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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。

2024年11月25日

指の感覚

腰は良くなったり悪くなったり。
良いから軽くストレッチをすると悪くなる。ベルトをして寝ると良くなるしカイロを貼っているとずいぶんマシだ。
以前、慢性の腰痛の人がいたが、電車が空いていても絶対に座らなかった。立ち上がる時が怖いと言っていたが、その気持ちが分かる。

ギックリ腰には大腿筋膜張筋と内転筋のストレッチということをずいぶん前のギックリ腰の時にYouTubeで学んだ。大腿筋膜張筋がどこからどこまでかが不明だったので、ジムでちょうど居た支店長に聞いた。
当人もボクササイズのインストラクターをやったり詳しい。太もものストレッチなども教えてくれる。せっかくの話す機会、そうなれば自分の状態も知ってもらいたくなる。
受傷について話し、筋肉を付けたことでずいぶん身体の機能が使えるようになったことなどを話す。要は自慢したいのだ、自分は。
がんばってここまで健常な人、いやそれ以上に見えること、でも実際は痛みや痺れと戦っていること。それを自分だけで抱えていたら気が狂いそうになるのは事実だ。
大変だったね、とか、よく頑張ったね、とか、全く普通に見えるというコトバが欲しいのだ。それがあってこそ新たな自分のモチベーションになる。決して自分は強い人間ではないのだ。

自分の症状について考えた時に、ほぼ日常生活に問題ない。
ただ横へのふらつき、手首が逆方向に荷重がかかると弱いことなど改善するにも改善方向が分からないことは多くある。
テーブルの端に置きっぱなしになっている小銭入れを見て、両手の感覚について思った。
健常な時はズボンのポケットに入れていた小銭。ポケットをまさぐるだけでだいたいの金種は感覚で分かった。
受傷後、ポケットから小銭を出すことが難しかった。小銭をちゃんと掴んでいるかどうか分からない、掴まずに甲にくっついた小銭を感じることができない。だからポケットから手を出すと小銭がポケットから零れ落ちる。すぐに小銭入れを買った。

指がうまく動かないこともあるが、触れるものに対しての感覚がなかった。
最初はすごくストレスだった。モノに触れるのは手なのだ。でも触れても次のアクションに不自由が生じる。掴めない、細かな動きができない。シャツのボタン掛けがそうだ。
指はそんな状態、腕は右腕は普通に動かせたが左腕は痙攣が頻繁に起こっていた。もう断薬したがリボトリールを処方された。ある整形外科医に劇薬と言われたから断薬したのだ。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/621/0?1732501883
腕については筋トレで可動は良くなったと思う。ただ左腕に筋肉が付いたという実感は最近だが。

指の感覚の話に戻そう。
ずいぶんマシになってきた。新聞はけっこう早いうちにめくれるようになった。モノをつかむという指の可動についての心配もほとんどなくなった。
ただ見えない動作で指が何を触っているのかが分からない状態は今もある。重なった肌着をめくるときにそのめくるべき裾が判断できないとか。
指の感覚が全くない状態から色んなものを触ったり掴んだりして再教育されたというのが今の状態だと感じる。感覚は脳が感じることなのだ。痛い、くすぐったい、熱い、冷たい。
その感覚が鈍いというのは感覚神経を失っているからだろう。ある程度は再教育できる。
ただその再教育というのは視認してその状態を予測するということなのだが。ラーメンの鉢を掴むときに瞬時に熱さを感じ取れる感覚はない。

日曜日に街の大きな商業施設を歩いていて思った。
もう自分は不自由じゃないんだと。自由なのだ。自分の足でどこまでも行ける。
誰が見てもふつうの人なのだ。
posted by shigenon at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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