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2006/06/14
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カテゴリ: 読んだ本(時代)
歴史ファンタジーとしてすっかり気にいってしまった

森谷明子の「七姫幻想」(2006)

について, その1 の続きです。

秋去衣(内側) (「ささがにの泉」直後)
秋去姫…秋去衣(牽牛、織女二星が七夕の夜着る衣)を織る女から織女の異称となる。「秋去」は「秋が去って冬になる」のではなく,「秋になる」こと。

軽皇子…大化の改新(645)の主役が中大兄皇子ではなく,黒幕としての軽皇子(孝徳天皇)だったということがしばらく前から話題になっている( 大化改新(遠山美都男) )が,ここの人物は木梨軽皇子(きなしかるのみこ)。

穴穂皇子…倭の五王興にあたる安康天皇。なおこの話で穴穂皇子の舎人である大前宿禰(すくね)・小前宿禰は,古事記によると,軽皇子側である。物部大前宿禰とあるので,聖徳太子のときに蘇我氏に滅ぼされる物部氏の源流か?

軽大娘女…古事記では,彼女が衣通姫とされる。「里」は彼女から始まるのだろう。

なお,以上の3人については 衣通姫伝説(Wik) に詳しい。

美都波(みづは)…軽大娘女の身代わりをした機織女。「幻想」では,この名前も縦糸の1つになっている。

泉が川に,機織道具だけしかない館が機屋なったと考えると,軽大娘女は蜘蛛であるということもできる。ただし,軽大娘女は,「ささがに」の衣通姫のように「待ち」一方で消極的ではなく,積極的に軽皇子をからめとった。
ともあれ,ここでのメインモチーフは兄,妹の悲恋だ。

上の話は,佐保少納言大伴家持(やかもち)に「里」からきた老女が語るという外殻に包まれている。

秋去衣(外側) (奈良時代後期)

この「里」もやはり縦糸の1つになっていて,「ささがにの泉」で衣通姫が住んでいた「藤原の地」であり,軽大娘女が身を隠した場所でもあると考えられる。
「里」はときに位置が多少変わったとしても,「ふじわら」という名前を保ち,水が豊かな所だろう。

「私の里の者は,物語を作るのも,とても上手いのです」と老女がいっているが,これは本全体の最後の一文(俳句の前)につながる。

佐保少納言( 大伴家持,Wik )…平城京遷都(710)に際し,家持の祖父安麻呂が都の東北佐保に宅地を与えられ,佐保大納言といわれたところからくる。話の中で「今の官職どまり」と自嘲していた家持だが,中納言にはなる。
家持は万葉集の編纂で有名だが,大伴氏はもともと「武」の一族。家持は奈良時代末のいろいろな乱に表,裏でかかわって,藤原氏に対抗しようとしたと個人的に邪推している。

処女帝…孝謙天皇( →Wik )。奈良の大仏で有名な聖武天皇の子で,女性として初めて皇太子となった。
758年に退位し「唐国かぶれ」の藤原仲麻呂(恵美押勝)のおす天皇に譲位するが,道鏡を寵愛するに及んで,764年押勝(仲麻呂)を破り称徳天皇として再び帝位についた。「秋去衣」は孝謙時代の話。

老女が家持に語るのが乞巧奠の日であるとともに、隠里の存在がここで初めて読者に明示される。

薫物合 (平安,道長 (←摂関政治の頂点) より前)
薫物姫…乞巧奠の際,終夜薫物をたいたところから織女の異称となる。

「里のおばばさま」が前話の老婆と同一人物ではありえないが,そこらへんでつながってはいる。

清原元輔( →Wik )…本文中にもあるが,梨壺の五人の一人で,後撰集(古今集の次の勅撰和歌集)を編んだ。
「幻想」では本人の口から「もう一度書き直したい」といわせているが,「新古今」もふくめた勅撰和歌集に元輔の歌が約100首載せられているにもかかわらず,後撰集には彼の歌が一首もない。というところに,「さては……」と思わせるものもありそうだ(単なる邪推,笑)。
「幻想」では,ちょっと頼りなげな,よい味をもつキャラクターになっているが,なんだかんだいいながら結構もてているところも笑える。

夏野…殺された「里」出身の女性の名だが,清原家唯一の誉れで,右大臣まで昇った人物と同名。
その清原夏野は清原家の祖で,日本書紀の編集で知られる舎人親王の曾孫。清原家は「文」の家系であり,その意味では「里」に近いと考えられる。

今上帝…村上天皇。実権は藤原氏が握っていたものの,在位後半は関白をおかず親政を行った。

藤原師輔(もろすけ,右大臣)…朝廷の位階では兄を抜けなかったが,その実験を握り,子の代で摂関家嫡流となる。道長の祖父。

伊尹(これただ)…師輔の長男。のちに源高明を失脚させ摂関家の支配力を強めるが,その死後,実権は弟の兼通,兼家(道長の父)に移っていく。

安子(あんし)…師輔の長女,冷泉天皇・円融天皇の母。「幻想」で生まれた皇子はのちの冷泉天皇である。

芳子(ほうし,宣耀殿女御)…小一条大臣師尹(師輔の弟)の娘。「幻想」では「里」で「仕立て上げ」たことに。母方の血筋が里につながりがあった。

瑞葉(みづは)…夏野の姪。「里に伝わる幼名」の軽女(かるめ)は「軽大娘女」からか? 元輔のもとに届けられた五歳の女の子も「軽女」と名のった。この女の子はもちろんのちの清少納言。

悲恋は出てこなかったが,夏野が縫殿寮に勤め,元輔が瑞葉の「蜘蛛の糸に絡められそう」と感じたあたりにモチーフが。
「里」の存在が前面に出た一編だった。

朝顔斎王 (平安,道長後,頼通のとき)
朝顔姫…「牽牛花」を「あさがお」と読む(大事な牛を牽いて薬草の朝顔にかえたという故事から)ところから織女の異称となる。

中宮定子の死後(1000)宮仕えをやめた 清少納言(Wik) にこんな形で再会できてうれしかったりして(笑)

娟子( →Wik )…父である帝は,「薫物」の村上天皇の孫の後朱雀天皇で,母は「薫物」で生まれた冷泉天皇の孫(道長の孫でもある),その母が気にかけている「弟の東宮」はのちの後三条天皇。
また,この話のときの天皇は,娟子の異母兄である後冷泉天皇,養女を父の中宮にして圧迫している関白は藤原頼通である。

源俊房( →Wik )…「薫物」の今上帝村上天皇の曾孫。母は藤原道長の娘(頼通の妹)。

三輪様…娟子の異母妹の?子(ばいし)内親王(名前はどうでもよいが)で,「幻想」にもあるように,彼女の母はいったん頼通の養女となってから後朱雀天皇の中宮になるのだが,その父敦康(あつやす)親王が一条天皇の中宮定子の第一皇子である。
少納言は,「華やかな中宮(定子)」の「いまわの際」の遺言によって三輪様とその姉を守り続けるのだ。

ちなみに,少納言が源氏物語について「至らぬところもたくさんありますけれど」,「中途半端」,「物語に陰影をつける度胸がなかった」などといって,まわりの女房たちからあきれられる場面もおもしろかった。また,娟子が自らの容姿に自信をもてないでいるのは,源氏の「朝顔」を多少意識しているのか?

この時代,斎王がじきじきに機を織ることはない。そのきっかけとして語られたのが「秋去衣」の事件かどうかははっきりとはしないが,雨乞いに成功するなど「水とのつながり」はまだもっていたようだ。

ここに出てきた恋は,直接の血がつながっているわけではないが,「姉・弟」,「兄・妹」の恋のせめぎあいであり,やはり「悲恋」でもある。
また,この「朝顔」では少納言の「ささやかなお礼」として恋が実る形のハッピーエンドとなっているが,次話の「梶葉」では「禁じられた恋」として都がその恋の噂でもちきりだったとある。

実際にも(どの程度の実際かは別として),俊房のもとに走るという軽率な行動により娟子は「狂斎院」と呼ばれるようになった。

文字数の関係で, その3 に続きます。

 読了本(日本)  (森谷明子)からごらんください。


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Last updated  2006/06/14 12:17:09 AM
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