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『赤ひげ診療譚』山本周五郎(新潮文庫) 時代小説であります。 主人公は、江戸幕府の小石川養生所の医師「赤ひげ」こと新出去定であります。初めて作品に現れるシーンは、簡潔にして印象的。こんな具合です。 渡り廊下をいって、右に曲ったとっつきの部屋の前で、津川は立停って自分の名をなのった。部屋の中から、はいれという声が聞えた。よくひびく韻の深い声であった。 実はわたくしは時代小説については、とんと疎く、何冊か少し囓ったことはありますが、まとまって読んだことがないため(なにせ、時代小説をお書きになる方々ってのはなかなかの健筆でいらしって、やたらと長編だったり作品が多かったりしませんか。私の愚かな偏見でしょうか)、本作が時代小説の中でどの様な位置づけにあるのか等、さっぱり知りません。 筆者山本周五郎についても、二、三冊読んだくらいで(『さぶ』と『季節のない街』と後……)、ただ『季節のない街』は時代小説ではなく、というか、私はほぼシュールレアリスム小説として読んだのですが、とても面白かったです。 そもそも私は、つらつらと自らの来し方を反省してみまするに、時代小説に対して故のない偏見がありはしなかったか、と。 そしてその偏見はどこから生まれてきたかとさらに考えますと、ひとえにおのれの無知さかげんのせいではなかったか、と。 ただ少しだけ言い訳じみたことを加えますと、確か三島由紀夫の文章に、はっきりと時代小説とは書かれていなかったですが、いわゆる日本的ウエットな小説はだめなんだみたいなことが書いてあって、それを読んだ愚かな私は時代小説はだめだと一直線に、……ああ、考えますほどに、改めて私の思考なんぞは無知蒙昧の巣窟であるなあと……。 ……さて気を取り直しまして本書です。 数少ない時代小説読書経験から比較検討致しまして、私は本書の特徴を二点考えてみました。 まず、本書は上記に触れた舞台と主人公を八つの連作短編でまとめた作品です。 まー、テレビ時代劇の『大岡越前』(このテレビドラマは今でも時々放映されているんですかね、わたくし寡聞にて存じませんが)みたいなものですね。 今私はテレビドラマとの類比を行いましたが、まさにテレビドラマと比べますと、各回のエンディングが、とてもそっけないです。たぶん、他の小説に比較してもとてもそっけないと思います。 これで一応は、えー、まぁ、終わっている、かな、という程度にちょっと考えてしまうほどに薄味です。 これは筆者の持ち味なんでしょうかね。 一概に評価はできないですが、物足りなさと、しかし、ある種の広がりも、確かに感じられます。 だとすれば、この筆者の「持ち味」はなかなか渋く玄人好みで、誰にでも読めるように易しく書いていそうに見えて、ねらっている高みはなかなかのものだと言えそうです。 私の好みを我田引水的に書けば、純文学志向めいたものを感じます。 さて二点目の特徴ですが、少し書き方を変えてみますが、8作の中でどれが一番できがいいだろうと考えてみたのですが、私は、「鶯ばか」というのが一番いいかな、と。 もちろんわたくしのごく個人的な嗜好からのチョイスですが、ここに描かれているのは、一家心中をして子どもはすべて死んでしまったのに夫婦だけが生き残った男女と、あまりの貧しさから精神に異常をきたしてしまった男の話です。 私は、彼らの取り上げられ方の中に、上記で触れた『季節のない街』から感じられる少しシュールな知的操作を感じました。 例えば助けられて生き残った母親(おふみ)が、こんな事を言います。「生きて苦労するのは見ていられても、死ぬことは放っておけないんでしょうか」おふみは枕の上でゆらゆらとかぶりを振った、「――もしあたしたちが助かったとして、そのあとはどうなるんでしょう、これまでのような苦労が、いくらかでも軽くなるんでしょうか、そういう望みが少しでもあったんでしょうか」 また、精神に異常をきたし、いない鶯の姿を見て声を聞く男(十兵衛)がこう言います。(この一文が、この短編のラストシーンです。上記にも書きましたように、薄味加減と「深み」が感じられるような終わり方です。) 登は側へいって坐り、ぐあいはどうだ、と云いかけたが、すぐ十兵衛に「しっ」と制止された。十兵衛は鴨居のほうへそーっと耳を傾けた。そうして、静かにそっちを指さしながら、登に向かって頷いた。「聞いてごらんなさい、いい声でしょう」と十兵衛はたのしそうに云った、「この鶯は千両積んだって売れやしません、なんていい鳴き声でしょうかね、あの囀り、――心がしんからすうっとするじゃありませんか」 山本周五郎は「庶民派」とはいわれつつ、そして多分その通りではあるのでしょうが、当たり前ではありましょうが、作品を作るに当たってはかなりシビアな知的構築をしていると、愚かな私はしきりに感心したのでありました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2019.01.20
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『酒道楽』村井弦斎(岩波文庫) 日本文学史の教科書(時々本ブログで取り上げる、高校で使うレベルの文学史教科書)にはたぶん名前のない村井弦斎という作家は、明治期におけるベストセラー作家だと本書の解説にあります。 報知新聞に連載されていた、酒の害を解く「教訓小説」である、と。 一般大衆の生活意識の向上を啓蒙とする大衆小説ですね。 なるほど、当時はさぞ、酒が原因の失敗が数多くあったんだろうなと思います。だって、現在に至ってやっと若干の社会的変化が出てきたとはいえ、つい最近まで「酒の上」といえば何でもありみたいな風潮が、わが国にはありましたよね。日本は酒飲み天国である、と。(それは私の周りだけだったのかな、そんなことないですよね。) また、酒が原因で亡くなった文人は結構多いと聞きます。 有名なところでは、大酒のみで肝硬変で亡くなった若山牧水は、死んでしばらく遺体が腐敗せず、生きながらすでにアルコール漬け状態であったという逸話は有名。 私が読んだ数少ない酒テーマの小説で指を折るのは『今夜、すべてのバーで』ですが、筆者中島らもは酔っぱらって階段から落ちて亡くなったと聞きます。 酒害を説く本書の村井弦斎は、さほどの酒好きではなさそうですが、例えばこんなところは酒飲みに対する観察眼の優れたところでしょうか。 「おまえは直にそう言うけれども酒を飲む時に色々の肴が膳の上に列んでいないと心持が悪い、十品でも二十品でも品数が多くないと膳の上が淋しくっていかん、といってナニも尽く食べるのでないから一つ物をコテ盛にされると胸が悪くなる、カラスミとか塩辛とかいうような物を少しずつ幾品も出しておくれ、眺めていればいいのだ」 酒飲みの小説家、山田風太郎も同じことを言っていましたね。 さて、上記にも触れましたが、本書は明治三十五年に報知新聞に連載された新聞小説です。のちに朝日新聞の専属作家となる夏目漱石のデビュー作『吾輩は猫である』(この作品は新聞小説ではありませんが)に先行すること3年です。 どちらもとてもユーモラスな作風であり、並べてみると明治期の小説界の思いがけない懐の深さに、何となく感動してしまいそうです。 もちろん両作品には、甚だしい違いがあるといえばあります。 それは今日の二作品に対する大きな評価の差が、不当とはいえないくらいのものかもしれません。 思うに、わたくし今回この二作をぼうっと比べてみて(『猫』はこの度改めて読んだのではなく過去の読書の記憶ですが)、純文学小説と大衆小説の大きな違いの一つに、エンディングの差があるのじゃないかと感じました。 『酒道楽』のほうは、いかにもおざなりといえばおざなりなエンディングです。 それはきっと、純文学小説が、完成した全体の形をあくまで追求するのに比べて、大衆小説は、もう見せ場は各回のその時々で終わっているからという態度ではないかと思います。 にもかかわらず、本作は結構読んでいて楽しいです。 さすがに岩波文庫のチョイスです。(かつて愚かな私は、岩波文庫の文庫化作品チョイスに疑義を感じたことがありましたが、現在は岩波チョイスに信頼を置いています。) この楽しさの原因は何かと考えるに、二つ思いつきました。 一つは本作の大きな特徴の一つであるユーモア感覚が、決して古びていないことです。これは結局のところ、ユーモアに品位があるからではないかと私は思います。作家の、対象への視線の温かさと言い換えてもよいものでしょう。 もう一つは、実は私は、明治期の小説を何作か読んで、明治という時代に対し一種の「地獄」めいた生きにくさをずっと感じ続けているのですが、それは例えば女性蔑視の感覚です。 それは結局、人間が生きる上で経済的自立がいかに大切かということなのですが、そして本書も根本のところではそれからの脱却は描かれていないのですが、女性登場人物の個々の描かれ方に、どこか社会状況を突き抜けたような救いがあります。 それはきっと、酒毒の啓蒙というばかりではない「フェミニズム」めいた作者の視線です。これが、読んでいて楽しい雰囲気を醸していると思います。 というわけで、きっとさらに分析しだすと結構厳しい部分も出てきそうですが、酒毒の啓蒙を目指しつつ、しかし酒に対する攻撃に徹底性の欠ける本書は、それゆえに大衆小説として現代に生き残ったように思います。 全然関係がないかもしれませんが、私はふっと『ゲゲゲの鬼太郎』を思い浮かべ、確か作者水木しげるは、ねずみ男がいなければ鬼太郎はちっとも面白くないと言っていたのを思い出しました。 あ。いえ、やっぱり、全然関係ないですかね。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2019.01.07
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