全34件 (34件中 1-34件目)
1
スウェーデンのマルゴット・バルストロム外相は10月30日、同国政府はパレスチナを国家として承認する決定を下したとする声明を出した。9月14日の総選挙で第1党になった社会民主労働党のステファン・ロベーン党首を議会が首相に就任することを承認したのが10月2日。その段階でロベーンはパレスチナを国家として承認する方針だと語っていたので、予告通りということになるが、イスラエル政府は強く反発していた。こうしたシオニストの圧力を退けたことになる。 予告から決定までの期間にスウェーデンでは興味深いことが起こっている。ひとつは潜水艦騒動。外国が水中活動をしている疑いがあるとして、スウェーデン軍はバルト海で大規模な作戦を始めたのだ。1982年10月1日に始まった出来事のデジャビュ。 このときもスウェーデン領海へ国籍不明の潜水艦が侵入したとされた。結局、潜水艦は捕獲されなかったのだが、明確な根拠が示されることなくソ連の潜水艦であるかのように宣伝され、スウェーデンの反ソ連感情は劇的に高まった。 しかし、ノルウェーの情報将校は問題の潜水艦はソ連のものではないと断言、西側の潜水艦だとし、ソ連のウィスキー型潜水艦だとする説も明確に否定し、アメリカやスウェーデンの当局者と真っ向から対立している。(Ola Tunander, “The Secret War Against Sweden”, 2004) アメリカとは一線を画し、自主独立の道を歩もうとしていたオルオフ・パルメが首相に返り咲く1週間前に幕が開いた「捕り物劇」はパルメの手足を縛ることになるが、それでもニカラグアの革命政権を明確に支持するなど、アメリカにとって好ましくない行動、つまり独立国として自主的な政策を打ち出していく。そのパルメは1986年、妻と映画を見終わって家に向かう途中、銃撃され、死亡してしまった。 パルメが暗殺された以降、スウェーデンのエリートは自主独立の道を放棄、アメリカの属国になるという道を選んだ。NATOへの参加も目論んでいるが、すでに軍や情報機関はアメリカの強い影響下に入っている。そうしたアメリカとスウェーデンとの関係を象徴するような人物が2011年からスウェーデン駐在アメリカ大使を務めてきたマーク・ブレジンスキー。スウェーデンをNATOへ引き込もうとしていた。 ブレジンスキーが大使に就任する前年、内部告発の支援を行っているWikiLeaksは米軍のアパッチ・ヘリコプターが非武装の人間、十数名を殺害する場面を撮影した映像を公開したのに続き、さまざまな資料を公表、バラク・オバマ政府は激怒する。そうした中、同グループの象徴的な存在であるジュリアン・アッサンジをスウェーデン政府は犯罪容疑者として逮捕状を出している。 アメリカの場合、大使が秘密工作の指揮をとることがある。アッサンジの事件とブレジンスキーの大使就任に関係があっても不思議ではない。 ところで、マークの父親、ズビグネフ・ブレジンスキーは1990年代にロシアや中国を封じ込める戦略を打ち出した人物。デイビッド・ロックフェラーと親密な関係にあり、ジミー・カーターを大統領に選んだことでも知られている。コロンビア大学でバラク・オバマを教育したという噂も流れている。 そのマーク・ブレジンスキーに替わり、アジタ・ラジを新しいスウェーデン駐在大使にオバマ大統領は10月23日に指名した。指名された女性はイラン系アメリカ人で、JPモルガン証券の元幹部。オバマの選挙キャンペーンに資金を提供したことでも知られている。資金調達に協力した人を大使に据えるということは珍しくないが、今回のケースではブレジンスキーとの交代劇。スウェーデンでの工作は一段落したということかもしれない。 前にも書いたことだが、現在、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟は大きく揺らいでいる。ジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを先制攻撃した際、その攻撃を批判したジェームズ・ベーカー元国務長官とリー・ハミルトン元下院外交委員長を中心とするグループの存在感がここにきて増しているのだ。 このグループはアメリカ軍の段階的撤退、シリアおよびイランとの対話の開始、パレスチナ問題の考慮などを提唱していた。現政権ではオバマ大統領のほか、レオン・パネッタ前国防長官、チャック・ヘーゲル国防長官がこのグループの指揮下にあるという。 ズビグネフ・ブレジンスキーはウクライナの制圧がロシアを屈服させ、世界を制覇する鍵を握っていると考え、ネオコンはロシア人を消滅させようとしている。つまり両者の目標に大きな違いはなくい。ただ、ロシアとの全面核戦争をどう考えるかという点で違いがあるだろう。中東/北アフリカにおけるプランの違いはさらに大きい。 2012年11月にデイビッド・ペトレイアスCIA長官が、翌年2月にヒラリー・クリントン国務長官がそれぞれ辞任した後、ホワイトハウスでの勢力図に変化が現れた。つまりネオコンの影響力が低下、こうした動きに連動する形で登場したのがIS(イスラム国、、ISIS、ISIL、IEILなどとも表記)。その背後にいるのがネオコン、サウジアラビア、そしてイスラエル。 そうした流れの中、スウェーデンでは潜水艦騒動で大きな効果は現れず、同国駐在の米国大使が交代、そして新政権のパレスチナ国家の承認があった。アメリカの支配層は「世界制覇」の野望を捨てていないだろうが、その目標を実現するための道筋を変えようとしているのかもしれない。
2014.10.30
石油価格が大きく値下がりしているが、ざっと見たところ、日本のマスコミは大きく取り上げていないようだ。表面的な立ち場はともかく、「原発再稼働」を後押ししている彼らとしては都合の悪い話なのかもしれない。 最近のアメリカ政府が行っていることを眺めているとデジャビュを感じることが少なくないのだが、石油価格の引き下げもそうした類いの話。例えば1980年代、ロナルド・レーガン政権になって相場は下がり始めるのだが、1986年に大きく値下がりしている。 この値下げはイラクやソ連の経済にダメージを与えることが目的だったと言われ、実際、ソ連は消滅へ向かう。この「成功体験」が今回の石油相場引き下げの背景にあるとする見方がある。 ソ連が消滅した直後、アメリカが「唯一の超大国」になったと浮かれる人びとが現れ、好き勝手なことができると思い込んだようだが、そのひとつの現れが1992年に作成されたDPG(国防計画指針)の草案。国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツを中心に作成されたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 このドクトリンを作成した当時、ロシアで実権を握っていたのは西側巨大資本に操られていたボリス・エリツィン。この時代、政府高官と裏で手を組み、不正な手段で国有財産を手に入れ、巨万の富を築いた人たちがいる。いわゆる「オリガルヒ」だ。 彼らはクレムリンを動かす存在になるのだが、エリツィンが失脚した後に登場したウラジミル・プーチンはオリガルヒを押さえ込んでしまう。この政策に反発し、少なからぬオリガルヒがイギリスやイスラエルへ逃げた。ロシアの「独立」はネオコンにとって「想定外」だったのだろう。 最近では中国も「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」を警戒するようになり、今年5月21日にはロシアから天然ガスの供給を受ける契約を結んだ。今後30年間にロシアは中国へ毎年380億立方メートルを供給するという内容で、総額は約4000億ドルになる。 アメリカは中国が影響力を拡大している地域、例えば東南アジア、アフリカ西部、イラクなどでその権益を壊そうとしているが、その一方でアメリカの「同盟国」であるサウジアラビアは最近、1バーレルあたり50ドルから60ドルという低価格で石油を販売、ロシアとの関係にくさびを打ち込もうとしている。ただ、中国はロシアの後を追い、ドル離れを進める兆候があり、こうした安売りで中国の姿勢が大きく変わる可能性は小さいだろう。 1980年代、アメリカは石油相場を下げるだけでなく、NGOを使ってソ連に対する圧力を強め始めている。その軸になったのが「プロジェクト・デモクラシー」。その中枢機関としてNSC(国家安全保障会議)の内部に作られたのがSPG。偽情報を流して混乱させ、文化的な弱点を利用して心理戦を仕掛けようとした。このプロジェクトをウォール・ストリート・ジャーナル紙は「思想の戦争」と表現している。 工作資金を流すパイプとして1983年、「民主主義のための国家基金法」に基づいて創設された組織がNED。そこから資金はNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターへ流れていく。この資金は実際のところ、CIAの秘密工作に使われている。 香港で「活躍」したNEDはロシアでもネットワークを張り巡らせ、プーチン政権を揺さぶってきた。体制転覆も視野に入れているはずだが、思い通りには進んでいないようだ。プーチンが使っている最強の武器は「事実」。ソ連時代の「失敗体験」に学んだようだ。報道管制を強めている西側では「怒濤のようなプロパガンダ」で庶民の心理を操作、マスコミの中にも本心からそのプロパガンダを信じている人もいるように見える。 今回の値下がりは9月の終わりから始まるが、その前にジョン・ケリー国務長官がサウジアラビアのアブドゥラ国王とあのバンダル・ビン・スルタンと会っていた。この会談で決定されたかどうかは不明だが、今回の値下げもアメリカ政府のプランにサウジアラビアが協力しているという構図。勿論、目的はロシア、中国、イランといった国々を屈服させ、ネオコンが描いた「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」の実現、つまり世界制覇にある。
2014.10.30
ロシアのウラジミル・プーチンが脊髄ガン、あるいは膵臓ガンだという噂をアメリカのメディアが流している。ベラルーシやポーランドで言われている話だというのだが、記事の内容は飲み屋で聞かれる世間話のようなもの。この噂話はできが良くない。「プーチンがウクライナ侵攻を急いだのは・・・」という出だしがまず間違っている。そうなると、それ以降の話は無意味ということだ。 ウクライナの戦乱を仕掛けたのはアメリカ/NATOだということは本ブログで何度も書いてきた。体制を作り替えるために資金を出すだけでなく、クーデターの手駒にするためにネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)をNATOが軍事訓練しているのだ。そのNATOもソ連/ロシアとの合意を無視して東へ拡大させ、ミサイルを配備して先制攻撃の準備を進めている。 アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補は昨年12月13日、米国ウクライナ基金の大会で演壇に立ち、アメリカ政府は1991年から50億ドルをウクライナに投資したと発言している。アメリカの巨大資本にとって都合良くウクライナの体制を作り替えることが目的だ。実際、演壇には巨大石油企業シェブロンのマークが飾られていた。 ただ、ガンの話は無視できない。アメリカ政府が南アメリカの指導者をガンにしているのではないかと2011年、ウーゴ・チャベスは発言している。チャベス自身、2013年にガンのため、58歳の若さで死亡した。ガンを誘発する物質やウイルスはあるようで、不可能なことではない。 この発言の背景には、ブラジルのジルマ・ルセフ大統領、ルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバ元大統領、そしてパラグアイのフェルナンド・ルゴ大統領が相次いでガンになった事実がある。同じ時期にアルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領も甲状腺ガンだとされ、手術したが、後にガンでなかったとされている。 ガンを誘発するウイルスが発見されたのは1950年代だとする説がある。ポリオのワクチンを製造する際、猿の肝臓に存在したウイルスが混入し、人間に深刻な病気、つまりガンやエイズを引き起こしたのではないかというのだ。アメリカでエイズが問題になるのは1980年代だが、50年代にエイズと似た症状の患者がアメリカで報告されている。アメリカより少し遅れてアフリカでもエイズが発見された。 エイズ・ウイルスは人工的に作られたとする説も存在するが、その状況証拠とされた発言がある。1969年6月、国防研究技術副本部長だったドナルド・マッカーサーが下院歳出委員会の国防総省歳出小委員会で語ったところによると、5年から10年以内(1974年から79年)に人工的な生物的な手段の製造が可能になると著名な生物学者は考えていて、それは自然に存在せず、またそれに対する自然の免疫は獲得されない。 免疫機構を破壊するのがエイズなわけで、この説明とは違いがあるのだが、免疫が問題になっていること、エイズ出現のタイミングとの符合から少なからぬ人が注目した。人体に害を及ぼすウイルスが発見され、それを生物兵器として作り替える研究をしていたのではないかというわけだ。 こうした情報に対し、最近では1920年代にコンゴのキンシャサで、あるいは1884から1924年頃までの間にサハラ以南のアフリカでHIVは流行したとする研究結果が発表されている。ポリオワクチンが現れる前だということだ。医学会が歓迎するであろう説だろうが、説にすぎないということを忘れてはならない。 実際にプーチンがガンかどうかは不明だが、アメリカ/NATOの上層部がそう願っていることは間違いないだろう。ソ連消滅後、「唯一の超大国」になったはずのアメリカが世界を好き勝手にできるようになると信じたネオコンたちの妄想を打ち砕こうとしているのがプーチンだからだ。
2014.10.29
エボラ出血熱のワクチンは10年近く前に作られ、2010年から11年には商品化されると見通されていたのだが、実際は店ざらしの状態になっていた。アフリカのローカルな病気では商品化しても儲からない。資本主義の原理に従い、欧米へ実際に感染が拡大するか、病気への恐怖が広がらない限り、薬品会社は動かないというわけだ。 しかし、大学や国家機関は動いている。テュレーン大学や米軍が生物化学兵器の拠点にしているフォート・デトリックの研究者がここ数年、ギニア、リベリア、シエラレオネのあたりで何らかの研究をしていたとする情報は本ブログでも紹介した。今年7月、シエラレオネの健康公衆衛生省はテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出しているのも興味深い。 生物兵器の専門家として知られているイリノイ大学のフランシス・ボイル教授の説明によると、テュレーン大学やCDC(疾病管理センター)がアフリカ西部で運営している研究所では生物兵器を研究、同じ場所にフォート・デトリックのUSAMRIID(アメリカ陸軍感染症医学研究所)もいる。人を殺す道具としての研究には儲けを度外視してカネをつぎ込むということのようだ。 このフォート・デトリック(前の名称はキャンプ・デトリック)は日本の医学界とも密接な関係にある。日本のアジア侵略は1872年の琉球藩設置から始まるが、1931年の柳条湖事件を切っ掛けに侵略は本格化、32年には「満州国」なる傀儡国家をでっち上げた。 それを利用し、日本の医学界をバックにして軍医学校は1933年から生物化学兵器の研究開発を始め、占領地域で生体実験を行う極秘部隊「加茂部隊」を編成した。その後「東郷部隊」と名を替え、さらに「第七三一部隊」と呼ばれるようになる。生体実験の犠牲になったのは主に中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人。こうした人びとを日本軍は「マルタ」と呼んでいた。 この部隊の隊長を1936年から42年、そして45年3月から敗戦まで務めたのが石井四郎中将、42年から45年2月までは北野政次少将。1946年に帰国した石井はCIC(米陸軍対諜報部隊)の尋問を受けるが、厳しいものではなく、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の情報部門、G2のチャールズ・ウィロビー少将から保護を受けるようになる。 1947年になるとキャンプ・デトリックからノーバート・フェルという研究者がやって来るのだが、この頃から日米の細菌化学兵器担当者は協力関係に入る。アメリカで細菌戦プログラムの中心的存在だったジェームズ・サイモンズ准将の指揮下にあった406部隊は病原体の媒介昆虫に関する研究用の「倉庫」と見なされていたが、1951年当時、309名のうち107名が日本人だったという。この日本人の背後には「第七三一部隊」の人脈が存在していた。 アメリカ軍は朝鮮戦争で細菌戦を展開したと中国の新華社は伝えているが、1970年代にはウィリアム・コルビーCIA長官も議会の公聴会で、1952年に生物化学兵器を使ったと認めている。こうした関係があるため、当然、石井中将をはじめ第七三一部隊の幹部、その上部機関だった軍医学校、さらに帝国大学の医学部の教授たちは細菌兵器開発に関する責任も問われていない。 朝鮮戦争が始まると輸血の必要性が高まり、「日本ブラッドバンク」が設立される。この会社は「第七三一部隊」と深い関係があり、北野政次は顧問に就任した。社名は後に「ミドリ十字」へ変更され、「薬害エイズ」を引き起こすことになる。現在は田辺三菱製薬の一部だ。 エボラ出血熱が最初に発見されたのは1976年のことだが、この病気を引き起こすウィルスを含む病原体を細菌兵器にしようとする極秘の研究「プロジェクト・コースト」が1980年代の前半から南アフリカで進められた。その中心にいた科学者がウーター・ベイソン。世界的に禁止された研究に興味を持ったアメリカ、イギリス、スイス、フランス、イスラエル、イラク、リビアといった国々からも資金が出ていたとされている。 1985年にベイソンはイギリスのある研究所を訪ね、デイビッド・ケリーという研究者に会った。ケリーは兵器の査察官になる。1980年代と言えばイラクとイランが戦争をしている時期で、その際、イラクはアメリカから提供された化学兵器を使ってイランを攻撃している。 そのイラクをアメリカは2003年に先制攻撃しているが、その際にジョージ・W・ブッシュ政権は偽情報を世界に向けて発信した。イギリス政府もイラクの脅威を誇張した報告書を発表するのだが、これが発覚してしまう。この情報を流したと疑われたのがケリー。このケリーは2003年7月に死亡するのだが、その直前、マーガレット・サッチャー英首相が南アフリカの最近化学兵器の開発を「防衛的」と擁護したすぐ後にイギリスの治安機関MI5がケリーから事情聴取している。 ケリーの死について公式見解は手首を切っての「自殺」だが、この結論を信じない人は少なくない。出血が少なすぎ、心臓の活動が停止した後に切った疑いが強いのだ。 エボラ出血熱に限らず、医学の世界に広がる闇は深い。病原体だけでなく、革命的な治療法も強大な利権が絡むだけに、裏で何が行われても不思議ではない。医学は生と死の狭間で綱渡りをしているような存在だ。
2014.10.28
北アフリカや中東の地中海沿岸地域で2011年から「アラブの春」なる反体制運動が始まった。独裁者、あるいは腐敗した政権を倒すための民主化運動であるかのように西側のメディアは宣伝していたが、そうしたストーリーは聞かれなくなり、今では「首切り」で有名になったIS(イスラム国、ISIS、ISIL、IEILなどとも表記)を倒さなけらばならないと大合唱だ。 ISは2006年、AQI(イラクのアル・カイダ)と呼ばれた集団からISI(イラクのイスラム国)として生まれた。AQIは名前の通りアル・カイダ系。創設当初、AQIを率いていたアブ・ムサブ・アル・ザルカウィは2006年6月に殺されたと言われ、引き継いだアブ・アブドゥラ・アル・ラシド・アル・バグダディとアブ・アユブ・アルーマスリも10年にアメリカとイラクの軍事作戦で殺された。今はアブ・バクル・アル・バグダディが率いているようだ。 当初、アル・カイダを指揮していた人物は、駐米大使から総合情報庁長官になり、現在は今は国家安全保障問題担当顧問に就任しているサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン。現在、ISの背後にいるとされている人物は、やはりサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子。 AQIがISIへ変身した直後、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたと調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌の2007年3月5日号で書いている。この当時のアメリカ大統領はネオコンに操られていたジョージ・W・ブッシュ。 2009年にバラク・オバマが大統領に就任、ヒラリー・クリントンが国務長官に選ばれた。「アラブの春」が始まる2011年にCIA長官を務めることになるのはデイビッド・ペトレイアス大将。アメリカの北アフリカ/中東プロジェクトを主導したのは国務省とCIAであり、このふたりが重要な役割を演じたわけだ。 リビアの体制転覆プロジェクトではイギリスとフランスが積極的に動いていた。地上軍としてアル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)が使われたが、その戦闘員を雇っていたのがサウジアラビアやカタールといったペルシャ湾岸産油国。リビアと同時にシリアでも体制転覆プロジェクトは実行されていたが、リビアでの作戦が成功した後、アル・カイダ系の戦闘員はシリアへ移動している。 三国同盟のひとつ、イスラエルもシリアの体制転覆を歓迎すると公言している。駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンは退任前の2013年9月、イスラエルはシリアの体制転覆が希望だと明言、バシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っているのだ。 ヨルダンの北部に設置された秘密基地でアメリカの情報機関や特殊部隊がISの主要メンバー数十人を含む戦闘員を訓練した2012年、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟は大きく揺らいでいる。ネオコンが動かしていたブッシュ・ジュニア時代とは違い、オバマ政権には別の勢力もホワイトハウスへ入り込んでいるのだが、そうした勢力が動き始めたのだ。 その勢力とはジェームズ・ベーカー元国務長官とリー・ハミルトン元下院外交委員長を中心とするグループ。このふたりはブッシュ・ジュニア政権がイラクを先制攻撃した直後、超党派のイラク研究グループを結成し、アメリカ軍の段階的撤退、シリアおよびイランとの対話の開始、パレスチナ問題の考慮などを提唱している。オバマ大統領、レオン・パネッタ前国防長官、チャック・ヘーゲル国防長官はこのグループの指揮下にあると言われている。その一方、2012年11月にペトレイアスCIA長官が、また翌年2月にクリントン国務長官がそれぞれ辞任している。 ホワイトハウスでの勢力図に変化が現れた頃、ISの活動が目立ちはじめた。ヨルダンでの訓練以降、現在までにシリア入りした外国人戦闘員はのべ25万人と言われ、その41%はサウジアラビア人だが、チェチェンの反ロシア勢力が拠点にしているグルジアのパンキシ渓谷からも200名から1000名が精鋭部隊としてシリアへ入り、戦っている。 それだけでなく、2012年にイギリス政府は自国のほか、フランスやトルコ、そしておそらくアメリカの特殊部隊がシリアで活動中だと認めている。トルコの特殊部隊がISと行動をともにしているとする情報も流れている。 10月19日、トルコからシリアへ向かっていた自動車が大型車と衝突、イランのテレビ局プレスTVの記者、セレナ・シムが死亡したが、彼女はトルコにおけるISの活動を調べていた。死亡する前日、MIT(トルコの情報機関)からスパイ扱いを受けたと言われているが、彼女の調査内容を考えると、トルコ政府から睨まれても不思議ではない。 ISに対する軍事行動を正当化するうえでジェームズ・フォーリー、スティーブン・ソトロフ、デイビッド・ヘインズなどの首を切り落としたとする映像が果たした役割は大きいだろう。この映像には疑問点が多く、ハリウッドまがいの演出だとする見方がある。その映像に出てくる黒装束の人物はイギリスなまりの英語を話していたとされ、そこでイギリス出身の戦闘員がいると話題になった。 が、その人物はイギリスの特殊部隊SASの隊員ではないかと推測する人もいる。シリアへの直接的な武力行使を国会が拒否したイギリスで軍事行動を認めさせるための演出ではないかというのだ。真相は不明だが、そうした可能性も否定できない。 昨年8月、シリアでは化学兵器が使われ、西側メディアは政府軍による攻撃だと宣伝した。これを口実にしてアメリカ/NATOが直接、シリアを攻撃するという流れになったのだが、すぐにこの話が嘘だとばれてしまう。この件については何度も書いているので今回は割愛するが、結局、このときはオバマ政権も攻撃を止めている。 現在、オバマ政権はISへの空爆を実施しているとされているが、その目的に疑問があることも本ブログで書いてきた。4000回の空爆で殺害したISの戦闘員は300名程度だというが、誰もいないビルを破壊しているようでは、当然だろう。その一方、シリアの石油施設は確実に壊しているようだ。
2014.10.26
10月26日はウクライナ最高会議(国会、定数450)の投票日だが、誰が何を選ぼうとしているのかが明確でない。ロシアに編入されたクリミアは勿論、東部のドネツクやルガンスクでも投票は実施されないだろうが、その他の地域でも正常な投票が実施されるとは言い難い。今年2月のクーデター以来、キエフでも暴力が横行しているのだ。 東部では民族浄化が進められ、キエフ政権による破壊と殺戮で住民は「自治権」ではなく「独立」を望むようになっている。選挙どころではない。しかも、選挙後に新政権は軍事制圧を再度、試みる可能性がある。最初の作戦ではキエフ側が惨敗、この停戦を利用したアメリカ/NATOからのテコ入れで巻き返そうとしていると考えられているのではないか、ということだ。現在、曲がりなりにも停戦で合意されているはずだが、大統領が署名したことには関係なく、現地の部隊は銃撃を繰り返している。 オデッサでの虐殺だけでなく、キエフ軍は東/南部で残虐な行為を繰り返してきた。世界的な投機家、ジョージ・ソロスの資金が入っているヒューマン・ライツ・ウォッチでさえ、キエフ側が住民に対してクラスター爆弾を使ったと批判している。それだけでなく、白リン弾が使われた可能性も高く、弾道ミサイルが撃ち込まれたという情報もある。 そうした攻撃のひとつの結果が100万人近い住民のロシアへの避難。その事実だけでも東/南部地域における戦闘の本質がわかるのだが、日本には住民が「ロシアへ逃げた」という事実に触れないマスコミもあるようだ。民族浄化の事実を伝えたくない、あるいは認めたくないということだろう。何しろ、民族浄化の黒幕はアメリカの支配層。ウクライナであろうと東アジアであろうと、アメリカ支配層が望む戦争に日本のマスコミは反対できない。 クーデターで成立したキエフの政権は2本の柱で成り立っている。ひとつは西側資本を後ろ盾とするオリガルヒ(一種の政商)であり、もうひとつはアメリカ/NATOの影響下にあるネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)。こうした勢力、特にネオ・ナチの存在が東部地域の住民を刺激、分離独立への道を選ばせたのである。東部の゙ドネツクやルガンスクは人民共和国の樹立を宣言、両人民共和国には「ナバロシエ(新ロシア)」として一体化しようとする動きもある。 今年2月のクーデター以来、ウクライナは混乱の中にある。新体制の柱は2本あり、そのひとつは西側資本を後ろ盾とするオリガルヒ(一種の政商)、もうひとつはアメリカ/NATOの影響下にあるネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)だ。 この2本柱を象徴すると言えそうな人物がドネプロペトロフスク州のイーゴリ・コロモイスキー知事。オデッサの虐殺や東/南部で行われている民族浄化の黒幕と言われ、ウクライナ、イスラエル、キプロスの市民権を持っている。つまり三重国籍。生活の拠点はスイスのジュネーブだ。 ウクライナでのクーデターを現場で指揮している人物はビクトリア・ヌランド米国務次官補だと見られている。ネオコン(親イスラエル派)の中核グループに所属するロバート・ケーガンと結婚している人物で、筋金入りの武闘派。 昨年12月13日、彼女は米国ウクライナ基金の大会で演壇に登場し、1991年からウクライナを支援するために50億ドルを投資したと発言したほか、2月4日にYouTubeへアップロードされた音声によると、ジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使との電話会談でウクライナの「次期政権」について話し合い、アルセニー・ヤツェニュクを高く評価していた。クーデター後、実際にヤツェニュクは首相に就任する。 音声の中でヌランド国務次官補は「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしているが、これはEUの話し合い路線に苛立ってのこと。その苛立ちが反映されたのか、2月18日頃からネオ・ナチはチェーン、ナイフ、棍棒を手に、石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどを持ち出し、中にはピストルやライフルを撃つ人間も出始める。そして狙撃が始まる。 狙撃を指揮していたのはネオ・ナチの中心的な存在、アンドレイ・パルビーだと言われている。ネオ・ナチ系の政党、「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」を創設したひとり。クーデター後、国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任した。 ヌランドと同じようにウクライナでのクーデターを煽っていたひとりがジョン・マケイン米上院議員。この人物は2003年にトルコからシリアへ密入国、そこで開かれた会議に出席しているのだが、そこにはFSAのイドリス・サレム准将やISのアブ・バクル・アル・バグダディも同席していたとされている。 ISを雇っているのはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子だが、2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカの情報機関や特殊部隊がISの主要メンバーを訓練していたとも伝えられている。 ISはアル・カイダ系だが、アル・カイダとは、ロビン・クック元英外相が指摘しているように、1970年代の終盤からソ連軍と戦わせるため、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ戦闘員のコンピュータ・ファイル。そうした因縁を考えれば、ISとCIAがつながっていても不思議ではない。
2014.10.26
10月21日にゴフ・ウィットラム元オーストラリア首相が死亡したという。労働党の党首として1972年の総選挙で勝利、人種差別に決別、徴兵制を廃止、中国を承認するなど政策を大きく変更してアングロ・サクソンの支配層から嫌われたが、中でも情報機関との軋轢は決定的だった。 アングロ・サクソン系の5カ国、つまりアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの情報機関は相互につながり、電子情報機関の場合は米英2カ国を中心にUKUSAを作り、連合体を形成している。 このUKUSAはNSA(アメリカ)とGCHQ(イギリス)の指揮下にあり、各国の機関は自国政府でなく、この米英2機関の命令に従って動いている。つまり、国家内国家。米英支配層が残りの3カ国を操る道具でもある。 UKUSAが世界を支配するために築いたシステムのひとつが全世界の通信を傍受できるECHELON。そのターゲットは全ての政府や国際機関で、情報を入手するだけでなく相場を操作するためにも使われているようだ。この辺の具体的な活動の一端はエドワード・スノーデンの内部告発で判明している。 電子情報活動が本格化するのは1970年代以降だが、その最初の段階でウィットラムはオーストラリアの首相に就任した。このオーストラリアのパイン・ギャップにはCIAがスパイ衛星の運用に使い、世界規模の通信傍受システムに組み込まれた最重要基地が存在、アメリカとオーストラリアの間で結ばれた秘密協定で1976年まで利用できることになっていた。 どちらかの国が通告しなければ使用期限は延長されることになっていたのだが、ウィットラム政権は利用期限の延長を拒否するのではないかとCIAは恐れる。1973年に同政権は情報を政府に隠しているという理由で同国の対内情報機関ASIOのオフィスを捜索、翌年には情報機関を調査するための委員会を設置したのだ。 1973年といえば、ヘンリー・キッシンジャーの命令でCIAがチリのサルバドール・アジェンデ政権をクーデターで倒した年。この秘密工作の内容をウィットラム首相は知っていた可能性があり、そうだとするなら矛先はCIAへ向くことが予想できる。1974年の選挙でウィットラムが率いる労働党が勝利し、パイン・ギャップ閉鎖もありえる状況になった。少なくともアメリカはそうなる展開を恐れた。 1975年になると、CIAの高官として対キューバ工作や東南アジアでの秘密工作を現場で指揮、さらにチリのクーデターやイラン・コントラ事件でも名前が出てきたシオドア・シャックレーがASIOに接触し、ウィットラム首相の行動を非常に心配していると通告する。その3日後、イギリス女王エリザベス2世の総督、ジョン・カーはウイットラム首相を解任した。 カーは第2次世界大戦中、オーストラリア政府の命令でアメリカへ派遣され、CIAの前身であるOSSと一緒に仕事をしている人物。大戦後もCIAときわめて深い関係にあった。 カーには首相を解任する権限があるので、今年2月にウクライナであったクーデターとは違い、憲法の規定に従っている。いわば「合憲クーデター」。この工作のために必要な資金を動かしたのは創設されたばかりのナガン・ハンド銀行だと言われているが、これは「CIAの銀行」のひとつだ。 麻薬取引で儲けたカネのロンダリングもしていた銀行だが、こうした稼業が発覚して1978年には創設者のフランシス・ナガン(オーストラリアの弁護士)とマイケル・ジョン・ハンド(元グリーンベレー)に逮捕令状が出される。ナガンの死体が駐車中のメルセデスの中で発見されたのは1980年早々のことだ。
2014.10.25
シリアのパイプライン爆破を考えているとアメリカのジュリエッタ・バルス・ノイス国務次官補は語っている。同次官補によると、アメリカ政府が軍事攻撃を正当化する口実に利用しているIS(イスラム国、ISIS、ISIL、IEILとも表記)は「歴史上、最も豊かなテロリスト」。石油販売で得る収入が1日に200万ドルあり、その資金源を断つことが目的だという。 シリアやイラクで盗んだ石油をISがパイプラインでトルコの港に運んでいると言われているので、ノイス次官補の主張にも一理あるように見える。その港からタンカーでイスラエルへ運び、そこで提供される偽造書類を使ってEUへ売っているという。 しかし、パイプラインを破壊しなくても販売ルートを断つことは可能。実際、1951年にイランがAIOC(アングロ・イラニアン石油)を国有化した際、会社側は石油の生産と輸送を止めることで対抗している。 AIOCをアメリカやイギリスの政府が支援、オープン・マーケットでの売却を阻止、イラン政府がイタリア石油公団のエンリコ・マッティ総裁に接触すると、裏から手を回して交渉を失敗させた。次にイランはソ連に接触するが、アメリカはクーデターで政権を倒している。 シリアの製油施設をアメリカが空爆で破壊したのはシリアの石油生産能力を低下させることが目的だとも推測されているが、パイプラインの破壊は販売能力の低下だろう。そもそも、サウジアラビアやカタールなどペルシャ湾岸の産油国がシリアの体制転覆を目論んだ理由のひとつが競合するパイプラインを壊すことだった。 ISの販売を請け負っていると噂されている会社はARAMCO。つまり、SOCAL(スタンダード石油カリフォルニア)、テキサコ、スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー、ソコニー・バキューム(後のモービル)が出資している巨大企業だ。重役の多くがCIAとつながっていると信じられている。この会社がISとの取り引きを拒否すれば、やはりISの重要な収入源が断たれる。 シリアの体制転覆を望んでいる国のひとつ、イスラエルは「大イスラエル構想」を目論んでいる。旧約聖書に書かれた「約束の地」、つまりナイル川とユーフラテス川に挟まれた地域をイスラエルの領土にしようというわけだが、これは現在、地中海東岸で発見された天然ガス田とも関係してくる。この資源を奪おうというわけだ。イスラエルがガザ攻撃を強めた一因もここにある。 「大イスラエル構想」は「修正主義シオニスト世界連合」を創設したウラジミール・ジャボチンスキーから始まる。その側近で後継者のひとり、ベンシオン・ネタニヤフは現イスラエル首相、ベンヤミン・ネタニヤフの父親だ。
2014.10.24
トルコからシリアへ向かっていた自動車が大型車と衝突、その自動車に乗っていたイランのテレビ局プレスTVの記者、セレナ・シムが死亡、同乗していたカメラマンは重傷を負った。10月19日のことである。その前日、MIT(トルコの情報機関)は彼女をスパイ扱いしていたことから、事故にトルコの政府機関が何らか形で関係していると疑う人もいる。 シムはトルコでISの活動を調べていたのだが、そこでトルコからシリアへ戦闘員を運び込むためにWFP(世界食糧計画)やNGOのトラックが利用されている事実をつかみ、それを裏付ける映像を入手したと言われているが、事故後、映像は行方不明になっている。西側は「人道的援助」を軍事目的に使っているということだ。 ISの戦闘員がトルコからシリアへ入っている、つまりトルコ政府が協力していることは知られている。10月2日にはジョー・バイデン米副大統領でさえ、ハーバード大学で講演した際、次のように語った。レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は多くの戦闘員がシリアへ越境攻撃することを許してISの強大化させたと後悔していたというのだ。また、サウジアラビアの実業家で王族の一員でもあるアフワリード・ビン・タラルは、自国がISを支援していたことを認めている。 バイデンは過去の話であるかのように言っているが、今もそうしたことが行われている事実を彼女はつかみ、報道しようとしていた。しかも輸送に国連やNGOが関係しているというわけだ。西側メディアは無視する情報だろうが、インターネットを通じて世界へ広がることは避けられず、トルコだけでなくアメリカやEUの支配層も彼女を黙らせたいという欲求を持っていただろう。 トルコには支配層にとって邪魔な存在を片付ける組織が存在する。例えば、NATOの一員である以上、トルコにも「NATOの秘密部隊」はある。イタリアのグラディオと連携している組織ということだ。この秘密部隊は「右翼団体」を手先として使うのだが、トルコの場合は「灰色の狼」。「民族主義者行動党」の青年組織で、その内部にある「対ゲリラ・センター」がその秘密部隊だと考えられている。この「灰色の狼」に所属していたひとり、モハメト・アリ・アジャは1981年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世を銃撃、西側メディアは「ソ連黒幕説」を流していた。 ISはシリア北東の街、コバニを攻略する際に化学兵器を使ったとされている。アメリカが2003年にイラクを先制攻撃した後に化学兵器を見つけているので、こうした化学兵器やリビアで略奪されたものが使われている可能性もあるが、ISにも製造技術はある。ちなみに、アメリカが発見した化学兵器について口を閉ざしたのは、それが「西側の技術」で製造されたもので、イラクを攻撃する口実に使った「大量破壊兵器」とは違ったからだ。 昨年8月、シリアでは化学兵器が使われた。西側メディアは政府軍による攻撃だと宣伝したが、事実に反することは間もなく判明する。この辺の事情は本ブログでも何度か書いたこと。 アメリカの監視システムはシリア政府の動きは勿論、化学兵器の発射を準備し始めた兆候があればすぐに察知でき、アメリカだけでなくイスラエルへもその事実が伝えられることになっている。 化学兵器は弾頭に装填すると3日以内に発射する必要がある。装填した瞬間から腐食が始まるからで、つまり準備を始めたら3日以内に攻撃があるということになる。もし、8月にシリア政府軍が実際に化学兵器を使ったとするならば、3日前にはそうした動きがあり、アメリカやイスラエルは察知していたはずで、死傷者が出ることを予想しながら警告しなかったことになる。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、この攻撃の数カ月前、アメリカの情報機関はアル・カイダ系の武装組織、アル・ヌスラがサリンを製造する能力を持っていると報告している。遅くとも5月にはアル・ヌスラだけでなく「AQI」つまりISもサリンに関する知識を持っているとCIAはバラク・オバマ大統領に説明している。 9月の段階で、シリアでサリンを保有しているのは政府軍だけだとサマンサ・パワー米国連大使は主張しているが、これはCIAの情報を知らなかったのか、知っていながら嘘をついたということになる。 国防総省の科学顧問でもあるマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授、そして国連の兵器査察官を務めたリチャード・ロイドは、化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 この「化学兵器話」でアメリカ政府はシリアを直接、攻撃しようとしたが、ロシアの抵抗で実現しなかった。そして9月23日からISを口実にしてシリアで空爆を始めている。成果が上がっているかのように宣伝する人もいるが、最初の攻撃で破壊されたビルはその15から20日前から蛻の殻だったとCNNのアーワ・デイモンは翌朝の放送で伝えている。製油所を破壊しているのは、シリアの産油能力を弱めるためだと推測する人が少なくない。
2014.10.23
昨年12月、ギニアで始まったエボラ出血熱の流行はアメリカに波及したようだが、その実態がよくわからない。この病気は空気感染し、被害の実態は報道内容より深刻だとする話がある一方、2009年の豚インフルエンザ騒動と同じように空騒ぎだと主張する人もいるのだ。 しかし、感染の実態がどうであれ、アメリカ政府の動きが不可解だということは間違いない。まずバラク・オバマ政権に危機感が感じられない。危険な病気だと言われているにもかかわらず、流行している地域から出ることが比較的自由で、アメリカ国内で患者に接する仕事、つまり感染リスクの高い作業を防護服を着ずに行わされている人がいる。9月にアメリカ政府は16万着のエボラ出血熱用の防護服を購入しているようなので、服がないということは考えにくい。 また、アフリカ西部、ナイジェリア、リベリア、シエラレオネへ3600名程度のアメリカ軍部隊を派遣するというのも奇妙な話。今回の流行はギニア、リベリア、シエラレオネのあたりから始まっているが、現場で必要としているのは医療や公衆衛生の専門家だろう。 そこで注目されているのが資源。ナイジェリアは石油の埋蔵量が膨大なことで有名で、シエラレオネは世界最大のダイヤモンド産出国。低賃金なうえ、労働環境が劣悪なことからストライキも行われている。「エボラ」という要素を取り除くと、アメリカ軍が派遣された理由は合理的に説明できる。 1976年にエボラ出血熱が初めて確認されたザイール(後のコンゴ)もウラニウムやダイヤモンドなど資源の宝庫。ベルギーの植民地だったが、1960年に独立、パトリス・ルムンバが初代首相に就任した。この地域を植民地にした当時のベルギー国王、レオポルド2世はイギリスのビクトリア女王のいとこにあたる。 ムルンバを危険視、つまり独立に怒ったひとりがCIA長官だったアレン・ダレスで、初代首相を排除するための秘密工作を始める。現場の指揮官は駐在大使だったクレアー・ティムバーレークで、その下には後にCIA副長官を経て国防長官になったフランク・カールッチもいた。 クーデター計画と暗殺作戦が同時進行し、「病気を引き起こす毒物」が持ち込まれたのだが、モブツ・セセ・セコのクーデターでムルンバは排除され、「毒物」は使われていない。 ザイール(後のコンゴ)の隣国、アンゴラも資源の宝庫。1975年にポルトガルから独立、MPLAが実権を握った。このMPLAはソ連と友好的な関係を築いたため、アメリカや中国が介入してくる。MPLAと対立関係にあったFNLAやUNITAを支援したのだ。当然のことながら、この地域ではCIAが活発に工作していたが、そうした戦いの最中、エボラ出血熱は出現、HIVもこの地域から現れている。 この地域では最近も生物兵器の研究が行われていた疑いがあると指摘されている。テュレーン大学や米軍が生物化学兵器の拠点にしているフォート・デトリックの研究者がここ数年、ギニア、リベリア、シエラレオネのあたりで何らかの研究をしていたと伝えられているのだ。興味深いのは、今年7月にシエラレオネの健康公衆衛生省からテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明が出たこと。治療目的の研究なら、中止要請が出るとは思えない。
2014.10.22
フランスの大手石油会社、トタルのクリストフ・ド・マルジェリ会長兼CEO(最高経営責任者)を乗せたダッソー社製ファルコン型ビジネス機と激突した除雪車の運転手は酒を飲んでいたとロシア連邦捜査委員会のウラジーミル・マルキン報道官は語っているようだが、運転手側の弁護士はこの主張を否定している。 現段階で考えられている原因はパイロットの操縦ミス、配車係のミス、運転士のミス、天候不良。航空機が離陸するときに除雪車が滑走路にいることは通常、ありえない話で、パイロット、配車係、運転手のミスだとしても、それに管制官が気づかなかった理由も徹底的に調べる必要がある。勿論、「ミス」のように見えても「故意」だった可能性はあるが、何らかの破壊工作を疑わせる事実は出てきていないようだ。 1992年に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリンはアメリカ(ネオコン)の世界制覇プランで、軍事力を前面にだいしているのだが、その一方で政治経済の仕組みを変えて巨大資本を国の上にしようとしている。ソ連崩壊後のロシアで政府の腐敗勢力と手を組んだグループが国有財産を不公正な手段で入手、大富豪(オリガルヒ)として政治をも動かすようになったのと似ている。 アメリカの巨大資本が築こうとしている支配システムの中心にはTPP(環太平洋連携協定)や環大西洋貿易投資協定(TTIP)がある。アメリカはTTIPでEUを支配しようとしている。「ロシアへの制裁」で最もダメージを受けるのはEUだと指摘されているが、この制裁でアメリカはEUを弱体化して支配しやすい環境を作ろうとしているのだろう。EUのエリートはそうしたアメリカ支配層の策略に手を貸している。 そうした中、ド・マルジェリ会長はロシアとの関係を深め、アメリカから自立しようとしていた。現在、ドイツでもアメリカ追随政策に対する反発は強まっている。ドイツの有力メディアが形振り構わずアメリカのプロパガンダを展開している一因はその辺にあるのだろうが、ここにきてメディアの内部からも告発の声が出ている。 ド・マルジェリ会長の死でトタルの経営方針が変わる可能性はない、つまりドル離れを進めるということのようで、それが事実ならアメリカ支配層にとって嫌な展開が続くことになる。すでにロシアと中国はドル支配からの脱却を図り、BRICSの他の国々、つまりブラジル、インド、南アフリカも後を追うことになる。そこにフランスが加わる意味は大きい。
2014.10.21
フランスの大手石油会社、トタルのクリストフ・ド・マルジェリ会長兼CEO(最高経営責任者)が10月20日の深夜近く、モスクワ・ブヌコボ空港で事故のために死亡したと報道されている。離陸のために加速していたド・マルジェリを乗せたダッソー社製ファルコン型ビジネス機が滑走路上で除雪車と激突したのだという。ド・マルジェリはロシア政府主催の会合に出席するため、同国を訪問していた。 この事故を聞き、7月にド・マルジェリ会長が語ったことを思い出した人もいるに違いない。フランスの金融機関、BNPパリバの問題を受け、石油取引をドルで決済する必要はなく、ユーロの役割を高めれば良いと主張していたのだ。この問題でBNPはアメリカに対して89億ドルを支払うことで合意しているが、この「制裁」はフランスがロシアへ接近したことに対するものだ。 BNPの幹部はアメリカの脅しに屈したわけだが、それに反発したフランスの財界人もいた。そのひとりがド・マルジェリ会長で、ドル離れ発言につながっている。この提案はロシアや中国をはじめとする国々が進める脱ドル政策とも合致している。そう語っていた人物がロシアを訪問、その帰りに事故死したわけで、そこに人為的な要素を感じる人がいても不思議ではない。 アメリカでは巨大資本に嫌われているであろう人物がしばしば航空機事故で死亡する。例えば、アメリカという国のあり方を大きく変化させたジョージ・W・ブッシュ政権を誕生させた2000年の大統領選挙の直前、有力候補と見られていたジョン・F・ケネディ・ジュニアが死亡している。 ケネディ自身は立候補を否定していたが、多くの人からは望まれていた。1999年前半に行われた世論調査では共和党のブッシュと民主党のアル・ゴアの支持率が30%程度だったのに対し、ケネディの支持率は約35%だったのだ。 そして1999年7月、ケネディが操縦する単発のパイパー・サラトガが墜落、妻のキャロラインや義理の姉にあたるローレン・ベッセッテが死亡している。本人の操縦技術に問題があったとは考えられず、しかも飛行位置から考えてパイパー機は自動操縦で飛んでいた可能性が高い。 墜落現場の特定までに5日間を要しているが、緊急時に位置を通報するためにELTという装置が搭載されていたこともあり、時間がかかりすぎているとする指摘もある。しかも搭載されていたボイス・レコーダーには何も記録されていないという。 2000年に大統領選と同時に行われた議員選挙では、投票日の3週間前、ブッシュを担いでいた勢力と反対の立場にあったメル・カーナハン元ミズーリ州知事も飛行機事故で死亡している。対立候補はブッシュ政権で司法長官を務めたジョン・アシュクロフトだが、選挙ではカーナハンの妻が選ばれている。 その4年前、ミズリー州では1976年の選挙前にも民主党の上院議員候補が飛行機事故で死んでいる。ジェリー・リットンだ。その結果、当選したのが共和党のジョン・ダンフォースだった。 2002年の中間選挙ではミネソタ州選出の上院議員、ポール・ウェルストンがやはり飛行機事故で死んでいる。ウェルストンもブッシュ政権と対立する考え方の人物で、イラク攻撃にも反対した可能性が高い。悪天候が原因だったと報道されているが、ウェルストンが乗っていた航空機の飛行高度では5マイル(約8キロメートル)先まで見えたと言われ、しかも防氷装置がついていた。 最近の航空機や自動車は電子化が進み、コンピュータに制御されている。つまり、外部からハッキングされると乗っ取られてしまうわけで、安全面では大きな問題がある。昨年、マイケル・ヘイスティングスというジャーナリストが自動車事故で死亡しているが、その時にも自動車のハッキングが噂されていた。 この記者はアフガニスタン駐留軍の司令官だったスタンリー・マクリスタル大将に関する記事を書き、2010年のローリング・ストーン誌に掲載されている。その中でマクリスタルの側近がバラク・オバマ大統領への不満を口にし、ジョー・バイデン副大統領、あるいは安全保障問題担当の大統領補佐官だったジェームズ・ジョーンズ退役大将などホワイトハウスの高官をマクリスタルのグループが軽蔑したことを明らかにし、それが原因でマクリスタル大将は退役を強いられた。 マルジェリ会長の死にアメリカが関与しているかどうかは不明だが、そう考える人はいるだろう。少なくとも結果としてアメリカと一線を画そうとするEUの人びとを脅すことになった。その脅しにEUは屈するのかどうかで歴史は大きく変わる可能性がある。
2014.10.21
マレーシア航空17便の撃墜に関する国際的で徹底した調査をロシア政府は求めているのに対し、アメリカをはじめとする西側は及び腰でメディアも寡黙になった。オランダ政府はコックピットの会話などを公表するつもりがないようだが、そもそもブラックボックスがどこにあるのかも明確でない。 そうした中、ドイツのシュピーゲル誌はMH17を撃ち落としたのは「親ロシア派」で、ブーク・ミサイル・システムを使ったとする主張を垂れ流した。同国のBND(連邦情報局)から得た情報だというが、これは当初、キエフ政権やアメリカ/NATOが言っていたことで新味はなく、しかも、こうした主張を否定する調査報告、証拠などへの反論はないようで、勿論、その主張を裏付ける証拠は示されていない。(この撃墜に関して本ブログでも何度か取り上げたが、この出来事についてまとめた記事が一水会の機関紙「月刊レコンキスタ」の「平成26年9月1日」付け紙面に掲載されているので、興味のある方は御覧頂きたい。) このシュピーゲル誌を含むドイツのメディア、ウクライナ問題ではアメリカ政府の宣伝を露骨に行い、物笑いの種になっている。最近、フランクフルター・アルゲマイネ紙の元編集者でヘルムート・コール首相の顧問を務めた経験もあるウド・ウルフコテは著作の形でドイツの編集者や記者がCIAに雇われている現実を明らかにしたが、シュピーゲル誌も実態は同じだろう。こうしたメディアのお粗末な記事を紹介するマスコミはさらにお粗末。 ウルフコテは「右」と見られていた人物だが、アメリカの支配階級にコントロールされているCIAはロシアとの核戦争へ近づきつつあると判断、実態を明らかにする決意をしたという。CIA、その前身であるOSS、いずれもウォール街の大物たちによって作り上げられている。 嘘をつき、裏切り、真実を伝えないように教育を受けてきたとウルフコテは告白、ドイツやアメリカのメディアはヨーロッパやロシアの人びとに戦争をもたらそうとしているとも語っている。これ以上進むと取り返しのつかないことになると考え、立ち上がったというのだ。 メディアの人間が情報操作に荷担するのは、彼らが情報機関に買収されているからだとウルフコテは言うが、こうした関係は1977年にカール・バーンスタインが明らかにしている。バーンスタインはワシントン・ポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を明るみに出したことで知られているが、1977年に退社し、その直後にこの記事を書いたわけだ。その記事によると、その当時、400名以上のジャーナリストがCIAのために働いていたという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 1980年代以降、状況はさらに悪化する。ベトナム戦争で懲りた西側の支配階級はメディア支配を急速に進め、気骨ある記者は次々と排除されていったのである。日本も例外ではない。筆者の見るところ、もっとも迅速に支配体制へなびいていったのは出版社系の週刊誌で、それにテレビや新聞社が続いた。 アメリカでは巨大資本がメディアを支配していったのだが、日本ではスポンサーや銀行の圧力に屈していったようだ。「バブル」の時代、手間暇かけて記事を書くより、手抜き記事の方が「コスト・パフォーマンス」は良いという損得勘定もあったようだが、1987年の朝日新聞阪神支局襲撃も無視できない。1972年に毎日新聞の西山太吉記者が逮捕された「沖縄密約事件」にもそうした要素は感じられる。 ウルフコテによると、しばしば情報機関は自分たちが広めたい「特ダネ」を持ち込み、サインするように求めたという。つまり、その記者の名前で自分たちのプロパガンダを行おうということだ。記者クラブを利用した「レクチャー」も似たようなもので、日本はドイツよりプロパガンダがシステム化されていると言える。
2014.10.20
民主党のバラク・オバマ政権も「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」に基づいて破壊と殺戮を続けている。そのターゲットはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダン、朝鮮といった国々だけでなく、1年ほど前から核保有国のロシアや中国も含まれるようになった。 こうした強硬姿勢の背景にはロシアや中国の軍事力に対する過小評価があるようだ。例えば、2006年にフォーリン・アフェアーズ誌が載せたキール・リーバーとダリル・プレスの論文によると、アメリカが核兵器のシステムを向上させているのに対し、ロシアの武器は急激に衰え、中国は核兵器の近代化に手間取り、相対的にバランスが大きく変化、アメリカはロシアと中国の長距離核兵器を第1撃で破壊できるとしているのだ。 つまり、ワンサイドゲームで勝てるということ。そこでウクライナでロシアと核戦争を始めることも厭わないとネオコンは考えているのだろう。ネオコンに従属している日本の支配層もそうした分析を信じている可能性が高い。 現在、アメリカ/NATOはいくつかの地域で戦争、そのひとつがシリアだ。「大イスラエル構想」、イランとの関係、パイプラインの建設、地中海東岸で発見された天然ガスなどシリアが狙われている要素はいくつか存在するが、そのシリアを攻撃する主力としてアメリカが使っているのはIS(ISIS、ISIL、IEILとも表記)。 シリアのバシャール・アル・アサド体制を転覆させるプロジェクトをアメリカ/NATOやペルシャ湾岸の産油国が始動させたのは2011年春のこと。トルコにある米空軍インシルリク基地でアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員らが反シリア政府軍を訓練、その戦闘員を雇っていたのがサウジアラビアやカタールなどの産油国。 当時の反政府軍はFSA(自由シリア軍)と呼ばれていたが、その戦闘員の大半は外国人で、シリア人から見れば単なる侵略軍にすぎない。体制転覆プロジェクトが思惑通りに進まないのは当然なわけで、NATOの空爆が予定されていたはずだが、これはロシアの抵抗で実現しなかった。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンに従い、2003年に攻撃されたイラクではサダム・フセイン体制が崩壊するとアル・カイダ系の武装勢力が入り込んでくる。フセイン時代、アル・カイダ系の武装集団は厳しく弾圧されていたが、そのフセインが排除されたことが大きい。 このアル・カイダとは、ロビン・クック元英外相が明らかにしたように、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン(聖戦士)」のコンピュータ・ファイルにすぎない。そのファイルに登録された戦闘員が送り込まれてきたということになる。 イラクに入ってきたアル・カイダ系の戦闘集団はAQI(イラクのアル・カイダ)と呼ばれていた。2006年1月になるとAQIを中心にしていくつかの集団が集まり、ISI(イラクのイスラム国)が編成される。 シリアでFSAの敗色が濃厚になっていた2013年春、ISIはシリアでの活動を活発化させる。同じ頃、アメリカ/NATOはシリアへの直接攻撃に向かって動き始め、政府軍が化学兵器を使ったという偽情報を必死に広めようとしていた。 この情報が嘘だと最初に指摘したのはロシア。このロシアをサウジアラビアの総合情報庁長官だったバンダル・ビン・スルタンは脅す。元アメリカ駐在大使で、後に国家安全保障問題担当顧問になる。「バンダル・ブッシュ」というあだ名がつけられるほどブッシュ家とは近い関係にある。 スルタンは2013年7月31日にロシアを極秘訪問、ウラジミール・プーチン大統領らに対し、シリアからロシアが手を引けば、ソチで開催が予定されている冬期オリンピックをチェチェンの武装グループが襲撃する計画を止めさせると持ちかけたのだが、シリアから手を引かないとオリンピック期間中に襲わせると脅しているとロシア側は理解したのは当然だろう。その際、バンダル長官はプーチン大統領から、サウジアラビアとチェチェンの反ロシア勢力との関係を知っていると言われたようだ。 チェチェンの反ロシア勢力はグルジアのパンキシ渓谷を拠点にしているが、この地域へはチェチェンからの難民が流れ込んでいて、そこでアメリカのCIAはチェチェン人をリクルートしていると言われている。本ブログでは何度も書いているが、グルジアはアメリカやイスラエルの強い影響下にある国だ。 このパンキシ渓谷からシリアへもチェチェン人が送り込まれ、ISの戦闘員として戦っている。その人数は200名から1000名。シリア政府によると、アメリカ/NATOやサウジアラビアをはじめとするペルシャ湾岸の産油国の支援を受けてシリアへ入っている外国人戦闘員は25万人以上で、その41%はサウジアラビア人だと言われているが、チェチェン人は「精鋭部隊」と見なされている。今後、彼らがロシアへ攻め込む部隊として使われる可能性は大きい。 アメリカは「用済み」の手駒を簡単に処分するが、まだISはアメリカ/NATOの指揮下にあるだろう。そうでなかれば石油を売ることは不可能なはずで、空爆もより効果的に行うだろう。アメリカの「友好国」であるトルコなどは、公然とISよりアサド体制の打倒を上位に掲げている。
2014.10.19
集団的自衛権、特定秘密保護法、国家安全保障基本法、TPP(環太平洋連携協定)など国のあり方を根本的に変える政策を強引に進めている。その大本に存在しているのがネオコン(アメリカの親イスラエル派)の描く世界支配戦略。1992年に作成されたDPG(国防計画指針)の草稿はその戦略を具体化したもので、作成の中心に国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツがいたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 ウォルフォウィッツは1991年、シリア、イラン、イラクを殲滅すると語っていたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は語っている。湾岸戦争でジョージ・H・W・ブッシュ大統領がイラクからサダム・フセインを排除する前に停戦したことにネオコンは怒り、この発言につながった。 1970年代の終盤からアメリカ、イスラエル、サウジアラビアは同盟関係に入り、この三国同盟に服わないシリア、イラン、イラクの体制を転覆、傀儡体制を築き、石油を支配しようと考えたのだろう。 クラーク元最高司令官によると、2001年9月11日から数週間後に作成された攻撃予定国リストには、イラク、イラン、シリアのほか、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンが載っていたという。 冷戦時代にアメリカのライバルだったソ連は1991年に消滅、ロシアの大統領に就任したボリス・エリツィンは西側巨大資本の傀儡で、ネオコンはロシアを属国化したと信じたはず。1980年代の後半、中国でも揺さぶりをかけ、1989年には「天安門事件」を引き起こしている。 エリツィンが実権を握ってからロシアでは新自由主義が導入されるが、中国ではミルトン・フリードマンが訪問した1980年にスタートしていた。そのフリードマンは1988年に妻と一緒に中国を訪問、趙紫陽や江沢民と会談している。アメリカの支配層は中国の新自由主義化が不十分だと考えていたようだ。 ロシアではエリツィン時代に利権集団による国有財産の略奪が進み、大富豪(オリガルヒ)が登場する一方、国民の大多数が貧困化して国は崩壊寸前になる。そこで登場したのがウラジミール・プーチン。オリガルヒを押さえ込み、アメリカの前にライバルとして立ちはだかることになる。ロシアが破綻すれば西側の巨大資本が殺到し、骨の髄までしゃぶられただろう。 現在、経済面でBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(上海合作組織/アルメニア、ベラルーシ、中国、カザフスタン、ロシア、タジキスタン、ウズベキスタン)がアメリカやEUの地位を脅かしている。この中心的な存在は言うまでもなくロシアと中国。 この両国はアメリカを中心とする西側の巨大資本にとって強力なライバル。イラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンと同じように殲滅の対象になっているのだろうが、簡単な相手ではない。その両国と戦う傭兵としてアメリカは日本人を使うつもりで、日本に関する情報を入手、分析する必要がある。その仕組みとしても特定秘密保護法やTPPは機能する。
2014.10.19
外国が水中活動をしている疑いがあるとして、スウェーデン軍はバルト海で大規模な作戦を始めたという。1981年にソ連の潜水艦が座礁する事故があり、これを思い出す人もいるようだが、1990年代の前半の場合、スウェーデン政府はミンククジラをロシアの潜水艦だと信じていたことが後に判明している。 スウェーデンへの影響という点では、1982年の出来事が大きい。この年の10月8日、アメリカとは一線を画すという姿勢を貫いていたオルオフ・パルメが首相として返り咲くのだが、その1週間前、潜水艦騒動が始まる。 当時、パルメはニカラグアの革命政権を明確に支持するなど、アメリカにとって好ましくない人物だった。このパルメは1986年、妻と映画を見終わって家に向かう途中、銃撃され、死亡している。 1979年からアメリカはソ連との戦争に向かって動き始めている。7月にはエルサレムでイスラエルとアメリカの情報関係者が集まり、「国際テロリズム」に関する会議を開いたのだが、そこで「テロの黒幕」はソ連だというキャンペーンを始めることになる。 アメリカからの出席者は、ジョージ・H・W・ブッシュ元CIA長官(後の大統領)、レイ・クライン元CIA副長官、CIAの対ソ強硬派「Bチーム」を率いていたネオコン(親イスラエル派)のリチャード・パイプス、そして「ジャーナリスト」のアーノウド・ド・ボルクグラーブとクレア・スターリングらがいた。会議後、日本ではスターリングらを情報活動の専門家として扱っている。 その年の12月に開かれたNATOの理事会では1983年からアメリカのパーシングIIと巡航ミサイルをNATO5カ国に順次配備すると決定した。そうした流れに反発する西側の人びとは反核運動を開始、1981年10月に西ドイツで開かれた反核集会には約30万人が集まっている。 その前年、元ビートルズのジョン・レノンがトッド・ラングレンのファンでキリスト教原理主義者から大きな影響を受けたいたといわれるマーク・チャップマンに射殺されているが、もしレノンが生きていたなら運動に参加した可能性は高く、運動をさらに盛り上げていたことだろう。こうした情勢の中、1980年のスウェーデンではソ連を脅威だと考える人は全体の5〜10%にすぎなかった。 ところが、1982年に国籍不明の潜水艦がスウェーデン領海へ侵入、大捕物が展開されると状況は一変、ソ連を脅威だと考える人が1983年には40%に上昇、軍事予算の増額に賛成する人の比率は1970年代の15〜20%が約50%に増えている。 潜水艦の領海侵入騒動でアメリカの好戦派や軍需産業は大きな利益を得たが、ソ連は評判を落とし、大きな損失を被ることになった。本当にソ連の潜水艦がスウェーデンの領海内に侵入したのだとすると、稀に見る愚かな作戦だったと言えるだろうが、ノルウェーの研究者、オラ・ツナンデルはアメリカとイギリスがスウェーデン国民のソ連感情を悪化させるために仕組んだと推測している。 騒動の直前、9月にNATO軍はデンマークやノルウェーへの上陸演習「ノーザン・ウェディング」を、バルト海では別の演習「USバルトップス」を行い、さらに対潜水艦戦訓練「ノットバーブ」が実施されている。この対潜水艦戦の訓練こそが潜水艦追跡劇の真相ではないかと考える人もいる。 ノルウェーの情報将校は問題の潜水艦はソ連のものではないと断言、西側の潜水艦だとし、ソ連のウィスキー型潜水艦だとする説も明確に否定し、アメリカやスウェーデンの当局者と真っ向から対立している。(Ola Tunander, “The Secret War Against Sweden”, 2004) 1983年の春、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖に3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群を終結させ、大規模な艦隊演習「フリーテックス83」を実施している。志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返し、米ソ両軍は一触即発の状態になったと言われている。(田中賀朗著『大韓航空007便事件の真相』三一書房、1997年) この年の8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便がアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切り、ソ連領空を侵犯、サハリン沖で撃墜されたと見られている。その年の11月にはNATO軍が軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。これをソ連の情報機関KGBは「偽装演習」だと疑い、全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと警戒体制に入っている。 ところで、スウェーデンでは9月14日の総選挙で社会民主労働党が第1党になり、10月2日に同党のステファン・ロベーン党首が首相に就任することを議会が承認した。原発依存を見直す可能性もあるが、それ以上に注目されているのがパレスチナを国家として承認する方針を打ち出していること。イスラエル政府は激しく反発している。これまでスウェーデンはWikiLeaksに対するアメリカ政府の攻撃を支援してきたが、この方針も変化するかもしれない。そうした中での騒動だ。
2014.10.18
エボラ出血熱の犠牲者が増え続け、アメリカやスペインでも看護をしていた人びとの中に感染者が現れたという。感染した看護師が旅客機に搭乗、空気感染を疑う人もいるようで、他の乗客への感染も懸念されている。 エボラ・ウィルスには6つのタイプがあり、それぞれが変異して今では300種類ほどになっているようなので、そうしたウィルスが出てきても不思議ではない。しかも、アメリカでは感染のリスクが高い作業を防護服を着ずに行っているケースが少なくないため、患者を増やそうとしているのではないかという陰口まで叩かれている。2009年に豚インフルエンザ騒動を引き起こしたWHOのマーガレット・チャン事務局長の発言を大げさではないかと疑う人も少なくないが、警戒するに超したことはない。 この病気が初めて確認されたのは1976年8月のザイール(後のコンゴ)。そのほかスーダン、ガボン、ウガンダなどの国々に患者が集中するローカルな病気で、ワクチンや治療薬の開発は進んでいなかったと言われている。少なくとも一般には知られていない。 ところが、アフリカ西部で治療にあたっていたアメリカ人、ナンシー・ライトボールとケント・ブラントリーが感染すると状況が変わる。8月2日にふたりはアメリカへ運ばれて治療を受け、快方に向かってブラントリーは21日に退院した。 両者はリーフバイオ社とデフィルス社が開発している「ZMapp」が投与されたほか、現地で回復した少女の血が輸血されたとされている。リベリアでZMappを投与された3名のアフリカ人医師も快方へ向かっているという。 ロシアでもエボラ・ウィルスのワクチンが完成間近のようで、同国のベロニカ・スクボルツォワ保健相によると、現在開発しているワクチンは3種類。そのうちひとつは不活性化されたウィルスの株菌から直接作られたもので、臨床実験の用意が出来ている。他の2つは遺伝子工学的ワクチンだという。 いずれにしろ、患者がアフリカの外、欧米に出た途端、ワクチンや治療薬の話が出始めたことは確かで、これまで隠していた疑いもあるだろう。薬品会社はカネ儲けのうえで最も効果的なタイミングで商品を出してくることが普通で、少なからぬ人が予測していた通りの展開だ。 10月16日に内部告発支援グループのWikiLeaksはTPP(環太平洋連携協定)の知的財産分野の条文草案とされる文書を公開した。アメリカの代表は開発した新薬の独占期間を長くしようとしているため、安価な後発医薬品の利用が制限され、ガンの治療薬など命に関わる薬の場合、所得によって命が左右されることになると批判されている。そうした薬品会社の論理がエボラ出血熱の場合にも出てくる可能性はある。
2014.10.17
ウクライナでは議会選挙を目前に控えた10月14日、スボボダ党や右派セクターを中心とするネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)のメンバー約8000名が議会周辺で警官隊と衝突した。その際、50名程度が逮捕され、15名ほどの警官が負傷したという。 10月14日はUPA(ウクライナ反乱軍。UIAとも表記)が創設された記念日。1942年のことだ。UPAの母体はOUN(ウクライナ民族主義者機構)のバンデラ派(OUN-B)で、その支持者たちはドイツやソ連と戦ったとしているが、ナチスと手を組んでポーランド人やユダヤ人などを虐殺、ソ連への軍事侵攻に参加した。 OUNの創設にはドイツの外国諜報局(情報機関)が関与、その創設者をソ連の工作員が1938年に暗殺している。その直後に組織内で意見が対立、反ポーランド、反ロシアを望む人びとはステファン・バンデラの周辺に集まる。 この集団をイギリスの情報機関MI6はソ連情報を入手するために雇う。この当時、ソ連と戦うために「日本・アングロ(米英)・ファシスト同盟」を結成するという案がイギリスにはあった。(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988) その後、OUNの内部対立は激しくなって1941年に分裂、バンデラを中心に集まった集団はOUN-Bと呼ばれるようになり、ドイツから資金を提供されるようになった。その幹部だったミコラ・レベジはゲシュタポの訓練学校へ入っている。その直後にドイツはソ連への軍事侵攻を始める。「バルバロッサ作戦」だ。 このタイミングでOUN-Bはウクライナの独立を宣言、これに怒ったドイツはウクライナのナショナリストを逮捕しはじめるが、OUN-Bの幹部は収容所で特別待遇されていたとされている。そしてUPAが組織されたわけだ。 現在、ウクライナのバンデラ派が掲げる旗はナチスを彷彿とさせるものが多い。これからもわかるように、ナショナリストと自称しているが、彼らは親ナチス、つまりネオ・ナチ。この勢力は今年2月、アメリカ/NATOはクーデターの手先として使われたわけだ。 この当時、EUは話し合いで解決しようとしていた。それが気に入らなかったのがネオコン(アメリカの親イスラエル派)。そうした勢力のひとり、ビクトリア・ヌランド国務次官補はジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と電話で次期政権の閣僚人事を話し合っている際、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にした。その一方、バラク・オバマ米大統領は2月19日、ウクライナ政府は警官隊を引き揚げさせるべきだと主張している。 そしてネオ・ナチは暴力をエスカレートさせる。棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を警官隊に投げつけ、ピストルやライフルを持ち出して街を火と血の海にしたが、それだけでなく、市民や警官を狙撃した可能性が高い。 2月25日にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相は翌日、EUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告しているのだが、その中でパエト外相は次のように言っている: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合体(クーデター派)が調査したがらないほど本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチ(大統領)でなく、新連合体の誰かだというきわめて強い理解がある。」そして「新連合はもはや信用できない。」としている。 ところが、それに対するアシュトンの回答は「議会を機能させなければならない。」つまり、事実を隠せということだ。そして東/南部での破壊と殺戮が本格化する。 この会話がYouTubeにアップロードされたのは3月5日のこと。ヤヌコビッチ政権でSBU(ウクライナ治安局)の長官を務めていたアレクサンドル・ヤキメンコによると、狙撃の責任者はアンドレイ・パルビー。「ウクライナ社会ナショナル党(スボボダ)」を創設したひとりで、クーデター政権の国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)議長だ。 こうした情報をパエト外相に提供したひとり、医師のオルガ・ボゴモレツはビクトル・ヤヌコビッチ政権に反対していた人物。2004年から05年にかけては「オレンジ革命」に医師として参加、現在は教え子を医師として反ヤヌコビッチ派へ送り込んでいるという。そうした人びとも狙撃の実行者がネオ・ナチだと証言しているわけだ。 ユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で中心的な役割を果たした活動家が昨年末から相次いで失踪しているとウクライナでは報道されているようだが、口封じの可能性がある。 ドネプロペトロフスク州のイーゴリ・コロモイスキー知事は東/南部で行われている民族浄化の黒幕と言われ、ウクライナ、イスラエル、キプロスの三重国籍を持つ人物。同州のボリス・フィラトフ副知事は2月、「人間の屑にはあらゆる約束を与え、あらゆる譲歩を行わねばならない。吊るし上げ…、吊るし上げるのは後だ」と書いた。吊し上げる時期が来たと彼らは思っているのかもしれない。 ちなみに、「地獄の手先」は「小事で信頼させておいて、最後のところで裏切る」(シェイクスピア著、木下順二訳『マクベス』岩波文庫、1997年)そうだ。 もっとも、ネオ・ナチが裏切られるということもあるが。
2014.10.16
日本を動かしているグループはアメリカ支配層の傀儡であり、その政策はアメリカの戦略に基づいて作成、そこに自分たちの利益を反映させて決められる。「特定秘密保護法」も「集団的自衛権」も例外ではない。 現在、アメリカは1992年に作成されたDPG(国防計画指針)の草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」に基づいて動いている。当時、国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツを中心に作成されたのでそう呼ばれるようになった。 このドクトリンはアメリカを「唯一の超大国」と位置づけ、それまで世界を拘束していたルールを超越した存在になったとしたうえ、新たなライバルが育つことを防ぎ、石油利権を維持するために軍事力の増強するという方針を打ち出している。 DPG草案の内容を支配層の内部でも問題だと考える人がいたようで、内容がメディアにリークされ、その時は書き直されたのだが、考え方は消えなかった。ネオコン(親イスラエル派)が抱き続けたからだ。 勿論、そのドクトリンは日本へも影響を及ぼしている。そのひとつの結果が1995年に公表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限を緩和/撤廃、そして日米両国の安全保障協力を地球規模にするというもので、1997年の「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」、そして99年の「周辺事態法」につながった。 2000年にはリチャード・アーミテージとナイが中心になって「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」が作成され、その中で「集団的自衛権」を日本は行使できるようにするべきだと要求(命令)している。この報告書の作成にはアーミテージやナイのほか、カート・キャンベル、マイケル・グリーン、そしてあのウォルフォウイッツが含まれていた。 2001年9月11日を経て05年に「日米同盟:未来のための変革と再編」という文書が登場、これによって「日米同盟」の対象が極東から世界へ拡大され、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」が放棄された。 そして現在、日米両政府は「日米防衛協力のための指針」の再改定に向けた作業を続けている。公表された中間報告によると、現行の指針にある「周辺事態」が削除され、地理的な歯止めはなくなる。集団的自衛権の行使を最終報告に反映させると報道されているようだが、要するに指針の改定方針に基づいて安倍晋三政権は「集団的自衛権」の行使容認を決めたということ。有り体に言うと、日本はアメリカの戦争マシーン(拡大版NATO)に組み込まれ、ロシアや中国と戦争する体制に入る。 この流れはウォルフォウィッツ・ドクトリンに端を発する、つまりネオコンの戦略に基づくのだが、1992年の大統領選挙で当選したビル・クリントン政権ではネオコンの影響力が大きく低下した。例えば、パレスチナ/イスラエル問題でネオコンの意に反する政策を打ち出し、1993年にはイスラエルのイツハク・ラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のヤセル・アラファト議長が「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)に正式署名、ネオコンやリクードの怒りを買っている。 クリントンに対するスキャンダル攻勢は1993年に本格化する。「アーカンソー・プロジェクト」と呼ばれるキャンペーンで、そのスポンサーはメロン財閥の一員で情報機関とも関係の深いチャード・メロン・スケイフ。ニュート・ギングリッジ下院議長(当時)のスポンサー、ピーター・スミスもクリントン攻撃に資金を提供していた。 当初は作り話で攻撃、反撃にあって迷走していたが、最終的には1998年に浮上したモニカ・ルウィンスキーとのスキャンダルでクリントン大統領は窮地に陥る。ジャーナリストのゴードン・トーマスによると、ふたりの電話による会話をイスラエルの情報機関が盗聴し、脅迫に使ったのだという。都合良く登場したルウィンスキーとは何者なのか? クリントン政権が始まった直後、ホワイトハウスの通信システムが修理されているのだが、それを担当した会社の中にイスラエルのアムドクスやコンバース・インフォシスが含まれていた。イスラエルの情報機関は「民間会社」を隠れ蓑に使うケースが多く、この修理でホワイトハウスの通信はイスラエルへ筒抜けになった可能性が高い。実際、アムドクスはFBIなどの捜査対象になっている。 この当時、イスラエルのスパイ網が調べられていた。2001年9月11日の前に約140名のイスラエル人が、また以降には90名が逮捕されたと報道されている。一説によると、捜査の切っ掛けは1996年にあったオクラホマのビル爆破事件。使われた爆発物を調べたところハンフォードの研究施設にたどり着き、イスラエルの存在が浮かび上がったというのだ。この捜査を止めさせるため、ルウィンスキーのスキャンダルが使われたという噂は今でも流れている。 その間、1995年にラビンが暗殺され、オスロ合意は大きく揺らぐ。暗殺から5年後にはリクードのアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、パレスチナ人を挑発し、和平の雰囲気は吹き飛んでしまった。そして2004年にアラファトが死亡する。暗殺された可能性は高いようだ。 特定秘密保護法、集団的自衛権、ガイドライン再改定の背後にはネオコン/リクードが存在していると言えるだろう。彼らは中東/北アフリカやウクライナを戦乱で破壊、多くの人が殺される状況を作り上げたが、最近では香港でも活動を活発化させ、恐らく新疆ウイグル自治区やチェチェンでも何かを計画している。安倍政権は単に「戦争のできる国」を作ろうとしているのではなく、核戦争の準備を進めているのだ。
2014.10.15
日本の支配層が「特定秘密保護法」の成立を急ぐ理由は自分たちの悪事を隠したいからだろう。これまでも霞ヶ関の官僚たちは情報を独占、国民から隠してきたが、こうした法律を制定し、事実を明らかにしようとする人びとを厳罰に処すとしている。それだけ必死に隠さなければならない事態が生じたということだ。 東電福島第一原発の事故が支配層にこの法律を作らせた理由のひとつだと考える人は国外でも少なくない。東京電力は嘘をつき続け、菅直人政権も安倍晋三政権も事実を隠してきたが、事故による影響が予想以上に早く現れているようなので、焦っているはずだ。 日本のマスコミは支配層の宣伝に徹しているが、市民の調査を抑えることは難しく、内部告発があれば致命的。核兵器の開発に関する情報が漏れることも恐れているだろう。これはアメリカの好戦派とも連携、集団的自衛権ともリンクしている可能性が高い。 この集団的自衛権は日本をアメリカの戦争に組み込む仕掛け。21世紀に入って最初のアメリカ大統領、ジョージ・W・ブッシュは公然と侵略戦争を始めたが、その侵略戦争の片棒を担ぐということだ。 アメリカの侵略戦争が1992年に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づいて進められていることは本ブログで何度も書いてきた。ソ連が消滅したことでアメリカは「唯一の超大国」になったと考え、資源を支配するだけでなく、「潜在的ライバル」を潰すとしている。つまり、ロシアや中国だけでなくEUも日本も潰す対象。かつてジョン・F・ケネディ大統領が明確に否定した「パクス・アメリカーナ」を実現し、人びとに「墓場の平和」や「奴隷の安全」を強要しようというのだ。 東日本の太平洋岸を大地震が襲う3日前、イギリスのインディペンデント紙は石原慎太郎にインタビューした内容を載せたのだが、その中で「日本は1年以内に核兵器を開発することができる」と彼は発言している。外交力とは核兵器であり、核兵器を日本が持っていれば中国は尖閣諸島に手を出さないだろうとも語ったという。 実際、日本は核兵器の開発を目論んできた。1964年に中国が核実験に成功すると、その翌年に佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対して核武装の意志を伝え、思いとどまるように説得されている。リチャード・ニクソンが大統領に就任した1969年には日本政府の内部で核武装を本格的に話し合って西ドイツ政府と秘密協議したが、同調はされなかった。 ただ、ニクソン大統領の補佐官だったヘンリー・キッシンジャーはイスラエルと同じように日本も核武装した方が良いと周囲に漏らしていたとアメリカの調査ジャーナリスト、シーモア・ハーシュは書いている。その延長線上に高速炉、「もんじゅ」と「常陽」の開発はある。常陽の燃料を供給していたのが臨界事故を起こしたJCOだ。 ジミー・カーター政権は日本の核武装を警戒していたが、ロナルド・レーガン政権になると、クリンチ・リバー増殖炉計画で得られた技術を日本へ提供する。アメリカの核施設には毎年何十名かの日本人科学者が訪れるようになり、高性能のプルトニウム分離装置が日本のリサイクル機器試験施設(RETF)へ送られた。 CIAの幹部に情報源を持つジャーナリスト、ジョセフ・トレントによると、レーガン政権時代以降、日本は兵器級プルトニウム70トンを蓄積、IAEA(国際原子力機関)は黙認してきたと主張している。(日本語訳、原文)このプルトニウムの一部が外国へ提供されている可能性も否定できない。 アメリカの世界制覇プラン、ウォルフォウィッツ・ドクトリンを描いたグループの中心はポール・ウォルフォウィッツ。ネオコン、つまり親イスラエル派(シオニスト)の大物として知られている。 アメリカではロビー団体のAIPACのほか、JINSA、WINEP、IASPSのような組織もイスラエルの意向を政策に反映させる大きな力を持っている。そのプランの大本には「大イスラエル構想」、ナイル川とユーフラテス川に挟まれた地域をイスラエルの領土にするという計画がある。 石油や天然ガスなどの資源も支配し、中東/北アフリカの支配者になろうとうことだろうが、そのためにレバノン、シリア、イラク、エジプト、サウジアラビアなどを民族や宗派ごとの小国家に分割、相互の対立を煽って消耗させようとしている。イラクは3分割が予定されているが、そのプランに沿ってIS(ISIS、ISIL、IEILとも表記される)は動いている。 こうした戦略を実現するために嘘は使われている。2001年9月11日の出来事から間もなくアフガニスタンを先制攻撃したが、このときもアメリカ政府は事実を隠していた。イラクを攻撃する前に宣伝された「大量破壊兵器」は全くの嘘で、少なからぬ人から批判されていたが、それを無視して攻め込んでいる。 この嘘で始められた戦争によって中東から北アフリカにかけての地域は破壊され、多くの人びとが殺されている。医学雑誌ランセットに発表されたジョンズ・ホプキンズ大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、開戦から2006年7月までに約65万人が死亡したという。また、イギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに約100万人が殺されたという調査結果を公表している。1年間の差を考えると、両者はほぼ同じ結論に達している。 少なくとも100万人の命を奪った重大な嘘を日本の政府もマスコミも垂れ流した。つまり破壊と虐殺に協力したわけだが、集団的自衛権が行使されるとアメリカが行う侵略の共同正犯になる。その犯罪を隠すために「特定秘密保護法」は必要だということだろう。この法律を導入する下地作りをしているのがマスコミにほかならない。
2014.10.14
報道内容の根本が誤りだったと判明したならば、訂正して謝罪しなければならない。とするならば、2003年にイラクを先制攻撃する前、アメリカ政府が偽情報を世界に広める手助けをしたメディアは全ての報道を取り消し、謝罪する必要がある。勿論、国民のカネで情報を集めている政府の責任はさらに重い。ちなみに、その当時の総理大臣は小泉純一郎。 この嘘で始められた戦争によって中東から北アフリカにかけての地域は破壊され、多くの人びとが殺されている。医学雑誌ランセットに発表されたジョンズ・ホプキンズ大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、開戦から2006年7月までにイラクでは約65万人が死亡したという。また、イギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに約100万人が殺されたという調査結果を公表している。 イラクだけで100万人を殺した嘘を垂れ流し、多くの国を破壊し、多くの人びとを殺傷する原因を作ったという自覚を日本では政府だけでなく、テレビも、新聞も、雑誌も、そして出版も持っていない。頬被りを決め込んでいる。訂正もせず、謝罪もせず、ましてマスコミの社長や編集責任者が辞意を表明するなどということもない。 日本の政府やマスコミの嘘はこれに留まらない。例えば、東電福島第一原発の事故に関するもの。事故が起これば国どころか人類の存続すら危うくするのが原発。それを安全だと宣伝し続け、「安全神話」を作り上げた。福島第一原発の場合も、運が悪ければ東日本は壊滅、日本全域が生活に適さない場所になっても不思議ではなかったのだ。そうした事実をきちんと報道しているとは到底、言えない。 最悪の事態が避けられたのは、奇跡的な幸運が重なったため。まず、事故直後の風が太平洋に向かっていたこと、定期点検中の第一原発4号機で炉内の使用済み核燃料プールの水が存在していた(大型構造物の取り替え工事でミスのためだとされている)こと、福島第二、女川、東海第二も紙一重のところでメルトダウンにならなかったことなどだ。もっとも、こうした好運も4号機の使用済み核燃料プールが何らかの原因、例えば地震で崩壊すれば終わる。 奇跡的な好運が重なって事故の規模は抑えられたというものの、大事故だという事実に変化はない。東電は事故に伴う放射性物質の放出総量をチェルノブイリ原発事故の1割程度、後に約17%に相当すると発表しているが、その算出方法に問題があるとも指摘されている。 計算の前提では、圧力抑制室(トーラス)の水で99%の放射性物質が除去されることになっているが、今回は水が沸騰していたとみられ、ほとんどの放射性物質が環境中に漏れ出たと考えるべき状況。トーラスへの爆発的な噴出で除去できないとする指摘もある。 圧力容器内の放射性物質がストレートに外部へ出た可能性が高いと言うことであり、原発の元技術者であるアーニー・ガンダーセンは、少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書) 鼻血がよく出る、あるいは口内炎が同時にいくつもできるといった話は事故後、間もない頃から言われていたが、その後、甲状腺の異常が多発していると指摘され、少なからぬ子どもがリンパ節転移などのため、甲状腺の手術を受ける事態になっている。 これに対し、原発事故の影響を否定したい立場の人びとからは「過剰診療」という批判がでているのだが、手術を行っている福島県立医大の鈴木真一教授は「とらなくても良いものはとっていない」と反論している。 もし、「健診」によって手術すべきケースが見つかっているだけだとするならば、これまで手術すべき人が手術を受けずにきたことになり、年を経てから身体に異常が現れていなければならない。が、そうした報告はないわけで、「健診説」は説得力がない。すでに福島では異常が現れていると考えなければならない。 健康被害に関してはアメリカでも問題になっている。米海軍の空母ロナルド・レーガンに水兵たちが東京電力を相手に集団訴訟を起こしているのだ。東電は事故で破壊された原子炉から放出された放射性物質に関する正しい情報をアメリカ政府に提供せず、結果として乗組員が深刻な被曝を強いられたとしている。元乗組員によると、被曝後に甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ている。 それだけでなく、事故の処理作業で少なからぬ犠牲者が出ていて、その処理に全国の大学医学部が巻き込まれているという噂は早い段階から流れている。原発の敷地内で死亡しなければ事故と死との因果関係はないとするのが原発推進派の基本姿勢であり、ホームレスの人びとなら闇から闇に葬り去ることは容易だろう。作業員の募集や管理に広域暴力団が関与する必然性はここにある。 「特定秘密保護法案」や「国家安全保障基本法案」は霞ヶ関の官僚や一部政治家などが情報を独占、支配システムを強化し、自分たちの特権的な地位をまもるための仕組み。彼らはTPPなどで日本をアメリカの支配層に売り飛ばし、自分たちはその傀儡になることで支配者の仲間になり、欲望を満足させてくれる生活を送ろうとしている。そうした法律で守ろうとしている秘密に戦争や原発事故に関するものが含まれていることは確実だ。
2014.10.13
日本人はノーベル賞が好きなようだが、今年の平和賞受賞者はパキスタンのマララ・ユスフザイとインドのカイラシュ・サティヤルティなのだという。アメリカはパキスタンでの攻撃を正当化するひとつの理由として「女性の権利」を掲げているが、その看板に描き込まれたキャラクターのひとつがユスフザイ。サティヤルティは子どもの労働問題に取り組んでいるようだが、「平和」のための活動とは言い難いだろう。 ノーベル賞に西側支配層の宣伝機関としての役割があることは否定できない。学問分野の評価もそうだが、醜悪なのは平和賞。まず目につくのは1973年に受賞したヘンリー・キッシンジャーだ。この人物は大量殺戮の黒幕として有名で、例えば1969年にはカンボジアへの爆撃を開始、数十万人を殺したと言われている。受賞の年にはチリで軍事クーデターを実行させ、サルバドール・アジェンデ大統領を死に至らしめただけでなく、アメリカの巨大資本にとって目障りな人びとを殺させている。 1974年に受賞した佐藤栄作の場合、1965年に「中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだ」とリンドン・ジョンソン米大統領に語ったとされている。1967年に政府は「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」を設立、69年には西ドイツ政府に対し、核武装によって超大国への道を歩もうと提案している。当時、こうした事実は一般に知られていなかったが、この話をさておいても、佐藤が世界の平和に貢献したとは言い難い。 1975年にはソ連で体制批判をしていた、つまりアメリカ支配層にとって都合の良い人物だったアンドレイ・サハロフ、78年にはキッシンジャーに操られていたエジプトのアンワール・サダト、そしてシオニストの「テロ組織」イルグンの指導者だったメナヘム・ベギン、83年にはCIAの支援を受け、ポーランドで反体制運動を続けていたレフ・ワレサ、89年のダライ・ラマは中国政府と対立、少なくとも一時期はCIAの支援を受け、その支持者がアメリカのロッキー山中で軍事訓練を受けている。 1993年に受賞した南アフリカのネルソン・マンデラの場合、経済の支配構造を維持、欧米巨大資本の利権を守っている。2009年のバラク・オバマ米大統領の場合、受賞してから戦争への道を突っ走り始めた。 2010年の劉暁波は「中国民主化闘争」の象徴的な存在。コロンビア大学の研究員だったが、1989年に中国へ戻り、天安門での抗議活動に参加している。その後も反体制運動を中国国内で続け、投獄されている。中国を支配したいアメリカの支配層にとって大事な手駒だろう。 天安門での抗議活動は1989年4月から6月にかけて行われた。今でも大半の「西側」メディアは6月4日に天安門広場で「虐殺」があったと報道され、劉暁波に関して話される場合でも、それが前提になっている。 「天安門広場での虐殺」を最初の報じたのは香港のサウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙(南華早報)。当時、香港はまだイギリスの直轄植民地で、1997年の返還を前にイギリスと中国は緊張した関係にあった。この報道を使い、西側のメディアはこの話を事実として宣伝しはじめる。 しかし、本ブログでも指摘してきたことだが、その前提が怪しいのだ。例えば、2011年6月に公表されたWikiLeaksが入手した外電で取り上げられたチリ外交官の証言によると、銃撃があったのは広場の外で、広場の中で軍が群集に発砲した事実はなく、広場へ入った部隊は棍棒を持っていただけだとされている。 イギリスのテレグラフ紙によると、当時、BBCの特派員として現場にいたジェームズ・マイルズは自分たちが「間違った印象」を伝えたと2009年に認めたという。治安部隊が広場へ入った段階で残っていた学生は外へ出ることが許され、天安門広場で虐殺はなく、死者が出たのは広場から5キロメートルほど西の地点で、数千人が治安部隊と衝突したと語っている。 こうした話はマイルズより前にワシントン・ポスト紙の北京支局長だったジェイ・マシューズもコロンビア大学の出している雑誌、「CJR(コロンビア・ジャーナリズム・レビュー)」(1998年9/10月号)に書いている。広場に到着した軍隊は残っていた学生が平和的に立ち去ることを許したと現場に居合わせた人は話していたという。 当時、学生をひきいていたひとりの吾爾開希(ウイグル系の名字)は200名の学生が射殺されるのを見たと発言していたが、その出来事があったとされる時刻の数時間前、彼は広場から引き上げていたことが後に判明している。 広場の外で治安部隊と衝突した群集の多くは労働者だったようだが、そうした事態を招いた一因は経済政策にある。中国は1980年にミルトン・フリードマンの「理論」を導入して「市場経済路線」を歩み始めた。この年、フリードマンは中国政府の招待で訪中している。(Naomi Klein, “The Shock Doctrine”, Metropolitan Books, 2007) ところで、マララ・ユスフザイを銃撃して負傷させたタリバンはアメリカが作り上げた組織。同じようにアメリカが生みだし、育ててきたIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)は「短期間の結婚」という名目でレイプを容認しているが、最近、ISに拘束されたキリスト教徒やヤジーディー教徒の女性数百名が「性奴隷」として売られているという話も伝わっている。こうした事態を招いているのは、ユスフザイを祭り上げている西側の支配層にほかならない。
2014.10.12
原油価格が下落している。ここ数年の間、1バーレルあたり110ドル前後で推移してきたのだが、サウジアラビアをはじめとするペルシャ湾岸諸国の増産で供給過剰になり、今年の夏に入って下がりはじめ、最近では90ドルを割ってしまった。 多くの産油国にとって低すぎる水準。アメリカ/NATOやペルシャ湾岸産油国を後ろ盾とし、イスラエルからも支援されていると見られているIS(イスラム国、ISIS、ISIL、IEILとも表記)との戦闘で戦費や治安対策の出費が膨らんでいるイラクは106ドル以上は必要だという。 アルジェリアの場合はリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制がアメリカ/NATOや湾岸産油国に倒されてから経費が膨らみ、現在は121ドルが限界。相場の引き下げを仕掛けているサウジアラビアも93ドルは必要だとされている。 サウジアラビアは自国の財政を無視して原油価格を引き下げていることになるが、その理由はイランやロシアへプレッシャーをかけるためだと見られている。それだけ両国、特にロシアの存在がアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」にとって目障りなのだ。 アメリカの世界制覇プランの前にロシアが立ちはだかり、シリアの体制転覆、あるいはウクライナの東/南部における民族浄化を妨害しているのがロシア。そうしたことを可能にしているのはロシアの石油/天然ガスの収入だと三国同盟側は考えているのだろう。 1991年12月にソ連が消滅した際、こうした展開を彼らは予想していなかったに違いない。その当時、アメリカの支配者たちは自分たちの国が「唯一の超大国」になったと認識、ネオコン(親イスラエル派/シオニスト)は「パクス・アメリカーナ」、つまりアメリカの権力者が世界を支配する「奴隷の平和」を実現するため、軍事力を使う意思を示した。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツは1991年の段階でシリア、イラン、イラクを殲滅すると話していた。当時、ウォルフォウィッツはアメリカの国防次官だ。 その翌年、国防総省ではドナルド・ラムズフェルド国防長官の下、ウォルフォウィッツ次官を中心にDPG(国防計画指針)の草案が作成された。新たなライバルが育つことを防ぎ、石油利権を維持するために軍事力の増強するという方針を打ち出している。これがいわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」。 ところが、1992年の大統領選でジョージ・H・W・ブッシュはビル・クリントンに敗北、再選に失敗した。クリントン政権になるとホワイトハウスにおけるネオコンの影響力が大きく低下してしまう。 そうした中、ネオコンは1996年、イスラエルの首相になったベンヤミン・ネタニヤフに「決別:王国実現のための新戦略」という提言をしている。この提言で友好国として扱われてるのはトルコとヨルダン。これに対し、パルスチナやシリアを敵視、イラクからサダム・フセインを排除するべきだとしている。 そして2000年、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」に基づいてネオコン系シンクタンクのPNACは「米国防の再構築」というタイトルの報告書を公表した。その中で「アメリカの敵」とされた国は朝鮮、イラク、イラン、リビア、シリア。 報告書の執筆者にはウォルフォウィッツのほか、ウクライナでのクーデターを指揮しているビクトリア・ヌランド国務次官補の夫であるロバート・ケーガン、イラクを先制攻撃する前に偽情報を発信していたOSP(特別計画室)の責任者に就任するエイブラム・シュルスキー、DPGの作成にも参加したI・ルイス・リビーも含まれている。 この年の行われた大統領選でジョージ・W・ブッシュが当選するのだが、アル・ゴアを支持する人々への投票妨害が報告されているだけでなく、投票数のカウントに不正があった疑いが指摘されている。そして9月11日、ニューヨークの世界貿易センターに立っていた超高層ビル2棟へ航空機が突入、ワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、アメリカ国内がショックで呆然とする中、好戦的な雰囲気を高めて国外では侵略戦争、国内ではファシズム化が推進されていく。1980年代から計画されていた一種の戒厳令計画、COGが発動したわけだ。 2007年になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌でアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの秘密工作を明らかにしている。シリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したというのだ。ISの動きでもこの構図が生きている。 こうした展開になる上で重要な出来事がソ連の消滅。その過程でボリス・エリツィンが重要な役割を果たしている。彼は1991年6月にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の大統領に就任、その2カ月後に「保守派のクーデター」を口実として実権を掌握、12月のソ連消滅につながる。 エリツィンの独裁体制に反発する議員を排除するため、1993年9月には憲法を無視して議会の解散を宣言、これをクーデターだと批判する議員は議会ビル(ホワイトハウス)に立てこもるのだが、エリツィンは戦車に議会ビルを砲撃させた。この攻撃で100名以上、議員側の主張によると約1500名が殺害されたいう。こうしたエリツィンの行為を西側は容認している。 その後、エリツィンが西側につながる一部の勢力と手を組み、国有資産を二束三文の値段で売り飛ばした。そうした誕生した富豪は「オリガルヒ」と呼ばれ、そうした勢力の中にはエリツィンの娘、タチアナ・ドゥヤチェンコも含まれている。その一方で庶民の生活はどん底へ突き落とされた。選挙では金融やメディアを支配する富豪たちがチームを編成し、資金と報道(プロパガンダ)の力で支配体制を維持しようとする。ちなみにエリツィン政権はオウム真理教と接触している。 それでも1999年になるとロシアは崩壊寸前の状態になり、エリツィンは大統領を辞任する。そして登場したのがウラジミール・プーチン。この人物はエリツィンや西側の思惑通りには動かず、主権をロシア人の手に取り戻していく。三国同盟はこのプーチンを何とかして排除しようとしている。
2014.10.11
香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授が発案、陳日君(ジョセフ・ゼン)、李柱銘(マーチン・リー)、黎智英(ジミー・ライ)が率いる「オキュパイ・セントラル(佔領中環)」運動には余若薇(オードリー・ユー)や陳方安生(アンソン・チャン)も深く関与、いずれもNEDと深く結びついている。黎智英はネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツともつながっている。 このNEDとは1983年にアメリカ議会が承認した「民主主義のための国家基金法」に基づいて創設された組織。政府から受け取った公的な資金をNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターへ流しているのだが、それがどのように使われているかは議会へ報告されない。関係者の証言によると、この資金は実際のところ、CIAの秘密工作に使われている。 1983年と言えば「イラン・コントラ工作」の最中であり、アフガニスタンで秘密工作が実行され手いた頃。その後、NEDはグルジアの「バラ革命」やウクライナの「オレンジ革命」でも使われ、現在、そのネットワークはロシアにも張り巡らされている。香港の「佔領中環」もCIAが黒幕だということになる。 この香港をイギリスが支配するようになったのは19世紀のこと。中国(清)との貿易戦争で完敗したイギリスはアヘンを売りつけることを思いつき、それを拒否する清へ軍事侵攻、香港島を奪い、上海、寧波、福州、厦門、広州の港を開港させ、賠償金まで払わせているのだ。これが1840年から42年まで続いたアヘン戦争。その後、1856年から60年にかけてアロー号事件(第二次アヘン戦争)をイギリスは仕掛け、11の港を開かせ、外国人の中国内における旅行の自由を認めさせ、九龍半島の南部も奪っている。アヘン貿易も公認された。 この戦争で大儲けした会社のひとつがジャーディン・マセソン。アロー号事件の最中に横浜で事務所を構え、神戸や長崎にも拠点を築いている。幕末ドラマにも登場するトーマス・グラバーが同社へ入ったのもこの年。その翌年にグラバーは長崎へ渡り、薩摩藩や長州藩を支援して徳川幕府の打倒に協力することになる。 そうした支援活動の一環としてイギリスは長州から5名の若者をイギリスへ留学させることを決め、選ばれたのが井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)。いわゆる「長州五傑」だ。この5名は1863年にイギリスへ渡るが、船などの手配をしたのはジャーディン・マセソン。 1868年の戊辰戦争を経て誕生した明治政府は1871年7月に廃藩置県を実施、自治権を奪って中央集権制を確立しようとするのだが、その翌年、琉球藩を設置している。奇妙な話だが、実は1871年10月に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、何人かが殺されたことに目をつけ、台湾侵略を目論んだのだろう。つまり、琉球を日本領だと主張、軍隊を送り込むというシナリオを政府内の誰かが考え、そのために琉球藩をでっち上げたわけだ。 この決定に琉球側は反発、抵抗して清に助けを求めているが、イギリスとの戦争に敗れた清にそうした余裕はなかった。そして1879年、イギリスを後ろ盾とする明治政府は沖縄県を作るのだが、その間に日本は東アジア侵略を始めている。1874年に台湾へ派兵、75年には朝鮮の首都を守る要衝だった江華島へ軍艦を派遣して挑発、76年に日朝修好条規という不平等条約を結ばせた。イギリスからみて当時の日本はIS(イスラム国)に近い役回りを演じている。 1894年に朝鮮半島の南部で甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると朝鮮王朝は清に出兵を求め、日本は「邦人保護」を名目に軍隊を派遣、日清戦争につながる。この戦争で日本が勝利、清は外国に浸食されていった。 日本は次に朝鮮王朝、高宗の后である閔妃を1895年に惨殺した。三浦梧楼公使を中心とする日本の官憲と「大陸浪人」が朝鮮の宮廷に突入して殺したのだが、その際、性的な陵辱を加えたと言われている。三浦たちを日本の裁判官は「証拠不十分」で無罪にしているが、この判決によって事件は日本政府が関与していたことを示すことになった。 その後、中国は日本に侵略されるが、第2次世界大戦で日本が敗北した後、紅軍(後の人民解放軍)はアメリカの支援を受けた国民党軍を破り、1949年に中華人民共和国の成立が宣言された。そのとき、アメリカはコミュニストの指導者を一気に暗殺しようとしたが事前に発覚して失敗、1950年に朝鮮戦争が勃発する。 その年の春からアメリカは朝鮮半島で秘密工作を開始、韓国の空軍が北側を空爆、地上軍が海州を占領した2日後に朝鮮軍が38度線を突破して攻め込んだ。ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると、半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだったという。 朝鮮戦争が勃発した1950年に破壊工作(テロ)組織のOPCはCIAに吸収され、51年1月にアレン・ダレスがCIA副長官として破壊工作を指揮、53年には長官となる。1951年にCIAは国民党軍を率いて中国領内への侵攻を試みたが失敗、翌年にも再度攻め込んだものの、やはり反撃にあって退却している。 1953年に朝鮮戦争は休戦になるが、年が明けるとすぐにアレン・ダレスの兄、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は国家安全保障会議において、ベトナムでのゲリラ戦を準備するように提案、CIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。朝鮮戦争もベトナム戦争もアメリカの目は中国に向いていたように思える。 1972年にリチャード・ニクソン米大統領は中国を訪問、ベトナム戦争を続ける意味はなくなって戦争は終わる。アメリカと中国との交渉が進む中、ヘンリー・キッシンジャーは周恩来に対し、友好関係を結ぶことに同意しないならば、アメリカは日本に核武装を許すと脅したとジャーナリストのシーモア・ハーシュは主張している。 ところで、2011年3月8日付のインディペンデント紙に掲載された石原慎太郎のインタビュー記事によると、「日本は1年以内に核兵器を開発することができる」と語り、外交力とは核兵器なのであり、核兵器を日本が持っていれば中国は尖閣諸島に手を出さないだろうと主張したようだ。
2014.10.09
産経新聞の前ソウル支局長が朴槿恵大統領の名誉を毀損したとして在宅起訴された。どのような記事を書いたか知らないが、問題はきちんと取材したかどうかだろう。 ところで、この件に関して菅義偉官房長官は10月9日の記者会見で「報道の自由、日韓関係の観点から極めて遺憾だ」とした上で、「国際社会の常識と大きくかけ離れており、政府として韓国に事実関係を詳しく確認し、懸念を伝えたい」と語ったという。さらに同日、外務省の伊原純一アジア大洋州局長は金元辰駐日韓国公使を呼び、「報道の自由と日韓関係の観点から極めて遺憾で事態を深く憂慮する」と伝えたと報道されている。 「開かれた社会においては、政府と政治家の活動に関する秘密を明らかにして、国民に知らせることが調査報道の真髄」であり、「民主主義の抑制と均衡のシステムに不可欠」なものだと日本外国特派員協会は表明しているが、これは安倍政権が成立させようとしている「特定秘密保護法案」に対する批判。こうした法案は「国際社会の常識と大きくかけ離れ」ているわけだ。安倍晋三政権の官房長官や外務省アジア大洋州局長が「報道の自由」を口にするとは笑止千万だ。 産経新聞や朝日新聞を含む日本のマスコミも「報道の責任」を放棄してきたことは否めない。例えば1992年に作成された「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」に基づくアメリカの侵略、つまりユーゴスラビア、イラク、リビア、シリアへの攻撃、イランへの秘密工作、ウクライナにおけるネオ・ナチを使ったクーデター、そして香港の「オキュパイ・セントラル(佔領中環)」について彼らは事実を報道せず、アメリカ政府が発信する偽情報を垂れ流しているだけだ。 韓国大統領を前にして産経新聞の前ソウル支局長は突如、「報道の自由」に目覚めたのかという疑問もある。日頃プロパガンダに精を出している人なら、今回もプロパガンダではないかと思われても仕方がない。そう言われたくないなら、ほかのケースでも「報道の自由」を尊重し、権力犯罪にメスを入れ、アメリカの侵略を非難すべきだ。とりあえず、イラク攻撃前、アメリカ政府が侵略を正当化するために流した偽情報の流布に協力したことを反省し、報道内容を訂正、読者や視聴者に謝罪しなければならない。 もしかして、マスコミや官房長官が言う「報道の自由」とは「偽情報を報道する自由」を意味しているのだろうか?
2014.10.09
ビクトリア・ヌランド米国務次官補が再びキエフへ降り立ち、10月6日にはウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領と会談した。ヌランドはウクライナの政権転覆プロジェクトにおける最前線の指揮官的な存在だ。 今年2月19日、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領が反政府派と停戦で合意したと発表した直後、アメリカ/NATOを後ろ盾とする勢力はネオ・ナチを使ってヤヌコビッチ大統領を追い出したが、その前、ヌランドは電話でジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と次期政権の閣僚人事について話し合っている。 その会話は盗聴され、2月4日にYouTubeへアップロードされた。その中で彼女はEUが事態を外交的に解決しようとしていることに怒り、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という言葉を口にしている。暴力的にヤヌコビッチ大統領を排除しようとしていたわけで、停戦での合意を聞いた彼女は激怒したことだろう。 そのひとつの結果としてネオ・ナチ、つまり「スボボダ」や「UNA-UNSO」を中心とするグループは暴力をエスカレートさせる。棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を投げつけ、ピストルやライフルを撃ち始めたのだ。さらに市民や警官に対する狙撃が始まるのだが、それを指揮していたのがアンドレイ・パルビー。この人物は1991年にネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」を創設、新体制では国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任している。 ヌランドとパイアットが閣僚人事を話し合ったのがいつかは不明だが、昨年12月にヌランドはユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で反政府活動を煽り、人びとにクッキーを配るという猿芝居を演じている。 同じ月にヌランドは米国ウクライナ基金の大会で演壇に立ち、1991年からウクライナを支援するため、50億ドルを投資したと発言している。ソ連が消滅しかけた時点で旧ソ連圏の制圧を目論んでいたことを示唆している。演壇では彼女の背後に巨大石油企業シェブロンのマークが飾られていた。 ヌランドの夫、ロバート・ケーガンはネオコンの大物。ネオコンはソ連が消滅した段階でアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、世界制覇のビジョンを描いている。そのビジョンに基づき、1992年には国防総省でDPG(国防計画指針)の草案が作成された。その作業で中心的な役割を果たしたのが国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ。そこでこのプランは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 このプランに基づき、『米国防の再構築』という報告書が2000年に発表された。出したのはネオコン系シンクタンクのPNAC。執筆者の中にはウォルフォウィッツやケーガンも含まれている。2001年にスタートしたジョージ・W・ブッシュ政権はこの報告書を政策として実行した。そうしたことを可能にしたのが同年9月11日の出来事だ。ちなみに、ジョージ・マケイン上院議員もウォルフォウィッツやケーガンの仲間。 ウクライナでのプロジェクトで重要な役割を果たした人物がもうひとりいる。ズビグネフ・ブレジンスキーだ。世界を制圧する上で最大の障害はロシア。そのロシアを属国化するために周囲を取り囲んで封じ込めるという戦略を立てた。このプランを成功させる鍵を握っているのがウクライナだとブレジンスキーは見ていた。この戦略に基づいて2004年から05年にかけて「オレンジ革命」が実行され、ビクトル・ユシチェンコが実権を握っている。 こうした「革命」では「民主化」という看板が掲げられ、それを真に受けた「リベラル派」や「革新勢力」もいるらしいが、アメリカ政府は「民主主義の伝道師」でもなければ「世界の警察官」でもない。単に「国境なき巨大資本」のカネ儲けに奉仕しているだけのことだ。アメリカという国の利益さえ考えていない。 旧ソ連圏を制圧する手始めにユーゴスラビアが破壊されたが、その際に使われた標語は「人道」。「民主化」や「人道」を名目にして破壊と殺戮をアメリカの支配層は繰り返してきた。現在のバラク・オバマ政権でも手口は同じで、破壊と殺戮の中心にはスーザン・ライス安全保障問題担当補佐官、サマンサ・パワー国連大使、そしてヌランド国務次官補がいる。アメリカを戦争地獄へ誘う3人の魔女。 彼女たちに言わせると、殺戮は人道のため、侵略は防衛のため、戦争は平和のためだ。集団的自衛権を認めれば日本もアメリカに付き従うことになり、戦争地獄へ引きずり込まれて破滅する。安倍晋三政権は日本を破滅させようとしているわけだ。
2014.10.08
情報操作のため、CIAがジャーナリストを雇っていることは以前から指摘されているが、この問題に関する新たな告発者が現れた。ドイツの有力紙、フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者でヘルムート・コール首相の顧問を務めた経験もあるウド・ウルフコテだ。 ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収され、例えば、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開している。そうした仕組みを作り上げるため、アメリカの支配層はドイツの有力な新聞、雑誌、ラジオ、テレビのジャーナリストを顎足つきでアメリカに招待、取り込んでいく。そうして築かれた「交友関係」を通じてジャーナリストは洗脳されるわけだ。 そうしたジャーナリストへは「スクープ情報」を流し、場合によっては記事を提供するのだが、反抗する者は職を失う。例えば、以前、本ブログで取り上げたロバート・パリーやゲーリー・ウェッブはCIAと麻薬取引の関係にメスを入れた後、メディアの世界から追い出された。ウェッブはワシントン・ポスト紙、ニューヨーク・タイムズ紙、ロサンゼルス・タイムズ紙などから激しい攻撃を受け、自殺に追い込まれている。 こうした仕組みの中に日本のマスコミも取り込まれているはず(ドイツより状況は悪いだろう)だが、日本の場合、国内でも官庁や大企業では記者クラブを通じて「レクチャー」を実施、警察などは記事自体を提供しているという話を聞く。「足で調べる」のではなく、「餌場」で餌が配られるのを待つわけだ。こうした仕組みの中にどっぷり浸かっている人たちが権力者と対峙できるはずはなく、体制を批判できるはずもない。家畜と同じ。 アメリカ支配層がメディアをプロパガンダ機関として使い始めたのは第2次世界大戦より前の話で、恐らくメディアの歴史と同じくらい古い。ジャーナリストのデボラ・デイビスによると、大戦後にアレン・ダレス、その側近だったフランク・ウィズナーやリチャード・ヘルムズ、さらにワシントン・ポスト紙のオーナーだったフィリップ・グラハムが中心になって情報操作プロジェクトを展開している。いわゆる「モッキンバード」だ。 ダレス、ウィズナー、ヘルムズは情報機関の人間だが、金融界の住民でもある。ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士、ヘルムズの祖父は国際的な投資家。グラハムは大戦中に陸軍情報部に所属、義理の父は世界銀行の初代総裁、ユージン・メイアーである。 グラハムの妻 キャサリン・グラハムはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを辞任に追い込んだことで知られているが、彼女は1988年にCIAの新人に対して次のように語っている: 「我々は汚く危険な世界に生きている。一般大衆の知る必要がなく、知ってはならない情報がある。政府が合法的に秘密を維持することができ、新聞が知っている事実のうち何を報道するかを決めることができるとき、民主主義が花開くと私は信じている。」 彼女が考える「民主主義」とは特権階級のものにすぎず、庶民は人間として扱われていない。ウクライナのキエフ政権は東/南部のロシア語を話す住民を「劣等人類」と表現したが、発想は似ている。 ウォーターゲート事件を調べた記者のひとり、カール・バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、ローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」という記事を書いている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) それによると、まだメディアの統制が緩かった当時でも400名以上のジャーナリストがCIAのために働いていたという。また、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。 今回、ウルフコテが本の中でメディアの腐敗を告発した理由は、アメリカの支配層が望むロシアとの戦争にドイツのメディアが荷担、偽情報を流すことで人びとを戦争へと誘導しているからだという。アメリカ/NATOとロシアの戦争で核兵器が使われる可能性は高い。フランクフルター・アルゲマイネ紙も戦争の旗振り役として偽情報を伝えてきた。 日本のマスコミもアメリカ支配層の手先になって情報操作に励んでいるが、そうしたことを告発する声は内部から聞こえてこない。それどころか「リベラル派」や「革新勢力」を自称する人びとまでがマスコミに引きずられ、すでに「アメリカの戦争」に荷担している。「特定秘密保護法案」はマスコミ以外の情報発信者に向けられることになり、このような状況で「集団的自衛権」の行使が認められれば、日本は破滅へ突き進むことになるだろう。
2014.10.07
ジョー・バイデン米副大統領は10月2日にハーバード大学で講演、その中でIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)との「戦いは長くかつ困難なものとなる。この問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦だ」と述べた。 こうした国々はシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すため、反シリア政府軍へ何万トンもの武器、何億ドルもの資金を供給して中東を混乱させたと指摘、さらにトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は多くの戦闘員がシリアへ越境攻撃することを許してISの強大化させたと後悔していたとバイデンは語った。 事実を明らかにされると困る人は少なくない。安倍晋三政権が「特定秘密保護法案」の成立を目指している理由もそこにある。事実が隠されれば自分たちに都合の良い作り話、おとぎ話を語れるが、事実が明るみに出ると難しい。自分たちの悪事がばれて責任をとらされてしまう。安倍のような手合いの片棒を担ぎ、「お零れ」を期待しているのが日本のマスコミ。 バイデンの発言に「アメリカの友好国」は怒り、発言主はトルコのエルドアン大統領やアラブ首長国連邦のモハメド・ビン・ザイード王子に謝罪したというが、彼の発言に間違いはない。ただ、重要な国が欠落している。アメリカやイスラエルだ。その事情は本ブログで何度も書いてきた。少し前、ペルシャ湾岸の産油国からISとイスラエルを結びつける話が流れたが、これと同じで、バイデンの発言は自分たちとISとの関係を否定する宣伝だと見る人は少なくない。 勿論、ISの歴史をたどっていけば、ズビグネフ・ブレジンスキーの戦略に従ってCIAがアフガニスタンで組織したイスラム武装勢力にたどり着く。この時からアメリカはサウジアラビアに資金や武器を提供させ、自分たちは戦闘員を訓練していた。そうした「ムジャヒディン」の登録リストがアル・カイダだとロビン・クック元英外相は明らかにした。ちなみにアル・カイダとはベース/基地を意味し、データベースの意味にも使われる。 2003年にアメリカがイラクを先制攻撃してサダム・フセイン政権を倒すが、そうした状況の中、イラクで誕生したのがAQI(イラクのアル・カイダ)であり、この組織を中心にして2006年に編成されたのがISI(イラクのイスラム国)。 2011年にアメリカはシリアやリビアの体制転覆プロジェクトを実行に移すが、シリアではロシアの抵抗もあって思惑通りに進まない。そうした中、2013年にISIはシリアでの活動を活発化させ、ISIL、ISIS、最近ではISと呼ばれるようになった。この年、アメリカ/NATOはシリアへの直接攻撃に向かって動き始め、「化学兵器話」を必死に宣伝していた。 エルドアン大統領はアサド体制を倒すためならトルコ領を使わせると語ったようだが、イスラエル政府もアサド体制の打倒を目指している。昨年の9月末まで駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンは退任前、イスラエルはシリアの体制転覆を望み、アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っているのだが、この「アル・カイダ」を「IS」と読み替えても間違いではない。 ISの雇い主として名前が出ているのはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子だが、長い間、アル・カイダを指揮していたいたのはバンダル・ビン・スルタン。1983年から2005年まで駐米大使を務め、2012年に総合情報庁の長官となり、今年4月に「健康上の理由」で辞職するまでその職にあった。今は国家安全保障問題担当顧問だ。バンダルが総合情報庁の長官に就任した2012年、CIAや特殊部隊はヨルダン北部に設置された秘密基地でISの主要メンバーを含む戦闘員を軍事訓練したと伝えられている。CIAとISは師弟関係にあるわけだ。 現在、アメリカはシリアやイラクでの空爆を始めているが、その引き金はジェームズ・フォーリーやスティーブン・ソトロフの首切り。その首切りに疑惑が存在することは本ブログでも書いたとおりだ。フォーリーの場合、首の前で6回ほどナイフは動いているものの、実際に切っていないうえ、血が噴き出していないというのだ。 そこで注目されているのが映像を公開したSITEなる団体。ジャーナリストのウィリアム・イングダールによると、SITEはアメリカの国家安全保障省と関係、そのトップは元イスラエル兵、つまりイスラエル人のリタ・カッツ。この女性の父親は1968年にイスラエルのスパイとしてイラクで処刑されたともいう。オサマ・ビン・ラディンのインチキ映像を公開した前科もある。 日本でもISへ参加しようという人間が出てきたらしいが、欧米ではファシズム化を推進する口実に使われている。日本も同じだろう。すでに安倍政権は「解釈改憲」を推進、情報管理、国民監視を強化、つまりファシズム体制を確立し、集団的自衛権を実現して戦時体制に入ろうとしている。庶民の貧困化を進めれば兵士の募集は楽になる。
2014.10.06
スウェーデンの動きにアメリカの支配層が神経を尖らせている。9月14日の総選挙で社会民主労働党が第1党になり、10月2日に同党のステファン・ロベーン党首が首相に就任することを議会が承認、政策が大きく変化しそうだからだ。 日本のマスコミは原発依存を見直しに注目するかもしれないが、世界的にはパレスチナを国家として承認する方針を打ち出していることが話題になっている。イスラエル政府は激しく反発し、4日にはアビグドル・リーバーマン外相がスウェーデン大使を召還すると語った。また、アメリカにとってスウェーデンはロシアを封じ込めるために重要な国で、NATOへ引き込もうとしてきたが、新政権はその意思もないようだ。 ロシアや中国を封じ込める戦略を1990年代に打ち出したのはズビグネフ・ブレジンスキー。その息子であるマーク・ブレジンスキーは現在、スウェーデン駐在のアメリカ大使だ。2011年9月にバラク・オバマ大統領が指名、10月に承認されている。アメリカは各国に対する工作を行う場合、大使館を拠点にする。少なからぬ場合、大使がその責任者だ。 大使就任の前年4月、内部告発の支援を行っていたWikiLeaksはアメリカ政府にとって都合の悪い情報を流し始める。まず米軍のアパッチ・ヘリコプターが非武装の人間、十数名を殺害する場面を撮影した映像を公開、それに続いてさまざまな資料を公表していくのだ。最初に公表された映像に記録された犠牲者の中には通信社ロイターのスタッフ2名も含まれていた。そのWikiLeaksの象徴的な存在がジュリアン・アッサンジだ。 この内部告発に怒った勢力はアッサンジへの攻撃を開始、8月には警察が検事に逮捕令状を出させ、同時にタブロイド紙エクスプレッセンへリーク、同紙はセンセーショナルに報道し、アッサンジは指名手配されたが、翌日になると証拠不十分だとして主任検事が令状を取り消す。その決定をさらに検事局長が取り消して捜査が再開され、全ての捜査資料がメディアに流されている。アッサンジは逮捕令状が出る前にスウェーデンを出国、イギリスへ向かった。 容疑は「レイプ」だとされたが、実際は合意の上でセックスを始めたが最終的には合意でなくなったという微妙な話だった。訴えたのはふたりの女性で、ひとりはアッサンジがコンドームが破れた後もセックスを続けたと主張、もうひとりはコンドームが使用できる状態でなくなったので止めるように言ったが、止めなかったとしている。アッサンジはこうした訴えを正確でないと主張している。 「被害者」のひとりは男に「二股」を許さず、「法的な復讐」を主張するフェミニストだと言われ、そのいとこはスウェーデン軍の中佐。しかも、彼女はCIA系の「自由キューバ同盟」と関係があり、彼女自身も国家転覆活動を理由にしてキューバを追放された過去があるという。 ところで、マーク・ブレジンスキーの父、ズビグネフ・ブレジンスキーはCIAと関係が深く、デイビッド・ロックフェラーと親しいことで知られている。このふたりにピックアップされて大統領になったのがジミー・カーターだ。 ズビグネフの長男であるイアンはジョージ・W・ブッシュ政権で国防副次官補を務めた経験があり、現在は父親の戦略を反映した団体、大西洋会議のメンバー。専門とする分野にはNATOやウクライナの問題も含まれている。妹のミカはMSNBCで父親の戦略を宣伝してきた。 ブレジンスキーは政府の仕事をする一方、1960年から89年までコロンビア大学で教授を務めていた。その間、バラク・オバマも同大学へ通っていたとされ、接触していたとする噂も流れている。 ビル・クリントン政権で国務長官を務め、ユーゴスラビアへの先制攻撃を扇動したひとりのマデリーン・オルブライトがズビグネフ・ブレジンスキーの教え子だということは広く知られている。 マデリーン・オルブライトの父、ジョセフ・コーベルがデンバー大学で教えた学生のひとりがブッシュ・ジュニア政権で国務長官を務めたコンドリーサ・ライス。娘のマデリーン・オルブライトの教え子にはオバマ政権で国家安全保障問題の補佐官を務めているスーザン・ライスがいる。 ユーゴスラビアへの先制攻撃を実現するため、アメリカの支配層は「人道」という看板を掲げ、それに沿った作り話を流して攻撃を正当化しようとした。そうした宣伝はメディアが行ったわけだが、1993年から96年までユーゴスラビアに関する「記事」を書いていたひとりがサマンサ・パワー国連大使だ。この時の「報道」が評価され、ピューリッツァー賞が授与されている。 これまでアメリカの支配層は自分たちの意に沿わない政権、体制は破壊してきた。スウェーデンの新政府に対してブレジンスキー人脈が何かを仕掛けてくる可能性は小さくない。
2014.10.05
ウクライナの東部、ドネツクでは1300名以上の住民が行方不明になっているという。 ジョン・ブレナンCIA長官が秘密裏にキエフを訪問した4月12日以降、ウクライナの東部ではアメリカ/NATOを後ろ盾とするキエフ政権が民族浄化作戦を開始、100万人近い住民がロシアへ避難しているが、留まった住民もいた。そうした住民の中に行方がわからない人がいるのだ。ドネツク近郊、キエフ政権が送り込んだ親衛隊の駐屯していた地域で「集団墓地」が発見されつつあるが、遺体はそうした行方不明者の一部である可能性が高い。 こうした調査が続く中、砲撃でドネツクではICRC(国際赤十字委員会)の職員が殺されたと報道されている。EUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者/イギリス人)は「受け入れがたい」とコメントしたようだが、ドネツクを含む東/南部で破壊と殺戮を繰り返してきたキエフ政権を後押ししていたひとりがアシュトンにほかならない。 今年2月、アメリカ/NATOを後ろ盾とする勢力がネオ・ナチを使ったクーデターを実行した直後、2月25日にエストニアのウルマス・パエト外相はキエフへ入って調査、「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある」としたうえで、「新連合はもはや信用できない」とアシュトンに報告しているのだが、それに対するアシュトンの回答は「議会を機能させなければならない」だった。つまり、事実を隠せということ。そのひとつの結果が東/南部での破壊と殺戮だ。 アメリカ政府は全ての勢力が国際人権法に従うように求めたというが、人権を無視して好き勝手に軍事侵攻を繰り返し、破壊と殺戮を世界に広めているのがアメリカ。アメリカ政府が国際人権法を守れば世界は平和になるだろう。まさに厚顔無恥。 一方、中東では自らが作り上げたIS(イスラム首長国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)の「首切り」を口実にしてイラクやシリアを空爆しているアメリカ。この理屈をウクライナに適応すれば、住民を虐殺しているキエフ政権を空爆しなければならない。 勿論、中東で「首切り」に反応した理由はシリアを空爆したいからだと少なからぬ人が推測している。空爆を拡大し、シャール・アル・アサド体制を倒そうとしている。アサド体制を倒して傀儡政権を樹立すれば、「大イスラエル構想」に合致するだけでなく、油田やパイプラインを制圧してエネルギーを支配できるとアメリカの支配層は考えているのだろう。 ウクライナの場合も東/南部の天然ガスを西側の巨大資本は狙っているのだが、それだけでなく、ロシアを属国化して世界制覇を実現するためにはウクライナを制圧しなければならないと考えている人たちがいる。その戦略を打ち出したのはズビグネフ・ブレジンスキーで、1990年代の後半のことだ。 コーカサス/中央アジアもアメリカのロシア戦略の上で重要な地域。グルジアへはアメリカやイスラエルの強い影響下にあり、チェチェンでも工作を続けている。ウクライナへもチェチェンでロシア軍と戦っていた戦闘員が入り込んでいた。この地域からISの戦闘員としてシリアやイラクへ向かった人も少なくない。そうした人びとが戻り、ロシアに対してゲリラ戦を始めることは十分に考えられる。
2014.10.04
ドネツク近郊、キエフ政権がネオ・ナチを中心に編成した親衛隊の駐屯していた地域で「集団墓地」が発見されつつある。調査中のため、犠牲者数がどの程度になるかは不明だが、そうした「集団墓地」の存在をOSCE(欧州安全保障機構)も確認している。 言うまでもなく、キエフ政権はアメリカ/NATOを後ろ盾にしている。今年2月、クーデターで実権を握った勢力が作った流れの中で登場した政権で、西側資本の影響下にあるオリガルヒやNATOの訓練を受けてきたネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が柱だ。 親衛隊が駐屯していた理由はウクライナ東/南部の民族浄化。この地域には天然ガスなどの資源が眠っていると言われ、西側資本が狙っていた。反キエフ派を殲滅するだけでなく、住民を追い出すことで開発がしやすくなるという読みもあったようだ。そうしたことからIMFは融資の条件として東/南部の制圧を求めていた。 民族浄化が成功していれば虐殺を隠蔽できたかもしれないが、キエフ軍は住民側(人民共和国の義勇軍)に敗北、住民の遺体が発見されてしまった。西側の政府やメディアが宣伝していた「民主化を目指す解放軍」というシナリオは崩壊状態。それを何とか取り繕おうとする姿は無様だ。もっとも、「見猿、聞か猿、言わ猿」、支配層に媚びを売るしか能がない猿のようなマスコミよりはマシかもしれないが。 こうした状況になると、責任を個人に押しつけようという動きが出てくるものだが、その「生け贄」にされそうな人物はドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事。民族浄化の黒幕と言われているが、住民を虐殺したとして拘束された戦闘員の中に、このコロモイスキーから住民の殺害を請け負っていたと証言する人物がいる。 コロモイスキーは今年4月に武装集団アゾフを組織している。200名ほどのメンバーは右派セクターの中から流れてきたという。その約半数は犯罪歴があり、6月14日にキエフのロシア大使館を襲撃したグループの中心だったとされている。そのほかアイダル、ドンバス、ドニエプルという武装グループも作ったという。 民族浄化作戦の幕開けは4月12日。ジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問したのだ。その2日後にアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認した。電話での指示は盗聴される恐れがあるため、乗り込んだのだろう。 次いで4月22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサでの工作に関する会議が開かれた。出席したのはアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行、アルセン・アバコフ内相代行、バレンティン・ナリバイチェンコSBU長官代行、アンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行、そしてオブザーバーとしてコロモイスキー。 会議の10日後、5月2日にオデッサでクーデター政権を拒否する住民が虐殺された。この時に労働組合会館で殺されたのは50名弱とメディアではされているが、これは上の階で死体が発見された数。多くは地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名と言われている。70〜80名はどこかに埋められた可能性が高い。 コロモイスキーはスイスのジュネーブを生活の拠点にしているイスラエル系オリガルヒで、ウクライナとイスラエルの市民権を持っていることが知られていた。二重国籍が問題にされた際、キプロスのパスポートも持っているので三重国籍であり、二重国籍でないから問題ないと主張している。 こうした人物を知事に任命したのはアルセニー・ヤツェニュク首相であり、そのヤツェニュクをクーデター前から高く評価していたのがアメリカ国務省のビクトリア・ヌランド次官補。ヌランドの夫、ロバート・ケーガンはネオコン(親イスラエル派)の大物だ。コロモイスキーの人脈はアメリカ政府につながっているわけで、その戦争犯罪はアメリカも責任を免れない。 ところで、建造物を破壊、住民を虐殺することで恐怖心を煽って追い出すという手法は1948年にパレスチナで使われている。この年の4月4日に「ダーレット作戦」を発動、6日にはハガナ(後にイスラエル軍の中核になった)の副官がイルグンやスターン・ギャングの代表と会って軍事協力で合意した。 この合意に基づいてイルグンやスターン・ギャングは8日にエルサレム近郊のカスタルを占領、9日未明にデイル・ヤシンを襲撃した。その時間には仕事で若い男は村にいないことを知った上での攻撃で、国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性、35名は妊婦だった。 この虐殺を見て多くのアラブ系住民が避難、約140万人いたパレスチナ人のうち、5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ避難、その後1年間で難民は71万から73万人に達し、その場にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎない。ウクライナの場合も100万人近い住民がロシア領へ逃れて難民化した。
2014.10.04
このところアメリカはIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)を「テロの象徴」にして自らの軍事行動を正当化する理由に使っているが、本ブログで何度も書いているように、この戦闘集団を作り、育ててきたのはアメリカ/NATOやペルシャ湾岸の産油国である。イスラエルもアサド体制を倒すためならアル・カイダとも手を組む姿勢を見せている。 ところが、ジョー・バイデン米副大統領は10月2日、ハーバード大学で行った講演で中東の「友好国」、つまりサウジアラビア、トルコ、アラブ首長国連邦を批判したという。シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すため、こうした国々はISへ資金や武器を提供していると語り、ISが勢力を伸ばしている責任を「友好国」に押しつけたということのようだ。一緒にシリアを空爆していることを忘れたかのような発言である。 ISが作られるまでの道のりを振り返ると、1992年にアメリカの国防総省で作成されたDPG(国防計画指針)の草案にたどり着く。潜在的なライバルを潰し、資源を押さえ、アメリカの支配する新しい世界秩序を築こうというビジョンを描いていた。 草案作成の中心がポール・ウォルフォウィッツ国防次官だったことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれているのだが、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ウォルフォウィッツは1991年の段階でシリア、イラン、イラクを殲滅すると話していた。 ウォルフォウィッツの「殲滅宣言」から10年後、ニューヨークの世界貿易センターに立つ超高層ビル2棟へ航空機が突入、ワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、ジョージ・W・ブッシュ政権は即在にアル・カイダが実行したと断定した。この時の国防長官はドナルド・ラムズフェルド、そして国防副長官はウォルフォウィッツ。 この出来事の直後、国防長官の周辺ではイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃する計画をたてた。最初のターゲットはイラク。「大量破壊兵器」という嘘を宣伝し始め、2003年には先制攻撃を実行してサダム・フセイン体制の打倒に成功した。 2007年になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌で、アメリカとサウジアラビアにイスラエルを加えた「三国同盟」がシリアやイランをターゲットにした秘密工作を始めたと書いている。 この記事が出る2年前に組織されたのがアル・カイダ系のAQIで、2006年にAQIはいくつかのグループを吸収してISが誕生する。アル・ヌスラやイスラム戦線が「ライバル」として存在していたが、サウジアラビアが雇うことになり、事実上、同じ戦闘集団だ。 中東/北アフリカでのプロジェクトはこの「三国同盟」が中心になって推進されているが、シリア工作では当初からトルコが重要な役割を果たしてきた。トルコのシリア侵攻への関与についてはイスラエルの軍情報部のトップ、アビブ・コチャビ少将も語っている。ISの戦闘員もトルコが自分たちの進む道を舗装してくれたとしている。ここにきてトルコ議会もイラクやシリアでの軍事行動を承認した。 アメリカ/NATO、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなどがシリアの体制転覆を目指す理由はいくつか指摘されているが、その中心にはエネルギー支配がある。 地中海の東岸で天然ガスが発見されたことも大きいが、パイプラインの建設も無視できない。イランからイラクを経由してシリアへつながるパイプラインに対し、カタールはアメリカを後ろ盾としてシリアとパイプラインで結び、ヨーロッパへ石油/天然ガスを運ぼうとしたのだが、これは拒否された。 このパイプラインはアメリカのEU支配とも関係している。EUを支配するためにはロシアの天然ガスに替わるエネルギー源を運ぶルートが必要であり、そのためにもシリアを属国にしなければならないわけだ。
2014.10.03
アメリカで初めてエボラ出血熱の感染が確認されたと報道されている。感染源の男性は9月15日にリベリアの首都モンロビアで発症した女性患者を病院へ連れて行く手伝いをした後、19日に出国、20日にアメリカへ入国して80名程度の人と接触したという。 問題のリベリア人男性は熱が出たので25日にテキサス州の病院で受診、その際に行われた血液の簡易検査でエボラ・ウイルスは発見されていない。そこで帰宅したが、後に症状が悪化、28日に隔離されている。 エボラ出血熱は昨年12月からギニア、リベリア、シエラレオネを中心に広がり、8月2日には現地で治療にあたっていたふたりのアメリカ人、ナンシー・ライトボールとケント・ブラントリーが感染、アメリカへ運ばれて治療を受けている。 これまで有効な治療法がなく、多くのアフリカ人が死んでいるのだが、このアメリカ人ふたりは快方に向かい、血液中にウイルスの痕跡が見られなくなったブラントリーは入院先の病院から21日に退院したという。両者はリーフバイオ社とデフィルス社が開発している「ZMapp」が投与されたほか、現地で回復した少女の血が輸血されたとされている。リベリアでZMappを投与された3名のアフリカ人医師も快方へ向かっているという。 エボラ出血熱で死亡した疑いがある人の数は3338名、感染者数は7178名だとWHOは10月1日に発表しているのだが、リーフバイオ社とデフィルス社が開発したという薬が本当に効くならば、押さえ込めるだろう。9月15日に発症した女性には助かるチャンスが十分にあった。助からなかったのは薬が投与されなかったからということになる。今回の「流行」には不可解な点がある。 そこで注目されているのがWHOのマーガレット・チャン事務局長。アフリカ西部でエボラ出血熱の流行はコントロール不能な状態になっていると9月13日に語っているが、この発言に疑問を持つ人が少なくない。2009年に豚インフルエンザが大流行していると宣伝した責任者だからだ。このとき、日本では「タミフル騒動」になった。 このタミフルを開発したのはアメリカのギリアド・サイエンスという会社で、開発の翌年、つまり1997年から2001年までドナルド・ラムズフェルドが会長を務めていた。この薬に関するライセンスを供与され、製造販売していたのがスイスのロシュ。2005年12月4日のサンデー・タイムズ紙によると、数十名のインフルエンザ患者を治療したベトナムの医師は、タミフルが効かなかったと話している。 豚インフルエンザのケースでは、通常の風邪も「豚インフルエンザの疑いがある」として感染者の数を膨らませていたと言われている。そこで、今回もWHOの発表する数字を信用しない人が少なくないのだ。マラリア、腸チフス、髄膜炎とエボラ出血熱を間違えることがあるという。 タミフルのケースのように、病気の蔓延は医薬品業界の利益に結びついているが、今回の場合、アメリカ政府は3000名程度の部隊をリベリアへ派遣すると言われている。何のために軍隊を派遣するのか、いぶかる向きも少なくない。 軍と病気と言えば細菌兵器を思い出すが、今回の場合、アフリカ西部の地下に眠る石油が理由ではないかという説が流れている。病気の蔓延ということで住民を整理、軍隊で制圧して石油利権を手に入れるつもりではないかというのだ。 また、エボラ出血熱がアメリカで感染したとなれば、人の移動を制限するなど戒厳令的な状況を作ることができる。「エボラ出血熱との戦争」の一面だ。
2014.10.02
香港で「オキュパイ・セントラル(佔領中環)」と称する抗議行動が続いている。中環とは香港の金融街で、名称だけはアメリカで行われた「オキュパイ・ウォール街」と同じだが、中身は全く違う。アメリカでは不公正な経済システムに対する抗議だったが、香港の場合は2017年に行われる香港特区の首長(行政長官)を普通選挙で選出するように求めることにある。 中国が大きな問題を抱えていることは間違いないが、その根本には新自由主義がある。1980年に中国の指導部はミルトン・フリードマンを招待、幹部官僚や大学教授、党の経済学者に自由市場理論をたたき込んでもらっている。支配層/富裕層は子どもをアメリカへ留学させ、そこで利己主義、性的快楽、そして物欲を肯定するように洗脳されてきた。この「教義」が広がると、支配層/富裕層は腐敗し、国は朽ちていく。 「佔領中環」を最初に主張したのは香港大学の戴耀廷副教授。「愛と平和の運動」だと彼は主張していたが、金融や商業の施設が集中している場所を占拠すれば金融、経済、そして人びとの日常生活を麻痺させることは予想できること。当局が許可するはずはなく、非合法ということになり、警官隊と衝突することは予想できる。当然、戴耀廷もそのように見通していたはずだ。つまり、混乱を狙っていたということだ。 9月の初めに一部の学生リーダーが抗議活動の失敗を宣言したが、その原因は学生が棍棒を持ち出して暴力的な行為に出たからだったと言われている。市民が離反、孤立してしまったのだ。少なくとも今年の場合、最初から「愛と平和の運動」ではなかった。 学生が棍棒を振り回した理由として考えられるのは、警察への挑発。この挑発に乗って欧米流の弾圧を始めれば運動が大きくなると考えていたのではないだろうか。実際、9月26日には約200名の学生が立ち入り禁止になっていた地区に突入、警官隊が催涙弾を発射し、それに反発する人が集まって抗議行動は膨らんだ。 この抗議行動の指導者と言われているのは戴耀廷のほか、余若薇、陳日君、李柱銘、黎智英の名前が挙がっているのだが、いずれもNEDとのつながりが指摘されている。NEDは1983年にアメリカ議会が承認した「民主主義のための国家基金法」に基づいて創設された組織で、CIAが秘密工作で使用する資金を流すことが目的。つまり、「佔領中環」のリーダーはCIAとつながっている。黎智英はネオコンのポール・ウォルフォウィッツと接触しているとも言われている。 今回の騒動では1989年に起こった「天安門事件」が話題になる。当時、ソ連は消滅寸前で、中国は新自由主義に浸食されつつあった。そうした中、天安門広場で「虐殺」があったと西側メディアは報道し、今でも事実だと信じている人は多いようだ。 しかし、例えば、2011年6月に公表されたWikiLeaksが入手した外電によると、チリの外交官は広場での銃撃を否定している。広場の中で軍が群集に発砲した事実はなく、広場へ入った部隊は棍棒を持っていただけだとされている。 政府側の資料では、4日の午前4時30分に広場の北から42台の装甲車を使い、ゆっくり南へ移動、学生のリーダーだった劉暁波は広場から撤退するよう学生に指示した。南東の角から外へ出る学生が目撃されている。 イギリスのテレグラフ紙によると、当時、BBCの特派員として現場にいたジェームズ・マイルズは自分たちが「間違った印象」を伝えたと2009年に認めたという。治安部隊が広場へ入った段階で残っていた学生は外へ出ることが許され、天安門広場で虐殺はなく、死者が出たのは広場から5キロメートルほど西の地点で、数千人が治安部隊と衝突したと語っている。 こうした話はマイルズより前にワシントン・ポスト紙の北京支局長だったジェイ・マシューズもコロンビア大学の出している雑誌、「CJR(コロンビア・ジャーナリズム・レビュー)」(1998年9/10月号)に書いている。広場に到着した軍隊は残っていた学生が平和的に立ち去ることを許したと現場に居合わせた人は話していたという。 衝突のあったという場所は少し違い、天安門広場から1.6キロメートルほど西だとされたいる。大半が暴徒化した労働者や通りがかりの人で、軍のバスが何台も群衆によって放火され、中にいた兵士数十名が焼き殺されたことが衝突の原因だった。また、戦車の前にひとりが立っている写真は、近くのホテルから事件の翌日に撮影されたもので、戦車は広場から出ていくところだったとも言われている。 当時、学生をひきいていたひとりの吾爾開希(ウイグル系の名字)は200名の学生が射殺されるのを見たと発言していたが、その出来事があったとされる時刻の数時間前、彼は広場から引き上げていたことが後に判明している。
2014.10.01
全34件 (34件中 1-34件目)
1