大和ミュージアム開館10周年を迎えました。
おめでとうございます!
北緯30度43分 東経128度04分、
1985年、海の墓標委員会が公表した戦艦大和の沈没地点です。
まだインターネットが普及していない頃のことでした。
この緯度・経度で、手を合わせ、お花を捧げたいと思い、
フェリーなどの旅客船発着情報が掲載されていた
分厚い時刻表の本を開き、この付近を通過する船を捜したことがありました。
浅はかで、幼かったわたしは、沖縄行きのフェリー会社に
「北緯30度43分 東経128度04分の近くを通りますか?」と
電話をして問い合わせてみましたが
理由を聞かれました。初めてのことで
電話にもかかわらず、少し赤面するように
「大和沈没地点でお参りしたいと…」と、ぎこちなく説明をしました。
理由は納得していただけましたが、
当然、どう考えても沖縄への航路から外れる位置なので
大和沈没地点付近は通りません。
しかし、台湾に向かう船なら、少し近いところを
通過するかもしれないと教えて下さいましたが、
沈没地点は航路ではないというお答えでした。
残念ながら船上から慰霊に行くことは出来ませんでした。
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あれから何年経ったのでしょう。
映画「男たちの大和」の冒頭シーンで、同じことを尋ねる女性がいて
フィクションではありますが
やっぱり、みんな考えることは同じなんだと共感しました。
旅の回想録ですが、広島県呉市の見所の一部、ご紹介します。
呉、入船山記念館(旧呉鎮守府司令官長官舎)周辺です。
呉市 入船山記念館(旧呉鎮守府司令官長官舎)
入船山記念館(旧呉鎮守府司令官長官舎)室内
海上自衛隊呉地方総監部(旧呉鎮守府)
戦艦陸奥のスクリュー
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大和ミュージアムの設立前、
呉には、海事博物館推進室という仮設博物館がありました。
海事博物館推進室では、現在の大和ミュージアムのように
1999年に、大和から楊収された遺品が並び展示され
当時の空気や匂いまで感じられました。
展示品は、12.7cm高角砲の部品や、
当時、大和だけに取付けられていた砲身制限器の部材など。
キリンのビール瓶や、中身の残るコルク栓のクレゾール瓶もありました。
「大和ホテル」と言われたように
冷暖房完備の大和には、豪華に装飾された公室があり
公室に使用された装飾品の一部が楊収され、展示していました。
戦艦大和の伝声管
直通電話もあった大和ですが
この伝声管、何が叫ばれていたのでしょう。
時空を超えて、今でも大和と通じると直感し、スケッチしました。
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海事博物館推進室を訪れた際に
大和ミュージアム建設予定のお話をうかがい
何よりも楽しみにしていました。
そして、大和ミュージアム完成!(現在は10周年)
大和ミュージアム館内 10分の1戦艦大和模型
零戦62型
Σ(゚∀゚*)あら?わたしの名前(本名)が、こんなところに!
これを見るまで知らなかったんですけど…
戦争を美化するつもりはありませんが
零戦や軍艦も含めて、何百年後には
日本刀や、戦国時代の城郭・武具・鎧のように
芸術的分野の視点に於いて
日本美術史に残る財産になることでしょう。
日本艦船の増改築に於ける技術と感性は、まさに天才的です。
初期武装の長門型戦艦が、日本の城郭のように
増改築され、洗練されていく過程には目を奪われます。
金剛も、本体は英国製ですが、増改築の技術と美しさに
故郷英国から「金剛を譲ってほしい」と依頼がありました。
却下されましたが…(^_^;)
全体的なフォルムが、主に直線的な美を醸し出す長門型から
大和で、いきなり曲線が強調され、度肝を抜かされました。
ありとあらゆるところに見事な曲線です。
海に眠る大和の発見時に
菊華紋章や、大和を証明する艦首旗立台の横棒、
バルバスバウは、海底の泥に埋まることはありませんでした。
まるで大和が、いつか必ず見つけられる日を信じていたように…
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2015年、戦艦武蔵が発見されたように
1985年、戦艦大和が発見された映像を見つけました。
NHK特集 海底の大和 〜巨大戦艦・40年目の鎮魂〜
■視聴時間:00:45:04
■216円/3日間
配信期間:2011/9/3〜2015/8/3
クリックで詳細ページにリンクします。詳細ページでは料金は発生しません。
料金は変動する可能性もありますのでご購入前にご確認下さい。
動作環境、注意事項を必ずお読みいただき、同意の上、映像再生テスト後にご購入ください。
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バルバスバウ(球状艦首)やビルジキールで、
時代の先駆者となった大和。
大和の15メートル測距儀を造っていたのは現在のニコンです。
大型タンカーの造船技術、
今でも、世界で大和の技術は生きています。
呉市内、石川島播磨重工業株式会社(旧呉海軍工廠)ドッグ
戦艦大和も巨大タンカーも、手作り…
ひとつひとつ丁寧に作り上げていました。
なるほど中身、こうやって頑丈にしているんですね。
アイスクリームの円柱型コーンの底みたい…(・ρ・)はらへり
どこか浸水しても、全体に広がらない仕組みになっているんでしょうね。
大和が建造された当時のドッグ。
トタン屋根は当時のもの。
石川島播磨重工業株式会社(旧呉海軍工廠)
噫戦艦大和之塔
呉市宮原5丁目「歴史の見える丘」
左の徹甲弾は戦艦長門のもの。
右は、戦艦大和の91式46センチ徹甲弾。
46センチ砲は、約41,400メートルという
東京から藤沢付近までの距離を
約98秒間飛び続けます。はやっ(≧▽≦)
敵艦には、この飛距離を超える主砲弾はありませんでした。
敵艦の射程距離の外にいる戦艦大和は
理論上、無敵。当時世界最強なのです…
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海の底に、静かに眠りつづける大和…
この、どこまでも澄み渡る平和な青い空のように
70年間の時を隔ててもなお、
戦艦大和は、日本人の心の中で
永遠に生き続けていくことでしょう。
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外部リンク
広島県 呉市
大和ミュージアム