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▼マラリア、そして神ロレンツは吐き気がおさまらず、体がふるえた。胃が激しく痛み、体が熱くなったかと思えば、次の瞬間には悪寒で震えた。蛇、生贄の儀式、真っ暗なトンネルなどの幻覚が次々と現われた。ロレンツはマラリアにかかったのだ。このまま、この地で死ぬのだろうか。朦朧として横たわっていると、年配のヤノマミ女性がやって来た。女性は水を飲ませてくれた上に持ってきた葉っぱを噛めという。ロレンツはその通りにした。後は運を天に任せるしかない。ロレンツは再び死線をさまよった。一体どれだけの時間が過ぎただろうか。ロレンツには何週間も寝込んでいたような気がしたが、ようやく死の世界から脱出して目覚めたようだった。ただ、ロレンツの体は痩せ細り、衰弱しきっていた。今度はハンモックの中に寝かされ、カシンという名の年配女性が引き続きロレンツの母親代わりとなって面倒をみてくれた。カシンは苦い味のする葉っぱを噛み続けるようにロレンツに言った。ロレンツが葉っぱを噛むと吐いてしまって苦しくなったが、不思議と痛みはなくなった。体は軽くなり、頭はボーっとした。ロレンツは自分が回復しつつあるのを感じた。ロレンツはヤノマミの言葉を覚え始めた。ロレンツを守ってくれる精霊は「ヘクラ」というのだそうだ。ヤノマミに対する恐怖心はすっかり消え、ロレンツはヤノマミの生活に段々と溶け込んでいった。ロレンツは、空を見上げて飛行機を探しては泣くようなことはしなくなった。髪を切り、汚れたブラウスと靴を捨て、ヤノマミの女性と親しくなった。彼らはもはや、野蛮で未開な人々ではなかった。彼らの日々の暮らしの一つ一つが、意味を持つようになった。出産、食事、狩り、火おこし、子育て、霊魂や神の話――あらゆるものに、完璧な時と場所があった。ロレンツは生まれ変わったように感じた。スペイン語、英語、ドイツ語は過去の一部となり、ロレンツもモニカもヤノマミの言葉を話すようになった。ロレンツは、ヤノマミの人々が羨ましかった。外の“文明”からの干渉さえなければ、彼らはシンプルで完璧な秩序の中で暮していた。ロレンツもまた、菜園を耕し、自分の小屋を造り、槍を持ってジャングルで狩りをした。ジャングルは驚くほど多くの種類のランや、驚くほど多様な音で満ちていた。あらゆる動物、植物、雲などの自然にロレンツは神を見出した。ヤノマミと一緒にいると、誰よりも神に近づけるような気持ちになった。(続)
2005.11.30
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▼ヤノマミ族の暮らしロレンツは一日経つごとに、木の幹にXの字を彫っていった。ここには時計もカレンダーもなかったからだ。三日目には、モニカはヤノマミ族のように素っ裸になって、ほとんど見分けがつかないほど同化していた。モニカの父親にはインディオの血が流れていたようだ。ただしロレンツは、モニカが原住民のように耳や鼻や唇にピアスをさせられてしまうのではないかと、気が気ではなかった。ロレンツは村の暮らしを注意深く観察した。男たちは槍や吹き矢を使って、バクや猿や魚や七面鳥のような鳥を獲った。動物は皮を剥ぎ取り、血とはらわたは抜き、火の上でいぶして食べた。毛がついたままの猿を丸ごと焼いて食べたりもした。ロレンツにとって吐き気がこみ上げてくるような臭いがしたが、猿の肉も生きるために食べた。マンゴーやメロンのような果物もあった。彼らが生で食べるものの中には、太った白いナメクジのような生き物もいたが、こればかりはロレンツは生で食べる気にならなかった。そこで棒に1,2匹乗せて、火にかざそうとしたら、彼らは棒をロレンツから取り上げてしまった。彼らにとっては、このように生でおいしく食べられるものを焼くことなど冒涜であったに違いなかった。川の中でロレンツが体を洗うと、彼らはなぜそのようなことをするのかと、おかしくて笑っているようだった。そのうち持っていた石鹸もなくなり、指のつめは割れ、ロレンツ自身も泥にまみれて、原住民のようになっていった。ロレンツは髪を三つ編みにして、来るはずもない飛行機を探して空を見つめた。そのせいで、顔は日焼けして黒くなった。昼となく夜となく、虫に刺され続けた。毎日のように午後になると激しい雨に見舞われた。雨が降っている間は、つかの間ではあるが、湿気がなくなり虫からも解放された。だが雨がやむと、ジャングルには熱気と湿気が戻り、以前にも増して虫がわいたように現われた。ロレンツが擦り傷や切り傷を負ったり虫に刺されたりすると、彼らは木の葉を持ってきて、これをすり込めと教えてくれた。顔料を塗りたくり、体中に彫りものをしたヤノマミの男が、木の葉や草を集めて、ロレンツのためにベッドを作ってくれた。お礼に化粧用のコンパクトを上げると、その男はうれしそうに自分の顔をのぞき込んでいた。それを見た他のヤノマミがコンパクトを取ろうとしたので、ちょっとした騒ぎになった。男たちには2,3人の妻がいて、みなを平等に愛していた。女たちの間に嫉妬はまったく存在しなかった。男が狩りをして、魚を獲り、草葺屋根の小屋を造り、ハンモックを編むなど女の世話をできるかぎり、何人でも妻を娶ってもいいようであった。それができないようだと、一人の女をめぐって男たちが取り合いをすることもあった。木の幹に彫った五つのX印が6列を超えたころ、つまり一ヶ月ほど経ったころ、ロレンツの体調に異変が起きた。(続く)
2005.11.29
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昨日の続きです。鳩の巣渓谷の鳩の巣小橋まで降りてみましょう。綺麗な秋の風景が続きます。太陽が翳っているので、色鮮やか、とまではいきませんが、真っ赤ですね。多摩川がすぐそばに見えてきました。ずい分降りてきましたね。先ほど上から見た鳩の巣小橋ですね。つり橋です。つり橋を渡ります。つり橋から上流を見た景色。渡ってきたつり橋を振り返ると、こんな感じです。さらに川へと下って行き、鳩の巣小橋を仰ぎ見ます。多摩川です。上流ですから水は透き通っていますね。鳩の巣小橋。奥に見える白い橋は雲仙橋です。さて、先に進みましょう。さらに上流へと進みます。ところどころ流れが激しくなっています。川沿いを30分ほど歩くと、白丸ダムに着きます。ダム堤の上から下流を望みます。左側に何か水路のようなものが写っていますね。魚が通れるようになっている水路である「魚道」ですね。この魚道が完成したのは、2001年。それまでは長いこと、ヤマメ、サクラマス、鮎などは遡上することができなかったんですね。約40年間、魚道を分断していた。人間は自分勝手で、ひどいことをするものです。上から見た白丸ダム。ダムを後にします。15分ほど歩くと、遠くに数馬峡橋が見えてきます。橋のたもとの紅葉。ここからさらに45分歩くとJR青梅線の終点奥多摩駅に着きますが、もう日が暮れかかっていたので、その一つ手前の白丸駅から帰ることにしました。家を出たのが、午前11時と遅めでしたから、しょうがないですね。最後は白丸駅の写真。これで奥多摩紅葉の旅は終わりです。
2005.11.28
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▼最悪の一夜(前回までのあらすじ)ベネズエラへ強制送還された愛人のヒメネスを追って、首都カラカスに到着したロレンツを待っていたのは、政府当局の尋問であった。ロレンツは二重スパイの疑いを掛けられたが、懸命な弁明などにより、無罪放免となった。ほとんど無一文のロレンツは、ベネズエラ政府の計らいで観光を楽しんでいた。しかし、再び陰謀に巻き込まれ、ジャングルの奥地で置き去りにされる。置き去りにされたロレンツは、すすり泣くしかなかった。モニカもつられて泣いていた。周りでは、ヤノマミたちの話し声が聞こえていた。遠くで鳥のさえずりも聞こえる。裸の小さなヤノマミの男の子が、泣かないでよと言うように、モニカを軽くポンと叩いた。ロレンツがインディオたちをじっと見詰めると、向こうも見詰め返してきた。ロレンツには、彼らが悪さをする、危険な存在であるようにみえた。子供たちが集まってきて、モニカを喜ばそうとしていた。男たちはロレンツのバッグをつかんだが、ロレンツはすぐに取り返した。座ったまま半ば呆然としているロレンツの目には、燃えるような真っ赤な夕陽が映っていた。日が暮れようとしていた。とりあえず、休める場所を確保しなければならない。ロレンツはヤノマミの人々と一緒に、彼らの集落まで歩いていった。草葺の小屋がいくつか並んでいた。男たちはハンモックで横になり、女たちは火を起こしたり織物をしたりしていた。女たちはロレンツに身振り手振りで何か伝えようとしていたが、ロレンツにはわけがわからず、木の幹に寄りかかるように座り込んだ。辺りは暗くなり、心細さと怯えに似た感情がロレンツに去来した。最悪の夜だった。そこら中を虫に刺された。それでも疲れきった体でモニカを抱き、バッグを枕替わりにして泣きながら眠りに付いた。何とか生き延びて、飛行機を待とう。漠然とした期待しか持つことができなかった。夜が明けた。無事、一晩は越せたようだ。女たちの後をついて行き、川まで出ると、ロレンツは川で体を洗った。空腹でのどが渇いていた。ロレンツが口を指差して、何か食べるものが欲しいと訴えると、貝殻のようなカップに入った水とバナナの房を持ってきてくれた。ロレンツはポケットナイフを取り出し、木の幹にモニカの名前を刻んだ。彼らはその文字を見つめて、ほめてくれた。ロレンツはにっこりと笑い返した。一歩一歩ではあるが、ロレンツと彼らの間で心が通じ合うようになって行った。(続く)
2005.11.28
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昨日は奥多摩に、紅葉狩りにでかけました。奥多摩や高尾山は、私の「修行の場」でもあるんですね。何の修行でしょうか? 答えは体脂肪を燃焼させる修行です。変な修行ですね。太ってきたなと思ったら、私はとにかく歩きます。それもかなり速いスピードで長時間。長いときはほとんど休まずに5時間ぐらいぶっ続けで山道を歩いてしまいます。アメリカに滞在しているときは、車ばかり使ってあまり歩きませんでしたから、かなり太ってしまいました。日本に帰ってきて、このままではまずいと思って、暇を見つけては山歩きをしていたら効果てきめん。見る見るうちに、おそらくは20%を超えていたであろう体脂肪率が12%ぐらいにまで下がりました(今は17%ぐらいですが)。さて、奥多摩はやはり綺麗でしたよ。昨日は午後から少し曇ってしまいましたが、紅葉はまだ楽しめました。JR青梅線の古里(こり)駅で下車。しばらく青梅街道沿いを西に向かって歩きますが、やがて青梅街道と並行して流れる多摩川沿いの遊歩道へと別れます。紅葉が鮮やかです。多摩川へ流れ込む支流の一つです。多摩川が見えてきました。上流だから水はかなり綺麗です。寸庭橋で多摩川を一度渡ります。もう完全に山道ですね。山奥にドンドン入っていきます。山の中ですが、民家もあります。急なつづら折りの登りが10分ほど続きます。ようやく峠に出ました。松の木尾根と呼ばれる峠です。峠からは鳩の巣集落が一望できます。これから向かうところです。下ること約15分。村の端に到着しました。さらに歩くと、多摩川に架かる雲仙橋が見えてきます。この橋から、奥多摩では有名な鳩の巣渓谷が見下ろせます。これがその渓谷です。足がすくむほど高いところにある橋ですね。まず上流側。次は下流側です。上流側の橋の真下は、紅葉が鮮やかです。上流の先の方には、もう一つ橋がありますね。鳩の巣小橋と呼ばれる橋です。河川敷まで降りていってみましょう。(続く)
2005.11.27
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▼置き去りパイロットは「俺たちはブラジルに近づいている」とロレンツに告げた。残りの燃料を気にしているのか、しきりに燃料計を見つめだした。ロレンツはただ、暗くならないうちにカラカスの方へ向かって欲しいと願っていた。何かよからぬ陰謀が進行しているようだった。パイロットは地図で何かを探していた。やがて、廃坑になった採鉱キャンプのそばに雑草が生い茂る離着陸場を見つけると、「しっかりつかまっていろよ」と言って、強引に着陸態勢に入った。飛行機はそこら中にぶつかりながら、草地に激しく突っ込んだ。機体は前のめりになって止まった。パイロットは外に出て、プロペラと翼に絡みついた草を切り落としていた。このようなところから脱出できるのだろうか。ロレンツに不安が募った。「大きな鳥」が草地に着陸したのを見て、ほとんど裸のヤノマミ・インディアンたちが大勢、飛行機の方へ駆け寄ってきた。男たちは歌を歌い、槍と棍棒を飛行機の中にいるロレンツに突き出した。機内にいると怯えているとみなされるのでよくないと、パイロットはロレンツに言った。仕方なしにロレンツが機外に出ると、外はすさまじい熱気と湿気に満ちていた。彼らの興味は、ロレンツとモニカに注がれた。その間にパイロットは、機体をチェックしながらエンジンをふかし、機体を半回転させていた。するとそのまま、ロレンツらを残し、さっき着陸したばかりの草の道を戻り始めた。置き去りにされる! ロレンツは言い様のない焦燥感を感じながら、モニカを抱え上げて飛行機の方へ走った。パイロットはドアからロレンツのバッグを放り投げ、離陸の態勢に入った。ロレンツは声を限りに叫んだ。「やめて! 置き去りにしないで!」飛行機は空に飛び立った。ロレンツは走り、倒れ、わめいた。空を見上げて、エンジン音が空の彼方で消えてなくなるまで、戻ってくるようにと狂ったように手を振り続けた。(続く)
2005.11.27
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▼狂気と悪意これまでの会話から、そのパイロットはヒメネスに対して敵意をもっていることがわかっていた。当然、ロレンツのことも好ましくないと思っていたはずだ。だが自然に囲まれて、すっかりリラックスしていたロレンツは警戒心もなく、中庭にいるパイロットの方へ歩いていった。パイロットは、再び観光に連れて行くとロレンツに告げた。ロレンツはそれを信じて、荷物をまとめ、モニカとともに飛行機に乗り込んだ。ロレンツはてっきり、カラカスへ戻るのだと思っていた。ところが飛行機は反対方向に向かう。それをパイロットに言うと、「気にすることはない」との返事が返ってきた。オリノコ川の支流に沿って、南東に向けて飛行機はひたすら飛んだ。そこには深い緑色のジャングルが広がっていた。「ベネズエラのインディアン(ラテンアメリカ先住民族のインディオのこと)を見たいか?」と突然、パイロットがロレンツに訊いた。「別に」と、ロレンツは何か不吉な感じを覚えながら答えた。その不安は的中した。パイロットはやがて、むちゃくちゃな飛行を始めた。まっすぐ上昇したり、山をかすめたり、危険を感じるような乱暴な操縦であった。モニカは恐怖で泣き叫んでいた。緑のジャングルの中に、ときどき褐色の斑点が見えた。それがインディオの集落であるという。パイロットは「インディアンを怒らせるのを見たいか?」と意地悪そうに言うと、ロレンツの答えを待たずに、インディオの集落に向けて急降下し、木々の梢をかすめて飛んだ。下では原住民が怯えて、散り散りになって逃げているのが見えた。ロレンツが「やめて」と叫んでも、パイロットはやめようとしない。インディオは白人が嫌いで、かつてネルソン・ロックフェラーの息子の人類学者マイケルを食ってしまったのだと、ロレンツをわざと脅かした。事実は、人類学者のマイケルが行方不明になったのはニューギニアであった。幸いロレンツは、パイロットがウソを付いていることに気づいていた。それでもパイロットの脅しは続いた。インディオに友好的な微笑みを浮かべたら、それは自信がないものだとみなされ、殺されるだろう、インディオは白人の女を食うのが大好きで、はねた首を儀式の飾りに使うのだ、などと言い立てた。パイロットがさらに村の上を低空飛行すると、走り回る裸の原住民が見えた。何人かは吹き矢を持っており、飛行機にめがけて矢を吹いた。飛行機の胴体に二本の矢が当たり、ゴツンと鈍い音を立てた。パイロットは機体を上昇させると、窓を開けて、下の原住民に手を振った。「俺たちは神だ。あいつらは飛行機を天から来た鳥だと思っている」とパイロットは得意気に言った。そこには、狂気とロレンツに対する悪意がみなぎっていた。(続く)
2005.11.26
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▼イソギンチャククマノミが棲み処としているイソギンチャクは普通、このようなイソギンチャクを思い浮かべますね。横から見ると、このような感じです。隠れているのはハナビラクマノミですね。下の写真は、クマノミの大きさに比べて、イソギンチャクはこじんまりしていますね。1DK、ワンルームマンションといったところでしょうか。次の写真も二匹のクマノミが暮すには、ちょっと手狭になっていますね。でも2DKはありそうです。次は3LDKかな。まずまずのお家ですね。では、このようなイソギンチャクを見たことがありますか?ピンクのイソギンチャクです。私もこのとき、初めて見ました。ほかのダイバーも目を白黒させて驚いていますね。棲んでいるのは、ハナビラクマノミ。ニューデザインのマンションみたいです。ピンクの部分は体壁です。触ると滑らかなのがわかります。触手の部分は触らないで下さいね。毒をもっています。イソギンチャクは種類が多く、分類もまだよくできていないそうです。だからピンクのイソギンチャクとしか言いようがありません。パラオのニュードロップオフというポイントでした。
2005.11.25
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▼夢心地ロレンツとモニカが連れて行かれたのは、飛行場だった。朝早い出発は、マスコミの目を避けるためだと、ロレンツは考えていた。ロレンツらが四人乗りの双発のセスナに乗り込むと、観光気分でベネズエラを楽しんできてくださいと、見送りにきていた大尉が言った。ロレンツには、その言葉を疑う理由はなかった。尋問は友好裡に終わっていたし、ロレンツの窮状にも理解を示してくれていたからだ。セスナが飛び立つと、太陽が昇ってきた。素晴らしい光景だった。ヴェルヴェット・グリーンの山々が眼下に広がっていた。川がくねくねと流れ、何もかもが美しかった。着いた場所は、シウダード・ボリバルというオリノコ川沿いにある最後の文明の地であった。川岸には小さな家が並んでいたが、人里遠く離れた僻地のようなところに思えた。ロレンツたちは、スイスの山小屋を小さくしたような家に連れて行かれた。タイルを敷いた中庭と菜園があった。年配の夫婦がプライベートホテルとして管理しているようだった。のどかで、どこか孤立したそのホテルが、ロレンツの住みかとなった。ロレンツとモニカを連れてきた男たちは、「すぐに戻る」と言って、帰っていった。ラテンアメリカで「すぐに」と言えば、「3週間から3年」を意味した。老夫婦はアデラとホセといった。政府から信頼されている人間らしく、ロレンツの使用人兼看守であった。買い物ができるような店はなかったが、必要なものはいつもそろっていた。ホテルにはペットの犬とペットモンキーがいた。美しい小鳥たちもやってきて、平和そのものだった。ここでは尋問もなく、身の危険にさらされることもなかった。ロレンツには、モニカの世話をすること以外、何もする必要がなかった。アデラとホセは、ロレンツの話し相手にもなってくれた。ただし、話題はいつもベネズエラの歴史といった無難なものに限られた。外部からはまったく遮断された世界で、テレビもなければ新聞もなく、新刊書もなかった。それでもロレンツは、人生において一番リラックスできたと感じていた。まさに夢心地であった。3週間が経ったある朝、ホテルの門が開く音がした。そこにはロレンツたちをここに連れてきたパイロットが立っていた。(続く)
2005.11.25
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紅葉の季節ですね。最近紅葉狩りで方々に出かけているので、そのうちのいくつかを紹介しましょう。先日は多摩湖まで、自転車で紅葉狩りに行きました。これが多摩湖自転車道の入り口付近です。サイクリングコースになっているんですね。多摩湖のゴール地点まで約21キロ。このうような自転車道路が続きます。ほとんどまっすぐな直線道路で、排気ガスもなく、すごく快適なコースです。のどかな風景が続きます。紅葉もチラホラと視界に入ってきます。写真には撮りませんでしたが、自動車道の脇には野菜の直売場もあります。帰りに大根、にんじん、サトイモ、ジャガイモを購入しました。干し柿もほしてありました。多摩湖です。水位が下がっていますね。こちらはお隣の狭山湖。紅葉真っ盛りでした。秋の色をお楽しみください。
2005.11.24
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▼無罪放免?九日間に及ぶ尋問の間、ロレンツの身辺調査も並行して進められた。ロレンツの賢明な弁明もあり、尋問者は、ロレンツがベネズエラに到着する2日前に発見された秘密の武器貯蔵庫に、ロレンツは関与していないと判断したようだった。ただ捜査当局は、その武器貯蔵庫をつくった犯人はカストロのもとで働いていた人物に違いないと疑っていた。ロレンツもその可能性は否定しなかった。彼らは言った。「われわれはフィデル(カストロ)とは、一切かかわり合いたくないのだ」「だったら、彼にそう言えばいいでしょ」とロレンツは答えた。「君からそう言ってくれないか」と、彼らはロレンツに頼んだ。ロレンツならキューバとの連絡係ができると考えているようだった。しかし、今さら連絡役などになりたくはなかたし、キューバへ再び行くつもりもなかった。「絶対にいやです」とロレンツは叫ぶように言った。ロレンツも、カストロとはもうかかわるつもりはなかったのだ。「あなたたちはガールフレンドと別れた経験がないの?」と、ロレンツは皮肉を込めて言った。「では、われわれにどうして欲しいのだ」と彼らは訊いてきた。「観光客のように扱ってください」とロレンツは答えた。ロレンツは実際に、民俗音楽を聴くなどベネズエラの文化に触れてみたいと願っていた。彼らの説明によると、ヒメネスは、20年は服役するだろうとのことだった。「私は待ちます」とロレンツが言うと、彼らの一人が大笑いして言った。「また別の独裁者が見つかるまでの話だろう」確かに、ロレンツのこれまでの過去を考えるとそうかもしれなかった。それがおかしくなり、ロレンツも笑った。ロレンツの疑いは完全に晴れた。「この国を混乱させるような人物に同行したり、武器を携帯したりしません」という内容の誓約書に署名させられた後、自由の身であると告げられた。だがロレンツには、お金がほとんど残っていなかった。ヒメネスが何軒か家をもっているはずだから、そのうちの一軒に滞在したいとロレンツが希望を述べた。すると彼らは笑いながら言った。「マルコス・ヒメネスは政府から盗みを働いていたのだ。やつの財産はすべて没収されたよ」「ではどなたが、予備のベッドルームを持っていらっしゃるの?」と、ロレンツは茶目っ気たっぷりに訊いた。このユーモアはその場にいた全員に受けたようだった。彼らは一応、ロレンツの窮状を理解した。ロレンツはホテルでの滞在を許され、軍指導者たちが街を案内してくれた。大尉と四人の士官と一緒に優雅な夕食もとった。まる二日間、ロレンツは休み、本を読み、カラカスの街を楽しんで過ごした。このような安らぎの日々が、ずっと続くのではないかと思われた。その日は午前4時にドアをノックする音で目が覚めた。あと一時間で出発するという。どこか観光地へでも案内してくれるのだろうか。ロレンツはそのとき、後にあのような危険な目に遭おうとは、想像することもできなかった。(続く)
2005.11.24
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▼尋問ドアをノックしたのは、士官たちであった。宮殿でロレンツを尋問するのだという。ロレンツはもっと寝ていたかったが、準備もソコソコに、宮殿に連れて行かれた。ロレンツはマホガニーの大きなテーブルにつかされた。20人以上の士官たちが出席していた。その雰囲気から、軍や政府の高官に思われた。彼らはロレンツに、ヒメネスとの生活やキューバでの仕事について質問した。ロレンツとモニカは写真と指紋を取られた。面通しのために何人かの男たちが部屋に通されて、ロレンツをしげしげと見ていた。ロレンツにとっては、知らない顔ばかりだった。彼らはロレンツのことを二重スパイであると疑っているようだった。カストロが進めた「7月26日運動」のメンバーでありながら、反カストロ組織でも活動している。彼らから見れば、ロレンツの行動を説明できるのは、二重スパイ以外に考えられなかった。二重スパイでないというなら、なぜカストロの愛人としてキューバに住んでいないのか? ヒメネスとカストロは極めて仲が悪いにもかかわらず、その両方に接近したのはなぜか? 出席者からは厳しい質問が相次いだ。彼らは思った以上にロレンツのことを知っているようだった。ロレンツはカストロとはもう別れ、今はヒメネスと仲がいいのだと説明しようとした。だが彼らは、ロレンツがカストロの子供を生んでいることも知っていた。ヒメネスとカストロを比べたら、投獄されているヒメネスよりもキューバのカストロを頼るはずだと、彼らは主張した。彼らからは、ヒメネスについていろいろ聞かされた。ベネズエラのアメリカ企業に金銭を強要していた一方、CIAからはかなり気に入られていたらしかった。彼らはまた、カストロについて根掘り葉掘り聞いてきた。尋問の間中、モニカはそこら中を走り回り、男たちの膝の上に登ったりした。ようやくトイレができるようになっていたが、宮殿内のトイレの場所が遠かったこともあり、オムツをつけていた。およそ一時間ごとに軍人の一人が、おもちゃのようなものを持ってきてはあやしていた。ロレンツがモニカのオムツを替えるときには、必ず軍人が監視のためについてきた。ロレンツに対する尋問はこの後、九日間にわたり続いた。(続く)
2005.11.23
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▼束の間暗くなってから、大尉が再びロレンツの独房にやってきた。ロレンツに対しては、依然として監禁する命令が出ていた。だが、赤ん坊連れであることから人道的配慮がなされ、もっと快適な場所に移されることになった。ロレンツはモニカを抱いて独房から出た。中庭沿いの廊下を歩いてゆくと、ほかの囚人たちがさよならの声をかけてくれた。ヒメネスがいるとみられる独房は、鉄の扉が固く閉ざされており、中をうかがい知ることはできなかった。刑務所から外に出るとき、ロレンツたちはいきなり、カメラのフラッシュを浴びた。報道関係者たちが待ち構えていたのだ。マスコミにとっては格好のネタであった。独裁者ヒメネスの愛人がわざわざ、アメリカからやって来たのだから。翌朝の各紙一面トップは、ロレンツの記事で埋まっていた。ロレンツとモニカが案内されたのは、ホテルのスウィートの一室であった。すでに深夜をすぎていた。バルコニーからは、首都カラカスの街並みが眼下に一望できた。隣の部屋には衛兵たちがいたが、バルコニーに出ると、自由が押し寄せてくるのを感じた。部屋の中にはモニカのためのベビーベッドが用意されていた。すべてがまったく快適だった。運ばれてきた食事を平らげ、眠ろうとすると、下の渓谷からは音楽が聞こえてきた。夜気に混じってブーゲンビリアの香りが漂っていた。寝室には「アンデスへようこそ」というカードがついたバラの花束が届けられていた。おそらく一時的にせよモニカと離れ離れになった精神的苦痛に対して、大尉が謝罪のつもりで贈ってくれたのだと思われた。そこには平穏で満たされた安らぎがあった。ロレンツはいつしか眠りについた。束の間の安らぎは朝7時、ドアのノックする音で破られた。(続く)
2005.11.22
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▼与那国海底遺跡(下)今日は海底遺跡の最終回ですね。私たちは台湾カマスが水路を通り過ぎていくのを見送った後、ループ道路まで沈降しました。水深は15メートルほどです。下の写真です。前にも述べましたが、舗装されたようになっていますね。道路の上をサザナミヤッコが泳いでいますよ。二枚岩のそばにいたサザナミヤッコが、私たちの後を付いて来たのかもしれません。そのままループ道路上を東に進みます。ガイドが立ち止まって、何か説明を始めました。どうやら文字のようなものが彫られていると説明しているようです。ボードには「本の絵」と書かれています。ガイドの足元を見てください。確かに長方形が二つ接した、本を開いたときのような図形になっています。ただのひび割れには見えませんね。だれかが意図的に図形のような線を刻んだように見えます。実はこの「本の絵」のような図形は、与那国島に古くから伝わる「カイダ文字」と呼ばれる象形文字にもあるんですね。このカイダ文字は、いつごろから伝わっているのかわからないほど古くからある与那国独特の文字です。今では使われていませんが、明治時代中期まで実際に使われていました。このカイダ文字らしき「文字」は、ほかの海底でも見つかっています。これは大事なポイントですね。どこで見つかったかというと、海底遺跡の西方にある「光の神殿」というポイントなんです。そのポイントの海底の岩礁には、明らかに人工的な四足の動物に見える象形文字が彫られています。これはすごいことです。「本の絵」も「四足の動物の絵」も水深15~20メートルの海底にあるんですね。この海底部分が陸地にあったころは、1万年以上も前であることがわかっています。これらの文字がカイダ文字なら、ひょっとして今から一万年前の与那国には、巨石の加工技術をもち、なおかつカイダ文字を使用した「世界最古の巨石文明」があったことになるんですね(現在知られている、文字を使用した最古の文明らしい文明は、5千数百年前にイラク南部でシュメール人が築いたメソポタミア文明であるといわれています)。少なくとも、海底で発見された文字の存在は、海底の巨石遺構の数々が古代人が造った人工物であることの有力な証拠になりますね。ちなみに私が約一年前に琉球大学の木村教授に電話取材したところ、与那国の海底遺跡は人工物であることは間違いない、科学調査でほぼ確定したと述べていました。さあ、先に進みましょう。潜っていられる時間も残り少なくなってきました。再び木村教授の地図を見てください。ループ道路を離れて、東に少し離れた御神体と書かれた場所へ向かいますよ。御神体が見えてきました。巨大な台座の上に丸っぽい巨石が載っているようです。周りには大きな石がゴロゴロしていますね。これが御神体、あるいは太陽石と呼ばれる巨石です。五角形の台座の上にちょこんと乗っているのが太陽石です。写真には写っていませんが、太陽石そばの台座の部分には、幾筋もの線が刻まれています。何の線だと思いますか? 太陽の日の入りや日の出の方角を刻んだのではないかと、みられています。それでおそらく夏至や冬至、春分や秋分の日を知ったのでしょう。つまり巨石カレンダーですね。沖縄地方では地上でもこれと似たような巨石が見つかっています。久米島にある「太陽石(ウティダイシ)」です。この海底の太陽石も人工物であるとみなすことができそうですね。水深約15メートルの海底にあります。ただし、2年ぐらい前の台風で、太陽石は台座から転がり落ちてしまったそうです。木村教授がそのように話していました。おそらく1万年間も台座の上にあった太陽石が落ちてしまうなんて、何かが起こる前兆でしょうか。どう思われますか?さて、残念ながらエアーが残り少なくなってきましたから、浮上しないといけませんね。太陽石が次第に遠くなってゆきます。これで与那国海底遺跡ツアーは終わりです。楽しんでいただけましたでしょうか? またのご来訪をお待ち申し上げております。
2005.11.21
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▼独房3ロレンツが、気分が悪くなって黙ったこともあり、刑務所内は静寂に包まれた。すると、遠くの方から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。モニカだ。姿は見えないが、泣き声だけが聞こえる。無事なのだろうか。もどかしさが募る。ロレンツは痛みに耐えかねて、床に倒れこんだ。体を丸くして、少しでも痛みを和らげようとした。苦しくて仕方がなかった。独房内は暑くて、ジメジメしており、頭痛はますます激しくなった。モニカの泣き声が聞こえても、何もすることができない。そう考えると、ロレンツは気が狂いそうになった。そのときだ。大尉が突然、モニカを抱いてロレンツの独房に現われた。モニカにはミルクの入った哺乳瓶とクッキーがあてがわれ、モニカの顔からは笑みがこぼれていた。モニカは床にうずくまってもだえているロレンツを見て、「ママ!」と屈託のない笑顔で声を上げた。ロレンツは安堵した。神様ありがとう。娘は元気だわ。大尉がすまなそうに言った。「私も父親だ。心配しなくてもいい」。モニカが泣いていたのは、大尉の不注意で椅子からころげ落ちたせいだと説明した。ただ看守の仕事をしながら赤ん坊をあやすのは無理だと判断して、モニカを母親に返すことにしたようだった。独房の扉が開けられ、モニカがロレンツに手渡された。ロレンツは安堵の涙を流した。取り上げられていたスーツケースもロレンツに返された。独房には毛布と枕が運び込まれ、流しも修理された。ただ蛇口をひねっても、汚れた茶色い水しか出てこなかった。飲み水はバケツで運ばれてきた。(続く)
2005.11.21
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▼与那国海底遺跡(中)これがメインテラスです。広くて平らなテラスのようになっていますね。ちょっとわかりにくかもしれませんが、右側の壁は階段のようになっています。ほとんんど直角に削られたようになっていますね。木村教授らによると、たたいて加工したような人工的な跡があるそうです。石切り場なのかもしれませんが、神殿として使われていた可能性もあります。次もメインテラスの写真。右端のガイドが説明しています。右側の壁がうっすらとですが、等間隔に3段の階段になっているのがわかりますね。この階段の上が「アッパーテラス」があるのですが、この日は波が岩に激しくぶつかっているので行けませんでした。ところでガイドの説明を聞いているダイバーは皆、テラスの部分にしがみついています。どうしてだと思いますか?流れがきついんですね。この遺跡ポイントは通常、西から東に向けて(写真で言うと、奥から手前の向かって)強い潮の流れがあります。しがみついていないと、ドンドン流されてしまうんですね。この強い流れのおかげで、コケや藻など余分なものがへばりつかずにすみ、綺麗な形をとどめているんですね。さて、先を進みましょう。流れに乗って東の方へ向かいます。これはアジ。おそらくクロヒラアジのツガイでしょう。7条の横じまが特徴です。広場のように開けた場所に出ました。中央の台座のような部分に何かがありますね。なんでしょう? 近寄ってみます。「亀のレリーフ」とか「亀のモニュメント」と呼ばれているものですね。尖った三角形の部分が頭に当たるそうです。確かに、断面が自然の造形とは思えないぐらい幾何学的で綺麗ですね。そういえば、南米ペルー・マチュピチュの「コンドルの神殿」にも、規模は小さいですが、同じような石でできたモニュメント(レリーフ)があります。亀の頭の部分に近づいてみました。この亀の頭の先には、次の写真のような「回廊」と呼ばれる深い裂け目があります。この回廊の先に「三角プール」や柱を立てた穴のような跡がありますが、アパーテラスと同様、この日は波が激しく岩に砕けているので行けませんでした。ところで先ほども述べたように、遺跡の南側に当たる部分は潮の流れが速くなっています。再び木村教授の地図を見てください。「メインテラス」と対面にある「南神殿」の間が通路のようになっていますね。つまり潮の通り道になっているわけです。地図では左から右に潮が流れることが多いようです。亀のレリーフをみているとき、その通路を東から西に向かって、すなわち潮の流れに逆らって何かがやってきました。何かの魚の群れですね。ドンドン近づいてきますよ。台湾カマスの群れでした。この潮の通路には時々、思わぬ大物が現われることがあるそうです。ジンベイザメが出現したこともあったそうですよ。私からも近づいて、台湾カマスの群れを撮ってみました。おっと、これは失敗。ライトの充電が完了していなかったようです。フラッシュがたけませんでした。これではよくわかりません。でも、水中で見ると、このような感じになってしまうんですよ。赤い色がなくなって、青っぽくなります。今日はここまで。明日は与那国海底遺跡の最終回です。
2005.11.20
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▼独房2刑務所中に「赤ん坊を返せ」のコールが響き渡っても、大尉はロレンツにモニカを返そうとしなかった。切羽詰ったロレンツはヒメネスの名を叫んだ。この刑務所のどこかにヒメネスがいて、ロレンツの声を聞きつけるかもしれない。ヒメネスの名前を聞いた途端、囚人たちは静まり返った。ロレンツが叫び続けると、やがて声が聞こえてきた。「静かにしろ!」とその声はスペイン語で言った。「静かにするんだ!」声の主はすぐにわかった。マルコス・ペレス・ヒメネスだ。「マルコス。どこにいるの」と、ロレンツは聞いた。「お前の右だ」声は通気孔から聞こえてきていた。どうやらヒメネスは、ロレンツの独房の隣にいるようだった。隣の独房は、普通の独房と違い、鉄格子の代わりに頑丈な扉が中にいる者や外からの視界をさえぎっていた。いわゆる重警備独房だ。「なぜ、ここにいるんだ?」とヒメネスは聞いた。ロレンツは、車でひき殺されそうになったことや流産したことなどをヒメネスに語った。ヒメネスは地団太を踏んだ。そしてロレンツに、ベネズエラにいるのは危ないと告げた。「では、どうすればいいの?」とロレンツは聞いた。「スペインに逃れて、私を待て」とヒメネスは言った。ヒメネスはこの国を脱出して、スペインで暮すという計画を持っているようだった。ヒメネスは、なぜロレンツが赤ん坊を連れてきたのか聞いた。ロレンツは言った。「あなたに会うためよ」そのときだ。看守が「静かにしろ!」とどなった。だが、ロレンツは負けていない。看守に口汚く怒鳴り返した。ロレンツは再び叫び始めた。「モニカ! モニカ! 私の赤ちゃんよ! 私に返して!」囚人たちも再び大合唱を始めた。「彼女に赤ん坊を返してやれ!」ロレンツの頬に涙が伝わった。感情の抑制ができなくなり、過呼吸のせいか胸が苦しくなった。のどがからからで、頭痛もする。何も食べていなかったので、吐き気だけが波のように押し寄せてきた。(続く)
2005.11.20
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▼与那国海底遺跡(上)今日は与那国の海底遺跡を紹介しましょう。沖縄県与那国島南の新川鼻沖に眠る、あの有名な巨石遺構ですね。大まかな場所と遺跡の地図は琉球大学の木村教授のサイトに詳しいです。私が潜ったのは2000年3月。風が冷たくて、海も結構荒れていました。しかし海の上が荒れていても、海に潜ってしまえば、快適な世界が広がっています。まず最初は、遺跡の西側に位置する「城門」です。写真中央にトンネルが見えますね。大きな石が組み合わさってできている、門のようなトンネルです。自然の造形かもしれませんが、石と石が合わさった部分が平らになっている部分もあり、人工物である可能性もあります。このトンネルはちょうどダイバー一人が通れるぐらいの大きさです。海底は石がゴロゴロしています。では、このトンネルをくぐって向こう側に行ってみましょう。すると、開けた場所に出ます。足元に注目してください。トンネルの手前は石がゴロゴロしていましたが、ここはまったく、ほうきではかれたように綺麗になっています。舗装された道路のようですね。実は「ループ道路」といって、遺跡全体の南側の海底を輪(ループ)のようにめぐっています。「道路」の両脇に側溝があるのがわかりますね。奥の方に「二枚岩」が見えます。二枚岩に向かって進んでみましょう。これが二枚岩です。巨大な立方体の岩が二枚合わさったようになっています。これは明らかな人工物ですね。形状からもそうですが、ガイドが何か説明しています。ちょうどガイドが浮いている辺りにクサビの跡があると言っているのですね。クサビの跡とは、巨石を割ったり運んだりするためにつける穴が掘られているということです。おそらくこの岩は、長方形の立方体のように加工された後、切り出されれる途中で作業が中断してしまったのではないでしょうか。この海底遺跡が石切り場であったのではないかとする説の有力な証拠の一つになっていますね。上方で波が砕けています。かなり浅い場所にあることがわかりますね。二枚岩を離れて「メインテラス」の方に進んでみましょう。メインテラスは二枚岩からみて東側にあります。ループ道路の上を進みます。あっ、サザナミヤッコが泳いでいますね。思わず写真に撮ってしました。広角レンズで撮っているので遠くに見えますが、かなり近くにいたんですよ。メインテラスが見えてきました。長くなりそうなので、今日はここまで。明日はメインテラスから話を再開します。(続く)
2005.11.19
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▼独房1ロレンツはヒメネスが入れられているとみられる刑務所に到着すると、その刑務所を管理している大尉に会った。そして「テロリストの容疑者」として、長い廊下を歩かされ、独房に入れられた。独房には窓がなく、通気孔があるだけだった。硬そうな寝台と汚れた水が出る流しがあり、床にはトイレ用の穴がポッカリとあいていた。格子扉越しには、四方を独房で囲まれた中庭が見えた。昔はホテルとして使われていたのだろうか、中庭の真ん中には一本の棕櫚の木と噴水があった。しばらくすると大尉がやってきて、ロレンツを尋問室へ連れて行った。大尉は投獄されている悪名高い独裁者に、子連れでわざわざベネズエラに会いに来るほど愚かなアメリカ人などいるはずがない、と思っているようだった。ロレンツは大尉に、ヒメネスが娘のモニカのために設定した信託基金を奪われたことや、車にはねられ命を奪われそうになったうえ流産したこと、アメリカを追われているので帰るべき国がないこと、などを説明した。大尉は疑いを持ちつつも、ロレンツをどのように処遇したらよいのかわからないようだった。ロレンツは、アメリカ大使館と連絡を取るかと聞かれたが、国を負われた人間だから結構だと言って断った。処遇に困った大尉はとりあえず、ロレンツを独房に戻すことにした。だが、独房に入れられるとき一大事が起きた。モニカを取り上げられてしまったのだ。ロレンツは看守に対して「赤ちゃんを返して」と叫んだ。看守はまったく聞く耳をもたない。そのまま尋問室の方へ連れて行ってしまった。ロレンツはパニック状態になった。彼らはヒメネスへの見せしめのために、モニカを殺してしまうかもしれない。ロレンツは気が狂ったように叫び続けた。叫び声は金切り声に変わり、ほかの囚人たちも呼応して、「モニカを返せ」の大合唱が始まった。(続く)
2005.11.19
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▼上下がなくなる世界水中では無重力状態になりますから、時々どちらが上でどちらが下か、わからなくなります。本当ですよ。水平感覚と垂直感覚が混乱してしまうんですね。次の写真を見てください。どちらが上でしょう? 答えは左ですね。だから本当は次の写真が”正しい”位置となります。この場合は太陽が出ているので、明るい方が上でしたね。注意深く見ると、ダイバーの吐く空気の泡が向かっている方が上になるわけです。洞窟などのダイビングでは太陽が見えませんから、頼りになるのは泡になるわけです。ところで、この魚たちは下に向かって泳いでいたんですね。ウメイロモドキというフエダイ科の魚です。いつも群れで回遊しています。パラオのビッグドロップオフというポイントで撮影しました。
2005.11.18
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▼ベネズエラへ(前回までのあらすじ)ケネディ暗殺事件直前にスタージスら暗殺集団メンバーとともにダラス入りしたロレンツは、CIAのハワード・ハントと、後にオズワルドを射殺したジャック・ルビーと出会ったと証言するが、委員会のメンバーはその話に懐疑的である。しかしロレンツには、CIAやマフィアが絡む大掛かりな陰謀が当時進行中であったことに疑いはなかった。仲間割れをした末に単身マイアミに戻ったロレンツは、陰謀から逃れるため娘を連れて母親の家に向かう途中、ケネディが暗殺されたことを知る。疑いは戦慄に変わり、ロレンツはFBIに一部始終を報告するが、報告書が日の目を見ることはなかった。ロレンツに無言の圧力が加わった。アメリカ政府は、ロレンツに出て行けという。要求は不当に思えたが、ロレンツにはそれを冷静に分析する余裕はあまりなかった。とにかくモニカを養うため、必死だった。出て行けというのなら、出て行ってやろうではないか。ロレンツは半ば居直って、首都カラカスの刑務所で裁判を待つヒメネスに面会を求めるため、モニカを連れてベネズエラへ向かった。ロレンツがベネズエラへ向かったことは、アメリカ政府からすぐにベネズエラ政府に伝えられた。空港に着いたロレンツは、スーツケースを取りに行くことも許されないまま、ベネズエラ軍情報部の5人の男に身柄を拘束された。ロレンツは抗議した。一体ロレンツが何をしたというのか。軍関係者は、尋問のために逮捕したのだとロレンツに告げた。衛兵たちはロレンツのスーツケースを開け、中身を調べていた。取調官はなぜベネズエラへ来たのかとロレンツに聞いた。ロレンツは言った。「子供の父親に会いに来たのよ」取調官は「父親とは誰か」と、作り笑いをしながらたずねた。「この国の前大統領よ」とロレンツは答えた。女性取調官はロレンツを裸にして身体検査をしようとしたが、ロレンツは断固として拒否した。何も悪いことをしていないのに、そのような屈辱を受ける気はさらさらなかった。取調官の説明によると、ロレンツがベネズエラに到着する二日前、首都で大量の武器が見つかった。背景にはフィデル・カストロと結びつきのあるグループがいるのではないかとの見方が強く、ロレンツが重要参考人として浮上したのだという。ロレンツは、ヒメネスに面会に来ただけでテロリストとは関係がないと主張しても、取調官は納得しなかった。ただ、ヒメネスとの面会だけは認めてくれた。ロレンツとモニカは、首都郊外にある古い城のような刑務所に連れて行かれた。(続く)
2005.11.18
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▼ブルーホール海の中にポッカリ穴があいたようなブルーホール。その穴のある場所だけ、深い群青色になっています。中米ベリーズのブルーホールが世界で一番有名ですね。でも、パラオやグアムにも小さなブルーホールがあります。下の写真はパラオのブルーホールを潜ったときに、海底からホール(穴)を見上げて撮ったものです。暗闇の中で、穴のあいているところだけ明るくなっています。ダイバーが私のいる海底に向かって潜行してきます。手前に写っているのは海ウチワですね。写真上方には、おそらく私が排気した空気の泡がフラッシュに浮かび上がっています。別の場所から撮ったブルーホール。周りが真っ暗で何があるかよくわかりませんね。このブルーホールをくぐって、あの有名なブルーコーナーへと抜けることもできます。ブル-コーナーの写真はまた今度。
2005.11.17
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▼葬られた証言ニュージャージー州の母親のところに身を寄せたロレンツは不安であった。真っ黒で巨大な陰謀が、アメリカ全土を覆っているようであった。いつか晴れ間が見えることがあるのだろうか。オペレーション40の一連の不穏な動きについて、ロレンツはFBIに報告した。その報告書はファイルに収められたものの、CIAの秘密工作に関する情報が含まれていたため、トップ・シークレット扱いされ、そのまま日の目を見ることはなかった。政府が非合法活動グループを支援して、武器庫襲撃や殺人だけでなく、カストロ暗殺まで企てていたことを公にすることは、何としても避けたいという思惑も働いたのであろう。ロレンツらによる、陰謀説を唱える証言の多くは闇に葬られ、やがてオズワルドの単独犯であったという結論に集約されていった。しかし、真実を少しでも知るものにとっては、オズワルドはただのスケープゴートであったことは明々白々のことであった。ニュージャージーの家では、ロレンツの母親は不在になることが多かった。母親は国家安全保障局(NSA)の要職に就いていたからだ。第二次世界大戦中から続いている情報活動で忙しかった。母親を頼って、いつまでも居候でいるわけにはいかない。だが、どこに行けばいいのか、どうやって暮していけばいいのか、ロレンツには見当がつかなかった。そのようなとき、新たな事件が起きた。1964年のある日、移民帰化局の職員二人がロレンツのところにやってきて、アメリカを出るように告げたのだ。ロレンツは驚いた。ロレンツはアメリカのパスポートを持っている、暦としたアメリカ市民のはずである。なぜ、アメリカから出て行かなければならないのか。その二人は、ロレンツのことをナチの父親を持つドイツ人であり、アメリカ市民ではないと言い張った。アメリカ政府にとって、そのような人物が国内にいることは迷惑であるので、出て行けという。ロレンツを邪魔もの扱いする勢力の嫌がらせであることはすぐにわかった。ベネズエラの元独裁者ヒメネスの愛人であり、司法当局に反抗してヒメネスの強制送還を遅らせたことに対する報復なのか、あるいはCIAの極秘活動を知りすぎたロレンツを疎ましく思う者の策略か。いずれにしてもロレンツは再び陰謀に巻き込まれ、正体不明の不気味な力に振り回されることになる。(続く)
2005.11.17
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▼決別と衝撃ケネディ暗殺事件の前後から、その後にロレンツが送った数奇な人生については、ロレンツの自伝に詳しい。ダラス郊外のモーテルでジャック・ルビーにあばずれ呼ばわりされたロレンツは、「こんな任務なんて糞食らえよ。家に帰るわ」とスタージスに告げ、帰り支度をした。スタージスは引きとめようとしたが、ロレンツの決意は固かった。幸いなことにロレンツの手元には、“今回の仕事”の手付金の分け前が入った封筒があった。封筒にはいつも、使いきれないほどの大金が入っていることをロレンツは知っていた。家に帰れるだけの資金は十分あった。1963年11月21日。ケネディが暗殺される一日前、ロレンツはタクシーを拾って空港へ向かった。道路沿いの柱には「ようこそ、ケネディ」のポスターが貼ってあった。もちろん、そのときロレンツは、ケネディのことなどほとんど気に掛けていなかった。娘のモニカに一刻も早く会うことだけを考えていた。マイアミでモニカをあずかってくれた、かつての乳母ウィリー・メイ・テイラーの家に着いたロレンツは、ダラスでの出来事をテイラーに話した。テイラーはただならぬことがおきつつあることを察知して、すぐにここを離れ、ニュージャージー州フォート・リーにいるロレンツの母親を訪ねるようにアドバイスした。翌22日、ロレンツは娘とともに飛行機に乗り、ニュージャージーへと向かっていると、副操縦士から突然アナウンスがあった。「乗客の皆様、大変申し訳ありません。ただ今、合衆国大統領がダラスで狙撃されたため、着陸に遅れが出ると思われます。空港では公務の離陸が優先されるからです」ロレンツには、雷に打たれたような衝撃が走った。なんということだろう。彼らの標的はケネディ大統領だったのではないか。恐怖にも似た感情がロレンツの背筋を凍らせた。確証はなかった。状況証拠だけだ。しかし、暗殺集団オペレーション40の実情を知っているロレンツにとっては、それだけで十分であった。(続く)
2005.11.16
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▼マンタの好奇心マンタの子供は好奇心が強いようです。以前話したように、フレンチポリネシア・マニヒ島のパスで、流れが強いため海底をほふく前進しているときに、子供のマンタがダイバーの頭上に現われました。これがそのときの写真です。何もここまで近づくことないのに、と思うぐらい近づいてきましたね。写真を見ると、尻尾がダイバーのタンクに触れています。まるで私たちが流れに流されまいと、必死に岩に捕まっているのを面白がっているようでした。マンタはしばらく、このダイバーの上でホバリングして、やがて流れに逆らってパスの彼方に消えて行きました。それがこの写真です。これまでの経験から言うと、マンタはメスと子供は人間に興味を示して、近づいてくることが多いようです。一緒に泳いでも気にしないし、こちらを横目でチラリと見たりするところが非常にかわいい。一方、オスは人間を見ると、だいたい逃げてしまいます。下の写真のマンタはメスですね。目がかわいいでしょ。マンタはまた、非常に頭がいいのではないかとも思えます。ボラボラ島で聞いた話では、ひれにロープが絡まったマンタが人間に助けを求めて、船の周りを泳いでいたことがあったそうです。乗組員が潜って、そのロープをカッターで切るまでその場を離れることがなかったということです。するとこのマンタは、人間ならばそのロープをはずしてくれることを知っていたことになりますね。賢い生き物です。最後にマンタの写真を何枚か紹介しましょう。いずれもボラボラ島のマンタポイントで撮影したものです。
2005.11.15
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▼罠 「オズワルドとの出会いの中で、彼の片足が不自由だということに気付きましたか?」 「片足が不自由?」 「そうです。当時、彼は片足が不自由なようには見えませんでしたか? あなたは、彼の片足がもう片方の足より少しだけ悪いということを覚えていないのですか?」 「いいえ。思い出す限りではノーです」 「六三年十一月の後、最後にフランク・スタージスに会ったのはいつのことですか? 彼がダラスであなたを飛行機に乗せたと言いましたね」 「はい」 本当は自分でタクシーに乗り、空港まで行ったのだが、ロレンツは面倒くさいのでスタージスに送ってもらったことにした。ロレンツはタクシーで空港に向かう途中、道路沿いに「ようこそ、ケネディ」と書かれた看板が立ち並んでいるのを漠然と車の窓から見ていたのを思い出していた。 「次にスタージスを見たのはいつですか?」と、ぼんやりと当時のことを思い起こしていたロレンツの耳にマクドナルドの質問が聞こえた。 我に返ったロレンツが答えた。「デイリーニューズ紙のポール・メスキルと一緒に彼が記事を書いたときです。彼は既にポール・メスキルと一緒に記事を書いていました。そしてその連載を終わろうとしていたんですが、その中で私が関係していないのに、関係しているなどと書いたのです。それは七六年のことでした。私はその直後に西五十七番街のホリデイ・インで彼に会いました」 これこそがロレンツを共産主義のスパイだと中傷したあの記事だった。あの記事のせいでロレンツは再びマスコミの注目を浴びるようになったのだ。 マクドナルドは聞いた。「六三年から七六年までの十三年間、彼とは接触していなかったのですか?」 「はい、一度も。私の担当捜査官が新聞を持ってきて彼のことが書かれているのを知ったのです。そして・・・」 マクドナルドがロレンツの発言を遮った。「あなたの担当捜査官とはどういう意味ですか?」 「私は当時、ルイス・ジョン・ユラシッツと結婚していて、そして、スパイ活動をして働いていました」 「だれのために?」 「FBIのためです」 FBIは一九六九年ごろ、ロレンツが情報活動に従事したことがあるという経歴に注目してニューヨークにいた彼女を情報部員として雇ったのだ。そして情報活動がしやすいように同様にFBI特別情報部員だったユラシッツと結婚した。ロレンツにはそのころ既に赤ん坊がお腹の中にいた。男の子でマークと名付けられた。しかし、そこに至るまでには大波乱があった。ケネディが暗殺された直後、あまりにも事件について多くのことを“知りすぎた”ロレンツは、再び命を脅かされるような陰謀に巻き込まれるのだ。(続く)
2005.11.15
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▼揚げ足取り 午後三時五分、戻ってきた議長は小委員会を再開した。「委員会を再開する。(マクドナルドに)続けて下さい」 「ありがとう、議長。ロレンツさん。あなたがスティーブ・ズカスに渡した陳述書の十五ページについて話しているんです」とマクドナルドは確認のために念を押した。 「はい」とロレンツは相槌を打った。 「そこではオズワルドとルビーは本当のメンバーではない、と言っていますね。私の質問は、あなたはオズワルドに六一年に会い、それから二年半も経っていたとする今日のあなたの証言と、その陳述書の内容をどう一致させればいいのかということです」 「そうですね・・・」 ロレンツはマクドナルドの質問の趣旨を理解したが、何と言えばいいか考えあぐねていた。 マクドナルドは再度、質問を言い換えながら繰り返した。「つまり、あなたは十五ページにルビーとオズワルドは新参者で本当のメンバーではないと記述しているのに、少なくともオズワルドは新参者ではなかったではないかと思うんですよ。二年半という月日は、新参のという形容詞を使うには不適切ではありませんか?」 確かに新参とは言えなかったのでロレンツは「本当のメンバーという意味です」と答えた。 「それだけですか? 何かほかに付け足すことは?」 「ええ。私はルビーがメンバーだとは思いませんでした。彼にはそれまで会ったことはありませんでした。ちょっと確かではないんですが、それ以前一度だけキューバで彼を見かけたかもしれません。正確には覚えていませんが」 一九五九年の夏、ラウル・カストロの部隊がハバナ・リヴィエラ・ホテルのカジノ施設を没収している際、没収に抗議していたマフィアの中にルビーがいたようにロレンツには思えたのだ。 「オズワルドはどうですか? あなたは彼のことも新参者と陳述書に書いていますが」 「私たちの多くはキューバ人です。皆、それぞれ理由がありました。私にはオズィーが正当な理由を持っているとは思えませんでした。あるいは告げられなかっただけかもしれませんが。だから私は彼が本当のメンバーではないと言ったのです」 「だけどあなたは今日の証言で、少なくとも五回、隠れ家でオズワルドに会ったと言っているではないですか」 「だけど、ほかのメンバーはもっとよく知っています」 「いいでしょう。しかし、五回も会っておいて、新参者と書くとはねぇ」 「新参、つまり、別の言葉で言えば、私たちが寝袋に寝て寝食を共にしたようには、彼は私たちと一緒に寝たことがない、ということです。彼は私たちと朝から晩まで行動を共にしたわけではないのです。彼は銃の運搬や、あれやこれやにも参加しませんでした」 「あれやこれやとは何ですか?」 「ビラを撒いたりです」 「いいでしょう。陳述書の十四ページにも、"オズィーは新聞を持ってきて、みんながそれを読んだ"と書いてありますね」 「はい。彼は一度だけ、新聞を持ってきました。それっきりです。買うことは許されませんでしたから。私たちは外出して店に買いに行くことは認められませんでした。彼らは女を連れ込むようなことも認められていませんでした」(続く)
2005.11.14
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▼タテジマキンチャクダイ私はマクロ(ハゼやウミウシなどの小さい生物の写真)をほとんど撮らないのですが、このぐらいのお魚さんは撮ります。タテジマキンチャクダイ。サザナミヤッコと並び人気のある、綺麗な魚です。なぜ横じまなのにタテジマなの? と疑問に思われる方もいるかもしれませんが、お魚さんから見れば、縦じまなんですね。面白いのは、幼魚は青黒白の渦巻き文様であることです。幼魚と成魚の文様が違うのは、サザナミヤッコも同様です。不思議ですね。タテジマキンチャクダイの写真は、パラオのコーラルガーデンというポイントで撮りました。
2005.11.13
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▼再中断 「いいでしょう。続けさせて下さい。あなたはこうも書いている。"オズィーとルビーは新参者で本当のメンバーではない"と」 「その通りです」 「それを説明してくれませんか?」 「彼らは私が一緒に神と国家のために誓いを立てるような種類の人間ではなかったということです。オズィーはやはり部外者でしたし、ルビーはチンピラに見えました」 「どうしてオズィーが部外者なのですか? 六三年の話でしょう?」 「彼がオペレーション40にいたのは紛れもない事実ですが、それでも何故彼がいるかの説明もなく、それが好きになれなかったのです」 「だけどこれは一九・・・」とマクドナルドが質問をしかけたときに議会の投票を告げるベルがなった。このため議長は、マクドナルドの質問を制して発言した。「委員。申し訳ありませんが、投票時間を告げる二度目のベルが鳴りました。我々は投票のため十分間席を外さねばなりません」 午後二時五十分、小委員会は再度中断。議長ら議員は投票場へと慌ただしく去っていった。(続く)
2005.11.13
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今日は午後から晴れたので、都心に秋を探しに行きました。まずは渋谷区神宮外苑の銀杏並木。今日からイチョウ祭りが始まり、絵画館前の広場は出店でにぎわっていました。銀杏を拾っている人もいましたね。次は千代田区の千鳥ヶ淵。春の桜で有名ですね。その足で、文京区の小石川植物園へ。秋とは関係ありませんが、棕櫚の木です。きれいな花が咲いていたので撮影しましたが、コダチダリアの花です。ちょっとだけ色づいていますね。イロハカエデです。枯葉のじゅうたん。これは秋らしい。大きなキノコです。これも秋ならではですね。秋とはあまり関係ありませんが、スズカケノキ。大きくて写真に納まりきれませんでした。次は秋らしい色ですね。太陽の光が当たっているときを狙って、何枚か撮ってみました。ユリノキの紅葉です。園内にある日本庭園です。猫ちゃま。立ち去ろうとしているところを呼び止めたら、ちょこんと座ってこちらを向いてくれました。目が光ってしまいましたね。紅葉の写真二枚。次は秋らしい写真ですよ。光と色が素晴らしい。同じ場所ですが、子供連れの家族がいると、いっそう秋らしさが増しますね。およそ3時間半の都内秋ツアーでした。
2005.11.12
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▼改竄 「ロレンツさん。あなただって極秘の作戦にかかわっていたと証言していましたよ」 「いいえ。私がかかわったのは、銃の運搬です。秘密の作戦はその後の話です」 「でもピッグズ湾事件の前、六一年にあなたはエバーグレーズで訓練を受けていたといいましたね?」 「あれは公のものです。それについては、何ら秘密はありませんでした。オペレーション40は秘密でした」 「言っていることに矛盾がありますよ」 このマクドナルドの発言はロレンツの癇にさわった。ロレンツが反論しようとしたそのとき、クリーガーがロレンツを制して異議を申し立てた。「議長。委員が証人の発言が矛盾していると言っていることに反論します。記録をそのまま見ようではありませんか。それについての委員の意見は必要ないはずです」 議長がこれに答えた。「そうですね。私はマクドナルド委員が陳述書の説明を求めていると解釈しています」 そこでロレンツは、マクドナルドに向かって説明するように言った。「まず初めに、私はその陳述書を早く書くように言われました。第二に、だれが私の陳述書に書き込みをしたか知りたいものです」 午前中にロレンツらが見た陳述書には、ロレンツには明らかに見覚えのない書き込みがしてあったのだ。誰かがロレンツの陳述書を事前にチェックしていた。ロレンツの自伝によると、「新たな名前が加えられていたり、ほかの名前が消されたり、細部が削除されたり、変更されたりしていた」という。改竄された部分は、CIAの秘密情報活動とその仲間についてロレンツが記した部分だったというから、CIA関係者が改竄した疑いがある。 マクドナルドは聞いた。「だれがこれを書くように言ったのですか?」 「機密調査部員のスティーブ・ズカスです。だけど彼は当時、だれにそれを渡していいか、だれが信頼できるか、分からなかったのです」 そう陳述書は、ズカスがロレンツに書くよう奨めたのだ。ズカスがCIA調査部員なのかFBIの調査部員なのかわからないが、おそらくケネディ暗殺事件の真相を探っていた一人であろう。ズカスにとってロレンツの証言は衝撃的だった。もしかしたらケネディ暗殺の謎を解く決定的な証言になるかもしれないと、ロレンツに証言を残すようアドバイスしたのだ。 マクドナルドが続けた。「いいでしょう。十五ページに話を戻しましょう。下の方にあなたはフランクの人選が好きになれなかったと言っています」 ロレンツはどこの部分のことを言っているのか分からなかったので聞いた。「それはどういう意味ですか?」 「十五ページの四分の三ほど下に行ったところを見て下さい。"私は同意しましたが、彼には彼の人選が気に入らないと告げました"とあります」 それはジャック・ルビーやオズワルドが仕事に参加していることを指していた。 ロレンツは答えた。「確かに、気に入りませんでした。というのも私が訓練を受けたときの人選とは違っていたからです」(続く)
2005.11.12
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▼ナポレオンとロウニンアジ今日はお魚さんのツーショット。昨日紹介したナポレオンフィッシュとロウニンアジです。寄り添うように泳いでいますね。かといって、この二匹、ラブラブでもなければ、仲が良いわけでもありません。ロウニンアジがナポレオンの巨体の陰に隠れているのです。なぜ隠れているのでしょう?エサとなる小魚がロウニンアジの姿を見ると逃げてしまうからですね。ロウニンアジはそれほど、小魚から恐れられているということです。海のギャングと呼ぶ人もいますね。名前の由来は、浪人のように顔の辺りに切り傷のような筋があるからです。その筋の魚ということですね。いかにも、それらしい名前です。これに対してナポレオンは、比較的おとなしい魚です。小魚はそれを知っているので、ナポレオンが現われても逃げたりしません。そこで、ロウニンアジは、このナポレオンを利用して、小魚を捕食しようとするわけです。ロウニンアジにとって、ナポレオンは隠れ蓑なのですね。同じように小魚から恐れられている魚に、カスミアジがいます。カスミアジもまた、他の魚に陰に隠れて捕食をします。アカエイと一緒に泳いだり、変わったケースではウツボと併泳しているのを見たことがあります。海の中では、騙したり騙されたりしながら、厳しい生存競争が展開されているわけです。ナポレオンとロウニンアジのツーショットは、2000年4月28日、パラオのビッグ・ドロップオフで撮影しました。
2005.11.11
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▼ジャック・ルビー2 「ロレンツさん。あなたは自分の手書きの陳述書を先程読み返しましたね?」 「はい」 「注意深く見て下さい。十五ページのところに"私は後でフランクに、どこであのマフィアのチンピラと知り合ったのかと訊ねました"と書いていますね?」 「その通りです」 「どうしてあなたは、そのルビーという男をマフィアのチンピラであると気付いたのですか?」 「そう見えましたから」 「そう見えた?」 「彼はまさにそう見えたのです」 ロレンツにはこれ以上の説明は必要ないように思えた。ルビーはまさにチンピラの格好をしていたのだ。それはだれが見ても、間違いようがないことだった。 「何故ですか?その男ルビーとは会話を交わしていないわけでしょう。それに・・・」 「会話を交わしていません。私がフランクにそう言ったのです」 「それは分かっています。でも何故そのような表現を使ったのですか?」 「それはその男が私に向かって"この女は一体だれだ?"と言ったからです」 「ルビーが言ったのですか?」 「はい。だから私は頭にきたのです」 「フランクは何と言ったのですか?」 「"彼女に構うな"とその男ルビーに言いました」 「すみませんが、もう一度言ってもらえませんか」 「フランクは"彼女に構うな。そっとしておけ"と言ったのです」 「分かりました。それからあなたは続けてこう書いていますね。あなたが"一体何が起きているの? 何のために私たちはここにいるのよ"と言った、と」 「はい、そう言いました」 「理解できませんね、ロレンツさん。何故ここにこんなことが書かれているのか。ある男がやって来て、ドアをたたき、フランクを名指しし、フランクと二人で駐車場へと出ていったという事実と、あなたの書いた陳述書の中であなたがルビーをマフィアのチンピラと呼び、何らかの理由であなたが"一体何が起きているの?"と質問したと書いていること。どう考えても、その男が部屋に来たことが、あなたにそのような発言をさせるに至った劇的な変化というのがあったように思えない」 「それは彼の態度から分かったのです。彼の態度、全体の雰囲気です。すべてに秘密性があったのです」 ロレンツは、ルビーがモーテルを訪れたころから、もっと正確に言えば、ハワード・ハントがモーテルに"活動資金"を持ってきたころから、今回の仕事がだれかの暗殺であると薄々感づいていた。単なる武器庫襲撃ではないことは、その場の秘密性から分かっていたのだ。(続く)
2005.11.11
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▼メガネモチノウオ(ナポレオンフィッシュ)今日はナポレオンフィッシュです。「我輩の辞書に不可能はない」と、人間の言葉でしゃべったから、ナポレオンフィッシュと呼ばれるようになりました。なんてはずはないですね。オデコが出っ張っていて、ナポレオンがかぶっていた帽子に似ていることから、ナポレオンフィッシュと呼ばれるようになったそうです。でもナポレオンの肖像画を見るかぎり、ナポレオンの帽子のようには見えませんね。和名ではメガネモチノウオ。目の横にめがねのような筋が付いているからです。確かにめがねのフレームのように見えなくないですね。非常に人なつっこく、好奇心の強い魚でダイバーのすぐ近くまで寄ってきます。本当に大きな唇です。こんなに大きな唇でキスをされたら、気を失ってしまいそうですね。サメも泳いでいたので、一緒に撮って差し上げました。ナポレオンフィッシュと出会った後、以前紹介したレモンシャークも出てきました。下の写真です。2002年4月23日、外海に面した、ボラボラ島のタプというポイントでした。
2005.11.10
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▼ジャック・ルビー 「ロレンツさん。あなたは、後にジャック・ルビーだと分かる男がモーテルにやって来たと証言しましたね?」 「はい」 「正確には何が起きたのですか? ルビーがモーテルに来たときの様子は?」 「フランクはだれかが来るのを待っていたのです。彼はずっと待っていました。何か秘密でもあるようでした。そのうち、その男がドアをノックしたのです。その男はフランクと話がしたかったのです」 「それであなたが応対したのですか?」 「いいえ、違います」 「そのときあなたはどこにいたのですか?」 「床にいました」 「床に、ですか?」 「床に座っていました」 「床に座って何をしていたのですか?」 「サンドイッチをつくっていました」 「そのときだれかがドアをノックした?」 「はい」 「だれがドアを開けたのですか?」 「フランクです」 「フランクは何と言いましたか?」 「彼は"ちょっと待て"と言ってからドアを開け、その男が部屋に入って来たのです。混み合っていたので、ずっと中までは入ってきませんでした」 「その男は何を着ていましたか?」 「スーツです」 「何色のスーツですか?」 「黒っぽい色です。黒とか青とか。彼は白い靴下と黒い靴を履いていました。何故覚えているかというと、私は床に座ってサンドイッチをつくっていましたので、よく見えたのです。私は最初にその男の足下を見て、それから見上げたのです」 「その男は何と言いましたか? その男は名乗りましたか? だれかに自己紹介しましたか?」 「いいえ、私には何も」 「部屋にいただれかにはどうですか?」 「"やあ、フランク"とその男は言っていました」 「やあ、フランクですか?」 「はい」 「ほかにその男は何と言いましたか?」 「彼らは外に出ていったので、私には彼らが何を話したか分かりません。彼らは部屋の外に出て行ったのです」 「リー・ハーヴィー・オズワルドとあなたが言っている男は、部屋にいたのですか?」 「彼は部屋にいました。部屋にやって来たのはオズワルドではありません」 「もちろん、違います。ルビーが部屋にやって来たときに、オズワルドは部屋にいたのですね?」 「はい」 「オズワルドはルビーと何か会話を交わしましたか?」 「いいえ。その男はフランクに会いに来たのです」 「あなたはそのとき、その男の名前を知らなかったのですね?」 「知りませんでした」 「フランクが部屋に戻ったとき、彼はその男との会話について何か説明しましたか?」 「いいえ、彼は私たちには何も説明しませんでした」 「その男、ルビーについて何かもっと会話はありませんでしたか?」 「いいえ。ただ、フランクには彼は重要な人物だったのです。フランクが彼と話をし、しかも二人だけで話すということが大事だったのです」(続)
2005.11.10
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▼ベビーシッター マクドナルドが中断していた質問を再開した。「ありがとう、議長。ロレンツさん。この直接の尋問を終えるためには、もう少しあなたに聞いておきたいことがあります。あなたが先に証言した、六三年十一月のダラスへの旅の件に関してですが、あなたはそのとき旅行用荷物をたくさん持って行ったのですか? それとも何も持って行かなかった?」「着替えだけが入った一泊用の鞄を持って行きました」 「ほかの人たちはどうでしたか?」 「はい、彼らは服の着替えが入った航空バッグを持っていました。みんな必要なものをバッグに詰め込みました」 「フランク・スタージスはどんな種類の服を持って行きましたか?」 「フランクはいつも予備の服を車のトランクに積んでいました。彼は別々の航空バッグに服を入れていました」 「どんな種類の服ですか?」 「車の後ろにはジャケットやいつも黒っぽい色のスーツが入れてありました。タイヤがその上に置かれていました。一度航空バッグを開けたとき、手伝おうとしましたが、彼らは私に手伝わせてくれませんでした」 「あなたが出発したとき、あなたのベビーシッター、テイラーさんでしたかな、彼女に何と言ったのですか?」 「ウィリー・メイ・テイラーです」 「彼女にはどのくらい留守をすると言ったのですか?」 「二、三日。週末いっぱい。彼女も仕事に戻らなければならないのを知っていましたから」 「何曜日までに彼女は仕事に戻らなければならなかったのですか?」 「月曜日です。彼女の仕事はベビーシッターです」 「あなたはいつ発ったのですか?」 「発つって?」 「いつあなたはマイアミを出発したのですか?」 「正確な日にちは覚えていません」 ロレンツはマイアミからニューアークへ向かった日にちのことだと思ってこう答えた。 マクドナルドが念を押した。「ダラスに向けてですよ」 「ダラスへ、ですか? ダラスへ、であるならば十六日です」 「十六日」 「私はてっきり、別の・・・」 「十六日は何曜日ですか?」 「多分週末です。週末が始まった頃」 「土曜日?」 「はい」 「だけどあなたのベビーシッターは月曜日には仕事に戻らないと言いましたね?」 「はい。しかし、もし私の帰りが遅れても、彼女はちゃんと私の娘の面倒をみてくれますから。私の娘は彼女の家で暮らしていました」 「あなたは先に、マイアミからダラスまで千三百マイルも運転して行ったと言いましたね?」 「はい」 「ということは、もしあなたたちが土曜日に出発したのなら、どんなに早くても日曜日の夜にダラスに着いたことになりますね。二日間の強行軍だったわけですから」 「はい」 「それにあなたのベビーシッターは月曜日には仕事に戻らなければならなかった」 「だけど、彼女は月曜日の仕事に私の娘を連れていく必要はありませんでした。彼女には八人の子供がいて、私の娘はいつも彼らと一緒でしたから」 「ならば、あなたは特に月曜までに戻るつもりはなかったのですか?」 「分かりません。私は彼女に戻るつもりだと言いました。また私は娘が彼女のところで安全であることも知っていました」(続)
2005.11.09
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東京の街中も紅葉が目立ってきました。きっと、奥多摩とか山の方は紅葉真っ盛りですよ。今年の紅葉前線は1週間ぐらい遅れているようですね。写真は杉並区の善福寺公園でした。
2005.11.08
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▼午後の証言(前回までのあらすじ)オズワルドが暗殺集団「オペレーション40」の訓練に参加していただけでなく、ケネディ暗殺直前には暗殺集団のメンバーとともにダラスへ向かったと、ロレンツは証言する。委員会のメンバーにとっては、俄かには信じ難い驚愕の事実だ。暗殺集団の背後には本当にCIAがいたのか。ロレンツの言うオズワルドは、ケネディ暗殺犯のオズワルドと同一人物なのか。数々の疑問を抱えながら、委員会の午前の質疑が終わり、休憩に入った。 休憩後、マリタ・ロレンツによる午後の証言が始まった。焦点はダラスでのロレンツやスタージスの行動だった。本当にオズワルドが彼らに同行したのか。ロレンツらはダラスのモーテルでジャック・ルビーやハワード・ハントに会ったのか。そうした具体的な行動について質問が集中した。 午後二時四十分、予定の時間を大幅に過ぎてリチャードソン・プレイヤー議長が慌てるように議長席に着き、息を切らせながら発言した。「遅れてすみません。まずいときにいくつかの投票が重なってしまって。フィシアン氏は間もなく現れるでしょう。それでは委員会を始めましょう」 ロレンツの弁護士クリーガーが冒頭に発言した。「議長。今朝、一つだけ証人が言ったことで間違いがありました。続ける前に証人は間違いを訂正しておきたいと希望しております。速記者に質問をもう一度読ませ、証人に正しく答えさせてもらえませんか?」と問題箇所を示しながら言った。 議長は「いいでしょう」と答え、速記者に質問を読み返すよう指示した。速記者は質問を読み返した。「(質問:あなたは、武装キューバ人があなたをピストルで脅して、電話ボックスから誘拐しようとしたと申し立てたことはありますか?)」 議長がロレンツに聞いた。「もし、その答えで説明したいことがあれば、そうして下さい」 ロレンツは答えた。「はい。それはピストルで脅されたのではありませんでした。撃たれそうになったのです。彼らは実際に私に向かって撃ちました。殺す気はなかったかもしれませんが。当時、私は最初に、現在この委員会にいるゴンザレス刑事に会いました。刑事は今、この委員会の調査員の一人です。彼ならいつその二人のキューバ人の容疑者が逮捕されたか覚えているはずです。というのも、彼がその容疑者を国外追放したのです。彼らは外交官の免除特権で罰せられることもなく、キューバに送還されたのです。ピストルで脅された事件は別の事件です」 「感謝します。議長」とクリーガーは付け加えた。 これを受け議長は、マクドナルドに質問を再開するよう促した。「委員が質問を続けることを認める」(続く)
2005.11.08
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今日は夕方、テニスクラブに来たら、虹が出ていました。思わず、撮ったのが下の写真です。手前はコスモスですね。秋桜と書きます。9月ごろが一番の花盛りだったかな。最近は少し、花も元気がなくなってきました。昨日などは寒かったですからね。冬がすぐそこまで来ています。太陽も午後5時には沈みます。私はいつも、最後までテニスコートに残ってテニスをしていますが、時計を見るといつしか午後5時15分になっていました。不思議なことに、暗くてもボールが見えてしまうんですね。暗闇でもボールは心眼で打てるんですよ! もちろん冗談です。
2005.11.07
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▼オズワルド問題8 「すると、あなたは二年間そのグループとはつき合いがなかったということですね? そして、あなたは、ウォルターズとあなたの間の私的な問題を手助けしてもらうため、その家に行った。あなたの先の証言によると、あなたは家の中に入り、ある意味で地図が広げられた討議の場に参加、彼らがダラスについて話しているのを聞くこともできた、ということですか?」 「フランクはまず、本国送還について話をしました。彼は、その前に何度か私と会って、デード郡の刑務所から将軍を脱獄させる方策を探ったこともあるんです。私は彼を信頼し、彼も私を信頼していたと思います。だって、将軍を脱獄させようとしてくれたんですから。彼はデービッドとの問題について、個人的に相談に乗ってくれていました。しかし、そのとき、彼はダラス行きの仕事に取り組まなければならなくなったのです。私は彼についてその家に行きました。彼は後で話をしようと私に告げました」 「地図などを使った話があるからということですか?」 「はい」 「それで彼らが話していた都市というのがダラスだったのですか?」 「はい。しかし、私には何かおかしなところがあるとは気づきませんでした。特に気にしませんでしたし・・・」 「あなたは確か、武器庫襲撃の際、おとりとして使われたと言いましたね?」 「はい」 「どういう意味ですか?」 「おとりというのは・・・。ある時、私は約五台の車に乗り込んだ約三十五人の仲間を救ったことがあります。車には武器が積み込まれ、フロリダ半島の小島にそれらを運んでいるところでした。編隊を組むようにして車で移動している途中、警察が、武器を大量に積み込んだ私たちの車を呼び止めたのです。私は言い訳などして時間を稼ぎ、警察官を浜辺に釘付けにしました。私の言い逃れと警官へのウソのお陰で、入国管理局や税関の人間に私たちのグループが捕まらずにすんだのです。私の役目はグループ内で大変な評判になりました」 「いつのことですか?」 「そういったことは年中ありました。六〇年は、私たちは一カ所にとどまらず、移動ばかりしていましたから。銃を運搬していたのです」 ここで議長が口を挟んだ。下院議会の開会を告げるベルがなったのだ。「委員、申し訳ないが、二度目のベルがなったので、投票に行かねばなりません。今、十二時十五分ですので、いかがでしょうか、二時まで休憩ということで。その後、そう時間は取らずに、終わらせることができると思います」 各委員が賛同したのを受けて議長は休憩を宣言した。 小委員会は十二時十二分、休憩に入った。(続く)
2005.11.07
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▼水深40メートルの世界ダイビングは通常、水深20メートルぐらいまでしか潜りませんが、時々水深30メートル以上まで潜ります。ただし、アドバンストのカードが必要で、普通のCカードでは潜らせてもらえません。この日は私のダイブコンピュータで水深38・1メートルまで潜りました。このようなところです。ここまで深くなると、本当に真っ青な世界です。ライトを当てないと、何があるのかもわかりません。フラッシュをたくと、シダ類が浮かび上がります。本当は海底のシダ類を見に来たわけではなく、ヘルフリッジ(シコンハタタテダイ)を探しにここまで潜ってきたのですが、残念ながらこの日は見ることができませんでした(その後、パラオで見ましたが)。浅場に浮上するときに、ハンマーヘッドが上の方をくねくねと泳いでいました。2000年3月15日。沖縄県与那国のダンヌドロップというポイントでした。
2005.11.06
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▼オズワルド問題7 「ということは、六一年から六三年の間、彼には全く会わなかったんですか?」 「その間、私はあまり人に会わなかったのです。将軍と一緒でしたから。ただ、何回かフランクとアレックスが私に会いに来ました。だれも一度は自分たちの仲間だった人間をそう簡単には忘れることはできません」 「オズワルドのことを言っているのですか?」 「そうです」 「別の言い方をすれば、彼はそのグループになくてはならない人物だったというわけですか?」 「はい。彼は秘密や計画、それに私たちが討議した諸々のことを知っていましたから」 「そのグループには全部で何人いたのですか?」 「四十人で発足しましたが、何人かは去っていきました」 「その中で、オズワルドはグループになくてはならない存在だったというのですか?」 「はい」 マクドナルドは質問の焦点をボッシュの家での密談に移した。「では、グループの密談について話して下さい。あなたはオーランド・ボッシュの家に行きましたね。その家はどこにあるのですか?」 「それは小さな家でした。スティーブ・ズカスと一緒に車で立ち寄ろうとしたもう一つの場所でもあります。私は彼のために家の図解を書きました。家全体の図解です」 「どの辺ですか?」 「正確には分かりません。マイアミの南西部だと思うんですけど。私は家を描くことはできますが、正確な住所は分かりません。私はその家がどういう外観だったかは覚えています」 「マイアミの家はみな、似たり寄ったりですよ。我々が興味のあるのは、その家がどこにあるのかです」 「似ていると言っても、家具やそこに住んでいる人は違いますから」 「確か、あなたはデービッド・ウォルターズとの問題で、その家に行ったのだと証言しましたね」 「助けが必要だったのです。デービッドの嫌がらせがあったので、あの反乱グループに駆け戻ったのです。その通りです」 「いわば、あなたは命を狙われていたと?」 「私と娘の命です」 「デービッド・ウォルターズのせいで?」 「はい。だからあのグループに舞い戻ったのです」 「その反カストログループに?」 「はい。彼らはマイアミにいましたから」 「身体的な危害から守ってもらうために?」 「彼らは多分そうすることもできたでしょう。だけど、私はそう望んだわけではなかった。ただ、場所を転々と移動しながら、いつかは家に戻ろうと思っていました」(続く)
2005.11.06
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▼オズワルド問題6 今度はフィシアンが質問を求めた。「ちょっと質問をしてもいいですか?」 マクドナルドは「どうぞ」と言って、質問をフィシアンに譲った。 フィシアンはロレンツに聞いた。「その訓練を実施したのはいつでしたか?」 「いつと言いますと?」 「六〇年ですか?」 「六〇年から、私が撃たれて外された六一年初めにかけてです」 「ということは、あなたがエバーグレーズの訓練と言っているのは、ピッグズ湾事件の前の時点ということでいいのですか?」 「そうです」 「それにカストロが政権を取った後ということですね?」 「はい」 「それでは、全体から言って、基本的に六〇年であるということでいいですか?」 「はい」 「それでひょっとすると、六一年の一月とか二月かもしれないと?」 「そうです」 ロレンツはもう一度記憶をたどってみたが、やはり六一年にオズワルドに会ったのだと信じていた。 フィシアンは「ありがとう」と言って質問を打ち切った。 マクドナルドが質問を再開した。「最初にオズワルドに会ったのはどこでしたかな?」 「隠れ家です」 「そうでしたね。では二回目に会ったのは?」 「訓練場です。少なくともそこで彼を見ました」 「最初に隠れ家で会ってから、二度目に訓練場で会うまで、どれだけ時間が経過していたのですか?」 「一カ月か、二カ月です。分かりません。そんなに経っていなかったかも」 「訓練場で彼に会ったときはピッグズ湾事件の前でしたか?」 「はい」 「オズワルドとは、あなたはオズィーと呼んでいたそうですが、あまり話をしなかったということですね?」 「しませんでした」 「三度目はどこで会ったのですか?」 「おそらく、隠れ家か、ボッシュの家、あるいは、フランクと車で物資を運びに行くときの車内です」 「何年のことを言っているのですか?」 「六〇年か、六一年初めです」 「ピッグズ湾事件の前ですか?」 「はい」 「つまるところ三回ぐらい会ったわけですね」 「はい。四回か、三回」 「いいでしょう。それからオーランド・ボッシュの家で会ったこともある」 「それで四回です」 「それが何年になるのですか?」 「ずいぶんと間があります。というのも、その間、私は将軍と一緒でしたし、赤ん坊も育てていましたから。それにいつもそのグループと一緒だったというわけでもなかったのです。それは六三年のことでした」(続く)
2005.11.05
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▼マンタの影絵(6枚)(ボラボラのマンタポイントで)
2005.11.04
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▼オズワルド問題5 「次にそのオズワルドと名乗る男を見たのはいつでしたか?」 「訓練所です」 「訓練所?」 「はい」 「訓練所とはどこですか?」 「エバーグレーズの訓練所です」 「エバーグレーズ」 「そうです」 「マイアミの西ですか?」 「南西です。そして小島の中です」 「あなたがその訓練場にいたとき、確か偶然けがをしたと言っていましたね?」 「はい」 本当は偶然ではなかった。カストロ暗殺に失敗したロレンツを殺そうとした可能性が強かった。 「大きなけがでしたか?」 「首に銃弾を受けて傷を負いました」 「入院しなければならなかったのですか?」 「いいえ。マイアミに車で運ばれただけです。フランクが運転しました。その日のうちにマイアミに運ばれました。オーランド・ボッシュは医者でしたから、彼が治療をしたのです」 「首のどの辺りですか?」 「後ろです」 「今でも傷跡がありますか?」 ロレンツは「はい」と言って髪の毛を少し上げて皆に見せる振りをした。ロレンツはさらに続けた。「そのとき、彼が彼の家で私の世話をみてくれました。私は外れたのです。私はリバーサイドホテルに戻り、そこで回復。その後、航空会社に就職したのです」 「もう一度、そのビラの話に戻りましょう。そのビラの目的は何だったのですか?」 「つまり、その頃までには、キューバを脱出して来られる人も日増しに少なくなってきていたのです。その結果、キューバ国内で七月二十六日の革命運動に対抗するキューバ人も減ってきていたのです」 「そのビラはキューバではどう受け止められていたのですか?」 「プロパガンダです」 「キューバで実際に配られたのですか?」 「キューバ上空で飛行機からばらまかれたのです」 「オーケー。あなたは先に、そのオズワルドという男が外国語を話したと言いましたね」 「チェコ語だと思いますが、よく分かりません。彼は外国語が話せると言っていました。彼はほら吹きでしたから。少なくともスペイン語を話せないのは知っています」 「彼はスペイン語を話せなかった?」 「話せませんでした」 「どうして分かるんですか?」 「少しはスペイン語を話しますが、流ちょうには話せません。アクセントがひどいですから。私はドイツ語とスペイン語を話せると言いましたが」 「それでは話せないというのは・・・」 「流ちょうには話せないということです。彼はスペイン語を理解することはできました」 「理解はできたんですか?」 「はい」 「彼がスペイン語を読んだり、書いたりすることができたか、分かりますか?」 「はい。というのもビラの一方は英語で書かれていましたが、反対側はスペイン語で書かれていましたから」 「何故、スペイン語圏で配られるビラに、二カ国語が書かれたんですか?」 「フランクに聞いて下さい。彼がビラを印刷したんですから、それにアレックスも。実際、アレックスがキューバ中にビラをまき散らしたんです」 「エバーグレーズの訓練場では、どの程度までオズワルドと話をしたのですか?」 「特にほかには。私も話しかけたくなかったし。命令だけを待っていました。彼もそこにいただけです」 「彼は何をしていたんですか?」 「訓練です。壕を掘ったり、テントを張ったり、物資を運んだり」 「物資を運んだりしたのですか」とマクドナルドはもう一度ロレンツの言ったことを確認するため、ロレンツが言ったことを繰り返した。(続く)
2005.11.04
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▼オズワルド問題4 「あなたはオズワルドに話しかけたのですか? 彼はそうした会話に参加しましたか?」「彼はビラの一枚を取り上げて読み、笑いました」 「笑ったのですか?」 「笑いました」 「その隠れ家にいる人にとっては、通常の反応だったのですか?」 「彼はそれが気に入っていたようでした。彼はフィデルをいつも共産主義者と呼んでいるようでした」 「ということは、彼はビラの中に、何かユーモアを感じたということですか?」 「はい。私にはそう見えました」 「彼は何と言ったのですか?」 「何も。彼はただビラを読んでいました。特に変わったことは言っていません」 「そのビラの中に、一般的に笑いを誘うようなことが書かれてあったのですか?」 「いいえ」 「ではオズワルドは何で笑ったのですか?」 「ただ彼は笑ったのです」 「反カストロになることは、彼にとっても非常におかしいことではなかったのでしょう?」 「おかしいことではありませんでした。彼らは、キューバ国内のキューバ人にフィデルに対して反乱を起こして欲しかったのです」 「では何故、オズワルドは笑っていたのですか?」 「笑っていなかったのかもしれません。ハッ、ハッという感じで、大きく笑ってみせたのです。どっちともとれる笑いでした。私は"あなたは反カストロ活動に参加しているの?"と聞きました。すると彼は、"そうだ。参加している。俺は飛行機を操縦するんだ"と言っていました。だけど本当は、それは、ヘミングやアレックス、それにフランクの仕事でした」 「オズワルドは何かあなたに、彼個人の生活の話をしましたか?」 「いいえ」 「彼が結婚していたのは知っていましたか?」 「いいえ」 「彼には子供がいることは知っていましたか?」 「いいえ。だれも個人的な話はしないのが常でした。私個人の話はしましたが、それはフィデルとの個人的なつき合いがあったから話題になっただけです。みんなそのことを知っていましたが、それについて話そうとしませんでした。ただ、私のことをドイツ人と呼んでいました」(続く)
2005.11.03
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▼コバンザメ今日はサメはサメでもコバンザメを紹介します。まずこの写真を見てください。ダイバーをただ撮ったわけではありません。タンクに何か付いてますね。上から撮った写真です。そうです。コバンザメですね。ダイバーのタンクに、いつの間にかくっついていたのです。もちろん本人は気づいていません。傍から見ていると、とてもおかしくて、つい水中で笑ってしまいました。コバンザメは、頭部背面の吸盤でサメやマンタなど大きな魚にくっついて移動します。その吸盤の形が小判型なので、小判ザメと呼ばれるようになりました。大型の魚のおこぼれに預かったり、大型の魚の影に隠れて捕食したりするために、このような行動を取るんですね。サメと名づけられていますが、サメの仲間ではなく、スズキ目コバンザメ科の魚で、サバやマグロの仲間に分類されています。私は浅瀬で、コバンザメの群れを見たこともあります。ところで、私はそのダイバーのタンクに吸い付いているコバンザメを見て笑っていたのですが、後で聞いたら、私のタンクにもくっついていたそうです。灯台下暗しでしたね。(ボラボラ島のマンタポイントでの一コマ)
2005.11.02
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▼オズワルド問題3 「最初に彼に会ったとき、なんという名前で紹介されたのですか?」 「リー・オズワルドです。それからオズィーと呼びました。 私はフランクにたずねました。"何故彼なの?彼が私たちといる理由は何なの?" フランクは"彼は、自分の目的に奉仕するためにここにいるのだ。彼は我々の一員だ。彼は中枢部の一人だ"と言っていました」 「自分の目的に奉仕する?」 「自分の目的に奉仕するためです。言い忘れましたが、私は、彼(オズワルド)が私に話したくないのだと思いました」 「将来の彼の目的に奉仕するということですか?」 「殺し屋として」 「スタージスはいつそんなことを言ったのですか?」 「隠れ家でです」 「それは分かっています」 「私たちは、私たちのグループへの新入りはだれでも気が付くのです。理由もなく私たちのグループに入ってくることはありません」 「オズワルドとは何か話をしましたか?」 「いいえ。ただ、どこから来たかとかは聞きました」 「彼はどこから来たと言ったのですか?」 「何て言ったかは覚えていません。別に気にもしていなかったし。彼はメンバーでした。私たちの一員でした。私は彼がくつろげるよう努力するよう命令されました」 「彼がどこから来たと言ったか思い出せませんか?」 「ジョージアとか、アトランタとか、ニューオリンズとかだったと思いますが、覚えていません。私は彼に"あなたはライフルを持てるほど頑丈じゃないみたいね"とは言いましたけど」 「ちょっと待って下さい。あなたが最初に隠れ家で会ったときに、そういう風に言ったのですか?」 「はい。私は彼に"訓練を受けるの?"と聞きました。彼は、彼が任務中であると言っていました」 「こうした会話は、あなたが最初に彼に会ったときにしたのですか?」 「はい。私たちは皆、彼に質問を浴びせかけました。私たちは座って、銃の手入れをしたり、ビラを折ったりしていました。そういうことです」 「どんな種類のビラを折っていたのですか?」 「反カストロのビラです。フィデルのことを共産主義者と呼び、キューバにいるキューバ人にフィデルに反抗するよう呼び掛けたものです」ビラはピッグズ湾事件の前、キューバ国内にいる反カストロ勢力を結集させようとしてキューバ上空から撒かれたものだった。ビラは500枚で1束となり、紐で縛られていた。その紐をしっかり握ったままビラの束を落とすと、一枚一枚のビラが風に乗って雪のようにひらひらと舞っていく仕組みになっていた。ロレンツもこのビラ折りを手伝った。だがロレンツは、当時洗脳されつつあったとはいえ、カストロのことを憎んではいなかった。誰にも見られていないときは、ビラの裏に思いつくかぎりのイタズラ書きをした、と自伝に書いている。その文言は、表のビラの内容とは正反対の「フィデル、愛しているわ」「マリタより愛を込めて」「こんなこと信じないで」といった内容だったという。(続)
2005.11.02
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▼サメ3前回は実際にサメの被害に遭った例を紹介するなど結構怖い話になってしまいましたが、ダイバーがそのように怖い目に遭うことは、まずありません。威嚇して興奮させたりしないかぎり、サメは襲ってきませんね。この写真は、2002年4月23日に撮ったものです。サメのお腹がきれいに写っていますね。タヒチ・ボラボラ島のムリムリというポイントです。ボラボラ空港の裏手にある環礁の外側にあるポイントで、外洋なので結構波が荒いです。写真のサメはグレーリーフシャークといってメジロザメの一種ですね。前回紹介したブラックチップより少しだけ凶暴で2割ほど体が大きいサメです。私の頭上1メートルぐらいそばをかすめていきましたが、別に何かしでかすわけではありません。このポイントでは、ほかにもバラクーダの群れやウミガメが見られました。しかし、なんと言ってもサメが多いですね。すべてグレーリーフシャークで15~20匹ほどがうようよしていました。これが証拠の写真です。何匹いるように見えますか? 7匹?実は、よく見ると写真左下の暗がりにも一匹隠れていますので、全部で8匹でした。でも、ダイバーが浮き上がってくるのを待っているわけではありません。ここは餌付けしているんですね。だから、ボートが来ると常連のサメさんが寄ってきてしまう。私はサメの餌付けは好きではありませんが(時々タイガーシャークも出てきてしまうからです)、その年の春はマンタポイントが濁っていて潜れないので、連れて行かれてしまいました。利用したショップはトップダイブといってボラボラでは一番いいショップだといわれています。そう思って、ランギロアでもトップダイブを使ったら、遭難してしまいました。その話はまた別の機会に書きますね。
2005.11.01
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▼オズワルド問題2 マクドナルドはクリーガーが引き下がったのを確認して質問を続けた。「ではこう質問しましょう。最初にその隠れ家に行ったとき、それはいつだったのですか?何年ですか?」 「私はそこにいました。私たちは銃を磨いたり、ビラをつくったりしていました。そのとき、オズィーが階段から現れました。フランクもいました。だけどよく分かりません」 「日付を確認しましょう。何年何月だったか覚えていますか?」 「六〇年か、六一年。分かりません。キューバでの仕事とキューバから離れた仕事の後でした」 ロレンツは依然として混乱していた。オズワルドに最初に会ったのはいつだったのか。ロレンツは記憶をたどった。確かにオズワルドには会ったのだ。でもいつだったか。ロレンツが隠れ家にいたのは六〇年、六一年、それに六三年。ロレンツには六〇年か、六一年のような気がしてならなかった。 マクドナルドがさらに確認するために聞いた。「ピッグズ湾事件の後ですか?」 ロレンツは一瞬考え「いいえ、前です」と答えた。ロレンツは思い出せる限り正直に答えた。 マクドナルドは以外に思い、聞き返した。「ピッグズ湾事件の前?」 「はい。ピッグズ湾事件の後、私は外れましたから。私は将軍と一緒でした」 「いいでしょう。ということは、六一年四月以前の話をしているわけですね?」 「はい」 「六〇年でしたか?」 「そうは思いません。六一年の初めだと思います。その後、将軍と関係を持つようになったのです」 「いいでしょう。それでは六〇年の初めにあなたはマイアミ南西部にある隠れ家に行った」 「はい」 「そこに着いたとき、正確に何が起こりましたか?」 「私は銃の手入れをし、彼らはビラを折り畳み、ひもで結わえていました。ハバナ上空からそのビラをまく予定だったのです。そのとき、オズィー(オズワルド)が玄関の階段のところに現れたのです」 「当時、彼がだれだか知っていたのですか?」 「いいえ、知りませんでした。私は"一体全体、彼は何者なの?"と聞きました。フランクは、"やつはおれたちの仲間になるんだ"と言っていました」 「あなたはどういう風に紹介されたのですか?」 「私の名前であるところのイローナと」 「彼はどういう風に紹介されたのですか?」 「リーです」 「その後、どういう名前で呼ばれていましたか?」 「リー・ハーヴィー。後にリー・ハーヴィー・オズワルドです。私はオズィーと呼んでいました」(続)
2005.11.01
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