アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2021年01月25日

99人の壁、あれぐらいの盛りダメなのか




1月18日、BPO(放送倫理・番組向上機構)が、フジテレビのクイズバラエティー番組『超逆境クイズバトル!!99人の壁』の回答者水増しについて、委員会決定としての意見を出した。結果は、放送倫理違反があったと判断された。

『超逆境クイズバトル!!99人の壁』は、以下のような早押しクイズ番組です。
・100人の出場者の中からくじ引きで選ばれたチャレンジャーが、残りの99人と早押しクイズで対戦するし、5問連続で正解できたら賞金を獲得できる。
・賞金獲得を阻む対戦相手はブロッカーと呼ばれるが、1問目25人、2問目50人、3問目75人、4問目と5問目は99人と増えていく。
・正解してブロックに成功したブロッカーが次のチャレンジャーになる。
・出題される問題は、事前に申告されたチャレンジャーの得意ジャンルから作られる。

「放送倫理検証委員会決定 第39号」によると、今回問題となったのは、人数が不足した場合回答権のないエキストラを出していて、これが、「番組が標榜している『1人対99人』というコンセプトを逸脱し、視聴者の信頼を損なう形となっていた」とのことである。
そしてこれは、「番組にエキストラとして複数回参加したという匿名の人からで、数合わせのための出演なので解答権はないと収録前にスタッフに言われた、1対99の対決をうたいながら視聴者を欺いているのではないか」という意見がBPOに届いたことから審査になったとのことである。
このエキストラはなぜ通報したのか。自分に回答権がなかったことが不公平だと不満を抱いたからではないと思いたい。視聴者を欺いているのではないかという疑問、正義感からだと思いたい。そうでなければ話にならないから。なぜならば、嫌だったらエキストラを引き受けなければいいだけの話。複数回参加してから意見する、思うところというか、使命感があったのであろう。

さてさて、この概要を見た限り、「放送倫理違反」という判定について、私は厳しいのではないかと思った。
報道番組やドキュメンタリーだって、多少内容を盛るだろう。平凡な話をしてもつまらない。ましてやバラエティー番組、ある程度の演出、盛りはあるものだろう。限度はあるがあえて盛り下げるようなことを言う必要はない。
全く盛りを認めないということになると、それこそテレビも雑誌も面白くなくなる。もちろんそれが誰かの社会的価値を貶めるような名誉棄損に当たったり主張や趣旨が全然違うものになってしまうなら大問題ですが。
ただ、「1対99」というタイトルだからと言って、1対90だったとして、そこまでの問題でしょうか。あくまでタイトル、キャッチコピー。100人近いブロッカーを相手にチャレンジしているという事実はあるので、趣旨が崩れているとは思えません。

空席を埋める、それぐらいの演出は珍しいことではなく、社会経験がある人なら想像はつきそうなものだと思います。そしてエキストラと他の出演者との待遇に差があることも普通のことです。
そしてこの番組に関して言えば、エキストラに回答権なしとしたのには合理的な理由があります。欠員補充のエキストラの出演は、当然他の出演者よりも間際に決まります。なので、得意分野を聞いて問題を作り、その問題に関する裏付け、映像づくり、などをするには時間的に厳しくなる。なので、エキストラの方をチャレンジャーにすることは困難という事情があります。

勿論、限度はあります。エキストラに依存する程度が議論になるなら分かります。今回の結論では、程度に関係なく回答権がないエキストラを使ったこと自体問題、1人対99人の遵守こそが視聴者との絶対の約束事と捉えられました。ここには違和感を覚えるのです。
報告によると、レギュラー番組化後25回放送までに延べ406人のエキストラが入りました。平均すると1回あたり16人でしょうか。ん、ちょっと多い気がする。
ブロッカーは3問目の75人から増えて99人になるので、3問目よりも増えて80人いれば、個人的にはそういう回があってもまぁ許容範囲だと思います。ただ、26人がエキストラだった回があるとも報じられていますし、平均16人というエキストラ常態化は依存し過ぎと言えるかもしれません。

こういう、程度、限度が議論になるなら分かるのです。キャッチフレーズの使い方、盛りの程度、そのあたりの国民的合意が必要でしょう。見ててワクワクする番組は見たいでしょう。一切の演出なし、ありのままは、望まれないと思います。

「放送倫理検証委員会決定 第39号」の「おわりに」では、「例えば、90人しか集められなかったなら今回は「90人の壁」だと番組内で言えばよかった」などとしていますが、ここまで暴露する必要あるかねぇ。


2021年01月20日

新成人がお酒で荒れることあるのは仕方ない




前回に続いて成人式に関する話。
今年は感染症の影響で、お祝いも大きく自粛されたけれど、例年は成人式後の何日かは、荒れる成人式の話題でワイドショーやネットニュースなどが盛り上がる時期になります。

もちろん、式典の場で場を乱す行動をしたり、外で酔って周囲を不快にさせることはよくないことです。式の進行を妨害したのなら、退出させるなどの措置は当然だろうし、酔って暴れた場合も、物を壊したり誰かにケガをさせたなら、刑事、民事両方で裁きを受けなければならない。
ただ、何万人の新成人の中の、ごくごく一部がそのような行動をしたとしても、「荒れる新成人」みたいな新成人全体のイメージを悪く捉えるような言い方はすべきでない。また、羽目を外しすぎてしまう新成人が出るのはある程度仕方ないこと、もう少し落ち着いて見てあげられないだろうかと毎年思う。

新成人、もちろんお酒を呑む経験はほとんどない人たちばかりである。というと、成人するまでお酒を口にしない人なんてあまりいないのではないかと異論を言われる方もいるだろう。どれぐらいの割合の方が未成年から呑んでいるのか、彼らがどんなの見方をしているのかといったことは分からない。しかし、隠れず控えず、堂々と呑めるのは二十歳になってから。親戚や同窓生などと、大勢で呑むのは初めてという人も多いだろう。
成人式とはそういう日なのです。一定数制御できない新成人が出てしまうのは仕方がない。自分が犯してしまったことに対しては、責任を取らなければならない。だがしかし、先輩の大人たちが、醜態の部分を引きずり出して話のネタにしているような空気には違和感しかありません。
失敗もして、あるいは繰り返して酒との付き合い方を覚えていく。一緒にいる仲間たちも、トラブルにならないように落ち着かせたり介抱したりしないといけないだろう。ひとつの経験として、先に大人になった人たちは、温かい目でみることも必要だろうと思う。

私の目から見たら、社会人の忘年会とかも酷いのがたくさんある。
30歳、40歳になっても、歩けなくなるぐらいまで呑み潰れる人、こんなのはまだかわいい方。役職が付いたような人が、デュエットやお酌の強要などのセクハラをしたり、呑むペースが遅い人を煽ったり、部下をいびったり。あるいは外で大声をあげたり、けんかっぱやくなったり。
成人の日の新成人よりも、忘年会の社会人の方がよっぽど遠慮がない人、問題ある言動をしている人が多いと感じている。これは私の主観でしかなく、説得力はないかもしれないが、ベテラン成人の間でもなかなかなくならない問題を、ないことが当然とばかり新成人に期待し嘆く論調が強いことは、残念なことです。ハッキリ思う。こういう空気は、害悪だ。





タグ: 成人式 飲酒

2021年01月17日

成人の日の日程か新成人の区切りを変えるべき。お酒の面から。




今年は感染症の影響で例年とは大きく雰囲気が異なるものでしたけれども、成人の日が過ぎました。
今年独特の空気は無視させて頂いて、成人の日のたびにいつも感じていたことを書かせて頂きます。

新成人の間で、成人式にお酒を呑んでもいい人といけない人が混在してしまうって、あんまりではないですか。

成人式は1月の第二月曜日。つまり、1月8日から14日の間にきます。新成人の区切りは学年なので、前年の4月2日から当年の4月1日までに20歳になった、あるいはなる人が、成人式で新成人として扱われることになります。
ということは、成人の日の時点において、新成人の8割弱の人が20歳、2割強の人が19歳です。当然ながら、20歳の人はお酒が呑めてタバコも吸える、19歳の人はそれができません。

もちろん、祝いの席ではお酒を呑んだ方がいいとか、呑めない人や呑みたくない人の声を軽んじるとか、そういう意図は全くありません。お酒を呑まない祝いもまたいいものです。ただ、呑める人と呑めない人が混在する現状がきわめてよろしくないと主張しているのです。
お酒を呑む呑まないの自由は尊重されなければいけませんが、大人の祝いの場にはお酒は定着した重要な要素です。お酒があるのとないのとでは、全然空気が違います。同じ新成人でありながら、お酒がある場を選択できない人が2割いる。こんなことが許されてはいけないと思います。ましてや、同じ酒の席において、呑んでいる新成人の横で断らなくてはいけない新成人がいる。悲しいことです。

ここまで読んで頂いて、20歳まで律儀に呑まないなんていう人実際にはそういないし目くじら立てなくてもいいのではと思った方もいるでしょう。しかし、酒を呑むことへの世間の目は厳しくなっています。例えば、平成初期までなら仕事納めの時ぐらい社内で酒を呑めた職場も多かったと思いますが、今は違います。
未成年飲酒で言えば、年齢確認が当たり前になり、ひとりひとり年齢確認されることが普通になりました。酒を提供した人が罪に問われ多額の罰金を科せられかねないからです。また、誰もがカメラを持ち歩き全世界へ発信することが容易な世となり、19歳以下で酒を呑めば即座にネットで総攻撃されるようにもなりました。
つまり、成人式ぐらいと19歳で呑むことが、以前よりもずっとずっと難しくなっているのです。
昭和の頃は、正月のおとそは縁起ものだからと、小学生が口にしても咎めない大人がけっこういたように思います。もちろん、それがいいとは言いません。それはいけないことです。ただ、その頃の感覚が残っている人が、19歳で飲酒できないなんて現実はないと言っているのなら、それは違うのです。
それに、百歩譲って19歳で呑んでもいいよいいよという世だったとしても、堂々と呑めるかそうでないかは違ってきます。呑み過ぎてしまったら、周りに迷惑を掛けたら、後々未成年ということが問題になるかもしれない。飲酒経験が浅い、というよりほとんどない若者、他の大人よりリスクは高いだろう。もちろん迷惑をかけないように気を付けるのは当たり前ではありますが、20歳で堂々と呑める方との格差を持たせてはいけないと思うのです。

ではどうするべきか。方法としては3つあります。成人式の日にちを変えるか、学年制の区切りを変えるか、あるいは未成年者飲酒禁止法を改正して飲酒可能年齢を変えるかです。
まず成人式の日にちについてですが、成人式のルーツは1946年に埼玉県で行われた青年祭と言われています。成人の日の制定は1949年。そんなに歴史が古いわけではありません。変えてもいいのではないでしょうか。4月2日以降にして、全員が20歳になってから行うとか、1年前倒しして、全員が19歳で行えば、早生まれ遅生まれの差がなく新成人は成人式の性格を共有できます。
また、学年ではなく年、つまり4月2日ではなく例えば1月1日で区切るという方法もあります。1月1日から12月31日までに20歳になった方々が翌年の1月第二月曜日の成人式の対象者であれば、全員が20歳以上。20歳に3〜4%は21歳が混じっていますが、酒という文化の扱いで隔てられることはないですし、誕生日の差も1〜2週間、生まれ年の差が問題になることもないでしょう。
3つ目のお酒が呑める年齢については、アルコールに関する医学的なことも考慮しなければいけないでしょうけれども、例えばフランスやオーストラリアは18歳以上、米国は21歳以上と20歳でない国も多く、あえて成人式をまたぐ年齢を選ばなくてもいいでしょう。

私の意見としてひとつ主張するとしたら、学年ではなく生まれ年に区切りを改めた上で、成人の日も1月第二月曜日から5月1日に移すという案。つまり、1月1日から12月31日までに20歳になった方々が、翌年の5月1日に新成人として祝われる対象になります。

なぜ学年制を捨てたか。学校生活から社会人になる年齢は様々ですが、成人となれば、ゆくゆくは労働者として、学校での学年とは縁が薄くなっていきます。学校何年卒よりも、何年生まれのウエイトが高くなっていきます。だから、新成人の儀式で学年の概念を持ち出す意味は薄いと思いました。
それを採用したらそれだけで成人式に飲酒可能者と不可能者が混じる問題は解決できるのに、更に成人の日をずらす理由ですが、いくつもありまして、総合的に5/1を主張しました。
ひとつは、やっぱり飲酒が絡む事情を考慮してのこと。20歳になって1年経っている人と半月未満の人、お酒を浴びる心構えに差ができてしまうと思うんです。なので、花見の時期を含む4か月間で、年末誕生日の人も酒の席を堂々と経験する機会を通った上で成人式に臨む方がいいと思いました。
それから気候。厳かな成人式を寒さ厳しい真冬に、正月の厳(おごそ)かな雰囲気が抜けない時期に。この選択、絶妙だとは思います。ただ、新成人のスタートを、大雪だとか寒波で邪魔されたくはないです。交通が乱れにくい時期がいいのではないでしょうか。
そして、成人式に参加しやすい時期、かつ、新成人のみならず、みんなが祝いやすい時期というのも大事です。例えば学年のスタートが4月2日だからと言って、4月始めに成人式をやったら、企業は年度初め、新入社員の受け入れ時期でもあり、忙しい。企業活動や新生活を折るように地元の式に参加、これは難しいかもしれません。新成人も表情暗い、社会もノれないということになりかねません。

心から参加しやすい時期、春の大型連休(GW)かお盆だと思うんです。ただ、お盆はちと区切りの大晦日から時間が経ちすぎている気がします。夏祭りの時期とも重なり成人の祝いが埋もれそうな予感もします。
5/1なら、新成人ということで新たなステージに立った方に降り注ぐ諸々をリセットする効果も少々あるかもしれません。また、世界ではメーデー、国内ではゴールデンウィークということで社会的休日、休める人は多い日でしょう。GWも休めない人はいますが、分散休日シフトも多いお盆よりも休める人は多い気もしています。
成人と子どもの違いと言えば勤労の義務。今時、汗水たらして働くことが美徳とは言い切りません。不労所得で生活するのもアリです。しかし、労働について考えるのは社会の根幹。たまたまメーデーがゴールデンウィークという時期に当たったことも生かして、労働と社会について考える、それが大人の一歩、そういうメッセージも若者に伝わればと思います。
例えば景気と雇用、例えば労働形態、例えば労使の協力すべきところと対立点、それらを考えることは、大人の権利である選挙権行使に必要だと思いますから。

というわけで、私の意見として一つ出すとすれば、1月1日から12月31日までに二十歳になった人は、翌年の5月1日に成人式。
他にも案は考えられますが、少なくとも、成人式当日において、新成人の中で、お酒が呑める20歳の人と呑めない19歳の人が混在する現状は、解消すべきです。



2021年01月09日

口パク歌番組の何が悪い





2021年、年明けました。
いや、年が明けて1週間以上が経過してしまい、この挨拶はないかもしれませんが、挨拶はともかく言いたいことを言っていきます。

年末は、歌番組が増えます。その中で近年、口パクへの風当たりが強い。
口パクとは、音楽ライブなどで、ボーカル入りの音源を流して、生で歌っているボーカルの声はマイクで拾わないか、ボーカルが声を出さないことを言います。
プロの歌い手であれば、うまく行った時の録音に頼らずに生歌で勝負すべき。金を払っている観客を前に、ボーカルが声を出さないなんてありえない。一見ごもっとものように聞こえます。

ただ、私は、最高の音で楽曲を聴きたい。
生の歌声と、プロがミキシングやマスタリングを行い、各楽器とボーカルが互いに立つように調整された歌声。どちらが完成された音として聞こえるか。
もちろん、一概には言えないです。編集技術者の技量や設備、そして歌い手の実力にもよります。テレビ番組で、超一流の歌い手は、会場の形状や壁の音吸収といったホールの特徴、当日の温度湿度を加味した上で歌うらしい。曲を完璧に自分のものにしているのは前提で、リハーサルでは会場の個性と気候を含めた調整をする旨言っていた方がいました。本当にそんなことが人間にできるのか、できているのか、私には判別しようもありませんけれども。
しかしながら、一流の人がミキシングをした音に勝てる人、いたとしてごくごく少数なのが現実ではないでしょうか。

楽曲とは、ボーカリストだけのものではありません。作曲者、作詞者、メーカーは、抜群の調和の最高の音で届けたいに決まっています。いや、決まっていますと言うと言いすぎでしょうね、ボーカルに惚れている(もちろん声にという意味です)製作者もいるでしょうから。
それに、ステージで歌う人が、必ずしも歌唱の専門家であるとは限りません。今や様々なタイプの方がいます。歌って踊れて、かつ時には容姿見栄えも重視されるいわゆるアイドルも、歌番組の中心です。

口パクはタブー。これが歌唱のプロフェッショナルを自称し誇る人たちの間だけであったならまだ理解できます。また、口からマイクを離しているのにボーカルが流れているような、当人たちが歌っていると思って観るにはあまりにも違和感があるのはいかがか、こういう主張ならまだ分かります。しかし、微妙なタイミングのずれとか、読唇術で歌詞勘違いをあぶりだしたりとか、口パクを探して批判したり、口パク疑惑を列挙したりは、歌番組の楽しみ方としてとても健全とは思えません。

もし、ステージで歌うからにはボーカル音声はライブでなければならないとするならば。トップの音楽番組は、熟練の歌手ばかりになってしまうでしょう。どちらかというとビジュアルやダンス中心のユニットも、ボーカル専門を置かなくては出られなくなってしまうかもしれない。それでは一体感がなくなってしまう。
みんなでマイク回して動いで踊るユニットのユニット内の一体感もそうだし、番組としての全出演者通しての一体感も。
タイプの違う出演者間で、それぞれの持ち味を生かす。あるいはユニット内でなるべく大勢、できれば全員でパートを振る。口パクを禁止してそれらの一体感を出すのが無理と断定はしませんが、ボーカルが入った音源を使用することは有効に機能しているように感じます。

口パクを悪とするのでしたら、ゲストバックダンサーとか、間奏の間の寸劇といった演出も禁止すべきです。
プロの歌手なら、自らの歌唱力でその場勝負。ということであれば、普段付けていないパフォーマンスを、ゲストのダンサーとか役者にさせてはいけないという理屈に行かなければいけない気がします。音源と自分の歌唱力だけで場をつくってくれと。
自分の唄だけで挑む方もいます。抜群の歌唱力を持ちながら、衣装やバックダンスなどで視覚的な要素も加えようという方もいます。歌以外の部分で魅せたいと、歌は音源に入れてしまって歌唱以外のところに注力する、アリではないでしょうか。
歌番組、歌い手も主役ですが、楽曲も主役です。
楽曲をよりよく聴かせるために、あらゆる手段を使う。それこそが歌番組。

最後に2つ。
最高のボーカルを聴きたいという方。ボーカリストによるライブ会場に行ってみた方がいいと思います。テレビなどで他のスピーカーを通すよりもずっと臨場感もあるし、会場の個性や聴く場所の温度湿度にまで気を配った声を感じることができるかもしれません。
今は感染症の影響もあり、自宅で見るしかないかもしれませんが、口パク云々は今言われ始めたことではないですから、感染症が落ち着いたら、是非。

そして、収録ではなく本人の生歌声で聞きたいというファンの皆様。口パクは悪だと叫ぶよりも、いちファンの要望として事務所にリクエストした方がいいと思います。



タグ: 歌番組 口パク
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。

Build a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: