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今日は抜糸の予定ということで、病院へ。でも、なんとなくへそには、糸が見えないのですが、どうするのかな?とりあえず、傷口を縛ってあるような跡があるので、そこを切るのかな?とまあ、心配なのですが、予約の時間に行っていざ、診察です。「具合はどうですか?ちょっと、跡を見せてもらおうかな。」 服をめくって、ほれ。見てちょ。 見事な太鼓腹。「う~ん、横から別の穴が開いて出てくるのが心配だったが、大丈夫ですね。」「あれ、抜糸はしないのですか?」「しないよ。自然に溶ける糸を使っているから、必要ない。 経過を見たかったから、来てもらっただけ。」なあんだ、心配したのに。傷口もへその中だけで、外観上は全く分からない。まあ、上手にやってくれました。感謝、感謝です。近隣の同じへそヘルニアになった人のために、お知らせします。姫路国立病院で上原達也医師です。宣伝しときます。時間は30分です。まあ、1時間もかからないでしょう。治療費は保険が適用で5万円ですみました。半年以上も悩んだ手術でしたが、思い切ってやって良かった。入院して次の日に手術、そして次の日には退院できます。僕は入院していると、テレビ(オリンピックはよく見ましたねえ。)と間食の毎日になりそうだったので、予定より早く退院した。下半身麻酔なんて初めての経験ですから、正直こわかった。なんたって注射が嫌いですから。さて、これで「へそヘルニア」の名称ともおさらばです。で、で、このタイトルというか、HNは変更できるのかな?以前はたぬきぶたからの変更ができなくて、このへそヘルニアにしたのだけれど・・・。また、いじくっている内に、こわれたら困るから、このままにしておきましょう。今度からは「たぬきぶた」とよんでください。なお、現在減量中です。おなかがへっこんだら、「ぶた」を取り除きます。あれ、たぬきも卒業かな? え~、どうしよう。まあ、なってから考えましょう。(きっと、無理です。)
2008.08.26
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「案ずるより産むが易し」出産の経験はないのですが、( 当たり前だろ~。)いや~、妊娠8ヶ月みたいなおなかだったので、みなさんたちがいつになったら生むのじゃ。と心配してくれました。)14日に入院、15日に手術、本日17日に退院となりました。手術前日には除毛(下の毛を剃ってしまうことを専門用語でこう言うのです。)をするのかなと思っていたら、そんなのいらんだろ。と担当医師の一言で無し。同じ日に同室になった同い年のおっさんは下腹部のヘルニアで僕より重傷みたい。俺が9時からで、となりのおじんが11時から。半身麻酔というのは、意識がある分、なんか怖いですね。医者と話しながらの手術でした。痛みがあるとかないとかの話だけなんですが、縫合が終わってほぼ終了のころに、オリンピックの柔道がメダルを取れなかったことについて質問された。「どうして日本はメダルが取れなくなったのでしょうかねえ。」「いやあ~、柔道の本筋を追求するか、勝つためにレスリングなどの要素を取り入れるかの違いでしょう。」なんて、いかにも経験者曰くのようなコメントを言いまして、なるほどと納得されてしまいました。ヘルニアは普通は便秘ぎみの人が気張った時に、下腹部にふくらむことが多いとか。隣のおっさんも便秘を解消するために無理に出したら、腸が膜を破って出てきたと。僕の場合は去年に100kg級の若い奴らを投げ飛ばしたときに発症したのかも。医者曰く、「鍛えているスポーツマンがへそヘルニアになることがありますねえ。」重量挙げの選手がおなかにベルトを巻いていますが、このへそヘルニア対策ですね。 手術前夜の病室の廊下からの景色です。目の前に見えています。とにかく終わった。手術の緊急性や必要度はどうだったのかと、自問自答してみたが、良くはならないし、悪化するばかり。最悪は腸がそこから出て壊死する場合があるというから怖い。まだ、傷口が痛むので、咳をするのが気を遣う。おなかを押さえて軽く「こほっ。」咳を押さえるにはどうするか。決まっています。たばこを止めることです。たばこを吸う。→ ぜんそくになる → 激しい咳 → ヘルニア傷口の痛みが消えるまでには当分たばこなんて吸えません。やっと禁煙が実行できます。やれやれです。うなぎ登りさんのブログでさんざんたばこの害を説いてあるのですが、なかなかねえ。だめでした。今までにも咳がひどくてたばこが吸えないときがあったのですが、禁煙3日坊主を何回も経験しております。反省。今回はもう少し長く止めなくてはいけません。禁煙宣言が出来ない自分が情けない。 夜景と同じ廊下からの撮影。空は秋の澄み切ったきれいな色だった。
2008.08.17
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へそヘルニア ( でべそ )昨年の年末ごろに見つけたというか、へそのくぼんだ部分がこんもりと盛り上がる症状。はじめはメタボのおなかに付いている脂肪がへそにまで侵略して来たのか?と思っていたら、そうではなかった。ぜんそくみたいに激しい咳をしていたら、へそに奇形をもたらしてしまった。へぇ~そうなの。ブログのハンドルネームをこのときから、へそヘルニアにしたのですが。ついに、ついに、手術となりました。今まで手術なんてしたことないから、とまどいとためらいがあったが、このまま放置しても悪化するばかりなので、思い切って病院を訪ねた。幸いにも、経験がありそうな医者で、ことはとんとんと運びました。というわけで、あさってに入院で、金曜日に手術と決まりました。えらいこっちゃ。どうしましょう。覚悟はしているつもりなんですが、いざ、麻酔をかけてメスを入れるというのは、正直怖いですね。半年前に同じへそヘルニアに罹って手術をした「みっしゅさん」はどうしていますかね。まだ、このブログを見てくれていますか。ついに、やることになりました。でも、ちょっと、困難なことがあるのです。なんせ、おなかには厚さ5cm以上の脂肪が取り巻いています。作業は脂肪のせいでやりにくそうです。大丈夫かなあ。 さて、入院ともなると準備が大変。大学に行っている二人が帰って来ているが、自分のことで忙しい。頼りになるはずの肝心の配偶者は・・・・手術の15日は三人で大阪に野球観戦の予定を決めているので、おとっつぁんの入院なんて、どこの話? という感じ。手術当日に家族がいないのは許されるのかな。どうなんでしょう。きっと、野球観戦が優先するでしょうから。おふくろに頼むしかないのか。悲しいねえ。一人寂しく、近くのスーパーに買い物です。バスタオル、下着、洗面具、ハンカチ、ゴミ箱、コップ、おやつ、etc。パジャマに外出着も。そうだ、ケータイの電源も。いろいろ必要ですねえ。 手術が終われば暇だし、退屈することまちがいない。だから、雑誌。このときのために、読み切っていないパソコン雑誌をがばっと持って行きます。病院の待合室にパソコンがあった。よし、夜になったら、そこから入院レポートをしようかな。使えるかどうか分からんなあ。というわけで、当分は更新できないかも。いやいや、こんな他人の不幸ほど楽しいものはない。しっかりとカキコをがんばります。( できればですよ。)へそヘルニアが治ったら、HNはどうしよう。おまけに、これを機会にたばこを止めて、痩せたら・・・・たぬきの名前も廃業?それはなってから考えよう。おそらく無理でしょう。せっかく集めた、3Lのシャツやスーツ、ウエスト100cmのズボンの数々。もったいないから、このままの体型でいようかな。では、いざ入院です。オリンピック三昧の生活を楽しみます。
2008.08.12
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上高地と乗鞍岳への分岐点にくると左は安房峠を越えて乗鞍スカイラインの有料道路に出ます。分岐点を少し過ぎると、有名なトンネルがあります。釜トンネルといいます。ここは車が1台通れるくらいの広さしかありません。したがって、トンネルの両端には信号機があります。青信号が1分、赤信号が14分の日本一長い赤信号です。この長い赤信号で待つ間に釜トンネルの話です。「このトンネル工事は大変な難工事でした。死者が沢山出ました。夕方の4時を過ぎると気をつけてください。窓を開けていると、死者の亡霊が手を出してくると言われております。」トンネルの中は天井に裸電球が所々に点灯しているだけです。両サイドは岩盤がそのままむき出しです。それまでのコンクリートで整備されたトンネルとは違います。ほら穴と呼んだ方がぴったりです。おまけにくねくねと曲がっています。窓のそとはすぐ岩盤がせまっています。こんな所を通過するとちょっと怖い感じです。気の合う運転手さんと打ち合わせをしていまして、十分に怖い話をしたあとで、やるんです。入ってしばらくすると真っ暗闇の場所があります。突然、車内の電気が消えます。すかさず僕が叫ぶ。「出たあ~。」若いねえちゃんたちの悲鳴。「きゃ~、きゃ~。」車内はパニックです。あまりひどいと怒られるので、すぐに電気を復活です。「あっ、すみません、時々室内灯が切れることがあるもんで、すみませんねぇ~。」なおも、車は左右にゆれます。結構ほんとに怖いのです。よくもまあ、こんな運転ができるなあと感心です。こんなところを、自家用車が通ったら事故だらけです。分岐点の中ノ湯温泉から上高地までは規制して正解でしょう。トンネルを過ぎたら視界が開けて別世界です。でもまだしばらくは森の中を進みます。この年は7月前半に降った集中豪雨のために、トンネルから上流部分の道が土砂で埋め尽くされていた。石ころというより岩ぐらいの石がごろごろ。そこを通過するバスが右に左にゆられます。時々、運転手が命令します。「おい、あの石をどけてこいや。」なんとか、難所を通過すると、大正池の美しい景色です。ここで降りて、池沿いの遊歩道を歩くベテランもいますね。「まもなく終点の上高地でございます。バス停からしばらく歩きますと、カッパ橋がございます。昔、ここを渡った人たちが、衣類を頭にのせて渡っている姿がカッパに見えたところから、このような名前になったといわれております。流れております梓川は水温4度、飛び込んで自殺するにはもってこいの水温です。」「到着です、みなさまゆっくりと上高地の雰囲気をお楽しみください。ご乗車ありがとうございます。」「なお、お泊まりの方のお知らせします。バスガイドのアルバイト連中によります、花火大会を夜8時から、カッパ橋の上でおこないます。みなさん御参加ください。線香花火を用意しております。」 自分で言うのもなんですが、よくもまあ、長い時間を話し続けたものだと感心しますね。一度、こんなお客さんがいました。降り口で挨拶していると、二人連れの若いねえちゃんが寄ってきて、言うのです。「わたし、この車掌さんの帰りのバスに乗る~。」上高地に着いて、皆さんはカッパ橋に向かっているというのに、このお嬢さんは気が狂ったのか、観光よりも僕のガイドぶりに惚れちゃったみたい。「まあまあ、そんなこと言わずに、いい景色がたくさんありますから、楽しんで来てください。」とまあ、なだめてバイバイしたのですが、あとで思ったんです。名前と住所を聞いておくべきだった。残念。
2008.08.09
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いやあ~、すごかった。オリンピックの開会式は派手なアトラクションがつきものと、言われていますが、びっくり、感心、驚きの連続でしたね。プロデュースした映画監督はこれで超ビッグになりましたね。選手団の中に僕の知り合いがいたのですが、テレビでは見ることができませんでした。競技での活躍を期待しましょう。さて、バスガイドの話はどこまでだったけ~。そうだ、ダムの話です。はじめのダムは稲核と書いて「いねこき」と呼びます。このダムは上の水殿ダムからの発電用の水を貯めておくダムです。だから、朝早くに行くと、水位が下がっているのが分かります。色が違いますからね。この揚水式発電のことなどを説明しているうちに、水殿ダムの水面から一番高い所を通過します。「さて、この辺りが水面から一番高いところでございます。」「ここで小話その1。」「運転手さん、ここはすごいがけですねえ。」「はい、そうですねぇ、いのちがけですよ。」まあまあの笑いをいただきます。他にも小話その2とその3があるのですが、品が悪いのでやめます。3番目の奈川渡ダムに着くと、けっこう立派な大きさですから、景色もいいわけで、左側の湖面と右のダムの高さを実感したいところです。が・・・車は左側通行です。右は見えません。しばらく行くと、左に分岐点があります。「左に行きますと、乗鞍高原スキー場、また野麦峠へと通じております。ここで、野麦峠の説明ですね。みなさんあまり知りませんから。女工哀史の物語、岡谷の製糸工場で働いた少女が病気になり、故郷の飛騨に帰り着く直前に死んでしまう悲しい物語。「ああ、飛騨が見える。」といって死んじゃうのですね。これから、先は渓谷美を見ながらですが、さしたるガイドもありません。そこで、僕は歌を歌うのです。音痴なくせにね。当時はかぐや姫や吉田拓郎が人気でした。若いお客さんの多い時はやりましたね。たいして上手くない自分ですが、なにを思ったのか、はたまた、若さ故の暴走か。なんでもやったもん勝ちの世界。とくにかぐや姫の歌は4曲ぐらい連続で歌ったなあ。お客の中には「このへたくそめ、やめてまえ。」 と言いたい人もいたでしょうが、そんなの気にしない。自分が楽しんでいました。一応、車掌なので、途中で乗り降りする客には、キップを切ったり、料金をいただいたりの通常業務はきちんとやっております。でも、ほとんどが終点までの観光客ですから、普通の観光バスと同じ感覚でした。この辺りで半分は過ぎたのですが、これから恐怖の体験を客に味わってもらいます。こんなこと、普通はしないだろうなあ。プロは絶対にしない。学生アルバイトだから出来たことでしょうね。次回まわし。 ごめん、疲れた。
2008.08.08
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このところの家庭内乱によりまして、ブログ更新も気がそぞろでした。そのせいで大事なことを忘れてしまった。そうなんです。キリ番ですめったに巡ってこない12345番を見ることなく過ぎてしまった。どなたがゲットしたのかも知りませんでした。えらいこっちゃ。ごめんなさい。次の番号となると、123456番ですから、これはもう無理。今のペースでいくと10年はかかりますからね。大変なミスをしてしまいました。反省、反省 話は変わりまして、時雨さんのコメントにガイドでの歌のことがありました。そうなんです。歌ったのです。音痴の僕が・・・・・ここはガイドの話の全容を書きましょう。強く印象に残っていることですから。 列車で来る一般の観光客は、松本から松本電鉄で終点の新島々で下車して、松本電鉄バスに乗り換えます。上高地は自家用車乗り入れ禁止になっていますから、自家用車の方も車を駐車場に置いて、乗り換えることになります。バスガイドの詰め所というか、たこ部屋みたいな宿舎はそこにありまして、むさ苦しい若い男が数十人一緒に寝泊まりしているのです。バスガイドというよりは、車掌ですね。普通に地元の方も乗りますから、キップを切ったりします。でも出発するときはほとんどが観光客です。普通の路線バスに男の車掌が乗っているわけですから、みなさんはちょっととまどい気味です。これから楽しい時間がはじまるのです。まさか、客もこんな車掌がいるとは想像できなかったでしょう。では、出発。「皆様、本日は松本電鉄バスをご利用いただきまして、まことにありがとうございます。」当たり障りのないごくごく普通の出だしです。でも、次からみなさんずっこけます。「このバスは新島々から上高地まで35km、約1時間と30分の道のりでございます。道は曲がりくねっておりますので、途中で気分が悪くなられた方がいらっしゃいましたら、遠慮無くガイドまで、お申し付けください。先着1名様にバケツを貸し出しております。」まあ、たいていがここで笑ってくれます。ていねいに話をしていたら、ギャグみたいな内容ですから、当然みなさんあきれてしまいます。リラックスしたあたりで早速、案内開始です。「皆様、右手をご覧下さい。これは私の左手なんですが、(僕の左手を見た人は笑います)窓の外には皆さんご存じのお米でございます。(まだ田んぼしか見えないから)」しばらく行くと橋が架かっています。「右手に見えるのは、梓川でございます。(フーンとしか思っていない)梓川はこのあと松本で犀川となり、長野で千曲川と合流して日本一の長さを誇る信濃川となるわけでございます。」(ここでやっと ヘェー の声)左手に流れるのも、やはり梓川です。(あったりまえじゃんという顔)しばらく行くと桑の木がたくさん見えてきます。絹の原料の生糸を作る蚕はこの桑の葉しか食べません。長野は製糸工場がたくさんありました。岡谷、諏訪湖あたりはその昔の絹の生産拠点でした。平地の少ない信州では桑畑がたくさんあります。とまあ、桑の木なんて見たこともない都会の人たちには、ちょっとした役に立つガイドの話なんですね。そうしていると、稲核ダムにつきます。次の水殿ダム、奈川渡ダムの3つで揚水発電をしています。ここで、揚水発電の説明です。つまり、水を昼間は上から下へ落として発電し、夜は余った電力で下のダムから上のダムへ水を揚げるわけ。その水位の変化がダム湖に表れています。水殿ダムの発電量は実は黒四ダムよりも大きいのです。みなさんは黒四ダムは有名だし、すごいダム湖からの放流などですごいと思っていますが、目立たないこの水殿、奈川渡ダムの発電量を聞いてたいていが「へぇ~。」となりますね。先が長いのでここで中断です。北京オリンピックの開会式です。
2008.08.08
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昭和50年7月暑い、暑い。暑い夏には学生時代のことが思い出される。SLを写しに行ったときも暑かった。北海道や九州での暑さに耐えながらの撮影旅行。他にというと、これです。 大学3年の夏休みには思い出に残るバイトをやった。上高地から乗鞍のかけてのバスガイドです。学生時代にはいろんなバイトをやったが、一番印象に残っているのがこれ。とにかく楽しかった。自分がおしゃべりが得意だということが分かったのがこの仕事でした。約1ヶ月のバイトなので楽しい思い出がいっぱいある。その中でも、乗鞍山頂でのことを書いてみたい。まず、証明写真です。乗鞍山頂のバス停は標高2800mの地点です。昼休みの1時間の休憩がありました。この時間を利用して少し登ってみようと言うことになって、親しかった3人で登った。と言っても、散歩コースみたいなところを、行くだけなんですが。とりあえずは記念写真です。後方はコロナ観測所です。乗鞍岳3026mの頂上を後ろに記念撮影です。乗鞍という名前は山の形が馬の鞍に似ているところからついています。当時は学生のヘアースタイルはロングが流行していまして、僕ものばしていました。別に流行を追いかけるなんてしゃれたことはできません。ただ、散髪代がないだけのことです。最高は前髪があごのあたりまでありましたねえ。バイトをしているときは、それなりにきれいな格好をしていましたよ。(自分評)バイト仲間の中でも結構親しく話ができた友達です。今はどうしているのでしょうか。いろんな大学から来ていましたね。さて、思い出の中の一つが山頂まで行ったこと。ガイドのバイトはずっとしゃべるのです。けっこう才能がある奴らが多くて、それぞれにいろんなアイデアでしゃべっていたようです。その中の一つがこれ。「みなさま、乗鞍岳山頂は標高3026m、バス停の標高は2800mです。そこから普通に歩くと1時間と30分の道のりでございます。這っていくと3時間でございます。」大抵そこでお客は笑ってくれます。続いて、「もし走っていけば30分という噂がありますが、わたしはやったことがありません。みなさん、よろしければ挑戦してみてください。酸素不足で倒れても責任は持ちません。」とまあ、無責任な案内をしていたのですが、「よし、いつかやってやろうじゃないか。」と、思っていたのです。天気がよくて、休憩時間にゆとりがあるときに挑戦することにしました。そのころの僕は、一応運動部に在籍していたし、体力には自信があった頃です。道は観光客が歩けるように整備されています。なんなくすいすいと進みます。この調子なら、あの頂上まですぐに行けるぞ。ところが、ところがです。なまじ早足で歩いたものだから、予期せぬことが起きた。それは、酸素が薄いということ。足腰の筋肉は訓練で十分な力を持っているのだが、酸素不足になって動けなかった。3000mあたりになると、もうだめ。今でこそ、オリンピック選手が外国の高地トレーニングをする話は聞いたことがあるが、当時はそんなニュースもないし、知識としては知ってはいるが、まさか自分が人体実験するなんて考えもしなかった。頂上を目前にして10分の休憩。新記録を出したかったが、それと引き替えに、病院送りになったら困るので、やむなく、断念。ゆっくりと残りを進んで、ついに35分で到着。これでも、帰ってからみんなに「えらい!すごい、りっぱ!」とほめてもらった。ほんとはバカにしているのだろうが。とりあえず、みんながガイドでしゃべっていることを、我が身で人体実験したことはガイド仲間は評価してくれた。「よし、そのデータを使わしてもらおう。走ったらあかん。 ということやな。」ちなみに、下りは25分で帰ってきた。山頂でしか売っていない将棋の駒みたいな形の通行手形のおみやげを買っておりた。「乗鞍岳山頂登頂記念」の文字が誇らしげだった。ついでに山頂からの景色を少し。南を見ると、木曽駒ヶ岳、もっと東には富士山が見えます。絶景かな、絶景かな。もう一度登りたいとは思うが、実行はやめときます。暑い夏の思い出でした。
2008.08.04
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今年は梅雨明けが早かった。それに連れて蝉異変?になった。いつもなら、気温が上昇して夏本番ともなれば、家のとなりにあるさくらの木にうるさいくらいの蝉が発生するのだが、ことしは遅かった。「もう、いなくなったのかなあ。」ちと、寂し。と思っていたら、ついに始まりました。蝉の大合唱。たった1本の木にいったい何匹がいるのだろう。ざっと見えたところだけで100はいる。いかにも夏の風物詩、といったところです。というわけで、カメラを持ち出しました。朝方であれば手の届くところにたくさんいます。今は昼寝中みたい。この部分だけで20匹はいました。さらに、子どもが小さい頃は家の中で放し飼いしていましたね。夜中に泣き出してうるさいから放り出したこともあったっけ。この木にはクマゼミが多くて、アブラゼミは少数派です。ニイニイゼミはめったに見かけない。僕が小さい頃はクマゼミは貴重品だった。アブラゼミは嫌と言うほど採れたが、クマゼミは年に数匹しか採れなかった。場所によるのですねえ。まあ、あと2週間の命です。楽しく聞かせてもらいましょう。 「竹内まりあ」さんを久しぶりにテレビで見た。50歳を過ぎてなお元気に活動しています。その番組で50歳を過ぎて作った歌が心に残っている。春に桜が咲いた。今まではなんとなく「ああ、花が咲いたなあ」と感じていたのが、今は違う。あと何年このきれいな桜を見ることができるのだろう。歌詞の中の言葉にずきんときた。そうだなあ。来年も同じ花を見ることが出来るのだろうか。そう考えると、残された時間は限りがある。のんきに生きてはいけないなあ。今できることをやっていなかったら、後悔するだろうなあ。今、何ができる? 何をしたい?
2008.08.02
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