2024年11月22日

ICBM(大陸間弾道弾)を撃ち込んできた

ロシアがウクライナに報復攻撃を行った。
なんと、ICBM(大陸間弾道弾)を撃ち込んできた。
ウクライナの長距離ミサイルは6発ロシア内まで撃ち込んだが、報復攻撃ではICBM(大陸間弾道弾)で来るとは思わなかっただろう。
しかし、ロシアは理性的だ。
本来なら、宣言通りに核攻撃でも良かったのだが、核弾頭は搭載されていなかったようだ。ウクライナやNATO(北大西洋条約機構)は肝を冷やしただろう。
ICBM(大陸間弾道弾)の攻撃をまともに食らったのだから。
しかし、核弾頭が搭載されていたら、間違いなくウクライナは消えて無くなっていた。
ロシアは最後通告としてICBM(大陸間弾道弾)を使ったのだと思われる。
この効果が出て、ウクライナが降参すれば良いのだが、アメリカとNATO(北大西洋条約機構)の一部が強硬に反撃に出てくるかも知れない。
そうなると、第三次世界大戦は間違いなく勃発だ。
アメリカの現大統領のバイデンは、選挙での敗北をチャラにするために、世界大戦に引き込むつもりかも知れない。
戦時内閣のようなモノだ。
トランプに政権を渡す前に戦争を起こせば、引き継ぐことが出来ないかも知れない。
しかも、トランプを暗殺する事さえ充分にあり得るのだ。
大統領選でトランプは暗殺未遂を仕掛けられている。
斜陽国家とは言え、アメリカにはまだまだ注目しなければならない。


季節病カレンダー

籾山昌子著「季節病カレンダー」を読んでいる。
61年も前の本だ。
しかし、61年前の本にしては、現代にも通用する分析の内容だ。
新型コロナウィルスのパンデミック以来、病気というとウィルス感染症などが有名どころだが、新型コロナウィルス前の感染症や季節病というモノを覚えている人がどれほど居るだろう。
そもそも、季節病って何だろう。
季節により発生件数の多い病のことだと思う。
具体的に夏の季節病は何だろう。
最近の地球温暖化の影響で、夏は熱射病の名が上がる。
不意の季節病は何だろう。
風邪、心臓病、脳卒中、お風呂場でのヒートショックなどが有る。
戦前の昭和期は、夏の季節病は赤痢、下痢などの腸内機関の病が多かったようだ。
冬の季節病では、老衰も季節病だったらしい。
更に大正時代、明治時代には、夏の季節病が結構多かったようだ。
戦後の日本は公衆衛生が整い、国民の栄養バランスも良くなってきた。
そうした社会権卿の変化から季節病の変化も出てきているのかも知れない。
季節病は社会構造と生活状況で時代ごとに変化するようだ。


孝明天皇の死因については何も語られていませんね

「出口王仁三郎の霊界からの警告」という30年以上前に買った書籍を読んだ。
オカルト系の書籍だが、読み方によっては面白い近代日本の歴史書でもある。
大本教という宗教は明治、大正、昭和の初期に大きな勢力となった宗教だが、戦後日本では殆ど知られていない。
戦前の帝国政府に弾圧を二度も受けた宗教だ。
私は今の情勢と歴史観から、大本教は今で言うDS(ディープステート・地下政府)に攻撃されたと考えている。
つまり、ユダヤ人のオシニストに叩き潰れたと言うことだ。
明治維新はクーデターである。
玉にならない皇族は天皇であっても殺されたようだ。
15歳の明治天皇は、倒幕派DS(ディープステート・地下政府)の言いなりだったのであろう。
明治天皇は倒幕派に加担したので、現人神となったが、孝明天皇は殺害されたようだ。
DS(ディープステート)が操る明治政府。
明治政府は国家神道を立ち上げ、廃仏毀釈というおかしな事を始める。
そもそも、国家神道は宗教性の無い官僚的な宗教だ。
これはDS(ディープステート・地下政府)が日本人を無神論者、無宗教者に作り替える手段だったのかも知れない。
事実、明治以降日本人の宗教離れは著しい。



仏教国家であった日本は国家神道という神無き宗教に変えられた。
明治天皇を現人神に押し上げて神格と人格を無視する宗教を作り上げたのだ。
神憑り(かみががり)の勢いで勢力を強めた王仁三郎と大本教。
本当の神が治める日本をDS(ディープステート・地下政府)が恐れたのだろう。
幕末から現在までDS(ディープステート・地下政府)支配が残る日本。
歴史から消された宗教というのは、以外と日本の黒い歴史を物語って居るみたいだ。
Twitter(X)のAIGrokによる出口王仁三郎と孝明天皇についての回答を以下に記載しておこう。


出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)は、日本の大本教の二大教祖の一人であり、以下にその概要を説明します:
- **生涯と役割**:
- 1871年に生まれ、1948年に亡くなるまで、大本教の発展に寄与しました。
- 彼は大本教の開祖である出口なおの娘と結婚し、その後、王仁三郎という名を取りました。
- **大本教との関わり**:
- 大本教は、出口なおが神の啓示を受けたとされる教団で、出口王仁三郎はその教義の発展や布教活動に中心的な役割を果たしました。
- 彼は教団の理論的支柱として、多くの著作を残し、特に『霊界物語』は有名です。
この作品は、彼が神霊から受けたとされる啓示をまとめたものです。
- **思想と影響**:
- 出口王仁三郎の思想は非常に多岐にわたり、霊界や神々との交流、世界平和、芸術の重要性などを強調しました。彼の教えは、当時の科学や哲学、宗教観と融合し、新しいスピリチュアリズムの流れを作り出しました。
- 彼はまた、国際的な平和運動に参加し、エスペラント語の普及を推進するなど、グローバルな視点からの活動も行いました。
- **迫害と遺産**:
- 大本教は国家神道と対立する部分があり、政府から弾圧を受け、王仁三郎自身も長期間の拘束を強いられました。
しかし、彼の思想は多くの新宗教やスピリチュアルムーブメントに影響を与えました。
出口王仁三郎の活動は、20世紀初頭の日本の宗教、思想、文化に大きな影響を与えたとされています。
現代でも、彼の考え方や大本教の教義は、さまざまな形で受け継がれています。


孝明天皇(こうめいてんのう)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけての日本の天皇です。
彼の治世は1846年から1867年までで、以下のような重要な時期にあたります:
- **生涯と治世**:
- 孝明天皇は1831年に生まれ、1846年に第121代天皇として即位しました。
彼の治世は黒船来航や幕末の混乱期と重なります。
- 彼は江戸幕府の最後の将軍、徳川家茂や、倒幕派の活動などと関わりながら、政治に直接影響を与えようとしました。
- **歴史的背景**:
- 1853年にマシュー・ペリー提督が浦賀に来航し、1854年に日米和親条約が締結されるなど、外交の開国政策に影響を与えました。
- 1860年代には尊王攘夷運動が高まり、倒幕運動が活発化。
孝明天皇は当初、攘夷派を支持する姿勢を見せましたが、次第に開国派と倒幕派とのバランスを取る難しい立場に立たされました。
- **政策と影響**:
- 孝明天皇は幕府の改革を要求し、公武合体(幕府と朝廷の協力)を目指す傾向を持っていました。
しかし、朝廷内外の複雑な政治状況から、具体的な政治改革を実現することは困難でした。- 彼の治世中の1866年に坂本龍馬が提案した船中八策では、公武合体の思想が一部反映されています。
- **死とその後の影響**:
- 1867年に孝明天皇が亡くなると、皇位はわずか15歳だった明治天皇に引き継がれ、翌年には明治維新が起こります。
- 彼の死は倒幕派にとって一つの転機となり、明治政府の成立につながる重要なイベントとなりました。
孝明天皇の時代は、日本が近代化へ向かう転換期であり、彼の行動と意思はその後の日本史に大きな影響を与えたと言えます。


孝明天皇の死因については何も語られていませんね。


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