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なにを書こうかひじを突きながら目を閉じて考えていると不思議。あの出来事を書こうとか、あいつのことを書こうとかいろいろ思いつく。思いつくんだけど、いざ書こうとするとどう言葉にすればいいのか分からず、その瞬間考えていたことの概念すら目の前から消えてしまうから。そうするとやる気だけが宙に取り残されたまま、のどの奥に違和感を感じて胸の奥に吐き気を感じる。伝えたい気持ちがどんなに強くても、どんなに強く抱き締めたって伝わらないときのようなもどかしさ。そんなとき感じる痛みに似ているかもしれない。おそらく話をするのと文章をかくのにはプロセスの中にある価値に似ているものがあるのだろう。明確にそれが何かは分からないけれど。だから普段の生活の中で気持ちが伝わらないことが苦痛なように、書こうとしたことの概念までも消失してしまうのは苦しい。体の中に取り残されたやる気は逃げ場を探してすみずみまで駆け巡り、文字通り現実に走り出したくなる時だってある。伝えるために文字にしようと試みて、文字にできずゆえに残された気力。定義からして伝えることなどできるはずもない。虚無的になるときだってある。普段の生活でもこんなことばかりだ。伝えたいことのほとんどは伝えられないもどかしさのエネルギーに変換されて自分を苦しめるばっかりだ。だけど時には、、そのもどかしさを伝えることで「理解」してくれるのではなく、そのもどかしさを経験に照らし合わし「共感」してくれる人がいるかもしれないというふうに思う。実際そうだったらいい。伝えられない気持ちを察しそして共感して欲しい。。。自分を含め誰かがそう思うことを、わがままだとは思わない。
2007年01月30日
15時更新::: 8時から12時まで喫茶店にいた。そのあと本屋にいって春休みの計画を立てた。ふと語学コーナーに行くとフランス語の本がある。去年の暮れに「今年はフランス語検定三級をとろう!」と決めたことを思い出した。うちの高校は第二外国語の授業があったから実は結構長くフランス語はやってたりする。しかし大学はいざ知らず高校では単位すら落としそうだったくらいだから「彼は18歳だった」といまフランス語にするのに5秒はかかった。「私の父は51歳です」だったら51という数字をなんというのかしらないほどである。というかむしろ大学でも他の教科がやばい。そういうわけでフランス語なんてやってるほど暇かとも自問したが、やっぱりフランス語ができたらいい。それには間違いない。結局すぐ「春休みはフランス語を勉強しよう!!」と思い立ってしばらく立ち読みをしていた。本棚の前で一人興奮していたのだが、しかしどうしても違和感がぬぐえない。考えてみれば部屋には同じように衝動買いして放置してある本がたくさんあるのだ。歴史や心理学に関しては買って開いてすらいない。中国語だってある。問題集なんて買って満足だ。そういうわけで「フランス語の本なんて買っていいのか??また荷物が多くなるだけじゃないか!?」と野暮なことを考えてしまった。しかも単語帳と文法の本二冊で5000円。高い。考え始めるととたんに気分が重くなった。フランス語なんてやってもなんにもならないとか、むしろ英語やってろとか、それどころか遊んだほうが健康的なんじゃないかとか思った。だって小説には中身がある。政治経済や医学書は覚えれば覚えるほど特をする。毎日の生活だって経験には意味があるだろう。しかしフランス語でJapan をJapon ということを覚えて何になるかと考えればなんにもならない。その知識には意味がない。「あぁフランス語をやりたい。でも間違いなく時間のムダだ。時間を無駄にはしたくない。でも…あぁぁ。でも…」と結局その考えの間を行ったりきたり。たぶん30分くらい。結局計一時間本屋にいてなにも買わずに出てしまった。せめて戦利品としてやすい小説を買えばよかったとか思う。(ちなみにこれは普通の日記なのでフランス語の話は中途半端ですがおしまいです)出た足で次はコンビニへ行った。TSUTAYAで借りていたエルヴィスコステロのCDの歌詞カードを印刷するため。エルヴィスコステロはノッティングヒルの恋人の主題歌SHEを歌った人でかなり有名らしい。たしかにこの曲は本当にいい曲。30枚近く印刷するので順番譲ったらかなり待たされた。「どれくらいで終わりますか?」と聞いたらすぐ終わりますっていうから譲ったのに。。。はぁ?とか思ったけど後ろで待たれるよりはいいので我慢我慢。ちなみに南条あやがコンビニコピー機の印刷紙を拝借していたとか日記に書いていたが、あの方法を自分も見つけた(笑)。(左)側面の灰色のレバーを上に引っ張ると紙がストックされてる引き出しが開くのだ。どうやるのかずっと不思議だったのでかなりすっきり。そのあとはスーパーで焼き芋と牛乳を買って、散髪をして、二時半に帰宅。朝とは打って変わっていい天気だったのがよかった。このあとはまた机にかじりつく予定。テストもあと3日ですがかなり限界できつい。早く終わって欲しいです。終わり。えぇと、かなり頭の部分がでかい日記になりましたが、疲れるからしょうがないです。フランス語のことで書きたいことがまだあるんですが、明日か夜書きます。内容は普段の調子になりそうです。二回目22時30分::: 左右に誰もいないのは寂しいから一番にはなりたくない。確かで信じられるのは自分だけだとは思いたくないし、どうせならすべてを不確かと見なす視点が欲しい。自分が自分の先導者ではずっと同じ円の上を歩くようなもの。進んでいるようで進まない。
2007年01月29日
おはようございます!!二時から活動開始です。今日は昨日やりのこしたことが山積みなのでがんばります。あとで日の出みに行こうかな。。。これから24HOURのファミレス行くてもある。。まぁ場所に関わらずやらなくちゃいけないことはかわらんけど。今日もがんばろー!!
2007年01月28日
春休みが始まればバスか普通列車で旅行に行きたい。行き先は決めないで、ずっと乗り物に乗って外を眺めていたい。それで静かなところで降りて、ずっと本を読んでいたい。茶畑が見渡す限り広がるようなところか、海の見えるところか、屋久島みたいな鬱蒼としたところか、それとも砂丘でもいい。なにをやってもいい自由の中で、自分が一番好きなことをしたい。逃避でもなく義務でもなく、ただやりたいっていう理由から何かをしたい。自分の立ち位置。何をやってもいい状況の中でやることがそうだったらいい。本当のところそんななかで何をやるかなんて分からないけど、後になったとき、自分はあの時あれを「選んで」やったことを思い出し歩いてきた道を思い返せるようになりたい。私は、それぞれが心のなかに他人からは干渉されない世界を作って、それを少しずつ重ね合わせて生きていければいいと思ってる。なのに振り向いたとき自分の過去になにもなかったらどうしようもない。いつも自分の背中に闇があるのは嫌だし、現在が消えるのだって耐えられない。だから自分は何がすきなのか、何をやってきたのか、何を考えたのかを残しておきたい。意識しなくては全部消えてしまう。旅行に行くっていうのは自分の内面を覗き込むこと。新しいことなんてしない。珍しいものだっていらない。そういうところに「自分を見つける」なんて思ってないから。自分自身と自分の生活を改めて意識できるようになりたいだけ。そうすることで、自分の位置を確認してみたい。何回書いても途中で消えるんですけど。。。もう寝たいのに。いま八時なので明日は4時に起きます。今夜nhkでやるインドの番組が見られないのが残念です。去年は「インド日本学生会議」などという怪しいものに顔を出したりインド料理周りをしてみたりしたのでちょっとインドに興味があったりする。でも再放送やるだろうからいいです。どっかで、眠りとは絶望しつつもより良い明日がやってくる可能性を願うある種の祈りだとか聞いたけどうまいこと言いますね。おやすみなさいませ。あ、そうそう。インドの天才詩人タゴール君の詩も書いておきます。箔がつくかも知れぬ(笑)私は眠り夢見る。生きることが喜びだったらと。私は目覚め気づく。生きることは義務だと。私は働くーすると、ごらん。義務は喜びだった。
2007年01月28日
一の真実を伝えるために、百の雰囲気を作り出すってね。…小説のはなし。人の心に訴えかけるには不断の努力とみみっちいテクニックが必要なみたい。そういう努力から目を背ける自分は怠け者なのかもしれぬ。。。いいや。違う、違う。。。僕は努力してできないのが怖いだけだろう。伝えようと努力して届かなかった文章はナメクジの這ったあとのように気持ち悪い。だから自分を防御して、それゆえ誰にも思いは届かない。僕の文章。すべては心の形骸さ。別にみんなに分かって欲しいなんて思ってないのに。伝えたい人に伝わればそれでいいのに。それが、とってもムズカシイ。ちなみに最初の文章は太宰治、「晩年」の中の「葉」です。
2007年01月27日
高校から一緒の先輩に、数学バカの人がいる。彼とは数学の話以外した覚えはほとんどなく、先日ほかの話を振ってみてもやっぱりだめだった。「大塚愛って知ってますか?」「うぅん、知らない…」「じゃあ小西真奈美は?」「誰それ?」「……。浜崎あゆみなら知ってますよね??」「名前だけなら…」こないだの会話そのままです。だから通学途中彼と一緒になると朝から一時間講義されることになります。でも嫌味ではなく心から幸せな人だと思います。実際数学が大好きで数学やってる自分も大好きなんて、幸せ以外のなにものでもないですけど。「○○さん将来何になるんですか?」と尋ねると「今もこれからも、俺は数学しか興味はないよ。ふっ」と答えてくれます。本当の話です。そんな彼が大好きです。一方自分の趣味は彼の数学とは違い逃避にすぎないのかもしれないと思います。趣味を本当に好きでやるものと何かの逃避としてやるものとに分けたら、自分の場合後者の要素が60%。なにやっても時間を無駄にしているように感じるのは苦痛です。その苦痛から逃れるために必死に映画見たり勉強したりしている自分は、周囲から見れば惨めなんだろうな。ちなみにその先輩は「理工学部数理科学科数学専攻」在籍、外見もそのとおりです(笑)
2007年01月26日
すべてに無関心でありさえすればいいのに、それができないなら疎んじられるだけさ。Let it be over .No more the dirge of betrayers .Nor the furious winter rages . Silence like cancer grows and anyone no longer cares about such a little thing .Let it go and let it be over. You cant have the security as long as you remains with him staring at you .Let it close his eyes with your last gentle pats and you know it the best way as you are , right?
2007年01月26日
五時から物理のテスト。単位は取れるだろうけど、どうしても二つわからない問題がある…。気軽に聞けるような友達つくっときゃよかった。自分よりはるかに頭悪いやつが過去問とか答えのプリントで乗り切っていくのは少し不愉快だったりする。努力もしないで誰かに媚びて問題教えてもらうほど落ちこぼれちゃいないというのは、負け惜しみでしょうか?
2007年01月23日

鳥だってする。蜂だってする。恋のことではありません(笑)。こないだ日の出を見に行った。徹夜の後、6時頃近くの公園へ行った。最初は真っ暗。だけどほんの30分の間に東の空が明るくなって、鳥の声が聞こえ始めて、空が青くなった。その間に夜と昼が入れ替わった。夢みたいに近く銀色に見えていた月が、幻像のように半透明になった。対照的に周囲が明るくなり現実味を帯びてきた。夜が明けるっていうより夢から覚めるって感じ。不思議を垣間見たような爽快感。しかも写真で写ってるのなんかよりずっときれいでした。もっと絵で描いたように鮮やかな赤で、だけど透明感のある赤。恋人のいる方、ぜひ一緒に行くことをお奨めしますよ。楽しみは二倍に、悲しみは半分に…。かなりムードが出るんじゃないでしょうか?ちなみにムードを出す時間が夜でなく明け方にあるなんて盲点でした。しかもその時間は一番寒くて、暗くて、眠い最低の時間帯のあとっていうのはびっくりです。ある意味最低の時間のあとだからっていうのもあるんでしょうけど。夜の場合どうしてもあと数時間で楽しみが終わるっての意識しちゃいますからその点明け方はいい時間帯なのかもしれません。
2007年01月21日
今日は4時半に起きました。しばらくベッドの中で本を読んで、いま起き出したところです。これから喫茶店にいって勉強してきます。ちゃんと勉強できれば午後の時間使って日記もまともなのが更新できそう。。。期末テスト中なのです(><)たぶん今日はしっかり日記を書くでしょう。ちなみに昨日食べたkrispy kreme doughnut(店の名前)はおいしかった。新宿に行くことあったらぜひ食べてください。ほんっとおいしいです。
2007年01月20日
やばい。二日目にして完全に気力をなくしてしまった(汗)。そもそも中途半端なのがいけない。誰かに見せるわけでもなく、自分だけが見るわけでもなく。。。今日は喫茶店で8時頃から12時まで勉強。そのあと本屋でフランクルってひとの本かって帰宅。焼き芋食べながらBilly Joelを聞きつつまた勉強。今に至る。。書くことなんてこれくらいしかないですが、二日目で終わりたくはないので昔の日記を引っ張り出してきました。かなり暗い内容です。最近はここまで落ち込んでいません。。。これ書いていた時なにがあったんだろ…(笑) 「朝布団から抜け出すのがつらい時期になった。暖かいリビングから廊下に出たときや、北向きの部屋に入るときに冬を実感する。私はいま誰とも話したくない。時間のとまった部屋でぼーっとしながら、人とのつながりだけはほしいとは思うのだけれど。 去年の今ごろ私は入院した。いままでで一番つらい経験だった。正直思い返すのが怖い。だけどどうしようもなくいまでも夢に見るし、常に心のどこかであのときのことを考えている。憂鬱なのは冬が去年のことを思い出させるためか、単にいまの生活が不満なのか。いずれにしても気分に任せて寝込んでいるわけにはいかない。将来のステップのために今考えていることをここに記しておこうと思う。最近いろいろなことがあった。人とのつながりにどうしても満足ができず、自分の将来が不安だ。時間ばかりが冷酷に進んでいく。しかし私はだいそれたことを求めてるわけじゃない。人が好きだから、友情や愛情がほしい。それに加えてそれを保障してくれる安定した生活がほしいだけ。これは誰もが願うような普通の幸せじゃないのか?なのになんでそれが得られないのか。しかもそう願うのは私だけじゃない。なぜみな同じことを願って、それぞれを求め合っているのに、すれ違いが起きてしまうのだろう。簡単に手に入ってしまうより苦労をして手に入れたほうが喜びは大きいからそれはそれでいいのかもしれない。だけど、手に入らない今、私はやっぱりさびしい。先日入院していたときの担当看護師が経験したホスピスについての本を読んだ。当時26歳だった彼女が同い年の患者と出会い看取るまでの記録。あるライブの前後に読んでいたので、ついそこにいた激しいテンションの人たちとその本の中の苦しみながら死んでいった患者さんを比較してしまい不思議な気がして「人は結局死んでしまう。そしてそれはものすごく怖いことだ。しかし一方で生きることは死ぬことの対極にあるわけではない。死を受容することで生きることが幸せになるようなこともある。だから結局人は生きることをいかに死ぬことに重ね合わせて往生できるかが大切なのだ」と思った。生死について考えるときすでに人は生きている。その時点でどうしたって人は死ぬことを逃れることはできない。それぞれでそのゴールの遅い早いはあるかもしれないがかならずそれはやってくる。だから、冷静に考えてみればライブに熱狂している若者がいる一方で同じ年の人が病気で苦しんでいてもなんの不思議はないのかもしれない。こんなことを書いていたら今ふとある女性を思い出した。ずっと遠くへ行った人。以下昔の日記の抜粋です。「自分とは似ても似つかない性質の彼女はまるで突然の雷雨のように私の世界をめちゃくちゃにして去っていった。彼女と付き合って私は自分が誰なのか、本当に毎日を有意義に過ごしているのか分からなくなった。彼女との連絡がなくなった今、私は彼女によってかき乱された世界を整理するのに追われている。それが死について考えることであり、生についてかんがえることなのだ。私はこの経験によってまた自分が一歩死に近づけたこと、つまり成長できたことを実感している。一方彼女はきっと何事もなかったかのように私との関係をたんなる一つの軽い経験として処理しているのだろう。彼女にとってほとんど私は意味を成す存在にならなかったのだ。なぜこうまでして反応がちがうのかをかんがえるととても不思議な気分になる。」以上日記より。しかし上に書いたように人はみな最終ゴールは同じ。それに向かって歩みがずれるのは当然なのかもしれない。彼女と私の歩みがずれることも考えてみれば不思議でもなんでもない。気持ちを文章にしていると楽になる。私が憂鬱なのはきっと薄暗い曇り空のせいなのだろう。生きていく中で私は死にむかって世界をデザインしていくことしかできない。彼女と過去の自分をいつくしみ決して忘れることなしに、前を向いて生きていくしかない。死はすべてを包み込む。善いものと悪いもの、幸福と不幸、肉体と精神。私のささやかな願いはこの世界では聞き届けられないことがあるかもしれない。しかし、そうだとしても間違いなく死は私の不幸を包み込んでくれる。この世のなかで死が唯一信頼できるものなのかもしれない。死は悲しい。絶対に悲しい。しかし、その中に救いの片鱗を見つけられるような気がするのは、私だけだろうか。」終わり。もう疲れました。
2007年01月18日
ファウストです。えーと、最初なので自己紹介をしたいと思います。まず、僕には、霊感があります(笑)。…半分ホントで半分ウソ。今日はそのへんから自己紹介させてください。別に半生を振り返りつつ自己紹介してもいいのですが、あまりオモシロくないでしょう?。小学校は野球一筋。中学校は勉強バカ。高校はメンタルというだけです。。。ちなみに今は、、、、なんだろう???こっちが聞きたいくらい。…平凡な大学生、かな。。 ははっ(←自嘲)とにかく、霊感うんぬんのはなし。急いで説明しないとオカルトにはまったやばい人と思われそうなので説明します。僕に霊感があるというのは、臨死体験があったり幽霊を見たことあったりするということです。オカルトにはまってるわけじゃないのでご安心を。。ただ、ものは言いようで臨死体験は夢だったり、幽霊見るのは幻覚妄想の類かもしれないですが。まぁでも死後の世界には興味があるのでオカルトか科学か別にしてそっち系の本はよく読みますね。他には心理学小説科学系。ちなみにぎぼあいこ(漢字忘れた)とか江原なんちゃらとかあのはでなおばさんは鼻から信用しておりません。てか臨死体験ってみんな知ってんのかな。。。知らないひとのために以下の体験談を「つくり」ましたのでご参考に。「数cc輸血されたとたん肺が石になったように息ができなくなった。激しいめまいに続いて視界が一面に灰色になりみるみるうちに視野が狭くなっていった。飛行機がよこで飛んでいるような轟音が聞こえた。転倒して、私は地面に吸い込まれるように意識がなくなった。直感的にもう自分は死ぬのだと思った。気づいたら私は病院の上空を高速で昇っていて、みるみるうちに人や家が小さくなっていき勤務先の高層ビルなどが豆粒くらいになるまでほんの数秒。不思議と現世への未練はなかった。気づいたら私は湿った陰鬱な空間にいた。どの方向もかすんでいて足元すら見えない灰色の、薄暗い、湿った空間。夏山で遭遇する濃霧に似ていた。私は霧消にのどが渇いていた。水が飲みたかった。音だろうか?普通に聞く音ではなかったと思う。しかしすぐ近くに水の流れる音がした。私はそこまで駆け寄って手で水をすくった。透明で味はしなかった。しかし二、三杯飲むと突然水が煩わしくなり私は残された家族が心配になった。そして、帰るためにはこの川を渡ってはいけないと直感した。私は突然パニックに襲われた。川が怖くなった。「ここから出たい!早く帰りたい!」私はそう叫びながら来た道を全速力で引き返した。気づいたら私は病院のベットの上で叫んでいた。」ま、こんな感じです。。。あと幽体離脱とか死んだ親戚とかでてくるのもポピュラーみたいです。ちなみに臨死体験はほとんど「すばらしい」ものみたい。このように暗いのは少ないみたいです。なんとなく明るい文章書く気にならないので、あしからず。ちなみに僕が体験したのは明るくも暗くもありませんでした。てか文章かいてていやになりますね。南条あやのように書けたらいいのに。自己紹介ということであえて文脈はなれますが、南条さん、尊敬します。。落ち込んでいるときベットで彼女の文章読んでると落ち着きます。最近はまったく読んでないですけど、通学中彼女の住んでいた家の近く通ることがあるので感慨にふけることもしばしば。もちろん、そんなときはCoccoを聞きながら(笑)。死んじゃったけどね・・・・・。死んだら何処行くのかわかんないです。自殺したら地獄にいくんだったら自殺するような運命に置いといて自殺したら地獄におとすなんて、神様もひどい。死んだらみんな天国にいくっていうなら自殺もいいと思う。地獄も天国も存在しないなら、やっぱり自殺もいいと思う。ただ自殺して地獄にいくのが怖くて生きてる。こういう人結構いると思う。そうすると、自殺者は社会の負け犬じゃなくて、ある意味勇気あるヒーロー。好きな人には死んでほしくないけど、死のうとする人を精神病院に入れたりするのは自分勝手なのかもしれない。自殺者が自分勝手かそれを止めるのが自分勝手か。好きな人が死んだら、かなしいけどね。ってこんなことかくつもりなかったんですけど(><)。南条さんのあとあたりからおかしくなりましたね(笑)臨死体験に戻りたいのですが、いかんせん時間が迫っておりますのでそれをとばして後に書くつもりだった幽霊を見た、という話をします。あれは、去年の11月24日。古都京都へ墓参りのお使いにいったときのこと…。「円山公園近くの墓に着いたのは午後2時ごろでした。歩いてきた道路は車と自転車で込み合っていました。風が強くて、コートの前をとめても風がひゅうひゅうと寒かったです。しかしお寺の中にあるお墓は周囲の壁のおかげで無風。太陽があたたかでした。僕のほかに誰もいなかったので静かでした。初めての墓参りで場所が分かるか不安だったのですが、親に渡された適当な手紙「入って左。右手に見える大きな墓石を右折。三つ目の墓です」のとおりに歩けばすぐ「立花家之墓」は見つかりました。 だから線香をあげて墓石洗って花を供えたらすぐ帰れました。しかし僕はそのとき妙に虚無的で人生をなげいたのですこし妙な墓参りをしました。線香に火をつけると墓の前にどっかり腰を下ろして墓石に向かって語りかけ始めたのです。「ねぇ、じいちゃんそこにいるんだろう??ちょっと話聞いてくれよ。今すんごく死にたい気分でどうしようもなくて。。。こんなに精一杯やってるのに学校でうまくいかないし、いつもなんかに追いかけられてる気がするし、もう自分がいやなんだよ。じいちゃんは死んでるからあるわかんないだろうケド。~~ (中略 こんな感じで40分くらい墓石の前で語っていました(笑)) 死んだら何処にいくんですかね?魂だけのこって家族の守護霊とかになるんですかね?もし本当にそこにいるなら証拠見せてくださいよ。」そのあと僕は語りかけていた間中ずっと燃え続けていた線香に気づいて、これから10秒目をつむるからその間にこれを消してほしいとお願いしました。1234……10に近づくにつれてもし本当に消えていたらどうしよう。そしたら本当にじいちゃんはそこにいるんだろうか??などと考えて目を開けるのが怖くなってきました…678910 目を開けると、線香は燃え続けていました「なーんだ。じいちゃん。いないのか」しかし、まさにそう呟いた瞬間向こう側の木が大きく揺れて、大きな風がきたことが分かりました。そして「まさか」と思っているうちに ふっ と線香の火は消えてしまいました。みるみるうちに線香の煙は上空へ。。。僕はじいちゃんがそこにいることを知りました。そして墓石に向かって「そっか。そこにいるんだね…。じゃあ、もしかしてじいちゃんだけじゃなくてほかの人もいるの?そうだったら、これから同じようにするから線香の火を消してみてよ」といいました。10秒後、目を開くと線香は消えていました。午後二時を過ぎたから風が吹き始めた。だから線香が消えた。幽霊なんて関係ない。そういわれるかもしれないですが、それから15分くらい目を開けて座っていても風は一切ありませんでした。しかもまだ続きがあるのです。帰り際、「じゃあもう行くよ」と立ち上がると、ずっと燃え続けていた線香がまた消えました。時間がせまっていたのですが、とりあえず線香に火だけはつけておこうとマッチを取り出しました。しかし今度は火がつかないのです。湿ってもいないマッチの火がつかないのです。折れたり、すぐ燃え尽きたり。。7本目でやっと線香に火を移すことができました。「じゃあいくよ。」そう言い放ち僕は墓に背を向けました。絶対に振り返りませんでした。妙な気配があって、線香が消えていることが分かったから。怖くなってほとんど逃げるように墓から離れました。そのときの気配は強烈でした。墓場の出口までの15メートルが1000メートルも先のように思えました。その気配がじいちゃんのもので、決して悪気がないことも感じました。でも、本当に、怖かった 」というのが僕の一番最近の体験。10もそのときの雰囲気を伝えられてないのですが、僕はあれが祖父の霊だったとおもっています。て、馬鹿にしてますか?まぁしょうがないですよね…。でも僕も合理的な説明があればあれは幽霊でなかったと考えを改めるつもりなので、そこのところよろしくさんです。こんな駄文ですが多少私のことわかってもらえたでしょうか?雰囲気つかめます??いろいろ情報ちりばめたつもりなのですが。。。文才あったらなって思いますね。普段は本を読んでるか勉強してます。ときどき友達とご飯食べるみたいな生活です。好きな歌はたくさんありますが、懐メロとCoccoと洋楽をよく聴きます。紅白のときDJ ozmaの曲を結構いいと思ったりする自分に驚きました(笑)以上です。本当に、こんな文章で伝わるのかな。。。 改善していきたいのでコメントいただけるとうれしいです。
2007年01月17日
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