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『一条の光・天井から降る哀しい音』耕治人(講談社文芸文庫) 本書のような、いわゆる「老人文学」というのは、一体いつ頃からあるんでしょうね。 私のリアルタイムで知っている範囲で言いますと、有吉佐和子の「恍惚の人」でしょうか。ネットで少し調べてみたら、1972年に新潮社から「純文学書き下ろし特別作品」として出版されたとありました。ベストセラーになったんでしたよね、確か。 その頃私はまだ十代の少年でしたが、多分親が買ってきたか何かでそのついでに読んだ記憶があります。 しかし、かなり他人事で読んだように覚えています。年を取ると大変なんだナー、くらいの、ほぼ何も考えていない感想ですね。 今でも大概私はお気楽な人間ですが、十代の頃ってほとんどニホンザル程度の思考能力しかなかったように、今となっては振り返りますなー。ははは。 (ひょっとしたら、ニホンザルほどもなかったかも知れません。右手を前に置いて「反省」をするニホンザルがいますが、あれほどの哀愁も内面性もなかったように記憶します。) しかし、若いということは考えれば愚かなことで、自分も必ず年老いていくと言うことが、ほぼ分からないんですよね。 それはたぶん、死ぬことについてもその瞬間まで信じられないのと同じでしょう。 でも、それって多分ほとんどすべての人間において同様なんでしょうね。 いつだったか養老孟司氏の本を読んだ時、現代人は己が死ぬことを信じられないでいると言った趣旨の文章に出会った記憶がありますが、しかしそれは別に「文明病」でもないのかも知れません。 だって『伊勢物語』の中にもこんな歌がありましたよ。 つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふ今日とは思はざりしを 結局この様な感覚で我々は死を迎えるんでしょうねー。 しかし、先日また養老氏の別の本を読んでいたら、こんな感覚で死を迎えるのが一番いいんだといった文章に出会いました。 なるほど、そういわれればそうかも知れません。 死を見つめていても仕方がないことは、誰の文章でありましたか、「死と太陽は見つめては行けない。見つめると目が潰れる」といった「アフォリズム」があったように思います。 さて、冒頭の小説の読書報告に戻りますが、実は私は、この本は再読であります。 以前読んだのは多分十年以上も前だと思いますが、結構印象的で、いい本だと思ったような記憶がありました。 それでまぁ、今回再読して見たんですがね。しかし、何というか、えらいものですねー。 何がえらいものかというと、「老人文学」も進化しているんだなということであります。 前回読んだようにそれなりに凄いお話だなと思った一方、十数年前に読んだ時に感じた「独創性の高さ」は、あまり感じられなかったんですね。 つまり、こういった「老人文学」は、その後、「かなり」とは言わないまでも、結構目にするような気もするし、何より老人を巡る社会状況(ひょっとしたら「社会を巡るように取り囲んでいる老人の実態」)が大きく様変わりしている、つまり、「進化」しているのではないか、と。 この短篇集の総題にもなっている『天井から降る哀しい音』と言う作品は、共に80才の老夫婦の話です。 家内に老人惚けの症状が現れ始め、食事準備のコンロの火が危うく火災になりかけ、町内の人に相談をして警報機を天井に取り付けてもらいます。 ところが後日、また鍋の支度をしていて危なっかしいことになり、警報機が鳴り始めます。家内はその音のことを 「なにか音がしているみたいね。玄関のベルかしら」などと呟いたりします。 しばらくしてようやく鳴りやむのですが、その後の、この小説のラストシーンです。 その音はリンリンという勇ましい音でもなく、ガアガア、がなり立てる音でもない。それほど高くないが、助けを求めるような、悲し気な音に聞えた。 やがて止んだ。 私ははじめて鳴る音を聞いたのだ。 (中略) 業者の人は取りつけがすんでから、蒸気などで鳴ることがある、と言ったのを思い出した。トロ火にかけた鍋の蒸気が、窓を閉め切った狭い台所にこもったためではないか。素人考えだが。 その夜ベッドに入ってからも低い、悲し気な音は耳の奥から響いてきた。それを聞きながら両親、兄姉妹の法名と何歳往生と唱えながら、いつかそのあとに私八十歳、家内八十歳と付け加えていた。 この筆者は、そもそも詩人の方だそうです。 しかし八十歳を越えてなお、伸びやかで滑らかな文章でこうして自分の身辺を見詰め描く様は、読んでいて何か尊いような感じがします。 ああ、こういった感覚こそが、「老人文学」に共通する魅力であるなぁと、十代の頃に比べれば、さすがに少しはいろんな事が分かるようになった(たぶん)私は、しみじみと感じたのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.11.27
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『ららら科学の子』矢作俊彦(文春文庫) これは、私にとってはひさびさの無条件のいい小説でした。 とってもおもしろくって、すごく感心しました。それはたぶん、作品に向き合う作者の姿勢のゆえでしょうか、東京の暗部を描いて「裂帛の気迫」が感じられました。 2004年の三島賞受賞作品であります。 そもそもこの作家については、ハードボイルド小説を書いている方と言う程度の理解しか、私にはなかったんですね。 それがいつ頃でしたか、漫画家の大友克洋(あの『アキラ』を書いた天才漫画家)と組んで書かれた『気分はもう戦争』と言う作品を読みました。 でもその時は、矢作俊彦の原作というよりは、圧倒的な大友克洋の画力に魅力を感じていただけでした。ストーリーについては、失礼ながら少し中途半端な感じがしておりました。 その後誰かの文章で、この筆者のある小説が「奇書的絶賛」を受けていたのを読み、ただその小説はまだ文庫本じゃなかったこともあって(今は文庫になっているんでしょうかね)、図書館で借りて読みました。この本です。 『あ・じゃ・ぱん』(上下)矢作俊彦(新潮社) 上下2冊で1000ページを超える長編小説です。いかにも、ちょっとしんどそうですね。しかし読んでみました。 はっきりいって、やはり少ししんどかったです。 どーも、この手の本は、私はあまり合わないのだろうかとも考えてしまいました。 いろんなパロディの集合体のような小説ですが、ベースになっているのはレイモンド・チャンドラーの私立探偵フィリップ・マーロウのシリーズかなと思います。 『プレイ・バック』とか『ザ・ロング・グッバイ』とかのあのシリーズで、私もかつて一時期まとめて読んだことがありました。もうほとんど記憶に残ってないのですが、そんなにつらかった読書という印象はありませんでした。(まー、当たり前で、もしもあったらまとめて読んでいません。) とにかく文章はハード・ボイルドです。心情・心理描写がほとんどありません。 ストーリーは、太平洋戦争終了間際、日本の国が北からはソ連、南からはアメリカと攻め込まれ、そのまままっぷたつに東西が占領されて、フォッサ・マグナあたりに壁が立てられ、かつての東西ドイツのように、また朝鮮半島のように、二つの国体の違う国になってしまうという話です。 これは優れた「スパイ小説」(主人公は黒人のジャーナリストですが)だと思います。 この手の小説は、例えば沼正三の『家畜人ヤプー』のように、いかに国家を、社会を、文化を完璧に作り上げるかという、一種の全体小説であります。想像力の極北として、どこまでリアリティを保ちながら現実からテイク・オフできるかというのが眼目だと思いました。 そんな風に読んでいくと、とてもいいできの小説だと思うんですがねー。 しかしなぜか私には、上述の如くどうも文体の段階で十分に入り込むことができないで終わってしまいました。 あるいは、再読すれば、ずっと面白く読めるのかも知れませんが、うーむ、1000ページの再読は、ちとつらい。 と、いう気持ちが私の中で、なんとなく表れては消えしていたんですね。 で、この度そんな心の引っ掛かりもあって、冒頭の小説を読んでみました。 で、とっても面白かったです。 読み終えて、どこが面白かったのか、振り返ってみました。 以下に、この小説のいいところを列挙してみますね。 (1)70年安保前夜、殺人未遂罪で指名手配されかかった主人公が、中国に密出国し、30年を過ぎて帰ってくるという設定が巧妙。70年の時代の雰囲気と、20世紀末の行方知れずに肥大化しながら不気味に病んでいる東京という都市の雰囲気が対照的にとても見事に描かれています。 (2)作者が真っ向から、「国家」という物に対して取り組もうとしている姿勢が圧倒的です。これは明らかに前作『あ・じゃ・ぱん』の延長線上にあると思われますが、近年、ミニマム、トリビアルなものへの嗜好が目立つ文学界では、まことに快作といっていいと思います。 といったところですかね。ただ、気になる点もまるでないわけではありません。今度は少し気になるところを考えてみますね。 (1)後半へのストーリー上のテコとして、「顧客つき携帯電話」というものがポイントとなっているのですが、その取り扱いについて、ややリアリティに欠けるかと思われました。 (2)前作『あ・じゃ・ぱん』と違って、主人公は見事なまでにアンチ・ヒーローとなっており、そこに一種の目新しさがあると思える一方、そのような主人公に行動を起こさせる動機に「アイデンティティー探し」を設定していますが、これだけで乗り切ってしまうにはやや長丁場過ぎるかな、と。だから終盤なかばあたりの描写・説明が、やや繰り返しの上滑りになっている様な気もしました。 と考えてみましたが、でも総体としては、この小説はとっても上々だと思いました。 いやー、ひさしぶりに気持ちよかったですね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.11.24
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『舷燈』阿川弘之(講談社文芸文庫) 以前この筆者の、戦争末期の特攻隊を扱った小説を読みました。この本です。 『雲の墓標』阿川弘之(新潮文庫) この本は、読む前から何となくそうじゃないかナーと思っていたんですが、何というかやはり、背筋が伸びるように誠実なお話ではありました。 太平洋戦争下の海軍予備学生が、特攻隊に行って死ぬまでの日記なんですね。 いい話ではあるんですね。丁寧なきちんとした書きぶりだし。 日記形式の小説って私は少し苦手なんですが、そしてこの小説でもそう思いつつ読んだんですが、それでもやはり良かったです。 しかしあえてしつこく考えると(既にこの奥歯に物の挟まったような書きぶりから、何となくおわかりになるかと思いますが)、そのよさは題材にかなり負っているとも思え、なにより、こんなストーリーの話を一生懸命に書かれてしまうと、読者はちょっとどうしようもないじゃないかという気も、まー、少しだけ、しました。 この文庫本では安岡章太郎が解説文を書いていましたが、やはりそのように読めるような表現がありました。 とても良い本ですが、読み終えて少し気が晴れないかなという、そんな感想を持ちました。 で、さて冒頭の小説であります。 この「厳つい」タイトルに、この話も兵隊の話かなと思ったんですが、さにあらず、この小説は、「ホームドラマ」であります。 「ホームドラマ」とは、例えば太宰治の晩年の幾つかの夫婦生活を描いた短編小説をそう呼び、例えば志賀直哉の『和解』をそう呼ぶことが可能なら、ということですが、たぶん私は、それは可能だと思います。 ただ、冒頭こんな描写の出てくる「ホームドラマ」です。 「返事をしたらどうなんだ?」 かやはしかし、顔を歪めて頑なに黙っていた。 「言っても分らず、返事もしないと言うんなら、牛や馬なみに叩くより仕方がないんだからね」 自分で自分の言葉に逆上して来、牧野は再び、往復強く妻の頬を撲った。 かやは、じっと目をつぶってそれに堪えた。 頬の肉が震え、すぐ右の鼻腔から、濃い血が粘い洟のように流れ出して来た。それは、ねっとりとゆっくり垂れ下がって、醜く厚ぼったくなった妻の唇を越し、其の口の中へ入ったが、彼女は拭おうとせず、ただじっとしていた。 阿川弘之といえば、志賀直哉の直系の弟子のような作家と、私は思っていたのですが(「直系の弟子」というほどではないんですかね)、その志賀直哉の『和解』の主人公と、この小説の主人公は、どう違っているでしょうかね。 私の印象では、『和解』の主人公の夫もたいがい「我が儘」の塊のように覚えています。ただ、このような暴力シーンがあったかどうかは少し記憶にありません。 しかし、こんな暴力シーンがなかったとしても、『和解』の亭主の方が遙かに女房に対して「我が儘=暴力的」だと思います。 志賀直哉の小説の主人公には、何というか、自らの存在・感覚・思考が、圧倒的に「正統」であることの確信と、そしてそれを当然の前提として行動しているような展開があります。 この阿川の作品には、そこまでのものはありません。女房にこんな事を言ったりしています。 こんなの、生得のものか、戦争が終わってそうなったのかよく分からないけど、あの戦争で死ななかったんで、あとはまあ、どうでもいいやとつい思ってしまうんだ。発奮して人を見返してやる事が出来るようになっても、それでどうという事はない、まことにつまらないと思うんだよ。こういう、一種の駄目な人間は、(略)奥さんを貰ったら、奥さんとも争いをせず、我儘を言わないおとなしい亭主になっているべきなのかも知れない。ところが、一緒に暮らしているかぎり、俺には女のトゲトゲに眼をつぶっている事がどうしても出来ない。無理に忍耐しようと思えば生理的に苦痛になる。トゲトゲを弄んだり楽しんだりする趣味にいたっては、全く性に合わない。 志賀直哉は、絶対にこんな事は言いませんね。 志賀直哉との違いは、究極の所はもちろんそれぞれの人格というところに帰するんでしょうが、やはり、「世代的」なものがあるような気もします。 私はたぶん筆者の次の世代の人間ですが、この主人公の考え方に近いものも持っていた父親の生き方を見つつ、しかしもはや私は同様の生き方を望むべくもなく、またその意志もありません。 本書の最後に、筆者自身が「著者から読者へ」という一文を書いています。 その中に、「新しい世代の人たちには、もしかすると古代人の物語のように思われるだろうが」という文がありましたが、失礼ながら私は、本当にその通りに読んでしまいました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.11.20
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『時に佇つ』佐多稲子(講談社文芸文庫) 佐多稲子という人はプロレタリア文学作家です。そして、中野重治なんかと共に「転向作家」になっている人ですね。 と、あっさり書きましたが、「転向」と言う言葉の中にある重みについては、何人かのその手の作家の本を読みましたが、なかなかに継続的に、真摯に、厳しいものがありますね。 そしてその分、筆者のその苦しい苦闘の姿が、私たちを強く揺り動かします。 本書はそんな筆者が晩年、昭和50年代に入って、戦前の若かりし日を思い出しつつ、あるいはその頃と今との接点を辿っていくという連作短編集です。 そしてこれは、背筋のしっかり真っ直ぐに伸びた、とても立派な作品集であります。 その操作にどれほどの意味があるのか、しかしある日ふいに過去が結びついてくれば、私はやはりそれを探らねばならない。ふいに戻ってきた過去は、そりなりの推移をもって、その推移のゆえに新たな貌をしている。また、そこに在るのが私だけでもない。それらのことが私を引込む。過ぎた年月というものは、ある情況にとっては、本当に過ぎたのであろうか。 過ぎたことは案外に近い。老年のこの感覚は、今日についての麻痺でもない。今日は今日としてありつつ、いわば老年は、わが生涯の照り返しにつつまれる。それは回顧ではなくて老年の現在でもある。ひとそれぞれによって、持続する事柄の内容がちがうだけなのであろう。(略) そうであるなら変質もまた、時のせいではない。当の人間のせいなのだ。私は時間というものを追うているうちに、突然、今日の地点に引戻された。私は多分このとき、きつい顔になったにちがいない。 息子の家の、テレビを前にした卓の上に、その灰皿が新しくおかれている。形見という意味をこれほどはっきりと感じたことはない。灰皿はまざまざと柿村を伝える。この灰皿に柿村がおり、そしてまた、私自身さえそこに見えてくるのだ。私の感覚がそのことでひるむ。私の、意識を通じて濾過された記憶を、この感覚が叩く。 この様な感覚で過去を振りかえらざるをえない「運命的」な厳しさに、われわれは痛々しいまでの精神力と誠実さを読みとります。 「私」の思い出の中心には、自分の「転向体験」が絶えず静かに強烈に影を落としています。すでに自分が体験してしまった事柄について、それをいつまでも見つめないわけにはいかないという精神の有り様は、烈しく心打たれるものであり、読んでいるこちらも思わず背筋の伸びてくるものがありました。 以前、太宰治の小説群も「転向小説」の一種だという文章を読んだことがあります。なるほど、かなり納得するところがありますね。 確か彼の『鴎』という作品の中に、こんな場面がありました。 筆者を模した小説家の主人公が、人から「小説を書くに当たっての信条」を尋ねられ、ほとんどの質問に対しては、いつもぼそぼそと、どもりがちにしか答えられなかった主人公なのに、この質問に対しては打てば響くように 「悔恨です」と答える、そんなシーンです。 あの、甘ったれにも見える太宰の作品群にも、「悔恨」を中心に据えざるを得ない心の有り様がしっかりと描かれています。 ただ、太宰は人生の最後に、二日酔い的に心中自殺をしてしまいましたが、佐多稲子は、晩年まで自らの過去と心を正面から見つめ続けました。 このことに私は、頭が下がらざるを得ません。 とはいえ、最後に情けない泣き言を一つ。 この短篇集には、各20ページほどの作品が12作、連作としてあります。 すでに触れたように、どの作品も重くストレートで、烈しく揺すぶられる作品ではあるのですが、そうであるだけに、はっきり言いますと、少々重い。 一つの作品を読み終えた後、矢継ぎ早に次の作品を読もうという気にはなかなかなれません。 一端ページを閉じて、今読み終えた重い真摯な作品を頭の中で反芻します。 真面目な、ひたむきな、感動的な、いい小説です。 しかし、重い。なかなか次の作品に入っていけません。……ふぅ。 そんなきりっとした小説を、私は久しぶりに読んだのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.11.17
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『阿修羅ガール』舞城王太郎(新潮文庫) ……うーむ。 いえ、長く「呆けた」ような小説ばかり、例えば文明開化の明治時代に牛鍋屋で酔っぱらっている男の話とか、コキュになってあわてふためく男の話とか、そんなのばかり読んでいたもので、現代文学がどんなところに来ているかとんと分からなかったもので、今回、冒頭のような小説を読みますと、その小説の客観的評価とは別のところで、実際あれこれと考えることがあるものですねー。 まず、少し前に、こんな小説を読みました。 『君が代は千代に八千代に』高橋源一郎(文春文庫) この作家は我がフェイバレットですので、いろいろと面白かったんですが、今回私がちょっと「うーむ」と考え込んだのは、「肉体のアブノーマルな改造」についてであります。 少し前に、蛇を踏んだり、背中蹴ったりという小説が流行りましたよね。 ……えー、すみません。混乱いたしておりました。 『蛇を踏む』は川上弘美の芥川賞受賞作で、これはちょっと前ではなくて、だいぶ前の作品です。『蹴りたい背中』というのは綿矢りさの芥川賞受賞作で、私の言いたかったのは、この綿矢りさと同時受賞した小説のことが言いたかったんです。金原ひとみの『蛇にピアス』ですね。 この作品にも、「肉体のアブノーマルな改造」が描かれ、少し流行りましたよね。 って、別に、舌の先を二股に分けてそれにピアスするのが流行ったわけではありません(と、思うんですがー)。 確か、この小説の書評の一つに、「現代日本の若者は、とうとう自らの肉体からの自由を手に入れようとしている」うんぬんとあったのを読んだように記憶します。実はこの小説を読んだ読後感と、同種のものがあるように感じるんですねー。 上記に、高橋源一郎の作品に触れましたが、この作家は十数年前(前世紀末頃ですね)AV界にかなりのめり込んだ小説・評論等を書いているんですね。 この世界は、かなり強烈なものであるようで、そもそもセックスを人前でさらすわけだから、もう、隠すべきもの、控えるべきものが何もなくなってしまうんですね。 そうなると何が起こるか。 そこに残ってくるのは、果てしのない理性の拡散、理性の溶解。具体的に言えば、吐き気を催すような鬼畜ドラマ(排泄物の摂取・肉体の改造・倒錯・暴力・フリークスへの好奇等)なわけです。 ……うーむ。 さて、冒頭の舞城王太郎の小説にやっと戻ります。 去年? 一昨年? の芥川賞を取り損なった人ですね。でもこの作品で三島賞を受賞しています。確かもう十年近く前です。 しかし私には結構つらい読書(いえ、読みにくさはどこにもありません。すらすら読めます)でした。 まず女子高生一人称文体。これについては、かつて太宰治あり、橋本治ありで、違和感はありません。むしろ、長編小説のほとんどをこの文体で書ききっているところからも、作者はかなり自信があったのだろうと思え、なるほど納得できる出来映えだと思います。少なくとも、文章は、手練れであります。 次にストーリー。冒頭、好きでもない男とのセックスが描かれ、続いて女子高生同士のケンカ(「シメる」「ボコる」)が描かれます。この辺は前述の文体とも相まって非常に生き生きと書かれるのですが、その後、ちょうどこれも以前流行った『バトルロワイヤル』みたいな、中高生のゲーム的殺戮に話は移っていきます。この辺からなんですね、読んでいて私にはつらくなってきたのは。 村上春樹の『海辺のカフカ』の中に、ジョニーウォーカーという、いわゆる世界の中の「悪意」を代表したような人物が出てきて、生きたままの猫の心臓を食べるというシーンがあったりします。 (これも閑話ですが、あれこれ考えてみると、猫に対する「狂気的」行為って、いろんな小説に描かれていたことが思い出されます。松浦理英子の『親指Pの…』にもそんなビデオの話しがありましたし、三島由紀夫の『午後の曳航』にも猫殺しの場面がありましたし、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』にも猫の残酷エピソードが触れられていました。猫と残酷さって、何か引き合うものがありそうな気がしますね。) 実はそんな、得体の知れない「悪意」の固まりが、現代文学の中のいろんなシーンに点在していて、そしてどうもそれを描くことに一種の新しさがあると評価されているようであることに、私は、ちょっとつらさを感じるんですねー。 もちろん、実際にあるものを書いてみるところから始めなければ話にならないことは分かるんですが、ちょうど「肉体のアブノーマルな改造」が同様な感じなんですね。 例えば、サドの作品を通して自由の意味を探る、というのは分からないではないですよね。精神の自由は文学の重要なテーマであります。 本作も同じなんでしょうか。 しかし、本当に、こんな風に書かねばならないのでしょうか(例えばこの作品内に何回「死ね」というフレーズが出てきたでしょうか)。 現代社会の闇は、そんな大変なところまで来ているのだと、紋切り型にまとめてしまうこともできるのでしょうが、作品そのものの評価とは別のところで、私は、私の個人的読書生活についての異議みたいなものも含め、何かを突きつけられたような気がしたのでありました。 ……うーむ。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.11.13
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『抱擁家族』小島信夫(講談社文芸文庫) この筆者も、わたくし、今まであまり読んだことがありません。 昔、芥川賞受賞作を次々と読んでいた時期があって(えらいもので、そんな全集があるんですね。割とみんな考えることは一緒なんですね。)、その時、『アメリカン・スクール』という短編小説を読みました。 『アメリカン・スクール』が芥川賞を受賞した頃というのは、「第三の新人」といわれる作家達が本当に次々と受賞をしていた時期で、今こうして振り返ってみると、なんかあまりに「芸がない」みたいな感じを持ってしまうのは、私のわがままでしょーかー。 と言う風に『芥川賞全集』を高校生の頃に読んで、その後長くこの筆者の本を読まなかったのですが(あ、思い出しました。何だかやたらに分厚い作家評伝みたいな本を読みましたよ、確か。)、ともあれ久しぶりに冒頭の小説を読んだんですが、はっきり言ってヒジョーにしんどかったです、私には。 この「しんどさ」の正体は、まず文章ですね。 なぜこんなかさかさの紙のような文体なのか、それは読み始めから、結局最後まで、私にとっては一貫してそうでした。(読み始めはそうでも、作品世界に入っていくとその文体がきっちりと当て嵌まっていくという経験は何度もしているんですがねー。) しかしここまで索漠たる文章が続くと言うことは、やはりそこに筆者の意図があると考えられるわけで、私の好悪はともかく、確かにこの「索漠さ」に見合う状況や展開に満ちあふれた作品でありました。 それは、まず主人公の夫婦関係がそうです。 時代は、昭和30年あたりでしょう。子供も二人いる中年の夫婦ですが、私はどうにもこの夫婦関係にリアリティを感じることが出来なかったんですが(もちろんいつの時代でも、夫婦関係というものは、しょせん当人達以外には分かりづらいものがあるのでしょうが)、この時代、日本のインテリゲンチャでちょっとしたブルジョワジーの夫婦間には、こんなリベラルな夫婦関係というか、ほとんど「フリーセックス」を信奉するような風潮があったんでしょうか。 そのくせ、夫は本心ではそんな性の自由さ(特に妻の側の自由さ)などを認めるつもりはまるでなく、その結果、自己撞着したインテリゲンチャの滑稽な姿が無様に描かれるという展開になっています。 まー、そんな内容は、「索漠たる」文章にはとてもマッチしているわけではありますね。 結局この関係は、かつての日本家族の間に、基本的モラルとしてあった家父長権威が完璧に崩壊しつつも、新しいモラルがいまだ表れていない状況、つまり結果的に「家父長=夫」の行動が、喜劇に落ちぶれていかざるを得ない状況を描いているのでしょう。 医者から、妻の身体の致命的な癌転移を宣告された夫が、家に帰り妻とわざとたわいない話しをした後、自分の部屋に入って嗚咽を堪えていると、目の前のテーブルに小さな水たまりがあります。一瞬、我が涙? と思うのですが、それは新築の家に雨漏りがしていたというエピソード。 こんな苦いファルスは、現在では表現としてのパワーをかなり失っていると考えるのは、私の穿ちすぎでしょうか。 うーん、そんな気もしないわけではありませんがねー。 結局私はこの小説に対して残念ながら最後まで「違和感」を取り去ることができませんでした。(この小説は谷崎賞受賞作であり、筆者の代表作の一つと評価されているもので、そんなことを知ると、きっと私の理解力に問題があるんだろうなーとは思いつつ。) それは文体のせいばかりではなく、上記には主人公の夫婦関係に対して全く感情移入ができないからかと触れましたが、そもそも登場人物のすべてにおいて、他者との関わり方や、ものの考え方が、他人に対するシンパシー皆無の、極めてエゴイスティックなものであるせいであります。 他人のことを考えることがここまで欠落している人間関係、これが多分私の「違和感」の中心であり、決定的に作品に感情移入が出来ない原因であるかと思います。 しかし変な感じ方ですが、エライもので、感情移入が出来ない小説というものは、ここまで砂を噛むように「面白くない」ものなんですねー。 (再三述べますが、これはあくまで私のごく個人的な感覚を述べたものであります。) 読み終えて私は、タイトルの『抱擁家族』のアイロニーとは、何と禍々しいものであろうかと、少しぞっとするほどでした。これはほとんど「グロテスク」な命名ではないでしょうか。 結局これは、戦後10年を過ぎて、未だ日本人の人間関係が未成熟であることを表しているのでしょう。 しかし同時に、こんなテーマをも、自らの傷口に塩を擦り付けるようにしながら描かねばならない小説家の「業」のようなものに、私はとても厳しいものを感じるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.11.10
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『幻談・観画談』幸田露伴(岩波文庫) 例えば絵画の世界で言えば、パブロ・ピカソなんかがそうですかね。 何がって、芸術家が長生きをしたせいで、表現様式が二度三度と変化し(ピカソの場合は全ての変化が時代の最先端という天才ぶりで)、最初と最後で大きく作風が異なっているという喩えです。 近代日本文学でいえば、この幸田露伴などがその典型でありますね(ピカソの次に書くと、なんかスケールが小さく感じられてかわいそうなんですが)。 本ブログでは作家を、取り敢えずデビュー時に近い頃の流派でカテゴライズしていますから「浪漫主義」なんて所に入っていますが、作品内容によるカテゴライズもさることながら、つくづく筆者がはるばる長生きをなさったことだなーと実感するのは、その文体の変化ですね。 明治初期の『五重塔』や『風流仏』の、あの恐ろしいような和漢混交擬古文から始まって、今回の、例えば『幻談』は昭和13年の文章ですが、これもある意味恐ろしいような名文へと、はるばる変化しています。 (略)…予の竿先は強く動いた。自分はもう少年には構っていられなくなった。竿を手にして、一心に魚のシメ込みを候った。魚は式の如くにやがて喰総めた。こっちは合せた。むこうは抵抗した。竿は月の如くになった。糸は鉄線の如くになった。水面に小波は立った。次いでまた水の綾が乱れた。しかし終に魚は狂い疲れた。その白い平を見せる段になってとうとうこっちへ引寄せられた。その時予の後にあってたまを何時か手にしていた少年は機敏に突とその魚を掬った。(『蘆声』) 釣りの場面ですね。しかし、見事な文章ですねー。まるで掌の物を指し示している如く明晰でいて水のように「縦横無尽」であります。 岩波文庫の表紙にある紹介文には、斎藤茂吉が(『幻談』について)「これくらい洗練された日本語というものはない」と評したとありますが、その高評価には大いに同感致しますものの、他に類例を見ないかと考えれば、それはまた別の話でありますね。 というのも、私は今回の短編集(五つの小説あるいは考証のたぐいの文章が収録されています。どの文章も見事な文章だと思いますが、あえて述べればやはり『幻談』がもっとも印象深いです)を読みながら、鴎外との類似、谷崎との類似について、ずっと感じながら読んでいました。 特に谷崎との類似については、文体のみならず、『吉野葛』『芦刈』などにおいて特徴的であった、作品のアプローチの段階では小説の枠組みをどんどん解体して行きつつ、見事に読者をおのれの小説世界に誘っていくという手法が、非常に似ていると思っていました。 同種のことが、文庫本の解説文にも、このように書かれていました。 固有の幻想、ないし驚異への直覚的な洞察を披露するのに、形式にこだわる気持が次第に薄れ、物語の体をなしているかいないかは、内容の豊かさに比べれば二義的な問題にすぎないという思いが、次第に強まって行ったせいではないかと考えられる。(川村二郎) この解説文はそのまま谷崎潤一郎の『吉野葛』の解説文にすることができそうですね。 ここまで考えた時に私は、しかし谷崎はその後再び、絢爛な物語枠の世界に戻って行ったぞと思いました。 『春琴抄』を頂点とした、物語を解体しつつ物語を紡いでいくという手法を、谷崎は最晩年の『鍵』や『瘋癲老人日記』では採用することなく、むしろ初期の谷崎に直結するような、絢爛かつ強引で少々「悪趣味」な手法で描こうしました。 さて露伴は、『幻談』を書いた後、この「天衣無縫」というか「無手勝流」というか、このような手法をどう思っていたでしょうか。 そこまで考えた時、もう一人の「類似」作家のことが再び浮かびました。 そうだ、露伴は、鴎外よりも遙かに長生きをしたのだ。ということは、露伴は晩年の鴎外の「表現様式の変化」を見ていたというわけ、ですね。 晩年の鴎外が小説に「見切り」を付け、史伝へと赴いたことを、露伴はどの様に感じていたのでしょうか。 それを想像するに、なかなか趣深い物がありますね。 さて、冒頭の作品の報告からやや離れたようになりましたが、極めて優れた表現者の、晩年における「表現様式」についてであります。 谷崎タイプがあり、鴎外タイプがあり、そしてたぶんその真ん中あたりに露伴タイプがありそうです。 この多様性をまれにみる「僥倖」と感じて不足のない豊かさが、露伴の晩年の、小説とか随想とか考証とかのジャンルを越えた「天衣無縫」な作品群の中には、見事に宿っています。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.11.06
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『ボロ家の春秋』梅崎春生(講談社文芸文庫) 高校日本文学史教科書においては、「第一次戦後派」という位置づけをされる筆者であります。 本ブログにおいても、この位置づけ=流派わけについて、ブログ開始時にはあれこれ迷いつつ、結局これがまー、一番まとめやすいかなと思ったもので、高校レベルの文学史教科書の記載にほぼ従うようなかたちで筆者をカテゴライズしています。 以前、梅崎春生のこれも有名な『桜島』『日の果て』等を含んだ小説集を読みました。 この辺の作品は、いかにも「第一次戦後派」というカテゴリにふさわしい作品でありました。 そして、その短篇集について私は本ブログにも報告したんですが、今回同筆者の別の短篇集を読んだ後あわせて前に書いたブログも読み直してみたのですが、己の理解の仕方が極めて安直であったと言うことが分かりました。 (しかし私のブログにおいては、この程度の安直さを恐れてはいけません。そもそもの基本的なポリシーこそが、素人の安直さの集大成の果てに、ひょっとしたら万に一つの真実を掠る文言が有りはしないか、いや有ったらいいな、という安直さでありますゆえ。…いえ、威張っているわけではもちろんないんですがー。) どこが安直だったかと言いますと、簡単に言うと私は、「戦後派とは直近の戦争について書く作家のことだ」と、考えていたんですねー。 いくら何でもそんな単純な話しは無かろう、と自分でも思うんですが、野間宏とか大岡昇平とかの作家達の「戦争話」が何となく頭に浮かんでいて、恐らくきっとそう思っていたんですね。 (でもこんな間違いって、案外誰にでもありそうです、…って、そんなことないですか。私だけですか。反省。) さて、今回取りあげた短篇集には、直接戦争の場面はありません。日本国中が貧しかった戦後の場面があるだけです。 一読、とっても手の込んだ作りの小説が並んでいることだなー、と。 7編の短編小説が収録されているんですが、どの小説も話を進めていく上で極めて手の込んだ、重層的なストーリー展開をしていく小説になっていることに、ある種の「新鮮さ」を感じました。 これはきっと、「私小説」みたいな、何というか、筆者と等身大の主人公がずるずると話しを始めていって、何か知らない間に感想をひとつ言って話しが終わってしまったという類の「純文学」ばかり読んでいたからかも知れません。 そして何を語っているのかというと、7編ありますので一言ではまとめにくいのですが(またその7編の発表された期間が長く、数えてみれば1947年から始まって15年間に及んでいます)、大枠の流れとして捉えてみますとこんな感じですか。 「戦後すぐの価値観崩壊期の混乱から始まって、新しい価値を探りつつある時期には迷いと戸惑いを実感し、そして結局、定着しようとする新たな価値観に違和感を抱かざるを得ない状況が、一種普遍的人間性の持つ不気味さと諧謔とを伴って日常性の中に描かれている」ってところで、どないでしょ。 蜆が鳴いていたのだ。 蜆が鳴くことをお前は知っているか。俺は知らなかった。俺は驚いた。リュックの中で何千という蜆が押し合いへし合いしながら、そして幽かにプチプチと啼いていたのだよ。耳をリュックに近づけ、俺はその啼声にじっと聞入っていた。それは淋しい声だった。気も滅入るような陰気な音だった。肩が冷えて来て慄えが始まったけれども、俺は耳を離さなかった。そして考えていたのだ。俺が何時も今まで自分に言い聞かしていたことは何だろう。善いことを念願せよ。惜しみなく人に与えよ。俺は本気でそれを信じて来たのか。(『蜆』) この引用部は、戦後すぐの時期を描く表現ですが、そこから15年間、結局代わることなく存在し続ける日常生活の、特に他者の存在に対する、何とも不可解な不気味さと、それを感じながらもニヒリズムに浸りきれず、同時に自らの中の偽善性をも見てしまう、いわば自分でも扱いかねる自意識の有り様が、再三描かれているように思いました。 しかしそれは、結局人間性の極めて普遍的な状況であり、もしもそんな主人公の描き方のことを「戦後派」と呼ぶのなら、そんな呼び名にはほとんど意味がないことが分かりますね。 なるほど、文学史における流派のカテゴライズなど、単なる「段取り」に過ぎないことが如実に分かるものであるなと、ひそかに考える私でありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.11.03
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