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今日で8月ともお別れです。 チョット古くて申し訳ありませんが、菅原洋一さんのヒット曲で『今日でお別れね、もう逢えない……』がありますが、更新を続ける猛暑日には、モウ会いたくないと、心から願います。 長い間工事中であったところの覆いが取られると、エスカレーターが現れました。 JR吹田駅も、時の流れに沿って、進化し続けています。 先日ブログで紹介しましたエレベーター内部の様子が映し出されるテレビも、最近の取り付けですが、ドイツ人のコニーは携帯で、このテレビを撮っていました。 またこの1年で、我が家のテレビが今様の薄型に揃って代わっているのにも疑問があったようです。 以前のテレビが10年余り経っていて、一部故障していたこと、地デジに代わるので映らなくなることを伝えますと「ドイツではまだ10年ぐらいは変わらないよ」と、言いました。 日本の日進月歩をいろいろ身近で経験しますが、コレって『高齢化』『治安悪化』と裏表だと考えると、手放しで喜んでばかりもいられません。 これからは、よくお世話になると思いますので、ヨロシク!
August 31, 2010
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猛暑日が『コレでもか!コレでもか!』……と、続きます。 一昨日は、お隣の豊中市で38度にもなって『あっぱれ?日本一!』となりましたが、家の中に居ても、汗が流れます。 その日の夜、ナイターで阪神ヤクルト戦がテレビで中継されていました。熱心に観ている夫と対照的な私、応援団の声に振り向くと、熱狂的な阪神ファンが『猛虎日』と書かれた旗を大きく力強く左右に振っています。 阪神ファンの心意気は、言わずと知れた『熱烈』、猛暑日が日本一もなんのその、常に試合で阪神の選手は『猛り狂う虎』でなければならないのです。 暑さも苦にせず阪神ファンは元気一杯、リビングで見かけたカマキリも阪神ファン?、緑の身体のはずがピンクがかっていますネ!
August 30, 2010
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27日のブログが、前後誤って更新しましたので、<前>もご一読ください。 酷暑が続くなか木曜日に、京都で開催されている展覧会をハシゴしてきました。 1つは、京都美術館で会期も残り少なくなった『ボストン美術館展』、前宣伝が大きく報じられていましたので人出が多いだろうと、その点で気が重かったのですが、今日は15分の入場制限のみでスムースに入ることが出来ました。 宣伝文句の割りに・・・・・ちょっぴりガッカリしました。美術史に大きく足跡を残した画家・名画ですが、『ボストン美術館』の名詞に、私は大きく期待していたのかも知れません。 ここ10年未満の間に、私はボストン美術館に2度行きました。そしてその膨大で貴重な展示品に圧倒されました。『日本』で展示されていた江戸時代の人々が愛した生活用品の中に、おしゃれで、美術の高度な審美眼に改めてて心動かされました。最初訪れたとき夏休み中だったので、特に名作中の名品絵画が飾られておりました。 今回京都美術館での展示に、今までに無いオープンな展示にとても新鮮さを感じました。ルーブル美術館を訪れたとき(随分昔の事ですが)、『モナリザ』でさえ、何気なく飾られていたのには驚きましたが、日本もその意味で文化国家になったのだと思います。 京都文博で毎年開催されている篆刻家のグループ展、書家の展覧会と異なる斬新さが面白く、また今年は特にバイタリティーを感じました。 多くの課題を抱えながら中々取り掛かれずにいる私ですが、猛暑の中、名作・力作に触れてエネルギーを蓄えて、制作の秋に備えたいと想っています。 写真は、JR吹田駅のエレベーター、乗り降りする階ごとにテレビがついています。安全には寄与すると思いますが『必要な世の中になったのかしら』と、寂しく思うことでした。
August 29, 2010
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今秋、10月~12月のインテリア書道の講座の依頼を受けています。 すでに案は決定し、募集の作品写真も依頼者に送っていますが、8月末のデパートのディスプレィは如何なものかショッピングを兼ねて梅田に出かけました。 大阪の気温は猛暑日の更新が続き、9月に入っても納まらない気配です。何処の売り場も真夏を引きずっていて、『秋色』は、何処にも見当たりません。 見切りをつけて帰宅したのが黄昏時、一足先に帰っていた次男が元気よくリヴィングに下りてきて「虹、虹が出ているよ!」と、教えてくれました。 リヴィングから写真を撮ろうとしましたが、電線や近隣の家の一部が映り込んでしまい、いい具合に写りません。屋上からだとOKです・・・・『カシャ!』 涼しい秋は、あの虹の彼方にあるのでしょうか?
August 27, 2010
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お友達からランチのご招待、家族の食事の準備をして、ルンルン気分で出かけました。 自転車に乗れば2~3分、主婦にとってはとても楽しみ……今日のメニューは? クーラーのきいたお部屋で、『焼きソバ』でした。お料理上手な彼女が焼いてくれると、なぜか一味違うように思います。 家庭によって、具も違えば野菜の切り方も異なります。とても参考になりました。 これから、もっと野菜は大きく切ろうと、思いました。 デザートに1/4のメロンとスィーツ、おしゃべりとお口に運ぶ美味しい品々でおハナ(鼻)の下はいつもフル回転、数時間は瞬くうちに流れて……猛暑も負けそうです。 庭の椿、今年は大きな沢山の実が、花の後始末を怠っていたようです。次期の開花に影響しないかとチョット心配です。
August 24, 2010
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猛暑の中、意を決して京都に出かけました。 京都の町は、暑さを気にしないツワモノ(兵)が・・・・・ 若い女の子は肌を出して、年配の方は、紫外線対策に気を配って、完全防備の出で立ちです。 京都市バスに乗りました。目に付いたポスターを、外の景色を撮るようにして「カシャ!」・・・・しかし、小学生を2人つれたお母さんの姿は見かけませんでした。 長い夏休み、家に居るだけでお母さんはお疲れなのだと思います。 息子たちの小学生時代の夏休みを色々思い出して、短い車中を楽しみました。
August 23, 2010
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今朝屋上に上がってみると、夫はお役目を十分に果たしたゴーヤの後始末を済ませておりました。 この夏、緑のカーテンとして、目に優しく気持ちに涼しさを与えて頂き、ありがとう。 何より、次々と栄養たっぷりな実を結んで私たちの夏バテ防止に大いに協力して頂き、本当にありがとう! ゴーヤの天命を全うし、その健闘ぶりにとても感謝しています。 ありがとう! さようなら。 ・・・空が今までより広く感じられ、どこか寂しさが漂っているように想う私です。 写真は、かつて葉に隠れて採り損ね、赤くなって怒っているゴーヤさんです。
August 22, 2010
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興南高校が春夏連覇して優勝旗は沖縄に、これで甲子園での熱き戦いが終わりまた。 NHKの『ゲゲゲの女房』のここ最近のシーンで、漫画家水木氏の戦争の回想場面が繰り広げられ、ドラマと現実が交錯して、私は涙が浮かぶことさえあります。 私の母の兄(伯父)、夫の父の弟(叔父)、共に南方で戦死しています。戦死の公報のみで、何一つ身に着けていたものは、帰っていません。「腕一本失くしただけで、生きて帰ってこれた」……これは、地獄の戦場をくぐりぬけてきた者にしか言えない言葉だと思いました。 お国の為に散ったと言うには、あまりにも酷いように思います。おじたちは20代、それからの人生を、一刀両断のもとに切り捨てられてしまったのです。 今も地球上にテロや戦争があります。終戦記念日も65回目となりましたが、戦いすんでもなかなか傷は癒えません。 戦いすんで・・・・・高校野球のように、よき思い出が残るものであって欲しいものです。 写真は、日露戦争のときの弾痕がそのまま残る激戦地、旅順・東鶏冠山です。
August 21, 2010
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猛暑日の続く中、夕刻から審査の仕事で京都に出かけました。 道行く人は皆、元気がよさそうに見受けられました。もちろん、元気でなくちゃこの暑さの中、外出できませんもの……納得です。 阪急河原町駅から四条通りを東に向かい、お京阪(けいはん)に乗り換えます。 途中四条大橋を渡りますが、傾いた日差しの中、涼を求めたカップルが、川に足をつけたり、散歩をしたりする姿が目に映ります。 気の早い『BEER』党は、床に席を陣取って・・・・ いつも横目で眺めるばかりの私、今度は床から四条の橋を通る人を眺める側になろうと思いますが、仕事を終えて友と二人の帰り道、お互い帰宅を急ぐと気遣って誘わずに居るように思います。『来月は、思い切って誘ってみようかな?』……雨だったり、寒かったりしないでね。
August 20, 2010
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今夜遅く、ドイツに帰国間近に迫ったコニーが、尋ねてくれました。 連日の猛暑に「モウ、暑イな~!」とばかり言っていても始まりませんが・・・・ 息子が言いました……「この暑さだと、東京でもバナナができるんだって!」 コニーが応えました……「ソレガ本当ノ『東京バナナ』デスネ!」 座布団2枚!・・・・お見事です。 以前に京都で見つけたバナナの木、今年は甘くて美味しいのが出来ていると思います。、
August 19, 2010
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連日の猛暑、皆さんお障りなくお過ごしでしょうか? 家の中に居ても『熱中症にご用心!』と、テレビの中から私たちに語りかけてきます。 特にお一人住まいのお年寄りは、喉の渇き・高温度の感じ方が鈍って危険が大きく、クーラーが有ってもつけないようです。 今年の暑さは、まさに『亜熱帯』、いや『熱帯』です! 地図の分類も色がえしないといけないとさえ、思えます。 秋には美しく赤く紅葉する裏庭のもみじの木、黄昏に撮った写真に隣家の木が写りこんで、南国のよう・・・・・ 早く涼しくなって欲しいと願いますが、1人ひとりが健康管理を怠らないように、十分ご用心、ご自愛ください。
August 18, 2010
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我が家では、コンクリートの外壁、樹木の枝に……空蝉の姿を沢山見ることが出来ます。 よく眺めてみると、背中に鋭く細い割れ目があります。こんなに小さなところから脱皮するのかと想うと、自然の不思議を感じずにはおれません。 先日のブログ(7月30日の蝉蛻)に、みよ子さんがコメントを寄せてくださいました。 空蝉を詠んだ俳句にいたく感動されたものですが、私も彼女と同じように大きく感じ入りましたので、次に披露いたします。 空蝉の一刀浴びし背中から 野見山朱鳥 NHKの大河ドラマ龍馬伝が放送されていますが、明治維新前の日本の時勢の流れと重なって想うことでした。 又、私は同じ日のブログの写真から、次のような俳句を作りました。ご笑読ください。 空蝉やならび聞き入る経の声 プラムちづる・・・・・・おそまつ!
August 17, 2010
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つい先日まであんなにけたたましく鳴いていた蝉も、なりをひそめ声のトーンがかなり下がってきました。 先日の夜遅く、小さい体躯の割りに大きな羽音を立てて我が家のリビィングに進入、大きな顔(?)をして部屋中をぶんぶんと大きく旋回し、ソファーの上辺りで放尿(?)して、シーリング・ライトの側の天井にピタッと停まりました。 その翌日、家族で昼食をとっていた時のこと、 「コン!」と、大きな音がしたのです。 音した方に目を向けると、天井の蝉がガラスのテーブルの上に落ちた音だったのです。 空蝉(うつせみ)は高所でもその存在を残せますが、ご老体となった蝉は、元祖マジックテープの足を持ってしても、万有引力に抗うことは出来ないようです。 庭のあちこちで見られる蝉の亡骸、側に蟻さんが……『輪廻』を観て理解したように想いました。
August 16, 2010
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13日に、おがらを焚いてご先祖をお迎えし、もう15日の今日は、送り火を焚いてお送りします。 和菓子屋さんのお店を覗くと、仏さんが黄泉の国にお帰りになる時のお弁当も売られています。仏さまようのお餅も、色々取り揃えられています。 私の子供の頃には、ご先祖をお送りするとき、これらの品を川に流しにいきました。 しかし今では、河川の汚れに繋がるので、橋のところなどに仏さま用の箱が設置されて、その中に入れるようになっています。 時代と共に、文化行事も様変わりしていきます。 地球的なエコではありますが、人情的なエコにも思え、ちょっぴり寂しく思います。 今夏の暑さにも、変わることなく咲き続けている五弁の可愛い花・・・君の名は?……葉の緑も濃くて一層清清しく感じます。
August 15, 2010
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関東ではすでに済ませたようですが、関西・地方では、これからお盆が始まります。 我が家ではお盆にお寺さんに来て頂き、お経を上げてもらいます。 その時、兄妹が集まって亡き父母を偲び、食事をすることになっています。 お寺さんは多くの檀家を回らねばならないので、我が家は十日に…と連絡あって、夫の兄妹が集まりました。 今日のメニューは手巻き寿司、夫々好きなものをまいて、思いつくままに、おしゃべり…仏壇の近くに飾られた父母・祖父母の写真が私たちを見つめています。 一足早いお盆の行事を1ッ終え、後片付けしてホッと一息、気がつけば夜もかなり更けておりました。 ゲゲゲ・・・のドラマではありませんが、6人で囲んだテーブルですが、なんだか大勢でワイワイがやがやと楽しく食事をしたような気がします。 弟夫婦も、妹も、物静かな人たちです、念のため・・・ 以前尋ねた法隆寺の池の蓮
August 14, 2010
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お別れしてから早いもので、2年の歳月が流れました。 私にとって『輝さん』は、書の師弟の間柄でしたが、多くを教わり、学ばせて頂きました。 今も生活の色々なシーンで、思い出したり話題に上っています。 書道を始めたのは、輝さんが八十路を越えてのことでした。 それまでは、人生の味わいを俳句に認めておられたのですが、心に懸かる出来事以来、名句が浮かばなくなったそうです。 お年を召していても、勉強家で好奇心の旺盛な方でしたので、娘さんの紹介で私のところにお稽古に見えることになりました。 最初は、このお年から始められてお上手になられるかしら?……と思いましたが、それは全くの杞憂でした。 輝さんは素直で直向(ひたむき)にお稽古され、少なくとも88歳まで右肩上がりにぐんぐんお上手になられました。最終のお稽古は91歳半で、最後までお一人で電車に乗ってアトリエまで通われていたのです。「90になると、生きているだけでもしんどいです」と、晩年に漏らされた言葉が、とても印象に残っています。 ・始めよう!と思った時が始め時、年や環境などはいくらでもクリアできると思いました。 ・素直な心が、竹の子のように上達するのを可能にしました。 ・好奇心・向上心をもって、楽しむ心が大切だと思いました。 亡くなられてもなお、お稽古の生徒さんたちのお手本となっている輝さん、お名前の通り今も輝いて・・・・・ 暦の上では今日は立秋、残暑はとても厳しい大阪ですが、天国は極楽だろうと拝察しています。 合掌! 伊吹山の高山植物
August 7, 2010
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8月6日・午前8時15分・・・65年前の今日、ヒロシマに原爆が落とされ、多くの市民が犠牲となり、今もその後遺症に悩む多くの方が居られます。 私たち夫婦の仲人を務めてくれた夫の伯母も、被爆者手帳を持っていました。 大正生まれで、弱音をはかない気丈な方でしたが、晩年かなり後遺症で身体が思うように動かず、痛みもあるようでした。 まだまだお元気でらした頃に伯母さんから、家に遊びに来てくださった折『形見に…』と、手描きの帯をいただきました。 まだ息子たちも幼く、色も柄も渋いものでしたので、頂いたまま仕立てずにおりました。 子供たちも成人し私も年相応になったので、何時でも生き形見の帯を締められるよう仕立てに出しました。 しばらくして、仕立て上がった帯が届いた時、伯母の訃報が届きました。 それから数年経った4年前、台湾一周ニューイヤークルーズの『書初め講師』の依頼を受けた折に、大島の着物に伯母の形見の染め帯を締めました。 帰国後、その帯を締めたカルチャー風景のスナップ写真に手紙を添えて、当時東京の息子さんの近くに居られた伯父さんに送りました。 後日、ご長男の従兄弟からお手紙をいただきましたが、次のようなものでした。 叔父様が息を引き取られた直後に着いた私の手紙と写真は、黄泉の国でゆっくり伯母さんと読んで見るように、棺の中に入れました……と。 大きな戦争体験を持つ人生の大先輩の伯母さんは80代で、叔父さんは90後半での旅立ちでした。 世界が、核も戦争もない未来になるよう、心から祈ります。 写真は、旅順・東鶏冠山(日露戦争の激戦地・ロシアの防御要塞跡)の鳩
August 6, 2010
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夕餉の支度をしながら窓の外を見ると、大きなスポーツバッグを肩から辛そうに担げ、手にもなにやら諸々を持って、重い足取りで高校生が家の前を通ります。 思わず『熱中症は大丈夫!』と、声を掛けたくなりました。「麦茶と塩コンブをどうぞ」と、申し出ようかと思いましたが、調理中のIHヒーターの前を離れるわけにも行かず、そうこう気を揉んでいる間に彼の姿は見えなくなりました。 若いと言っても自然の驚異を侮らないように、身体には十分気をつけて欲しいと思う、今日の猛暑でした。 写真は、2Fのベランダに咲く琉球朝顔、半月ほど前の撮影です。現在は、もう花も終焉を迎えたようで、葉も老境の域に入ったようです。 朝顔の季語は確か秋だったと思いますが・・・・この朝顔は多年草ですので、来年に向けてもう準備を始めているのかも知れません。
August 5, 2010
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今日も朝から、厳しい日差しが降り注いでいます。 私の家では、昼間はクーラーをつけないエコ生活を送っています。 その代わり、大きな窓は何処もかしこも全開、埃には目をつぶって『風』を一杯取り込んでいますので、部屋から部屋の移動も苦になりません。 それに、夏バテに良薬とされる夏野菜、特にゴーヤをよく食べています。食べるより収穫のほうが今のところ多く、おすそ分けしたり、冷蔵庫で袋に入って出番待ちしていたり・・・・ 写真は、夫のお気に入りのステージで、「どうして私を食べごろに採ってくれなかったの!」と、真っ赤になって怒っているゴーヤさんです。 屋上にも立派なゴーヤが憤慨して、緑のカーテンの中でオレンジに色変わりして1ッ・2ッ、周りから浮いています。 生り物の採り入れは、世話して育てている人の権利だと考えている私は、妻と言えども勝手に採る事はしません。 しかし、このような事態を何時までも見過ごすわけにもいかず、今朝は夫の了解を得て採り入れを敢行しました。 唐辛子も時季遅く、採り頃を逸してしまいました。 まだ青いのも沢山ついていましたので、今後は注意して見守っていこうと思います。 お蔭様で、私たち家族は元気に過ごしています。 夏野菜の中でも夏バテ予防には1番の『ゴーヤ』さんに、とても感謝しています…合掌! 皆様も十分ご自愛ください。
August 4, 2010
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ここは、以前にもブログで紹介したことのある、我が家の2Fベランダです。 ゴーヤがプランプランとぶら下がっており、この光景から4年前に亡くなられたY・美智子さんの句が、心に浮かびました。 フィラデルフィア点描 草萌えて緑の中の美術館 この句の納められた句集『白夜』は、美智子さんが69年の生涯にわたって作っていた俳句をまとめたもので、印刷するばかりとなっていました。 しかし、ご本人は現物を見ることなく、黄泉の国に旅立たれました。 葬儀の翌月、立派な本になって届いた添え文には、ご主人の淡々と書かれたなかに、永年連れ添った妻への深い思いやりが、読む者の心に深く染み伝わって文字が霞んだ事が思い出されました。 この句は、夫君のアメリカ留学に付き添っていかれた折に作られ、毎日多忙な研究生活を送られていた中で、夫婦水入らずで暮らされた楽しい生活でもあったようです。 義理妹の兄嫁さんなので、親しく言葉を交わす機会はあまり無かったのですが、個性的な方で、私にはなぜか心に残る方でした。 ご主人は、統計心理学の教授でしたが……私には難しい学問で、質問することさえ憚られて、ただ『理系』と聞いて納得していたのですが……母君の時といい、奥様を見送られた時といい、印象の薄れることの無い、何時までも心に残るお別れでした。 関西では、もうじきお盆の季節がやってきます。 もう会えなくなった方たちを、色々思い出すこのごろです。
August 2, 2010
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今日も朝から暑い1日でした。 ちょうど1ヶ月前、私たち夫婦は、正岡子規が従軍記者として訪れた金州の足跡を尋ね、この大きな石に刻された『金州博物館』の前で、ツアーの人たちと記念写真をとりました。 今日は、自宅アトリエに20代の青年を招いて『手巻き寿司パーティー』をしました。 先月22日に、24歳になったブラジル人のLさん、あと3週間で帰国するドイツ人のCさん、息子たちと日本の友人で、色々話が盛り上がりました。 Lさんは身長190cm、日本の青年は夫々に「Lさんの身長を15cm欲しい」、「ボクは2cmでいい」、「10cmは、分けて欲しい」と、羨ましそうです。 おりしも今日は地元の『吹田まつり』、夜は世に知れた『PLの花火』 正午に始まった『手巻き寿司パーティー』は、みんなの笑顔を写真に残して散会となりました。 彼らはPLの花火を観るために、陽がまだ高い3時前に出かけて行きました。 世界がとても身近に感じる昨今です。
August 1, 2010
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