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鹿児島機関区を出て、すぐにヒッチハイクで錦江湾沿いに北上します。ここは線路と道路が並行しているので、アクセスはいいのですが、せっかくの桜島を入れて撮影しようとすると、それなりの時間をかけて場所を設定しなければいけない。しかし、ヒッチハイクではなかなか無理。何度も通った所なら「ここで下ります。」と言えるのだが、なんせ初めての場所ですから、SL雑誌などの写真を参考に決めました。鹿児島発の列車なら順光ですが、反対となると全くの逆光になってしまいます。1本の列車を撮り損ないました。しゃくなので、記念に桜島です。このあたりに磯公園があります。このときにはゆっくりできなかったけど、4年後にここを訪れました。次に貨物列車が来ます。これはC57なので気合いが入ります。びっくりでした。重連でしたね。ファインダーを覗いてみると、「あれ、1台じゃない。」もっと景色の良いところで写したかったよ~。まあ、こんなものでしょう。後ろの番号は何番かなと、後ろからも写します。後ろは門デフでしたね。はたして何番だったのだろう。分からない?もっと、構図の良いところを調べておく必要がありますね。事前に撮影場所は考えているのですが、どうしても自分の車があるわけではないので、そこは高校生の悲しさです。これが限界ですね。でもね、この後の写真を見ると、運よく自動車に乗って撮影に来ている友だちを捕まえているんです。その人とその日は同行させてもらって、充実した一日となりました。この日はなんと3重連が走るというのです。ラッキー、ラッキー、大ラッキー。撮影場所としては、大勢の人が集まる撮影しやすい場所でした。もちろんこのシーンは連続シャッターで7枚ほど写しています。まあ、1枚でいいでしょう。次は追いかけて撮った写真ですが、これは失敗でした。完全にブレています。焦って写すとこうなります。三脚を構えていないのでどうしてもブレますね。SLマニア失格です。いや、写真家としては失格だけどSLマニアは好きだったらいいのです。はい。こんな失敗作は結構多いのですよ。出していないだけでね。最初の場所でいいのが撮れたので、無理には追いかけずに、他のSLを写しに行きました。どこの駅か分かりません。腕木式信号機にこだわったのですが、それをまっすぐに撮影しようとして歪んでしまいました。愚かなり。歪んだものを見ると気分がいや~な感じです。ごめんなさい。C57124は少ないので。線路を捜して3000千里。じゃあないけど、まあ、皆さんお好きですね。この方と同行したのです。思い出しました。熊本から来た気の良いおっちゃんでした。懐かしいなあ。ホンダのN360ですよ。楽しい人でした。ぼろな車に 「ほれ、がんばれ。」 坂道を行くので、クーラーはかけません。ついてなかったかな。おかげで良い作品が撮れました。最後は僕がどうしても撮影したかった構図をおねだりして、現地に行きました。桜島をバックにした構図です。僕の作品の中で順位を付けたら1番です。他人がどう評価しようと、自分の中では一番思い入れが有るので、これを最高だということにしています。これは、カラーもあるのです。ブローニー版といって、ネガが6cm×9cmの大きさです。スライドです。コダックの高価なフィルムをはり込みました。この写真がまだアップできないので、実はこの錦江湾の写真は載せたくなかったけど。カラーはいつか載せると言うことで、白黒でどうぞ。イメージはカラーで見て下さい。天気が良かったし、青い空、鉄橋は赤、川では漁師がウナギ取りのために、石を動かしている。干潮のときに石を移動させて、まわりの網でウナギを取ります。手こぎの伝馬船と護岸の枯れたススキが良い感じ。と、思いませんか?それにSLはC5552号機なんです。遠くてスポーク動輪の美しさが分からないのは残念ですが、絵になる美しさを捉えた作品だと思います。どうでしょうか?この写真を撮るために、フィルムを新しく入れ替え、カラーの大判サイズと欲張りな、撮影でした。こんなときはどっちかが、失敗したり、ピントがずれたり、ネガに傷が着いたりとうまくいかないものですが、こればかりは写真屋に現像を出すときにていねいにやってくれと、注文を付けました。それほどに入れ込んだ作品です。もし、当時のSLコンクールに出したら、なんらかの賞は取れたと思います。カラーで大きく引き延ばしていないのが残念です。今となっては色が変色しているかも。自己満足なんですけどね。 このあとは鹿児島に送ってもらって別れました。たしか住所も交換したのだが、しょせん男と男はこんなものです。まだ生きてるかなあ。晩飯を食べて、鹿児島機関区に撮影にいったら、このC5552号機が戻ってきて車庫に収まっていた。さっきはいい写真が撮れたよ。ありがとう。
2008.01.29
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昭和47年7月31日(1972年)高校3年の夏休みの作品です。この1週間の撮影旅行は担任と親と自分との3者懇談をすっぽかして行きました。帰ってから母親から聞いた情けない話しは思い出すのも恥ずかしい。以前の日記に書き込みましたが、親だけが学校に出かけ、担任に「あれ!息子さんは?」母「九州にSLを撮影に行っています。」担任「話になりませんな。お帰りください。」けんもほろろの扱いとはこのことです。なんという親不幸なんでしょうか。そんな母のつらい気持ちも知らずに、僕はのんきに撮影に没頭していた。こんな奴はきっと不幸な人生を送り、死んだら地獄に行くでしょう。まちがいない。 では、鹿児島からの撮影が始まります。筑豊からは鹿児島本線で南下した。列車は西鹿児島駅に到着した。始発、終点はこの西鹿児島がほとんどで、今もこちらの方が賑やかというか、新幹線もここからです。それで、下りてから機関区を捜します。「ない。ない。あれ~。機関区はどこだ。」歩き回って捜しても見つからない。おかしいなあ。駅員に聞いてみた。「それは、一つ先の鹿児島駅にあるよ。」「離れているのですか?」「そりゃ、歩いたら結構かかるよ。」そんなあ、こんな近距離をヒッチハイクなんてできないし、かといって歩いたら時間がかかるし。どうしよう。タクシーを使うなんて、金のかかることは思考回路のどこにもない。こうなったら、歩くしかない。東の鹿児島駅に向かって歩きます。何度か車に乗せてもらうことにチャレンジしました。このままでは、予定の列車に乗ったり、撮影場所に行くことができなくなります。焦りました。早朝とはいえ、南国の日差しはきつく、汗びっしょりになった。「もうあかん、これ以上は走れんわ。やっぱり、なんとか車~。お願い。助けて。」やっと捕まえた。わずか500mでも助かった。この鹿児島機関区に行きたいわけは、ここに全国でただ1両だけ残っているB20という、小さなSLがあるからです。やっと着いた機関区は大きかった。全景を撮影していないのが悔やまれます。文章ばかり書いてもダメですね。なんせ写真をたくさん載せたいから、さっさとアップしましょう。まずは、乗る予定だった、客車から。これに乗って行く予定だったのになあ。 次は機関区のSLたちです。いろんな種類があります。びっくりしますよ。さて、何種類あるでしょうか。ここの豆炭積載装置はベルトコンベアーで上の貯蔵庫に入れるのです。大きい。最初はやはりB20です。いつの製造なんでしょうか。サイトで調べなきゃ。小さな動輪が2つだけでかわいいですね。入れ替え用に使われていました。C11です。日南線で使用されていましたが、ここにもあるとは意外。以前は指宿枕崎線用のC12がいたはずなんですが。その代わりかな?昔は旅客用に8620形式やこの後にある9600形式などの表示だったのが、3つの動輪がC、4つがDと簡略化されました。その最初がC50です。燃料を積むテンダーを持っていますが、これはC56と同じく後ろが傾斜しています。入れ替え作業中のC50です。入れ替え用は後部に黄色でラインがつけてあり、トラマークと呼んでいました。このC55は筑豊から転属してきたSLです。一年前は筑豊で写しました。ここで再会できて感激でした。C57はまだ両数が多かったが、このC55は希少でしたから、撮影出来ることが嬉しかった。サイドビューがほんとにきれいです。もう一台。52号機はデフが変わっていて、付け足してあるような広さでした。この57号機は門司鉄道管理局特有のかっこいいデフでした。今回はこのC5557号機を写すことが多かった。また走行写真は後ほどに。宮崎から志布志を経由する志布志線でC58は活躍していました。C56はどこで走っていたのだろう?C61は今回いい写真が撮れました。よく磨いてあります。このあとこれの列車を写すことになります。番号も若いし、機関区の花形エースですね。日本全国で一番車両数の多いD51ですが、ここでは少数派です。熊本と鹿児島を結ぶ肥薩線で活躍して、多くのファンが行きましたね。ぼくは残念ながら行くことができなかった。ぐすん。最後に9600形式です。8620と同じ大正生まれの古参貨物用SLです。今回の日記に何種類のSLが出てきたか分かりますか。こんなに多くの種類が集まる機関区は全国でもめずらしいと思う。過去にさかのぼっても最多じゃあないかな。実はまだ写していないSLがあるのです。夜の部で出します。(プレッシャーになるかな)
2008.01.28
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昭和47年7月30日(1972年) 貨物輸送はD51に代わられて、D50は老朽化のためにどんどん廃車されていった。筑豊本線の代表的な撮影場所の冷水峠でのD50の写真を見たことがあったが、僕が訪ねた頃には、支線で細々と石炭車や貨物を引いていた。景色としては見るべき所はないが、それでも希少価値のSLを写したいと願っていた。上山田線を午前中に切り上げて、昼からはD50を追いかけた。しかし、ここに撮影した線路はどこなのか分からない。廃線になっていると思われるが、景色から推察できるかもしれない。この線路の様子ではきっと、廃線になっているでしょうね。背景に特徴的な建物があるがなんでしょうか?これで場所がわかれば良いのですが。前向きなのか、後ろ向きなのか、情報がないままに撮影に行っていますから、列車が来てから「おい、おい。あれまあ」ということばかりでした。後ろのボタ山はどこなのでしょうか。きっと切り崩されて、もう無いかもしれない。このフィルムは写真屋に現像を出したが、いいかげんな仕事をしている。乾燥させるときにゴミが付着しているし、スポンジで拭き取っているので傷がたくさんある。信頼して出しても、人が変わればレベルの低い仕事しかできない奴がいる。だから何枚もシャッターをきることになるのだが、その中でもここぞというネガに傷が付くのは俺の人徳のなさだろうか?芸術写真を撮っている人からは、こんな写真は実につまらん作品でしょうね。でも、SLそのものが好きになった僕には、こうしてこのSLを写せたことが、嬉しいことなんです。このD50140号機は現在京都の梅小路機関車記念館に保存されています。会いにいきたいです。涙が出るだろうな。この駅は以前は石炭の積み出しをしていたところなのでしょう。背後にあるコンクリートの建物がそれを物語っています。けれど、壊れて廃墟のような雰囲気です。 こんな調子で画像を貼り付けていたら、すぐに制限いっぱいになってしまう。でも、その時はなんとか考えましょう。アップの順番は無茶苦茶ですね。今、手元にある作品をアップしていきます。なんせ500本近い数のフィルムですから。次の日は鹿児島です。
2008.01.26
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昭和47年7月30日撮影筑豊地方には炭鉱がたくさんあり、他にも石灰岩の産地もあったので、その運搬のために支線が張り巡らされていた。関西にはないSLがあり、それを写したいと願っていた。その中にD50とD60がある。D50という貨物用のSLは若松機関区と直方機関区に1両ずつしかなかった。D60はD50の1D1型(ミカド型)を丙線用に改良したもので、従輪を2つにしたものです。そのD60が上山田線で旅客を牽引しているのを時刻表で見つけて、これを写してみたいと思っていた。現在この支線は廃止されている。始発がどこだったか忘れてしまった。当時の時刻表やダイヤグラムもどこにあるのか分からない。有名でない路線なので、撮影場所をどこにしたらいいのか、まずは実際に乗って現地視察するしかない。始発列車に乗り込んだら、D60が逆行運転で牽引した。平坦な線路で格別に撮影場所としてよさそうな所は見つからない。しかし、終点の上山田駅の1つ前の下山田駅の手前に小さなトンネルがあった。長さ約50mほどの小さなトンネルです。駅からも近いので、その出口で撮影することにした。早朝で辺りはまだ暗かった。トンネルを抜けて、この出口で撮影したら、結構迫力あるのが撮れるかなと、すぐ近くで構えた。しかし、暗い。露出計がマイナスを示して、まともな明るさでは撮影できない。そうこうしている内に、列車が来た。暗すぎてさっぱりだめだった。完全な失敗でした。このときのD60がトンネルを出てくる時の迫力あるシーンに取り憑かれた。筑豊の支線でこんな風景は他にありません。きっと、ここで撮影した人はほんの僅かじゃあないでしょうか。少し離れたところで、再度撮影開始。これです。D60を写したのはこれが始めてだったので感激でした。列車本数が多かったので、何回も楽しめます。ただし、同じ場所ばかりですが。朝もやの中から白煙を上げてブラストを響かせてくるD60。それに、誰もいない。この写真の左には、道路があり、なんの変哲もない場所です。見逃しやすい場所ですが、ぼくは気に入りました。ここには後日の撮影旅行でも2回ほど来ました。 ただ、逆光なんですね。夕方だったら、いい光線状態になると思うのですが。 右に見えるのは始発駅から8kmの地点を表していますが、廃線となった今となってはどこなのか分かりません。どなたか、この線路がどこにあったのかご存じの方は知らせて下さい。お願いします。 トンネルを反対側から見たものです。転車台のない小さな駅との往復運転なので、このように、バック運転をします。このD60はそのために石炭を積むテンダーが低くなって、運転士が見やすいようになっています。何回か撮影したらなんと、D51が来た。え~、という感じです。びっくりでした。トンネルの南側です。さて、この場所は今はどうなっているのでしょうか。この手前が駅でした。下山田駅かな、上山田駅かな?もっと丁寧に記録を付けていくべきだった。まあ、いいかあ。どうせ、思い出だけの記録になっていくのだから。
2008.01.26
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草津(滋賀県)から柘植までが草津線です。ここにもSLが走っていました。旅客のC58と貨物のD51です。ところが、上り坂らしいところが少なく、撮影場所としては評判にはなりませんでした。9月30日に播但線のC57三重連を写していますが、次の日にはここに来ました。高校3年生のくせに、土日ごとに関西線に来ていました。臨時列車のSL近江路号が走るということで、はじめての草津線なんです。奈良に始めて来た頃は草津線にも営業運転があったのですが、どうしても煙のすごい加太越えに行っていました。柘植駅の近くで写したことはあるのですが、発車シーンだけしか面白みがなかった。でも、おそらく今日が最初で最後になると思ったので、追いかけました。初めは線路沿いでのありきたりのアップです。 コスモスがきれいだったんですが、白黒では分かりませんね。ヘッドマークに日付が付いていて、わかりやすい。47年10月1日。ヒッチハイクで追いかけます。 この写真はちょっとしたエピソードがあります。この写真を撮ろうとしたら先客がいました。脱穀をしている夫婦の向こうにいたのです。たしかに、人が写っているより、誰も入らないSLだけを写したい気持ちは分かりますが、僕はこのシーンが気に入りました。そこで、先客に話しかけました。中学生みたいでした。「もっと後ろに下がって、この農作業の様子を入れたら、絵になると思うけど、どうだろう、もっと後ろで写さないかい?」一応、先に場所を確保した者が優先権があるのが、この世界のマナーですから、やんわりと誘いの言葉をかけました。しばらく悩んでいたようですが、僕の言葉に賛同したのか、年上の高校生にイチャモン付けられるのを避けたのかは、知りませんが、僕の指示どおりに動いてくれました。「しめしめ、これで良い作品が写せるぞ。」しばらくして列車は来ました。SLファンのために平地ですが、少し煙りを出してくれました。連続撮影は効果がないと思ったので、この一枚に賭けました。結果はまあ、自己満足ですが、良かったかなあと思う出来でした。さて、これから2ヶ月後のことです。ある鉄道雑誌の投稿写真のコンクールがありまして、なんと、僕の横で写した彼の作品が佳作として、写真が掲載されていました。構図は少しゆがんでいるし、ブレ、ピン甘で失敗ですが、作品のねらいがいいということで、賞に選ばれたということです。おいおい、これは俺が薦めた構図じゃないか。でも出品していない俺には受賞の権利はもちろんありません。あ~あ、出していたらなあ。絶対に俺の方がばっちり決まっているので、もうちょい上の賞にはなったんと違うかなあ。残念!!!草津線にはもっと行きたいところがあった。それは途中の貴生川(きぶかわ)から盲腸線が出ています。信楽線です。今のぼくのイメージキャラクターのたぬきさんの里です。ここは最後の信楽駅までが急勾配ですごい煙なのです。ここに行きたかった。残念ながら、他の場所の魅力と足がなかったせいで、断念した。その後、この場所で信楽線の衝突事故が起こり、その補償負担で第3セクターのこの会社の経営は苦しいものとなっている。もともとJRだったのだから、JRが変わってやればいいのにと思っているが、別会社になっているのでしかたないか。もう少し写真を載せて、本日はおしまいにしましょう。近江路号の後ろ姿です。今も田んぼは残っているのでしょうか?柘植駅を発車したところ。これは失敗した。走って先回りをしようとしたのだが、SLに負けた。走りには自信があったのだが・・・(勝てるわけないよね)腕木式信号機が懐かしい。まだ、一部にこの信号機があった。進行許可の青信号は腕が斜めに下ります。止まれの赤は水平に直角です。ワイヤーで駅から操作するのです。そんな風景も写しておけばよかったなあ。残念。草津線は臨時列車だけなので、関西線の列車の撮影に行きました。と言っても柘植駅周辺での撮影になってしまいます。駅構内で遊んでみました。この流し取りの腕をみて下さい。駅構内に入ってくるところです。関西本線は単線ですから、手前にレールがあるのは、駅構内だけです。 このD51499はデフの形が際だって変形しています。どこの工場で改造されたのでしょうか。偶然ですが、この日はもう一度この機関車を写している。それも流し取りで。単機回送は時々みることがあったが、重連での回送はめずらしい。流し取りはカメラを横に動かしながら、スローシャッターで撮影します。だから、水平な場所が望ましいが、この場所では斜めになっている。カメラを斜めに動かして撮影したことを思い出した。デジカメと違って、現像してみないと分かりませんから、楽しみと不安が同居しています。煙がないと寂しいですか?じゃあ、煙さんです。どうぞ。これが有名な 加太峠越え です。貨物が長すぎて写っていませんが。もちろん後補機付です。
2008.01.24
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SLブームがついにC622号機を姫路によんでくれた。北海道で急行「ニセコ」を牽引していたC62が姫路まで来ることになった。その昔東海道線で特急「つばめ」を引いていた栄光のSLを近くで見ることができました。平坦な区間であり煙は期待できません。北海道の山間部を重連で迫力いっぱいの疾走を見せてくれたSLとは違う雰囲気です。このC62の重連はその後、北海道で復活するのですが、もう写す気力が無くなっていたので行かなかった。今から思えばもったいないことでした。これは高校時代に写したものですが、イベント列車に対する気持ちがいまいち乗り切れなくて、喜べない状態でした。でも始めて見るこの大きさには圧倒されました。まあ、見て下さい。終点の姫路に到着する直前の市川鉄橋です。余力で走行しているので、まあつまらん。それに電車のダイヤに遅れを出さないように、スピードを出しているので、撮影が難しい。よくもぶれずに撮れたと感心です。ほんの数ヶ月前までここには多くのC11やらC57がたむろしていました。給水装置で水を補給しています。次は豆炭です。SLは石炭で走ると思っている人が多いですが、実際は違います。石炭でも走っていた頃も当然ありますが、後半は豆炭がほとんどでした。煙が少ないし、効率もいい。そして、燃えかすのガラが少ない。なにより軽い。北海道では石炭を積んでいましたね。そんなところも観察していたんですよ。豆炭を積んでいるテンダーからの投炭は機関助士の役目ですが、すごい重労働です。石炭の場合はガラ落としも大変です。この姫路第一機関区には毎日のように通っていたので、職員の方とも顔なじみで、時には、休んでいるSLにスコップで豆炭を投げ入れてみたりしていました。楽しい遊び場でしたね。今は取り壊されてなくなった、扇形車庫と転車台です。大勢のマニアが来ていました。国鉄の粋なはからいで、撮影がしやすいところに、しばしの休憩場所が設定されました。この時はSLを写すというより人混みを写す感じでした。これがボックス型動輪です。直径が175cmあります。日本の狭軌のレール幅ではこれ以上の直径は危険ということで、C57、C59、C61、C62は同じ大きさの動輪です。なお、Cは動輪が3つです。旅客用でスピードを要求されるので、直径が大きい。それに比べて、貨物用は動輪が4つなのでD50、D51、D60、D61、D62は直径が140cmの動輪です。動輪の前にちいさな先輪というものがあります。これが2つあるものと、1つのものがあります。動輪の後ろには従輪という小さな車輪があります。このC62は従輪が2つです。とにかくでかい、重いので、重量を分散するために、従輪が2つなのです。先輪2つと動輪3つ、従輪2つの型を2C2型、ハドソン型といいます。C55、C57、は2C1型でパシフィック型といいます。C62みたいな重いSLは甲線(重量のある機関車に耐えられる規格の線路)用として運用されていました。東海道線や山陽本線、東北本線がそうです。パシフィック型は乙線区間でも使用されています。つい、昔に仕入れたウンチクをたれてしまいました。マニアでない人には退屈な話しでしたね。最後にC622号機の決めのポーズを1枚どうぞ。在りし日の姫路第一機関区にて( 1972、10、22 )もう35年も昔の思い出です。
2008.01.22
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センター試験が終わった。そして、今日自分の得点を集計して判定を待つことになる。このセンター試験の点数で行ける大学がほぼ決まる。東大、京大など二次試験が勝負のところはセンターは取れて当たり前のレベル。7〇〇点はかるく突破しているでしょう。地方の国立となるとそんなにハイレベルではなくても、そこそこの点数であれば可能性はありますね。しかし、しかし、しかし・・・・・・・・どうしようもない点数でした。なぜ?なぜ?原因は分かっているのです。子供への非難ができない親ですからそれが辛い。僕と同じように勉強を後回しに考えていた。結果は悲惨。僕の場合はこうなることを考えて、行動していた。当時の残っていたSL路線は九州と信州と北海道だった。SLが無くなるのが早いのが信州だった。そして九州。最後は北海道だった。その通りに撮影も行った。後悔というのは、どの場面でも起こりうる。「こうしておけば、どんな結果になったのだろう。」「あ~しておけば、よかったかな。」悔やむことはいっぱいあるが、自分で選んだ人生なのだから、それで納得しましょう。大学一年のときに、春四月、クラスの最初のクラス会みたいなものがあった。そのときに印象に残る男がいた。「おれは、こんな田舎の大学にいる人間じゃない。もう一度東大に挑戦する。」と言って、大学をやめたやつがいた。えらいなあ、と思った。もう自分にはそんな気力と知力がない。もちろん金もない。SLを写す計画と自分の生活をなんとか軌道にのせないといけない。たしかに、五月の頃になると、この大学で良かったのか?と自問自答していた。はい上がる金と時間と気力がないことが認識されて、流れに身をまかせる運命を選んだ。だから、仕方がないというのが結論。みんながすべてに満足する人生なんてないよ。どこかに不満はあるものです。さて、娘よ、どうする。親父の意見を聞かなかった反動がここに来ている。この難局をどう切り抜けるのじゃ。???見ものではあるが・・・やはり心配。
2008.01.21
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大学に入ってからのネガの整理がきちんとできていない。記録もしていない。ええ加減やねえ。ネガの連続性から当時の行動パターンが見えてくる。今回の写真は小海線の後に関西本線、そして後の方にまた小海線の写真となっている。そして、意外なことに関西線での撮影場所が少ないだけでなく、場所の特定ができない。こんなこと信じられない。せめてこの場所はここだ、ぐらいは分かってもよさそうなんだが、分からん。もう一度現地を訪ねる思い出ツアーをするしかない。関駅と加太駅間の川沿いで決めました。 これは亀山駅と関駅の間です。まだ市街地の雰囲気です。次の写真が分からない。C5866号機の旅客か荷物列車です。当時の関西本線にはC58の運用はなかったと思うのだが、現実にこの写真に写っている。C58は草津線で走っていたが、それはずっと以前に終了しているし、謎です。写真としては良い具合に写すことができました。これは昼間の時間ですよね。どう見ても。ところが次のコマになるともう夕方の亀山駅構内なんです。臨時列車の発車を写して、自分は帰路についている。そして後半には小海線の写真です。のんびりと時間つぶしでもしたのかなあ。記憶がないのです。まあ、これだけ何度も足を運んでいたら、そのうちの何回かは忘れるでしょう。あんまり面白くないですけど、こんな写真があってもいいかなということでアップしますね。 客車や貨物の車両に連結するときは、構内の誘導係がSLの前後で緑と赤の旗を振りながら指示します。このD51はピースマークがデフに飾られています。なんで付けられているのだろう?分からん。後ろはブルーの臨時列車です。左側は僕が乗っている名古屋行きの車両です。これを撮影して帰りました。亀山駅構内の様子がわかりますね。SLの前方に見えているのは、石炭をテンダーに移すサイロみたいなものです。なんて言うのだろう。これを写して亀山を離れました。関西本線といえば加太峠越えが有名なのですが、そこだけでなく、出発地から終点までの全てにドラマがあるし、そこに関わっている大勢の人がいる。そんな風景も写してみたいと思っていた。つい煙の多い場所を選んで行ってしまいがちなんですけどね。
2008.01.20
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センターテストの1日目が終わった。出来はどうだったんだろうか。心配ですね。かといって、やきもきしてもどうにもならん。本人の運次第。万事を尽くして天命を待つ。この心境ですね。さて、小海線のネガがまた出てきました。不思議なことに、小海線のネガに続いて関西線のネガがあるのです。ということは、日曜日ごとに小海線に行ったり、関西線に行ったりしていたと言うことですか。ちょっと理解できないコマもありますが、とりあえず載せてしまいます。まずは小海線から。 見上げている子供はどんな気持ちで眺めているのでしょうか。いい思い出になったかな。逆転機の部分です。前進や後進、速度に合わせて変化させます。自動車や自転車でいえばギヤーに相当します。低速では動く範囲が大きく、高速になれば動く範囲を小さくしてシリンダーの同じ1往復でも車輪(動輪)の回転を早く伝えるようになっています。ここがクランクです。シリンダーの往復運動を回転運動に変えます。 シリンダー部分です。動輪はスポーク型です。きれいですね。このスポーク型はC11、C53、C54、C55、C56など古い設計のSLに使用されました。強度が不足するのでC57からはボックス型に変更されました。ボックス型については、いつか載せます。動輪の直径はたしか155cmだったと思う?C57は175cm、D51は153cmだったかな。不確かなら書くなよ、ねえ~。きれいに磨き上げられていますね。この「込」は中込機関区の所属です。何も載せない状態で5トンの重量があり、水、石炭を載せたときの重量が6.5トンということです。左端の紙が差し込んであります。9000番台は臨時列車を表しています。行きと帰りで列車番号が違います。上りが偶数、下りが奇数です。日立製作所製、ほかに三菱や汽車製造会社という会社もありました。同じ型のSLでも製造会社がいろいろありました。このC56は1番から90番ぐらいまでが欠番です。詳しい数字は忘れた。ええ加減でごめんなさい。これは戦争で東南アジアに輸出されたからなんです。クワイ河マーチで有名な泰面鉄道でも走った車両です。ローカルな線路で転車台がないところでバック運転をすることを考えて、水や石炭を積むテンダーの両サイドが傾斜をつけて運転手が見やすいようになっています。もう一度後ろ姿をどうぞ。C56の後ろ姿が独特でしょう。テンダーがこんな形はこれだけなんです。今日は迫力のある写真がなかったので、ちと寂しい。サービスです。また九州編で載せますね。ではどうぞ。 もう一つ。おまけ。日豊本線、楠ヶ丘信号所です。青井岳と山ノ口駅の間にあります。切符もありません。用のある人だけが下りることができるところです。本日はこれにて終了。
2008.01.19
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三重県の亀山から柘植(つげ)までは加太峠越えの難所をかかえて、D51たちが大勢活躍していた。高校時代は大阪から奈良を経て、笠置、月ヶ瀬、伊賀上野、柘植、そして加太までを勢力範囲として撮影していました。前日のブログに小海線の写真を載せましたが、最後の渓流の写真のすぐ後に関西線のネガがある。暇さえあればカメラを持って出かけていたわけですね。信州からの遠征ですから、名古屋から関西線を南下して撮影しています。けれど、どうやって行ったのか記憶がない。まあ、夜行で名古屋まで行き、それから亀山で下りたことは確実なんですが・・・初めは、亀山の次の関駅と加太駅の間の鉄橋で写しました。これです。数年前にイベント列車を牽引した940号機です。白線の化粧ペイントが目立ちますね。次は加太駅に近いトンネルの手前で写しました。 面白くはないですが、自分としてはまあ、こんなのもあっていいかなと・・・続いて連続アニメを作ろうと思いましたが、ファイルサイズが大きすぎてダメでした。普通の連続写真にします。ピントを少しずつ合わせながら連続でシャッターを押します。ちょっと高度な技です。これを習得するのに多くの金と時間とフィルムを使いました。そして、振り向きざまにもう1枚です。どうだ、えい!やったあ~!この写真を見てはじめて気が付きました。後ろで三脚を立てて、写している人がいますね。知りませんでした。次は、同じ場所で流し取りに挑戦です。さっきは上り坂なので、煙が上がり、迫力のある写真が撮れましたが、反対から来るのは、下り坂を一気に下りてきます。こんなときは、回りの景色を入れるか、ズーミングで遊ぶかですね。真横からではなかったので、少しぶれています。背景がぶれているように見えるのは、スローシャッターで写しているからです。被写体に合わせてカメラを動かします。また他に流し取りの傑作が、ありますから、ここはこの程度でご勘弁を。この列車の先頭はDD51というディーゼル機関車でした。このころは、どんどんDL化が進んできていました。貨物というより、前に郵便列車と後ろに貨物という混合列車でした。上り坂を後ろから補助するので後補機とよんでいます。もう少し西へ進んで、加太駅で写しました。 アップの写真にあきるとこのように、松の木や川、鉄橋などを入れて変化をつけて撮影します。アップは迫力あるけど、こればかりではねえ。やはり変化が必要です。この鉄橋をもう少し進むと有名な加太越えの大築堤があります。そこまで歩きます。重いのですよ~。カメラバックと三脚を両肩に担いでひたすら歩く。もちろんヒッチハイクは狙っていますけどね。そんなにいつも捕まるものでは有りませんから、あとは自分の足が頼りです。撮影場所に着くと、すぐに下り坂をおりていく列車が来ました。カメラを構えて、SLの先頭がこのあたりに来たら押す。押した瞬間にあれ???なんと単機回送でした。峠越えのために補機が必要なんですが、そんなにうまく運用ができることがなく、このように臨時にSLの補機が移動します。 番号を見て、あれ!!これは、関駅の近くで写しました。どうも同じSLばかりに縁があるようです。 くやしかったですねえ。D51の前と後補機の貨物列車の予定がDD51が先頭で来た。せめて逆だったらなあ。たしかに煙がでないDD51が前のほうが合理的ではありますが。えい、こんちくしょうめ。後ろをアップでカシャッ!。次の列車は反対からきます。煙を期待するにはこの峠の反対に行かなくてはいけません。そちらで期待しましょう。この写真は大きく引き伸ばしたことがあるのですが、年月のために、画質が悪くなっています。ネガは長持ちするとは聞いていたが、やはり年数が経つと、それなりに劣化するのですね。おまけにこのフィルムは自分で現像しているのですが、結構気泡が付着していたりして、納得のいかない作品が多かった。それに、見てよ、これ・・・・D51254号機ですよ。もう、さっき写したじゃない。なんとなくツキがなかった関西線でした。他にも良い作品があるので、ネガが見つかったらアップしますね。今日は早く終わるつもりだったのですが、時間がかかりました。今から近くの天神さんにお参りにいきます。なんせ明日は娘のセンター試験です。良い点取ってくれ~~。頼みます、苦しいときだけの神頼み。では、出発。 ボォー。
2008.01.18
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小海線には7月から9月にかけて撮影に行っていた。「高原のポニー」とかわいい愛称を付けられて人気であった。もう少し写真が残っているので、アップします。いろんな異なる撮影日ですが、まあ雰囲気は分かってもらえるのではないかと思います。これは小諸から帰りの列車だと思うが・・・??小海駅では停車時間が長いので、みなさん記念撮影やらで賑やかです。服装から察すると9月頃ではないかと思われます。線路沿いの撮影風景です。このころはすでに何回か来ていたので、ゆとりがありました。SLだけを写すより、SLブームの中でみんなが撮影していることに喜びと楽しさを感じていた。昭和50年までに無煙化を終了するという計画のために、次々と煙がなくなっていった。 次の写真は1枚きりのチャンスを狙って苦労した作品です。自分の作品の中でも思い入れのある1コマなのです。 小海線の写真は人気もあったし、東京からも気軽に写しに来ることができる範囲なので多くの人が有名なポイントで撮影している。そうなると、違うところに撮影ポイントがないかと探していくのがマニアなんですね。ここにはもう一人が同行しています。知り合いなんです。互いに一人でここに来て、偶然にも野辺山駅の構内で出会った。「え~!、ほんとに~。わざわざ兵庫からここまでですか?」「そりゃそうだよ。君も?」「いやあ、僕は大学が地元ですから、時々来ていますよ。」「そうか、近くて良いなあ。」「そりゃ、SLを写すために、大学を選びましたからね。」(こんな理由で選んだ奴は他にはいないでしょうね)このおじさんは僕が高校時代から付き合いのある、駅デパートのパネル屋さんです。当時はSLやポスターを木製パネルに貼って部屋を飾る趣味が少し広まっていました。写真をパネル張りする技術はプロの写真屋さんから教えてもらっていましたが、ポスターなどの紙を貼る技術はこのおじさんから学びました。共通の趣味でいろんな話しをしましたね。そのおじさんが遠く離れた信州でばったりと、出会ったものですから、ほんとに偶然というのはあるものなんですねえ。「人が写していないところを捜そうや。」「賛成、どこかあてがあるのですか?」「ちょっと、聞いたんやけどな、ええ場所があるらしいわ。」「ほな、そこ行きましょか。」「ただし、めっちゃ遠いらしいで。ええか。」「そんなん、慣れてるわ。みんなが持っている写真より違うのんがええな。」という訳で、線路沿いをてくてくと歩きます。ここの一駅間は長い。相当歩いてやっと着いた。そこがこの渓流の場所です。「チャンスは一枚だけやな。」列車が来るまで2時間ぐらいあったかな。この時間つぶしが大変です。ただひたすらに待つ。回りには何も楽しいことはない。幸いにも話し相手がいたので時間つぶしには困らなかった。このおじさんとは1年ぶりぐらいに会ったことになる。いろんな話しが出来ました。こちらの大学に来てからの撮影状況やら、生活の話しなど、昔からこの人とお店で長話しをしていたので、ほんとに懐かしかった。さて、撮影の話しに戻ります。こういう場所は難しいのです。よほどの勾配があれば汽車はボッボッボッとブラストを響かせてやってきますが、そうでないときは、いつ来るか分からない。SLのことですから時間は正確ではありません。そして、渓流ですから流れる水の音でブラストが聞こえにくい。写真を見たら分かるように、シャッターチャンスはほんとに一瞬です。それに鉄橋の場合、SLの先頭が橋脚の上だとバランスが悪くなるので、少し通り過ぎたあたりでシャッターを押します。つまり、普段は連続シャッターを押す僕ですが、ここは1枚に集中します。こんなに長く待って、写し損なったら、もうほんとにがっくりです。さらに、うまく写しても、現像でフィルムを傷つけられたり、明暗や階調がきれいに出ていないこともあります。だから、きれいに撮れた写真の影には膨大な数のボツ写真があるのです。平均すると1本のフィルムに1コマあれば良い方ですね。その、瞬間を狙った写真です。どうぞ。
2008.01.17
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小海線は信越線の小諸駅から中央線の小淵沢までを行く山岳路線です。その途中の野辺山高原には国鉄の線路で標高最高地点の場所があります。一応、記念に写してみました。となりは引き立て役のモデルです。この日は暑かった。珍しく帽子をかぶっています。別にかっこ付けているわけではありません。SL撮影では炎天下での我慢比べですから、それなりに用意している方がいいのです。 大学1年(昭和48年)の5月で中央西線の中津川から塩尻までの区間が無煙化されました。そこで、近くの撮影場所と言えば有名な小海線です。松本からは近いので、朝一番の列車でいけば十分に間に合います。小淵沢から分岐するが、圧巻は出発して直ぐの山登りの大ループです。ここでは36枚撮りのフィルムを1本使ってしまいました。なんせ非力なC56ですからゆっくりしたスピードです。連続アニメにしてもいいのですが、代わり映えのしない画像ですから1枚だけにします。客車2両が精一杯です。この写真をよく見て下さいね。客車の後ろに車掌用の小さな車両が付いています。この日はこの最後尾の車掌車に乗ることになってしまったんです。 大築堤で撮影が終わると皆さん車で追いかけます。なんせ、ゆっくりしていますから、車で飛ばせば、いくつも写せます。そこで、車を持っていそうな人と一緒に歩いて仲良くなります。で、次の有名な場所に行きます。頭と口は生きている内に使わなきゃ。 バックに八ヶ岳が写り、標高最高地点のすぐ近くです。たくさんの人がカメラを構えています。僕もここで一枚。じゃない、何枚だ~。なんまいだ~。14枚も写してしまいました。この時間帯は逆光できれいには撮れません。 ここから小諸までは下り坂です。大して煙も出さないので、ここは観光と洒落込みます。清里高原のペンション群でお茶と食事です。しかし、貧乏な僕には観光地特有の高額で腹にならない食事は金の損失とばかりに食えません。でも、むっちゃ暑かったので、ソフトクリームは食べました。好物ですからね。 さて、いよいよ帰ってくる列車のクライマックスシーンを撮影します。場所は忘れた。どこなんだろう。記録してなかった。当時は全部頭の中に、日時や撮影データがインプットされていた。でもさすがに、35年も前のことはだめです。線路沿いにたくさんの人がカメラを構えています。基本的なルールとして、先に来た人が優先権があり、後から画面の構図に邪魔が入ると、「おーい、じゃまだぞ~。」となるわけです。僕もお互い様ですから、邪魔にならないように、線路沿いに三脚を構えました。たった客車2両とはいえ、非力ですし、ほぼ満員が乗っています。そして、機関車にとって一番辛いのが勾配です。ここはけっこうきつい坂になっています。遠くからブラストが聞こえますが、なかなかやってきません。音から次第に近づいてきているのが分かります。もう興奮状態です。でも冷静になって、シャッター、ピント、構図の確認です。「来た~。」 (カシャ、カシャ、カシャ・・・・・・・) 連続10枚をきりました。「やったー、思うように撮れたぞ。」と、思ったのもつかの間に、予期せぬことが起こった。勾配のきつさと乗客の多さにC5694号機は空転を起こしてしまった。機関車の動輪が線路と摩擦がなくなるというか、荷物重量に摩擦抵抗が負けてしまった。動かなくなってしまった。止まった。そうなんです、止まったのです。僕の場所を少し過ぎたあたりで列車はとまったのです。走って前に行けば、また撮影できるかなとも思いましたが、先ほどの撮影で思うように撮影できたので、それならと他のことを考えた、瞬時に行動をした。「チャンスだ。行け。」カメラバック、三脚を片づけると、肩に担いで走る。最後尾に車掌用の車両がついている。車掌は列車の再出発に向けて機関士と連絡のためにいない。「よし、乗るぞ。」と思ったら、動き出した。「やばい。間に合うか?」やっとのことで乗降ステップのところに足がかかって、乗ることができた。ちょっと怖かった。結構揺れる、揺れる。ガタン、ガタンとクッションは最悪。これでスピードが出たら振り落とされるかも。ちょっと心配です。でもまあ、こんなところに乗り込んでの汽車の旅はめったにあるもんじゃないから、必死にしがみついていました。撮影している人たちに手を振ったりして。スピードをあげていく列車。しがみついている僕。ステップのところはりっぱな腰掛けみたいですから、落ちる心配はなくなりました。ブレーキや発車の時の衝撃で体が振り回されるのが、危ないので気をつけた。しばらくすると、車掌が後ろを見にきた。あの驚きの顔。「ちょっと、あなた、どうしてそこに乗っているの。」「さっき、飛び乗ったんだけど。」「下りて下さい。すぐに。」「ちょっと待てよ。今?無理だよ、死ぬぞ。怪我するぞ。」「仕方ない。次の停車駅で降りて下さいね。」「ハーイ。」「そこは危ないから、中に入って。」もっと乗っていたかったが、下り坂になると、これはもう無理ですね。危ない。初めて車掌用の車両に乗った。助かってほっとした。ちょうどいいところで下りることが出来た。ここでは、少し長めの停車時間だった。その駅の発車シーンが撮れて、一カ所もうけた気分。なんて野郎でしょうか。ぼくが車掌なら蹴飛ばしてやるのに。悪い奴です僕は。ごめんなさい。SLを写して命がなくなれば本望だろうと高校時代にさんざん言われていた。他にも危険な目にあったのはいくつかあるのだが、それはまた後日に。では最後にその駅での発車シーンを載せて本日はおしまい。
2008.01.15
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写真をアップしたら時間がかかり、寝るのが遅くなってしまう。だから止めとこうと思っているのに、つい写真をスキャナーで読み込んでしまう。ここまで作業したら、一枚ぐらいは貼っていかないと気が済まない。連続写真などあるのですが、今夜は一枚だけです。どうぞ。これは連続写真の一コマです。撮影記事が面白いのですが、明日載せます。もう寝ます。おやすみなさい。
2008.01.14
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ちょっと間が空きました。なんせネガをスキャンして大きさを修正してアップするのに結構な時間がかかります。PCの前に座って3時間はかかりますね。というわけで疲れからしばらくアップするのを休んでいました。昨日は学生時代の大学祭の写真をアルバムに取り込んでいたので、SLは休憩です。今日は山口線の残りというか、津和野での休憩風景をアップします。まずは休息中のC571号機です。今となっては懐かしいターンテーブル(転車台)です。遠くてよく分かりませんね。 雑にシャッターを押したのかなあ、ピントがあまいです。それにブレてます。空の部分が黄色く変色していますが、これを修正するにはどうしたらいいのでしょう。知っている人がいましたら教えて下さい。お願いします。これは津和野を出発してすぐの上り坂を行くC571号機。ブレているし、ピン甘ですね。今の山口号はレトロな客車ですが、昔はブルーの全席指定車でした。 後でいい構図の場所を見つけたのですが、このときはDD51をとりあえず写しました。次はここで写すぞと思って次回に期待しました。でも、写したのかなあ?白黒ネガがあると思うのですが・・・。 3人とも若いなあ。津和野散策の記念撮影でした。
2008.01.13
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朝に弱い今の俺。原因は夜更かしですが、高校時代は睡眠時間は少なくても、早く起きて自転車で走り回っていた。元気だったなあ。その代わりに授業中によく寝ていた。いびきをかいて寝ていたこともある。優しい先生が顔色を変えて怒ったこともあった。今思えばなんて失礼な奴だと思うのですが、当時は夜行性で、なおかつ早朝から活動していたので、寝るのは授業中というのは当然の事になってしまう。先生方、ごめんなさい。最前列でグーグーと寝たことを謝ります。 この写真は香呂駅周辺で写したものです。修学旅行の残りのフィルムがあったので、それを使ったのです。引き伸ばしたフィルムは色が変わってしまいますね。すぐには分かりませんが、こうして30年も経つと色バランスがおかしくなっています。まあ、こんなものだと思えばいいのかな。今だからこんなに気楽に思いますが、もし当時にこんな変色や傷を付けられたことが分かれば怒ったでしょうね。他のネガにはいくつか傷がついているのです。掲載していませんが、腹が立ちますね。ほこりが取れないものもありますし、フィルムの保管には最善の注意が必要です。今のデジカメの便利さ、すばらしさを改めて認識します。 次は僕が大好きだったC5711号機です。この時の旅客列車を牽引していました。ほぼ同じ場所で撮影しています。次々とSL列車が来るのですよ。今だったら、たった1本の列車を撮影するために、遠くまで足を運びますが、このころはそれが日常だったんです。 列車には同級生が乗っているときもあり、俺を見つけて窓から手を振る奴もいた。そして、学校で「今日はあそこにいただろう?」と聞いてきます。「ああ、あれはおまえか。あはは、よく分かったな。」「朝早うから、おまえも好きやなあ。」C11が客車とはいえ、10両もの編成を牽引するのは全国でも珍しかった。大抵はローカル線でせいぜい4~5両を引くのが普通でした。通勤、通学で大勢が乗っていましたから、それくらいの編成になったのでしょう。 僕の写すSLは芸術作品ではなく、あくまでSLが好きだったので、いろんな番号のSLを写したかった。だから、なんの変哲もない景色の中でもSLがファインダーの中にあれば嬉しかった。今だったら作品の構図なんかに凝っていたと思うが、当時はとにかくSLが写ればよかった。まさしく自己満足の世界ですね。
2008.01.09
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播但線の一駅目は京口駅です。1年前つまり僕が高校1年の時は駅員がいて、 踏切には人手でハンドルを回して開閉を行っていた。 国鉄の合理化という人員削減で職員が減り、機械に取って代わられた。 そして、ついに無人駅となってしまった。 まあ、乗客のほとんどが定期券だったし、改札口は南の方にあったが、北へ向かう客はホームをそのまま北上して線路から道路へ出ていた。つまり改札は通らなくてもよかった。のんびりとのどかな時代だった。 アップで引きつけてシャッターをきる。 この駅の発車シーンはたくさんある。何度も同じ列車を写しに行くので母が言った。 「同じ場所で同じSLばっかり写して何が面白い?一緒やろ。」 「それが違うんだなあ。天気、SLの番号、C57かC11か、風によって煙の向きが違う。」 「同じ時刻でも季節によって背景が変わる。何度写しても同じ写真は二度とない。」 いろんな屁理屈をこねて、趣味の世界を堪能しています。 この京口駅の東側は戦争中は川西飛行機製作所があったとかで、 爆撃を受けてコンクリートの塊がごろごろしていた。 大きな穴が空いていたり、吹き飛んだコンクリが整地されずに放置されていた。 戦後はまだ終わっていないかのような場所だった。 広い原っぱはたこ揚げにはもってこいの場所でした。 今はマンションが建ち並び昔の面影はありません。 写真に写っているホームの端を乗客は歩いて線路づたいに歩いて脇の道路に出ていた。 違反なんですけどね。歩く距離がだいぶ違いますからね。仕方ないでしょう。 カラーなのでケチって一枚しか写してない。もう少し、右の方に進んだところであれば、 世界遺産の建物が写るのですが・・・。 手前の原っぱは戦後がそのまま残っていた。戦争が終わって27年も経っていたのにね。 そしてこの写真を写してから37年を迎えようとしている。
2008.01.08
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いつもは家のすぐ近くで撮影したりするが、朝の通勤列車が上り、下りともにほとんどがSLでした。上り列車は通勤用として何本もあります。寺前発姫路行きは約15分に1本ぐらいで運行されていました。反対の下りもあるのですが、少なくて朝の7時14分発しかない。あとは8時30分のC57客車までありません。でも、この7時14分発の列車が珍しいのです。なんと、前後にC11のタンク型SLが牽引します。そして、途中の甘地駅で半分に切り離して、後ろの編成がすぐに折り返して姫路行きとなるのです。途中の野里駅と仁豊野駅では下り列車とのすれ違いで、駅に3本の煙が上ります。今回はその後補機列車を追いかけて香呂駅まで足を伸ばして写した作品です。まずは上り列車を1本写します。朝日が列車の窓ガラスに反射していい雰囲気です。下の池にも列車が写っています。もう少し早かった方が良かったかな。この列車が香呂駅に着くと目当ての下り列車がやってきます。2両の出発の汽笛がなりひびくと、ブラストが聞こえてきます。この池のあたりまで登り勾配になっているし、駅を出発してすぐの場所ですから煙の状態もいいのです。全国に多くのSLファンがいますが、播但線のC11に関しては作品に自信があります。と、いってもこの程度ですが。11両編成ですから、前と後ろを分かるように写すのが難しい。播但線 香呂-福崎三脚を立てたら構図がしっかりするのですが、手持ち撮影なのでどうしてもずれてしまいます。それに興奮していますから、だんだんとアングルが上がっています。もっと下げて、池に写っている列車を入れてやれば最高だったのに。最後の決め写真です。 当時は白黒ばっかりだったので、たまにはカラーで残そうと奮発しました。金がないのでここぞというものしか写していません。これを写して学校へ行っていました。この時刻が7時50分。ここから自転車でとばします。体力あったなあ。感心しますよ。渋滞している国道をすいすいと自動車を追い抜いて約30分。かろうじて1時間目に間に合います。こんな毎日でした。成績が下がるはずですね。 夜は機関区へ出かけて、撮影したり次の日の機関車の運用状況を確認します。夜の11時に姫路に着くC57の客車をみれば、1週間の予定が分かるのです。机に座ればネガの整理と撮影旅行の計画など、時間が30時間ぐらい欲しかった。高校生の諸君にアドバイス。勉強と部活は両立する。しかし、趣味が加わるとだめ。3つはできない。どれかがおろそかになる。僕の場合は特別の事情があった。この年に播但線が無煙化されるのが決定していた。親に言った言葉が、ひどい。「勉強は来年でもできるがSLは今しか写せない。」なんという親不幸者なんでしょうか。あきれますね。この写真は池の反対側からです。後ろのSLの煙を入れるために、どうしてもこの位置でシャッターを押します。ここでは白黒でいい作品がありますから、またの機会にアップしますね。
2008.01.07
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自分の性格は感情の起伏が激しい。外向的性格と言われます。この外向的性格は子供の頃は、明朗活発で積極的な行動力を表して、いい意味で評価がいいのですが、大人になってこの性格はだめな性格だということが分かってきた。外向的というのは、周りが楽しければそれに合わせて自分も楽しくなる。逆に周りが落ち込んだり、非難されたりすると、おろおろと自己嫌悪に陥り、行動パターンが外的要因に左右されることから名付けられている。逆に内向的性格は価値判断の基準が自分にあり、まわりに左右されない。落ち着いて行動し、判断も的確であったりする。躁鬱病はいつも物静かな人がかかるのではない。どちらかといえば、普段が明るい人が、何かの原因で解決できなくなり、落ち込んだりすることによって、感情が高ぶったり、落ち込んだりと不安定になってくる。子供のころは感情のままに行動することが多いのだが、大人になるにつれて、むやみに感情や行動を表すのではなく、自分の行動、思考の結果について正しく判断できるようになってくる。まだ、子供ですね。自分の性格をある程度分かっているつもりでも、その事例が発生すると同じように感情的になっている。このブログはまだまだ発展途上です。たぬきぶたも同じです。ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします。
2008.01.06
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自分でも驚いています。普段は60人ぐらいの訪問者だったのが、写真を掲載するようになって100人を超えるようになりました。ほんとに嬉しいです。自分にとっては数年前の出来事のような気がしますが、もう30年も昔のことなんですね。この日は雨でした。1枚目は連続写真の内の一コマです。 途中の停車駅名は忘れてしまいましたが、どこだったのかな?数年前まで場所やデータを記憶していたのですが、さすがにもうだめですね。長く止まっていたので追いつくのにゆとりがありました。やはり停車駅からの発車シーンは迫力がありますね。すぐ横を轟音をたててトンネルへ入っていきました。もう一枚オマケです。意外と良い感じの写真になりました。トンネルに入る前には汽笛を鳴らします。ちょうど僕がいるあたりを通過するときに鳴りました。遠くで聞くと、「いいなあ~」と思うのですが、すぐ近くで鳴らされると、耳がギャオ~となります。排煙と排気ブラストの音、動輪とクランクの音があたりに響きわたり生きている鉄の塊が駆け抜けていく。
2008.01.05
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その頃は毎週のように山口に出かけていた。まだ中国道が全線開通していなかったころです。三次インターから南下して国道2号線へと進んでいきました。金がかかるが男はバカですから、自分の趣味には盲目的に金を使います。結婚したら、そんなことはできませんが、当時は独身だったからこの趣味だけには金を使いましたね。普段は極貧の生活でしたよ。では、写真の公開です。どうぞ。大型カメラで正面からを写して、これはオマケの1枚。 車で追いかけて、線路に構えます。列車は北上しているのでどうしても逆光になってしまいます。 これは、津和野発の小郡に帰るときですね。津和野を出発すると土手を走りながらスピードをあげていきます。そしてトンネルへ。山の中腹から手前に向かって来るSLを追いかけて、撮影できます。もっと前の分もあるのですが、省略します。これを写したら脱力感でいっぱいです。でも元気出して帰らなくては。次の日は月曜日、仕事ですからね。帰り道は遠かった。来たときよりも遠かった。(そんな歌があったなあ)
2008.01.04
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いよいよ、接近してきました。すごい迫力ですよ。最後のシャッターチャンスはサイドからの撮影になるので、スピードも早くなるし、ピント合わせも無我夢中です。最後から2枚目が一応、ねらいの写真です。最後はおまけですね。やはり、ピントが甘い。それにブレも少しあるような・・・ 連続写真はアニメもいいけど、やはり決めの写真を落ち着いてみたいものですね。では、決めの写真です。 この写真は百恵ちゃんSLと同じく、大きく引き伸ばしてパネルにしていました。山口線の写真は皆さん方が撮影されているので、ありふれた作品でありますが、自分としては、構図、ピント、煙の状態などSLの写真の要素はうまく出来た作品ではないかと思っています。この写真はどうぞ自由にお持ち帰りください。(いらない人のほうが多いだろうなあ)著作権は撮影者のたぬきぶたにあります。
2008.01.03
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前の連続シーンの続きです。せまって来ています。この時の心臓はすごいことになっています。今の高血圧状態だったらやばいかもね。
2008.01.03
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昭和54年の8月に山口まで撮影に行った。友だちの車で追いかけることにいていた。学生時代と違って車を持つ身分となり、機動力が全然違う。初めの場所で連射モードで写した。今でこそモータードライブも安くなったが、はやり高価です。自分の特技は連写です。10秒間に15コマ撮影できます。実際はそこまでやると、ブレたりネガがもったいなかったりなので、1秒間に1コマがちょうどいいぐらいです。教えてもらったアニメーッションで作りました。ただ、5コマだけなので、3つ必要でした。では、どうぞ。 あれ!!3つめは容量オーバーとかで、だめみたいですね。2つを同じ画面で見ると、目がチカチカして見にくいですね。2番目と3番目は次のページに移します。仕方ない。次の書き込みに移します。うまく出来ていますように。
2008.01.03
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大切にしていたネガが傷んでいた。スキャナで読み取ってみると、一番大事な写真が変色している。その昔に、写真を焼き付けたときに、強い光を受けて、経年変化で変色したように思われる。ショックですねえ。追分駅での撮影は時間との勝負、係官との勝負でしたね。とにかく、一般人には撮影させないことになっているみたい。そりゃ、混乱しますからね。まあ、このアルバム写真が僕が写した証明になるかな。今は百恵さんは芸能界を引退しているのですが、当時の写真は芸能人ということで、肖像権の問題はなしということです。でも、これを悪用はしないでください。悪用をすることもないですね。なんせ、国民的アイドルでしたからね。以前に出した写真の方が色はいいですけど、とりあえずアップします。どうぞ。この写真も空の部分が黄色くなっています。やはり、デジタルで残すべきなんでしょうね。アナログのデータはどうしても変化を起こしてしまいますからね。偶然にもこのフィルムは部屋の中にありました。他の膨大な量のフィルムはガレージの中です。これも何かしら変化を起こしていないか心配です。これから、時間を見つけては取り込んでいきます。
2008.01.02
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旧年中は格別のごひいきを賜りまして、ありがとうございます。暗く、うっとうしいブログに訪問くださいまして、感謝しています。これからも、「たぬきぶた」をかわいがってください!今年は写真を貼りまくります。手始めに朝日です。古いのですが、自作の写真で朝日はこれしかなかった。ついに、フィルムからのスキャンが出来るようになりました。文字ばかりの読みづらい日記から少しは写真の入った楽しいブログにするつもりです。では、初詣に出かけましょう。!!
2008.01.01
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