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忙しくて更新できません。。さぼってるわけじゃないけど。二日に一度は更新したいのですが、月曜までやすみます。ちなみにいまヘッセの荒野のおおかみを読んでます。4度目の挑戦。また挫折しそう
2007年11月30日
心理学の小レポート。といってもNHKスペシャルのビデオみてその感想を書くだけの簡単なもの。2000字も書いて確実に一番だと思ったら、意外に普通の長さだった。みんな真面目すぎ。だって普通の番組の感想。何をそんなに書くことがあるのか。「楽しかった」「○○ですごいとおもった」の連発。何年ぶりに使ったセリフだろうか。書いてて悲しくなりましたこれが先週。今週は先日自転車に乗りながらものすごい発見をした。人が嫌い。人が好きってのはこういうこと。ヨット部のキャプテンをしている友人の話を聞いて思った。ヨット部にうざったいマネージャーがいて、そしてそのマネージャーが部活やめると言い出したらしい。そんな話を聞いて、おれが「よかったね~」と言ったらその友人は沈黙したあと言葉を選びながらこう言った。「・・・でもさぁ。俺そいつ引き止めたんだよね。嫌なやつだけど、おんなじ部活で2年間頑張ったんだから最後まで一緒にやりたいし。うざいけどやめてほしいとかそういうのとは別だと思ってる」かっこいい!彼はうざいうざいといいながら、こころの底ではそのマネージャーを認めている。うざいことを含めて。自分とは違うなーと思った。彼みたいな人こそ堂々と「人を好き」といえるのかしら。誰だって知り合いには親切にするだろうから、それだけで「人が好き」なんて口走らないようにしよう。嫌いな相手を愛せるか。この問いの矛盾しない人だけが、人を好きだという資格があるんだろう。その点において自分が彼に劣るのはしょうがない。ただ彼があまりにも素敵だからと言って憧れてはいけない。タイプ違う人憧れてもその人にはなれないから。メダカはマグロに憧れていいけれど、鯨に憧れちゃいけない。鯨は魚じゃないからね。努力すれば追い抜かせるひとを尊敬するべきです。才能と性格に見合ったことを本気で努力すべし。それが大成への道。
2007年11月28日
気持ちを言葉にできることが特殊能力であっちゃいけない。平易な単語で、素朴に表現できなければ気持ちは伝わらない。なのに、それができる人がどれだけいるだろうか。他人に気持ちを伝えるのには二つの段階がある。一つ目は自分の気持ちを整理する段階。二つ目はそれを他人が分かるように表現する段階。どちらも言葉を使う作業だろうけど、意外に一つ目の段階はスキップできちゃったりする。つまり、自分の気持ちを整理できなくてもすむときがある。ほんとうにそんなことがあるだろうか。激しい表現やあいまいな表現を使ってニュアンスだけ表現すればいい。「微妙」や「まじ死にそう」など。確かに「微妙」という言葉でマイナスの感情だということを伝えられれば、それ以上の細かい分析や整理は省ける事になる。また聞こえのいい適当な形容詞を使うこともあるだろうけど。しかしそれでは赤ちゃんの泣き声と同じでニュアンスしか伝わらない。また、聞き手がそれを推し量ろうにも、本人が自分の気持ちを正確に捉えてないからそれもできない。ある感情が生まれたとき、それを自分のなかで整理することができないなら、それは言葉を持たないのと同じ。感情はいい悪いというようにおおざっぱに分類され、辛いけど楽しいといった複雑な感情は認知できなくなる。一つ目の段階をスキップしても表面上の問題はない。だけどそれができないなら、他人に深く正確に気持ちを伝えることはできないだろう。もちろん自分の気持ちを言葉を使って整理するというのはきっと言葉だけの問題じゃない。忍耐して嫌な感情と向き合うことも必要になるだろうし、できずにアクティングアウトする人はいくらでもいる。それでも気持ちを言葉にするのに才能はいらないはず。誰だって努力すればできることではないか。それができないなら感情は未分化なまま、それすら伝えられず、孤独になるのはしょうがないこと。孤独な人の中で、言葉が使えないから孤独な人がどれだけいることやら。始めに言葉ありき。聖書の言葉でもかみ締めて欲しい
2007年11月27日
さだまさしの歌詞はほんとうにきれいだと思う。彼が歌詞を大切にしてることは、歌詞カードのなかで一曲一曲に解説が付け加えられてることからも分かる。素朴で情緒的なメロディにはせつなくてこみ上げるものがある。今聞いてるのは心の時代というCD。どの一つをとっても自分の一番だといえる。その中にある秘密という曲。「きみにはじめて くちづけをしたのは 夏の手前の にわか雨のあと 草のにおいを運ぶ風 明日から来る 夏休みの校舎どこか遠くで 梅雨の終わりの 雷の音が聞こえた気がして 耳を澄ませば きみと ぼくの 胸の鼓動 それともすべて夢きらめく一瞬の ときめきを残してきみは 気まぐれな風のように ふいに消え去りぼくは 初めての秘密を抱いて独り 立ち尽くしていた 午後次に会えたら どんな風に 振舞えばいいか長い夏休みを 気もそぞろにやがて香る 秋風に 尋ね続けた日々第二学期に けれどもきみは 帰らなかったぼくの隣の きみの机の広さがぼくの 宇宙を飲み込んだようできらめく一瞬の ときめきを残してきみはきまぐれな風のように ふいに消え去りぼくは始めての秘密を抱いて独り 立ち尽くしていた 秋君の名前を胸の奥で呟いたときこみあげる想いに 涙あふれて秘密は 永遠に 閉じたきみにはじめて くちづけたのは」この曲についてる解説が下のもの。「一体いつごろから「秘密」に後ろめたさという「含み」を認め始めたのだろう。《内緒で企画しつつある誰かの誕生祝い》や《そっと用意した絶対喜んでくれるクリスマスプレゼント》なんかに、まだあの頃のあどけない喜びの尻尾を見ることができるが、仲間とともにあった《秘密基地》や《秘密結社》もいつか記憶の彼方に去り、「秘密」から「仲間たち」が消えていった。そして「秘密」が「翳り」を背負った。少年の「ひみつ」は想像力が産み出す「幻想」に近かったが次第に現実が投影する「嘘」を含み始めたともいっていい。それは「誰かに言いたくて言いたくてたまらないのを我慢する」から「誰にも知られてはならない」への変化だ。またその肉体的成長と共に、また精神的成長を経た変化の兆しと共に経験する【最初の秘密】に「性」が介在することは極めて多い。ささやかな秘密は大人への発芽に違いないが、今にして思えばそれはまた言い知れぬ深い悲しみの発芽でもあった」メロディとさだまさしの人格知らなければ、ここに歌詞乗せてもしょうがないのかもしれない気もする。むしろさだまさしはしみったれた歌手だと誤解されるかもしれない。そんなことはない。大晦日のNHK、紅白が終わった後にさだまさしのコーナーがあるけど、それを見ればピンとくるものがあると思う。歌詞とその作曲者がつながって「あぁ、なるほど・・・」と思うんじゃないか。いまここでさだましを一言で言い表すなんてやっぱりできないけど。ただ、最初にも言ったけど、無駄なものがぜんぜんなくて、素朴なメロディで歌詞が丁寧なのはほんとう。中にはイントロにカメラのシャッター音が入っていたりするけど、でもそれは無駄な音じゃなくて、歌を作った想いあっての効果音なんだと思ってる。リズムをあわせるために入れるような音とは根本的に違う。さだまさしは一生聴き続けるだろうなぁと思える。流行曲によくある、消費するような音楽じゃなくて、今感じてるこころの隙間を埋めて、ずっと自分の財産になってくれるような音楽ばかり。さだまさし好きだなぁとしみじみ感慨にふける夜がときどきある。
2007年11月23日

上野でムンク展見てきました。アメ横にも行ってきました。アメ横は1キロの大トロが1000円だったり、とにかく異常に安いです。活気もあるし、東京の下町って感じがします。渋谷で人に話しかけたら無視されるけど、アメ横なら返事してもらえます。この時期に100円でカットスイカが売ってたので、訝りながら店の前で食べているおじさんに「甘いですか?」と聞いたのですが、果たしておじさんは3回もうなずいてくれました。食べてみたら確かにおいしかったです。この時期にスイカなんて謎ですが。アメ横はとにかく安いし珍しいもの売ってるし。安さに調子乗って使いもしないアクセサリーまで買ってしまいました。109で売ってるようなガラスではない(らしい)。ガラスケースに入っててホンモノ(らしい)。・・・今日は本当にいい買い物をしました。てな感じで今日は12時頃に上野駅について、まずアメ横に寄ってスイカを食べ、宝石まで買って、上野公園で大道芸を見て、それから美術館に行きました。入場料1000円というのは高かったですね。親の金なので目を瞑ります。ごめんなさい。肝心のムンク展ですが、「叫び」とか「不安」に紛れて結構明るい絵もありました。11分のムンクの紹介ビデオで言っていたこと。「あるときムンクは無意識に自分が4つのテーマを書いているという事に気づいた。一つは愛の芽生え。二つ目は愛の移ろい。3つ目は生きる不安。4つ目は死。」そういうわけで、「叫び」はその中の一つに過ぎないらしいです。友達に教えてあげればたいしたトリビアだとは思いませんか。「ムンクは明るい絵も描いてるんだって!」ちなみにボードレールっていう詩人の「悪の華」の表紙に使われてる絵がありました。高校のとき友人に薦められた詩人で、憂鬱で暗い詩書いてます。絵葉書かって来ました。それが上の写真です。マドンナって作品。ボードレールはフランス最高の詩人らしいです。興味のある方は新潮文庫をcheck it out 。
2007年11月22日
え~、申し訳ありません。最近書くことがまったくなくて更新できません。化学系を専攻しながら物理化学のほうに進みたいので、勉強はしたいと思ってます。とかいいながら今日はHERO見てました。大学の勉強といえば、研究ですが、京都大学すごいです。ノーベル賞ものらしいです。ノーベル賞フィールズ賞は東大とは比べ物にならないし、ちなみにうちの大学は話にもなりません。あーやだやだ。そういうわけで勉強したって先みえないですが、やらないよりはマシだとは思ってます。好きなもの宗教にすればいいんだね。時間つぶそ
2007年11月21日
接待は苦手だけど、恥かかないとなれないからしょうがない。今日はバイトで恥かいてきた。英検のバイトだったので、教室誘導したり試験進めたり、要は接待です。慣れてないからうまくできなくて恥かきまくった。となりのやつは午後にはすっかり慣れてて、やってきた受験者に「こんにちわー!受験票の確認をしてもよろしいですか?」(受け取って)「はい。お預かりします。そちらの席にかけてお待ち下さい」なんて言ってる一方で、ボクなんぞは「おはよ・・すいません、、こんちにちわですね(汗)。緑の紙お願いします。」と惨めな対応をしておりました。最後のほうでやっとなれた、まぁ100人対応したのだから当たり前だけど。そのあと買い物をして帰宅。明日から休まず学校です。まぁ学校は休日のようなものだから毎日休みな訳ですね。頑張る
2007年11月18日
やりたくないばっかり。たとえば勉強もそうだし、やりたくないこと意志奮い立たせてやらなくちゃいけない。「これしたらいい人、これしなかったら悪い人」みたいな選択肢もよくあって、これも難しい。毎日は選択の連続でございます。この選択を誰がするのでしょうかね。他人に流されるか、感情に流されるか、自分で選択するか選べるわけで、大抵は感情に流されてる気がする。感情は自分じゃないから気をつけないとまずい。むかつくときむかついてる自分が自分のすべてだと思ったら、相手殴ってもいいことにはならないか。殴ったと後悔するのは、殴ったときの気持ちが自分のすべてじゃなかったから。だからこそ後で「なんで殴ったんだろう」みたいに言うんだと思う。殴るしかなかったら殴った後も「あのときはしょうがなかった」というと思う。言うまでもなく他人には流されたくない。自分できめなくちゃいけない。そういうわけで、どうすればいいか判断するのは感情や他人かもしれないけど、どうすればいいか決断するのは自分の思考なわけです。判断は他人。決断は自分。だから行動には責任が伴うわけでございます
2007年11月13日
頼みを断れないから困る。いい人を演じてしまう。今日も学校で友達に会った。自称薬物中毒らしいけど実際は分からん。で、会ったとたんくすり売ってとせがんできた。こちらが抗精神薬持ってるの知ってるから。そこでいいよーと言ってしまう自分。加えて「シートただであげるよ」とまで付け加えてしまった。言った後ものすごく後悔した。なるべくかかわりもたないようにしてんのに、本人目の前にすると気前よくなってしまう。しかもその時はこころから気前よくなってるんだからたちが悪い。言った直後に後悔する、いつも。確かに法律に違反したくないのもあるし、主治医裏切るようだから嫌なのもある。避けてるやつのためにあえて犯罪したくないのもある。好意もってたらいいけど、なんでそやつのためにわざわざ自分が法に触れないといけないのか。。にも関わらず断らなかった自分が非常に腹立たしいのです。帰ってメールで断った。ずっと避けてるのに会うといい顔してしまうから5年間も付き合ってる。嫌な人間だと思われるのが怖くていい顔してしまう。いいかげんにやめたい。避けてるやつには避けられたほうがお互い都合がいいはず。キライじゃないけど、要は価値観とかが不快なのです。今日ばっさり断ったから、相手も気づいてくれたかな。。嫌われたかもしれないと思うと心が痛みます。。
2007年11月13日
慈恵医大が今年の5月に森田療法センターなるものを設立したらしい。そういうわけで11月の連休に森田療法を受けようと思った。結構ちかいところに「森田療法道場」という怪しい道場があるけど、道場に何日も監禁されたくないので、きれいで新しい慈恵医大で新しくデビューでもしようと。でも、残念ながら思った以上に時間がかかるらしい。入院3ヶ月。短期でも1ヶ月。諦めました。外来治療もできるらしいけど、問題切迫してるわけじゃないし、受ける機会はまた先延ばしになりそうです。こないだせっかく学校のカウンセラー尋ねてワークショップ紹介してもらったのに高額で諦めたし、お遍路は歩きとおす自信ないし。。外部に頼ってちゃだめみたいです。家で森田療法やろうかな。。
2007年11月12日
自分に関係のない話だから架空の話と同じように片付ける。たとえば薬害肝炎とか。もっとひどい話小説でよく読むし、薬害肝炎なんてどうでもいいじゃんと思ってるのかもしれない。そうじゃなきゃ自分も必死になって協力するだろうから。自分に関係のない話でも現実は現実で、身近な話でも小説は小説で、稀な現実はよくある架空の話よりリアリティがあるはず。ノンフィクションこそ自分のこととして考えるべきなのでは。でもどこかで切らないといけない。一つ一つ自分のこととして受け止めていったらキリがない。他人の不幸は他人の不幸。区切りつけたとたん冷たいやつ嫌なやつと思われるけど、こればっかりはしょうがない。嫌なやつなのはしょうがない。
2007年11月12日
大人の余裕という言葉を作ろうと思う。値段見ずに好きなもの買うのは大人買い、しょこたんが教えてくれるのは大人のマナー、いつでも冷静沈着でシブいのが大人の余裕です。来るもの拒まず去るもの追わずと言ったら人生諦めてるみたい。大人の余裕は来るもの拒まずとこれだけ。「嫌な結果が出たらどうしよう」とか「どうしたら一番利益が上がるか」なんてグジグジ、あるいはせこく考えるのは大人じゃない。結果なんてどうしようもないもので頭を痛めない。ほんの少しの不利益は許しちゃって、むしろそこから学ぶみたいな。そんな自分に気づいたときぜひぜひ「あー大人の余裕だなー」といいましょう。「あー風流だなー」と同じ調子で。余談ながら先日落語見に行ったとき教えてもらったことだけど、お坊さんは予想しなかったことが起きたとき風流だというらしい。たとえば朝早くテーブルの足につま先ぶつけたらそんなときこそ「風流だなー」というんだそう。大人の余裕もそんな風でありたいですね。せこくなくせせこましくなく。冷静でありシブくもあり。「まじ死んじゃうんだけどぉー!!」なんて叫ばないのは味があるとは思いませむか?うまくいかなきゃそれでいいじゃん、そっから学ぶこともある。大人の余裕。
2007年11月10日
やらないといけないこと列挙していったら多すぎて、どこかで切らなくちゃいけなくなってしまう。でも本当に自分に必要なもの、本当にそれを通して学んでいけるものだけを選別して、それから先は案外自分の意識次第でどうにかなるのではないか。目の前のことをやって、それを通していろいろ学んでいくようにしたい。「最も効率よく最も自分に向いてるものを」なんてこだわるのはやめた。目の前のことをやってみる。そうしてやりながら考えるようにする。最も効率よく、最も自分にむいてるものを、なんて思うのは執着でしかないのかもしれない。執着を思い切って捨ててみれば、捨てた途端本当に必要なものなんてないような気がしてくる。そうした上で目の前の事、あるいは「これは」と思うものをやっていきたい。自分の意識しだいで一つを通してすべてを学ぶこともできるんじゃないか。禅僧は座禅組んで悟るけど、別に座禅である必要はないのかもしれない。ただそれを通して悟るのがならわしということかもしれない。一つを通してすべてを学ぶ。それに必要なのは自分の心持ちではないか。自分にとって悟るなんてのはどうでもいいけど、禅組むように一つを通して全部を学ぶ意識でやっていきたい。ただ考えるのを一番にしちゃいけない。頭で考えても埒が明かないことは最近やっと学んだ。生きる目的にしたって頭で考える前にとりあえず目の前のことをやってみることにした。そして、やるときの意識は座禅を組むような意識で。やりながら「これは正しいのか」なんてきっと考えると思う。でもそれ自体は重要じゃなくて、それを通して学ぶことが大切なんだと思う。そういう中でしか生きる目的だとかそういうものは得られるものじゃないに違いない。
2007年11月09日
この2ヶ月もまた燃えては尽きるの繰り返しだった。いろいろなことにはまってお金使っては飽きて、やるせなくなり精力的になり、その繰り返しでしかなかった。なにか継続して極めてみたい。音楽でも文章でも悲しいのがすき。どんなことだって過ぎ去っていく。ZARDの「君がいない」の歌詞にも「君がいない。あのころの二人はもういない。なにもかも時のすれ違いと感じた。そのときはせつなくグッバイ」なんてのがある。いま流してる。坂井さんは全部うたかたであること分かってた人だったに違いない。ZARDにはいい曲がたくさんある。「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みにうかぶうたかたはかつ消え、かつ結びて、とどまりたる試しなし。人の住まいとなんとかもまたこれに同じ」とかなんとか。鴨長明の方丈記にあったはず。無常観なんてものが日本人には流れてるのかもしれない。だからってこのやるせなさが正当化されるはずなんかない。無常観踏まえた文章でも音楽でも、それが慰めになるというだけ。一生熱中できることあったらどんなにいいことか。熱しては冷めて、金属疲弊でも起こしそう。全部忘れられるような桃源郷に行きたい。中国最大の詩人李白。「刀を抜いて水を断てば水更に流れ、杯を挙げて愁いを消せば愁いは更に愁う。人生世にあって 意にかなわず、明朝髪を散じて扁舟を弄せん。」最後の意味は辞職し小舟にのって自由の身になりたいという意味。桃源郷でもつれてってくれるのかしら。現代ではどんな感じかな。ゆく当てもなく電車で一人旅をすることとは違いますかね。。岩手が懐かしい。。
2007年11月05日
午前中、今日は友情運が最悪だと思った。教会で昼飯に誘った人3人に断られ、あまり説教もよくなかったからです。よかったのは天気だけでした。でも午後からは風向きが変わりました。かりたCDぶっ壊して、それ以来疎遠になっていた先輩と遊びました。その人は数学科の先輩の変人の一人です。去年のクリスマスは一緒に表参道デートをしました。男二人でクリスマスイルミネーションの表参道を歩き、池袋でオムレツとクレープを食べ、新宿に移動してビルの上から東京の夜景を見るという限りなくロマンチックなデート。二人して苦笑していたのを思い出す。。4歳上の憧れの先輩であります。数学科にいるガラス瓶メガネの先輩とは別人。その後他の人と合流して飲み会に行きました。別に行きたかないけど、同じ学科の先輩から情報と過去問をもらうためにいきました。気になっている研究室のこと話題に出したら「お前、あの研究室は最終ごみ処分場だよ」といわれました。ショックです。過去問はまた近いうちまわしていただけるそうです。優秀な先輩はありがたいですね。飲み会の雰囲気はあまり好きじゃないのですが、なぜか今日はなじめたのでよかったです。こないだ教会で、6人くらいの前で悩みぶちまける会に参加して、多少グループでの話し方のコツつかめたこともあるのかもしれません。帰って電話しました。外でわいわいするのもいいけど、やっぱり自分はこういう時間のほうが好きだと思いました。明日から一週間頑張ります。
2007年11月04日
ヘッドホンつけてる人が最近異常に多いのは、ノイズキャンセリングのものが出たからでしょうか。見るたびにサルの惑星を連想してしまいます。ちなみに六本木や霞ヶ関でヘッドホンしてる人なんていず、田舎に行けば行くほどヘッドホン人口が増えるという事実にこないだ気づきました。ぶっっちゃけ道端で「すいません」と言って声届かないと無償にむかつきます。そのうえ肩ぶつけて追い抜かして、舌打ちされたってこちらはどうしようもないです。まぁそれはどうでもいいとして、あんまりポータブル音楽が好きじゃないというはなし。相手が音楽聴いてる=自分が排除されてると感じるのはぼくだけでしょうか。話しかけている友達が音楽聴いてたら誰でもむかつくと思います。公共の場で自分の世界に浸るのはイキではないとつくづく感じる今日このごろです。・・・とはいえ友達に注意されたことあるのは自分だし、ノイズキャンセリング真っ先に買ったのも自分だけど。じぶんのこと棚に上げといてすいません。ただ、そのかわりというか、携帯は友達の前で触ったことはあまりないです。皮肉な事に友達多くないからというのが一番の理由かも。でもそれ抜いたって誰かと一緒にいて、自分が携帯で別のやつとメールしてたら二度と付き合ってもらえない気もするし、それはどうもできません。仮にでえとしてるときでも考えてください。相手が新しく好きになった人とメールしてたらかなりショックです。友達は100人いてもいいけど、恋人は一人しかいないはずなので。しかしそんな例よく見かけるといういやな世の中でもあります。さんざいこのブログで、自分の世界を持ちたいみたいなこと言ってます。でもそれは引きこもりとは違って、携帯ずっと触ってたり、ずっと音楽聴いてるととは違うのです。自分の趣味があるのはいいと思いますが、でもそれが周りの世界を排除するようなやりかただったら、それは単なる引きこもりではないでしょうか。自分の好きなことだけやって、自己完結で生きてくことになんの価値があるのかと思う。自分に限ってそれはしたくないものです。なのに、気使いすぎるくらい相手に気を使って、相手は自分の世界に引きこもってんじゃ、ため息の一つでもつきたくなる。携帯キライ、ポータブル音楽もキライ。周りの世界排除するようなものは全部大嫌いです。
2007年11月03日
なにか思いつくとパソコンの前に座る。その結論にもっていけそうな導入部分から書き出して、30分後には書き終える、、、なんてことはない。導入部分書いてるうちに論点がずれて何かいてるのかわかんなくなって、数時間後にやっとできた文章は、最初考えた文章とはまったくべつものだったりする。書くうちにまとまってくることも多いし、暇なときはこんな書き方するのもありなんだろうけど。書くことが決まってて、時間がないときには起承転結考えて書くに限ります。時間有効に使うために起承転結身に着けたいとおもうこのごろ。もっとも起承転結身に付けるべきなのは書くときにかぎらないんだろうけど。誰かと話すときだってそうするべきなのかもしれない。こんな会話があるとする。「俺は○○だと思って、こうするべきだと思うんだけど」「でも△△かもしれないじゃん。」「なるほど。じゃあ□□ってことにしよう」これだって起承転結。最初の「○○だと思って」と「こうするべきだと思う」が起と承。その後相手が別の考え提示するから、これが転に当たる。最後に二人の意見を踏まえた結論が出て、これが結。誰かと建設的な会話するのだって起承転結はかかせない。またメールで誰かと喧嘩すると話が平行線になることがある。お互いめんどくさくなって「もういいおやすみ」なんてメールで終わりにすることも多い。最悪だけど。この原因も、要はお互いが言いたいこと言い合ってるだけだからではないか。誰かとわかりあえる方法なんてないのかもしれないけど、起承転結ぐらい踏まえてないとはじめから分かり合える確率なんてないようなもの。ドイツ人は行動を始めるまえに考えるそう。日本人は行動しながらかんがえるそう。アメリカ人は行動したあと考えるそう。自分は間違いなくアメリカ人。文章書くときは何かくか考えずに書き出すし、衝動にしたがって動いてばっかりだし。行動始める前に考える習慣をつけたいと思う。起承転結もその一つです。起承転結身につけるだけで、誰とでも分かり合え、効率的に時間を過ごせ、文章もうまくかけるのではないかと夢想してる。起承転結に限らず、行動する前に考えられるようになれば、どれだけ素晴らしい人生がまっていることやら。
2007年11月01日
就職するなら就職活動を始めなくちゃいけない。成績悪いから親からは就職勧められる。でもモラトリアムの時間はもっと欲しいし、勉強してみないと化学の醍醐味もわかんない。新しい物質作ったりするのがつまんないずがないと思う。成績悪いからって就職したら逃げるみたいになってしまう。かといって進学したところでうだつあがらないし、成績がよくなる見込みもない。悩む。たぶんマスコミを受ける、落ちたら進学という選択。。なぁなぁの選択。かといって学校の勉強も就職の準備も本気になれないのが正直なところ。進学しても就職しても将来のビジョンが見えないから。とりあえず両方やりながら考えることにする。。
2007年11月01日
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