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2024年08月06日
対策
先週、同居している母(91歳)が熱中症にかかってしまい、長期入院となってしまいました。
もちろん、きちんと療養すれば、母は無事に退院できるのですが、それでも、一ヶ月近く、母と離れ離れとなると、自宅に残された私の方が、何やら、痛烈に淋しくなってきてしまいました。いわゆる、これが 「空の巣症候群」 と言う奴なのでしょうか。
今から四半世紀前、私は、自分の小説 「影の少女 rewrite」 の終盤部分で、このような事を書いておりました。
まさか、作者の私自身が、この心境になってしまうとは、思ってもおりませんでした。
とにかく、今のままでは、1ヶ月、心が持ちそうにありません。
そこで、気を引き締めて、現状に対処する事にいたしました。とりあえずは、母の事をすぐに思い出してしまわないように、 自宅にあった母の使用物のうち、すぐに目につくものを、一通り、しまってしまいました。
どうやら、これだけの対応を行なっただけでも、かなり気持ちが落ち着いてきたようです。あとは、母の退院の日を、静かに心待ちしたいと思います。
もちろん、きちんと療養すれば、母は無事に退院できるのですが、それでも、一ヶ月近く、母と離れ離れとなると、自宅に残された私の方が、何やら、痛烈に淋しくなってきてしまいました。いわゆる、これが 「空の巣症候群」 と言う奴なのでしょうか。
今から四半世紀前、私は、自分の小説 「影の少女 rewrite」 の終盤部分で、このような事を書いておりました。
まさか、作者の私自身が、この心境になってしまうとは、思ってもおりませんでした。
とにかく、今のままでは、1ヶ月、心が持ちそうにありません。
そこで、気を引き締めて、現状に対処する事にいたしました。とりあえずは、母の事をすぐに思い出してしまわないように、 自宅にあった母の使用物のうち、すぐに目につくものを、一通り、しまってしまいました。
どうやら、これだけの対応を行なっただけでも、かなり気持ちが落ち着いてきたようです。あとは、母の退院の日を、静かに心待ちしたいと思います。
2024年06月17日
欲が出る
長らく、 月30ギガの制限がかかっていた我が家のインターネット環境
でしたが、この度、ルーターを切り替える事で、 毎月、無制限で使えるようになりました。
すると、これまで我慢していた分、一気に、 あれもしたい、これもしたい、と言う欲 が湧いてきました。
ずっと貧乏生活を続けていた人間が、いきなり大金を手に入れる と、 つい、高いものを買いまくったりするのと同じですね。
私も、これまでは一日1ギガの制限のもと、何もかもを辛抱してきました。それが、何ギガでも使っていい事になりますと、 今まではギガを使いすぎる故に相手にしていなかったサービス が、どんどん頭によぎりだしました。 サブスクで映画も見まくりたい し、 ラインでテレビ通話とかも試してみたい のです。いずれも、 一日1ギガでは、とても手を出せなかったネット活用法でした。
なんだか、RPGのゲームで、 低いレベルでは行けなかった場所に、レベルが上がった事で、どんどん行けるようになった気分 なのであります。
まあ、そんな訳で、やりたい事がいっぱい増えましたので、今後は、 こちらの文筆活動のペースの方は、かなり鈍るかもしれません。(思えば、 30年ほど前、吹っ切れて、テレビゲームでガンガン遊び出した時 も、一気に文筆活動はペースダウンしたのでした)
すると、これまで我慢していた分、一気に、 あれもしたい、これもしたい、と言う欲 が湧いてきました。
ずっと貧乏生活を続けていた人間が、いきなり大金を手に入れる と、 つい、高いものを買いまくったりするのと同じですね。
私も、これまでは一日1ギガの制限のもと、何もかもを辛抱してきました。それが、何ギガでも使っていい事になりますと、 今まではギガを使いすぎる故に相手にしていなかったサービス が、どんどん頭によぎりだしました。 サブスクで映画も見まくりたい し、 ラインでテレビ通話とかも試してみたい のです。いずれも、 一日1ギガでは、とても手を出せなかったネット活用法でした。
なんだか、RPGのゲームで、 低いレベルでは行けなかった場所に、レベルが上がった事で、どんどん行けるようになった気分 なのであります。
まあ、そんな訳で、やりたい事がいっぱい増えましたので、今後は、 こちらの文筆活動のペースの方は、かなり鈍るかもしれません。(思えば、 30年ほど前、吹っ切れて、テレビゲームでガンガン遊び出した時 も、一気に文筆活動はペースダウンしたのでした)
タグ: インターネット
2024年05月12日
女の子のポスター
今から40年近くも前、まだ大学生だった私は、 出前のアルバイトなどをしておりました。
はっきり言って、 ひ弱な文系男子 だった私には、かなりキツい仕事でもあったのですが、色々あって、結局のところ、大学を卒業するまで、ずうっと、そのバイトを続けていたのでした。
自転車に乗って、町中を走り回って、不得手な接待の業務もこなして、しんどい事だらけだったのですが、そんな中でも、 ちょっとだけ、胸がときめく事 もありました。
それは、得意先のビルの何ヶ所かに、 女の子が笑っているポスター が貼ってあったのです。それが妙に可愛らしく見えて、そのポスターを目にするたびに、 疲れた私はほんのりと癒されたのでした。
それは、 消防のポスター でした。女の子は、ショートカットで、白いトレーナーを着ています。実は、この女の子とは、アイドルの 酒井法子 さんだったのでした。
当時の私は、そこまでアイドルに精通していませんでしたので、それに気がつかずに、彼女の正体も知らずに、ただ 「可愛いなあ」 と思っていたのでした。
その後、15年以上が経ち、インターネットの時代が来ると、ふと、私は、このポスターの事を思い出しました。 「ひょっとして、あのポスターのことが、何か、分かるのでは?」 と思って、ちょこちょこっと調べてみますと、すぐに、こうした真実が判明したのでした。
同時に、辛いバイトの最中の私を癒してくれた問題のポスターとも 再会する事ができたのです。(ちなみに、このポスターは ネトオクに出品されています ので、その気になれば、現物も入手できます)
今、見直してみると、確かに、このポスターの子は 酒井法子さんに違いない のですが、当時の私は、 「一般公募のシロウトの子かな」 などと妄想して、ほのかに恋心を抱いたりもしたのでした。
まあ、 なんとも甘酸っぱい青春時代の思い出の話 でありました。
はっきり言って、 ひ弱な文系男子 だった私には、かなりキツい仕事でもあったのですが、色々あって、結局のところ、大学を卒業するまで、ずうっと、そのバイトを続けていたのでした。
自転車に乗って、町中を走り回って、不得手な接待の業務もこなして、しんどい事だらけだったのですが、そんな中でも、 ちょっとだけ、胸がときめく事 もありました。
それは、得意先のビルの何ヶ所かに、 女の子が笑っているポスター が貼ってあったのです。それが妙に可愛らしく見えて、そのポスターを目にするたびに、 疲れた私はほんのりと癒されたのでした。
それは、 消防のポスター でした。女の子は、ショートカットで、白いトレーナーを着ています。実は、この女の子とは、アイドルの 酒井法子 さんだったのでした。
当時の私は、そこまでアイドルに精通していませんでしたので、それに気がつかずに、彼女の正体も知らずに、ただ 「可愛いなあ」 と思っていたのでした。
その後、15年以上が経ち、インターネットの時代が来ると、ふと、私は、このポスターの事を思い出しました。 「ひょっとして、あのポスターのことが、何か、分かるのでは?」 と思って、ちょこちょこっと調べてみますと、すぐに、こうした真実が判明したのでした。
同時に、辛いバイトの最中の私を癒してくれた問題のポスターとも 再会する事ができたのです。(ちなみに、このポスターは ネトオクに出品されています ので、その気になれば、現物も入手できます)
今、見直してみると、確かに、このポスターの子は 酒井法子さんに違いない のですが、当時の私は、 「一般公募のシロウトの子かな」 などと妄想して、ほのかに恋心を抱いたりもしたのでした。
まあ、 なんとも甘酸っぱい青春時代の思い出の話 でありました。
2024年04月20日
日立のCMソング
日立製作所のCMソング
と言えば、誰もがご存知の 「この木なんの木」の 「日立のうた」
です。
私の場合は、この歌は、海外ホラードラマ 「事件記者コルチャック」 と、記憶が結びついています。
なぜかと言いますと、およそ半世紀前、日本では、 「事件記者コルチャック」は、日曜の夜10時半から放送されていた からです。
この「コルチャック」を観るために、当時、小学生だった私は、一度、布団についてから、 10時半少し前に、わざわざ、また起きてきました。そして、 この「コルチャック」の手前の時間帯で放送されていた番組のエンディングで「日立のうた」が流れていた ように、覚えているのでした。
そのせいか、「日立のうた」を聞くと、私は、今でも、 ちょっと怖い気分になるのでした。(まさに、 「コルチャック」の影響 です)
さて、今回、この話を書く為に、この件について、少し、ネットで調べてみました。すると、この問題の「日立のうた」が流れていた番組とは、日立プレゼントの 「すばらしい世界旅行」 だったみたいです。
ところが、もっと良く、データを確認してみますと、 どうも情報が一致しません。wikipediaによりますと、 「コルチャック」が放送されていた時期(1976年)は、「すばらしい世界旅行」は日曜の夜7時半から放送されていたらしい のです。これまた、一体、どうして?
同じ日曜の放送だったので、 私が勘違いしていただけ だったのでしょうか。それとも、私が住んでいた地方の局では、 「すばらしい世界旅行」は夜10時半から放送されていた とか?
ひとまず、この謎については、しばらく保留のままで、まだ解けなさそうなのでした。
私の場合は、この歌は、海外ホラードラマ 「事件記者コルチャック」 と、記憶が結びついています。
なぜかと言いますと、およそ半世紀前、日本では、 「事件記者コルチャック」は、日曜の夜10時半から放送されていた からです。
この「コルチャック」を観るために、当時、小学生だった私は、一度、布団についてから、 10時半少し前に、わざわざ、また起きてきました。そして、 この「コルチャック」の手前の時間帯で放送されていた番組のエンディングで「日立のうた」が流れていた ように、覚えているのでした。
そのせいか、「日立のうた」を聞くと、私は、今でも、 ちょっと怖い気分になるのでした。(まさに、 「コルチャック」の影響 です)
さて、今回、この話を書く為に、この件について、少し、ネットで調べてみました。すると、この問題の「日立のうた」が流れていた番組とは、日立プレゼントの 「すばらしい世界旅行」 だったみたいです。
ところが、もっと良く、データを確認してみますと、 どうも情報が一致しません。wikipediaによりますと、 「コルチャック」が放送されていた時期(1976年)は、「すばらしい世界旅行」は日曜の夜7時半から放送されていたらしい のです。これまた、一体、どうして?
同じ日曜の放送だったので、 私が勘違いしていただけ だったのでしょうか。それとも、私が住んでいた地方の局では、 「すばらしい世界旅行」は夜10時半から放送されていた とか?
ひとまず、この謎については、しばらく保留のままで、まだ解けなさそうなのでした。
2024年03月20日
アーティスト 斉藤由貴
斉藤由貴
と聞けば、ほとんどの人にとっては、 アイドル
か 女優
、せいぜい、 歌手
ぐらいの認識しかないでしょうが、私にとっての彼女は アーティストでした。
と言いますのも、彼女は、当時(1980年代)としては珍しい、 文系のアイドル でして、 自分の歌の作詞をいっぱい行なっていた のです。もちろん、当時も著名なシンガーソングライターでしたら大勢おりましたが、でも、 作詞だけに特化した本格派アイドルとなると、かなり希少だったのです。
しかも、当時のアイドルは、戦略なのか、どのアイドルも、一、二曲ぐらいなら作詞も行なっていたのですが、その内容は、たいていは 無難な恋愛歌 でした。その点で比べても、 斉藤由貴の作詞 は、バリエーションが広く、特に ファンタジー風のものが主流で、そのへんも私の好みに合ったのでした。
最初に、私が彼女の作詞を知ったのは、多分、 「斉藤さんちのお客さま」 (1987年)と言うトーク番組だったと思います。もちろん、彼女が主役の番組です。この番組の中で、彼女は 自作の小説の朗読 をして、さらには、エンディングが彼女の作詞曲 「家族の食卓」 だったのです。
で、この「家族の食卓」と言う曲に惹かれた私は、さっそく、この曲が収録されているアルバム 「風夢」 (1987年)を聴いてみたのでした。すると、斉藤由貴がけっこうな量の作詞も行なっていた事を知り、なんとなくズブズブはまりだして、以後、 彼女の作詞目当てで、彼女のアルバムを聴きまくるようになった訳です。
ちなみに、「風夢」の収録曲( 「風・夢・天使」「眠り姫」「体育館は踊る」 )は、あまりにも気に入りすぎて、当時、私が作ったアマチュア映画のBGMにも使わせてもらった程なのでした。(おかげで、とても可愛いイメージの映画が撮れました)
それ以降、私は、 「LOVE」 (1991年)まで、斉藤由貴のアルバムを聴き続けました。斉藤由貴自身は、その後も歌い続けていたのですが、私の方が聴かなくなってしまったのは、彼女の新作アルバムの発表が不定期になり、 発売時期を私がすっかり見失ってしまったからです。でも、今更になって、その後の彼女の作品が聴いてみたいとも思い始めております。
なお、斉藤由貴の作詞曲は、「風夢」以外にも秀作が多いのですが、私なりにオススメを選ぶとすると、やはり、アルバム 「MOON」 (1990年)こそがベストではないかと思います。このアルバムは、 全作詞が斉藤由貴 で、その上で、アルバムそのものも、 彼女の演出による、ちょっとした物語仕立てになっているのであります。この「MOON」が、私の作品 「秘密美少女ドクガール」 に影響を与えた事については、確か、別の場所でも書きました。
驚く事に、こうした斉藤由貴の作詞曲の数々は、 いっさい、彼女のメジャーなヒット曲にはなっていません。斉藤由貴の歌と言えば、 「卒業」 とか 「悲しみよこんにちは」 とか 「夢の中へ」 ぐらいしか思い浮かばない人が大多数じゃないかと思います。でも、だからこそ、斉藤由貴の作詞曲ばかりを追っ掛けていた私は、逆に、 彼女の通のファンを気取ったりもしていた のでした。
まあ、最近の斉藤由貴と言えば、 不倫騒動を起こしたお騒がせ女優のイメージを持つ人もいるかも知れませんが、斉藤由貴の作詞曲を聴けば、彼女が かなりの強い恋愛体質 だった事がよく分かります。つい不倫しちゃったのも、この恋愛体質の負の側面だったのだと考えれば、なんとなく頷けたりもするでしょう。
と言いますのも、彼女は、当時(1980年代)としては珍しい、 文系のアイドル でして、 自分の歌の作詞をいっぱい行なっていた のです。もちろん、当時も著名なシンガーソングライターでしたら大勢おりましたが、でも、 作詞だけに特化した本格派アイドルとなると、かなり希少だったのです。
しかも、当時のアイドルは、戦略なのか、どのアイドルも、一、二曲ぐらいなら作詞も行なっていたのですが、その内容は、たいていは 無難な恋愛歌 でした。その点で比べても、 斉藤由貴の作詞 は、バリエーションが広く、特に ファンタジー風のものが主流で、そのへんも私の好みに合ったのでした。
最初に、私が彼女の作詞を知ったのは、多分、 「斉藤さんちのお客さま」 (1987年)と言うトーク番組だったと思います。もちろん、彼女が主役の番組です。この番組の中で、彼女は 自作の小説の朗読 をして、さらには、エンディングが彼女の作詞曲 「家族の食卓」 だったのです。
で、この「家族の食卓」と言う曲に惹かれた私は、さっそく、この曲が収録されているアルバム 「風夢」 (1987年)を聴いてみたのでした。すると、斉藤由貴がけっこうな量の作詞も行なっていた事を知り、なんとなくズブズブはまりだして、以後、 彼女の作詞目当てで、彼女のアルバムを聴きまくるようになった訳です。
ちなみに、「風夢」の収録曲( 「風・夢・天使」「眠り姫」「体育館は踊る」 )は、あまりにも気に入りすぎて、当時、私が作ったアマチュア映画のBGMにも使わせてもらった程なのでした。(おかげで、とても可愛いイメージの映画が撮れました)
それ以降、私は、 「LOVE」 (1991年)まで、斉藤由貴のアルバムを聴き続けました。斉藤由貴自身は、その後も歌い続けていたのですが、私の方が聴かなくなってしまったのは、彼女の新作アルバムの発表が不定期になり、 発売時期を私がすっかり見失ってしまったからです。でも、今更になって、その後の彼女の作品が聴いてみたいとも思い始めております。
なお、斉藤由貴の作詞曲は、「風夢」以外にも秀作が多いのですが、私なりにオススメを選ぶとすると、やはり、アルバム 「MOON」 (1990年)こそがベストではないかと思います。このアルバムは、 全作詞が斉藤由貴 で、その上で、アルバムそのものも、 彼女の演出による、ちょっとした物語仕立てになっているのであります。この「MOON」が、私の作品 「秘密美少女ドクガール」 に影響を与えた事については、確か、別の場所でも書きました。
驚く事に、こうした斉藤由貴の作詞曲の数々は、 いっさい、彼女のメジャーなヒット曲にはなっていません。斉藤由貴の歌と言えば、 「卒業」 とか 「悲しみよこんにちは」 とか 「夢の中へ」 ぐらいしか思い浮かばない人が大多数じゃないかと思います。でも、だからこそ、斉藤由貴の作詞曲ばかりを追っ掛けていた私は、逆に、 彼女の通のファンを気取ったりもしていた のでした。
まあ、最近の斉藤由貴と言えば、 不倫騒動を起こしたお騒がせ女優のイメージを持つ人もいるかも知れませんが、斉藤由貴の作詞曲を聴けば、彼女が かなりの強い恋愛体質 だった事がよく分かります。つい不倫しちゃったのも、この恋愛体質の負の側面だったのだと考えれば、なんとなく頷けたりもするでしょう。
2023年08月10日
フィンガー5
今回は、実家にあった フィンガー5
の LPレコード(多分、姉が買ったレコード)の話を書こうと思ったのですが、これが 思ったよりもクセモノ
です。毎度おなじみ wikipedia で調べてみたのですが、 該当商品の情報が掲載されていなかったのです。
確か、 フィンガー5のヒット曲アルバム だと思ったのですが、wikipedia には、その情報は納められていません。
仕方ないので、 「フィンガー5」「アルバム」「ベストヒット」 などの単語を組み合わせて、ググってみたのですが、ヒットするのは、CDで発売された最近のアルバム 「ゴールデン☆ベスト フィンガー5」 (2003年)ばかり。いちおう、収録曲を確認してみましたが、私んちにあったレコードとは、 かなりラインナップが違っておりました。
CD発売されたフィンガー5のヒット曲集は、他にも、 「フィンガー5 ベスト&ベスト」 (2010年)や 「フィンガー5 ベストアルバム」 (2008年)などもあるのですが、いずれも、レコード盤に収録されているラインナップとは内容が一致しておりません。
それでも、記憶だけを頼りに探し続けていますと、ようやく、 「これだ!」と言うのを発見できたのでした。
「フィンガー5 ゴールデン・ヒット」 (1974年)
収録曲は、
A面
「恋の大予言」
「上級生」
「恋のアメリカン・フットボール」
「学園天国」
「恋のダイヤル6700」
「個人授業」
「つばさがあれば」
「サインはウイッシュ」
「恋のハートビート」
「ステッピン・ストーン」
B面
「フィンガー5のテーマ」
「恋の研究」
「おませなデート」
「ワン・バッド・アップル」
「オキナワへ帰ろう」
「白いパーティー・ドレス」
「気になる女の子」
「朝が眠いよ」
「銀の十字架」
「バラの少女」
となっており、念のために、 カセットテープに落としてあった、そのレコードの中身 と照合したのですが、確かに、このラインナップで間違いありません。
なんか、また一つ、 子供時代のモヤモヤが解消して、ホッとしたのでした。
それにしても、このレコード盤の選曲なのですが、 CD盤には採用されなかった曲 も、かなり混ざっています。 「サインはウイッシュ」「ワン・バッド・アップル」「気になる女の子」「朝が眠いよ」 など、私が好きだった曲もけっこう入っていましたので、どうせなら、 このレコード盤をCDで復刻してほしかったのであります。
確か、 フィンガー5のヒット曲アルバム だと思ったのですが、wikipedia には、その情報は納められていません。
仕方ないので、 「フィンガー5」「アルバム」「ベストヒット」 などの単語を組み合わせて、ググってみたのですが、ヒットするのは、CDで発売された最近のアルバム 「ゴールデン☆ベスト フィンガー5」 (2003年)ばかり。いちおう、収録曲を確認してみましたが、私んちにあったレコードとは、 かなりラインナップが違っておりました。
CD発売されたフィンガー5のヒット曲集は、他にも、 「フィンガー5 ベスト&ベスト」 (2010年)や 「フィンガー5 ベストアルバム」 (2008年)などもあるのですが、いずれも、レコード盤に収録されているラインナップとは内容が一致しておりません。
それでも、記憶だけを頼りに探し続けていますと、ようやく、 「これだ!」と言うのを発見できたのでした。
「フィンガー5 ゴールデン・ヒット」 (1974年)
収録曲は、
A面
「恋の大予言」
「上級生」
「恋のアメリカン・フットボール」
「学園天国」
「恋のダイヤル6700」
「個人授業」
「つばさがあれば」
「サインはウイッシュ」
「恋のハートビート」
「ステッピン・ストーン」
B面
「フィンガー5のテーマ」
「恋の研究」
「おませなデート」
「ワン・バッド・アップル」
「オキナワへ帰ろう」
「白いパーティー・ドレス」
「気になる女の子」
「朝が眠いよ」
「銀の十字架」
「バラの少女」
となっており、念のために、 カセットテープに落としてあった、そのレコードの中身 と照合したのですが、確かに、このラインナップで間違いありません。
なんか、また一つ、 子供時代のモヤモヤが解消して、ホッとしたのでした。
それにしても、このレコード盤の選曲なのですが、 CD盤には採用されなかった曲 も、かなり混ざっています。 「サインはウイッシュ」「ワン・バッド・アップル」「気になる女の子」「朝が眠いよ」 など、私が好きだった曲もけっこう入っていましたので、どうせなら、 このレコード盤をCDで復刻してほしかったのであります。
2023年07月27日
「およげ!たいやきくん」って
「およげ!たいやきくん」 (1975年)とは、言わずと知れた、 オリコン調べ450万枚以上を売り上げた、伝説の史上最大のヒット曲 です。
今、思い返しますと、 そこまで人気が出るほどの名曲だったのだろうか と言う気もするのですが、よく考えたら、「たいやきくん」のレコードは、 私もしっかり持っていたのでした。
当時、小学生低学年だった私は、自分のレコードと言えば、 雑誌のおまけのソノシートぐらいしか持っていなかった のに、なぜか、「たいやきくん」だけは 新品のシングル盤を買ってもらえたのであります。それを思いますと、確かに、 「たいやきくん」は、レコードとしては、そうとう売れたのかな、 と納得もできてくるのでした。
ちなみに、「たいやきくん」レコードを持っていたと言う事は、B面の 「いっぽんでもニンジン」 も、当時の私は、さんざん聴いていて、当たり前のように歌えたのでありました。
2023年05月12日
私とビートルズ
私がまだ高校生だった頃の話です。
当時、私は、例によって、姉が持っていた録音済みカセットテープを、勝手に漁って、勝手に聴かせてもらっておりました。
これまでに手に取った事がなかったテープもありましたので、チャレンジして、聴いてみましたら、これが全くの洋楽です。全部の曲が、英語の歌詞なのです。でも、聴き慣れていくうちに、私は、この洋楽がひどく気に入ってしまったのでした。
そこで、私は、このテープを姉に見せて、誰の曲なのかを尋ねてみました。
すると、姉は 「ビートルズだ」 と言います。
しかし、私は疑って、その言葉をすぐに信じなかったのでした。
と言うのも、当時の私は、ビートルズなんて有名すぎて、逆に、ろくに聴いた事もなかったからです。知っているのは、 「イエスタデイ」 とか 「ア・ハード・デイズ・ナイト」 クラスの超メジャー曲ぐらいなもので、私にとってのビートルズのイメージは、その程度のものだったのでした。
そんな訳で、あやふやなまま、そのテープの洋楽の件は、ずっと放ったらかしになっていたのです。
で、それから間もなくして、私は大学へと進学したのですが、そこで受けた英語の学科で、教科書にビートルズが使われておりました。
この時、授業で引用された曲の中に、 バッチリ、例のテープの洋楽が含まれていたのでした。私は、あらためて、強いショックを受けたのであります。
やっぱり、姉の言っていた事は間違っていなかったのです。こうして、はっきりとした確信を得ましたので、私は、さっそく、貸しレコード屋に向かって、速攻で、ビートルズのアルバムを借りてきたのでありました。
曲名さえ分かれば、あとは探すのは簡単です。
例のテープに入っていた曲の収録アルバムは、 「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」 と 「アビイ・ロード」 でした。ちょっとでもビートルズを分かっている人ならば、当然ご存知のアルバムだったのですが、こんな常識ですら、当時の私は知らなかったのでした。
ちなみに、姉の持っていたテープは、ビートルズ本人の音声ではなく、 誰かのカバー版だったようです。どうやら、姉も友人あたりから貰ったものだったらしくて、このテープにはあまり思い入れがなかったみたいで、実は、テープの半分ほどは、すでに消されており、 さだまさし の歌が上から録音されていたのでした。
とにかく、私としては、ようやく、謎の曲の正体も判明して、とても満足なのです。
これらの曲のうち、私が特に気に入っていたのは、 「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」「ゲッティング・ベター」「フィクシング・ア・ホール」「シーズ・リーヴィング・ホーム」「グッド・モーニング・グッド・モーニング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」 と言った辺りでした。
名曲も、けっこう混ざっていますね。 本当に良い曲と言うのは、大衆に受けるだけではなく、私のような偏屈なオタクの心にだって響く、 と言う事だったのでありましょうか。
当時、私は、例によって、姉が持っていた録音済みカセットテープを、勝手に漁って、勝手に聴かせてもらっておりました。
これまでに手に取った事がなかったテープもありましたので、チャレンジして、聴いてみましたら、これが全くの洋楽です。全部の曲が、英語の歌詞なのです。でも、聴き慣れていくうちに、私は、この洋楽がひどく気に入ってしまったのでした。
そこで、私は、このテープを姉に見せて、誰の曲なのかを尋ねてみました。
すると、姉は 「ビートルズだ」 と言います。
しかし、私は疑って、その言葉をすぐに信じなかったのでした。
と言うのも、当時の私は、ビートルズなんて有名すぎて、逆に、ろくに聴いた事もなかったからです。知っているのは、 「イエスタデイ」 とか 「ア・ハード・デイズ・ナイト」 クラスの超メジャー曲ぐらいなもので、私にとってのビートルズのイメージは、その程度のものだったのでした。
そんな訳で、あやふやなまま、そのテープの洋楽の件は、ずっと放ったらかしになっていたのです。
で、それから間もなくして、私は大学へと進学したのですが、そこで受けた英語の学科で、教科書にビートルズが使われておりました。
この時、授業で引用された曲の中に、 バッチリ、例のテープの洋楽が含まれていたのでした。私は、あらためて、強いショックを受けたのであります。
やっぱり、姉の言っていた事は間違っていなかったのです。こうして、はっきりとした確信を得ましたので、私は、さっそく、貸しレコード屋に向かって、速攻で、ビートルズのアルバムを借りてきたのでありました。
曲名さえ分かれば、あとは探すのは簡単です。
例のテープに入っていた曲の収録アルバムは、 「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」 と 「アビイ・ロード」 でした。ちょっとでもビートルズを分かっている人ならば、当然ご存知のアルバムだったのですが、こんな常識ですら、当時の私は知らなかったのでした。
ちなみに、姉の持っていたテープは、ビートルズ本人の音声ではなく、 誰かのカバー版だったようです。どうやら、姉も友人あたりから貰ったものだったらしくて、このテープにはあまり思い入れがなかったみたいで、実は、テープの半分ほどは、すでに消されており、 さだまさし の歌が上から録音されていたのでした。
とにかく、私としては、ようやく、謎の曲の正体も判明して、とても満足なのです。
これらの曲のうち、私が特に気に入っていたのは、 「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」「ゲッティング・ベター」「フィクシング・ア・ホール」「シーズ・リーヴィング・ホーム」「グッド・モーニング・グッド・モーニング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」 と言った辺りでした。
名曲も、けっこう混ざっていますね。 本当に良い曲と言うのは、大衆に受けるだけではなく、私のような偏屈なオタクの心にだって響く、 と言う事だったのでありましょうか。
2022年12月28日
YMO
YMO
、すなわち、 イエロー・マジック・オーケストラ
が大いに流行ったのは、私が中学生の頃でした。
当時は、何しろ、どこに行っても、YMOの曲が流れていました。 うちの学校の給食時間の校内放送 でも使われておりました。私の兄までもが、YMOのカセットテープ( 「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」 )を買ってきて、 車の運転中にガンガン聴いていた ぐらいです。
そんな環境でしたから、私も、大ファンと言うほどではありませんが、YMOの曲には、それなりに思い入れがあるのでした。近年、私が perfume の歌を聴くようになったのも、perfume の歌がYMOの音楽に似た曲調だった事に、 ひどく懐かしみを抱いたからです。
で、特に好きだったYMOの曲と言うのが、私の場合だと、やっぱり、 当時、読んでいたマンガや小説などとリンクして、記憶には残っている のでした。
例えば、あの頃は、私は、 都筑道夫氏の怪奇小説 を知ったばかりで、どっぷりとハマって、集中して、読んでいました。この都筑氏の小説と脳内で結びついてしまったYMOの曲が、 「インソムニア」 です。
また、 「デイ・トリッパー」 を聴くと、なぜか 「キン肉マン」 が思い浮かんでしまいます。YMOが流行った頃と言えば、「キン肉マン」の雑誌連載は、ちょうど、 超人オリンピックや悪魔超人編 などで盛り上がっていた時期だったのです。
吾妻ひでお氏の 「きまぐれ悟空」 をサンコミックス版(朝日ソノラマ)で読破したのも、大体この頃でして、どう言う訳だか、私の中では、 「キャスタリア」 は、 「きまぐれ悟空」の壮大なエンディングのBGMにと指定されてしまっています。
他にも、 「ラップ現象」 とか 「君に、胸キュン。」 なども好きだったのですが、これらの曲は、どちらかと言うと、私自身が書いた当時のシロウト小説と紐付いていたのでした。
当時は、何しろ、どこに行っても、YMOの曲が流れていました。 うちの学校の給食時間の校内放送 でも使われておりました。私の兄までもが、YMOのカセットテープ( 「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」 )を買ってきて、 車の運転中にガンガン聴いていた ぐらいです。
そんな環境でしたから、私も、大ファンと言うほどではありませんが、YMOの曲には、それなりに思い入れがあるのでした。近年、私が perfume の歌を聴くようになったのも、perfume の歌がYMOの音楽に似た曲調だった事に、 ひどく懐かしみを抱いたからです。
で、特に好きだったYMOの曲と言うのが、私の場合だと、やっぱり、 当時、読んでいたマンガや小説などとリンクして、記憶には残っている のでした。
例えば、あの頃は、私は、 都筑道夫氏の怪奇小説 を知ったばかりで、どっぷりとハマって、集中して、読んでいました。この都筑氏の小説と脳内で結びついてしまったYMOの曲が、 「インソムニア」 です。
また、 「デイ・トリッパー」 を聴くと、なぜか 「キン肉マン」 が思い浮かんでしまいます。YMOが流行った頃と言えば、「キン肉マン」の雑誌連載は、ちょうど、 超人オリンピックや悪魔超人編 などで盛り上がっていた時期だったのです。
吾妻ひでお氏の 「きまぐれ悟空」 をサンコミックス版(朝日ソノラマ)で読破したのも、大体この頃でして、どう言う訳だか、私の中では、 「キャスタリア」 は、 「きまぐれ悟空」の壮大なエンディングのBGMにと指定されてしまっています。
他にも、 「ラップ現象」 とか 「君に、胸キュン。」 なども好きだったのですが、これらの曲は、どちらかと言うと、私自身が書いた当時のシロウト小説と紐付いていたのでした。
2022年12月01日
渡辺美里
「オタクのお前には、あまりにも似つかわしくない」と言われるかもしれませんが、一時期、私は、 渡辺美里
の歌をよく聴いておりました。
テレビで流れていた彼女のヒット曲(1986年 「My Revolution」 や 「Teenage Walk」 )を聴いていて、続けて二曲ほど 「いいなあ」と思えたので、思い切って、アルバム(1986年 「Lovin' you」 )にも手を出してみたのです。そしたら、私の勘は当たっていて、そこそこにハマってしまったのでした。 名曲とは、聴く人のタイプや人種を超えて、誰の心にでも響くものなのであります。(同じようなパターンで、のちに、私は、 平松愛理 の歌にもハマりました)
当時(1985年ごろ)は、私も 大学に進学して、田舎から大都会の札幌へと引っ越しすると言う、メンタル的にも不安定で、不安や期待などが強く入り混じっていた時期でもありました。そのせいか、今になって、あらためて、渡辺美里の歌を聴き返してみますと、 当時のワクワクした希望に溢れた気持ちが蘇ってくる のであります。
そんな訳で、当時は、私は、貸レコード屋から、 渡辺美里のレコードを片っ端から借りまくっていました。「Lovin' you」以前のアルバム 「eyes」 (1985年)も聴きました。アルバムに収録されていなかったシングル(1985年 「I'm Free」 など)もきちんと借りてきました。そうやって、 けっこう熱心なファンだったのでした。もっとも、さすがに、コンサートを観に行くほどではありませんでしたが。
特に好きだった曲は、 「きみに会えて」 (「eyes」収録)、 「そばにいるよ」「君はクロール」 (「Lovin' you」の「HERE」収録)、 「A Happy Ending」 (「Lovin' you」の「THERE」収録)、 「HERE COMES THE SUN〜ビートルズに会えなかった〜」 (1987年「BREATH」収録)、 「Tokyo Calling」 (1988年「ribbon」収録)、 「ムーンライト ダンス」 (1989年「Flower bed」収録)と言ったあたりです。あんまり意識していませんでしたが、 私も意外と小室哲哉の曲が気に入っていたみたいです。
札幌に住み始めたばかりの頃の私は、こんな感じで、 渡辺美里 や 松任谷由実 、あとは、 伊藤かずえ とか 安田成美 などを好んで聴いておりました。それが、都会の生活に慣れてきますと、次第に、劇場で映画を観るようになり、それと並行するように、 映画のサントラばかりを聴き集めるような音楽生活スタイルへと変わっていったのです。
テレビで流れていた彼女のヒット曲(1986年 「My Revolution」 や 「Teenage Walk」 )を聴いていて、続けて二曲ほど 「いいなあ」と思えたので、思い切って、アルバム(1986年 「Lovin' you」 )にも手を出してみたのです。そしたら、私の勘は当たっていて、そこそこにハマってしまったのでした。 名曲とは、聴く人のタイプや人種を超えて、誰の心にでも響くものなのであります。(同じようなパターンで、のちに、私は、 平松愛理 の歌にもハマりました)
当時(1985年ごろ)は、私も 大学に進学して、田舎から大都会の札幌へと引っ越しすると言う、メンタル的にも不安定で、不安や期待などが強く入り混じっていた時期でもありました。そのせいか、今になって、あらためて、渡辺美里の歌を聴き返してみますと、 当時のワクワクした希望に溢れた気持ちが蘇ってくる のであります。
そんな訳で、当時は、私は、貸レコード屋から、 渡辺美里のレコードを片っ端から借りまくっていました。「Lovin' you」以前のアルバム 「eyes」 (1985年)も聴きました。アルバムに収録されていなかったシングル(1985年 「I'm Free」 など)もきちんと借りてきました。そうやって、 けっこう熱心なファンだったのでした。もっとも、さすがに、コンサートを観に行くほどではありませんでしたが。
特に好きだった曲は、 「きみに会えて」 (「eyes」収録)、 「そばにいるよ」「君はクロール」 (「Lovin' you」の「HERE」収録)、 「A Happy Ending」 (「Lovin' you」の「THERE」収録)、 「HERE COMES THE SUN〜ビートルズに会えなかった〜」 (1987年「BREATH」収録)、 「Tokyo Calling」 (1988年「ribbon」収録)、 「ムーンライト ダンス」 (1989年「Flower bed」収録)と言ったあたりです。あんまり意識していませんでしたが、 私も意外と小室哲哉の曲が気に入っていたみたいです。
札幌に住み始めたばかりの頃の私は、こんな感じで、 渡辺美里 や 松任谷由実 、あとは、 伊藤かずえ とか 安田成美 などを好んで聴いておりました。それが、都会の生活に慣れてきますと、次第に、劇場で映画を観るようになり、それと並行するように、 映画のサントラばかりを聴き集めるような音楽生活スタイルへと変わっていったのです。