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ども♪意外と早く、またお会い出来ましたね~。(笑)さて、先月書いた四羽の鳩の話の中で、私は「鳩の死の意味がわからない」と書きましたが、後日、鳩についての興味深い話を見つけました。知ってる人は知っている(当たり前だw)、霊能者の平岩氏のサイトの「コラム」にこんな記事がありました。 「ウグイスが次元の裂け目を作るはっきりした声を出すのとは対照的に、 ハトはくぐもった声で鳴きます。それはハトが言霊の力を否定する存在だからです。 天使や人間が出した言霊の力を彼らはのど仏で回収して無効化します。 ですから、誓いをたてる時にはハトが多い公園ではやらないでください。 無効化されてしまいます。その彼ら、ハトの鳴き声を長い時間聞き続けていると、 言霊を無効化する力が自分のアストラル体の中に染み込んでしまいますので、 ハトの鳴き声を聞き続けないように気をつけて下さい。」へぇ~~~×20!!まあ、もちろんこれがそのまま正解かどうかは私にはわかりませんが、なかなか面白い話だと思いました。平岩氏は、以前から著書の中でも鳩については、「あまりいい存在ではない」と何度か書かれているようです。「霊的見地から見た」鳩の本質、ということのようです。と、いうことは、私の目の前に現れた四羽の鳩の死は、何を意味していたのだろう?鳩が本当に「言霊の力を否定する存在」なのだとしたら、それが死んでいた、ということは「言霊を否定する存在の死」ということ?私の目の前にその現象が現れた、ということは「私の言霊を否定する存在」(って、そんもんいたのか?)が死に、私の言霊の力が解放され、顕在する、ということなのか!?な~んて、ちょっとスピ系に走った妄想してしまいました。(笑)実際にはそんな大層な意味はないと思うけどね~。ただ、今書きながら思いついたことで言えば、「鳩(ハト)」は「ハート(心・心臓)」のことではないかな?と。「鳩胸」ってのがあるくらいですし。で、「ハート」とも関係してくるのだけれど、死んでた鳩の数「4」というのは第4チャクラを表していたのではないだろうか。第4チャクラと言えば人体の胸の部分にある、と言われてるチャクラですから、その点でも見事に「四羽の鳩」と符合します。うおっ!!こっちの方が正解のような気がしてきた!!!(笑)でも、そうするとまたどういう意味になるんだろうか?私の第4チャクラと関係があるとしても、では「チャクラ」と「死」というキーワードはどう繋がってくるのだろう?第4チャクラの解放、とかか??「死」は「し」と読む。「し」は「始」と書くことも出来る。「死」と「始」。「終わり」と「始まり」。「死」は決して「命の終わり」ではなく、「新たなる生の始まり」であると、私は思う。つまり、「死」と「始」は、実は対極にある言葉ではなく、対極どころかイコールの言葉、なのである。あの、「四羽の鳩の死」は、私の中の何かの「破壊と再生」のサイン、だったのだろうか・・・?ちなみに、冒頭で紹介した平岩氏のサイトの「コラム」には、他にも沢山面白い話が紹介されていますので、是非読んでみて下さいね。(前にも一度紹介したことがあるんですけどね、このサイト)著書「動物の心が分かる本」に出てこない他の動物のこともたくさん書かれています。大抵は殺したり、傷付けたりしてはいけない動物ばかりなんだけど、例外的に「ぶっ殺していい動物」とかもいるらしいです。(笑)(アーリマンの力を具現化した動物、というのがいるらしい)ウルトラマンって、実は実在する高位の天使存在がモデル、なんだそうです。(笑)そのウルトラマンと対峙する怪獣達の中にも実在する霊的存在が多く、決して本質は「悪の存在」というわけではなく、神獣などがモデルの怪獣もいるそうです。怪獣が実在する、なんて話、滅茶苦茶好きです、私は。昨日は話題の怪獣映画「クローバーフィールド」を見てきました。かなり面白かったです♪
2008年04月11日
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いつの間にやらあっという間に四月になり、前回の更新から一ヶ月も経ってしまいました。ご無沙汰しております、麻生です。最近、どうも私はブログを続けるということ、更新することに対する執着心がとても希薄になっておりまして、「更新・・・めんどくさいから明日にしよ~っと。」とか思ってるうちに、一月も経過してしまい、このような体たらくに・・・。ま、誰も困る人はいないだろうから、どうでもいいっちゃあ、どうでもいい話なんだけども。(笑)さて、今回は私が「ああ、なるほど。人はこのように自身を正当化し、己の間違いをなかなか認めようとしないものなのだな。」と気が付いた時の話です。この場合の「己の間違いをなかなか認められない人」というのは、もちろん、私自身のことであります。またも、それは出勤途中に起こりました。とある現場に向かう途中、私は道を間違えてしまいました。その日の現場は、初めて行く所ではなく、その日が二度目の場所でした。一度目にその店に行った時は、初めてで知らない店であるので事前にネットで住所を検索し、そこに向かう道をきちんと調べ、一度も道を間違えることなくすんなりと目的地まで到着しました。その同じ場所に行くのですから、もう既に道程は頭の中にあります。私は「絶対に道を間違えないだろう」という、妙な自信を持ってその場所へ向かっていました。なのに、思いっ切り間違った。(笑)結論を言いますと、本来曲がるべき交差点の、一つ手前の交差点で曲がってしまったんですよね。左折する場所を間違えたわけです。さて、ここからが私のお馬鹿ぶり全開です。(笑)違うところで曲がってしまったことには、もちろん最初は気付いていないわけですが、それでも曲がってすぐに、「あれ?おかしいな。」と思ったんですよ。「目の前に広がる風景が何か違うような気がする。 確か前の時は、こんなに長い上り坂はなかったはず・・・。」と、明らかに自身で違和感を感じていたのです。なのに、「おっかしいなー・・・。ま、もうちょっと先に進んでみよう。この道に見覚えが無い、という私の記憶が間違っているのかもしれないし。」ということで、さらに先に進んでみたのです。「見覚えが無い。以前はこんなとこ、通らなかったはず。」ということが分かっているにもかかわらず、自分が道を間違えた可能性が大いにあるのにもかかわらず、それを認めようとせず、「もう少し先に行けば、きっと見覚えのある場所に出るだろう。」という、勝手な期待を持ちながら、しばらくそのままその道を進んで行ったのです。で、数百メートル進んで、「流石にここは違うようだ。」ということがやっとわかって、慌ててもと来た道を引き返すことにしました。その戻る途中ですらも驚くべき事に、まだしつこく「しっかしおかしいな~、曲がるとこ間違えてないはずなんだけどな~。」と、己の間違いを認めようとはしていませんでした!!(「あ~あ、お恥ずかしいったらありゃしない。」と水谷さんに言われてしまうわw)さて、では私は一体、どこで自分が道を間違えたことに気づいたのかと言うと、問題の交差点に戻って来た時です。最初に間違って曲がった交差点まで戻り、しかしそこまで来てもすぐには間違いの原因に気付かず、「左折じゃなくて右折だったかな?」などという、とんちんかんなことを考えていたんですよね~。(笑)しかし、改めてその交差点をよく見てみると、そこは右折は出来ない所なのです。そこで初めて、「あれ?ここって右折出来ないんだ!!・・・ってことは、もしかして私、曲がるとこ間違えた・・・?」という事に気付いたのです。そしてふと、その交差点の角にあるガソリンスタンドに目をやりました。曲がる交差点の目印のガススタは「エッソ」だったのですが、その交差点にあるのは「コスモ」でした。しかも閉鎖中の!!ギャ~~~~!!!!!!曲がるとこ間違っとるやんけ~~~!!!(「やんけ」とか語尾に「け」を付けるのは、大阪河内K市の方言みたいなもん、である)いやあ、もうね、「顔から火が出そう」ってのはこの事ですわ。実際に火は出ちゃいないけども。(笑)そこまで来て、や~~っと己の間違いに気付いたワタクシ。慌てて正しい道を走り出しました。一人でぎゃーぎゃー言いながら。(笑)そして、本来のルートを走りながら思ったのです。「ああ、なるほど。 人はこのようにして、己の間違いをなかなか素直に認めようとはしないもの なのだな。 無意識のうちに『自分が間違えるはずがない』と思い込んでいるから、 勝手な言い訳を繰り返して、とことんまで行かないと、 己が間違えたことを認められないのだ。 しかも、途中まで自分で自身に言い訳をしていることや、 『自分が間違いを犯す筈がない』という思い込みを持っていることにすら、 このようになかなか気付かないもんなんだな~・・・。 あっははは~・・・、どうしようもないわ、こりゃ。(笑)」と。私は、自身で思っていたより、遙かに「素直な人間」ではなかったようです。道を間違えたことすらすぐに認める事が出来ない、「かなり器の小さい人間」だったようです。いかに、今迄自分自身の本当の姿が見えていなかったことか・・・。今でも「全部見えた、わかった。」とは、とても言えないけれど、こういう思考を繰り返して、知らないうちに己の過ちを「なかったこと」として、目を瞑りながら、生きてきていたのでしょう。最近スピ系でよく言われる「眠りこけている人々」とは、私のように「自身の本当の姿」「己の愚かさ」が見えない、知らない人間のことを言うのではないだろうか・・・?ま、何はともあれ、今回の一件で己の無知さ加減の一端を垣間見ることが出来た。これが「天の恵み」でなくて、一体なんだと言うのか!?いやあ~、我ながらいい経験を致しました♪感謝皆様も充分、お気をつけあそばせ~~♪(お前が言うな、って?w)では、また来週~♪・・・更新出来るかどうかは、「神」のみぞ知る。(笑)
2008年04月09日
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