広島への旅行の時から感じていたが、脚の調子が良い。
しっかり地面を掴める感覚。これまでも同じ表現を何度もしているが一番ピッタリくる表現なのだろうと思う。
健常な時の感覚はこうだったのだろうかと思い起こすが、その感覚は覚えていない。悪い状態……から考えると走り出すことができるくらいに地面に脚が吸いつく感覚。
何で良い状態なのかが知りたくて、何をしたのかを考える。
でも思い当たらない。いつもそう。先週の土日に何か違うことをしたかと考えるとパワーブレードのお尻を乗っけて梨状筋を揺らしたからだろうか。しかしその翌日は特に良い状態だとは感じなかった。
旅に出てけっこう歩いていて気づいた。
そもそも脚の悪い状態はどうかというと、良い状態の逆で地面への接地感が違う。フワっとした感覚。それと足裏から下腿、上腿への連動が悪い感じがする。
これまで何度も感じた“地面に脚が吸いつく感覚”。それは仕事終わりの居酒屋へ行くときもそう。
酒が呑めると脳が喜んでいるからかと何度も書いたことがあるが、今回はもう6日続いている。これだけ連続していることはあまりなかったと思う。脳がずっと喜んでいるのだろうか。
嬉しいことなのだが、これがいつまでも続くという期待は持っていない。もちろんこの状態がキープできれば大きな元通りへの1歩だけど。
じゃあ肩の疼痛や手の痺れの状態が良いのかというとそうでもない。酷い状態ではないが、いつも通りの症状は感じる。
ただ良い・悪いを繰り返して今の状態がある。
常に強い痺れが常習化していた右脚全体が急に良くなった夜のことを今でも覚えている。その後はまた痺れが強くなったがまた良くなって今の痺れの強さになっている。
大きな期待を持つと落胆も大きい。自分のできることを日々繰り返すだけだ。
2024年12月09日
2024年12月06日
広島・山口へ
ふと知り合いに会いたくなってとか特定のものが食べたくなってふらりと旅をする。
考えたら贅沢なことなのだろう。時間とお金。
それよりも前提となるのが健康な身体なのだ。自分の足で歩けて自分の手で食べ物を口に入れられることは何事にも変えられない。当たり前の動作にこそ幸せはある。
国内外の観光需要がコロナ禍から回復してきている。それに伴ってホテル代がかなり高騰している。
金曜日はまだ安いが土曜日になると1.5倍になる。
東京へは6週間に1回、2泊するのだが金曜日は何とか9000円以下で泊まれるが土曜日は1万円を超える。12月の鍼予定は19日。金曜日はなんとか東京に泊まるが、土曜日は東京を諦めた。
東京から関西までの間であまり行かない土地に泊まるのもひとつだ。今回は清水でマグロを食べてみようと思っている。清水だと7000円ほどで泊まれる。3000円分美味しいものを食べられるのだ。
今回の広島・山口の旅の前にそういったことをしていたので、ホテル代に費用をかけるのを抑えようと広島と山口のホテルも一番安いところを選んだ。
広島では風呂は大浴場のみで部屋にはないホテル。カプセルでなく個室だからちゃんと眠れる。それで2300円。ふつうのビジネスホテルと比べると5000円も安いのだ。5000円あれば美味しいものが食べられる。山口も5000円ちょっとのホテルにした。
交通費もケチる。1時間ちょっとは各駅停車でも我慢できる。あとは高速バスをうまく利用した。
今回の旅は人と食べ物。
広島には昔行っていた料理屋の板さんが料理長を任されている店がある。そこへ行って広島の料理と酒を味わいたかった。
広島は10年住んだ街。どこへ行くわけでもない、広島の空気を吸って酒を呑むだけだ。
およそ1年ぶりに会うN君は変わらなかった。変わらないことが良いことだ。
生牡蠣を食べて地酒を十分味わった。
山口は35年前から行っている焼き鳥屋さん。
マスターはもう82歳になる。相変わらずの口調で来るお客さんに話しかける様子は変わらないが、身体はかなりしんどいようだ。焼き終わると椅子に座るようになっていた。
この日は出張の人が4組。その人たちと会話が弾む。この店で多くあった出来事だ。
店が終わってから名古屋から来ていた人たちと呑みに行ってホテルに戻ったのは2時だった。
人生をどう過ごすか。
20代、30代の時と今では思うことが違うのは当然のことだろう。もう先が見えているのだ。
残りの人生を楽しく過ごしたい。じゃあ楽しいって何なんだ。
自分のことが自分で出来て、何か毎日喜びを感じられることか。自分で言えば美味しいものを食べて酒を呑んでくらいしか思いつかないが。
他に楽しいこと、ハマることを見つけないといけない。
この1か月で会社の同僚が二人亡くなった。61歳と64歳だった。死んだら無だ。
もうすぐ12月24日。受傷から10年になる。不自由ながらも死んで生き返って10年なのだ。
考えたら贅沢なことなのだろう。時間とお金。
それよりも前提となるのが健康な身体なのだ。自分の足で歩けて自分の手で食べ物を口に入れられることは何事にも変えられない。当たり前の動作にこそ幸せはある。
国内外の観光需要がコロナ禍から回復してきている。それに伴ってホテル代がかなり高騰している。
金曜日はまだ安いが土曜日になると1.5倍になる。
東京へは6週間に1回、2泊するのだが金曜日は何とか9000円以下で泊まれるが土曜日は1万円を超える。12月の鍼予定は19日。金曜日はなんとか東京に泊まるが、土曜日は東京を諦めた。
東京から関西までの間であまり行かない土地に泊まるのもひとつだ。今回は清水でマグロを食べてみようと思っている。清水だと7000円ほどで泊まれる。3000円分美味しいものを食べられるのだ。
今回の広島・山口の旅の前にそういったことをしていたので、ホテル代に費用をかけるのを抑えようと広島と山口のホテルも一番安いところを選んだ。
広島では風呂は大浴場のみで部屋にはないホテル。カプセルでなく個室だからちゃんと眠れる。それで2300円。ふつうのビジネスホテルと比べると5000円も安いのだ。5000円あれば美味しいものが食べられる。山口も5000円ちょっとのホテルにした。
交通費もケチる。1時間ちょっとは各駅停車でも我慢できる。あとは高速バスをうまく利用した。
今回の旅は人と食べ物。
広島には昔行っていた料理屋の板さんが料理長を任されている店がある。そこへ行って広島の料理と酒を味わいたかった。
広島は10年住んだ街。どこへ行くわけでもない、広島の空気を吸って酒を呑むだけだ。
およそ1年ぶりに会うN君は変わらなかった。変わらないことが良いことだ。
生牡蠣を食べて地酒を十分味わった。
山口は35年前から行っている焼き鳥屋さん。
マスターはもう82歳になる。相変わらずの口調で来るお客さんに話しかける様子は変わらないが、身体はかなりしんどいようだ。焼き終わると椅子に座るようになっていた。
この日は出張の人が4組。その人たちと会話が弾む。この店で多くあった出来事だ。
店が終わってから名古屋から来ていた人たちと呑みに行ってホテルに戻ったのは2時だった。
人生をどう過ごすか。
20代、30代の時と今では思うことが違うのは当然のことだろう。もう先が見えているのだ。
残りの人生を楽しく過ごしたい。じゃあ楽しいって何なんだ。
自分のことが自分で出来て、何か毎日喜びを感じられることか。自分で言えば美味しいものを食べて酒を呑んでくらいしか思いつかないが。
他に楽しいこと、ハマることを見つけないといけない。
この1か月で会社の同僚が二人亡くなった。61歳と64歳だった。死んだら無だ。
もうすぐ12月24日。受傷から10年になる。不自由ながらも死んで生き返って10年なのだ。
2024年12月02日
理屈を理解する
朝の気温が5℃程度になってきた。田舎の朝は寒い、特に1軒家は冷え込む。
冷え込んだ朝、久しぶりに手足が痙攣した。手足が伸びた状態でうまく曲げられない、ピクピク感を感じる。一言で言えば痙縮というやつだ。特に驚きもしないし、痙縮している間にどういう仕組みでこうなるのか考えていた。寒い時だけに起こる訳ではないが、寒いと頻度は多い。
寝て起きた時に背伸びをする。これは寝ていた時に関節などが動いていないから、動かすための準備運動のようなものか。健常な状態であれば各関節や筋肉がそのまま普通の動作に移行できる。
脳の障害や神経の障害を持った人は、それがすんなり移行できないのだろう。
脳が魔性神経に命令して筋肉を動かす。動くと次の動作の命令。この双方向のやり取りがどこかで遅れることによるのだろうか。
脳障害の人は受けた指令を脳がうまく受け止められない、中枢神経障害の人は返した命令がうまく末梢神経に伝えられない。
寒さで身体が震えた時に止まらなくなるのもそうなのだろう。
勝手な想像だ。
でも少なからず正しいと思うのだがどうだろうか。自分はまさにそんな感じだと実感している。
理屈で分かれば対処のしようがあると自分は思っている。自身のQOLを高めるためにはこの発想は大切だと思う。
土曜日曜と続けてジムで筋トレ。
同じ荷重、同じ動きの筋トレでもこれだけ頻度高く行っていると筋肉は増強されたような気がする。筋肉は身を助けることは間違いない。
パワーブレードをずっと使っているが、腕や脚の筋肉の揺れが大きくなったように感じる。筋肉が大きくなったのだろうか。まあ勝手にそう思っていても体組成計で変わりなければショックを受けるだけだが。
いつものストレッチ。ストレッチ後にぎっくり腰が悪化していたがもう痛くない。どうも完治したようだ。何が要因で完治したのかが分からないのだが。
12月、少しづつだが予定が入ってきた。
誘われるうちがが華だ、一人が好きだとか生意気なことを言ってはいけない。一人では生きていけないのだ。
明日から広島、山口の旅。それは一人旅だが、人に会いに行くことと食べることが目的だ。
冷え込んだ朝、久しぶりに手足が痙攣した。手足が伸びた状態でうまく曲げられない、ピクピク感を感じる。一言で言えば痙縮というやつだ。特に驚きもしないし、痙縮している間にどういう仕組みでこうなるのか考えていた。寒い時だけに起こる訳ではないが、寒いと頻度は多い。
寝て起きた時に背伸びをする。これは寝ていた時に関節などが動いていないから、動かすための準備運動のようなものか。健常な状態であれば各関節や筋肉がそのまま普通の動作に移行できる。
脳の障害や神経の障害を持った人は、それがすんなり移行できないのだろう。
脳が魔性神経に命令して筋肉を動かす。動くと次の動作の命令。この双方向のやり取りがどこかで遅れることによるのだろうか。
脳障害の人は受けた指令を脳がうまく受け止められない、中枢神経障害の人は返した命令がうまく末梢神経に伝えられない。
寒さで身体が震えた時に止まらなくなるのもそうなのだろう。
勝手な想像だ。
でも少なからず正しいと思うのだがどうだろうか。自分はまさにそんな感じだと実感している。
理屈で分かれば対処のしようがあると自分は思っている。自身のQOLを高めるためにはこの発想は大切だと思う。
土曜日曜と続けてジムで筋トレ。
同じ荷重、同じ動きの筋トレでもこれだけ頻度高く行っていると筋肉は増強されたような気がする。筋肉は身を助けることは間違いない。
パワーブレードをずっと使っているが、腕や脚の筋肉の揺れが大きくなったように感じる。筋肉が大きくなったのだろうか。まあ勝手にそう思っていても体組成計で変わりなければショックを受けるだけだが。
いつものストレッチ。ストレッチ後にぎっくり腰が悪化していたがもう痛くない。どうも完治したようだ。何が要因で完治したのかが分からないのだが。
12月、少しづつだが予定が入ってきた。
誘われるうちがが華だ、一人が好きだとか生意気なことを言ってはいけない。一人では生きていけないのだ。
明日から広島、山口の旅。それは一人旅だが、人に会いに行くことと食べることが目的だ。