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「紗波ちゃんお帰り! 出かけてたのね」「わっ……ケホッ、コホコホッ」 夕闇の迫る中帰宅したあたしは、出迎えた彩香さんの突然の変わりように思わず咳き込んだ。「だ、大丈夫? 紗波ちゃんっ」「ちょっとびっくりして……ケホッ、どうしたんですか、随分とまた思い切りましたね」 腰近くまであった栗色の長い髪はバッサリと顎の辺りで切られ、細く白い首筋が露わになっている。「あ、コレね、急に思い立って――、ちょっと切りすぎちゃったかも。あは」「や……すごく似合ってますよ」「わ、ホント? よかったー」 すっきりした首元を撫でながら、彩香さんは気恥ずかしそうに微笑む。 ふんわりと動きのあるショートボブ――実年齢よりぐっと幼くなった感は否めないけど、意外に明るく快活な彼女の内面とマッチしたのか、その髪型は実際、彩香さんにとてもよく似合っているように思えた。「これからは動きやすい髪形でアクティブにいこうかなって。今日ね、教習所の講習やっと終わったの」「え、そうなんですかっ? ケホッ……おめでとうございます」「ふふ、ありがと。実は他の人より時間掛かっちゃったんだけど……圭一郎さんには内緒ねっ。っと、夕食の準備まだ途中だった。用意できるまでちょっと待っててね」「あ、あたしも手伝います。コホンッ」「でも、まだ咳が出てるし休んでた方が……」「外、ウロウロするくらいもう元気なんで。マスクして手伝います」「ほんとに大丈夫? ん~じゃあ、ちょっとお願いしちゃおうかなぁ。えっと今日はね、鶏もも肉を買ってきたんだけど――」 彩香さんと二人、並んでキッチンに向かいながらふと思いつく。 そうだ、あたしも昨日レシピノート書き終えて……あれ、今日渡そう。ちょっとしたお祝いになるかも…… 彩香さんと一緒に夕食を作り終えたあたしは、パパが帰る前に――と部屋に行き、ここ数日コツコツと書き溜めてきた一冊のレシピノートを手に居間へと引き返した。「あの……」 ポテトサラダを取り分けている彩香さんに、ノートを後ろ手に小さく声を掛ける。「ん? なに、紗波ちゃん」 やっぱり押しつけがましいかな……お祝いどころか、彩香さん気分悪くするかも――「? どうしたの?」 首を傾げる彩香さんに、「あの、コレ――、参考になればと思って……コホッ」 あたしは一瞬躊躇った後、おずおずとレシピノートを差し出した。「ん、なぁに? ……わっ、すごい!」 手にしたノートをめくり、彩香さんが声を上げる。「えっ、紗波ちゃんが全部書いたのっ? こんなにたくさん――! わぁ、絵の説明が付いててほんとわかりやす~い! これ、私にっ?」「えと、余計なお世話かなとも思ったんですけど……あの、あたしの作る料理って、殆どママのレシピノートからの受け売りで――だから、ママの味なんです。コホッ。彩香さんからしたら、あまりいい気はしな――」 言い終わらないうちに彩香さんに抱きつかれ、あたしは目を丸くして固まった。「ありがと、紗波ちゃんっ。これだけ書くの大変だったでしょ? 大事に使わせてもらうね! わー、紗波ちゃんからすごいお祝いもらっちゃった。嬉し~っ」「……コホッ」 美容院の、シャンプーの匂い…… 頬に当たる毛先と彩香さんの柔らかな感触に、なんだか胸の中までモソモソこそばゆくなる。「あの、強制じゃないんでほんと、参考程度に――」 彩香さんはあたしから身体を離すと、にこりと柔らかく微笑んだ。「私も……七海さんから教わりたいもの」 彩香さん…… と、――ブーーッ…… 玄関のブザーが大きく鳴り響き――「わっ、圭一郎さんっ?」 びくっと小さく飛び上がり、彩香さんはあたふた玄関へと向かう。もう夕食の用意はできてるんだから何も慌てることはないはずだけど、しきりに髪に手をやっているところを見ると、そういうことではないらしい。「お、お帰りなさいっ……」「ただい――わっ、髪切ったのっ?」「う、うん。ちょっと短すぎた、かな?」 暫しぼうっと見とれていたパパはハッと我に返り、もごもごと返す。「や……、似合ってる、すっごく……うん」「ほんとっ? はぁ~、よかったぁ。こういうの好みじゃなかったらどうしようって……」「や、長いのも勿論よかったんだけど――、その髪型、なんていうかその……君らしくてすごくいいよ」 土間の灯りに照らされた、未だ馴染むことのできないその表情と優しい声色に、あたしの心はまたもモヤモヤと乱され――そんな自分につくづく嫌気が差しながら、彩香さんの後ろからぼそりと声を掛ける。「お帰りパパ……。ケホ」「あっ……うん、ただいま!」 ……あたしがいることに今気付いたでしょ。「風邪どう? 学校きつくなかった?」「大丈夫だよ。全然……」「な、なんか全然大丈夫なようには……」「コレしてるから、そう見えるだけだよ。コホンッ」 あたしはくいっと鼻までマスクを引き上げた。 マスクって便利。表情気にしなくていいし。「ふぅ、紗波はまだご機嫌ナナメか……」 心の内を見透かしたような口振りに、どきっとパパを見返す。パパは靴を脱いでスリッパに履き替えると、ぽんぽんと労わるようにあたしの頭を軽く叩いた。「体調が戻りきってない証拠だな。咳も出てるし――まだまだ無理は禁物だぞ、紗波」「…………」 ……わかってるようで、わかってない。やっぱりパパは鈍感だ。「あっ、圭一郎さん今日はね、チキンカレー作ったのっ」 沈黙をどう捉えたのか、彩香さんが明るい声で割って入る。「紗波ちゃんに手伝わせちゃって申し訳なかったんだけど、お陰ですっごく美味しくできたの! ね、早くみんなで頂きましょ?」「あー、なんかいい匂いがしてると思った。急いで着替えてくるよ。――ん? なに大事そうにノート抱えてるの?」「あ、これは……ふふ、後でね」「?」「紗波ちゃん、もうスープ冷めちゃってるかな」「温め直した方がいいですね。コホッ」 きょとんとしているパパを残し、彩香さんとキッチンに引き返す。 あのノート、ちょっと今はパパに見られたくないかも…… まるで反抗期が遅れてやってきたみたいに尖る気持ち――そんな自分を持て余しながら、あたしはコンソメスープの入った鍋を火にかけた。 photo by little5am
2017.03.25
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学校に置いたままにしていた自転車での帰宅途中、彩香さんから帰りが遅くなると携帯で連絡を受けたあたしは、帰宅後、部屋で課題をこなしながら頃合いを見計らい、再び自転車で家を飛び出した。 くねくねと坂を下り、海の煌めきを右頬に受けながら海岸道路沿いのサイクリングロードを東に進む。そのうち赤いポストが目に入り――あたしは一旦足を地面に下ろし、深く息をついてから再びペダルを踏み込んだ。いつものように小屋の陰に自転車を停め、潮騒の聴こえる草深い小道を進む。――紗波…… 一瞬、笑顔で振り返る波琉が頭に浮かび、「……いないってば。ケホ……」 あたしはそう自分に言い聞かせ、少し緊張しながら浜に足を踏み出した。 赤みを帯びた黄金色の夕日が辺り一面をオレンジ色に染め上げ、薄くたなびく雲を、静かに打ち寄せる波を、金色に煌めかせている。 数日振りに来た浜は、想像した以上の美しさであたしを出迎えた。でも、やはりそこに波琉の姿はなく―― 波琉と座った岩の上に力なく腰を下ろし、オレンジ色の世界に身を浸す。 あたしは夕日に赤く染まる手を金色の空にかざし、それより一回り大きい、すらりと繊細な波琉の美しい手を思い浮かべた。 ピアノが似合いそう――思わずそう言ってしまった時の、あの波琉の顔……「ふふっ……」――ザザー……ザー…… 小さな思い出し笑いは、すぐさま潮騒にのみ込まれていく。「…………」 ここには音が溢れていると波琉は言っていた。 波の音、風の音、光の音―― 波琉にはどんな風に聴こえていたの? 少しでも波琉を近くに感じたくて一心に耳を澄ます。でも、そんなあたしに聴こえるのは、地球が寝息を立ててるみたいな、ひたすら穏やかに反復される波の音だけ……――君を見てると……音の雫が零れ落ちてくるみたいに、胸の奥が音で溢れていっぱいになるんだ…… 瞳を揺らしながら、波琉はあたしにそう言って―― でも、もう、波琉は来ない。 波琉とはもう、会えないんだ…… どれだけ波音を聴き続けても、どんなに海が美しく輝いても―― 思えば波琉とは数える程しか会っていないというのに、その喪失感は想像していた以上に大きく――そんな自分に戸惑いながらも、あたしはつい、頭の中で悪あがきを繰り返してしまう。 そうだ。日本を発つとはっきり聞いたわけじゃない。まだここにいるのなら、気が変わってまたこの浜に来ることも…… 波琉が消えた岩陰にちらりと目を向ける。――さよなら……紗波……「…………」 期待したら余計に辛くなる? でも、あんな別れ方――――ザザー……ザー……ザザー…… いつもはあたしを癒してくれる波音も、今はただ、切なく胸に響くだけだった。 photo by little5am
2017.03.18
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遠藤さんと思わぬ闖入者を迎え、取り敢えず休み時間がなくなるということで四人輪になり昼食をとる。「この学校にこんな見晴らしのいい場所があったんですね~」 ニコニコ辺りを見回しながら、まるで重箱のような豪華なお弁当を突《つつ》く桜太に、「遠藤はともかく、なんでおめぇまで……」 委員長は不満たらたらイチゴ牛乳をズビズビと吸い上げる。「まぁまぁ、大勢で食べた方が楽しくて美味しいじゃない? ねっ、遠藤さん。ケホッ」「え、あ……う、うん……」 委員長との屋上ランチ――の経緯を知ってもなお、気兼ねしているのか遠藤さんの様子はどこか落ち着かない。「っつか、桜太。ここ上がってくるとこ誰にも見られんかったじゃろーな」「あっ、はい! 僕、紗波先輩探してて……で、あの細い廊下に入っていく先輩を見掛けたもんですから後を追って――、大丈夫です! 周りには誰もいませんでしたっ。それにしてもあの鏡、超不気味ですよね~。ほんと腰抜かしちゃいましたよ、僕」「ぶっ。そういや今朝、こっち来るって言ってたもんね、桜太。何度もごめんね。これだって、こんなにキレイにアイロンかけてくれて――コホコホッ」 顔を反らし咳をするあたしに、桜太が心配げに声を掛ける。「大丈夫ですか、紗波先輩……あっ、そだ、滋養強壮効果た~っぷりの僕のこの烏骨鶏の玉子焼き、食べますぅ?」「なっ、烏骨鶏の玉子焼きっ? ケホッ」 一個五百円とも言われているあの超高級烏骨鶏の卵を、玉子焼き――それも、学生の弁当如きに入れるとは……! 桜太ももしや、隠れセレブ……「なんじゃ、その贅沢な弁当はっ。っつか、なんで毎回毎回弁当持ちまわっとんじゃ、おめぇ」「お昼はお気に入りの場所でって決めてるんです、僕。今日もそこに行くつもりで――」「え、どこどこ? コホンッ」 興味深く身を乗り出す。「えっとですね~、校舎裏のぉ園芸部がひっそりヘチマ育ててる畑の裏の倉庫裏の――」 どんだけ裏……。「林の奥に沢でもあるんでしょうかね? どこからともなく涼やかなせせらぎが……」 しかも蚊が多そう……。「癒されますよ~、紗波先輩もどうです?」「ま、また今度ね。はは」「でも……誰かと食べるのって、やっぱりいいもんですね。なんかいつもより美味しい気がします。ふふ」 桜太…… 青空にのほほんと響くレゲエミュージック――視線を巡らせば、この平和で穏やかなひと時を共に分かち合う仲間がいて……「ほんと美味しい。ねっ」 あたしは遠藤さんにニカッと笑いかけた。「う、うん……」 遠慮がちに、でも僅かに口元をほころばせ遠藤さんが応える。と、委員長は飲み終えたイチゴ牛乳をビニール袋にポイッと放り込み、「はぁー、しゃーねぇのぅ……」 溜息交じりに口を開いた。「次上がってくるときゃー、くれぐれも他人に見つからんよーに。特に桜太! 1年が3階やこーうろちょろしょーたら目立つけぇ、その辺よーう気ぃつけぇよ」「えっ? 僕、またここに来てもいいんですかっ」「ま、鍵開けて出入りできるようにしたモンの特権で今は極秘裏に使わせてもろうとるけど、別に誰の場所っちゅーもんでもねーしの。っつーことで、のぅ? 遠藤」 不意に委員長に微笑みかけられ、遠藤さんはぽっと頬を染める。なかなか罪作りな悩殺スマイルだ。「しかしまぁ、小せぇくせに無駄に豪華な弁当食うとるの、桜太」「そういう先輩は、そんなガタイでパンだけですかぁ?」 岡山弁が苦手なはずの桜太だけど、一度委員長と一緒に帰って多少馴染んだのか意外にさらりと切り返す。「ケホッ、そういえば委員長ってさ、お医者さんの息子なのにお昼ごはん、いつもコンビニ――」 そこまで言って、あたしはハッと口を噤んだ。そうだ、委員長の――ほんとのお母さんじゃないんだ。いろいろ事情があるのかもしれないのに、あたしってば……「えっ、中沢先輩のお父さんって、お医者さんなんですかーっ」 桜太が驚きの声を上げる。「あぁ、まぁ」「へえぇ、すごいですねーっ! ――で、なんでいつもコンビニなんですか?」「ご、ごめん、委員長……」「いや――」 委員長はポリ……と頭を掻き、ぼそりと続けた。「親父……去年の暮れに再婚してのぅ」 少し驚いた顔で委員長を見つめる桜太と遠藤さん。「で、新しゅう母親と弟ができたっちゅーわけなんじゃけぇど――、こっからは高槻にも言うとらなんだが、実ぁ今一緒に住んどらんのんじゃ。その……弟、身体悪うて入院することになってしもうて――毎日付き添うんえれぇけぇ、母親、空いとる看護婦寮の部屋ちぃーとま仮住まいしとるんじゃ。親父は大学病院と掛け持ちでそこの医者もやっとるけぇ、多少融通利いての」「そう、なんだ……」 新しく家族になったばかりで微妙な時期なのに……委員長の家、そんな大変な状況だったんだ…… 流れる沈黙――レゲエの浮かれたリズムが、今度は場違いに響き渡る。「弟さん……長くなりそうなの? 入院……」「んー、ちぃと難しい病気じゃけぇのぅ」 あたしたちは益々言葉を失った。「すみません……。なんか僕、軽々しく……」 どこか悲しげな様子でうつむく桜太――そういえばこの間、身体が弱くて休学したクラスメイトのこと寂しそうに話してたもんね。なんか重なっちゃったのかも……「っちゅーことで、ま、コンビニいうても、親父と二人暮らしも長いけぇ慣れたもんじゃし? はは。や、なんじゃあ暗ぁなってしもうて、すまんすまん」 沈んだ空気を振り払うように、委員長は明るく口調を変える。「おっ、桜太、その串刺さっとるやつ、なんじゃ?」「へっ? あ、えと、チキンとパプリカのピンチョス、バジルソースがけ――ですが……」「ピ、ピンチョ……バジル?」「あっ、よかったらどうぞ?」「マジかっ? お、サンキュ。むぐむぐ……うっめ、なんじゃこりゃ! いっつもこねん小洒落たもん食うとるんか、桜太!」「母が料理が趣味なもんで、ハイ」 へぇ、そうなんだ。なんかちょっと親近感。「贅沢なこっちゃのぉ。――ん? 高槻の、なんじゃそれ、ハンバーグか?」 委員長がなにやら物色するような目つきで、今度はあたしのお弁当を覗き込む。「ハン……い、いや、これは……」 ハッシュドポテト――が焦げたやつですが、なにか……。「うまそうじゃな~」 え、なんか……あげないといけない流れ?「や、風邪うつるといけないし、ね? はは……。コホンッ」 と、暗に拒否るも、「ちと失礼」 委員長は全く意に介さず、空いたピックをハッシュドポテトにぶすりと突き刺す。「ぎゃっ、なに勝手にっ……」「まぁまぁ。もぐも……、返す」「ちょっ、かじったやつ戻さないでよーっ」「おめぇ、料理得意とか言うとらなんだか?」「い、いや、これは彩香さんが……、ケホッ」「玉子焼きやこー、よ~う焦がしとるしのぉ」「や、だからね、あたしが作ってるんじゃなくて……」「ふ~ん。なら、いっそんこと自分でうめぇの作りゃーええがぁ? ま、ほんまに料理ができるんじゃったら、じゃけど。フッ」 なっ……だってそんな、一生懸命作ってくれてる彩香さんに悪いじゃんっ。ってか、あたしが嘘ついてるとでも!? くぅ~、料理歴7年をナメてもらっちゃー困るっての!「いいわ、わかった。じゃあ、この次はあたしが作ったお弁当持ってくるから食べてみてよ。美味っしいんだから。ケホッ」 途端、ニヤリと笑みを浮かべる委員長。な、なんなの、感じ悪い~っ。「――中沢先輩と紗波先輩って、なんだかんだ言って仲いいですよねぇ。もぐもぐ」「はぁ~っ!? コホケホッ」 いやいやいや、今、売られたケンカ買ってるとこっていうかっ? 言うだけ言ってのんびりお箸を動かしている桜太から遠藤さんに視線を移すと、苦笑いのような微妙な笑顔を返され――「ほらもう、遠藤さんが誤解するでしょっ。変なこと言うなら追い出すからね、桜太っ。ケホッ」「え~、見たまま言っただけな――」「なにっ?」「い、いえ、なんでも……あっ、遠藤先輩、それ美味しそうですねっ」「えっ……」 急に桜太に話を振られ、遠藤さんが口におかずを入れかけたまま固まる。「ほんと美味しそ~、磯辺揚げ?」「あ、これ……うん。ちくわに海苔巻いて――中にチーズ入っとるん」 と、向かいから遠藤さんのお弁当を覗き込んでいた委員長は、「あと2つ入っとるのぉ。一個もーらいっ」 またもピックでそれを突き刺し、ポイッと口の中へ放り込んだ。「あ……」「もぐ――、うめっ! 桜太のも小洒落とってええけど、やっぱこーゆーんも外せんのぉ。遠藤が作ったんか?」「えっ、ああ、あの、こりゃあ母が……うちじゃのうて……あっ、でも、料理全く作れんとかそぉゆーワケじゃ……」 顔を赤くしてしどろもどろになる遠藤さんを見て、あたしはキッと委員長を睨みつける。「ちょっと、いきなり他人《ひと》のお弁当に手を出すのやめなさいよっ。もう、はしたないんだからっ。ケホケホッ」「はは、すまんすまん。つい、うまそうじゃったけぇ」「あ、べ、別にうちは……」 そこで再び桜太がのほほんと口を挟む。「遠藤先輩って、なんか可愛いですよねー」「えッ、かっ……う、うちが?」 目をぱちくりさせ、遠藤さんは真っ赤な顔で桜太を振り返る。「僕、岡山《こっち》の女の子ってなんだか怖くて苦手だったんですけど、遠藤先輩ならなんか大丈夫そうな気がします~。これからよろしくお願いしますねっ。ふふ」「はぁ……こ、こちらこそ……」 この二人、意外にいい組み合わせかも? あたしはクスッと口元を緩める。 このところ張り詰めた日々を過ごしていたあたしに、思わぬ平和な昼下り――ふと振り仰いだ空は、雨に塵が洗われどこまでも澄んで青く…… あたしは今日の夕映えの美しさを想像し、そして波琉を想った。 波琉――、今、何してる? 波琉は……笑えてる?「高槻? どねーした?」「あ、うん……、いいお天気だなぁと思って」「ほんと、梅雨の最中《さなか》とは思えませんよね~」「じゃな。――お。ボブ・マーリーじゃ」 レゲエミュージックが響き渡る澄み切った青空を、あたしたちは暫く無言で見上げたのだった。 photo by little5am
2017.03.11
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「今日の日替わりランチなんじゃろか」「ちぃとこっち、机くっつけて」「今日こそイチゴプリンゲットするんじゃけぇ!」 4時間目終了のチャイムとともに賑やかなざわめきに包まれる教室――あたしはゆっくりと教科書を片付け、お弁当の入った手提げ袋に手を伸ばした。「あれ、柊哉おらん」 少し離れたところで小野がきょろきょろと辺りを見回している。「なんじゃ、今日は一緒に食わんのんか? どけぇ行った、あいつぁ」 委員長、屋上行った? ――と、小野と目が合いそうになり慌てて視線を逸らす。 小野ぐらいには言ってもいいような気もするけど……でも、誰にも言うなって言われてるし…… もやもやと後ろめたい気持ちで席を立ちかけふと隣を見ると、ひとりゴソゴソ昼食の準備に取り掛かる遠藤さんが―― 遠藤さん、今日もひとり…… 彼女はいつからこんな風なんだろう。ひとりでお弁当食べたって、美味しくなんかないよね…… 屋上……誘っちゃおうか? でも――――ええか、こん場所ぁ一切他言無用じゃ。 よみがえる委員長の言葉。……むぅ~。 まぁ? 誘ったところで迷惑かもしれないし? そうだよ、余計なお世話かも……うん。 あたしは手提げ袋を手に足を踏み出した。 でも……ほんとに余計なお世話?――高槻さんがうちのこと気に掛けてくれとるんが……心強うて嬉しかったんよ…… マラソン大会の日、保健室で遠藤さんがそう言っていたのを思い出す。 いや―― 遠藤さんは、ずっとひとりで心細くて……「…………」 あたしは再び椅子に座り直し、束の間思案した。 彼女はもう、大切な友達だ。 その友達がこんな風に孤独な時間を過ごしているというのに、どうして見て見ぬ振りなどできようか――委員長だって、きっとわかってくれるはず! ひとり頷き、遠藤さんに明るく声を掛ける。「ね、遠藤さん。お昼一緒に食べない?」「え……」 お弁当包みを解く手を止め、遠藤さんはきょとんとあたしを見つめ返した。「いいとこあるんだ。コホンッ」「こ、ここ……ほんまに上がるん?」「うん。ほら、遠藤さん入って。ケホッ」 立ち入り禁止を告げるベニヤ板がぶら下がるチェーンを軽く持ち上げる。「で、でも、この上って……」「大丈夫だって。あ、ほら早くっ……誰か来ちゃう」 こちらの方へやってくる誰かの足音が聞こえた気がして、あたしは慌てて遠藤さんにチェーンをくぐらせた。落ち着かなげに辺りをきょろきょろ見回す彼女の手を引き、屋上へと階段を上っていく。と、上りきったところで、ヒッ……と小さな悲鳴を上げ、遠藤さんはひしっとあたしにしがみついてきた。「ほ、ほんまに鏡が……どうしょ、映ってしもうた……」 彼女もまた例に漏れず、あの妙ちくりんな噂を信じているらしい。「プッ。ジュリエットがどーのこーの? それって、み~んな作り話だから」「え……そ、そうなん? って高槻さん、なんで知っとるん?」「ふふ。コホンッ」「でも、鍵開いとらんのんじゃ……」「それがね、開いてるのよっ、と!」――キキィッ…… 錆びついた鉄の扉を勢いよく開ける。「わぁ……!」 青空の下広がる音ヶ瀬の街並みと瀬戸の海、そして爽やかに吹き付ける海風に、遠藤さんは今の今まで怖がっていたことも忘れたように感嘆の声を漏らした。「ほら、この開放感! いろんなことがどうでもよくなっちゃわない? ケホッ」「屋上、こねん見晴らしえかったんじゃ……」 風になびく三つ編みを押さえ、遠藤さんは眼下に広がる景色に見入っている。その頬はほんのり赤く、眼鏡の奥の瞳はキラキラと輝いて――誰憚ることなく生き生きとした表情を見せる遠藤さんに、あたしは軽く驚きを覚え、そして頬を緩めた。 思い切って声を掛けてみてよかった……「こっち――」にこりと笑みを浮かべ、遠藤さんの手を引っ張る。 ……問題は委員長なのよねぇ。でも、遠藤さんなら絶対、他の子にベラベラ話したりなんかしないと思うし――とはいえ約束を破ったことに変わりはないので、委員長の反応を気に掛けながら壁伝いに歩く。「いるかな、委員長……」「えっ?」 あたしは角からひょいと顔を出し、様子を窺った。「いたいた」「おっ、来たか高槻。お先」 コンビニのビニール袋を脇に置き、委員長は相変わらずジャムパンらしきものを頬張っている。「体調どねーな? よう咳しょーるけど」「あー、えっと……ちょっと待ってね。コホンッ」「あぁ? なんじゃ?」 へらりと笑顔を返し、後ろにいる遠藤さんに向き直る。あたしは親指を立て角の向こうを指し示した。〈ハハ、委員長。驚いた? ちょっとした成り行きでね、なんか一緒にお昼とるようになっちゃって――行こっ。ケホケホッ〉〈や、でも、あの……〉 手首を掴んで引っ張るも、なかなか来ようとしない遠藤さんに、あたしはハッと顔を上げる。〈な、なんか変な誤解してない? 違うからねっ。ほらぁこっち! コホッ〉〈で、でも、うち……〉 と、すぐそばで委員長の声が――「おめぇ、さっきからなんひとりでブツブツ言よーる――、あ」 校内放送のとぼけたレゲエミュージックが流れる中、三人の視線が気まずく交差する。「ア、アハ……えーと、遠藤さん。コホンッ」「見りゃーわかる」 あ、あれ、やっぱ怒ってる? でも遠藤さんだよ? 口堅いよ?「あああ、あのっ……う、うち、やっぱり教室に――」「え、ちょっ……」「ちょい待て。遠藤」 くるりと踵を返したところを委員長にむんずと腕を掴まれ、遠藤さんは「ひゃっ……」と変な声を上げる。「こいつがせーでええ言よんじゃし」「でっ、でも……」「ん、なに? ん?」 なにやら不可解なアイコンタクトを交わす二人を交互に見遣る。 と、――うぎゃーっっ…… 突然、悲鳴らしきものが辺りに響き渡り――「なんじゃ今の……結構近ぁねかったか?」「だ、誰か上がって来たとかっ?」 遠藤さんをその場に待たせ、委員長と二人そろそろと扉のある方へと回り込む。そして委員長がドアノブに手を掛けようとしたその時、――キィッ……! 不意に鉄の扉が開き、中から男子生徒が一人勢いよく転がり出てきた。「うおっ……、あ、おめぇ」「桜太っ?」「はーっ、はーっ……さ、紗波せんぱ~い……ぐすっ」 photo by little5am ※フルタイムの仕事を始めたので少し更新が遅れています…゛゜・゛゛(ノ>ー<)ノ
2017.03.04
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