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posted by fanblog
2023年01月21日
映画『すずめの戸締まり』
自分も他人も癒して自由に生きるSAIです(*´▽`)
昨日、映画『すずめの戸締まり』を観てきました!
今回はネタバレを含み、映画を観たばかりの率直な感想になります。
映画をまだ観ていなくてネタバレアウトな方は、また観てからお付き合いいただけたらと思います♪
それから設定や内容について調べた訳ではなく、誤情報もあるかもしれないのでご注意ください( ;´・ω・`)
⇓ ⇓ ⇓
これまでに新海誠監督の作品で『君の名は。』は観たことがあり、あと『すずめの戸締まり』の番宣動画はちょっと観てて、
「あーまた画像が美しいなぁ♪」と少し気になっていました。
それからお世話になっているスピリチュアル系Youtuberさん達の数名の方がおすすめされていたり、あれはスピリチュアルなお話だとか、「3.11の話」だとかそうじゃないとか聞いたりして、また気になっていましたが、やっと観てこれました!
いやー…へビィでしたね(/_;)
批判とかの意味は本当に全く無いし、観て本当に良かったって思うし、素晴らしい映画を作ってくださった皆様にただただ感謝なのですが…
絵面って言うのか、けっこう…地獄でした。私が個人的にそう感じただけだと思うけど。ネガティブな私はそういう面ばかり印象に残ってしまって(>ω<。)
「ミミズ」が、もののけ姫の「デイダラボッチ」みたいな絶望感。昔、民間伝承みたいなので「ミミズが地震を起こす」とか聞いたような?←かなりうろ覚え(-∀-`; )
それがモチーフ?になってるのかな??
前情報として「3.11」に関わるという意見もあれば、関係無いという意見もあった訳だけど…私は関係あるように見えたのですが。読みが浅いのかなぁ(*´ω`)??
「3.11」をフラッシュバックする景色が色々あったりもして…
「すずめ」というのは小鳥の「雀」じゃなくて、主人公の女の子(鈴芽、高校生)の名前なのですが。私の解釈では、彼女は4歳の時に3.11で被災して、母子家庭だったのにお母さんが行方不明になってしまい、自分も生死を彷徨いかけた。
そして被災から12年が経ち、ストーリーの途中で「死ぬのは怖くない」と。「いつ死んでも受け入れられる」的な…ことを言っていました(既に記憶が曖昧( ´-`)汗)。
これは、自分は一度死にかけたし、お母さんももう居ないし…みたいな気持ち??
でも旅の途中で出会った女性達は素敵な人々だった。対人恐怖症で来た私には、素敵な女友達や年上の女性と出会った鈴芽ちゃんがちょっと羨ましくなっちゃいました。
私も対人恐怖症克服を目指して20年近くなり、その過程で少しはそういう機会を得られたけど。どこか、もっと欲しい気持があるみたいで。不足感にフォーカスしないで、得られた幸せをしっかり感じないとだなぁ(*´-`)
ええと…それに対して、異界「常世」と現世を繋ぐ扉を閉じる役割を家業とするそうた(草太、大学生)は「死ぬのは怖い」「寒い」「生きたい」…色々な言葉を並べるのですが、それらが私には震災で亡くなってしまった方々の気持ちを代弁してるように聞こえてしまってしんどかったです。。
大切な人との会話が「行ってきます」や「またね」で最後になり突然日常を失ってしまわれた被災者の方々がどれだけいらっしゃるんだろうとか、また思い出してしまったり。
でも最終的には、鈴芽ちゃんは過去を受け入れられて今は幸せだよって言えて(たぶん)、希望をなげかけるお話でした。
「パラレルワールド」や「タイムリープ」は、2年?くらい前に『東京リベンジャーズ』の解説動画を視た時、色んな創作物でよく扱われている題材だと聞きました。
あと今年の最初の漫画の出会いで、今『地縛少年花子くん』にすっごく魅了されているのですが(//∇//)
0〜18巻、放課後少年〜、解説本まで電子書籍で大人買いしてしまいました☆
(ご存知ない方にはマニアックな話題ですみません→)怪異のつかさくんと赤い家に閉じ込められていた4歳の司(つかさ)くんの関係が個人的にすごく謎で。
でも寧々ちゃんが過去に行って、夏祭りに来ていた小学生の時の普(あまね=生前の花子くん、司くんと普くんは双子)くんに出会い、普くんが七夕の短冊に書いた「ねねおねーさんにまた会えますように」という願いが、花子くんになってからだけど叶ったのは
「未来が過去に干渉した」ということなのかなと思いまして。。
『東京リベンジャーズ』は干渉と言うか、がっつり変えてるけど(*´Д`)
だから現在の怪異のつかさくんは、寧々ちゃんと光くんが赤い家で出会った司くんから生まれた存在、未来の存在(寧々ちゃん&光くん)が過去の存在(司くん)に影響を与えたということなのかな?と。
でも「死者が怪異になる場合、ヒトだった頃の自我がどれだけ残るかは分からない」(←花子くんが寧々ちゃんにそんな感じの説明をしてた)ということなので、怪異のつかさくんは4歳の時の司くんと似ているようで違う存在になってしまったのでは、と。
燃える赤い家の中で司くんは最後に「普のこともっと知りたくなっちゃった」と言ってたのと、つかさくんが三葉くんを怪異にする時「願いが強ければ強いほどより確かで強力な怪異になれる」みたいなことを話していたので、つかさくんは「普を知りたい」っていう動機が明確かつ強い想いがあるから、怪異として強いのかな?
生き物の命も自分の命さえも大好きなお兄ちゃん=普くんの為に代償にして何とも思わないくらい元々ピュア度が高かったけど、そこが濃くなって残虐なまでにピュアになっちゃった…つかさくん(*T^T)
『地縛少年花子くん』のお話もまたしたいなぁ♪『地獄楽』、『07-GHOST』、『最遊記』とか、お話したくてできてない漫画も満載なのですが(*´σー`)
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脱線しました…汗
今のすごい関心事と似たシチュエーション?だったから、つい(*´ω`)
それで『すずめの戸締まり』では、未来(現在)の16歳の鈴芽ちゃんが過去の4歳の鈴芽ちゃんを死の淵から救った。家もお母さんも失って真っ暗闇みたいで、それでも「未来のあなたは好きな人もできるし、幸せに生きてるから大丈夫だよ」って希望を与えた。そういうことなのかと思いました。
未来が過去に干渉するって「鶏が先か、卵が先か」みたいに分からなくなりそうですが(´ロ`ノ)ノ
そのあたりを、パラレルワールド肯定派、タイムリープできる派のスピリチュアル系Youtuberの方々が「過去の自分を自分で癒す」みたいなお話と関連付けて映画をおすすめしてたのかな??
よく覚えてなくて、理解できてなくてすみません( ;´・ω・`)
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それから全く別の視点で、すごく心がギュっとしたシーンがありました。
鈴芽ちゃんと、育ての親となった、たまきさん(鈴芽ちゃんの母の妹)のやり取りのシーン。鈴芽ちゃんが状況説明せず家出してるようにも見える行動をしてた時に、たまきさんがぶつけた言葉。至極真っ当な気持ちであると思う。
今、私は親子関係の本を読んでいて、その本は大人になっても親子関係に苦しんでいる人へ向けたものです。すごく子供側の気持ちを尊重してくれている本だから、親が子供の為に使った時間や力やお金について「あれだけしてやったのに」とか「金を返せ」とか言うのは、【親が親になる覚悟が足りなかった】と書いてありました。
私は親になってないけど、私がもし親の立場でそう言われたら、確かにそうだと思う気がします。ただ同時に、そういう気持ちを全く抱かない人が居るなら、【聖人】じゃないかとも思います。
夜泣きで寝不足になったり、仕事や家事があるのに言う事を聞いてくれない。そんな毎日が続いたりしたら、子供をもつ、育てるという覚悟をしていたとしてもやっぱりしんどくなる時があるのも、本当だと思う。
たまきさんについては、姉が行方不明になってしまったから鈴芽ちゃんを引き取り、子持ちのシングルマザーの形になりました。それにより、自分のやりたい事が色々犠牲になってしまったのも事実。だから【親になる覚悟が〜】を100%当てはめるのは違うと思います。
自分で引き取ったのはあるけど、「本当の本当に」「最も」望んだ訳ではなかった。
でもお互いにあれだけの想いをぶつけても、たまきさんは鈴芽ちゃんをしっかり大人と言うか一人の人間として尊重してるからこそ、本音の部分を認めつつ「でもそれ(自己犠牲)だけじゃないのよ」って言って関係も壊れなかったのかな?
私はできるだけ親に感謝を物や言葉で、時々でも伝える努力はしてきました。
でもこの数年とか去年の夏にも、父親に「信じていない」「信じられない」と言われて
なんかもう親に迷惑をかけないように、とか自分の側からばっかり寄り添うのも疲れてしまいました。
辞めて2年経つ12年くらい勤めた会社について、「俺はそもそもあの会社に就職したのも間違いだったと思っている、認めていない」とか、過ぎたことを掘り返して去年メールしてきました。
心臓がバクバクしちゃうので、あんまり見ないようにしてますが…
もう親に認められなくても、私が私を認められれば良いとは分かりました。
ただ親と関わるには、親が私を一人の人間として、大人として、一つの人格を持つ存在として認めてくれない限り、延々と親の価値観を押し付けられ、否定され続けるのだとも分かってしまいました。
父親が変わる可能性は、正直少ない気がします。私が変えようとすると、余計に否定が強くなると思います。自分が絶対に正しくて、私が完全に間違っていると信じて疑いません。
父親は自分の心の問題に蓋をして、見ないようにしているのだと思います。天涯孤独な生い立ちだから、自分の悩みに本当に向き合ったらしんどくて生きてこられなかったのかもしれません。
私は父親ができるだけ幸せになって欲しいと思ったから、できるだけ迷惑かけないよう真面目に生きてきたし、「父親は私がこういう生き方したら喜んでくれるかな」というのを可能な範囲でやったり頑張っていました。
でもそれは「間違った優しさ」で、それによって父親を私に依存させることにもなっていたのかもしれないと、その本を読んで思いました。父親の問題は父親が解決すべきもので、私が介入するものではないのです。
そしてその頑張り方は、私が自分の人生を父親に捧げてしまうようなものだとも理解しました。父親について悩み続けることも、私の人生の貴重な時間や力を削がれて本当の私の人生が生きられなくなってしまうのだと。
できることは、もう何も考えず、関わらず、余力があったら奇跡が起きて父親が変わってくれることを願うくらいかなと思います。
今年4月におばあちゃんの3回忌があり、新年早々にその連絡が来て
「返信しないと」「参加しないといけないんだろうか」というのが、今しんどいのですが。
どっちもやらなくて良いかな。そんな私を許して。私が私を許すしかない。
頭で答えは理解できたけど、気持ちはまだついていくのが苦しい段階みたいです。
このブログ『井戸に差し込んだ光』にお越しの皆様は、何かしら私と似ている部分とか似ている悩みとかがある方なのではないかと思います。
今読んでいるその本は私の悩みにドンピシャな解答や具体的対策を教えてくださる素晴らしいものだったので、是非ご紹介したいです。でも読むのも文章にまとめるのも精神力が居るので、しばしお待ちいただけたらと思います(*´-`*)ゞ
今回は『すずめの戸締まり』の感想で、「3.11」と「親子問題」の2つのへビィなお話になりました。
やはり自分の内側にある想いが、見るものに映し出されるんだなぁと納得です(*´Д`*)
観る方々によって色んな印象があると思うので、観てらっしゃらない方は是非ご自分で観て感じてみて下さいね(*´∇`)ノ☆
本日もありがとうございました!
いつも読んでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございます(*^_^*)
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映画『すずめの戸締まり』
https://fanblogs.jp/sharingtreasures/archive/413/0
また、よろしくお願いいたしますー??(?ω?*)??