大阪には昔はたくさん小さな川がありましたが、今ではその多くが埋め立てられてしまっています。今の阪神高速堺線の西成区と住之江区を通る区間にも十三軒堀川という川がありました。江戸時代の元禄11年に河村瑞軒が周辺の土地を開拓するために開削したそうです。今でこそ西成区といえば小さな住宅や工場などが立ち並ぶようなところですが、昭和40年代の初めごろまでは、結構、水田や畑があり、農耕用の馬を飼っているようなところもありました。戦前は川岸に松や柳が植えられた風情のあるところだったみたいです。戦後は川に乗り出すように違法な建物が立ち並び、川はゴミだらけになっていました。水の流れもなく、油が浮かび、工場廃液によりさまざまな色をしていました。犬の死体などが良くごみの中に浮かんでいたのを覚えています。元々は農業のための用水路として作られたものなので、周辺の宅地化が進み戦後はほとんど使われなくなっていました。今の阪神高速堺線の高架の支柱はこの十三軒堀川の中心に立っています。両側は片側三車線の道路になっていますが、車の通行量はあまり多くありません。昔、川があったという風情は消え失せ、周辺には町工場が立ち並んでいます。
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