長く歩いたように思う。川の流れの音がする。なるほどあのあたりを行っているな。信号で止まったり、曲がったり。おいおい、どこまで行くんだよ~。やっと、目的地まで着いた。「おい、聞こえるか。がんばって帰って来いよ。」「二人のためにエールを贈る~。」もう一人の副寮長のT先輩が大声でわめく。「たぬきぶた君の健闘を祈って~、フレーフレー、たぬきぶた」「フレフレたぬき、フレフレたぬき」拍手、拍手声の数からしておそらく5人ぐらいがこの犯行に加担しているようだ。静かになった。やれやれ、もう行ってしまったかな。よし、脱出の開始だ。意外と上手にくくっているので、手間取った。リヤカーから降りると、蒲団のそばには二人分のスリッパが用意されている。手馴れたものですね。蒲団をきちんとたたんで、いざ帰ることに。ところが・・・周りは見たこともない景色。ここはどこ? とんでもない所に置いていかれた。
2008.06.23
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昭和48年5月7日早朝新入生歓迎の簀巻き大正時代に建築された学生寮は木造だがりっぱな造りだった。(古いので消防署から危険建造物に指定を受けていた)南寮、中寮、北寮それぞれに2階建で各20部屋、一部屋に2名で定員は120名。当時は約90人ぐらいは居ただろうか。ほかに女子寮もあった。松本駅を出るとメインストリートがあり、それをひたすらまっすぐに進むと、突き当たりに旧制松本高校の校舎が見えてくる。僕が入学する前年までここに文学部と理学部があった。ドイツ風建築の建物で敷地内にはヒマラヤ杉の大木がうっそうと繁っていた。それまでの町並みが急にとぎれて、別世界に入ったような雰囲気です。現在は県(あがた)の森公園として保存されているが、寮があったのは駐車場あたりになる。SLを写した残りのフィルムでりっぱな校舎跡を写した。残念ながら寮の建物写真がまだ見つからない。寮の玄関付近から校舎方面を写した。「松本高等学校跡 われらの青春ここにありき」旧制高校の同窓会有志が前年に立てた石碑です。 さて、話はSL撮影から帰った夜に起きた。この寮では新入寮生への歓迎ということで、簀巻きにしてどこぞに捨てられるという、うわさがあった。何のことやら分からないし、先輩に聞いても話しをはぐらかされていた。撮影から帰った僕は爆睡状態で寝ていた。4時頃だったろうか、部屋のドアがスーと開いた。誰か入ってきたな。おぼろげな意識の中で、ひそかな声が聞こえた。「みんな、用意はいいか。やるぞ。」 とたんに、大きな声で、「南寮9号たぬきぶた、簀(す)巻き!!」何事だ!なんだ!その瞬間に何人かが蒲団の上からのしかかってきた。わあ~、動けない。一瞬、恐怖で暴れたが、多勢に無勢。それに疲れていたので力も出ない。でも恐怖から暴れた。すると、「静かにしろ!」うむ、その声は副寮長のT先輩。殺される訳でもなさそうだ。あ~、これが噂にきいた簀巻きかあ。そうしている内に、縄で蒲団ごとぐるぐる巻きにされた。まだ寝ぼけている。蒲団ごと数人で部屋から運び出された。周りは何も見えない。玄関あたりにリヤカーが用意されていたようだ。リヤカーに乗せられて待つこと少々。しばらくすると、別の部隊がもう一人を運んで来た。「よいしょ。」 どすん。俺がどの向きに押し込められているか、そんなことは彼らには知ったことではない。窮屈な姿勢で、俺の上にもう一人が乗っている。苦しいよう。なんとか息はできる状態。しばらくして出発した。寮歌を歌いながらぞろぞろと目的地まで行くのです。続く・・・・
2008.06.20
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昭和48年5月6日と6月の感傷旅行残りの作品をアップします。 コメントなし。D51351号機です。いい煙を出していますねえ。これを正面から撮ったらいいのが撮れたと思うべな。そだそだ。おら、そう思うだ。うまくいかないものです。遠景を撮れば良い煙。アップにすれば煙なし。まあ、場所の選定が間違っているわけですけどね。ここは、狭いながらも田植えの準備がされていた。帰りのディーゼルカーに乗って松本へ帰ります。D51の貨物が駅で止まっていた。SLの向こうに木材が見える。上松だろうか?カメラを向けると同じボックスにいた、かわいこちゃんが 「にこっ」 と、笑顔を作ってくれた。シャッターを切った僕に「ありがとう。」 にこにこ~、でした。その心境やいかに。「わたし、かわいいから写してくれたのだわ。『このあと、写真を送ります。住所は?』 と、聞いてくるのかなあ。と期待していたような顔、顔・・・・。でも、そんなこと思われてもなあ、ピントは向こうのD51にばっちりです。ごめんね。「僕はSLを写したのです。あなたではないのです。」と、言いたかったが、言うと気まずくなりそうなので、黙ってしまった。少しにこっと笑顔を作ってね。 当時はカメラはSLのためのもの。女を写すものではない、という信念だった。つくづくナンパのできないダメ男でした。「俺は硬派だ~。」逆に相棒は気楽に声をかける才能があった。うらやましい。少し分けてくれ。中央西線はこの2日だけだった。5月31日で無煙化された。この後の日曜日は部活の試合などで、行くことができなかった。残念。塩尻まで自転車で夜の機関区などを写したい気持ちもあったが、寮内での麻雀小僧は毎日のようにジャラジャラの音がするところに出没していた。というわけで、それで、あきらめた。でも、6月になるともっと他の場所でも写したかったなあと、カメラを持って寝覚めの床まで撮影に行った。有名な撮影場所です。ここで煙を出しているD51を写したかった。まだ、完全に電化されていなかったので、DD51が臨客などを引いていた。高校時代の熱が冷めているのがわかった。帰りに塩尻機関区の撮影です。これもたった1枚だけ。線路を切り替えるくらいにしか使用されなくなっていた。右に昭和電工の工場が見える。今もこの場所は列車の停車場となっている。おれはこの後も夏休みに九州に行ったりして撮影を続けたが、相棒は東京の生活が忙しく、この中央西線が最後だったようだ。次の年に俺が東京に遊びに行ったときに彼が言った。「おまえ、まだSL写しとんのか?好きやなあ!!!」2年の時は会津線と北海道に行っている。どうせ、もうじきSLは終わるのさ。ここまできたら最後まで付き合ってやる。根性のある男でした。今日は短くするつもりだったのに、つい長くなってしまった。反省。
2008.06.18
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昭和48年5月6日大学の寮で1泊して、次の日は意欲的に行動した。つまり、早起きして出発したということです。松本から何時に出たかも、どんな経路で行ったかも記憶がない。相棒に相談してみますね。覚えているかもしれないから。さて、昨日と同じ場所で写している。早朝で暗いだけでなく、逆光の位置にいるのでSLが黒くつぶれてしまっている。次は少し明るくなってきた写真です。だいぶ明るくなって、撮影条件も良くなってきた。でも、場所が変わりないのでまたかという感じですね。流し撮りを撮った場所の上です。あれ?トンネルだと思っていたのは、これなのかな?分からん。地図をみても、この辺りは廃線になっているので、昔の線路がどこなのか、分からない。この先にトンネルはあったのだろうか?心配になってきた。ええ加減な記憶やねえ。それで、メインの場所がこれ。この写真の手前あたりが流しを写した場所です。こうしてみると、電柱があるし、撮影しにくい場所ですね。一応、皆さんが撮影するような構図は撮っています。でも、これはシャッターチャンスが遅れている。確かに周りの景色の状況からはいいのだが、ちょうど左にあった電柱の陰がSLの正面に被さっている。もっと早く押すべきだった。後補機のSLを入れることを考えて押すのだが、そのことに気を取られて電柱の陰の入り方まで、気が回らない。それにこの101号機はナンバーが緑色だった。そのことに気を取られて、失敗してしまった。まだ、ほかにもあるけど、今日はこのへんで終わりにします。南木曾編はもう少し作品が残っています。でわ、次回も見に来てちょ。
2008.06.17
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昭和48年5月5日前にこの南木曾での流し撮りの写真をアップしましたが、日付が1日違っていました。ゴールデンウィークに相棒と二人で撮影に行きました。この区間は電化されずに、新線が作られることになっており、架線がなく絶好の場所と知られていました。ただ、昔みたいな(ほんの数ヶ月昔だけど)元気がなく、鉄橋のそばで同じような写真を撮り続けていました。シャッターが早すぎますね。もう少し待てばいいのに。レベルが落ちた~。同じ列車ですが、これもだめだ。こりゃ。なんか変化のある構図がほしいと流木や木を入れてみましたが、ない方がすっきりしていてよかったかな。それに橋脚のバランスを重視したせいで、SLの本体が切れてしまっている。もう少し待てば良かったのに。高校時代は毎日カメラを持っていたのに、大学に入ってからは、久しぶりの感触です。勘も鈍ってしまっている。だから、この中央西線ではいいのが少ない。同じ場所で。同じ場所で、同じ構図で。他にもあるのですよ。アップしてもしゃーないから出しません。この場所が飽きたので移動しました。川沿いに北上した。下り坂なので、煙は期待できません。もっと、渓流の雰囲気があるところはないかと、歩きました。やっと見つけたこの場所。線路の下が道路です。とにかく良い天気だった。気温が高く、上り坂のSLも煙がない。長野工場製の集煙装置は前が開いています。煙がないのもいいかもね。下りの列車が少し煙りを出していました。さて、相棒は何処で写したのでしょうか。鉄橋では一緒に写していましたが、この場所は別れて単独行動でした。35mmのネガを失ってしまってしょげていましたが、ブローニー判は残っているそうです。もうじきスキャナを手に入れたら、この日の写真を見ることができます。まあ、あいつのことだから、いい写真を撮っているでしょう。
2008.06.14
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先週のことだった。写真屋の半額セールでワイド4つ切りの作品がそろったので、仕事帰りに後輩のところへ見せに行った。その時の話では、相棒が2週間前にここを訪ねて来たという。あれまあ、そうだったか。それで、かれこれ1時間ほど話し込んでいると、あいつが来るのではと後輩くんは言う。「へぇ~、あ、そう。」こちらは半信半疑。まあ、来たところで別に感動があるわけでもないので、意に介せずに話が続いた。すると、窓を見ていた彼が「やっぱり来たみたい。」窓の外にはいつものニヤッと笑ったあいつの顔。後輩とは去年に36年ぶりの再会をしているし、相棒も後輩とは何回かすでに会っている。だからこの3人が顔を合わすのは別にとりたてて感動することでもないのだが、つらつら考えてみると、3人が同時に顔を合わすのは、36年ぶりなんです。不思議な感覚です。「そういえば、3人がそろうのは高校以来だなあ。九州に撮影に行って、別れ別れになったのは、どこで、なぜなんだろう?」3人に共通の話題といえば、やはりSL撮影のこと。そして、他校の相棒がなんで俺の高校に堂々と出入りをしているのかが不思議なことです。俺以上に相棒くんは厚かましくて、ずうずうしいのです。普通の人間からみると、「なんて野郎だあ。」くらいなものですが、僕から見ると同類なので違和感がない。変人は変人を知る。ということでしょうか。 さて、九州の撮影の思い出の中に、僕がプロカメラマンの広田さんと同行したことは、二人も知っています。そして広田さんの作品集の中に僕のことが書かれていることも知っています。その雑誌を買いそびれて後悔していることはこのブログでも書きました。僕の気持ちとしては、その雑誌がネットオークションで売りに出されたら、1万円の値段でも競り落としたい気持ちでいました。その雑誌は、あいつとの会話の中ですでに行方不明になっていました。ところがです。ところがです。なんと、なんと。あの本があるというのです。持っているというのです。俺:「ほんまに持っとるんか?以前は無くなったと言ってたやん!!」奴:「いやあ、あるで。大事にしまっていたので持っとうで~。」思わず声が出た。俺:「それ、買う。売ってくれ。1万円でどうだ。」奴:「なに!よっしゃ、売った。」後輩:「ちょっと、待ってよ。その本は定価はいくらなん。」奴:「900円ぐらいやったかな。」俺:「違う。880円や。」後輩:「え~、880円の本を1万円で買うんですかあ。」俺:「前から欲しかったんや。1万円でもいいと思うとったんや。いや、びっくりしたわあ」後輩:「ちょっと待って。そんなに欲しいなら、2万円でも買うのと違う?」 「そんな雰囲気やし、もっとふっかけたらどう?」俺:「この野郎め、なんてことぬかしやがる。」さすがに相棒もそうは思っても2万円は高いと思うし、ちょうど俺と同じスキャナを買う段取り中なので、1万円のお金はありがたい。それに、奴にしたら別に思い入れのある本ではないので、こんな古い雑誌に値段が付くこと自体が考えられないことだった。つまり、その本は俺にとっては1万円の値打ち。相棒にとっては単なる過去の1冊のSL写真集。お互いのもくろみが一致して、めでたし、めでたしです。中古市場の値段は買いたい人が決めるもの。僕にはブランド品や高級車はいらない。自分の心が豊かになればいい。 早く受け取りに行きたいが、今週は忙しくてそんな暇はなかった。近いうちに行こうかな。僕と同じ場所で写した写真をここに掲載してもいいのかなあ。少し不安になってきた。でも、僕が記憶していた記事の内容が真実であることがもうじき分かる。う~ん、楽しみだ。1万円? パチンコ銀行に預けたと思えばいいや。こんな使い方をしているから、金が貯まらんのだな。やっと、分かったぞ。(反省)
2008.06.13
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1万アクセスついにというか、やっと1万アクセス達成です。昨年の11月にたぬきぶたの日記2として再スタートしましたが、やっと一区切りつきました。初代の日記は9千アクセスで壊れて、再スタートしたことを思えば、通算で2万弱のアクセスをいただきました。アクセスいただいた方々には心より感謝いたします。同じ頃にスタートした人の中にはすでに10万アクセスに達している人もいます。すごいですね。僕の場合は趣味のSL写真展を開くのが目的でしたから、興味のある人に見てもらえればそれで十分です。自分が高校、大学の4年間に熱中したSLの作品をなんとか形に残したいという夢が今進行中です。人生の後半にあたり、もっと未来へ向けてのことも書きたい、やりたいのだけれど、とりあえず今までのことをきちんとした結果として表してみたい。それが30年来の願いだったわけですから。いわば回想録みたいなものですね。さて、この記念のキリ番を誰が踏むかというのが、数日前からの関心だったのですが、ブログ管理の画面を見てびっくりでした。 10002 2008-06-05 *.yahoo.co.jp 10001 2008-06-05 *.people-i.ne.jp 10000 2008-06-05 *.shinshu-u.ac.jp ←信州大学 9999 2008-06-05 *.ucom.ne.jp 9998 2008-06-05 *.sharp.co.jp(時刻については削除しました。迷惑がかかってはいけませんから。)初めてじゃないかな。どなたか分かりますか。僕は分かります。僕の母校の信州大学です。あれまあ、どちらの学部の方なのでしょうか。工学部と理学部には先輩が教授として在職されています。ホームページも時々見るのですが、用事がないとなかなか見ませんねえ。最後に信州に行ったのは子どもがまだ小さいときでした。その後、受験の年頃になってげんかつぎというか、スキーには行かなくなりました。でも、もう最後の受験が終わってこれで思い切り滑ることができます。でも、でもスキー板が昔のは長い。持っている板は2mが2本、195cmが3本、190cmが2本、180と175と家族用に100、120、130,140やら150やら160、170、え~と、とにかく、全部で15本以上。分からんとばい。今も使えるのかな? 今はカービングスキーとかで短いのが主流ですね。こんな長いものを持って行ったら、いつの年代の人じゃあと笑われますね。そろそろ粗大ゴミに出さないといけません。話が脱線しました。最近は楽天ブログ以外の方のアクセスが増えました。写真のせいでしょうか。この後は会津線、北海道となりますが、一緒に撮影を同行した鉄仲間たちはどうしているのでしょうか。撮影場所で知り合った仲間たちと「えりも岬」で半日遊びました。せっかく北海道まで来たのだからと観光地めぐりです。住所も何人かと交換したのだけれど、無くしてしまった。これから北海道の作品が出てきます。これを見て同じ写真を持っていたら連絡してくださいね。仲間といえば昨日は高校時代の後輩と相棒と3人が36年ぶりに再会した。この話は次回にします。今日は1万アクセス、キリ番ゲットの信州大学の方、おめでとうございます。(別に感激することもないか)
2008.06.06
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昭和48年5月6日(1973)大学に入ってSLを写さない生活がはじまった。環境ががらりと変化している中で自分の趣味を楽しむのはなかなかに難しい。だが、この大学の寮は古びた作りで歴史的価値があっただけでなく、自分にとってもものすごい好環境でした。階段下の空間に暗室があったのです。普通はこんな暗室なんてあるものではない。写真を現像したくて写真部にも顔を出したことがあったが、遊びのサークルのつもりで入っている連中とは話が合わなかった。男も女も何処に遊びに行くかとか、コンパや旅行の話ばかり。何を撮影したいのか?カメラにはまり、撮影することに生活のほとんどを賭けていた自分とは人種が違っていた。寮に暗室があることが分かってからは、写真部に顔を出すことはなくなった。さてさて、この大学を選んだ理由の一つが中央西線にもD51が走っており、松本からは塩尻まで自転車でも行ける距離だということです。残念なことに、それが5月で終了するというから結構あせっていました。入学早々に欠席続きはだめだと思ったし、まだ自分の生活パターンができていない。それに寮では夜な夜な麻雀の音がするところに出没するという、麻雀小僧のニックネームまでいただきましたから。ここでも体が3つ欲しかった。 長い前口上でした。5月の連休に東京の大学に進んだダチ公と中央西線のうちまだ電化のための架線が張られていない南木曽~田立間で撮影に行くことになりました。そこでの写真はまだ取り込んでいない。が、1枚だけ全紙に伸ばしたい作品があります。自分の流し撮り技術が最高にうまくいった作品です。どうぞ。単なる流し撮りです。しかし、これを撮影した状況が並ではない。思い入れのある作品です。説明します。右側はトンネルです。左側からの煙もくもくの作品を写したあとは、他のみなさんは次の下り坂を下りてくるD51は記録写真の程度に構えていました。中には写す気持ちのない人も大勢で、周りは少しの間の休憩という感じでした。僕はこのトンネルを出た少しの線路部分にじゃまがないことから、それならば流し撮りで価値を付けようと意気込みました。なぜかカメラは昨日のブログにも書いたフジカ69BLです。手持ち撮影では静止画でもぶれたりするやっかいなカメラです。とにかくシャッターが重いのです。力を入れるとカメラがぶれる。それを使って流し撮り? 普通は考えません。予定の時刻が近づいてきた。中腰の姿勢で構えます。普通は流し撮りは遠くから列車が来ているのをファインダーで覗きながら位置合わせをしてカメラを動かしながら写します。しかし、ここではそれができない。なんせ、すぐ右はトンネル。出て来たときの一瞬の勝負です。トンネルの中にSLが入れば音で分かります。まだ来ない。まだ、まだ・・・待つこと約10分。ずっとこの姿勢だった。何回かリラックスしながらも集中しています。勝負は一瞬。ゴゴゴッ、ゴォー。トンネルに入ったことが分かった。まだ、まだ来ない。音がだんだん変化している。近い。出口に近づくにつれて音が大きくなった。出口で爆音に変わった。ガォー、ガラン、ガラン、シュル、シュル、ブシュー、動輪の回転音とシリンダーからはき出される蒸気と排気ブラストの混じった爆音が耳に入ってきます。緊張という言葉はこのときのためにある。「キタ~。」カメラをD51の先頭に合わせて動かしていく。勾配のある下り坂をすごいスピードで駆け下りていくD51貨物列車。近くにあった木の葉っぱをアクセントにしてシャッターを切りながらもカメラは動かしていきます。これが難しい。普通は押した段階でカメラの動きを止めてしまいます。それを止めずに動かす。うまくいった。絶対に今のは。自信を持って確信できた。では、どれぐらいピタッときたか、アップで見てちょ。D51245号機の番号も運転士の顔もはっきり分かります。まるで止まっているのを写したかのように見えます。流しは何度も挑戦していますが、これ以上のものは撮れなかった。この現像は特に念入りにやりました。気泡が入らないように、傷が付かないように。細心の注意を払ってね。実際に現像してみてそのあまりのぴったり度に我ながら感激でした。この流し撮りのD51は単なる流し撮りではない。自分の思い出の中でも最高にうまくいった作品となった。他の煙もくもくや木曽川の清流を入れた写真は近いうちに取り込みます。今回も自己満足の思い出だったなあ。 みなさんも一度動きのあるもので挑戦してみてください。おもしろいですよ。
2008.06.04
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昭和48年3月28日 (1972年)高校最後のSL撮影旅行は29日で終了。その前日の撮影は以前にアップしましたが、このときの作品ではこれが最高です。まずは写真をどうぞ。宮崎と南宮崎の間の大淀川鉄橋は何回も足を運んでいる。駅から近いと言うことと、宿を機関区にしたこと、夜行列車で宿泊する場合の始発であり、終点でもある。それに、本数が多い。空港が南宮崎に近いし、日南線との分岐点でもあるので、どうしても列車本数は多い。煙は期待できないが、とにかくSLを写したい時はここです。この場所のいろんな角度で写したが最高の作品がこれです。これを、全紙に拡大したときの感動は今も忘れない。使っているカメラはフジフィルムのフジカ69BLという、プロが使っているものです。どちらかというと、集合写真や結婚式や記念撮影に使われています。とにかく大きい。機動性はない。シャッターも重い。手持ち撮影なんてこのカメラの使用方法としては間違いです。普段は手持ちで撮影していましたが、この場所ではのんびりと、三脚にのせて列車を待っていた。そこにやってきたのがC6118号機。ネガをのぞいても分からないが、全紙に伸ばしたときに現れたC61の数字。ほんとに感激でした。こんなに解像度が良かったのかと、びっくりでした。ピントがばっちりと決まり最高の絵はがきSL写真となりました。 このカメラの解像力は大したことはないと思っていたのですが、感動でした。 煙もほとんどなく、おもしろくないかもしれませんが、宮崎を象徴するフェニックスを画面に入れての構図は僕の大好きな構図です。鉄橋のそばで正面からのアップもいいけど、こんな作品も写したくなります。なんせ飽きるほど写していましたからね。 これを写したのはホテルフェックスの庭です。ところが現在このホテルはなくなっているみたいです。航空写真を見るとこのあたりは公園になっている。時代とともに建物も変わっていくけど、このホテルがなくなるというのは、ちょっと信じられなかった。いつかこの場所を訪ねてみたい。ここも再訪したい場所の一番の候補地ですね。 もちろん機関区跡にも行きますよ。何泊もしたから。(笑)
2008.06.03
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今日まで写真屋の半額キャンペーンでした。そのために、全紙サイズに伸ばせる作品をスキャンしてはレタッチソフトで修正する作業を延々とやっていました。これらをアップしたいという気持ちと、順序がめちゃくちゃになってしまう心配との葛藤がありましたが、どうせすでに記憶がばらばらですから、この際、あるものから出してしまおうと決めました。楽天のフォト容量もそろそろ限界が見えてきました。いいものから先に出さないと、一杯になってからでは困ります。 引っ越し作業をぼちぼち考えなくてはいけません。とりあえず、この1枚です。高森線のC12の夕暮れの発車です。昭和49年4月6日 大学2年の春休み高森駅の発車です。後方は阿蘇の外輪山の中でも形が独特で覚えやすいために有名な根子岳です。延岡から高千穂線とバスで阿蘇に入ったのですが、高森に着いたのは夕刻だった。バスの車中は疲れで寝ていたので、九十九曲がりのあたりは見ていたが、他はさっぱり記憶がない。さて、この1枚を撮影した後が思い出深い。えらい騒動だったのです。高校時代と違って学生時代は、リュックに寝袋を入れて、何処でも寝ることができる体力と図々しさと厚かましさで旅をしていた。この列車を写した後はさすがに暗くてお終いです。飯をどこで食うか。田舎の小さな町です。駅前に食堂といっても数軒しかありません。その内の1軒に入って晩ご飯。当時の僕の注文は大抵が「めし」、「みそ汁」だけ。でもここでは、もう1品頼みました。魂胆がありまして・・・・。その店は一部に畳の場所がありました。九州の人はやさしい。ほんとに優しい。都会で暮らしはじめて感じるこの優しさは九州ならではのことですね。そうなんです。今夜の宿を頼んだのです。食事が終わって、僕が最後の客でした。「あの~~、今夜は寝るところがないのですけど、泊めてもらえませんか?」捜せば旅館の1軒ぐらいはあると思いますが、ここで僕の演技が活きる。いかにも貧乏学生がSLの趣味で各地を回っているという風体ですから、かわいそうに思ってくれたのでしょう。「え!、え~。そうですねえ、じゃあそこの畳のところでいいですか?」「十分です。ありがとうございます。」九州なまりの丁寧な言葉を使ってお礼を言います。寝袋は持っていましたが、蒲団を出してくれました。感謝、感激でした。パジャマなんて気の利いた物は持っていません。着の身着のままで蒲団に入り込みました。よごれたズボンのままで、きれいな蒲団に入るのは気が引けたが、さりとてズボンを脱いだらもっときたない。普段は夜更かしをするのですが、さすがに ぐっすりと寝てしまった。気が付いたら、朝の8時を過ぎている。えらいこっちゃ。あわてて、蒲団を片づけ、店を出た。店の人はいなかった。メモにありがとうの文字を書いて、出発。予定では朝の一番からの列車を写すはずだった。何とか車を拾って目的地の鉄橋に着いた。朝飯にパンでも買おうかと、ポケットを探ると、ない。ない。ない。全財産の入ったサイフがない。朝からの行動を振り返ると、なくしたのはあの店しかない。電話を探して、駅前のあの店の番号を聞き出す。やっと電話をすることができた。聞いてみた。捜してくれたがないという。俺の悪運もついにここまでか。金がないとこれ以上の旅はできない。どうしても諦めるわけにはいかない。また、車を捜して戻った。店に着いた。店のおかみさんも一緒に捜してくれた。ない。ない。念のためにと、自分が折りたたんで片づけた蒲団を伸ばした。あった~! 見つけたあ~。執念でした。ハイ。店のおかみさんも「あらまあ、もっと早くに蒲団を片づけていたら分かったのにねえ。でも見つかって良かったね。」 再度のお礼を言いまして、目的地まで急いだ。もう時間がない。またもや、ヒッチハイク。なんとか着いた。上り列車を2本と下り列車を2本ずつ写す予定が大幅に狂った。こうしてあの鉄橋の写真は撮影できたのです。だから、高森線での思い出といえば、写真のすばらしさ、その日の天気が良かったこと、店のおかみさんの優しさが強く心に残っている。あらためて思いますね。九州の人たちは優しい。長々と思い出話を読んでくださったみなさんも優しいですねえ。感謝です。
2008.06.01
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