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2018年02月05日
北条かやの 若者の「節分離れ」は、恵方巻きのブラックノルマが原因である
HARBOR BUSINESS Online より経済では 大抵のことは 結果がよければ プロセスの問題は みんなで示し合わせたかのごとく なかったことにされる。 なかったことにしてきた。 だから売ってしまえば ノルマでも何でも 泣く泣く買わされた側は 泣くしかない。 それでも何らかの形で 代償が支払われたり お金以外の要素で 報われれば 泣くしかなくとも それ以上の行動は 現れなかった。 そして昭和は 経済を 仲間意識で 乗り切って行った。 そして 乗り切れると思ってしまった。 今の時代 ノルマを押し付けられて 絶望感に浸った若者の心情は 昭和の仲間意識の思い出に浸って 現代の若者を批判的に眺めて 疎ましく思っている中高年には 理解できるレベルではない。 ノルマは 結局、親族か友人に買ってもらうしかない。 もしそれ以外のところへ 大量に捌く才覚があったら その人はバイトなどしてる場合ではない 早く起業した方が良い。 昭和の時代は 困った時に親族や友人に協力を求めることは 社会的にありだった。 しかし今の若者世代は それはむしろやりたくないこと やってはいけないことの上位に入る。 昔は困ったことは親しい人に助けてもらったが 今は 親しい人には迷惑をかけられない と考える。 だから 特に都市部の若者にとって ノルマの苦しみは コンビニのエライ人たちが 想像しうるようなレベルではなかった。 そのエネルギーは 節分という伝統行事も 悪いイメージで塗りつぶすに十分なほどだ。 巻き寿司を節分に食べる習慣は 関西の一部に確かにあったようだが 「恵方巻き」 という言葉はごく近年のもののようだ。 考えるひとからすれば 苦心の上生み出したビジネスモデルかもしれない。 そのことに全く敬意を払わないというのはない。 しかし あえて言わせてもらえば WIN-WINの状態を目指したものではないということだ。 長続きさせたり 長期的に発展するモデルであるためには WIN-WINでなくてはいけない。北条かやの 若者の「節分離れ」は、恵方巻きのブラックノルマが原因である
北条かやの「炎上したくないのは、やまやまですが」【その13】
関西の風物詩が、ここ数年で「ブラック」「ノルマ」のイメージに
恵方巻きといえば、 関西における節分の風物詩。 それがここ数年、 全国チェーンのコンビニやスーパーなどの影響で 一気に広まった。 筆者が京都の大学生だった10年前は、 まだ恵方巻きは関西限定のイメージが強く、 東京ではほとんど見かけなかったように思う。 しかし、日本人は信仰心が深いのか、 季節ごとにご利益のある食べ物を きちんとありがたがる性質があるようで、 今では全国どこのコンビニでも 恵方巻きを拝めるようになった。 その過程にあるコンビニ各社の 「商魂たくましさ」の犠牲になったのが、 若きアルバイト店員たちだ。 2009年頃から「ブラック企業」なる言葉が 世間に浸透しはじめたのは周知の事実だが、 最近では学生バイトに無理やりノルマを課したり、 学業に支障をきたすような 長時間シフトを押し付けたりする 「ブラックバイト」が問題になっている。 例としてよく出されるのが 「コンビニの季節商品ノルマ」だ。 クリスマスケーキやおせち、 そして恵方巻きが、まさにそれ。 ツイッターでは、 「恵方巻きのノルマで○本買わされた」とか、 「恵方巻きとかここ5年で浸透した浅い行事に ノルマを付けるコンビニ業界」 等のつぶやきが散見される。 郵便局員が年賀はがきや季節ギフトを買わされる 「自爆営業」のごとく、 1人ではとうてい食べきれない量の 海苔と白米でできた 重たい棒状の風物詩を押し付けられる若者は、 本当に報われない。 あまりに犠牲になるアルバイトが多いため、 コンビニ業界も 近年はそこまでゴリ押しはしていないようだが、 恵方巻きにまとわりついた 「ノルマ」「ブラック」というイメージは なかなか消えない。 このマイナスイメージこそ、 若者の「節分離れ」を招いた 要因のひとつではないか。 コンビニ業界が勝手に、 商業化された伝統文化を押し付け、 追いつかない需要をブラックノルマで 埋め合わせようとした結果、 若者が節分から逃げ出したのではないかと思う。 言葉ができれば、 概念ができる。 今までおかしいと思っていたモヤモヤに、 多くの人が気づくようになっただけのこと。 若者よ、 節分から離れたって何の問題もない。 いらない寿司の棒を消費する主体になんぞ、 ならなくてもよろしいのである。