先に書いたように、原発に対する意見は多様だ。決して、みんな原発0がベストと思っているわけではない。
さまざまな意見を聞いた上で、国民の代表である国会議員が判断するのであるから、やらせもなにもない。
簡単にやらせではないか、ということに、そのまま反応してしまう政府の大衆迎合主義には決められない政治といわれることとも重なって思える。
また、あまりに意見聴取会のたまたま抽選された意見のみでものを決めようとしているのであれば、そこから電力会社の意見は除く、ということは大変なやらせである。
それこそ、経済産業省系の公務員、財団、東芝など原発に関係する企業など、直接、原子力発電に関係するか否かにより、発言者がどんどん削られていくであろう。逆に、太陽光発電等再生エネルギーに関係する会社の人間は原発0で単価が倍の電力を買ってほしい立場であるから、そうした意見も本来カットすべきであろう。かように、人を選ぶというのは大変恣意的で、それはやらせ、と言われるものであろう。やらせ、といった人はいたが、会場の全ての人がそう思ったのではないはずだ。大体、ニュートラルな人などはおらず、さまざまな意見がありながら妥協点、合理的なところに納めるというのが政治の仕事、意思決定の仕組みである。
結局、民主主義ということ、多様な意見はあるままで、熟慮して判断するしかない、ということが分からなければ何をやっても無駄であり、こんなちょっとやらせと言われたからといって右往左往するような運営では、本当に、何をやっても意味がない。逆に、やらせ、といえば何でも通るというおかしなイメージを一部の国民に植え付けるだけで、かえってマイナスである。やらせ、といった人の職業や所属を明らかにしてほしい。たとえば、そうした発言をしている人間が思いを一つにするNPOだったりしたら・・・やはり、民主党の人は、独裁者の言うことは聞くべき、都合の悪い意見は隠蔽すべき、ということを考えている、政党自体がやらせと言えそうだ。
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