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2021年08月03日

『優しい陽射し』尾崎豊の心の憧れとは何か

尾崎豊ラストアルバムの『放熱の証』収録。
はじめに述べておくと、この曲は、尾崎の叶わぬ夢=憧れ=心安らぐ普通の暮らしと、心の痛み=ただ生きているだけで心が苦しく、自然と涙がでる暮らし、との葛藤が入り混じった内容となっている。そしてその前後に揺れ動く感情が一つにまとまり美しく儚さを表現された隠れた名曲である。

この曲は単なるバラード、ラブソングで語るべきではない。尾崎豊の本質と、尾崎豊の根本にある心の痛みと向き合う姿が投影されているからだ。けして見知らぬ誰かや、他人の暮らしを代弁したような曲でもなければ、後述するように尾崎豊の息子、尾崎裕哉氏が述べているような何かを悟っただけの曲ではないと思う。
(尾崎なりの真実の一つ「愛は育むもの」というのことを悟ったというのはこの曲の一つの要素にすぎないと個人的には思う。)


「過ぎゆく日々の中で寂しくなる君は
うつろう心のわけに一人唇噛み締めていた」


何気なく聞こえてしまう出だしのこの詞は決して見逃してはいけない。美しい詞であると同時に、尾崎豊の心情を理解する上で重要なことが語られているからである。
どこかの誰かに問いかけているようであるが、「君」に問いかけているようだが、これは紛れもなく尾崎豊が自分自身な向かってなげかけた言葉であろう。
この曲が単なるラブソングと受け止めてしまうのであれば、さらりと流してしまいそうだが、決してさらりと聞き逃してはいけない重要部分である。出だしの詩というのは、全体を掴みの部分であるが、そこで
「過ぎゆく日々の中」で「寂しくなる」自然と湧き出る寂しいという感情、そしてその理由、訳
がはなくただ生きることでその寂しさ悲しみを感じる尾崎の心に尾崎自身がどうしょうもなく「唇を噛んでいる」という描写だとおもう。人はどのようなときに「唇を噛むか」想像してみてほしい。尾崎は様々な曲で苦しみ葛藤を時には「叫び」で表してきた。


「優しい陽射し」では、静かな曲調にあった表現しているが、この裏に隠されている心情を読み取ると、救いようもなく悲しい描写である。
(『note』には「朝起きて心の痛みに襲われる」という記述がある。)

理由もなく、寂しくなる、悲しくなる、涙が溢れる…これはもう他人からしたら説明のつかない、尾崎が生きる事自体が、このような感情に多くを支配されていたということが『優しい陽射し』のこの歌詞かも垣間見られる。

2節目もこう続く。
「誰かと恋に落ちて名前を覚えるのに
ふっと笑顔の影に滲む涙がこぼれ落ちるから」
初めの詩と意味合いは同じである

『風の迷路』「行き交う人並みの中思い描く全てに壊れそうな心をいだいてしまうのはなぜだろう」息を吐くように心の痛みを感じ、泣いているのである。


『風の迷路』
「行き交う人混みの中思い描く全てに壊れそうな心を抱いてしまうのはなぜだろう」
『誕生』「わけもなくこぼれ落ちる涙」

その他多数…
これらと通じるものがある。


「何も悲しまないと暮らしを彩れば」

「大切にしてるけど壊れてしまうけど」

尾崎豊が大切にしてたもの、人とひて大事なものだか
それが壊れて(壊してはしまう)自分自身が自分に裏切られる

「憧れがなぜか心を痛めるから」とはどういう意味か。
この詩も言葉こそは違うが、別の曲で同じような意味でつかわれていると私は感じる。
『きっと忘れない』で「探していた答えに心が届かなくても」をという詩を思い出してほしい。
その詩の前は「いつも夢を忘れないで季節の中でうつろう君」だ。
この場合の「夢」と「憧れ」とは非常に似ていると思う。
なども繰り返すが、尾崎にとっての「夢」「憧れ」はそれはつまり「心の安らぎ」に他ならない。


悲しみと戦っていた 

それでもたどり着いた境地は
きっといつか答えは育むものだときづく

須藤氏の著書お尾崎豊

ユーチューブでは尾崎豊の息子尾崎裕哉さんが
この曲のインタビューについてとりあげている。
尾崎豊はこの曲についてインタビューで尾崎はこの曲についてこのように語っている。
「この歌のなかに答えははぐくむことという言葉があるんだけど、占ってできた答えはいつも必ずしもすべてということではなくて、
本当の答えってのは何年後かにしかわからないことが多くて。
しかも自分の受け止め方で変わってくるという。
だから自分が裏切られたとしても、なぜその人が裏切られたかわかってくると
それだったらもしかしたら自分も同じことをしたれないなとかね
行く末にはそういことがまっていると認識したときに、育むことですべてのことが理解でき
育むことも許すことも与えることも怒ることもことも喜ぶこともできるってことがこの歌の言いたいことなんだよね」

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