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2024年02月22日

【孤独主義者】ロンリープレイヤーは人生の勝者!

自分以外のモノは単なる飾り



自分に起きる現象はシナリオ

独り.jpg

どうも…ペインパッカーchです♪

ちょっと今回は珍しく哲学っぽい内容に該当するかもですが…いよいよ人生を終える今際の際に納得のゆく死を迎えられる答えの一つだと言う考え方を話したいと思います!

日本国内でも1億2千万人以上の人がおりますが、もちろん人生における幸せや概念というか定義みたいなものは個々それぞれでしょう。

他国においても人間という生き物は母国や文化、あと生い立ちや環境、出会ってきた人たちなどの影響によって各々の性格や考え方、価値観や人生の道筋も十人十色です。

ただ…ここでは平均寿命ぐらいまで人生を歩む見込みの一般的な日本人を基軸として書き込んでいきます。





人生観や人としての幸せを題材にした書籍や著書などは世の中に数多く存在しますが、その内容は概ね家族や仲間、友人やパートナーといった存在の重要性を強調したものばかりです。

何年か前にも執筆しましたが、孤独や一人きりの自由で快適な人生を綴った書物はあるものの、その中身は一般市民の生活状況と比べれば明らかに「そんなライフスタイル…経済的に裕福な人間しか無理でしょ?」という内容が殆どでした。

あくまでも個人的な意見かも知れませんし、令和6年(西暦2024年)の現在より数年前までの話ですから何とも言えませんが、少なくとも孤独に生きてこそ人生の勝者であるという類いの著作を見た記憶はないです。

それでは本題に入りますが…ロンリープレイヤーは人生の勝者であると言い切れる根拠は2つあります。

まず1つは自身の心の中で理解し納得するという精神世界の話になりますので割愛しますが、もう1つは人間が今後この世の中を生きていく上で理にかなった大事な人生観は、孤独でなければ得られませんし気付かないことが多いことを知ったからです。

それは2年ほど前に確信しましたが、当時は何故か動画アップすることに抵抗があったため、とりあえず今回の内容に近い孤独は最強であり最狂で最高というタイトルで配信した記憶があります。

その頃はコロナ禍の真っ只中でしたし、今回お話する内容を配信しても受け入れられない人や違う角度で解釈される人もいるのでは?という懸念が強かったため、据え置きのまま時が過ぎて今日ようやくアップすることになりました。

予め少し補足しておきますけども、人間は食べ物や生活に関することまで全て何もかも自分だけで賄うという意味では一人で生きていけませんし、孤独イコール他人と一切の接触や繋がりを断絶した状態…ではないのであしからず。

先に申しましたように、基本的に人間の幸せや人生の勝者については個々それぞれが人生を振り返った時、本人が意識的に“独りぼっちで死んだが良い人生だったので結果的に人生に勝ったのだ”と思い込むのも…それはそれで確かにそれが答えでしょう。それこそ先に述べた孤独は人生の勝者であるという根拠の1つに近い感覚であり、死にゆく時に襲ってくる経験したことのない孤独に抗うための発想です。

どれだけ死にゆく際に見届けてくれる人が周りにいても、死んでいく時は誰も付き添ってくれず結局のところ孤独のまま人生を終えますので…。

そして…もう片方の孤独こそ人生の勝者であると僕が定義としているのは、現世の去り際に自分の人生を振り返った時「孤独だったからこそ人生の意味を真剣に考えられたし、十分やりたいこともややった。一人きりの時間以外は結局のところ寄り道だったが色々と学べたし総合的に満足できる人生だった」と強がりではなく実感しながら死と向き合える人のことです。

類似した言葉として『人生の勝ち組』とか『成功者』という表現もありますが、それらは経済的に裕福な状態に至ったり自分の思い通りに人生を歩んだ人のことを示す呼称であって、そうであろう人に対して当て嵌めた言葉に他なりません。

きっと大多数の方は、たくさんお金や財産を所有していたり、事業がうまくいってハイレベルな生活を送り続け、家族や周囲の人間、雇っているスタッフや仕事にも恵まれ、人脈も広く家賃の高いマンションに配偶者と子供と暮らし、もちろん移動はハイランクの自家用車という方こそが人生の成功者であり「人生の勝者」だと思うでしょう。。。

まるで絵に描いたようなサクセスストーリーを歩んでみたいものだなぁ…と誰もが一度は憧れる状態と環境でしょうけど、その内容は実際に僕自身が置かれていた過去の状況下なのです。





何かをせずとも毎日のように収益があり、ザックリ言いますと年中フル稼働で毎日5〜10万円のお金が入金される経済状態が約5年ほど続き、そうなる5年前に知人から100万円を借りて個人事業を始めて、開業後も毎日10万円とまではいきませんが…近い収益を維持しておりました。

当たり前ですが、別に過去の自慢話じゃなくて…僕の場合は単に優秀なスタッフがいて運良く仕事を依頼してくれる方やお客様に恵まれ過ぎていただけの10年間だったのです。

26〜27歳頃から事業を始め自分の思い描いた通りに実現し続け、ずっと公私ともに確変状態でしたし、よく周りから成功者や青年実業家のお手本、僕のようになりたいという若い人から憧れられてるで!と近しい人に言われ、実際に弟子入り?や雇用を懇願されたのも確かで、おまけに一時の職業柄もあってでしょうけど…現在活動しているホスト君らがドン引きするぐらいモテました!

経済的にユトリのある男たちが、ターゲットの美人ホステスを口説き落とすために、その女性が勤める高級クラブに通い大金を支払っているような時代でしたけど、そのお目当てにされるミニ芸能界バリの大人気ホステスなんかでも一切お金をかけず普通にゲットしてました。

ちょっと過去の栄光を語る自慢話っぽい流れに思うかもですが、その通り!完全に自慢です(^-^ゞ

くだらん自慢話や過去の栄光栄華についてはそれぐらいにしまして、とりあえず誰もが羨ましいという状態でしたが、それは他者が見て思う感想であり、当事者は確かに生活は豊かだし欲しいモノも手に入るけど…常に目の前の現象に感謝の気持ちはあっても『幸せ』を感じたり『満たされている』と感じたことは一度たりともございませんでした↓

やがて規模は小さくとも…その優雅な日々も終わり、それから後に明日の食いぶちにも困るような時期も経験するのですが、その頃のほうが思い起こせば逆に幸せを感じる場面は多かったんです。

とにかく自宅の近所にあった100円LAWSONで売っている食料や物品でいかに一日を乗り越えるか…という闘いや、不要に近い衣類や雑貨類などを2ndstreetやリサイクルショップに何度も売りに行くといった日々でしたよ(^-^;)

おそらく大半の男性が得られないほどの人脈やハイレベルな生活、様々な経験の数々や周りが羨む女性遍歴など…まるで別人のことのように思えるほど、その時は流石に惨め過ぎて自然に涙が溢れる日もありました。

そんな感じで人生の天国と地獄を体験して今に至るわけですが…ある時に今までの自分の人生について主観だけでなく客観的な視点でも何日も深く考え込んで、ついにロンリープレイヤーこそ人生において結果的にWINNERなんだと気付いたのです。

その結果…実のところ人生とは全てが自分独りのことであって、簡単に言うと僕の人生という一冊の本があり、肉体的な生命の終了を迎えた時にその本は完成するのだと…。

と同時に…如何なることがあろうとも一心同体であり裏切りなど絶対にないというエビデンスを確認できなければ、パートナーや親友は勿論のこと上っ面だけの家族や仲間なんて邪魔な存在でしかないと確信しました。

何気に孤独な状態が寂しく感じる時や、他人が羨ましくて仲良さそうなカップルを見て切なくなる性分であっても、それに気付けば次第に自分以外の全ては単なるモノであったりエキストラでしかないのだと理解します。

要するに人生で起きる出来事や関わる人、色んな感情や時間でさえ魂だけの存在だった自分が現世で生を受ける前に全部決めた上で今この地上にいるのだという結論に至ったのです。





別にオカルトや霊的な話ではなく、その自分が決めたことを何故か母親の体内に入魂した瞬間に一旦?記憶がリセットされて、この世に肉体を得て生まれるのでしょう。

多分まぁ最初からどうなるか分かっていれば、人生なんて単なる上塗り作業になるし意味ないとは思います。

だから時々…前世の記憶を持ったまま現世に生まれ、その人が知るはずのないことを語る前世の人物を調べれば実際に存在していて、予め話していた内容も全て合致したという事例があるんだな…とも思いました。

例えば交際相手が僕に言ったことや他人が僕に対する感情、裕福な僕や貧乏な僕、周りの景色や着る服、食べる物や視聴する動画、嬉しかったり悲しかったりムカついたりショックを受けるのも、全て自分が決めているんだと…悟ったような感覚です。

知っているはずなのに死ぬまで判りづらい人生の意味の答えが解けたんです!

孤独というのは、その自分を他人が見てどう思うか?とかではなく、また自分自身が思うことでもなく、単なる状態を示す言葉なのだとも言えます。

親類はいないし今までの人間関係も尽く断ち切った僕のことなんて、新しい場所で生活を始めれば当然そんなの周りの人間は知るはずもなく、ただ自分のみが自分の過去の出来事として記憶に残っているだけで、それとこれとを自分が勝手にリンクさせているに過ぎないんです。

言葉や筆跡で表現するのは難しいんですけど、仮に当たり前のように連れ添っていたパートナーと物理的に別れたとしましょう。

それから暫くの間は普通であれば、強烈な寂しさや考えたくもないのに相手との思い出などが脳に侵入してきたりで苦しむはずです。

そう言う僕自身も以前はそうでした。

ところがです、そんな脳や心を支配されるような状態が仮に長引いたとしても(つまり未練)…精神的に大きなダメージを幾度か受けながら徐々にメンタルを強化して生きていくというシナリオを人生に取り込んだのは恐らく現世に誕生する前の自分なんです。

どう考えたって思いも寄らない何かから、別れた相手のことを長らく脳に送り込まれるなんてことは絶対にありえません。

脳について語る人の中には、自分の脳の仕組みを理解してコントロールできれば最強であるが、誰かと一緒にゴールすることは出来ず単体でなければ至れないと論じる人がおられますが、その説は概ね正しいと言えるでしょう。

考えてみれば、比較するのは恐縮ながらイエスキリストやお釈迦様も独りきりで悟りを啓かれたでしょうし、この世で天才と評される人や偉大な方などは、きっと誰にも頼れず完全に孤独な状態に追いこまれた経験があるはずです。複数の人で可能性や兆を切り開いたとは到底思えませんしね。。。

パートナーとの関係だったり、家族関係や自分以外の人との関わりを繋ぐ理由は、愛や情という抽象的な答えを語る人が多いんですが…本音を言えば打算的な部分や世間体だったりが大半を占めると思います。





それすらも実際は自分がどう思うかなんですが、孤独という状態を避ける人の心理は次のようなものです。

・とにかく寂しい
・行事の際に惨め
・老後の心配
・世間から見た目
・取り残された感
・緊急事態の処置
・独りは不安で心細い

など…大体その程度であって、それらについては全て反論できます。

それでは逆に孤独という状態を避けるために受け入れざるをえないことは次の通りです。

・身内でも気を遣う
・付き合いがある
・支出が尽きない
・我慢が必要
・責任が伴う
・考え事が多い
・自分優先は無理
・弱みになる
・協調性の維持
・ルールが出来る
・経済的な不安
・世間体を気にする
・行動の制限
・自由時間が少ない
・逆に居場所がない

以上ですが…まだまだ細かいことを言えばキリがないほど、孤独つまり自由な世界ではない人生には多くの不自由が伴います。





その代わり一緒に喜んだり美味しい食事をしたりという共感を得られない寂しさというデメリットもあるのでは?と言う人もいますが、そんなものは一瞬だろうし…そのシチュエーションでも相手を気遣ったり、妙に話を合わせることだってあるでしょ?

トータルで考えれば、何も気にせず顔色も窺わず思いのまま喜んだり美味しい飯を食べたほうが良くね?と思います。

例えばお金持ちでも、比較的仲の良い家族関係であっても他者と共存する人生の場合、最低限の気遣いや協調性は求められるし、自由も制限せざるをえないことも多いので…とてもじゃないけど誰かしらとの共存が人生の勝者とは言えません。

我慢や辛抱、気を遣ったり自重するといった行為は理性的であっても、どちらかと言えば自我を抑える行為なので精神面はマイナスのはずです。

そうでないこともありますが自分さえ耐えれば皆のためになるんだ…と誰が決めたのかわからんモラルやジャスティスに従って、無理に自我を抑制するドMの自分自身に酔っているとしか思えませんね。。。

それで積もり積もって自分の内面が弱り、結局は自分が自我を抑制したところで何も良くならなかったなんて事象は頻繁にあることも知っています。

それこそが大人だとか…それは人として正しいと言う人がいますけど、精神的に大人であるとか人間として正しいというのは何を基準に言っているのでしょうか?あるいは誰もが理解できる概念を仰ってもらっていいですか?そんな道徳論があるのなら是非ご教示願いたい!と何度か切り返したこともあります。

言うまでもなく納得できる返答や反論をされた方は一人もおりません。

ちょっと長くなりましたが、例えお互いに愛しあったではずのパートナーや、無意識的に見返りを求めず恩にもきせず無償の愛を与え続けた相手とでも、一緒に人生を終了して次の魂の精神世界を共に歩むなんてことは馬鹿げた御伽話です。

それから心中なんて行動は愚の骨頂…色々あっても乗り越えて成長するんだと自分で決めて人生を歩んでるのに、勝手に自分の人生を途中で終わらせるなんて全ての生き物に与えし生命を生成した者が許すはずないでしょ?

敢えて言いますが奇跡の愛とか人との絆は永遠とか…それはそれで素敵なんでしょうけど、大半の人間が自分の気持ちや考えを圧し殺してでも絶対に避けたい『孤独という状態』は努力の甲斐も空しく命を与えられし者は例外なく全員必ず訪れます。

いつも誰かが傍に居てくれる…とか、お願いしたら誰かが必ず寄り添ってくれる…という人生を死ぬまで続ける人は覚悟しておいたほうがいいですよ♂





おしまいに、今回は自身が執筆した書物の中から一部を抜粋して配信しましたが、決して現在進行形で継続している家族や友人など大切な人間関係を断ち切ってまで孤独な状態になったほうがいいと言っている訳ではありません。

それに孤独な状態こそ自分の二ュートラルポジションなのだ…という意識が固まらずして人生の勝者になどなれるはずがないです。

それから人生において、ある程度の人間関係や恋愛のスキルと、世の中への感謝や人に対する様々な気持ちなどを学び、あと出来れば数多くの色んな経験をしなけりゃ『孤独こそ人生のwinner』という感覚は、ひょっとしたら理解できないかも知れません(^。^)y-

人生の目的は、より多くのことや心の動きを経験し学び続けることであって、最期は成長した魂と共に次の世界へとウイニングランすればいいんです。

あくまでも冒頭で述べた通り、人の人生観や価値観は個々それぞれで、孤独こそが人間にとっての正解や真理であるという話ではなく、少し哲学的な思考で人生について深掘りした結果『孤独に生きるロンリープレイヤーは最強であり実は人生というハードプレイゲームに勝利する者なのだ』というベクトルに至った自身のプロセスやロジックをお話しただけでございます。

一応…僕自身は神様とされる存在について、あることを境に在ると信じておりますが、もちろん宗教には属しておりません。

今回お伝えしました人生観というか人生論に共通の考えや、部分的に同じ思考を持つ方がいれば嬉しいなと思って、理屈っぽくなりましたけど配信させて頂きました。

ということで、長時間お付き合い下さいました方々は本当に素晴らしい魂をお持ちであると存じます。

ありがとうございました☆

=END=
タグ: 孤独主義者
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