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雲海の中に浮かぶ富士山。3月14日に撮影。幻想的でした。
2024.03.31
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これは目玉焼き・・・・・・ではありませんね。花粉に覆われた太陽です。3月15日に撮影しました。虹色に彩られると花粉光環と呼ばれます。今日は黄砂に覆われて、場所によっては「黄砂光環」になっているかもしれませんね。
2024.03.30
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おお、凄い! 太陽が生まれる瞬間を捉えた写真ですね。本当は箱根の神山に沈む夕陽をとらえた写真です。この日は、芦ノ湖に沈んだのでしょうかね。さて、冗談はさておき、順調に作業は進んでおります。第四章も佳境に入ってきました。
2024.03.29
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イソヒヨドリ(オス)です。この時期、よく見かけます。ヒヨドリと違って、ギャーギャー騒がないところがいいです。とてもいい声で鳴くので、気に入っています。第四章に突入しました。
2024.03.28
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これは伊豆七島の大島・・・・・・・なんてことはありません。大島はこれほど近くには見えないからです。実は大島のように見えるのは、房総半島の先端です。大島を反転させたような形なので、パッと見た時、間違えやすいんですね。中央に三つくらいコブ(山)があるので、非常によく似ていると思います。右の先端部分が大島の左の先端部分に似ているので、勝手に「反転大島」と呼んでいます。第三章の目途が立ちました。今日は第四章以降の構成を考える予定です。
2024.03.27
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高尾山方面ですね。手前の山の奥のほうに見える山が高尾山ではないかと思われます。
2024.03.26
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写真右下奥に見えるのが伊豆七島の大島です。第三章も順調に進んでおります。
2024.03.25
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海に差し込む光のカーテン。3月10日撮影。前日9日の写真と違って、この日の夕陽の光は優しく感じますね。昨日で第二章を完成。第三章に突入しました。
2024.03.24
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このところ忙しいので写真ブログです。強烈な光を放っていますね。周辺がまるでオーロラのように輝いて見えます。箱根の二子山の向こうに沈んでゆく夕日です。3月9日に撮影しました。この後、神山・箱根山、明神が岳、金時山、そして富士山へと太陽が没してゆくようになります。今は明神が岳辺りでしょうか。さて、今回の本はお題が難しいのですが、ようやく見通しが立ってきました。ただし、しばらく写真ブログが続くかもしれませんので、ご了承ください。
2024.03.23
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2010年でほかに特筆できる出来事は、5月から6月に掛けて私たちが再びイギリスを訪問しているときに起こりました。5月30日に私たちが泊ったのは、その後英国訪問時の常宿となったスコットランドの国境近くにあるイギリスの農場でした。写真は同日、スコットランドの方角に沈んでいった夕日です。農場のゲストハウスからスコットランドの大地の彼方に沈んでいく雄大な夕陽を眺めた、その夜。といっても翌31日の朝方でしたが、私は不思議な夢を見ます。夢といっても、既に起きてはいるものの、まだ意識が完全に覚醒していない状態でみた「夢」です。その夢の中で私は、風が吹き渡る広大な草原を見ていました。草原の右手のほうを見ると、ちょっと離れた場所にストーンヘンジに似た巨石群が立っています。このとき私は、この草原が物質的な草原ではなく、時間の象徴としての草原、あるいは物質化した時間とも言うべきもので、時間を三次元的に表現した映像であることに気付きます。道理で草が液体のように波打っているわけです。こうして、悠久の時間の中に巨石が立っているのだと、私は「夢」の中で理解します。そのときふと浮かんだのが、「時の楔(くさび)」という言葉でした。どうやらその夢の中の映像は、この宇宙の無限の時の流れの中で「時」や時代、あるいは歴史を固定させるために巨石を造ったのだと言っているようでした。巨石は確かに天体観測に使われたのかもしれませんが、別の次元から見ると、無限の中に時間や時代、あるいは歴史を刻むものが巨石なのかなとも感じられました。「夢」はただこれだけです。私には巨石を造った人たちの意図がはっきりとわかるわけではありませんが、その夢から得た示唆は、巨石は時間に何かをする道具であったということです。おそらく時間を越えて何かを送ることができたのではないでしょうか。それが良いものであれ、悪いものであれ、想念を地球のあらゆるところ(世界中にある巨石群?)へ、あるいは宇宙へ、過去や未来へと、配信(受信も)できる装置であったような気がします。想念(エネルギー)転送(送受信)装置、テレパシー増幅器といったところでしょうか。「夢」をみて、そのようなことを思いました。(続く)
2024.03.21
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2009年から2010年にかけては、UFO現象らしきものを初めて目撃しています。近所をfurafuranさんと散歩をしていた時です。突然、彼女が「今、足のようなモノが見えた!」と言います。なんでも私たちの1~2メートル先の目の前を横切ったというんですね。驚いたのは私です。私には何も見えなかったからです。しかし、何か横切ったのかもしれないと思って、横切った先にある家の壁の方を見たんですね。いつものオーブ、もしくはオーラを見る方法を使いました。そうしたら、いました!何と、家の外壁に沿って、垂直に周りの空間を歪めながら移動する物体がわかったんですね。大きさは多分人ぐらいはあります。その物体はそのまま上昇し、屋根の上に抜けた辺りで見えなくなりました。衝撃的な体験でした。映画『プレデター』で宇宙人は光を屈折させて透明になりますが、あのような感じです。空間が歪むので、何かいるとわかるものの、目の前を横切られても、furafuranさんのように敏感なセンサーがないと気付かないんですね。しかも、本来なら移動することによって生じると思われる風も感じませんでした。以前、秋山氏が娘と近くの公園で宇宙人のゲルに遭遇した時、秋山氏には姿がはっきりと見えましたが、娘は「何か光みたいなものが見えた」と語っていたそうです。つまり、宇宙人は光を屈折させて姿を見えなくすることができるのだと思います。そのころは、私たちの周囲でしばしばこうした不思議な現象が出現するようになりました。(続く)
2024.03.20
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オーブとある種の交信が可能なのだということが分かったのも、このころです。薄いピンク色のオーブを家の中で撮影した20日ほど前の2010年2月20日のことでした。私の家から歩いて40分ぐらいのところに、三浦半島には珍しい滝があります。不動の滝と呼ばれる8メートルほどの滝なのですが、その日はふと不動の滝に行きたくなり、寄り道しました。何か呼ばれたような気がしたのです。遠回りになると、わかっていましたが、足がそちらに向かいます。滝に到着。その場ですぐ写真を三枚撮ったのですが、そのうちの真ん中の一枚に、大きなオーブが写っておりました。滝のちょうど真上に出ていますね。拡大してみましょう。久しぶりの大きなオーブの写真でした。ただ今回いつもと違ったのは、不動の滝に呼ばれた感じがしたことと、写真を撮るときにオーブが写るように念じたことでしょうか(実は撮ったときには気付かず、後から写真を見て写っていることに気付きました)。このとき、オーブとつながり、交信する感覚を初めて経験したわけです。オーブは、私には知性を持ったエネルギー体のように思われます。位山でもそうでしたが、写真の中央にわざわざ写ってくれたり、今回のように滝の真上に出たりしてくれることからも、呼びかけなどに応じて意図的に写真に写ってくれるのだと思っています。2004年か2005年の日本サイ科学会の総会だったと思いますが、当時の佐々木茂美会長は、オーブは人間の意識に反応し、情報を伝えることができるという特徴があると話していました。そして肉眼を使わず、意識で見るあの世の世界を移す鏡の像であるとの説をとっていました。総会の講演会で面白かったのは、オーブとの意識交流による実験に成功したという、気功ヒーラー薄葉達夫さんの「超意識体としてのオーブ」という講演でした。薄葉さんはオーラに頼んで、ろうそくの炎の形を変えたり、光の帯のシンクロ現象を起こしたりすることに成功、その証拠写真を、スライドを使って発表しました。オーブは、意識で光を操ることができるそうです。さらにはフラッシュの光を吸引したり、オーブノイズという音を出したりすることができるということです。また、薄葉さんによると、オーブは集合意識体で、最小単位を分身ブローブと呼び、その一つ一つにも個性があるのではないかと考えていました。あのように小さなオーブですが、どうも核などの構造をもっているようです。オーブは通常10センチほどの光の玉に見え、ブローブは数ミリの光の粒に見えます。ただし、大きさも形も自由に変えることができるとの報告が複数提示されておりました。当時は、薄葉さんらの話も半信半疑で聞いていましたが、今では本当にそういうことができることがわかります。実感して確信するのに、5年くらいかかったわけですね。(続く)
2024.03.19
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furafuranさんは非常に的確にオーブを見ることができます。色もはっきりと読み取ります。2010年3月のある日、彼女が自宅2階の部屋の中で「私の周りにピンク色の丸い光が見える」と言い出しました。ならばオーブが近くに来ているかもしれないと思って、いると思われる方角に向かって私が撮影しました。それがこちら。確かに薄っすらとピンクがかったオーブが写り込んでおりました。私も移動するオーブなら見ることができますが、色まではわかりません。furafuranさんは夢もカラーで見るようですが、これに対して私の夢はほとんどが白黒、あるいはセピア色の白黒です。ごくまれに、重要な部分だけカラーになることがありますが、例外中の例外です。子どもの時に見たジャンケンの映像もセピア色の白黒で、しかもとても稀薄でした。それでも周辺視野では、よくオーブを捉えることがあります。周辺視野とは中心視野(目を動かさないで1点を集中して見る約30度以内の視野)の外側にある視野のことですね。この周辺視野では、お化けのQ太郎の毛の生えていない頭のような白くて丸い物体が時々、瞬間的シュッと現れてすぐに隠れる現象があります。意識している視覚の領域のちょっと外という感じです。視野の端の端に出現します。これがオーブだと思うのは、以前ロンドンブリッジの上で撮影したオーブに非常に似ているからです。とにかく素早いし、白くて光っています。質感が一致します多分何か伝えたいことがあるときに現れるような気がします。(続く)
2024.03.18
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さて、コンサートの後半が始まりました。今度は私も、furafuranさんの言う卵状の光の玉をよく見てみようと歌手たちの頭の上を注意して見てみました。ところが、今度は一向に現れないんですね。やはり私には見えないのだろうかと思い始めていたころ、「きよしこの夜」の曲になり、二人の歌手が舞台の前のほうに進み出て歌い始めました。するとやがて、その二人の額のすぐ上に、光の卵のようなものが浮かんでいるのが見えたんですね。コンサート終了後、furafuranさんに確認すると、やはり後半は、「卵」はほとんど現れず、「きよしこの夜」のときだけはっきりと見えた、と言います。私たちは前半と後半の違いについて話し合いました。一番の違いは、前半がほとんどの曲がアフリカの言語で歌われていたのですが、後半は英語の歌が多かったことでしょうか。そういえば、フラダンスの映像でオーブが乱舞したのも特定の一曲だけで他の曲ではオーブは出てきませんでした。ある特定の歌や曲が招霊現象を起こすのだと思われます。そこで私たちが達した結論は、おそらく彼ら本来の言葉で歌ったときに、神が降りてきたような状態、つまりハイな状態になり、あの卵のようなエネルギーボールが出てくるのではないか、ということでした。南アフリカでは一応英語も公用語ですが、おそらく彼らにとっては外国語よりも自分たちが昔から使っているアフリカの言語のほうが、本人および霊たちの双方にとって気分が乗りやすかったのではないでしょうか。私の感じでは、おでこのそばに浮かび上がった卵型の光は、自分のエネルギーボールではないかと思います。そこで思い出すのは、秋山眞人さんが書いていた宇宙人の「ポスポス」という遊びです。秋山さんによると、エネルギーで身体を取り巻く大きなシャボン玉のようなものをつくり、思念力によって成層圏近くまで飛び、宇宙サーフィンを楽しむスポーツがあるのだそうです。ゴスペルのシンガーたちから現れた卵も、何か同種のもののような気がします。このチラシを見るだけでも、彼らのエネルギーが伝わってきます。さて、ここでオーブの見方をおさらいしましょう(と言っても、自己流ですが)。私が小学生のときジャンケンの映像を見た時と同じです。一生懸命に目を凝らして見ようとせず、絶対見てやろうという欲も取り除き、穏やかな心の状態にして、ボーッと物質に焦点を合わせずに見るのです。特に暗幕のように背景が無地だとより見やすくなります。また「見たい」という感情を静かに潜在意識に落とし込むといいかもしれません。淡く意識する状態を作り出すわけです。人事を尽くして天命を待つというような感じでしょうか。この方法は、2012年の夏にミュージシャン瀬戸龍介氏のご自宅で開催したUFO観測会でも威力を発揮しました。参加者が撮影する写真に無数のオーブが写るようになったので、目視できるかもしれないと思ってこの方法を使ってみたら、木の手前を移動するオーブをキャッチすることができました。すぐに写真を撮ったら、まさに私が見た通りに写り込んでくれました。この写真ですね。木の上にほうに写っている丸い光体がオーブです(ただし、ほかにも小さいオーブが最低二つ写っています)。コントラスト強めていますから意外とはっきり写っていますが、実際はこんな感じでしょうか。ほとんど、気が付かないレベルです(ほかの二つも見えなくなります)。これでは見慣れた人でないとわかりませんね。逆にいうと、このように見えるのだということを知っていれば、もっと(おそらく誰でも)オーブが目視できるようになるということでもあるんですね。実はオーラやオーブを見るのは、furafuranさんのほうがはるかに上手です。(続く)
2024.03.17
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2009年12月の出来事を体験するには、日ごろ実験していたオーラを見る方法(物体を凝視したり直視したりせずに、距離の焦点をぼかして見る方法)が非常に役に立ちました。それはコンサート会場で起こりました。十二月十三日、私とfurafuranさんは神奈川県のよこすか芸術劇場に南アフリカのゴスペル・グループ「ソウェト・ゴスペル・クワイアー」のコンサートを聴きに行ったんですね。魂を揺さぶるような圧倒的な歌声に魅了され、二時間を楽しく過ごしたのですが、始まってしばらく経ったころ、私は奇妙な現象に気がつきます。舞台向かって右側で太鼓を叩いていた男性の頭に、何かぽこっとした光の玉のようなものが浮かび上がってきたんですね。最初は目の錯覚かとも思ったのですが、どう見てもそこにあるように見えます。そこでコンサートの休憩時間になったとき、隣に居たfurafuranさんに「何かオーラみたいのが見えたよね」と、鎌をかけるように聞いてみました。そうしたら彼女は「あれが見えたの!?」と驚いて、具体的な説明を始めたんです。その説明によると、普段見えるオーラとは別に、ある曲を歌ったときにほぼ全員の頭の上にエネルギーボールのようなピンク色に光る卵みたいなものが浮かび上がったのだそうです。ただ一人だけ、その卵が浮かんでいない歌手もいたのですが、その歌が最高潮に達したときに、その人の頭(おでこの上)からも卵のような光るものがポコッと飛び出たのだと彼女は言います。確かにそれは、私が見たものと似ていました。気分が乗って、神がかってくるとは、このことを言うのでしょうか。そんなことを考えていると、furafuranさんが、舞台の奥の黒っぽいカーテンを背景にして、マイクの近辺で茶色の光の玉が動いていると指摘します。オーラを見る方法を使えば、見えるはずだと彼女は言うんですね。私がその方法を使って奥のカーテンをスクリーンにして舞台の上を見ると、なんとバレーボールを一回りも二回りも大きくしたような、おそらく直径50~60センチくらいの、明らかにカーテンの色とは異なる円状、もしくは球状のものが浮かんでいます。スポットライトを見間違えたのではないかと思う人もいるかもしれませんが、それはありえません。スポットライトなら光源がありますが、そのボールにはそうした外部からの光源はなく、光体そのものがかすかに光を放っているのです。透明かつ薄い光です。その証拠に、カーテンなど物に反射して光っているのではなく、宙空の障害物のない空間を動いていました。そのボールはフワフワとまるで風船のように漂っていて、やがて斜めにゆっくりと上昇してゆき、天井辺りで見えなくなってしまいました。そのことをfurafuranさんに話すと、彼女は自分が見たものと一緒だと言います。劇場内は撮影禁止でしたが、もし撮影したら確実に写っていたと思われます。この物体の出現以上に驚いたのは、あのような大きな、鈍く光を放つ物体が目の前の空間で浮遊しているのに、私たち以外の誰も気づいていないように思えたことです。普通、あれだけ大きな光体が動き回ったら、みな驚いて騒ぎ出すはずですが、皆何事もなかったように談笑したり、歩き回ったりしていました。ここが一つのポイントです。以前紹介した「フラダンスの練習中にオーブがミラーボールのように乱舞する映像」でも、踊っている人たちはまったくオーブに気づいていませんでした。撮影者も気づかず、後でビデオを再生して気づいた次第です。オーブはそれほど繊細で見づらいものなのです。しかし、ちゃんと映像には映るし、写真にも写り込みます。ある程度、いると確信して意識で見るしか方法はないのです。(続く)
2024.03.16
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2009年12月の出来事を体験するには、日ごろ実験していたオーラを見る方法(物体を凝視したり直視したりせずに、距離の焦点をぼかして見る方法)が非常に役に立ちました。それはコンサート会場で起こりました。十二月十三日、私とfurafuranさんは神奈川県のよこすか芸術劇場に南アフリカのゴスペル・グループ「ソウェト・ゴスペル・クワイアー」のコンサートを聴きに行ったんですね。魂を揺さぶるような圧倒的な歌声に魅了され、二時間を楽しく過ごしたのですが、始まってしばらく経ったころ、私は奇妙な現象に気がつきます。舞台向かって右側で太鼓を叩いていた男性の頭に、何かぽこっとした光の玉のようなものが浮かび上がってきたんですね。最初は目の錯覚かとも思ったのですが、どう見てもそこにあるように見えます。そこでコンサートの休憩時間になったとき、隣に居たfurafuranさんに「何かオーラみたいのが見えたよね」と、鎌をかけるように聞いてみました。そうしたら彼女は「あれが見えたの!?」と驚いて、具体的な説明を始めたんです。その説明によると、普段見えるオーラとは別に、ある曲を歌ったときにほぼ全員の頭の上にエネルギーボールのようなピンク色に光る卵みたいなものが浮かび上がったのだそうです。ただ一人だけ、その卵が浮かんでいない歌手もいたのですが、その歌が最高潮に達したときに、その人の頭(おでこの上)からも卵のような光るものがポコッと飛び出たのだと彼女は言います。確かにそれは、私が見たものと似ていました。気分が乗って、神がかってくるとは、このことを言うのでしょうか。そんなことを考えていると、furafuranさんが、舞台の奥の黒っぽいカーテンを背景にして、マイクの近辺で茶色の光の玉が動いていると指摘します。オーラを見る方法を使えば、見えるはずだと彼女は言うんですね。私がその方法を使って奥のカーテンをスクリーンにして舞台の上を見ると、なんとバレーボールを一回りも二回りも大きくしたような、おそらく直径50~60センチくらいの、明らかにカーテンの色とは異なる円状、もしくは球状のものが浮かんでいます。スポットライトを見間違えたのではないかと思う人もいるかもしれませんが、それはありえません。スポットライトなら光源がありますが、そのボールにはそうした外部からの光源はなく、光体そのものがかすかに光を放っているのです。透明かつ薄い光です。その証拠に、カーテンなど物に反射して光っているのではなく、宙空の障害物のない空間を動いていました。そのボールはフワフワとまるで風船のように漂っていて、やがて斜めにゆっくりと上昇してゆき、天井辺りで見えなくなってしまいました。そのことをfurafuranさんに話すと、彼女は自分が見たものと一緒だと言います。劇場内は撮影禁止でしたが、もし撮影したら確実に写っていたと思われます。この物体の出現以上に驚いたのは、あのような大きな、鈍く光を放つ物体が目の前の空間で浮遊しているのに、私たち以外の誰も気づいていないように思えたことです。普通、あれだけ大きな光体が動き回ったら、みな驚いて騒ぎ出すはずですが、皆何事もなかったように談笑したり、歩き回ったりしていました。ここが一つのポイントです。以前紹介した「フラダンスの練習中にオーブがミラーボールのように乱舞する映像」でも、踊っている人たちはまったくオーブに気づいていませんでした。撮影者も気づかず、後でビデオを再生して気づいた次第です。オーブはそれほど繊細で見づらいものなのです。しかし、ちゃんと映像には映るし、写真にも写り込みます。ある程度、いると確信して意識で見るしか方法はないのです。(続く)
2024.03.16
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私がこれまで映像で見ている過去世と思われる人生は、5つあります。19世紀から20世紀にかけてのイギリスの前世はイギリスの旅のときにご紹介しました。裕福な家庭に生まれたらしく、名前は多分ジェイムズ。結構活動的に動き回っていたように思います。父親は貿易などに携わっていた気がします。その貿易のつながりで、秋山氏と知り合いだったのではないかとfurafuranさんはみています。そのほかに今回のギリシャの旅でより明確になった古代ギリシャの運動選手の前世、そして古代オークニー諸島やアイルランド、北欧辺りを舞台に暴れまわった?とみられるバイキングの前世、古代エジプトあるいはペルシャから天空浮船に乗って脱出した前世(能登半島に上陸して富士山のそばで死去)、それから縄文時代(少なくとも物々交換の時代)の狩人でもあったアイヌっぽい人の前世です。いずれもいつの時代かわからないのですが、服装や雰囲気から古代なんだろうな、と思っている次第です。前世ではありませんが、未来世で別の惑星から地球を見ている記憶のような夢を見たことがあります。これも以前、少しだけ話をしましたね。古代ギリシャの映像で私が見ているのは、遠くに海が見える高台のようなところ、階段、噴水のような場所などごく断片的なものです。もちろん、それがどこの場所なのかはまったくわかりません。そしていつものように、furafuranさんのほうがたくさん、しかも鮮明かつ克明にギリシャの過去生とみられる映像を見ています。しかし印象的には、古代ギリシャとみられる場所の過去生よりも19世紀のイギリスや古代スコットランド・アイルランドの過去生のほうが、今世の私たちに関係がより深い前世であったように感じられました。だからその後、2019年までの毎年、イギリスおよびアイルランドに出かけるようになったわけです。そうした前世を巡る旅をしている間にも、いろいろな不思議な気づきがありました。これまでできないと思っていた、テレパシーやオーラを見るという能力も、不完全ではありますが、やろうと思えば私にもできることがわかってきたんですね。私はオーラを見るのが上手くなくて、何となく形がわかったりわからなかったりする程度の能力しかないのですが、オーラの色が一瞬見えることがあったのもこのころです。ではなぜ、今までできなかったかと言うと、どうせできないだろうとか、私には無理だとか、可能性の世界を閉ざし、自ら限界を設けていたからではないかと思えてなりません。不思議なことに、見ようと思えば(意識を向ければ)、見えないものも見えるようになり、常識では聞こえないものも、意識を向けさえすれば本当に聞こえるんです。そのことを如実に感じる出来事がその年(2009年)の12月に起こりました。(続く)
2024.03.15
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ギリシャ滞在の最終日です。その日は不思議な出来事がいくつか起こりました。一つは朝、furafuranさんがホテルで起きたとき、ベッドの上から部屋の窓越しに、角度的に言っても立っているべきはずがない場所に髭もじゃのギリシャ人男性を見たこと。二つ目は、前日スニオン行きのバス停で出会ったヨセフに街中でバッタリ出くわしたこと。このような偶然はなかなか起こりませんから、古代ギリシャにおいて何かの縁があったのでしょう。そして三つ目はこの鳩でしょうか。この日再び訪れた国立庭園内の女性像の上にちょこんと止まっていたのですが、何かに取り憑かれたかのように、人間が近づいても、まったく動きません。この女性像の周りにはダビデの星が描かれているなど怪しげな場所ではありました。こちらは、歩道上で寝そべっていた普通のワンちゃん。のどかでいいですね。次は、国会議事堂前の衛兵交代式です。これで今回の古代ギリシャの前世をめぐる旅は終わりです。今回も有意義な旅となりました。でも最後にとっておきの一枚が撮れたので、それをご紹介しましょう。帰りの飛行機の中で、furafuranさんが私のカメラで撮影したのですが、ベストショットとなりました。何がすごいかと言うと、まさにミコノス島とデロス島が鮮明に写り込んでいるからです。中央から右に写っているのがミコノス。中央やや左下がデロス、左下がレニア島です。チャーター機で上空を飛んでもらったとしても、なかなかこうは撮れるものではありません。たまたま左側の窓側に座ったのも幸運でした。そしてさらに面白かったのは、すでに飛行機は水平飛行に入っていましたから、かなり上空を飛んでいるにもかかわらず、furafuranさんの目には、デロス島の遺跡の柱7,8本が鮮明に見えたと言うんですね。しかもズームインしたかのように拡大されて見えたと言います。本人は否定しますが、千里先が見えているわけですから、それは千里眼という能力です。ギリシャへ向かっている途中、エーゲ海上空で不意に「私の島だ」と言って、furafuranがポロポロと涙をこぼす場面から始まったこの旅は、その「私の島」を見事に写真で捉えることで終わったことになります。でも実は、ギリシャはそれだけではなかったんですね。それは帰国してから体験した連続の夢や、突如現れる映像によって知らされることになります。その物語も、やがて語られる日が来るのだと思っています。(続く)
2024.03.14
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ポセイドンとスサノオの相似性についての話でしたね。ギリシャ神話と日本の神話は、そっくりそのままと言っていいぐらい似ています。そしてスサノオが乱暴者に描かれているように、ポセイドンもまた乱暴狼藉を働いた神として描かれているんですね。どうして神なのに悪く書かれなければならなかったか。その理由はおそらく、どちらも征服された側を象徴する神だったからではないでしょうか。ギリシャ神話では、オリンポス神族とティタン(巨人)神族との戦いの後、世界は天界、海洋、冥界の三つに分けられました。その三つの世界を誰が統治するかを決めるため、くじ引きがあり、ゼウスが天界、ポセイドンが海洋、ハデスが冥界を治めることになりました。この3神は兄弟です。同様に日本の神話では、イザナギから産まれたアマテラス、ツクヨミ、スサノオがそれぞれ高天原(天界)、夜の食国(冥界)、海原(海洋)を治めるよう命じられます。この3神もきょうだいですね。ところがスサノオは海原を治めよとの命令に不満で、あちこちで問題を起こします。海洋を統治することになったポセイドンも、しばしばゼウスやゼウスに属する神々と領地などをめぐって争いを繰り広げます。よっぽど不満があったのでしょう、ゼウスの妻ヘラと組んで、ゼウスを殺そうともするんですね。だけどポセイドンの計画や戦いはほとんど失敗や敗北で終わります。そしてスサノオがアマテラスに対して乱暴狼藉を働いたように、ポセイドンはあちこちに怪物を出現させ、災害をもたらしたとあります。まさに悪者扱いですね。被征服者を悪人扱いするのは、支配者の常套手段です。おそらく実際のポセイドンやスサノオは(もちろん実在していたら、の話ですが)まったく異なる人物であったに違いありません。彼らの行動は悪意をもって解釈され、事実は曲げられ、時の権力者に都合のいいように書物に刻まれていったのでしょう。ポセイドンとスサノオの類似点はまだまだあります。スサノオの傍若無人の振る舞いに傷ついた姉の太陽神アマテラスが、激怒して岩屋に隠れる天の岩戸の物語のように、ポセイドンもまた、姉である大地の神デメテルを傷つけてしまいます。怒ったデメテルは山中の岩屋にこもり、身を隠します。穀物の育成をつかさどる大地の女神がいなくなってしまったから大変です。農作物は枯れ、人間は飢えに苦しみ、大混乱となります。困ったゼウスらが何とかデメテルを説得して、ようやくデメテルが岩屋から現れるという物語が残っています。まさに天の岩戸隠れ神話と同じです。ポセイドンには大地を揺るがしたり津波を起こしたりする力があることはすでに述べましたが、スサノオもまた天に上るとき、「山や川はことごとく動き、国土も激しく揺れ動いた」「振動は海にまで響き渡った」とありますから、同様な力をもっていたことがわかります。そのほか、両者ともに馬との関係が極めて深いことや、ポセイドンが頭に蛇を持つ怪物メドゥーサと交わったのに対して、スサノオが8つの蛇の頭を持つヤマタノオロチを退治したことになっているなど、共通点は枚挙にいとまがないのが実情です。ポセイドンもスサノオも「乱暴狼藉」を働かなくてはならない、本当の理由がきっとあったんですね。あるいは征服者側が、自分たちの都合に合わせて、天災や人災をすべて彼らのせいにしたかのどちらかではないでしょうか。その理由がいちばん理解できる解釈が、被征服者による征服者に対する抵抗であり、征服者による被征服者に対する迫害であったのではないかと私は思っています。こうして神話は、真実が捻じ曲げられ、しかし真実を巧みに隠しながら語り継がれていきます。ポセイドンが私に何かを伝えたかったのだとしたら、古代ギリシャで起こった真の歴史を見つめてくれ、というメッセージでしょうか。ポセイドン神殿のあるスニオン岬からアテネに戻った私たちは、風の神の塔があるローマン・アゴラ(ローマ時代の市場)を訪ねました。このような所です。柱の向こうにある、大理石でできた八角形の塔が、風の神の塔です。1世紀の天文学者アンドロニコスが、日時計、水時計、風向計などの測量塔として建造したそうです。塔の八面は正確に東西南北と東南、南西、西北、北東に向かっており、壁の上部にはそれぞれの方角の神が彫られています。そういえば、スサノオを祀った神社も八坂神社とか八王子神社など「八」と深い関係がありますね。furafuranさんはその壁面に彫られた風の神の写真を何枚か撮っていましたが、「何か足りない」という感覚があったのだそうです。そして塔のそばにあった説明板の写真を撮ったら、その感じがなくなったとのことでした。日本に帰ってからその説明板の説明を読んだときに初めて、私たちはその塔の上にポセイドンの子である海神トリトンの像が昔は付いていて今はなくなっていたことを知ります。「何か足りない」はずです。やはり風の神はポセイドン絡みだったんですね。どうやら次なる旅のヒントはポセイドンのようです。ヨハネの騎士団、ポセイドン、ロドス、マルタ辺りでしょうか(そして実際、この後しばらく経ってからマルタに行くことになります)。このローマン・アゴラは、アクロポリスを見上げる場所にあります。パルテノン神殿辺りから変わった雲が流れてきたので撮影しました。(続き)
2024.03.13
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アテネ滞在は二泊三日でしたから、残すところあと二日です。今回は英国のキュー王立植物園で出会った「風の神様」のご招待だったのですから、何か風に関係のある場所がいいのでしょう。そう思って探し出したのが、風の神の塔があるローマン・アゴラ(ローマ時代のアゴラ)でした。でもローマン・アゴラでは、一時間もあれば見てしまえます。何しろ丸一日時間がありますから、もうちょっと足を伸ばしても大丈夫そうです。アテネから日帰りで行ける場所をガイドブックで探しながら、その日(10月1日)は眠りに就きました。翌朝目を覚まして、どこへ行こうかとfurafuranさんと相談していたら、彼女は私がガイドブックの右下のほうを見ている映像を夢で見た、と言います。ガイドブックの右下ですぐに思い浮かんだのが、スニオン岬です。アテネからバスで2時間の場所にありますから、十分に日帰りできます。そうと決まれば、スニオン岬への行き方をガイドブックで調べます。どうやら海沿いの道を行くルートと内陸のルートがあるようです。当然、景色がいいのは海側のルートのほうですよね。私はそのとき、バスは30分に一本あるとガイドブックに書いてあるから、すぐにバスに乗れるだろうと高をくくっていました。でも実は、内陸と海側の両方合わせて30分に一本だったことを後で知ることになります。宿泊しているホテルからバス・ターミナルまでは遠かったので、比較的近くにある、海側ルートのバスが通るという停留所からバスに乗ることにしました。ギリシャ語がさっぱりわからない私たちは、悪戦苦闘しながら、スニオン行きと見られるバス停にたどり着きます。そのバス停には、先着とみられる男性が2人待っていました。本当にスニオン行きのバスが停まってくれるのでしょうか。私はその2人にここがスニオン行きのバス停かどうか尋ねてみることにしました。先にバス停で待っていた2人は、イスラエルから来たヨセフとロイという20代の若者でした。そしてこのバス停がスニオン岬に行くバス停に間違いないと言います。これでひと安心です。彼らはすでに15分待っているというので、あと15分ぐらいでバスが来そうだな、とその時は思いました。ところが、それから20分経っても30分経っても、一向にバスは来ません。日本でしたらバスの時刻表がありそうなものですが、どこにもそのようなものはありません。私たち2人だけなら、不安がつのって、スニオン行きはあきらめていたかもしれませんが、4人だとそうした不安もどこかへ行ってしまうのが不思議です。待っている間中、私たちはずっとヨセフとロイとおしゃべりをしていましたから、まったく退屈もしませんでした。旅は道ずれ、ですね。ヨセフはアラブ系(セファルディム?)でNGOのような団体でアナリストをやっていると言っていました。ロイはヨーロッパ系(アシュケナジム?)で、今年兵役を終わったばかりだとか。2人は前日にアテネ市内のユースホステルで偶然出会い、意気投合して一緒にスニオン岬に行くことにしたのだそうです。ヨーロッパでよく見かけるバッグパッカーさんですね。私も20代のころはバッグパッカーとして、ヨーロッパや日本の各地を放浪いたしました。そうこうするうちに、実に私たちがバス停に来てから45分弱、彼らがバス停に来てから1時間弱経ったころに、オレンジ色のバスがバス停の前で停まってくれました。やはり一時間に一本しか(奇しくも今私たちが住んでいる所と同じです)バスはなかったんですね。ヨセフたちはほんの数分遅く到着したので、前のバスは行ってしまった後だったのでしょう。でもそのお陰で、私たちは楽しく待ち時間を過ごすことができました。ありがとう。バスはとても快適でした。私たちが座った右の座席からは途中、アポロ・コーストと呼ばれる、アッティカ半島の風光明媚な海岸線を楽しむことができました。そして空には、スニオン岬を手で指し示すような雲が・・・。写真中央右下寄りにデジカメのレンズが写り込んでいるのは、ご愛嬌です(笑)。バスに揺られること約1時間、ようやくアッティカ半島先端にあるスニオン岬が見えてきました。写真左端の岬の上にそびえている建物がポセイドン神殿です。やってきた方向を振り返ると、このような風景が広がっています。岬の反対側の風景はこんな感じです。湘南でもよく見かけるリュウゼツランが生えていますね。そしてこれが、ポセイドン神殿です。風が強いためでしょうか、雲がスーッと伸びて行きます。この日はちょっと不思議な雲が多かったです。極めつけは、この写真でしょうか。ポセイドン神殿を撮ったものですが、写真中央下に海の神ポセイドンの象徴ともいえる三叉の矛(トライデント)が写っているように見えます。何かポセイドンからメッセージがあるのかもしれませんね。そもそも風の神とポセイドンの関係は何なのでしょう。旅行から帰ってきてから調べたのですが、ポセイドンはゼウスの兄か弟だったみたいですね。そして一説には風の神アイオロスの父親であるともいいます。大地を揺らし、暴風雨を起こすことから、人間からは畏怖されたとされています。そうすると、ポセイドンはまさに風を操る力があったということになり、キューガーデンで見た風の神アイオロスの神殿は、ポセイドンにつながるヒントであったとも解釈できそうです。ポセイドンにはまた、巨人神族の娘レトを助けてデロス島へと導いたとの神話も残っています。ここでデロスと風とポセイドンが結びつくんですね。どうやら今回の旅のテーマは、ポセイドンをめぐる歴史とも深く関係しているようです。おそらく日本神話のスサノオとも関係があるのではないでしょうか。(続く)
2024.03.12
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ミコノス島から見たデロス島へと沈む太陽。 名残惜しいですが、お別れの時です。ミコノス島からアテネへは飛行機で夜着いたのですが、翌日(10月2日)は丸一日観光三昧でした。 駆け足でアテネの観光名所をご紹介します。まずは、高い丘の上の都市を意味するアクロポリスにあるパルテノン神殿。 アテネの守護神アテナを祀った神殿です。幅31メートル、奥行き70メートル、柱の高さ10メートル、紀元前432年に建てられました。そのパルテノン神殿から見たアテネ市内とリカヴィトスの丘。 リカヴィトスの丘は、アクロポリスと並ぶアテネのランドマーク。標高273メートル、アテネで一番高い丘です。 古代アゴラ。 アゴラとは現代ギリシャ語では市場という意味ですが、古代ではもっと意味が広く、政治、宗教、文化施設も集中した一大集会場として使われていたそうです。ソクラテスやプラトンも、ここで熱弁をふるったとされています。 古代アゴラ内にあるアタロスの柱廊博物館からの風景。 コメント管理ゼウス神殿。 104本のコリント式の柱が並んでいましたが、現在ではそのうち15本しか残っていません。紀元前515年に着工。でも完成したのは、2世紀のローマ皇帝アドリアヌスの時代だったとのことです。左奥の遠くに見える丘が、パルテノン神殿のあるアクロポリスです。 アクロポリス、古代アゴラ、ゼウス神殿などを観光した後、私たちは国立考古学博物館を見学しました。詳しくは書きませんが、ある意味でこの考古学博物館での体験は、この旅のハイライトと言ってもよかったかもしれません。というのも、この博物館で私のfurafuranさんの中の女性が大活躍するんですね。 デロス島での体験の中ですでにご紹介しましたが、彼女の中の女性は紀元前7世紀よりも前の時代に暮らしていたような「口ぶり」でした。ではいつの時代の女性なのかーー。それがこの博物館で判明します。 答えを先に言えは、紀元前16世紀です。どうしてわかったか、ですって? 実に簡単です。たとえば陳列ケースに紀元前20世紀ごろから紀元前13世紀ごろまでの出土品が混在して展示されているとします。furafuranさんはそれを見て、「これは知っている」「これは使っていた」「これは知らない」と仕分けていきます。すると「知っている」「使っていた」とした出土品はほとんどが紀元前16世紀であることがギリシャ語の説明文を訳した英語の説明文で確認できたんですね。時々紀元前17世紀の出土品も「使ったことがある」と言っていましたが、やや時代遅れで、薬などを保存する洗練された容器ではなく、水などを汲む日常用の入れ物であるとの認識をしていたようです。国立考古学博物館の後は、夕日を見るために、先ほど紹介したリカヴィトスの丘(標高273メートル)へ上りました。丘の上から見た夕日です。アテネ市内が360度見渡せる絶景です。風が空から降りてきて、私たちのそばを吹き抜けて行きます。上の写真でもわかるように、丘を下るころには、アテネ市の上空にくっきりとお月様が顔を出しておりました。 パルテノン神殿から始まって、古代アゴラ、ディオニソス劇場、イロド・アティコス音楽堂、ゼウス神殿、国立考古学博物館、リカヴィトスの丘の夕日まで、わずか一日で当初予定していたアテネ観光はほとんど済ましてしまったので、次の日はどうしようかと思案しました。 (続く)
2024.03.11
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デロス島のことで、もうひとつ書き忘れていたことがありました。furafuranさんの見たビジョンでは、山の中腹にある神殿の周辺は階段のそばに小川が流れていたり、噴水のような泉があったりしたのだそうですが、今のデロス島は乾燥した瓦礫の山のようになっています。とても川があるような場所には見えませんでした。ところがミコノス島に帰ってから購入したデロスの本には、デロス島のキントス山中腹から1924年に埋め立てられてしまった「聖なる湖」まで、1年を通して川が流れていたと書かれていたんですね。地図で確認すると、確かに神殿があったと思われる場所に川が流れていたことになっています。それを思うと、古代のデロスは本当に水の豊かな島だったことがわかります。果たしてデロス島は、私たちがかつての前世で暮らした場所だったのでしょうか。可能性は高いですね。ただし、この古代ギリシャの過去生の映像は、かなりアトランティスの過去生ともダブるような気がします。どちらも何となく自由な雰囲気があったように思われ、かなり共鳴しています。これに対して、ムー(レムリア)や古代ペルシャなどは、ある意味平等ではありますが、不自由だった感じがあります。道理でギリシャとペルシャの間で長期間戦争(グレコ・ペルシャ戦争)をしてしまうわけです。あくまでも私のもっている印象の話ですが、もしそうだとしたら、アトランティスの前世と古代ギリシャの前世では、同じ自由と平等のバランスというテーマがあったように思われます。何度も同じことを繰り返すわけです。それでも学びながら螺旋状に少しでも前に、あるいは上に進んでいくというのが、輪廻転生の本質なのかなと思っています。さて、ミコノス島に戻ってからを簡単に紹介しておきましょう。とにかく、とりあえず今回の旅の目的(古代ギリシャの前世を巡る旅)はある程度達したように思われましたので、これを機会にいろいろ観光名所を見て歩きました。それらを写真で紹介いたしましょう。デロス島からの帰りに海から撮影したミコノス島の「リトル・ヴェニス」。赤い屋根の教会と、ミコノス島の人気者であるペリカンのペドロ君。毛づくろいをするペドロ君。愛嬌がありますね。そういえば、ガラパゴスのペリカン君もかわいかったです。白い壁の教会とブーゲンビリアと青い空。陸から撮影したリトルヴェニス。そして、ミコノス島の猫たち。(続く)
2024.03.10
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テレパシー実験等で私が前世として見た古代ギリシャの風景をご紹介しましょう。furafuranさんが見たのと同じで、緑の豊かな場所でした。私は階段のある高台から見下ろしているのですが、左右には森が、右下のほうに町が、そしてその町の向こうに海が広がっているのが見えました。遠くには島もあるようでした。いかんせん私の見る映像は、furafuranさんが見る映像と違って、大雑把です(笑)。しかも大体の場合、白黒画像です。時々詳細に、かつ重要な場所だけカラーで見ることもあるのですが、滅多にありません。詳しく見ようとすると、すぐに次の映像に変わってしまうこともあります。furafuranさんによると、その時代も私たちは同じ場所にいたらしく、非常に親しかったようです。私もおぼろげながら、階段の踊り場のような所で「密会」をしていた映像を見ています。やはり彼女が言うように水が階段の脇を流れているか、噴水のような場所があった気がしています。私が見ているのは、これだけ。そしていつものように詳細に過去生の映像を見ているfurafuranさんは、当時の神殿はもっと山の方にあったと言います。新しい時代(といっても紀元前3世紀ですが)のアポロン神殿には目もくれず、私たちは山の方へと向かいました。道案内はもちろんfurafuranさん(と古代ギリシャの女性)です。上の写真の左手に見える山が目指すキントス山です。見覚えのある?階段を上っていきます。後ろを振り返ると・・そこにはエーゲ海の青い海が広がっています。遠くに見える島は「神の山」があるティノス島ですね。果たして、私が見たギリシャの過去生と思われる風景にめぐり合うことができるのでしょうか。私たちは映像で見た風景や当時の神殿を見つけようと、キントス山を登って行きました。ところが、古代神殿があったとみられる場所まで上っても、それらしい建物は見当たらないとfurafuranさんは言います。ところどころに大理石の柱があり、それらは神殿に使われた柱ではないかと言いますが、原型はまったくとどめていません。どこもかしこも瓦礫の山といった感じです。それでも彼女は、ここで間違いないと言います。きっと古代の神殿がここに建っていたのですが、とっくに壊されてしまったのでしょう。もっと何かヒントがないかと、私たちは山の頂上を目指します。見晴らしがとてもよくなってきました。上ってきた廃墟やかつての町の跡が一望できます。海も綺麗ですね。私が見た映像に近いと言えば近いのですが、映像の中の風景はなにしろ緑豊かな場所でしたから、イメージがまったく違います。それでも海との距離感で言えば、こんな感じでしょうか。右手奥に海。左右が森に囲まれて、海岸のそばに町がある・・・。ちょっと今では見る影もありません。そうこうしているうちに、キントス山の頂上に到着しました。頂上からの風景です。タンポポが健気に咲いていますね。海と空がまぶしく光っておりました。キントス山からの景色は最高でした。それもそのはずです。キクラデス諸島の中心にあるデロス島は、エーゲ海の島々を管制しやすいことから、古くからエーゲ海の制海権を保持するための重要拠点でもあったんですね。キントス山からは、360度はるか彼方の島まで見渡せるようになっていました。私たちはこの山の頂上で、お昼のお弁当をいただきました。そして、お弁当をほぼ食べ終わって、頂上付近の岩の上で景色を見ながらボーっとしているときです。私たちは、その巨大な岩が揺れていることに気づきます。強風で岩が動いているのでしょうか。まさかと思いながら、じっとしていると確かに緩やか周期で岩が揺れています。ただし、それは五感で感じる揺れではないんですね。人間の第六感で感じる揺れみたいなものでしょうか。岩の振動数に同調すると、揺れを感じるようでもあります。2人とも感じましたから、錯覚ではないと思いますが、なんとも不思議な体験でした。このように五感以外で感じる感覚に関しては、皆さんもおそらく経験があるのではないかと思います。前にも話しましたが、ひめのさんと渋谷で水の味を変える実験をしたことがあります。お互いに向き合って、レストランで出された水を使い、手から出るとみられるエネルギー、あるいは念で水の味を甘くしたり、苦くしたり、美味しくしたり、まろやかにしたりする実験です。そのとき気づいたのは、味覚とは別の霊的な味覚が存在するということでした。もちろんこれは私の主観に過ぎませんが、「甘い水」と念じても、私の舌では水の味は変化しませんでした。おそらく科学的に分析しても水は水。砂糖水に変化したりいたしません。ところが第六感の味覚では水は確かに甘くなっているんですね。この第六感の味覚が強い人は、五感の味覚と区別しないため、水が実際に甘くなったと感じるのかなと、思いました。キントス山での不思議な体験の話に戻ります。あとで知ったのですが、キントス山はゼウスの聖域とされていたんですね。道理で山頂の巨大な岩が揺れるはずです。この二年前に位山登山したときに、ひめのさんが光岩の辺りで感じた揺れと通じるものがありますね。同質のものだとすると、岩は宇宙との交信機のような役割をしていたのかなとも思えてきます。素晴らしい見晴らしを満喫した私たちは、キントス山を下って、港へと向かいました。途中から私たちは上ったのとは別のルートで下りることにします。furafuranさんの中の女性が言うように、キントス山へはいくつものルートがありました。下山した後、後ろを振り返ってキントス山を写真に収めます。船の時間にもちょうど間に合って、出港。キントス山とデロス島に別れを告げ、ミコノス島へと向かいました。(続く)
2024.03.09
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もうひとつ、デロス島滞在中にfurafuranさんが語る話の中で面白いなと思ったのは、どうやら当時のギリシャ人の顔の骨格が今のギリシャ人とはまったく違うという主張です。とにかく現代のギリシャ人の鼻は高すぎるみたいです。一方、furafuranさんの中にいるとみられる古代ギリシャ人女性の鼻は、おでこから続いている感じというのでしょうか、鼻の部分はどうも「スタートレック・ディープスペース9」に出てくるカーデシア人に似ていたみたいです。当時の女性の顔の像か絵があるかもしれないと思って、デロス島の博物館へと向かいます。そしてそこで待ち受けていたのは・・・・・・なんと猫たちでした。博物館の出入り口で撮影したものですが、なんとものどかな風景ですね。デロスの博物館でfurafuranさんの言う古代ギリシャ人の顔を捜すことになったのですが、なかなかそのような顔にめぐり合いません。それというのも、実は石像の顔が壊されたか、喪失したか、盗まれたかで無くなっているんですね。でも何体かは顔も残っていました。左側の女性像の鼻に注目します。何となくわかっていただけるでしょうか。ギリシャ人にかかわらず、現代人の顔は眉間から鼻に至るまでいったん窪みます。ところが、この女性像の鼻はおでこから窪むことなく鼻筋が通っています。「ディープスペース9」に登場するカーダシア人のようだと書きましたが、むしろ同じディープスペース9のオドーの鼻といったほうがいいかもしれません。カーダシア人の鼻には皺みたいな突起が付いていますからね。古代ギリシャの歴史を見れば、確かにそれもうなづけます。旅から帰って読んで知ることとなったギリシャの歴史によると、紀元前3000年ごろからエーゲ海にミノア人によるミノア文明が花開きます。一方、紀元前2000年ごろになると、アカイア人やイオニア人がギリシャ本土に移住定着。その中でペロポネソス半島に定住したアカイア人は紀元前16世紀ごろ、ミノア人と交流を始め、文化を吸収していきます。ところが、紀元前15世紀にエーゲ海のサントリーニ島の火山が大噴火を起こしたころからミノア文明は衰退、代わってアカイア人がミケーネ文明を築きます。そのミケーネ文明も500年ほどで終焉を迎えます。紀元前1260年ごろ、ミケーネの王アガメムノンがトロイと戦った「トロイア戦争」が勃発します。一応ギリシャ軍が勝利しますが、10年に及ぶ戦いは国力を消耗させます。やがて紀元前1100年前後に北方からドーリア人が進入すると、壮麗なミケーネ文明は破壊され、見捨てられました。紀元前12世紀から紀元前8世紀までは、ギリシャ全土で他民族による襲撃、略奪の嵐が吹き荒れます。いわゆる古代ギリシャの暗黒時代と呼ばれるものです。紀元前8世紀になって暗黒時代にもようやく光明が差します。アテネやスパルタといった各地でポリス(都市国家)が形成され、その過程で社会生活や宗教が整備され、ギリシャ人の民族意識が生まれたからです。このポリス発展の時代(紀元前7世紀~紀元前5世紀)はアルカイック期と呼ばれ、「アルカイック・スマイル」をたたえた像に代表されるアルカイック美術を生み出しました。この後、ギリシャは東方のペルシャ帝国から戦争を仕掛けられる(ペルシャ戦争=紀元前492年~紀元前479年)や、アテネとスパルタが戦ったペロポネソス戦争などを経験するのですが、こうした時代はfurafuranさんの中にいる古代ギリシャ女性とは関係がなさそうなので省略いたします。こうした歴史を見ただけでも、いかに古代ギリシャが繁栄と衰退を繰り返し、民族も次々と入れ替わっていったかが、わかります。やはりfurafuranさんが言うように、古代ギリシャ人は現代のギリシャ人とはまったく違う人種だった可能性が強いんですね。(続く)
2024.03.08
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その日(9月29日)のミコノス島は快晴でした。写真はホテル前の野外劇場からミコノスタウンを見下ろしたものです。赤いブーゲンビリアが綺麗です。早朝の散策から戻り、ホテルで朝食を済ました私たちは、午前10時発の船でデロス島へと向かいます。ミコノスからデロスへは約45分ほどの船旅。白い壁に青い空。海は澄んで真っ青です。左遠方に見えるのが「神の山」があるティノスです。やがて船の右前方にデロス島の隣のレニア島が見えてきます。私たちは船の右舷デッキに座っていましたからレニア島しか最初見えなかったのですが、実はそのときすでに左舷デッキからは、デロス島が見えておりました。そのため船がデロス島の港に停泊するために旋回したとき、私たちは初めてデロス島を目にすることになります。これがそのときの写真です。石の遺跡(廃墟)があちこちで露になっています。後で聞いたのですが、furafuranさんは最初に島を見たとき「デロスだ」とワーッと涙があふれ出てきたのですが、遺跡の全貌を見た瞬間に涙がスーっと引いていったのだそうです。一体どうしたと言うのでしょう。furafuranさんは島に上陸してからも、「あんなのは神殿ではない」とか「あのような石の上になぜこれを乗せているの」とか「あんなところに家を建てたのは誰?」などと言い続けます。もちろんfurafuranさん本人がそう思っているのではなく、彼女の中にある存在がそう思っているというんですね。ちょっと意外な展開となってきました。furafuranさんの中に存在する、古代ギリシャ時代にデロス島にいたであろう女性の言い分を要約すると、こういうことのようです。かつてデロス島には、大理石で作られた神殿や、クリスタルやガラスの食器など非常に洗練された文明があった。しかもそこは緑豊かな場所で、水も豊富にあったというんですね。この写真をご覧ください。緑などほとんどなく、廃墟と化していますね。唯一緑が残っているのは、実は聖なる湖があった場所なのですが、それも1924年にマラリア蚊が発生したため埋められてしまったのだそうです。そのため、furafuranさんの中にいる古代ギリシャの女性は、こんなに砂漠のような場所ではなかった、もっと緑と水が豊かな場所だったと、彼女に言い続けていたのだそうです。それでは次の写真をご覧ください。素人目には、古代ギリシャではこの場所にこのような状態で像が建っていたのかな、と思うはずです。ところがfurafuranさんの中の古代ギリシャの女性は「何で変な台の上に、(私たちの時代の)大理石の像と台を乗せてあるの?」となります。変な台とは、大理石ではないレンガのような石で造られた台のことを指しています。つまりその女性は、この像は元々ここにはなくて、後世の人が勝手に変な場所に彼女の時代に造られた大理石の像を置いたのだと主張するのです。その主張の中でも特に面白かったのは、すべての神殿はデロス島の北にあるティノスの神の山の方向を向いてなければならないというものです。この日の明け方、あのミコノスの風車から見たティノスの「神の山」ですね。デロス島には紀元前3世紀になってアポロン神殿が建てられていますが、その女性によると、彼女が生きた時代にはそのような神殿はなく、その場所は住宅地で、しかも神の山を向いていないので神殿ではない、となるようです。デロス島観光のシンボルにもなっているライオン像(紀元前7世紀)に関しても、その古代ギリシャの女性は「見たければ見れば」という感じで、けんもほろろです。一応、観光客でもあるので、記念にライオン像の写真を撮っておきました(笑)。もっともこのライオン像はレプリカで、本物はこの島の博物館にあります。こうして段々とわかってきたのですが、どうやらこの女性は紀元前7世紀よりももっと古い時代、しかも水と緑が豊かだった時代にデロス島に暮らしていたため、それよりも新しい時代にできたものや、荒れ果てた光景があまりお気に召していなかった、ということのようです。なるほど、確かに今は廃墟のような島になっています。おそらく後に流入したり侵略してきたりした人たちにより、当時の神殿などは破壊・改造され、無残な姿に変わってしまったのでしょう。当時の栄光を知る人が見れば、さびしい気持ちになるのも当然ですね。(続く)
2024.03.07
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ミコノス島のホテルに着いたのは、午後8時半ごろだったでしょうか。当然、あたりは真っ暗です。その真っ暗な空には、丸いお月様がポツンと出ておりました。町の中で軽く食事を済ました後、再びホテルに戻って空を見上げます。写真には撮れませんでしたが、月のほかにも星がたくさん出て、夜空を綺麗に飾っておりました。このころまでには、furafuranさんの口から思いがけずに出た「テロス」という地名が、やはりミコノス島のすぐそばに浮かぶデロス島ではないかとの結論に達していました。島全体がユネスコの世界遺産にも登録されているデロス島には、宿泊施設はありません。デロスに行くには、何とミコノス島に泊まるのが一番だったんですね。私たちは旅行に行く前、先入観や思い込みを避ける意味もあり、ほとんど下調べをせずに出かけますから、デロス島のことも、それがどこにあるかも知りませんでした。ミコノス島を選んだのも、ただの勘だけ。サントリーニ島にしようかミコノス島にしようか迷っていたときに、旅行代理店に電話して、たまたま手ごろな企画として残っていたのが、ミコノスに三泊、アテネに三泊する自由行動型のツアーだったというのが実情です。furafuranさんが心の中で聞いた「テロス」がデロスなら、私たちはまったく意図せずに最善の島を選んでいたことになります。もちろん後でその推論が正しかったことがわかるのですが、とりあえず私たちは、ミコノスからデロス島へと出港する船の時間を調べ、その日は眠りにつきました。翌日は興奮からか朝早く目覚めてしまい、朝食時間の8時まで一時間ほど時間があったので、ミコノスの町中を散策することにします。夜明け前の静寂と薄明が町を包んでおりました。ギリシャ(正教)の教会ですね。そして歩いていて見つけたのが、前回のブログで写真だけ紹介したこの風車です。ギリシャに来てガイドブックを読むまで知りませんでしたが、ミコノスは風車で有名だったんですね。どうやらギリシャの風の神が本当に私たちを招いてくれたようです。夜明け前のミコノスの風車です。幻想的ですね。風車は高台の見晴らしのいい場所に建っています。ミコノスは本当に風の島なんですね。そのとき、furafuranさんが「神の山だって言っている」と指で遠くの方を指して言います。その方角を見ると・・・黎明の中、遠くに高い山が朝日を浴びるように浮かび上がってきていました。上の写真の左奥にそびえる山がそうです。そのときは陸続きで、ミコノス島の山だと思ったのですが、ミコノスの北西に位置するティノス島の山であることが後でわかります。furafuranさんによると、あの山に風の神が宿り、そこから風が吹いてくるのだといいます。しばらく風車のある高台を歩いていると、furafuranさんが今度は「あっちの方を撮らないのか、って言っている」と言います。その方角を見ると・・・何の変哲もない風景が広がっているだけでした。しかし、これも後で調べたら、遠い水平線に、かすかにデロス島が写っていたんですね。おそらく中央左奥にかすかに写っている島影がデロス島です。直線距離で4キロくらいしか離れていないようです。近くにいた猫ちゃんも撮影します。ミコノスは猫ちゃんの島でもありました。ギリシャでの前世は、私の猫好きとも関係があるのかもしれませんね。このころにはもうすっかり夜が明けてきました。風車が並ぶ丘を撮影します。風の島ミコノス。そして遠くには風の神が住むティノスの山が見えます。これから向かうデロスには何があるのでしょうか。(続く)ところで、昨日のブログで、furafuranさんが泣き出してしまった、機中から見た地中海の島の写真をアップし忘れておりました。こちらです。私は今回、泣くことはありませんでしたが、別の前世では島々が浮かぶ海を上から見ている光景があったことをかすかに覚えています。
2024.03.06
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イギリスの前世を巡る旅から帰国して一か月と経たないうちに、ほとんど計画することなく、ギリシャの前世を巡る旅に出かけました。2009年9月27日から10月5日までの9日間ほどの旅です。 最初はミコノス。 風の神に誘われてやってきたギリシャにふさわしく、風車が有名な島です。 そのミコノス島に到着する前のアテネ行きの飛行機の機内で、またしても不思議なことが起きました。ドバイ経由でアテネを目指し、エーゲ海上空を飛んでしばらく経ったころでしょうか。窓側に座って外を見ていたfurafuranさんが突然泣き出します。そして「私の島だ。私の島だって言っている」と言うんですね。今回はその時代(前世)の女性が出てきて何かを教えてくれるのではなく、自分の奥底から言葉が出てくるのだと彼女は言います。後で聞いたら、そのときのfurafuranさんは自分では何で涙が出てくるのかわからず、自分の島だと思ってなくても、そういう言葉が湧き上がってくるとのことでした。 でもどの島でしょう? それとなくfurafuranさんに聞くと、「テロスって言っている」と返事が返ってきます。テロス? はて、どこかで聞いたような、聞いていないような地名です。デロスなら皆知っているデロス同盟のデロス島ですが、同じ島でしょうか。かつてはテロスに近い発音だった可能性もあります。 しかし、デロス島だとしても、今回私たちが訪れるのはミコノス島とアテネだけ。場所と島選びを間違ったのでしょうか。とにかく不意に思い立って決めたギリシャ旅行ですから、ほとんど下調べをしておりません。ほかにテロスという地名も思い当たらず、後でホテルに着いてから調べることにしました。 今回の旅は、関西、ドバイ、アテネ各国際空港を経由して、直接ミコノス島まで飛ぶ日程でした。乗り継ぎ待ちの時間を入れると、27日夜に羽田空港を出発してミコノス島のホテルにたどり着くまで実に30時間も要しています(ただし実際に飛行機に乗っていた時間は16~17時間ぐらいです)。ミコノス島に着いたときには、すでに現地時間でも28日の夜になっていました。 (続く)
2024.03.05
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furafuranさんの19世紀の前世の女性だと思われるガイドさんについても紹介しておきましょう。 本当に行く先々で案内してくれたり、助けてくれたりします。こんなことを書くと、私たちのただの思い込みではないかと疑う人もいるでしょう。輪廻転生などまやかしで、イギリスに行くたびに現れる過去生のガイドも妄想にすぎない、と。 それはそれで仕方のないことです。信じろというのは無理なのかもしれません。 だた、私が書いたことは妄想でもまやかしでもなければ、思い込みでも決してありません。 それを証明したかったためかどうかはわかりませんが、実はこのガイドさん、イギリス旅行中に一度だけ、意図的に写真に写り込んでくれたことがあるんですね。 それは2011年10月1日。日没から二時間近くが経った午後8時20分ごろのことでした。 場所はロンドンのロンドンブリッジ。よく覚えていませんが、ホテルのそばを散策していたのではないかと思われます。 橋から見た風景がこちら。 すっかり暗くなっていますね。 右奥にタワーブリッジが見えます。手前にフェリーターミナル(London Bridge City Pier)があって、右にはロンドンブリッジ病院の建物が見えています。 タワーブリッジをズームして撮影。 1894年に完成したヴィクトリア朝の橋です。 跳ね橋がある有名な観光名所ですね。 そのとき、ロンドンブリッジの南に向かって右手先にある塔のそばに三日月が出ていることに気が付きます。うまく移動すれば三日月と塔を一緒に撮影することができると考えて、観光客でごった返している橋を南に移動することにしました。 何とか間に合って、撮影したのがこちら。 ちょっとボケていますが、何とか塔と月が一緒に撮れました。しかし、不思議なことが起きたのは、すぐその後でした。furafuranさんが「私の肩を使ってカメラを固定すれば、ピンボケにならない、いい写真が撮れる」と言って、肩を貸してくれると言い出したんですね。どうやらガイドさんがそう助言したようです。 というのも、月を撮るためフラッシュ禁止モードにしてありますから、露光時間(シャッタースピード)が少し長くなり、手振れするとすぐピンボケになってしまうからです。思いもしなかった提案でしたが、せっかく貸してくれるというので、furafuranさんの肩を使ってカメラを固定して撮影したのが、次の一枚です。 何と今まで見たことがないようなオーブとみられる光体が、光の軌跡を残しながら移動する瞬間が写り込んでいたのです。直感的にガイドさんが写り込んだことはすぐにわかりました。フラッシュを焚いていないのは、遠くの三日月がくっきりと写っていることからもわかります。その部分を拡大。しかも、三日月がこのように写っているということは、手振れのせいで写り込んだライトでもなければ、フラッシュの反射でもないことになりますね。自ら発光する球体のようなものが、シャッターを押した瞬間にカメラの前を斜めに横切って写り込んでいるわけです。私が撮影した光体の軌跡に驚いていると、furafuranさんがさらに「今撮りなさいと言っている」と言って、私にもう一枚撮るように助言します。 その助言に従って撮ったのがこの一枚です。 驚いたことに、月が童話や漫画に出てくるような顔になって写り込んでいました。まさに完璧なタイミングでこのような写真を撮ることをガイドさんは誘導してくれたわけです。 なんという素晴らしい、気の利いたガイドさんでしょう! これには後日談があります。実は、撮影場所がロンドンブリッジであることはわかっていましたが、この塔が何の建物か今日の今までわかっておりませんでした。撮影した当時はグーグルマップもストリートヴューがそれほど発達していなかったので、手がかりがなかったんですね。 しかし、今ではその場所から何が見えるかは、グーグルマップを使えば、その場にいるようにわかります。ロンドンブリッジ病院もフェリーの桟橋も、容易に確認できるようになったわけです。 「では、あの三日月と一緒に写った塔はどこの塔だったのかな」と今日ふと思って、グーグルマップで調べてみました。当日の月の入りと方位角もネットで調べられますから、時間と方角も大体確認できます。そうしたら塔の形や装飾からサザーク大聖堂(Southwark Cathedral)であることがわかりました。 その時ふと、ガイドさんがあのタイミングで、一度だけ写り込んだのには理由があったのではないかと思い至りました。 で、サザーク大聖堂を調べてみます。12世紀からある非常に古い教会で、聖母マリアが奉納されていました。かつては女子修道院があったのではないかとも書かれています。ウィリアム・シェイクスピアや米ハーバード大学創設にかかわったジョン・ハーバードとも縁があるようです。 しかしながら、女子修道院と聞いて思い当たるのは、イギリスのガイドさんが傷心のうちに修道院で亡くなったという悲しい物語です。このサザーク大聖堂に当時、修道院があったという記録はありませんが、もしかしたらこの近くで、あるいはサザーク大聖堂と関係ある施設で亡くなった可能性はあります。それを私に伝えたくて、あえて一度だけ写真に写り込んでくれたのかなと、今では思っています。 (続く)
2024.03.04
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今日は用事があって東京へ。ついでに代々木公園を散歩してきました。そうしたら・・・春の陽気に誘われて、みなさんお花見をしておりました。といっても、当然ソメイヨシノではなく・・・河津桜です。結構綺麗に咲いておりました。今日も暖かかったですね。こちらは、渋谷区役所前の交差点そばの河津桜。いつもの休日のように、渋谷は大勢の人たちで溢れかえっておりました。ところで、2月28日の出版社の企画会議で、次の本(37冊目)の企画が通りました。4月末までに書き上げることになっております。忙しくなると、写真ブログになったり、お休みしたりすることが多くなりますので、ご了承ください。「オカルト人生」のブログは、明日からまた再開する予定です。
2024.03.03
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イギリス滞在もこの日(8月30日)が最後となりました。 それまでに訪れた庭園には、furafuranさんが夢で見た白いドームの建物は見つかりませんでした。でも、まだ希望はありました。それがキュー・ガーデンズです。 二年前(2007年)の9月23日、TBSの「世界遺産」という番組でfurafuranさんがキュー王立植物園(キュー・ガーデンズ)を見た時から、彼女はこの植物園に行きたくなり、さらに相前後して自転車に乗ってここを訪れる19世紀の映像をたびたび見るようになったのです。 furafuranさんがその後に見た映像では、私も自転車で一緒にキュー・ガーデンズを訪れていたことになっています。もちろんいずれの映像も、100年以上前の当時の服装で、です。 たぶん最終日に見つかるだろうなという予感はありました。というのも今回の旅行中、furafuranさんが以前何度も訪れた庭園がちゃんと見つかるかしらと心配になったとき、過去生ガイドの女性が「大丈夫よ、ちゃんとわかるから。心配しないで」とfurafuranさんに話していたからです。 ロンドンのピカデリーサーカスから地下鉄を乗り継いで、キュー・ガーデンズに到着します。ものすごく広大な植物園です。約300エーカーと書かれていますから、あの広い神代植物公園が三つぐらい入ってしまう敷地面積でしょうか。1759年にジョージ3世の母后プリンセス・オーガスタが庭師に命じて造らせたのが始まりだそうです。その後キャプテン・クックに随行して世界各地を旅した植物収集家のコレクションが加わり、今では4万種以上の植物が育てられるなど世界最大の植物園へと発展。2003年には世界遺産に登録されました。この植物園の魅力は、植物もさることながら、そこに動物たち、とりわけ水鳥たちが豊かに生息していることでしょうか。ガチョウたちのお食事風景です。 こんな感じで、あちこちに木製ベンチが設置されています。こちらはオオバン(クイナ科の水鳥)。 羽毛の生えた、オシャレな水かきですね。私たちがベンチでお昼を食べようとして、ガサゴソしていたら、ダッシュしてこちらに突進してきました。もちろんこの子はその後、お弁当のおすそ分けを少しだけもらっていますが、ずいぶん慣れていますね。気になったので撮影した木。こちらはカモメさんですが・・・写真を撮ろうとした瞬間に、飛び立たれてしまいました。 そうこうしているうちに3時間ぐらいが経過したでしょうか。あちこち歩き回ったのですが、furafuranさんの夢の中に出てきた白いドーム型建物はどこにもありません。ここではなく、もしかしたらハイドパーク辺りにあるかもしれないな、などと考え始めていました。 そしてそろそろロンドンへ戻ろうかなと思ったときです。ふと最後にキュー・パレスという王室の館を見ておきたいなという思いが浮かびました。時計を見ると、パレスを見て戻る時間ぐらいはありそうです。 地図で大体の場所を確認して、パレスへと向かいます。とにかくキュー・ガーデンズは広いんですね。私は道を二回ほど間違えて、人通りの少ない変な小道に入ってしまいました。私の方向感覚も鈍ったものです。 そのとき、furafuranさんが「ここに来たことがある!」と大きな声を出し、その小道を進み始めます。私は「えっ、まさか」と思いつつも、彼女の後を続きます。そして少し歩いた右手に、それまでは樹木が生い茂っていて見えなかった場所に、開けた丘のような場所があることに気づきます。その景色を見たfurafuranさんは「あっ、ここだ!」と声を上げます。私がその右手の丘の上を見ると、なんとそこには白っぽいドーム型の建物が建っていたんですね。 今ではくすんで灰色になってしまっていますが、おそらく100年以上前はもっと白い建物だったに違いありません。furafuranさんはこの建物に間違いないと言います。もう半ばあきらめかけていた夢の中の建物がそこにありました。ちゃんと私が道を二回も間違えて、ここにたどり着くようになっていたわけですね(笑)。 ここは、2人で何度か訪れているお気に入りの場所でもあったようです。後で地図で見たら、前日のハンプトン・コート宮殿も、キュー・ガーデンズもそれほど離れた場所にあるわけではありません。つまり、もしその中間地点であるリッチモンドに暮らしていたとすると、宮殿へもガーデンズへも家から自転車で楽に行ける距離にありました。リッチモンドはロンドン郊外に広がる英国王室の保養地で、鹿や鳥など動物たちの楽園でもあります。道理で2人とも、鹿や鳥が今生でも好きなはずです。おそらく19世紀には、私たちはこの辺りに住んでいたに違いありません。夢の謎がまた一つ解けました。これで本当に今回の旅のミッション完了です。しかし、この旅行後に新たな展開がありました。イギリスから帰国後、どういうわけか急にギリシャに行くことになったんですね。そしてギリシャ行きが決まってから、何気にキュー・ガーデンズで見た白いドーム型建物は何だったのだろうと、のんきに調べてみました。英語でTemple of Aeolusと書かれています。Aeolusとはなんじゃいな、と辞書を引くと、アイオロスというギリシャの風の神様とあります。ギリシャの風の神の神殿――。この白いドーム型の建物は、間違いなく、ギリシャの過去生の旅へと誘(いざな)う道標。ギリシャに行くことは、このときすでに決まっていたわけです。(続く)
2024.03.02
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私とfurafuranさんが19世紀のイギリスの前世を深く思い出したことにより、おそらく今回のイギリスの旅における霊的なミッションは終了しました。 そうした霊的なミッションが終了すると、虹が出るという現象も、ブレナム宮殿が最初だったように思われます。それでも、私たちにはもう一つ探し出したいものがありました。それは庭園の中の白い建物です。furafuranさんが子供のころから何度も夢などで見たという白いドーム型の建物です。どこにあるかわかりませんが、どうやらロンドンの近くにあるような気がすると彼女はいいます。幸い、ブレナム宮殿を後にした私たちはロンドンへと向かい、その日はロンドン郊外に宿泊しました。そして翌日(8月29日)はいよいよロンドン市内の観光です。 まずはリージェンツ・パーク。 ここはずいぶん水鳥や動物が多い公園です。岸辺でくつろぐ鴨さんと鳩さんですね。こちらは、オオバンという鳥です。額が赤いのですぐにわかります。こちらはバラ園。夏のバラが綺麗に咲いておりました。青サギ君ですね。食事中のリス君。 残念ながら、この公園には目指す建物はありませんでした。 次に私たちが訪れたのは、ロンドン郊外にあるハンプトン・コート宮殿の庭園でした。1514年にトマス・ウルジー枢機卿が建てた、広大な庭園に囲まれたレンガ造りの大邸宅だったのですが、ヘンリー8世が強引に奪って自分の宮殿にしてしまったのだそうです。ここの宮殿にも、過去生の私たちは訪れているようでした。過去生ガイドの女性がそのように教えてくれただけでなく、furafuranさんもいくつかの風景をすでに夢などで見ており、覚えていました。どうやら私たちは、ロンドン南西部のこの郊外に普段暮らしていたようです。furafuranさんによると、馬車に乗ったり、自転車に乗ったりして、この宮殿を何度も訪れているようです。庭園内を走っていた観光用の馬車。当時も馬車は走っていたようですが、上の写真の馬のように足は太くなく、もっとスマートな馬だったとfurafuranさんは言います。自動車も台頭し始めた時代でもあり、馬車と自動車、自転車などの交通手段が混在していたとのことです。後で時代考証的に調べたら、やはり服装の時と同じで、1890年代ごろから20世紀初めにかけての時代が当てはまりました。furafuranさんが覚えている映像で面白いのは、前にも触れましたが、当時も私はテニスをやっていたということです。ズダ袋かコーヒー豆を入れるような袋を肩にかけ、そこにテニスラケットを突っ込んで自転車を一生懸命こいでいた映像を、テレパシー実験中などfurafuranさんは一年以上前から断続的に見ています(私も一年前ごろ、自転車に乗ってfurafuranさんの過去生とみられる女性と外出している映像を見ています)。 そして驚くべきことに、この宮殿には16世紀ごろからテニスコートがあり、今でも使われているんですね。テニスといっても現代のテニスの原型となった、リアルテニス(real tennis=本当のテニス)もしくはコートテニス(court tennis)と呼ばれるテニスです。古くは12世紀のフランスで始まり、16世紀に飛躍的な発展を遂げたスポーツでもあるようです。 金網越しだったのでうまく写せませんでしたが、これがそのリアルテニスです。 現代で言えば、スカッシュのように壁を使ってするテニスです。コートはスカッシュのように小さくはなく、現代のテニスコートの幅と長さを少し短くした感じでしょうか。練習を見ていたのですが、壁に当たってワンバウンドさせて打ってもよく、もちろん現代のテニスと同じでボレーで打ったりしてもいいようでした。ボールもちょっと小さめで、ラケットに当たるとパコとかポコとか変な音がします。ラケットは軟式テニスのラケットぐらい小さく、furafuranさんが映像で見たのも、この小さいラケットでした。 もしかしたら、ヘンリー8世がテニスをやっていた、まさにこのコートで、私もfurafuranさんとテニスをやっていたのかもしれませんね。 ハンプトン・コート宮殿には、このような巨大なキノコも生えていました(笑)。もちろん巨大キノコではなく、キノコ型に剪定されたイチイの木です。 薔薇もご紹介しましょう。しかしここにも、白いドーム型建物はありませんでした。果たして夢の中に出てきた白いドーム型の建物は見つかるのでしょうか。英国に滞在するのもあと一日。8月30日を残すのみとなりました。 (続く)
2024.03.01
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