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原題は「The Gambler」。2017年に出版され、日本語版は上杉隼人氏の訳により2020年に第1刷が発行されている。【目次より】ギャングたちとのトラブル/大富豪vs大富豪の覇権争い/7300万ドルの賭け/世界に名を知られる/カーク・カーコリアンとエルヴィス・プレスリー/笑うコブラ/挫折/敵兵去る/活動再開/深淵に広がる光景/特別なリスク要因/パンチの応酬/MGMの大惨事/保険を食い物にする悪人/ひと振り100万ドルのダイス/テッド・ターナーの時限爆弾/海上での埋葬/億万長者のひとりとして/打席に立つベーブ・ルース/やっかい者のアイアコッカ/彼女はあくまで固執した/ライフル・ライト、マイク・タイソンを受け入れる/大量虐殺と寛容さ/勝って負ける/致命的誘引/取引仲介人たちの神/わが道を行く/大理石のアッパーカット/カーク最後の取引【感想】1917年にカリフォルニアで産まれ、2015年に亡くなったアメリカの大富豪、カーク・カーコリアン氏の人生が綴られている。同時代の大富豪、ドナルド・トランプ氏が本書に時々登場するが、目立つことを嫌うカーコリアン氏はトランプ氏とは真逆のタイプだったようだ。物静かなカーコリアン氏、とは言っても、その人生は余りにも波瀾万丈。読んでも読んでも彼の行動や判断に対する理解が追いつかなかった。十分大金持ちになったんだからもういいじゃん、と読みながら何度も思った。だけど、カーコリアン氏は70歳を過ぎても80歳を過ぎても大金を動かし続けた。その結果、毎度毎度全財産を失いかねないトラブルに見舞われれ、その都度大金を投じて優秀なスタッフを動かし、何とかトラブルを解決し、その結果(どうしてそうなるのかわからないが…)さらに金持ちになっていった。航空会社を所有したいとか、大邸宅に住みたいとか、プライベートジェットで飛び回りたいとか、豪華なクルーザーで休暇を楽しみたいとか、ラスベガスで一番巨大なホテルやカジノのオーナーになりたいとか、カーコリアン氏の一番の目標は何だったのか、最後までわからなかったけど、彼はこれらすべてを手中に収めている。一方で、彼は有名になることや名誉や称賛をまったく望んでいなかった。巨額の寄附も匿名で行ったり、人前に出ることや名前が出ることを彼はむしろ拒絶していた。内気とも思えるカーコリアン氏がどうしてこんな激しい人生を選択したのだろうか…。約400頁に及ぶこの本は紛れもなく「偉人」の伝記だと思う。例えアメリカで長く暮らしていても、カーコリアン氏のような大富豪と接するチャンスはまずないに違いない。いわば別世界を生きたカーコリアン氏の生涯に触れることができたのはラッキーだと感じたし、彼に親しみも感じてきた。それでいて、こんな人になれればいいな、と憧れをもって思える本でもなかった。心も身体もとてもじゃないがもたないと思う。ただ、こういう人の思考方法を理解できる自分になりたいとはすごく思った。
May 27, 2025
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札幌から函館本線を旭川方面に江別まで行く普通列車に乗って、入院しているおじさんのお見舞いに行った。降りたのは高砂駅。駅員さんがいるのはおそらく昼間だけ、そのくらいの小さな駅だった。駅の北口から出ると、防雪林と思われる分厚い林が線路に沿って長く延びていた。この林を横切った先の道路で、いとこ夫妻が待っていてくれた。軽くあいさつをした後、車に乗せてもらって病院に向かった。小さな頃から何かにつけて気にかけてもらっていたおじさんは、今は90歳を超え、いくつかの病を患っていると、いとこから聞いていた。食事をとることもなかなかできないらしく、僕たちが病室に行った時も、ベッドから起き上がることはできなかった。だけど僕が来たことはわかってくれて、何かを僕に見せたがっていた。言葉が聞き取れなくて、その何かは結局わからなかったけど、おじさんの姿を見ながら、僕はその何かをちゃんと見せてもらっているような気がしていた。少し悲しくて、でも嬉しかった。おじさんが病床で僕を迎えてくれたことに感謝して、今日久しぶりにおじさんに会えたことに感謝して、そして僕をわざわざ病院まで連れてきてくれた、いとこ夫妻にも感謝しながら、彼らの車で高砂駅に戻った。
May 22, 2025
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昔の町名、南町(みなみまち)は、昭和45年2月1日の住居表示で、仙台市青葉区一番町一〜三丁目と大町一丁目のそれぞれ一部になっている。昔も今も「芭蕉の辻」と呼ばれている交差点が、南町の北側の端にあたる。城下町から仙台城に向かう東西方向のメインストリートと、江戸に向かって南北方向に延びる奥州街道が交わる、仙台城下の中で最も活気のある交差点だったらしい。南町は伊達政宗公と共に仙台に移ってきた由緒ある「御譜代町」の一つで、城下中心の奥州街道沿いに立つ格式高い町だったそうだ。芭蕉の辻から南に向かうかつての旧奥州街道は、今は「国分町通」と呼ばれ、オフィスビルやビジネスホテル、ショップなどが立ち並んでいる。国分町通に立つ辻標「電話横丁/南町」は、南町を次のように説明している。・仙台の真中、国分町、芭蕉の辻、南町と続く奥州街道の繁華街で、藩祖についてきた譜代町である。・野菜、穀物、荒物を業としていた。・明治初年に郵便局、警察署、旅館、やがて銀行ができ、市電も辻まで通ったこともあった。・空襲で全焼し、戦後町は面目を一新した。かつての南町を少し東(仙台駅方向)に入ると、ビルとビルの間に小さな神社があった。「野中神社」そして、境内のポスターにはこんな記述があった。・伊達政宗公が城下建設の中心地として野中神社のあたりに定めたと言われています。・町割りの"縄張"(なわばり)に使った縄を地中に埋め、その上に野中神社を祀ったと言い伝えられています。仙台の城下町建設にも由来する野中神社。今は「縄で結ぶ」ということだろうか、縁結びの神様になっている。
May 17, 2025
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GW中、円山公園(札幌市)を歩いた。地下鉄駅からしばらく緩い坂道を上っていくと、円山動物園の隣にある円山球場から応援団の声が聞こえてきた。近づいてみると大学野球のリーグ戦だった。この時の試合は東海大✕星槎大(せいさだい)。ネットで調べると、札幌大学野球連盟のリーグ戦は3部に分かれ、強豪校が揃う1部には、星槎道都大学、東海大学札幌キャンパス、札幌大学、北海学園大学、北海道大学、北海道文教大学の6チームが所属している。さらに各チームのウェブサイトを見ると、北大を除くどのチームも道内の高校を中心に有力な選手たちが集まり、1部で戦っているだけあってかなり本気で野球に取り組んでいるようだった。果たしてどんな選手たちがどんな野球をしているのか…少し試合をのぞいてみたかったけど、見られる時間は長くても10分程度。ちらっと見るために入場料を払うことがためらわれ、結局球場には入らなかった。(数百円程度のようだったけど…)自分が内地の学生だった頃、そこでも春のリーグ戦はGWとかぶっていて、天気の良い日には花見がてら、あるいはピクニックがてら球場に入ってくる人たちが多かった。大会運営には関わっていなかったのでわからないけど、当時は入場無料だったのだろうか…そんな日には、いつになく人の多いスタンドから、たまに酔っぱらいのヤジみたいな声が飛んできたりもしたけど、見知らぬ観客がたくさんいる中で試合ができる喜びは確かにあって、「いっちょ見せてやる。俺に(ボールが)飛んでこい」みたいな高揚感でグラウンドに立っていた記憶がある。もちろん、円山球場レベルになると球場使用料も決して安くないだろうし、運営サイドとすれば入場料でいくらかでも経費を賄おうとすることは当然の考え方だと思う。一方で、選手としては応援団とチームメイトとOBしかいない観客席よりは、にぎやかな中で野球をやりたいだろうなと思う。たとえ冷やかし半分の人たちでも…。この日、円山公園も動物園もすごい人出だったので、なおさら少しもったいない気はした。
May 12, 2025
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いろは坂を上り切ると目の前に大きな湖が現れて、一瞬目を疑った。中禅寺湖…?もちろん、ここに中禅寺湖があることは行く前からわかっていたし、この湖から華厳ノ滝が轟々と落ちていることも知識としては知っていた。だけど、目の前にあるのが予想より大きな湖だったことと、そして何よりも、急な山道をくねくねと上った先に海岸のような景色が目に入ってきたので、なんといえば良いか…天地が逆さになったような、妙な感覚に襲われた。湖畔の宿に車を停めて、歩いて湖面まで下りてみると、周囲の静けさの中に海のような波の音が聴こえて、やっぱり天地が逆転したような変な気分になった。この日の宿、中禅寺金谷ホテルの部屋からも、林の向こうに中禅寺湖があった。ロッジのような造りの高級感あふれるホテルの中で、非日常の時を過ごした。滞在中、温泉にも何度も入った。硫黄の香りがして身体が良く温まった。露天風呂からは夜空の星が明るく見えた。
May 7, 2025
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アメリカのドナルド・トランプ大統領が、2期目の就任直後に関税の大幅な引き上げを宣言し、世界経済を混乱に陥れている。だけどその後、アメリカ経済にも良くない兆しが跳ね返ってきたことを受けて、アメリカ政府の方針が少し変わったようにも見える。彼らしいと感じるのは、その良くない兆しの責任を、アメリカの中央銀行総裁にあたるパウエルFRB(連邦準備制度理事会)議長に押し付けるかのような動きをしたところ。自分に批判の矛先が向かないようにするための戦略なのか、パウエル議長を「Mr. Too Late」などと罵り、金利切下げに慎重な議長の姿勢を批判した。トランプ氏は以前、大統領選挙の敗北を受け入れることができず、票が盗まれたと支持者を扇動。暴徒化した支持者の群れが国会議事堂に乱入したことがあった。今回の動きはそれに重なって見える。かつて、ボルカー議長の時代には当時の大統領はどんな振る舞いをしていたのだろう…。そんな思いもあり、この本を読んでみた。結果、今と同じ類の大統領はいなかったように思われた。世界が憧れるアメリカに1日も早く戻って欲しいと思う。原題は Keeping at it。2018年に発行され、日本語版は村井浩紀氏の訳により2019年に1版1刷が発行されている。【目次より】ワシントンに向かう/挫折した通貨制度改革/インフレと闘う/国内外の金融危機/終わらなかった任務:金融システムの修復/FRB議長退任後/新しい金融の世界:崩壊と改革【年表より】1927年:誕生1952年:ニューヨーク地区連邦準備銀行にエコノミストとして就職1957年:チェース・マンハッタン銀行に調査担当エコノミストとして転職1962年:財務省に新設された金融分析局の局長に就任1963年:財務省の金融担当の副次官に指名される1965年:チェースに長期計画担当部長として復帰1969年:ニクソン大統領の金融担当の財務次官に指名される1974年:プリンストン大学ウッドロー・ウィルソン・スクールの上級研究員に1975年:ニューヨーク連銀総裁に1979年:FRB議長に1988年:プリンストン大学ウッドロー・ウィルソン・スクールの教授ほかに就く2004年:国連の独立調査委員会の委員長に指名2007年:世界銀行の独立審査パネルの議長に指名2009年:オバマ大統領の経済再生諮問会議の議長に指名
May 2, 2025
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