2021年06月12日
若葉の頃に(1)担任編
ご訪問頂き有難うございます。感謝致します。
本日のタイトルは「若葉の頃に」と題しました。過ぎ去った私の若かりし頃です(笑)
あれだけ記憶力の良かった10代が嘘のような現在の記憶力(笑)
それでも忘れられない辛い記憶がありました。
今回は「若葉の頃に」と題しまして、同じシリーズで数回、高校時代のお話をさせて頂こうと思います。
今日は私が経験した、でも今は乗り越えたけれど苦しくて辛い経験です。
女子高に通う高校1年生の頃、入学してすぐ私は学級委員になりました。立候補した訳でもありません、担任教師が勝手に決めました。理由を聞くとサイコロで3と6が出たそうです。出席番号36番の私が委員長になりました。そしてその担任は当時28歳くらいだったでしょうか?若くて女子高という環境もあり、モテていたのでしょうが私はどうしても波長が合いません。ですが特に気にしませんでした。
これは皆様にもお聞かせ頂きたいくらいなのですが、こういう事は普通の事なのでしょうか?朝のHR(ホームルーム)と帰りのHRで委員長の私と副委員長の子と2人で毎回、職員室に担任を迎えに行かされていたのです。毎日です。私は2学期まで委員長だったので、その間の学校がある日は毎日です。そして担任に「先生、準備が出来ました。HRをお願いします」と伝えると、担任は頷き一緒に階段を上がり教室へ行くのです。
最初は職員室に行き何を言えば良いか分からなかったのですが、担任に指示されて「先生、準備が出来ました。HRをお願いします」を言わされるようになったんです。こういうの、普通なんでしょうか?生徒が職員室まで教師をHRの度に迎えに行く事が。
中学生時代は担任は自分1人で教室に来て生徒は呼びに行ったりしなかったので、衝撃を受けました。と言うより、お願いをしないといけない事に正直、バカバカしさを感じていたのです。
それでも、指示された通りに職員室へ行きお願いをしました。すると「嫌だ」と言う時もあります。
そんな時、私の顔は般若の形相です(笑)お願いをするのも迎えに職員室に日に2回通うのも嫌なんです。勝手に来てくれないかなといつも思っていました。
「嫌だ」と言われて「何でですか?」と聞けば、「仏頂面で言うから」と担任が言うではありませんか。そりゃ、仏頂面にもなるわい!と思っていたら「ニッコリ笑って言うべきだ」と。
何より嫌だったのは、その一緒に教室へ行く時に「ソフトボール部へ入れ」という勧誘です。担任はソフト部顧問です。確かに私は中学生の頃、2年生の途中から1年間だけソフトボール部へ入っていました。それは部員が足りず試合が出来ないとソフト部の友人に言われて、野球のルールもソフトボールのルールも知らないまま入ったんです。当然、試合でも活躍出来ません(笑)いてくれるだけで良いと言われても「ルールも分からない。試合も役に立てない」と言ったのですが、友人は「大丈夫!ポジションはライトで立っててくれるだけで良いから」と無理やり入部させられました。実際には左利きの人がバンバン球を打ち、ライトに飛んで来るという(笑)地獄を見ました。
そんな私が、誘われて高校で入部なんかする訳ありません。いつも断っていました。よく殴る担任が私がソフト部へ入れば厳しく、また殴られる事は想像出来ました。入部したら大変になると。
そんな日々を繰り返し、担任も入部しない私に苛立って生意気に思っていたのだと思います。担任は社会科の教師でした。ある日、授業が始まっても教室になかなか来ず、担任に憧れている生徒2人が廊下に出て「先生まだかな?まだ来ないね〜」と言っていました。その生徒2人は担任と手紙のやり取りとかをしていて、普段から「先生カッコイイ!」とか言っており、それを担任も分かっています。
そして担任が遅れて教室に入るなり、私に「立て!」と言うので訳が分からず、椅子から立ち上がると物凄い力で頬をビンタされました。頬は痺れ、耳はキーンと鳴っています。私は唖然としました。そして日頃から色々腹立たしさもある担任に思いきりビンタされた事をとても悔しく思い、涙が出てきました。でも泣き顔を見せるのも癪で机に突っ伏しました。
驚く事に、突っ伏した私の髪を担任は鷲掴みにし、頭を上げさせました。泣いているのに気が付き、手はすぐ放しましたが。そして「ほら、可哀そうだろ?お前達がチャイムが鳴っても教室から出ていたら、こいつの責任になる」と言ったのです。そして「監督不行き届き」だと。監督不行き届きって、この言葉その時に覚えました(笑)使う機会は未だにないですが。
私は「なんで先に殴るんですか?口で言えば分かります」と言うと「口で言っても分からんめーが」と言われました。「言われれば分かるに決まってる!」と泣きながら言ったのですが、私はご存じのように厄介肌。真っ赤に腫れ上がり、成人男性の力ですから口の中まで切れて血の味がしました。
そのまま帰ろうかと思いましたが、我慢しました。痛みと悔しさで勉強なんて頭に入りません。
それでも帰りのHRでは職員室に迎えに行ってお願いをしなければなりません。帰りが近くなると憂鬱でした。そして職員室へ行き、例のセリフを言い、一緒に階段を上がって教室へ行く間に私は担任に言いました。
「口で注意する前に殴らないで下さい」と。担任も「分かった」とは言いました。
家に帰ると、腫れて赤くなり部分的に青く内出血している私の頬を見て、母もビックリし父も怒り出す始末。父も怒って私を殴るクセに、他人が殴ると怒ります(笑)私は幼い時から父にも兄にも殴られていたので結構、殴られる事は慣れているんですが(笑)兄に殴られても時計を掴んで殴り返す女です(笑)痛いけれど、別に頬の事は良かったんです。あんな理由で殴られ、それも普段から色々思う所のある担任に殴られたのが気に入らず悔しくて辛かったです。
女子高では教師の暴力が横行していました。今だったら決して許されないですよね。2年生になり、その担任とは離れましたが1年生時代は他愛もない事で怒られ、叩かれた記憶ばかりです。そして高校3年生の時に「倫理」の授業であの1年時の担任に教科を習う事になりました。
私は喘息持ちで、一度出だすと引っ切り無しに咳が止まらなくなります。冬の時期で寒く、喘息も出ていてその授業中「うるさいから、止めろ」と言われました。大丈夫かと言うのではなく、うるさいと皆の前で言われました。必死で堪えるも喉から喘鳴は出ます。すると「出来るやないか」と言われました。忘れられません。あの意地悪な言い方。自分に気がある生徒には、同じように咳をしても「大丈夫か?」と言っていたその教師。「倫理」を教えていましたが、私は常々「倫理何て、人の道をお前が教えるな!」と思っていましたし、本当に大嫌いでした(笑)
高校時代、教師達にはよく叩かれたりしていました。手の甲をつねられて、皮が剥け血が出た事もあります。手の甲の真ん中が内出血です。担任以外にもこんな事をされていました。それは生徒が滅茶苦茶悪いならまだしも、些細な事でです。バカバカしい。
よく殴る女子高の教師達。スポーツの部活に入らない理由はバスケ部もバレー部も担当の教師が滅茶苦茶殴るのを見たせいもあります。鉄パイプの折りたたみイスで背中からお尻の部分を叩かれているバレー部の生徒を見ましたし。当時、私はこんなのは異常だと思っていました。多分、周りの高校は共学でもここまで生徒を教師が殴ったりしなかったはずです。この高校はおかしいなと思っていても「仕方がない」という風潮がありました。間違っていると声をあげないといけないんです。だから教師も歯止めが分からない、怒り任せに女生徒を叩くんです。
ちなみにモテていた担任ですが、ニキビ跡で肌はボコボコしており、メガネをした脂ぎった顔でした。私が高校1年時は28歳でしたが、女子高だと男性教師はどんな顔でもモテるんでしょうか(笑)
20代の頃も思い出しては辛かったのですが、今はもう許せています。当時の先生は30歳前です。人としても成長の途中でしょうし、精神的にも幼かった部分もあったでしょうし、心も広い訳では無かったのだと。年を経た私もまだ精神的に幼いと思います。誰もが完ぺきでは無いから仕方ないんですよね。私も若く、嫌いだからときっと表情にも出ていたかもしれません。生意気盛りでしたし(笑)
なので、いつまでもそこにフォーカスしなくなりましたし許せました。すると精神的にも楽になりました。
この先生のように苦手な人が人生でも何人かいましたが、私だっておかしな人間です(笑)人の事は言えないはずだと思うと、不思議と苦手だった人達も許せてきました。そんな人達を若い頃の私は反面教師だと思っていましたが、そうではない事に気が付きました。あの人達も私も同じなんだと。それぞれが同じ個性なんだからと。考えが変われば、視点も変わり楽になれました。
本日の写真は、昨年に保護した2匹のうちの1匹の子猫です。2匹一緒の写真が見当たらず(笑)この子猫の姉妹は柄は珍しい「麦わら猫」でした。3か月半程育て、後に猫カフェさんを通して素敵なご家族が2匹とも家族として迎えて下さいました。感謝で一杯です。写真の通り可愛い子達でした。
高校時代のお話、「若葉の頃に」は数回書かせて頂きます。お時間がございます時に、宜しくお付き合いの程、お願い致します。
本日もお読み頂き有難うございました。感謝致します。
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