女のおっぱいや男のオチンチン が描かれたりするのは、ごく当たり前の話で、当時は、 そういったものがギャグ(笑い)の一部として認知されてましたので、今日のような過度に自粛させられる事もなかったのです。実際、私も、女の裸が出てくるマンガを児童期に相当数、読んでいたにも関わらず、それらの裸そのものは、ほとんど印象に残っていません。 女の裸もおっぱいも、そういうギャグのネタなのだと正しく認識して、そのマンガを読んでいたからです。
むしろ、 エロよりもグロの方が、心に衝撃を受ける事が多かったようで、ギャグ描写だと分かっていても、あまりにも残酷なシーンがマンガ内にあったりすると、そっちの方が長く精神的にトラウマになって、忘れられなかったのでした。(このへんが、のちの私のスプラッター映画好きにつながっていったのかもしれません)
それほど、子どもの心には透き通って写っていた、マンガ内の女性ヌードですが、その中でも、なぜかインパクトを感じたものもいくつかあります。その理由を探ってみますと、そうした印象的なヌードと言うのは、どうも、 エロだけではなくグロさも混ざっていたのが、子ども心にひどく焼き付いた原因 だったようです。
つまり、本当に注目していたのはグロ描写の方であり、そこに たまたまエロ要素もくっついていたものだから、そのエロ(裸)も頭にこびりついちゃった みたいなのであります。
私にとって、その代表的なケースが、まず、石ノ森章太郎の 「スカルマン」 なのでありました。
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