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15の頃って、どうして、こうも、今、僕らの心を打つのでしょうか。。それは、その頃はまだ、恋愛に未熟で、異性への愛の表現方法をよく知らないために、多くの経験を積んで、豊かな人間性を得た、今、当時を振り返ると、自分の行動の歯がゆさや、ああすれば良かったという後悔が、僕らの胸を、締めつけるからでしょう。。僕は、高校以降、これまでの自分の恋愛において、後悔しているということは、ありません。。もう一度やり直したとしても、やはり、その人とは同じ結果になると思えるのです。。しかし、初恋の、あの恋愛だけは、・・・恋愛と呼ぶには、あまりに未熟でしたが、違う結末にしたかったと、強く思うのです。。今にして考えれば、よく彼女は、僕との交際をOKしたものだと言えます。。彼女は、1つ下の学年でしたが、かねてから、(美貌のせいで)その存在は、僕の学年にまで充分知れ渡っていました。。また、彼女は、誰とも付き合わない、ことでも、有名でした。。野球部の後輩たちは、「あれは、堅物だ。。」とか、「きっと男に興味がないんだ。。」とかと、まるで難攻不落の要塞のように、彼女のことを言っておりました。。そんな後輩の話を聞いて、それなら攻略してやろうじゃないか、という功名心から、僕は彼女に交際を申し込んだのです。。(このことは、後に、彼女と付き合った間、ずっと僕の心に影を落としました。。)僕は彼女のことを、「見たことがある」程度で、何も知りませんでした。。彼女においては、僕のことを、何も知らないどころか、見たこともなかったのでは、と思います。。そんなわけで、僕の告白の成功は、学校中の一大事件でした。。特に、後輩の男子たちの、驚愕と落胆と嘆きの混じった雄叫びは、僕に少し、後ろめたさを感じさせました。。なぜ、彼女は、僕との交際を、OKしたのか・・?じつのところ、なぜだか、わかりません。。僕のことですから、彼女に聞いてると思うんですが・・、日記帳が出て来れば、何かわかるかもしれません。。今回、「心の旅」をして、ずいぶん当時のことを思い出したんですけど・・、ブログに書いたように、僕は友だち(僕の野球部の友Gと、彼女の友Yさん)の、大いなる支援のおかげで、彼女と付き合うことができたわけです。。彼らはきっと、僕のことを、よっぽど美化して、彼女に吹聴してくれたんでしょうね。。もっと感謝しなければ、いけませんでした。。ただ、彼女は、そんな事で、だまされて男に惚れるような女の子とは、とても思えないのですが・・。。僕は、告白したときに、初めて彼女と口を聞いたのであり、顔もそんなに、よく知ってるわけではありませんでした。。それだけに、いざ告白という場面で、間近に彼女を見た、僕の驚きは、尋常ではありませんでした。。(!!・・何だよ、こんなに可愛かったのか・・。。)一瞬、僕は、自分の軽率さを後悔するような、告白を後悔するような、不思議な気持ちに襲われました。。僕らの中学は、新設の学校で、鉄筋2階の真新しい校舎でした。。告白の場所は、西側の階段を上りきった、屋上へ出る前の踊場でした。。お膳立てをしてくれたGは、彼女はそこで待っていると、僕に言いました。。Gに背中を押されるようにして、僕は階段を上って行きました。。最上階の踊場に、彼女は1人で立っていました。。
2006年01月31日
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(第21回 作詞スクール)それでは、3番です。。~十五の頃は 眩し過ぎたけれど息づかいさえ 感じる程そばにいる~いきなり、「15の頃」と言われても、読み手は、「はぁ?」ですよね。。すみません。。 ご推察のとおり、ここは、全く私的な設定です。。じつは、この詞のタイトル女性、聖母「ヒロミ」は、僕の中学時代の同級生なのです。。彼女(ヒロミ)は、中学3年の初めに転校して来ました。。中学時代、まじめだった彼女は、僕と口を聞くことを怖がってました。。都落ちして田舎へ帰って来ていた僕は、仕方がないので中学時代の友人に連絡を取り、遊び始めました。。そんな1986年に、僕は彼女と再会したのです。。再会したと言っても、彼女にしてみれば、僕と初めて話したわけです。。この唄は、彼女に捧げるために、書きました。。でも、その後、僕らが結ばれるということは、ありませんでした。。彼女は、すでに結婚していたのですから・・。。「中三の15歳の時には、あんなに眩しすぎて、そばに寄ることもできなかった、君が、今、こんなに、僕の近くにいる。。」という感動を、僕は、率直に彼女に伝えたかったのです。。僕らは、詞を書くとき、特定の人間にしか解らないシテュエーションを書いたりします。。その人にメッセージを送ろうとするわけです。。 その人が読めば、「あ、自分のことだ。。」と、解ります。。その相手が女性であれば、送られた方は、どんな気持ちでしょうね・・。。まあ、世界でたった1つの、自分のために書かれた唄ですから・・。。僕は、詞というものは、その女性の心が、たとえ百年の氷のようであっても、溶かすことができると、思ってます。。ねえ、唄って、素晴らしいですよね。。あ、でも、みなさんは、あまり真似しないでくださいね。。この3番のような、必然性を欠いた、傍若無人なフレーズは、僕ぐらい、洗練されたフレーズを書くことができて初めて、作品として許容されます。。(ただいま暴走中です。。無視してください。。)どんな設定でも、レベルの高い詞が書けるようになってから、常に客観的な作品を作れるようになってから、私的な表現は、書くようにしてください。。(無視、無視。。)~あなたが そんなに優しいのは傷ついた事が ないせいなのか~最後に、みなさんの心に引っかかっている、その疑問に答えて、終わりにしましょう。。「彼女のために書いた詞に、どうして、現実の女(人妻)の影が出て来るのか・・?」みなさん、ラヴ・ソングは、何のために書かれるか、知ってますか?僕は、この唄で、彼女を口説こうとしたのです。。 真剣に。。この唄を彼女に聴かせて、彼女の心を、自分に惹きつけようとしたのです。。「綺麗だ。。好きだ。。」だけでは、女性の心は揺れません。。女性の心を揺らすためには、ジェラシーを感じさせることです。。~それとも夜に 愛の行方が見えずに 一人で泣いている・・?~(唄を聴いてみる → 「ヒロミの様に」)
2006年01月29日
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(第20回 作詞スクール)~あの日の あなたにさえも~大展開です。。 読み手は一瞬、「え? なに?」と、思うでしょう。。そして、立ち止まって考え直します。。 いろいろなストーリーを想像するかも知れません。。でも、多くの人は、第一感で、ある仮定を思うはずです。。そうです。。この詞には、二人の女性が出てきているのです。。このフレーズの前まで唄われてた、「あなた=ヒロミ」と、ここの「あなた」は、別人だとするのが自然な感じかたです。。もちろん、そう感じなくても、構いません。。ここから先は、読み手が自由にストーリーを創造して良い領域です。。参考までに、僕の個人的な、この詞の背景を紹介しておきますね。。この当時、僕は、夫と子供のいる、年上のある女性と付き合っていました。。その女性はとてもやきもち妬きで、僕らはいつも喧嘩ばかりしているような、付合いかたでした。。一方で僕は、「ヒロミ」という、聖母マリアのような女性と出逢ったのです。。彼女(ヒロミ)は、「世の中に、これ程まで、汚れを知らない、清純で優しい女性がいたのか。。」というほどの人でした。。嫉妬深いその人妻の人は、僕の作品(唄)に登場しています。。興味があれば、ご覧ください → 「午前2時の月」当時、僕の周りにいた友人らは、この詞を見て一様に、「なんだ・・。。 ヒロミとか言っといて、○○さんが登場しとるじゃないか。。」と、述べました。。でも、僕は、もう1つ、「あの日の あなた」は、未来の「あなた=ヒロミ」で、僕と付き合えば、きっと、その穏やかな心を荒ばせてしまう、という自嘲、自虐な想いも、こめてました。。話を一般論に戻します。。いずれにしても、展開のフレーズにより、「ヒロミ」には、象徴性が生まれ、目の前の現実との対比が浮かび上がります。。ラヴ・ソングだと思った、この詞は、メッセージ・ソングなのかも知れないと、読者は思います。。~ヒロミの様に 優しくなれそうあれ程荒んだ心も限り無く穏やかな その微笑み~もう、わかりますよね。。「あれ程すさんだ心も」と、たたみかけます。。さて、しかし、この詞は、これで終わりません。。まだ、3番があります・・。。3番の解説は、明日です。。(唄を聴く → 「ヒロミの様に」)
2006年01月28日
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(第19回 作詞スクール)歌詞は、誰が読んでも、その内容を理解できるものでなければ、およそ作品とはなり得ません。。自分しか解らないような詞を書いていては、だめということです。。しかし、恋愛を描いた詞の場合には、たいてい、客観的な物語を装った中に、私的な事柄が織り込められているものです。。必然性のないものが登場したりするときは、それは、作者の実体験であることが推察されます。。このことは、また、詞を書く、あるいは読む、楽しさでもあります。。約束通り、「ヒロミの様に」を解説します。。この唄は、僕が東京から広島に帰って来て、中学時代の友人と再会し、一緒に遊んでた頃、書いたものです。。~あなたが そんなに優しいのは傷ついた事が ないせいなのかそれとも 傷つく事に慣れ過ぎて憂いの全てを 知っている?~「あなた」というのが、タイトルの「ヒロミ」であろうと、推測されます。。口調からして、主人公は男性で、「あなた」は女性だと思われます。。「本当の優しさ」というのは、20代の僕の、大いなる文学的テーマでした。。悪意を知らなければ、人は純粋に優しいのでしょうけれど、悪意にまみれ、様々な悪意を知り尽くして、なお、優しい人というのは、凄い人だと、僕は思います。。「あなた」は、そんな優しさを持っていると、詞は唄っています。。~季節は 二人を巡り逢わせて今もまだ気紛れの顔 装い続けるだけ~典型的な擬人法です。。 みなさん、ぜひ、真似してくださいね。。二人は出逢って、好き合っているようですが、すんなりくっ付かない、そんな様子を表しています。。~二度目の冬は きっとあなたの白い肌をなお 透き通らせる~これも、擬人法です。。二人が出逢って、一年以上を経過したことと、この詞の季節が冬であること、が解ります。。ますます「あなた」は、綺麗になってゆく、と唄っています。。 つまり、主人公が、「あなた」に惹かれていっている、ということです。。~朝からずっと 雲一つ無い暖かさの戻った 今日はヒロミの様に 優しくなれそうさ誰にもきっと~冬の中の、よく晴れた風のない暖かい日。。 こんな日には、「僕」も、「ヒロミ」の様に、誰に対しても優しい気持ちになれる、と唄っています。。裏返してみると、「僕」は普段、優しい気持ちとは程遠い心模様で生活している、と予想できます。。そして、この直後に、劇的なフレーズが登場します。。~あの日の あなたにさえも~さあ、問題の箇所です。。続きは、明日。。(唄を聴く → 「ヒロミの様に」)
2006年01月27日
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みなさん、こんばんわ。。もう、こんな時間ですね。。さて、この後、どこへ行きますかね。。恋の旅・・。。曲は書きますよ。。抱負で宣言しましたし、リクエストもあります。。聞いてくれる人がいれば、まして、心待ちにしてくれてる人がいれば、僕らは、曲が書けます。。前に作りかけて、放ったらかしてたフレーズがあるので、それを利用して作るつもりです。。相変わらず、この部屋には楽器が1つもないんですが、まあ、楽器がなくても曲は作れますから・・。。中学の次は、高校時代ですか。。中学時代にも、まだ他に、面白い思い出がありそうですが・・。。僕の唄に、「ヒロミの様に」って唄があります。。この唄の3番に、「15の頃は・・」という歌詞が出てきます。。15って、中学3年の時なんですよね。。「ヒロミの様に」は、じつは非常に私的な歌詞です。。一見、歌詞の意味がつかみにくいんじゃないかと思いますが、明日は、まず、この唄の解説でもやりますか。。そして、また、ゆっくり恋の旅を始めましょうよ。。みなさんも、やみつきになったでしょ。。前回の旅で。。じゃあ、明日も早いので。。See you.
2006年01月26日
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むかしのセオリーから言えば、中学受験に失敗しても、高校受験で雪辱して、国立大付属高校や有名私立高校へ入れば、いいわけなんですが、(高校は、さすがに、いいところに入っとかなければ、むかしから厳しかったです。。でも、中学は、別に公立でも、何の問題もなかったです。。)いったい、現在では、どうなんでしょうかね・・?そんなに、公立中学って、悪いんですか・・?我々のころは、国立大付属高校などにおいて、同じ中学から持ち上がりで来た生徒より、高校受験を突破して外から入って来た生徒の方が、学力が高いのが当たり前でした。。今の風潮では、公立中学へ行ったら、それで人生の敗北者、二度と復活できない、みたいに言われますが、もし、それが本当なら、重大な社会問題ですよね。。まあ、もし本当なら、僕のブログなんかは、我が子の危機を救う救世主ということですか・・。。小学6年になったら、中学1年の勉強を開始しなければなりません。。また、小学6年は、中学受験(小学5,6年の内容)の勉強も、しなければなりません。。両方を平行してやって行かなければいけませんので、大変ハードですが、これは、むかしから当たり前のことです。。中学入試では、算数を解くのに、文字(xやy)の入った式を使えないので困る、なんていうのは、僕らのころから、ずっと言われてることです。。わが家の予定では、どうでしょうか・・、今年の6月頃には、中学入試完全勝利宣言を、発表したいと思ってます。。ところで、中学の参考書を決めました。。まだ買ってないんですが、やはり、往年の「中学事典」で行きます。。うちの長男には、2月から、中学の勉強を開始させます。。英語のヒアリング対策は、僕が最も信頼している、NHK教育放送の「基礎英語」で、行く予定です。。 (テレビかラジオ。。 今もやってますよね。。)「基礎英語」は、4月スタートです。。さて、みなさんのお子さんは、今夜もちゃんと勉強しましたか?ではまた。。
2006年01月25日
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こちら広島では、来週29日から、いよいよエリート中学校の受験が始まるそうです。。小学5年の子供をお持ちの、同志のみなさま、来年の今頃は、必ず笑い合いましょうね。。小学6年の親の方々・・・、恐くて声がかけられません・・・。。みなさんの中には、中学受験なんて、最近言われるようになったことだと、勘違いされている方もいらっしゃるのではと思いまして、少し書きますね。。中学受験なんて、はるか昔から存在してます。。僕の母親は、僕に付属小学校の受験をさせました。。何度も母から、「1番違いで、くじにはずれたのよ。。」と、残念そうに聞かされました。。僕が小学生の頃、「教育ママゴン」という言葉が流行っておりました。。「弓月 光」の、「エリート狂騒曲」というマンガ(少女マンガでしたが)が、僕は好きでした。。小学5年生の頃には、僕らの中に、はっきりとエリート志向が芽生えてました。。あの頃と比べて、中学受験の世界は、ほとんど変わっていない、というのが僕の感想です。。小学1,2年頃の、よく遊び、よく学べ、という雰囲気も、学年が進むにつれて、変わって行きます。。うちの長男は小学5年生ですが、みなさんに現実を正しく認識していただくため、わが家の先週末(土日)のようすを書きますと、土曜日の午後、僕は自宅へ帰ったのですが、ずいぶん寒くて、外へ遊びに行くムードではありませんでした。。長女はしかし、弁当を持って遊びに出たそうで、いませんでした。。長男は最初、居間にいましたが、休憩中だったようで、そのうち子供部屋へ行って「自由自在」をやってました。。その夜、学習予定表を見て、子供に遅れていることを云いますと、次の日(日曜)、子供たちは、朝起きるとすぐ、勉強を始めました。。日曜は晴れて、少し暖かくなったのですが、子供たちはずっと勉強を続けました。。時々、聞いてくるので、みてやりました。。夜、僕が仕事先へまた出かけるときも、子供たちはまだ勉強してました。。予定表の遅れを、取り戻すために。。これは、小学5年生なら、当たり前の風景です。。これが、現実です。。なんか、夢の中にいた親御さんは、しっかり目を覚ましてください。。みんな一緒に東大へ行こう、というのは、冗談なんかではありません。。僕が、みなさんに誇れることが、あるとすれば、うちの子供たちは、ほとんど自主的に、淡々と、上に書いたように、勉強ができる、ということです。。僕は、子供の習慣化に成功しました。。女房が、あまり言うので、長男に、「塾に行きたいんなら、行ってもいいんだぜ。。」と、云ってみました。。「いやだ、行きたくない。。」と、長男は答えました。。どうやら、長男は、僕に教えてもらうのが、好きなようなのです。。少し、嬉しいです。。平日も、子供のそばにいてやれる方は、僕よりも圧倒的に有利ですよ。。ぜひ、気合を入れてください。。じゃあ、みなさん、気を引き締めて、がんばりましょう。。
2006年01月24日
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と、いうわけで・・、「ゆうとの」の、「ブログで探そう、むかしの恋人大作戦」は、終了いたしました。。結果は・・、人違い、でした。。まあ、当たり前の結果に終わった、と言えば、そうですが、この2週間、中学時代の記憶をたどりながら、あの頃の様子を思い出しているうちに、やがて、彼女の表情や、自分の心情までもが、あざやかに蘇って来て、ずいぶん懐かしい時間を過ごすことができました。。ただ、勝手に初恋の彼女だと決めつけられ、人まちがいに巻き込まれた、くだんの彼女、「love sleeping guu」さんには、多大なご迷惑をおかけしました。。ここに、謹んでお詫び申し上げます。。「love sleeping guu」さんは、とても教養が高くて、どこか不思議で、魅力的な方です。。ぜひ、みなさん、彼女のブログを訪問してみてください。。18日の午後10時6分に、guuさんは、やっと僕のブログを訪れました。。そして、10時30分にも、再び来ました。。僕は、息を呑んで、彼女のメッセージを待ちました。。アクセス状況から見て、彼女は僕の日記を読んでくれたはずでした。。やがて、彼女のブログが、更新されました。。僕は、長い深呼吸をして、彼女のリンクをクリックしました・・。。「忘れられない面影が、ずっと夢の中にあるのですね・・。。あなたの想いは、よく分かりました・・。。」「でも・・、似たような人が、世の中にはいるものですね。。素敵な世界に、乾杯・・。。」どうやら、彼女は、赤ワインを飲みながら、日記を書いていたようです・・。。ひとまず、僕のブログの恋は、終わりました。。今回は、みなさんへの、「楽しいブログの使い方」の提案でもあったわけですが、やってみて、良かったと思います。。もちろん、またリアル小説(ライヴ小説?)を書いてやろう、という下心もあったのですが、そっちは、ハッピー・エンドとは行きませんでした。。振り返って、この2週間、なんか時間の進み方が、普段と違ってました。。2週間が、2ヶ月にも3ヶ月間にも、感じられました。。さて、僕は、無論、あきらめたりはしません。。また、彼女を探しに行きますよ。。 あの手紙を持って。。いつか、本物の彼女と、めぐり逢える、その日まで、僕のブログの旅は続きます・・。。みなさんも、行きましょうね。。 一緒に。。ブログで探す恋の旅に・・。。
2006年01月21日
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ずっと、先方からのアクセス、ありません・・。。コメントは書き込んでいるんですけど・・。。だめかも知れませんね・・。。 グス。。僕と彼女は、全く別々の人生を歩んで行ったのですが、一度だけ、彼女の消息を聞いたことがあります。。1990年頃だったと思うんですけど、僕は広島の街で、偶然、中学時代の彼女の親友に出会いました。。その親友から、僕は、彼女のその後を、聞くことができたのです。。僕は、彼女のことを聞き出したくて、その親友とデートをしました。。ただ、その親友が自分に恋愛感情を寄せてることに気づいていた僕は、詳しい話を聞くことが、うまくできませんでした。。その親友もまた、素敵な女性でした。。何とか、彼女について、わかったのは、転校した後、彼女は関西の高校へ通い、同じく関西の大学(関西学院大だったかな・・?)へ進学した。。しかし、大学で、彼女は何かに傾倒して行き(たしか、宗教関係だったような・・)、変わってしまった。。大学の後は、よくわからない。。と、いうことでした。。周りの人間から見た彼女が変わったことは、親友の口ぶりからは、マイナスなイメージで語られたのですが、僕にとっては、彼女の話なら、何でも興味を持って聞ける、ということにしか過ぎませんでした。。むしろ、もし、本当に彼女があまり良くない状況に至ったのだとしたら(そんなことは、ないでしょうが・・)、僕には少し嬉しいことでした。。それこそ、僕の出番じゃないかと、思いました。。ああ・・、彼女は今、どんなふうに暮らしているんでしょうかね。。ふつうなら、別れた後、何の接点もなければ、すっかり忘れてしまうものでしょうね。。僕がなぜ、彼女のことを、ほんの時々、こうして思い出しながら、生きてきたのかというと、それは、彼女の唄を、作っていたからです。。唄には、消えぬ想いが、宿ります。。その唄を演奏するたびに、いつも、あの中学時代の二人が、よみがえりました。。そして、僕は、彼女も・・、・・彼女の心の中のどこかに、消えない僕の想いが、今でも、残っている・・と、そう信じているのです。。最後に、今の彼女へ宛てた手紙を、記します。。とどけ! 想い。。美穂さんへ。。あの日記帳は、どうなりましたか?僕の方は、まだあると思います。。こんど、探しときますね。。見つかったら、もちろん、君にも見せますよ。。あの頃、僕はまだ、人の愛し方というのをよく知らなくて、君を傷つけたりしてたんじゃないかと、それだけが、今も気がかりです。。でも、僕は、君が遠くへ行ってから、ずいぶん、君の面影に悩まされましたよ。。僕は、君が、とっても好きでした。。はぁ・・、やっと心が落ち着きました。。これ以上のことについては、君がこの手紙を読む、奇跡が起こったあとで、また、ゆっくり話しましょう。。~ 亀山中学を卒業した M.U.より ~
2006年01月16日
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結局、昨日も今日も、くだんの彼女は一度も僕のブログに来ませんでした。。やや前途多難になってきました。。僕は片道1時間をかけて、高校へ通い始めました。。彼女に会うことは、ほとんどなくなったのですが、僕らは別れたわけではありませんでした。。じつは、次の年になれば、彼女が僕の高校へ入学してくる予定になっていたのです。。彼女は、僕の高校に合格するのに、充分すぎる学力を持っていました。。というか、たしか彼女は国立大付属高校に受かるくらい頭が良かったので、僕と同じ高校へ進学することに、何の問題もありませんでした。。来年になれば、彼女にいやというほど会える、と思っていた僕は、彼女を放ったらかしにして、新しい高校生活をエンジョイしていました。。そして、別れは、突然にやってきたのです。。あれは、たしか、夏休みだったと・・・。。夏休みに、彼女は友だちと市内の塾の夏期講習へ行き、僕も、その塾へ行ってたんでしょうね・・。。帰りのバスに、彼女たちと一緒に乗っていました。。お互い、友だち連れだったので、バスの中では離れてましたけど・・。。ある日、そんな帰りのバスの中で、誰かが、僕に言ったのです。。(彼女の友だちだと思うんですけど。。)彼女が、遠くへ転校してしまうことになったと・・。。僕と同じ高校へ行くことは、不可能になったと。。そして、今日が最後の日なんだと。。あの日の衝撃は、よく覚えています。。そのことを聞いた僕は、バスの中で、半ば放心状態でした。。いつも僕は彼女より先にバスを降りるのですが、その日は、彼女のバス停まで乗って行きました。。彼女に続いて、バスを降りたとき、外はずいぶん暗かった気がします。。彼女と僕は2人きりで、向かい合って立っていました。。彼女の最後の言葉を、僕は、はっきりと覚えています。。「ずっと、友だちでいようね・・。。」彼女は、赤い目をして、一言、そう言いました。。「うん・・・。。」僕が言ったのは、それだけでした。。告白のとき、彼女の笑顔に、そして今度は、彼女の涙に、僕は圧倒されたのです。。その日、そのまま僕らは別れました。。それから、一度も彼女には会っていません。。あまりに切ない、ファースト・ラブでした。。彼女は、最後まで、僕のことが好きだったような、そんな気がします。。僕はといえば、離れ離れになってから、彼女の存在を強く認識するようになりました。。「ずっと、友だちでいようね・・。。」彼女の言葉を、その約束を、僕の心は、守ったことを、できることなら、彼女に伝えたいものです。。彼女に対する、彼女のことを思う、僕の心は、今でも、あの頃のままです。。全く会っていないからでしょうね。。時間が止まっているようなものです。。はたして・・、僕と彼女の、2人の間の時間が、再び動き始めることは、あるのでしょうか・・・?どう思います・・?(また続きます。。)
2006年01月15日
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くだんの彼女に、メールを出すのは、もう少し待ってみようと思います。。昔も今も、勇気のない奴です。。 僕は・・。。そう、みなさんも、すでに気づいたと思いますが、僕は、彼女がこの日記を見て、僕に気がついてくれることを、待とうとしているのです。。でも、彼女は、あんまりアクセスして来ないんですよね・・。。今にして思えば、僕は、かなりスーパーな中学生だったと言えます。。でも、当時の僕は、まあ、外見は明るかったかも知れませんが、その内面は、理想にほど遠い自分に、全く自信がなく、コンプレックスを抱え、取り繕ったり、嘘でかためたり、して毎日を過ごしてました。。客観的に考えれば、もっと自信を持って、積極的にいろいろやっても、充分できたはずでしょうけど、中学生の僕には、わかりませんでした。。ただ、誰でも、そんなものなのかも知れませんね。。そんな感じで、彼女とキスをしたか、記憶がありません。。してたら、怒られるところでしょうが、多分してないと思います。。ですから、それ以上のことは、もちろん、やっていません。。まあ、手をつないだことぐらいは、あると思いますが・・。。僕は、同級生の間では、下ネタに精通した男として有名でしたが、彼女とは純愛路線を通しました。。一度、彼女の家へ行ったことがあります。。僕には妹がいるので、女の子の部屋を見たことがないわけでは、ありませんでしたが、女子の部屋はやはり衝撃的でした。。彼女にも、妹がいました。。彼女の母親は、明るくて、綺麗な人でした。。考えてみれば、僕は、彼女の家族に紹介されたんですよね。。あまり気がついてない奴でした・・。。どういう展開かは忘れたのですけど、そのとき、彼女がまだ、ブラをしてないことを知って、少し驚いたのを覚えてます。。彼女、たしかに、胸はまだ、そうでもなかったです。。(怒られるなぁ。。)でも、彼女は背の高い娘でした。。彼女の身長を覚えてますよ。。たしか、160cmかそれ以上でした。。僕が当時、175cmでしたから、きっと僕らは、周りから見れば、スタイリッシュなカップルだったでしょうね。。僕の中で、160cmというのは、それ以来ずっと、女性の身長の基準値になりました。。そして、僕は中学を卒業し、遠い市内にある、高校へ通い始めました。。彼女は中学3年になり、生徒会などでも、活躍していたように記憶しています。。僕らは会うことができなくなったわけですが、そのせいで、僕らが別れてしまったのではありません。。別れるどころか、僕らは依然、公認の恋人同士でした。。(また明日だよ。。)
2006年01月14日
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僕らが、中学卒業を半年後に迎えたとき始めた、「このままではいかん、思い出のために、彼女ぐらい作ろうぜ。。」キャンペーンの中で、日ごろから接していて、お互いに欠点をよく知っている、同級生の女子に、今さら交際を申し込むことは、とても成功するとは思えなかったので、僕らの矛先は、自然と一学年下の女子に向かいました。。そうです。。僕が、友人の全面的な支援のおかげで告白を成功させた彼女は、一つ年下の娘でした。。僕らの交際の様子は、どんなだったのか、というと、放課後、カップルで帰る、ことと、交換日記をする、ことでした。。交際ブームが巻き起こった、その年の秋、僕らの中学では、放課後、窓から裏の校庭を見下ろすと、校門へ向かってカップルがぞろぞろと帰って行くという、異様な光景が見られました。。カップルでない者がそこを歩くことは、目立って、恥ずかしいくらいでした。。下駄箱のところから、校門の外まで、一時的に一緒に帰るという、偽臨時カップル現象まで起こりました。。「あら、○○、ひとり? めずらしいわね。。」「ああ・・・。。」「可愛い、Mさんは?」「・・ブラバンの練習で遅くなるらしいから・・。。」「そう。。 ちょうど良かった、ねえ、私と一緒に帰ってぇ~。。」「何だよ・・。。」「だって、彼、今日、急用で先に帰っちゃったのよぉ。。 だから・・。。」「・・・・・。。」「ねえ、お・ね・が・い。。」「・・・わかったよ。。」「よかった。。 ありがと。。」「・・・でも、見せかけだけ一緒に帰るっていうのは、絶対おかしいよな。。」「あら、しょうがないじゃない。。 1人で帰ってたりしたら、すぐ、別れたのかって、次の日大変だもの。。」「俺と噂になったら、どうすんだよ。。」「あんたはMさんと有名だから平気よ。。 あんたと帰っても誰も疑ったりしないわ。。」「・・・なんか、気に入らないな・・。。」「それより、あんたら野球部、評判悪いわよ。。」「・・・なんで?」「あんたら全員、下級生と付き合ってるじゃない。。 同級に恥をかかせちゃ、まずいんじゃない?」「なんで、そうなるんだよ。。」「さあ・・、自分らで考えれば。。 あ、ここでいいわ。。 じゃあね。。」「おい・・・。。」よくあった、光景です。。交換日記には、だいぶ抵抗がありましたが、流行に押されて、僕もやりました。。1つの日記帳に、交代で1日の出来事と感想を書いてゆくのです。。僕らは、結局、2冊の日記帳を書き上げました。。1冊目が僕の手もとに、2冊目が彼女のもとに、残されました。。僕はその日記帳を、最近、たしか実家で見かけた気がするのです。。近いうちに、ぜひ探してみます。。1冊目の書き出しの文章は、今も覚えています・・。。彼女は、あの日記帳、今も持ってるでしょうか・・?まあ、なくなってるのが、当たり前でしょうか。。さて、29年が経った今。。くだんの彼女は・・、僕のブログにリンクをしてくれています。。彼女の方から、リンクをして来たのです。。ただ、僕は自分から「日記リンク」をしたことは、一度もないんですが・・。。本当に彼女なのかどうかを、どうやって確かめようかと、少し考えているんですけど・・。。彼女にメールで聞けば、すぐに済む話なんですが・・。。確率的には、ゼロに近いことなので、もうしばらく、ときめいていたいのかも知れません。。・・・朝夕は、ずいぶん寒くなってきましたが、なぜか、僕の心は、春の日差しを浴びた、草原の中にいるようです・・・(続きは明日。。)
2006年01月14日
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その名前は、特にめずらしい名前でもないので、そのブログの主が、僕が初めて付き合った、その女の子とは、ふつう考えにくいはずなんですが・・。。ただ、僕は、直感したんですよ。。彼女に違いないと。。彼女の名前を、ここに書き記すかどうかは、この物語が終わる頃、考えることにしましょう。。僕は、高校のとき、彼女のことを唄に書きました。。・・・あの日 君が 初めて 見せたあふれる 涙に 気づかぬ ふりして臆病な 僕は 何も 言わずにただ 通りの・・・彼女のことは、なぜか、離れてしまってから、とても気になっていました。。・・・あれから 一年 時は 流れて君の 涙も 今は 枯れはて変わる 季節に 僕を 忘れてやがて 大人に・・・(彼女の唄です → 「日差しの中で」)彼女とは、別れてしまった後、一度も会っていません。。彼女が、今、どこで何をしているのか、全く知るすべがありません。。考えてみれば、29年も前の話です。。はたして、彼女は、僕のことを、覚えているでしょうか。。あのブログの主が、もし、本物の彼女だとしたら・・・。。みなさんは、そんな奇跡を、信じますか・・?(明日だよ。。)
2006年01月12日
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僕が、そんな大胆なことができたのには、わけがありました。。野球部の仲間が、その彼女の友だちと、付き合い始めていたのです。。僕は、そいつに頼んで、さぐりを入れました。。結果は、すぐにやって来ました。。「おい、うまく行きそうだぞ。。やったな、お前。。」「お前の彼女は、何と言ったのだ?」「『告白してみたら、いいんじゃない。。 いい結果になると思うわよ。。』って、言ってた。。」「ぅうむ・・・。。」みなさん。。 初告白のときって、覚えてますか?ふつう、覚えてるものなんですかね・・?。。僕は、鮮明に覚えてます。。忘れられないほど、悲惨でした。。「彼女はOKする。。」という情報に支えられ、あとは、台本の決まった告白をするだけ、という状況の中で、それでも僕は不安でした。。自信がありませんでした。。きっと勇気のない男だったんでしょうね。。恋の勇気が・・。。 今もですけど・・。。友だちに彼女を呼び出してもらい、しっかりお膳立てをしてもらった、告白のシーンで、僕は真っ赤な顔をしていました。。言葉が、めちゃめちゃ、かみました。。「・・・あ・・のさ・・。。 ・・・○○さんから、・・・その・・、き、聞いたと思うんだけど・・・。。」彼女は、こっくりと、頷きました。。彼女の顔も、赤く火照っていました。。至近距離で見る彼女は、思った以上に綺麗でした。。彼女は、僕の言葉を、待っているようでした。。「・・・お、俺と・・、・・・付き合って・・、くれない?」「はい。。 いいですよ。。」彼女の顔に湧き上がった、輝くような笑顔に、僕は圧倒されました。。きっと、僕の人生の中で、1,2位を争う恥ずかしい場面です。。救いなのは、あの情けない姿を、彼女以外には誰にも見られていない、ということです。。結局、彼女との交際は、半年あまりで終わりました。。僕が、今、なぜこんなに、その頃のことを思い出したのかというと。。じつは・・、見つけたんですよ。。彼女の名前を、というか、彼女と同じ名前を。。このブログの中で。。(明日に続きます。。よ。)
2006年01月11日
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さあ、それでは、みなさん。。僕と一緒に、「恋の発見」の旅に出ましょう。。ぐずぐずしてる場合じゃありません。。コメントの返答を書いてばかりじゃ、時間がなくなります。。何を言っとるんだ、こいつは。。と思われた方も、まあ、行けばわかりますよ。。僕が、初めて、女の子と付き合ったのは、中学3年の、クラブが終わった秋でした。。野球部を引退して、放課後やることがなくなった僕らは、みんなで彼女を作ろう、という気運になりました。。1人ずつ、意中の女の子に告白をして、カップル誕生となったり、不運にも撃沈されたり、とやっておりました。。そして、僕の順番が来ました。。「お前は誰で行くのか?」と聞かれ、どうせならナンバー・ワンの女の子にしようと僕は考えました。。「学年で一番人気があるのは、誰だい?」と、僕は聞きました。。「そりゃあ・・・。。」仲間が声をそろえて言った、その女の子を、僕は下見に行きました。。友だちと談笑している彼女を、初めて遠目に見たとき、まさに、それは、「春の日の花とかがやく」でした。。つい最近も○○がフられた。。という噂が飛び交う中、僕はその娘にアタックすることを宣言しました。。そのニュースは、瞬く間に学校中を駆け抜けました。。(明日に続く・・)
2006年01月10日
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さあ、小学5年の1月です。。わが家の中学受験も、いよいよ佳境に入ってきました。。じつは、土曜日に家族で初詣へ行った帰り、本屋によって、広○付属中の最近5年間の入試問題集を買って帰りました。。(2,000円もしました。。 高・・。。 でも、赤い色をした3,000円のやつもありました。。)昨日の午前中、さっそく長男は、平成17年入試問題の「算数」「国語」「理科」を、かってにやっておりました。。昼ごはんのとき、長男は泣いておりました。。僕は気がつきませんでしたが、女房がすぐに感づいて、「どうしたの?」と長男に問いただし、やがて涙をポロポロ流して、泣きながら、ごはんを食べておりました。。午後から家族で映画を観に行った帰り、長男に聞いてみたところ、「算数が、あんなに難しいとは、思わなかった・・。。」とのことでした。。(それが、ショックで泣いたのか・・。。)涙のわけがわかりました。。状況的には、良いと思ってますでも、やはり気になったので、今日、答案用紙を見てみました。。配点が非公開なので、予想得点となりますが、国語が75点、算数が50点、理科が95点、社会はまだ、という結果でした。。まあ、想定範囲なのでしょうが、感想を書きますと、中学受験において、理科は簡単である。。100点近く取りたいですね。。算数は、相変わらずというか、わが家でも、最も多く時間をかけて勉強させているにもかかわらず、まだこの点数です。。中学受験の算数の超難問ぶりは、少し行過ぎてますよね。。子供が初見の問題を解くのは、不可能のように思います。。でも、問題だと思ったのは、国語です。。思わず、長男を呼び寄せて、解説をしました。。思った以上に、読解力というか語彙力が必要です。。「星のおうじさま」について解説した論文が問題でしたが、はっきり言って、大人でも読んですぐ意味をつかめるのだろうか、という内容でした。。もっと、本を読ませておくべきだった・・。。 と反省しました。。あ、そうそう、中学の参考書を本屋で調べました。。僕も中学のとき使った、「中学事典」にしようかと思ってます。。「英語」で「発音記号」が詳しく載ってるんですよね。。ただ、英語はCDが欲しいところなんですが・・。。じゃあ、今から、長男に50点だった算数の解法を、伝授してきます。。ではまた。。
2006年01月09日
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ブログって、もともとは、大学の研究員たちが作って、学問研究のために使用したらしいですけど・・。。現在、一般的には、日記が主流ですよね。。僕にとっても、昨年のブログとの出会いは、生活に変化をもたらす程のものでした。。僕にとって、ブログは、自分の音楽作品の公開の場です。。自分の詞と曲を、こんなに簡単に、沢山の人に見てもらうチャンスの場に置けるなんて、夢のようです。。僕もブログ人としては、もうキャリアの仲間入りをしたのではないかと思うので・・、(ほぼ全ブログを制覇しましたし・・。。 この「楽天」のブログが一番良いですよ。。 何といってもアクセス数が。。)そこで、かねてから思ってたことを・・、書いておきますね。。今年の抱負のところで、4つめとして書こうかと思ったのですが・・。。ブログの隠れた、素晴らしい使い方。。それは・・、出逢い だと思います。。 めぐり逢いです。。それも、忘れかけた古い知人との。。そう、昔の恋人との出逢い。。これこそ、ブログがもたらす、素晴らしさ、奇跡だと・・。。若い人には、あまり、あり得ないかも知れませんが・・、こんな年になると・・、・・・たくさん、ありますよね。。このごろ 別れた人のことをよく想い出す今は どこで どんなふうに暮らしているかしら・・・(「夢」より) 「夢」抱負の3つめで、恋を探しに行きます、なんて言いましたが、どうせなら、飲み屋や風俗へ行くのではなく、このブログでやろうと、いうアイデアが浮かびました。。新しい詞も書きたいですし、一石二鳥ですよね。。最初、ランダム訪問して、気に入った女性に公開の場で猛アタックをかける、なんてことを考えたのですが・・、(絶対ウけると思ったので。。 電車男の影響ですかね・・。。)まあ、僕も詩人の端くれである以上、言葉で女性をいかせてみたい・・・、元へ、言葉で女性の心を動かしてみたい、と思うわけです。。でも、自重しました。。そんなことしなくても、もっといいものを、見つけたんですよ。。期待してくださいね。。僕も、期待というか、予感が当たることを願ってます。。小説「愛を抱いて」の2006年版になると、いいですね。。時に流されて消えた小さな恋のかけらふいに見つかることがあるそれは昔の・・・・・・夜浅い電話のベルいつまでも鳴り続けていたあなたの部屋で帰らない日々よ・・(「夢」より) 「夢」
2006年01月08日
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冬空の隙間から こぼれる日差しに口づけのお返しを 惜しまないそんな 君の・・・(「和代のテーマ」より)「和代のテーマ」
2006年01月07日
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「去年の夏はまだ あなたを知らなかった」この作品も、作詞講座の課題だったものです。。1番の歌詞を与えられて、2番以降を書いて詞を仕上げなさい、というものでした。。タイトルは決まっていて、「去年の夏はまだ あなたを知らなかった」です。。そして、1番の歌詞は・・・、 (作詞 松井 五郎)そうね私覚えてる よくある家族の朝 7時のNEWSが終わる頃に みんな慌ててでかけた 混んだ電車揺られて 小さなあくびばかり 苦手な科目と月曜日に いつも笑顔を盗まれた 去年の夏はまだ あなたを知らなかった だからありふれた一日 大切にしなかった 去年の夏はまだ あなたを知らなかった だから過ぎてゆく一日 追いかけもしなかったと、いうものでした。。さあ、この詞の2番を書きます。。この手の作詞法で、最も簡単で、早く書けるのは、「対称法」です。。1番の、各フレーズ、言葉、を受けながら、たとえば対称的に、言葉を入れて行くのです。。この方法は、言葉のアイデンティティも簡単に生み出すことができます。。では、1行目から順にいきましょう。。「そうね私覚えてる よくある家族の朝」動詞や名詞、に合わせて、言葉を考え、あてはめます。。 名詞止にしてあるので、それに準じます。。そうね → きっと 覚えてる → 忘れない よくある → はじめての「7時のNEWSが終わる頃に みんな慌ててでかけた」「~した」という言い方に準じます。。 → とても不思議に思えた「混んだ電車揺られて 小さなあくびばかり」混んだ → 空いた 揺られて → 腰かけ「苦手な科目と月曜日に いつも笑顔を盗まれた」ここも、「~した」という言い方に準じます。。 → 急に輝いた「去年の夏はまだ あなたを知らなかった」明らかにサビとなるここは、10人中9人が、リフレインを選択するでしょう。。「だからありふれた一日 大切にしなかった」「だから過ぎてゆく一日 追いかけもしなかった」サビは一応ヤマ場なので、力を入れました。。繰り返し出て来る、「一日」に対して、どういう言葉を持ってくるか・・。。考えた末、「ときめき」にしました。。止まったような、変化のない、死んだ、1番の「一日」に対して、2番では、動き始める、変わり始めた、生き返った、その原動力となるもの・・、ということで、「ときめき」を選びました。。「あなた」を去年の夏はまだ知らなかった、のは、この「ときめき」を知らなかったからです。。「あなた」とは、何でしょう?「彼氏」かもしれませんが、きっと、「情熱」とか「感動」とか「生きがい」みたいなものでしょうね。。あと、「~しなかった」という言い方の繰り返しも、準じます。。だからこみ上げる ときめき 優しくはしなかっただから迷ってる ときめき 手招きもしなかった(「ときめき」に対して擬人法を用いてます。。)まあ、1時間くらいで、この課題は出来上がりました。。現代では、スピードも作詞家の能力の1つです。。曲は、1番を見て、すぐに浮かんできました。。では、出来上がった作品をご覧ください。。(曲も聴いてみてくださいね。。)「去年の夏はまだ あなたを知らなかった」(歌詞と曲)「去年の夏はまだ あなたを知らなかった」(曲だけ聴く)
2006年01月03日
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今年の抱負なぞ、書いておこうと思います。。今年は、新曲を書く!思えば、もう5年くらい唄を書いていません。。(「悠久のセレナーデ」を2003年に書きましたが、たまたまイベントがあったからで、それ以外は2000年以降、新しい作品はゼロ。。)こんなに作詞作曲をしないなんて、人生において初めてのことです。。まあ、仕事がハードですから・・、唄を創作するには、膨大な暇な時間が必要だということです。。去年、ブログに自分の唄を載せて、多くの方に絶賛していただき、あらためて、思いました・・。。やっぱり、自分は天才だった・・、と。。ww (アホデス。。シカッテヤッテクダサイ。。)この才能を埋もらせておくのは、余りに勿体ない・・、と。。 (イッテヨシ。。)今さら、才能を金にしようとは、思いませんが、1曲でも新しい唄を作って、ここの住人の方に聴いてもらいたい、と思います。。自分でも、自分の作品に興味があります。。(どんな、凄いのができるのかと・・。。)今、単身赴任先には、楽器がないので、取り合えずギターでも買います。。あと、曲を発表するのに、楽譜の書けるブログとか、そういうのができると良いですよね。。楽譜の文書ソフトとか、できませんかね。。昔から思うんですけど。。2つめの抱負は、わが子をより天才にする。。長男の中学受験は来年ですが、国立大付属中の合格を確実なものにしておく。。長男は、去年12月末で少年野球チームを脱退したので(やっと僕のもとへ帰ってきました。。)、今年、長男にはバスケとテニスとギターを教えたいです。。それと、恋愛も・・。。3つめの抱負は・・、せっかく単身赴任をしているのだから、アイジンヲツクル。。いや、唄を書くためには、やっぱり恋をしないと、書けないじゃないですか。。ですから、芸術のために・・・。。ただ、時間が問題なんですよね。。金銭的にも問題ですけど。。まあ、われわれ40代は、やるべきことを、やるためには、時間との戦いに勝たなければならない、ってことですよね。。ちなみに、僕は結婚してから、一度も愛人を作ったことがありません。。浮気すら、したことがないんですよ。。(風俗だけ・・。。)生保の支部長をやってるのに、です。。働きすぎですよね・・。。30代のとき、何度かチャンスはありました。。でも、酒とか入ると、「まあ、今夜は帰ろう。。 いつでもできるし、また今度にしよう。。」って思っちゃうんですよね。。でも、今度、は、なかったです・・。。 まあ、女の人に恥をかかしちゃ、当たり前ですよね。。と、いうことで、今年はみなさん、僕と一緒に、一旗揚げましょう!
2006年01月02日
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「倖田來未」って、「岩下志麻」と「あびる優」をたして2で割った感じですよね。。あと、「神田うの」も少し入ってますか。。「New Year」ではないんですが、僕の唄に、「New Days」と、いうのがあるので、まあ、新年の唄ということで、聴いてみてください。。「New Days」(ゆうとの作詞作曲)
2006年01月02日
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