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2014年11月18日

ミャンマーの旅9

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ヤンゴン市内を歩いていると「インド人街」と言うのがあったので、早速行ってみた。
確かにインド人っぽい肌の色をした人がいて、屋台とかもインドのサモサなどを売っていてインドが近いのが肌で実感できた。インド人街は、安宿から近くてヤンゴン中心部から歩いて行ける距離でもある。
特にインド人街で欲しい物は見当たらないが、ここで少しはインドに慣れておくのも良いかなと思い訪れてみた。

ヤンゴンにいても、かなり開けた町なので夜中を歩いても危ない目にあったりはしなかった。しかも、夜はクラブもあって、軍事主義国家と構えていたが安全な所であった。
ヤンゴンには、また戻ってくるので、先を急ぐ為にバガンのバスチケットを買いに出かけてみた。
バスチケットは、エアコン有とエアコン無で料金が違ったが、ほんの$1だけしか変わらなかった。$1でも
大金なミャンマー人もいるので、たった$1とは言えないが、この猛暑の中で1泊2日の移動では
エアコン付でないとバテテしまう恐れがあるので、エアコン付チケットを3枚購入して明日の出発で
バガンに向かう。食事は相変わらず、中華レストランと
インドカレー・サフランライスのどちらかしか行かなかった。1日だけ、西森さんがミャンマー料理の
屋台でトライしてみたが、自分は食べる気がしなかった。西森さんは「ビジュアルは悪いけど結構いける!」
と言っていたが、どうも食べる気にならなかった。
ヤンゴンを出る前の夜に1回だけ、マクドナルドみたいなファストフードに入ってみた。
ハンバーガーとポテトを食べたが、こちらはまずまずの味であった。だが外資系のファストフード店はないので、それに似た店しかないのが不便な所であった。
さあ、明日はバガンに向けて移動になるので早めの就寝をして体力を温存して眠りについた。


2014年11月16日

ミャンマーの旅8

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ヤンゴンの朝を迎えたが相変わらず東南アジアの暑さだ。この安宿に朝食が付いているのは嬉しかった。パン2枚、バナナ、コーヒーと果物があるのは暑さで弱った体を守ってくれるのでありがたい。朝食をバルコニーで済ませて、シャワーを浴びにシャワー室へと向かったが、清掃員が6名ほどいてシャワー室前で座って話している。最初はマナーの悪い人達だと思ったが、控室がなくて、シャワー室の前が控室になっている事を知った。夜中も暑くて汗をかいたので、朝のシャワーは気持ちがいい。シャワーを浴びると、てっちゃんと西森さんは市場へ出掛けようと行ってきたので市場へ向かった。途中に映画館を見つけて、どこかで見た事のある絵だな。なんて思っていたら、なんと『タイタニック』であった。ヤンゴンは5年遅れでブームが来ているみたいで、映画館前は人でごった返している。その人を避けるように市場へ近付いて行ったが、市場は更に人でごった返していた。どこから見ていいか分からなかったが人の流れに沿って歩くしか方法がなかった。特に市場で買いたい物はなかったのだが、意外と日本語で話しかけてくる人もいたので日本語をどこで習ったか分からないが苦笑しながら市場を歩いていた。市場からの帰り道にカレー屋を見つけたので入ってみたが、入った瞬間に停電になり発電機が回り始めた。カレーは美味しかったが、ご飯がサフランで香料がキツかったが他の2人は大満足していた。暑い所でのカレーは中々いいな。とも思ったが、着実にインドに近づいているのが実感出来た事にも満足していた。


2014年11月15日

ミャンマーの旅7

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ヤンゴンの街が更にうるさくなったのは、自家発電機が回り出したせいだった。そう、ブラックアウト(停電)になったのだった。たまたまのブラックアウトに遭遇したのかと思ったら、通電されている時間の方が短い事が後で分かった。電力の供給が追いついていなく1日に何回も停電が起こるので一週間もいると慣れてしまうが、最初の一週間は店先の発電機が回り出すと耳が痛くなった。良く目にするのが、小さいのだと赤いホンダの発電機で、日本でも良く見かけるタイプだ。どこも発電機は日本企業のが多くて、それでも静音タイプだが、各店舗や家が一斉に使うので騒音になる。そのうるさい中を歩き宿へと帰ってきた。宿には他の日本人バックパッカーもいてヤンゴンでは日本人バックパッカーが少ないせいか、すぐに話しかけあって仲良くなれる。楽しいヤンゴン初日は疲れと共に終わっていった。


2014年11月14日

ミャンマーの旅6

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早速出てきたご馳走を見てみたが、見た目も悪くないし、おまけに1人1つのスープが付いてきた。炒飯の味も美味しく、炒め物も中々美味で他の料理もシェアして食べたが美味しかった。これで1人当たり300円いかないくらいだったら毎日来てしまいそうだ。オジサンは日本で働いた金で、今は暮らしているらしくヤンゴンで仕事はしていないので暇をしているので電話番号を教えてくれた。うちらも泊まっている宿を教えたが、さすが地元人、ホワイトハウスは知っていた。中華レストランで食べ終わって外に出てから、オジサンとは別れた。公園が綺麗に管理されていたので散策しながら宿に戻るルートを取った。公園の入口付近には座って食べる屋台があったので一軒一軒覗いて見たが、どれもミャンマー料理で見た目からして口に合わなそうであった。公園を抜けるとヤンゴンの中心のスーレーパゴダがある。街は碁盤の目になっているので1日で覚えてしまえるほど分かりやすい。てっちゃんが何か人が集まっている所があるから行ってみよう!と言うので行ってみたら、コンタクトレンズの店だった。最初は、コンタクトレンズか。と思ったが値段を聞いてビックリ!1ケース8枚入で200円程度。目の検査はコンタクトレンズを購入すれば無料との事で集まっている人達は、コンタクトレンズって何だ?って思ってる野次馬が多いので、すぐに買う事が出来ると言うので検査してもらい、すぐにワンデーアキュビューを無料で貰い付けてみた。世界がガラッと変わり、こんなに見れる物なのかと、あたらめてコンタクトレンズの凄さにビックリして2週間用のレンズを2ケース購入。これで4ドルだから破格な値段だ。てっちゃんの一言で行ってみたが感謝と言う気持ちでいっぱいだった。しかし、良く見えて気分が良くなり、まだ明るいので何か冷たい物を売っている所を探そうと宿の近くを探してみた。そしたら、いきなり喧騒の街の中が更にうるさくなっていった。


2014年11月13日

ミャンマーの旅5

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その日本語使いのミャンマー人のオジサンは、東京で仕事をしていた事があり、日本にいる時に日本語を覚えたそうで、アメリカドルとミャンマーのチャットの闇相場を教えてくれた。闇両替でチャットに変えて、オジサンがミャンマー料理は日本人に向かない味が多いので、安くて美味しい中華レストランを紹介してくれるとの事でついて行ってみた。
スーレーパゴダの近くに大きい公園があり、そこに中華レストランはあった。メニューは漢字でも書いてあり、ミャンマー語はタイ語が丸っこくなった感じで、タイ同様に全く分からないので漢字メニューは助かった。
確かにチャットで金額が書いてあるが、日本円に計算しても、かなり安い。量が分からなかったので同席してくれたオジサンに聞いてみた。一人2品頼めばお腹いっぱいになれるとの事で、炒飯と炒め物を頼んでみた。やはり、どこに行っても中華レストランはあるし、無難な炒飯はオーダーに欠かせない。出てくるのを待っている間にオジサンが「今の日本では何が流行っている?また、日本で働きたいたいのだがビザは取得出来るか?」など、自分達には答えられない事ばかりを聞いてきた。日本で何が流行っているのかも、日本を離れて半年以上も経っているので分からない。話を聞いていると、どうやら不法滞在をしていて入国管理局に捕まってミャンマーに帰されたように感じ取れた。オジサンは、その辺を歩いている人に比べると肌の色が白い。旅をしていて分かった事なのだが、東南アジアの国々では肌の色が白いほど裕福で、茶褐色で黒っぽくなるほど貧困な人が多い事を知った。その事をオジサンに聞いてみると、やはりミャンマーでも色白の人が裕福であると教えてくれた。久々に話す日本語が嬉しいみたいで色々と話していると料理が出てきた。


2014年11月12日

ミャンマーの旅4

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ヤンゴンの街へと繰り出したのはいいが、行き先が決まってなく土地に慣れていないので、ヤンゴンの中心にあるスーレーパゴダを目指しながら歩いてみた。色々な店を覗きながら歩いてみたが中国製品の粗悪品が多くあったが、不自由なく物が手に入るようなので安心した。ミャンマー人は外人を見るけると「change money?」と闇両替の話を持ちかけてくる。当時、ミャンマーでは公式レートが固定で物凄く高かった。公式レートで昼飯のチャーハンを食べていたら3千円近くになってしまうほどだった。日本人旅行者は、パスポートの中身のスタンプを押す所がなくなってくると、ミャンマーの日本大使館で増刷してもらっていたほどだ。さすがに大使館では公式レートでの換算になるので、闇レートでは100円ほどで出来てしまう美味しい話もあった。闇レートが、本来の通貨チャットになるので、銀行なんかで真面目に両替する人は0に等しかった。その辺のミャンマー人とレートの話をしてみる事にしたが、最初は全く分からないので交換しないのが鉄則。3回位、繰り返して違う人と話してくるうちに分かってくる。そんな事をしていたら、日本語で話しかけてくるミャンマー人が現れた。


ミャンマーの旅3

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バンコクと変わらず、ヤンゴンも湿度が高温多湿で喉が渇き、汗が出てくる。空港からヤンゴン市内へと入って行ったが、軍隊や警察が目立つほど見かける事は出来ない。見る事が出来るのは、活気に満ちている光景でバンコクとは変わらない感じがした。市内で降りて、目指すは「ホワイトハウス」と言う、凄い名前の安宿だ。同じ飛行機で来た、欧米人バックパッカーの人達もホワイトハウスを目指すので、地図は不要であった。路地を入って行くと、その安宿はあった。1泊2ドルの朝食付きで安く泊まれるが、広い空間にベッドを敷き詰めて、奥にトイレとシャワーがあるだけの大部屋であり、ベッドの隙間がないので、隣の人がやたら近くにいる状態となる。個室・エアコン付きの部屋もあるが、そちらは料金が高いのでパスした。安宿の屋上からのヤンゴンの眺めが一望出来て立地もよいので数日は、この宿でお世話になる事にした。屋上から見たヤンゴンを一言でいうと「汚い」としか思えなかった。周りの建物の屋根のペンキが剥げており、それが汚く感じる所であった。早速、バックパックを置いて街へと繰り出してみた。


2014年11月09日

ミャンマーの旅2

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空港にてFEC交換拒否の白人バックパッカーが現れた事に賛同した他外国人も加勢して、300ドルを出す人がいなくなった。他の白人バックパッカーが左のブースは100ドル交換すれば入国出来るぞ!と叫び出した。真ん中と右のブースの従業員は国のルールとして譲ろうとしない。左のブースの女性従業員は仕方ないと言った顔で100ドル交換で通してくれた。自分達も左ブースで交換して荷物を受け取り外へ出た。ミャンマーの第一印象は、タイの田舎、そして男性がスカートを履いている。その程度であった。軍人だらけで緊迫しているイメージであったが、それは一瞬で打ち消された。外に止まっているバスに乗り込み、ヤンゴン市内へと向かった。走っている車はボロいインド車か、お払い箱になった日本車ばかりで、乗っているバスは京成バスで日本語表記がそのまま使われていて不思議な気分だった。車線は右走行なのに、ハンドルが右と言うのも不思議に思えた。


ミャンマーの旅1〜来たぜ!ミャンマー!〜

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ミャンマー ヤンゴンへと出発する為にバンコクを離れる日がきた。陸路での国境を渡ってきた自分には苛立ちがあったが、ミャンマーへの陸路での入国は許可されていないので仕方ない。タイの北部で日帰り入国は認められているが、それではヤンゴンに行けない。飛行機は久々だったが、苦労なく行けるツールとしか思えなかった。ヤンゴンの空港には2時間強で着いた。空港も首都の空港とは思えないほど小さく汚ない。飛行機を降りればバスで移動して入国審査をする。審査は簡単に済ませる事が出来たが、次の関門があった。外人向けのFECへの換金だ。ミャンマーでしか使えない通貨であり、本来ならチャットが国内通貨になるのだが、外人に外貨を落としてもらいたいので300ドルの交換が義務付けられている。観光客は素直に応じて、3個のブースの1つに入って交換して、荷物を受け取り外へ出れる。そこには軍人も立っており、なんとも言えない空気が漂っているが、1人の白人バックパッカーが異議を唱えた。この国で300ドルも使わないから、FECは必要ない!と叫んでいる。こういう人が出てくるのは分かっていたが問題は、この先だった。交換しないで出来るのかが現実になるかだったが、FECに交換したくない人は沢山いたので、小規模ながら、その白人バックパッカーに賛同するようにミャンマーの空港係員は困った顔になっていった。


2014年11月08日

タイの旅14〜目指せ軍事国家 ミャンマー〜

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ミャンマーの話が出るようになり、心もすでにミャンマーの首都ヤンゴンへと向かっていた。3人ともバンコクにも飽きがきたようで同じ気持ちになり、カオサン通りで飛行機の激安チケットを求めて何件か探し歩いた。結局は1番最初に入った店が安かった。自分はバンコク→ヤンゴン→ネパール(バングラデッシュでのトランジット有り)、他の2人はバンコク→ヤンゴン→バンコクのチケットを購入。てっちゃんは、バンコクに戻ってきてシンガポールとマレーシアに行く予定との事。西森さんはバンコクに戻ってきて、そこから先は考えてないとの事だった。自分は西へ向かいたかったので先を急ぐ形となった。チケットを買うと期待は膨らみ、3日後のフライトまでバンコクを満喫した。


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15年前のアジア放浪記をまとめております。 世界は広いです。一歩踏み出せば、そこは日本では通じない モラルが待っています。
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