2015年06月30日
零戦の合成写真をつくる方法
零戦の 合成写真を作る方法です。
写真の加工をしてみましょう。
人工的な背景も、 写真加工で印象が変わります。
Photoshop Elements13を使用して画像加工します。
写真加工修正の感覚は、零戦を印刷した紙を機体の形に沿って切り、
草原写真に貼るように気軽に。
この写真加工は、プラモデルの写真も応用できます。
零戦だけではなく、様々な合成写真、写真加工や修正に応用できます。
元の画像は、2013年、埼玉の所沢航空発祥記念館に、
プレーンズ・オブ・フェイム(米)から
現存するオリジナルの零戦で唯一フライアブルな52型が
期間限定で公開されたときの写真です。
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加工前と加工後
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元の背景写真です。
では早速、合成写真を作ってみましょう。
1. Photoshop Elements13を開きます。写真の編集を選択します。
零戦だけを選択していきます。
「クイック選択ツール」は、選択したい部分にクリックで自動で選択してくれます。
選択中の部分は点線になります。
選択範囲を追加する場合は、シフトキーを押しながらクリックします。(後で選択範囲を微調整します)
写真解説の「切り抜きたい部分」とは、零戦全体をコピーするために、選択ツールで囲む部分です。
クリックが間違っても、メニューの「編集」から
「クリック選択の取り消し」ができます。(コントロールキーを押しながらZキー)
この 「Ctrl+Z」は、他の作業でも、一つ前の作業に戻れるのでやり直しに便利 です。
2. 細かい部分は、拡大ツールで画面を大きくすると作業しやすいです。
3. 多角形選択ツール
4. クイック選択ツールでは作業しにくいところは、多角形選択ツールを使います。
最初から多角形選択ツールだけ使用してもOKです。
5. はみ出した選択範囲は、Altキーを押しながら囲むと選択範囲が消えます。
6. 選択範囲が消えても、ヒストリーで戻れます。
マウスの不調か、ワンクリックなのに、ダブルクリック反応する場合がありますが、
その場合、選択範囲が閉じてしまいます。
この場合も、ヒストリーで戻れます。
7. 零戦だけが選択されて点線で囲まれています。
8. 零戦をコピーします。
9. コピーした零戦を背景写真にペーストします。
10. 零戦出現
今回は、零戦の写真の解像度が低かったのでこのように小さくなりましたが
それぞれの解像度によってペースト後の大きさが変わります。
11. 拡大しやすいように移動します。
12. 縮小したい場合は、ポイントをつかんで縮めてくだだい。
自動的に等倍に拡縮できます。
13. レイヤーを見てみましょう。(次ページに続きます)
リンク
フリー素材 画像加工可能「 pro.foto 」
背景画像に使用しました。
所沢航空発祥記念館
平成27年現在は、零戦の展示はありませんが
数々の航空機の展示、さらにフライトシミュレーター体験もある航空博物館です。
零戦の合成写真をつくる方法2
前項の 零戦の 合成写真をつくる方法 の続きです。Photoshopで 画像加工しましょう。
14. 背景の写真に、切り抜いた零戦の写真が
紙のように重なっている感覚です。
レイヤー1の零戦を選択します。
15. 不要な部分を選択して、デリートキーでカットします。
この作業は、7番の作業後に、
不要部分を、選択解除してもOKです。
16. キャノピーの透明部分も同様にカットすると、背景写真が見えます。
17. 暗い零戦のみ、明るくしてみましょう。
18. 微調整して、零戦の明るさを背景に合わせます。
19. 18のように、今度は「色相・彩度」も微調整します。
20. レイヤーで写真が重なっていましたが、
画像を1枚の写真に統合します。
21. コピースタンプツールは、任意の場所をコピーして、
コピーした部分をスタンプのように描くことができます。
22. コピースタンプツールで、前輪、尾輪が草に隠れている部分を描きます。
前輪と草が被る部分に、「指先ツール」(人差し指のアイコン)で
草を下から上に少しドラッグしてなぞると、草らしく先が細くなります。
23. 影を描きます。タイヤと地面(草)が接する部分は濃く描きます。
後は、全体的にバランスを整えるため色調補正しました。
スポイトツールで空の色を採り、
ブラシツールで、カウリングに、空の色を薄くなじませ、
前輪カバー付近には、緑の草原の色を薄く乗せました。
女性が、メイクでチークを使うように、そーっとやさしく色をなじませます。
スタンプツールで、日の丸部分もコンクリート地面の反射を一部修正しました。
それと、貼り付けた零戦の縁が、背景と馴染まない部分があれば
ぼかしツールを使い、指でなぞるようにぼかします。
(ぼかしツールは、指先ツールを選択し、下のプロジェクトエリアから
「しずく型」のアイコンを選択します)
角々しい部分は、指先ツールでも馴染ませることができます。
いずれも、ブラシサイズと強さを調整します。
全体的な色調のバランス調整とメリハリをつけるため
メニュー「画質調整」から「自動レベル補正」を使用しました。
細かく言うと、キャノピー部分の光の反射や遠近感など、
細部も修正の余裕を残しますが
加工を楽しみながらシンプルに仕上げてみました。
思わず、零戦に駆けよりたくなるような光景です。
完成!
リンク
フリー素材 画像加工可能「 pro.foto 」
背景画像に使用しました。
所沢航空発祥記念館
平成27年現在は、零戦の展示はありませんが
数々の航空機の展示、さらにフライトシミュレーター体験もある航空博物館です。
2015年06月22日
沖縄戦跡 写真3
陸軍の飛行場があった嘉手納基地
移設問題を抱える普天間基地
首里城付近に残る
第32軍司令部地下壕入口
同地下壕の砲弾の跡
沖縄平和祈念資料館の建設中の写真(平成14年頃)
沖縄平和祈念資料館
摩文仁の丘
沖縄平和祈念資料館と旧資料館建物
沖縄平和祈念資料館から眺めた沖縄の海
牛島軍司令官、長参謀長の墓
南へ、南へと追い詰められた沖縄で戦った日本軍、終焉の地。
ここから先は、ただ美しい海が続いていました。
リンク
沖縄戦史 公刊戦史を写真と地図で探る 「戦闘戦史」
とても感動しました エイサー 、ユーチューブ動画です。
新宿エイサーまつり2015
沖縄戦跡 写真2
ひめゆり祈念館付近
陸軍病院第三外科職員の碑
陸軍病院第三外科壕
第一外科壕は祈念館より少し離れた場所にありました。
南風原(はえばる)陸軍病院跡
那覇陸軍病院が空襲で崩壊
後に当地へ移設 ひめゆり学徒配属
白梅学徒病院壕跡
白梅学徒隊(県立第二高等女学校)
第24師団第一野戦病院入隊(山3486)
白梅学徒病院壕の入口と内部
浦添のガマ
長さ20〜30mで通り抜け可能。
浦添のガマ
浦添のガマ
当時、住民が避難した沖縄独特のお墓
沖縄独特のお線香
5本が板状になっています。
儀式によって割ったり、そのまま使います。
外部サイトリンク
沖縄戦史 公刊戦史を写真と地図で探る 「戦闘戦史」
とても感動しました エイサー 、、ユーチューブ動画です。
新宿エイサーまつり2015
沖縄戦跡
沖縄の方々、かつての激戦を乗り越え、
生きる道を選び、その信念を貫いた方々の
ご子孫に、今会える喜びと感謝の気持を込めて綴ります。
沖縄の終戦日と言われる6月23日を前に、沖縄の戦跡訪問回想録(平成12年)です。
(主に戦跡ツアー写真)
特攻艇格納庫(比謝川河口)
震洋、又は通称アマガエルと呼ばれた小型特攻艇が格納されていました。
特攻艇格納庫(比謝川河口)
浦添に残る日本軍のトーチカ
外部は爆撃で四角い形が残っていません。
トーチカ内部(高さ153センチくらい)
機銃の台座の一部を支えていたと思われる穴
掩体壕
陸軍使用のえんたい壕(読谷村付近)
牛小屋として利用されていました。
土を盛り、コンクリート舗装され、中の土は取り除く手法でした。
陸軍観測所が置かれた 座喜味城
昭和20年4月1日、海岸を黒く埋め尽くすほどの米軍が上陸。
日本軍の抵抗を受けることはなかったといわれています。
ここからは、旧北飛行場跡の一部が(現在道路)見えました。
その上空を悠々と飛ぶ米軍機を、皆ただ黙って見つめていました。
中心に楔(クサビ)を打つ手法はヨーロッパでもあったそうです。
琉球王国すごい。
沖縄には、天然の洞窟を防空壕とし、日本軍の拠点や
病院などに利用され、ガマと呼ばれていました。
戦跡訪問で泣くまいとしても、幾度と涙を堪えられませんでした。
わたしが人前で一番泣いてしまったのが、ここ
アブチラガマです。
糸数 アブチラガマ
アブチラガマ入口
井戸(アブチラガマ内)
カマド(アブチラガマ内)
アブチラガマの一番奥は、精神が狂乱した脳症患者の隔離場所と言われています。
ガマは、懐中電燈で照らしながら進みます。
ガマを案内してくださったガイドの方が、少し広いところで立ち止まり
「みなさん、ここで懐中電灯を消して下さい」と。
「えええ」と、心で叫びました。
本当のアブチラガマを体験するために、明かりを消すのだそうです。
入口から離れているので明かりはありません。
約20名の懐中電灯が、次々に消えていきました。
そこはもう、どうしようもなく果てしなく続く真っ暗な闇…
敵の砲撃に怯え、火炎放射で焼き殺されるか、火だるまになり炙り出されるか、
恐怖で生きることも死ぬこともできず耐え切れない真実の闇。
わたしは、声に出さずに壮絶に泣きました。
アブチラガマ入口から外の景色を臨む
(手すり、階段は現代のもの)
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ガイドから聞いたお話ですが、
市民が、ガマから逃げ出そうとも、居場所を知られるからと
本来、市民を護るべき日本軍に射殺されたと言われています。
赤ちゃんが泣いて、敵に居場所を知られるからと赤ん坊を殺すよう日本軍に命じられ
窒息死させられた例もあったそうです。
こうなったら、もう何を信じたらいいのでしょう。
敵も味方もありません。
自決しようと手榴弾を使った人が、
一発で死にきれずに苦しむ姿を見た人もいました。
敵の砲撃に倒れた瀕死の女学生が、医者からの痛み止め処方を拒否し、
少ない薬の事情を知っていたので
「薬は兵隊さんに使って」と言い残し、亡くなったそうです。
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4泊5日全ての行程が、沖縄激戦地跡を巡り
現地の水を飲み、浴び、現地の食べ物を食べ、空気を吸い、匂いを嗅ぎ、土を踏み、
2泊目を明けた頃から、肉体も魂も、当時に同調しやすくなってきました。
ガマというガマを、少なくとも約15箇所訪問してきましたが
短期間で10箇所目のガマを出る頃には、
沖縄の現代の街並みを見ても、ただ何もない空間を
ぼんやり眺めているような妙な感覚に陥りました。
その感覚のまま迎えたツアー終盤、国際大通り付近のスーパーで
お土産を買う機会がありました。
今では有名な「スッパイマン」。
当時は、沖縄限定販売だったようです。
人づてに聞いた、お土産をスーパーで見つけ、5個くらい買い占めていたとき
一人の少女が不思議そうな面持ちで、わたしをじっと見つめていました。
6、7歳くらいのおかっぱの、白っぽいワンピースだったと思いますが
はっきり覚えているのが、少女の頬には(特に右側)泥がべったり付いて
乾いて白くなっていました。
この時、このお嬢さんが買うぶんまで買ってはいけないと思い
「あっ…買うの?」
「(首を横に振って、穏やかな笑顔で、ゆっくりと)なんでそんなに?…」
「(恥ずかしかったけど、照れ隠しの笑顔で)お土産にしようと思って…」
「(笑顔のまま)ふーん…」
スッパイマン、もうちょっと買おうかなと思っていたら
いつの間にか、いなくなった少女。
あれ?
なんかおかしい…
顔に泥?
即座に少女を探しに、付近を回りましたが見つかりませんでした。
戦争で亡くなった少女だと思います。
波長が合ってしまいました。
このような出来事は他にもあるのですが、
共通して言えることは、短い会話を交わしている時だけは、
まったくおかしいと気が付かないというのが特徴です。
ツアー最終日の夜、美しい琉球舞踊を観ました。
さらに、舞台のラストは、エイサー。
みんなで盛り上がって舞いました。
沖縄の方々は、過去の戦争での涙を隠すために踊っているようにも見えたのですが、
本当は、生きる喜びに満ち溢れ、踊り舞わずにはいられないのかもしれません。
リンク
沖縄戦史 公刊戦史を写真と地図で探る 「戦闘戦史」
とても感動しました エイサー 、ユーチューブ動画です。
新宿エイサーまつり2015
2015年06月15日
2015年06月08日
ココポ博物館2・零戦の翼に残る日の丸と日本軍資料
ココポ博物館にて、屋外展示されていた 日本軍資料と
塗装が鮮明に残る零戦22型の主翼について、写真のご紹介です。
屋外展示されていた零戦の写真のページは こちら です(2015年5月31日投稿文)
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各写真の英語表記は、現地に建てられていたプレートの解説文です。
ここでご紹介できるものは、ほんの一部で、現地には、まだまだ多くの残骸が
解説のプレートもないまま、重なり合っていました。
日本軍がかつて使用していた数々の武器には、
メカニックな外観と、繊細な構造を備え、
実物に触れると、ただ驚くばかりでした。
しかし、戦車などの鋼鉄が、飴のようにクニャッと
へし曲がる衝撃は、想像では計り知れません。
「歴史的に貴重な資料」という客観的な意識を持っていなければ、
現地では、つらくて立っていられなくなるかもしれません。
JAPANESE INFANTRY GUN
日本軍・歩兵隊の銃
Model 11(1922)
Calibre 37mm
Weight 205lb
Sight Telescopic
This gun could be carried by 4 men.
JAPANESE DOUBLE BARREL ANTI TANK AIRCRAFT CANNON
日本軍・二連式機関砲(対空・対戦車)
MODEL 96(1936)TYPE2
Calibre 25mm
Range 14000 ft
Weight 5330lb
JAPANESE FIELD GUN
日本軍・野戦砲
Model (1935)
Calibre 75 mm
Weihgt 2438 lb
Range 12000 yds
Rate of fire 10 rounds per minute
Recovered from Tomaringa.
JAPANESE NAVAL LOCOMOTIVE
日本海軍の機関車
Gauge 610mm(24)
Powered by 4 cylinder engine
The locomotive was used in the
construction of the Tobera Airtrio.
JAPANESE BOMB LOADER
日本軍・爆弾装填(そうてん)器
(bombs in aircraft)
COCKPIT JAPANESE BETTY BOMBER
一式陸攻のコックピット
JAPANESE TRACKED RECOVERY
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屋内展示されている22型の翼です。
零戦のオリジナル塗装の保存状態が良好で
貴重な資料だと思います。
零戦22型主翼折りたたみ部分
現地で気がつかなかったのですが、
主翼上面にある内側編隊灯を拡大し
上下逆にしてみました。
怖い・・・
この写真、Photoshopで画像加工していないですよ。拡大しただけです。
じっと見つめていると、焼けただされた人の顔にも見えてきます。
まるで、訴えかける英霊の目のようです。
「本当の戦争とは、いったいどういうものなのか
絶対に、忘れるな」と、無言のまま叫んでいるようです。