2024年5月16日に、ジェームズ・アワー元米海軍中佐が逝去されました。
謹んで哀悼の意を表します。
図1 ジェームズ・アワー氏
引用URL:https://www.japanpolicyforum.jp/lib/2015/06/DJweb_27_dip_02_auer.jpg
知らない人も多いかもしれませんが、海上自衛隊にとっては大恩人と言える人です。
彼がいなかったら、海自・米海軍はここまで親密になれなかったでしょう。
(前回記事):『 あゝ江田島はもう撮影できないのか・・・ 』
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(1)ジェームズ・アワー氏はどんな人だったの?
防大・一般大卒にて海上自衛隊幹部自衛官になった人は、全員がジェームズ・アワー氏の名を知っています。
図2 幹部候補生学校卒業式
引用URL:https://twitter.com/JMSDF_MOCS/status/1771008904899735798/photo/1
海上自衛隊の歴史をひも解くとき、必ずジェームズ・アワー氏の名前が出ます。
1.1 海上自衛隊創設の歴史をひも解いた知日派
ジェームズ・アワー氏は、極東の安全保障を語る上で欠かせない人物です。
特に海上自衛隊創設期から1971年までを研究した、「よみがえる日本海軍」は貴重な資料です。
図3 よみがえる日本海軍
引用URL:https://www.kosho.or.jp/upload/save_image/5000020/20200423210605831795_2b7f893d8a065f50b282546bc5f1be26.jpg
彼は1963年に米海軍少尉として、佐世保掃海艇乗組となり軍歴をスタートさせました。
さらに現代日本では、当たり前になった出来事にも関与します。
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1.2 米空母横須賀前方展開の窓口として
ジェームズ・アワー氏は、米空母が横須賀に常時展開するようになった1970年代に大きな働きをしています。
図4 空母出港
引用URL:https://twitter.com/CNFJ/status/1790930759915868651/photo/1
2024年5月16日に、米空母「ジョージ・ワシントン」が9年間母港としていた横須賀を離れました。
実を言うと、米海軍が空母の前方展開で横須賀に常駐させるようになったのは1973年です。
図5 ミッドウェイ
引用wiki
1970年ごろには、米海軍は横須賀基地縮小を検討していたものの一転して米空母配備を決定します。
事実上の母港化に向けて空母「ミッドウェイ」受け入れのため、米海軍の担当責任者としてジェームズ・アワー少佐が奮闘します。
1.3 国防総省日本部長として
その後国防総省に異動したジェームズ・アワー氏は、アーミテージ氏の元で対日政策を担当するようになります。
図6 アーミテージ氏
引用wiki
リムパック参加など海上自衛隊と米海軍の連携を、より緊密かつ共同作戦が可能になるまで高めた大恩人と言えます。
この辺の歴史は、阿川尚之著「海の友情」により分かりやすく書かれています。
アーレイ・バーク提督が海上自衛隊の父というのならば、ジェームズ・アワー氏は海上自衛隊の兄と言える人物でした。
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(2)ジャパン・ハンドラーという誤解
日米同盟関係に茶々を入れたい人は、よくジャパン・ハンドラーなんて言葉を使います。
図7 アーミテージ・ナイレポート
引用URL:https://iwj.co.jp/wj/open/wp-content/uploads/2013/06/2bed05bc1e931712fecfab2b8e788f2e-480x360.jpg
はっきり言って、誤解と無知が生んだ言葉といえます。
2.1 イージス艦導入
現在日本の護国の盾となったイージス艦は、ジャパン・ハンドラーの主導で日本への提供が決まりました。
図8 こんごう型
引用wiki
当時イージスシステムは米国の最新鋭システムでしたが、日本への技術提供により日本の洋上防空能力の強化を図る狙いがありました。
図9 イージス艦
引用URL:http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1988/w1988_03046.gif
高価な買い物でしたが結果として、2024年現在でもBMDの主力として活躍しています。
ジャパン・ハンドラーたちの活躍が無かったら、日本の洋上防空能力は非常にお寒いものになっていたでしょう。
いいじゃないですか!日本を強化することが、米国の国益にかなうと米国政府が認識できているんです。
(もっと利用してもいいでしょう)
2.2 彼らは冷静中立な視点を持っている
私が実習幹部で遠洋練習航海を行っているとき、米国寄港時にジェームズ・アワー氏の講話がありました。
当時は、国防総省を退官してヴァンダ—ビルト大学教授となっていました。
図10 教育
引用URL:https://jinf.jp/wp-content/uploads/2017/03/17.03.10.jpg
実習幹部の一人が、アワー教授に「今の日本や海上自衛隊に足りないものは何か?」と質問したときの答えは今も覚えています。
『感情論や民族主義を排除した冷静な視点』
米国の対日感情悪化や、日本の核武装論・経済摩擦などの各種要素は国防に不要です。
冷静かつ中立的視点を持って、物事の本質を見極めることが必要です。
2.3 日本スゴイ系の人には伝わらないだろうなあ
日本スゴイ系のYoutuberや、言論人にとってはジェームズ・アワー氏のことは知ろうともしないでしょう。
図11 バーク提督
引用URL:https://i.ytimg.com/vi/zU6gr_xoJbw/mqdefault.jpg
アーレイ・バーク提督の逸話は、Youtubeなどでもてはやされています。
しかしジェームズ・アワー氏のことを取り上げるチャンネルは、まずいないでしょう。
ジャパン・ハンドラーという言葉に踊らされ、本質が伝わらないでしょうね〜。
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(3)中村悌二ラインと米海軍戦略
海自幹部だった人なら、中村悌次ラインと言うものをどこかで聞いたでしょう。
図12 対潜概念図
第11代海上幕僚長だった、中村悌次海将がまとめた海自戦略の根本です。
3.1 米海軍の戦略にも影響を与えた
中村悌次ラインは、1960年代後半から1970年代にまとめられたものです。
1000海里防衛構想や、シーレーン防衛・米海軍との連携などを網羅しています。
図13 AS−4
引用wiki
ソ連空軍が大量の空対艦ミサイルを抱えて、シーレンに襲い掛かったら日本の生命線が断たれます。
海上自衛隊と関わり知った中村悌次ライン構想が、ジェームズ・アワー氏を通じて米海軍に伝わりイージスシステム供給につながったといえます。
ホントにジェームズ・アワー氏がいたから。今の海上自衛隊が出来たといえます。
ご冥福をお祈りいたします。
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海上自衛隊の兄という表現は、阿川先生が「海の友情」の公演の時にジェームズ・アワー氏の功績を位置付ける表現として使っていたのが印象に残っていました。
ジェームズ・アワー先生の功績を、世の中に帆とに知って欲しくてこの記事を書きました。
本当に彼いなかったら、海上自衛隊は海外共同訓練が進まなかったでしょう。
もう10年以上前になりますが私もアワー先生に大変お世話になっていました。
すごい方なのは存じておりましたが、今回ブログを拝見して、改めてどれほど偉大だったかが分かりました。
佐々淳行さんの本は、入隊前から読んでいてジェームズ・アワー氏の名前だけは記憶していました。
幹部候補生学校での指定図書に「海の友情」があり、こんなすごい人が米海軍と海上自衛隊を繋いでたのか!と驚いたものです。
アーミテージさんは、80再を超えてまだお元気ですが「アーミテージ・ナイレポート2024」はおそらく最後の対日政策提言レポートになるのが惜しまれるところです。
私がジェームズ・アワ−さんの事を知ったのは”海の友情”を読んで、また佐々淳行さんの本を読んでからでした。
海の友情の中で、佐世保の掃海艇に着任されたときの記述が印象的でした。
日本人を養子で息子さんにされたのも記憶に残ります。
ご冥福をお祈りします。
アーミテージ氏がまだ外交のニュースに出ておられて元気そうで安心しております。