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私の子供の頃からある紅葉の木、その足元を見れば・・・・・沢山の穴が開いています。 この穴から、7年もの間暗い土の中で過ごしたセミが、大空を目指して這い出てきます。 アトリエの窓は2m50cmあるのですが……夜中に這い出て、早朝脱皮完了して飛び去った抜け殻が5ッ、写真に写っていない下方に2っ、コンクリートの壁なのに・・・・・ 話が飛びますが、マジックテープの原理はこの昆虫の足にヒントを得たと聞いています。身体が軽いとは言え、体重を支えることが出来るのはスゴイと思います。 脱皮すると家の裏手にあるこの紅葉の木より、玄関側の山法師の木がお気に入りのようで、『寄らば大樹の陰』と申しましょうか、みんな揃って移動しています。 その為、朝の合唱のケタタマシイこと、ウルサイこと。昨日のブログからお分かりいただけることと思います。 お蔭で、近所の工事の音が易しく耳に届きます。 芭蕉は 『静かさや岩にしみ入る蝉の声』と、名句を私たちに残しました。しかし、私は 『耳覆う台詞かき消す蝉の声』……駄作をブログに残します。
July 30, 2010
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毎朝、息子たちのお弁当を作り終え、朝食を済ませた彼らを送り出すと、静かな楽しいひと時を過ごすはずが・・・・・セミがけたたましく、朝の合唱を始めます。 NHKの『ゲゲゲの女房』を見ながら、モーニング(朝食)をゆっくり頂くのが、私流! ですが、リビングのこの窓から2mしか離れていないところにテレビがあり、普段の音量を大幅にUPしても、ドラマの台詞が聞き取れ無いのです。 普段生き物に優しい夫ですが、流石堪忍袋の緒が切れたのでしょう、昨日モップの柄で山法師の木の枝をたたいたのです。 セミは学習能力が高いのか、今朝はゆっくり『ゲゲゲの女房』を、観て聴くことが出来ました。 しかし、セミも地上に出て僅か1週間ばかりのうちに、お嫁さんを探して結婚しなければならない使命に燃えて、時間を少し繰り下げて大合唱しておりました。 セミさん、お互いに譲り合って、仲良くいきましょう。
July 29, 2010
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今朝テレビで、ピンクのカマキリがあちこちで見つかっていると、オンエアーされていました。 カマキリにはもともとピンクの色素があるので、そんなに驚くほどのことでもない・・・と、専門家は言っています。 確率的には1/160ぐらいでいるそうですが(私の記憶に間違いが無ければ…)、これくらいの確率では普通人の目に留まらないそうです。 そういえば、ゴキブリ1匹見つけたら、30匹はいる……と、聞きました。 すうすると・・・日本のあちこちで発見されているのって、やっぱり異常ですよね。 梅雨明け前に撮った、リヴィングで見つけたカマキリの赤ちゃんです。 下腹部を90度上げていますが、これは赤ちゃんだから?それともカメラを威嚇してのこと?でしょうか。 成長したカマキリは、身体はまっすぐですから・・・ 体長は1cm余だったと思います。毛羽立って見えるのは、木綿のシャツですので、それからご想像ください。
July 28, 2010
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「夕焼け」・・・・の文字から、皆さんはどんなメロディーが出てくるでしょうか。 「ゆうや~け・こやけ~の・あかトンボ~・・・」 「ゆうやけ・こやけで・日がくれて~・や~まのお寺の鐘が鳴る~」 それとも、「夕焼け空は・まっかっか・トンビがくるりと輪を描いた~」 いずれにしても、夕やけって美しい!そして心にじわっと沁みますね。 でも、刻々と色も明るさも変化して、暮れゆく空に、侘びしさ・空しさの余韻も心に残すように思います。 夕焼け空の美しさに、慌ててカメラを取りに家に駆け込みましたが、瞬時にして大きな太陽は家々の屋根に顔を伏せてしまいました。
July 26, 2010
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月1度、夕刻から始まる競書誌の審査のため、京都に出かけました。 審査を終えてビルの外に出ると、梅雨明けの涼風が気持ちよく、日の入りの余韻を残してまだ辺りは明るく、心も軽やかに、先輩のY先生の車で四条まで乗せて頂きました。 ある先生から帰りがけに頂いた3粒の塩飴で、喉を潤しながら「この飴、美味しいね」と、3人が異口同音に発して、書の話題に変わりました。 京都河原町駅のすぐ近く四条大橋で、お月様を入れて東華菜館の床を写しました。 お月様が2つ?・・・と、思わないでください。 右下の明るいのは、東華菜館の床を照らす明かりです。 京都の夏はとても暑いのですが、陽が落ちると加茂川沿いのお店の床は、自然の涼を求めるお客で賑わいます。 ビヤホールでは味わえない、京の文化だと思います。 O先生と、お互い家族の待つ家路に向かい、阪急電車にのりました。
July 25, 2010
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先日収穫した枝豆です。 屋上で、モロヘイヤ・しし唐・唐辛子・ゴーヤ・ねぎなどのプランターにチョット距離を置いて、丸い大きな葉っぱを茂らせておりました。 私は恥ずかしながら『なにもの?』と、一向に葉っぱを採らないのを怪訝に想っておりました。 田んぼの畦で見ているはずなのに、所変われば『?』・・・なんて、お恥ずかしい限りです。 茂った葉っぱに守られて、ここまで大きくなりました。 茹でてビールのつまみになって、枝豆としての人生を全うしました。 種から植えて世話した人を『口福』のみならず、『幸福』にしたことは間違いありません。
July 24, 2010
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お江戸日本橋~・・・・・ここは大連ですが、戦前は『日本橋』の名前で通っていました。 今は『勝利橋』と名を代え、生活感あふれるガチャガチャした環境です。 正岡子規の叔父加藤拓川が、明治時代にこの橋の絵葉書を息子に送っています。 『これは大連の役人町で露人のたてたるものにて まるで西洋の通なり 早く大きくなりて六十郎を連れて見に来るべし 中々おもしろいかと 六十郎に忠三郎をいぢめてはいけないとおひひ 父より』 絵葉書のその当時の日本橋辺りは、拓川のこの書かれた内容のように、(また私がその絵葉書を観た印象も同様に) 整然として落ち着いた西洋の通りでした。
July 23, 2010
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大連のロシア建物が立ち並ぶ一角
July 22, 2010
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旧満鉄社屋の2F会議室天井
July 21, 2010
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旧満鉄の社屋は、戦前の日本の力を鼓舞するかのように、豪華で洗練されたものでした。
July 20, 2010
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満鉄の玄関入ったところです。 夫がカメラで撮影していると、省エネで1ツしか点いていなかったシャンデリアを、係りの人がもう一つのシャンデリアも点けてくれました。 言葉も交わさず、面識の無い間柄であっても、何か暖かいものが通い合う嬉しいひと時でもありました。
July 19, 2010
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大連満鉄旧址陳列館 昔の栄華を偲ばせる佇まい、異国にありながら違和感も無く溶け込んで心落ち着く空間です。 1室に、観光客相手に思い出の物品を販売していました。
July 18, 2010
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今回のツアーの参加人数は、10人あまり、添乗員の方を入れても15人未満の小グループで、旅慣れした探究心旺盛な勉強家の方たちでした。 観光旅行と言うより歴史の勉強が主で、添乗員の方たちは社会科の先生のように感じるくらいでした。 高齢の参加メンバーの中には、その添乗員さんも知らない史実を語ることも多々あって、添乗員さんが真剣に聞いてられたのが、とても新鮮に思いました。 参加メンバーの中に、4名の大連で生まれ育った方たちがいました。 北海道・名古屋・宝塚から参加した3姉妹は、銀行マンだった父君の赴任地大連で生まれ幼少時代を、旧満鉄社屋の側で過ごしました。 大和ホテルにお勤めだった父君と共に女学校まで大連で暮らした方も、当時の住所を辿って、みんなで尋ねてみました。 終戦後早65年も経っているので、当時の建物はもうありませんでしたが、何処と無く当時の面影が漂い、懐かしく色々思い出されるようでした。 建て変わった家屋も老朽化して、近代的な建物に再度生まれ変わるのも時間の問題のようでした。 昔の番地の家の前の木々は、スクスクと成長を遂げて、大きな道路さえも覆いつくすばかりでした。 世界が慌しく移り変わった激動の半世紀余の中国にあって、ここの木々は泰然自若、人の世の移ろう様をどのように眺めていたのでしょうか。
July 17, 2010
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パソコンのトップページが、真っ赤なトマトからバンマツリにチェンジしました。 今回はとても早いイメチェンですが・・・・・「その心は?」 2階のベランダに、派手からず、大人しからず、ジャスミンの香りもほのかに辺りに漂わせ、濃い紫から色も淡い藤色に変化して、夫の心を奪ったのでしょうか??? 真っ赤に燃えた太陽のようなトマトからは、ファイトとパワーを頂きましたが、バンマツリのほうが落ち着いてパソコンに向かえるように思います。 写真の転用はしないでください。
July 16, 2010
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屋上の炎天下で、頼もしく育っているモロヘイヤです。 もうすでに何回か収穫して、我が家の食卓に登っています。 クレオパトラも好んで食べたと言う、アラビア語で『王様の野菜』と言うモロヘイヤとの出会いは、約20年前大阪府下ただ1つの村千早赤阪村でのことでした。『モロヘイヤ』の聴きなれない名前を覚えるのに随分苦労し、自分の頭は確かだろうか?とさえ想うぐらい、名前が出てこなかったのです。 千早で頂いたモロヘイヤは、とても美味しかったです。朝晩の気温の変化が大きく、朝もやが柔かな葉にするようでした。 我が家のモロヘイヤも、環境の割にはとても健気に美味しく育っています。 夫の好みのレシピは、さっと茹で、冷奴の上に載せてポン酢でいただきます。 ものの本によると、種子には毒が含まれているそうですので、栽培されている方は誤って口にしないでください。
July 15, 2010
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大連で見た『?源豊商店』の文字に目を引かれ、漢字の意味に少々名前負けしないの?と、想ってしまう私ですが、中国に負けてばかりはおれません。 真夏に初夢を持ち出しては「さぶ(寒)~!」とお思いでしょうが、チョットお付き合いください。 初夢に見て縁起のいいもの『一富士、ニ鷹、三なすび』・・・と言われておりますが、その出典を覗いてみますと、諸説ある中で徳川家康の言葉が有力だとありました。 家康公の出身地駿河の自慢は、「一富士・二鷹・三茄子」と常日頃口にしていたので、家康公自慢の品を見るのは、縁起が良いとされたようです。 富士は日本一の山、鷹は鳥の中の王、それらと比べて『茄子』???と思いますが、どうも家康公お茄子がとってもお好きだったようです。 天下を取った家康公の向うを張るわけではアリマセンが、実は私も大好きなのです。 長男の友達が届けてくれたお茄子!・・・・・写真に写っているのはみんなお茄子です。『茄子紺』などと色彩の名称にもなっているのに、色がありません。『しろ茄子』というのでしょうか、贈り主も説明が「これもお茄子です。白いほうは火の通りが早いです」と、いたってシンプルです。 煮ても焼いても揚げても美味しいお茄子・・・「ありがとう! いただきます!!!」『?源豊商店』は、スーパーのようですが、このような白いお茄子も売っているかしら? 私はお初にお眼にかかりましたが、初物を頂くと3年寿命が延びると言われていますので、沢山食しましたので、3の2乗は長生き出来るかも・・・・と、思います。
July 14, 2010
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大連のお店です。 金が3つ書かれた『?』の文字が使われていますが、この字は人の名前、屋号に好んで用いられるようです。 日本では『9』の数は『苦』のイメージで嫌がられますが、中国ではとても縁起がいい数として喜ばれるそうです。『???』だと金が九つで、とても縁起がいいと思いますが、名前負けしてはいけないので『?』1つだけにしたのでしょうか?『源の?は豊か』と解釈すると・・・・金9つよりもお金に縁があるように思います。『白髪三千丈』と言ってのける中国の人ですから、私たち日本人ももう少し取り入れてみてもいいかも知れません。
July 13, 2010
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旅順を後に、大連に戻ってきました。 町は明るく開けており、高い建物が多くて、景色が一変します。 中国を旅する私の大きな楽しみは『看板』を見ることです。 だって、さすが漢字の生まれた国ですから、看板と言えども書の古典から出てきたようなお店の名前に出会えるのです。 今では一般に『簡体字』が公用文字ではありますが、旧字で堂々と書かれた看板に出会うとうれしいです。 バスの窓から「カシャ!」と撮った1枚です。 最近では時代の流れで、銀行など以前の名前が合併統合されて、活字の漢字が増えました。 かつての『三井銀行』『住友銀行』などの筆文字は、存在感・迫力があって見る限り倒産とは無縁・・・といった印象が私にはありましたが・・・。
July 12, 2010
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旅順軍港公園にて 正岡子規の竹馬の友、秋山真之が活躍した旅順港閉塞作戦の舞台となったところ。 ロシア艦隊のかつての母港が真近かに見えます。
July 11, 2010
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旅順には、日露戦争の激戦地となった東鶏冠山があり、ロシアの防御要塞跡も見、塀越しにロシア兵の墓地も見ました。 日露戦争の勝利を記念して建てられた白玉山塔が、大空に向かって聳えておりましたが、とても空虚に感じられました。 漱石の『坊ちゃん』の中で戦勝で沸く市井の情景が描かれていたのが思い起こされて、約1世紀タイムスリップいたしました。 今も残る当時の激しい戦いの弾丸のあと、防御要塞跡・・・・今も地球上で戦いがあることを想う時『人間って学習能力はないのかしら?』と、悲しく思いました。 入り口で『和平』と刈り込まれた植木、手前には『世界』の文字が刈り込まれていました。 戦い、テロの無い世界を心から祈ります。
July 10, 2010
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旅の最初の夜は、旅順で泊まりました。 旅人がここで宿泊できるようになったのは、ごく最近です。 そのせいか、ホテルの従業員も客に挨拶することはなく、30年近く前に上海に行ったときのように、『公務員』の感覚なのかしら、と想うことでした。 翌朝海辺を散歩すると、地元の人が打ち上げられた海草を採っておりました。 観光に向かうバスの窓から、コンブを干す姿を見つけたので、ここで一句。 コンブ干すマンション窓辺旅順口 プラムちづる
July 9, 2010
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この写真は、我が家の屋上に植えてあるゴーヤです。 隣家の3Fの窓の目隠しにもなるので、夫は大きな鉢(40X100cm)に緑のカーテン・ゴーヤを植えました。 他にもモッコウばらや、ハーゲンベルギアなどつる性のものが植えられていますが、今の時期は何と言っても『注目の的はゴーヤ』です。 日本には古来より『花より団子』と言う言葉があるように、実益のあるものには勝てないようです。 さて、この中にゴーヤが一体何本隠れているでしょうか? わたしは6本見付けましたか、皆さんは何本見つけることが出来たでしょうか?
July 8, 2010
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夏野菜のキング、ゴーヤ。 夫の真心のこもった手入れに応えるように見事に実ったゴーヤ、何本めの収穫でしょうか? 夫はカレンダーに収穫した本数を書き入れて、最近では目方まで量っています。 小ぶりなもので200g足らず、立派なものは250gもあります。 これからの亜熱帯化した日本の暑さに負けないパワーを「いただきま~す!」
July 7, 2010
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重い歴史を辿る大連・旅順・金州の旅をチョット離れて・・・・・ 屋上やベランダで夏野菜を育てている夫は、期待以上の成果のミニトマトに至極ご満悦です。 期待の赤い星を収穫する前に、カメラに収めました。 緑のゴーヤのトップページから、真っ赤に熟れたトマトの画面に『チェンジ』です。 パソコンを開ける度に、夫の心に秘めた『自慢』を見せ付けられる気もしないではないですが、「おいしかったゎ。またつくってね!」と、素直にエールを送ろうと思います。 今日は、暑さに負けないパワーをくれるトマトさんの登場でした。 写真には著作権が存在します。
July 6, 2010
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昨年秋、NHK『坂の上の雲』第1部で登場した正岡子規の竹馬の友・モックン扮する秋山真之。 彼が活躍した旅順港が,如何にロシア艦隊閉塞を可能にしたか、ここから見ればよく理解できます。 美しい景色も戦いの場として利用され、多くの犠牲者が両国に出たことを想うとき、心から世界平和を願ってやみません。、
July 5, 2010
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旅順駅はロシア風の建物で、駅をバックに新郎新婦が衣装を着けて、、写真にとって居りました。 結婚式の前に写真を撮っておくのが一般的と聴きましたが、この撮影はコマーシャルの為の撮影だったようです。 前日の写真(旅順駅)は、この建物に続く向かって左側に当たります。 今回の旅行はすべてウィークデーでもあり、海水浴シーズン前でもあるので、人の多いお国柄にも関わらず、静かに素顔の中国に接することができました。
July 4, 2010
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大連に到着後、バスで旅順に向かいました。 ツアー最初の宿泊地『旅順』は、つい最近まで観光客には泊まることが許されてはいませんでした。 その為か、ホテルの接客マナーはおおよそ日本では考えられないものでしたが、逆に気楽なものでもありました。 一般に、ホテルに備え付けられているものの1つに、ティッシュペーパーの箱が挙げられますが・・・・・無いのです!!! ホテルの部屋には、トイレットペーパーは備え付けられていましたが、行く先々にはなく、観光地では法外な値段でティッシュが売られていて驚きました。 そういえば、夫が中国に出張で行くとき、トイレットペーパーをケースに詰めていたのを思い出しました。 今回夫婦揃っての旅ですが、夫は何もいってくれませんでした。 日進月歩の中国のこと、心配ご無用と思っていたのかも知れませんね。 現地ガイドさんのお話では、「旅順では3星ホテルです・・・」と、とても上手な日本語で含みのある表現をしていました。
July 3, 2010
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今回のツアーは、正岡子規の歩いた道を辿るのが目的です。 明治28年、ジャーナリストとして正岡子規は周りの反対を押し切って、日清戦争の従軍記者として遼東半島に赴きました。 その時の子規の日程を見ますと、3月3日に東京を発ち、故郷松山にて墓参りを済ませ、4月10日広島宇品港から大連に向けて出港し、13日に大連に到着しています。 当時は三日がかりの船旅も、現代では3時間もかからずに一っ飛びで到着です。 「行かばわれ筆の花散るところまで」・・・・・子規
July 2, 2010
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先月末6月28日に、中国遼東半島にある大連・旅順・金州の旅のツアーに参加しました。 関空朝8時集合、10時出発の全日空で大連まで約2時間半、時差も1時間。 流石お隣の国・・・・・近いですね。 関空ロビーに飾られた可愛いお人形、手習いする『わらべ』に、仕事柄思わず「カシャ!」と、ボタンを押してしまいました。
July 1, 2010
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