森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2017.02.26
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将棋の米長邦雄九段の弟子に、伊藤能さんという人がいた。
この方はプロ棋士になれる四段への道のりは遠かった。
奨励会に入ってから実に17年、 3段になってから7年という長年の歳月が流れていた。
そして伊藤さんは30歳を迎えた。今年駄目だったらプロで飯を食っていくという夢は諦めなければならないところまで追い詰められた。当時は31歳が挑戦権を得られるギリギリの年齢だったのである。

師匠の米長さんは伊藤さんに次のように言った。
「このままでは、お前はダメになる。しかし、私はどうしても、お前に四段に上がってもらいたい。人間の脳みそには、変わりはないのだから、お前だって必ず上がれる。みんな死に物狂いで必死にやっている。お前もやっている。問題は勝利の女神が微笑むかどうか、それだけだ。これまでお前には女神が微笑まなかった。それだけのことだ」
実力的には問題ないのだが、運命に見放されているのか、最後の詰めの段階でいつも苦杯をなめている。

そう前置きして、私は彼にひとつの指示をした。
「対局のたびに、その前日でも翌日でも、お父さんの墓参りに行ってくれ」
伊藤さんの父親は、彼が20歳の時に他界した。
「雨が降っても、風が吹いても月2回の対局日の前後の墓参り、それだけは欠かさずやってくれ。そうすれば必ず上がれるはずだ」
これは理屈では無い。 40年近く勝ち負けの世界で生きてきた私の信念、ほとんど信仰に近い勝負哲学である。こうして伊藤さんは最後の三段リーグへと臨んだ。

そんなある日、若手棋士何人かと一緒に伊藤が私の家に来た時のことだ。
茶菓子を取りに台所へ行くと女房が私に小声で言った。
「伊藤さんによく似た人がきていますけど、どなた?世の中にはよく似た人がいるものですね」
誰だろうと思って居間に戻ってみると、伊藤本人はいるが、どう見てもよく似た人はいない。
あとでよく聞いてみると、伊藤を別人と見間違っていたのだ。
「歳格好はそっくりだったが、目の表情と身体から発散するものがまるで違う。だから別人だと思った」というのである。確かに彼の目は輝いていた。

時々自宅で開く研究会に若手の有望棋士たちが集まるが、タイトル戦に登場するような若手棋士は皆目がきれいだ。これは例外はなく、共通してキラキラと輝いた目をしているのである。
伊藤の目がそうなっていた。そして、体全体から醸し出される雰囲気、オーラというのだろうか、そういうものが全く別人のソレになっていたのだ。

その年度伊藤さんは、プロ棋士である四段に昇格した。
伊藤さんは若くして亡くなったが、それでもその後六段まで昇格しておられる。

ところが米長九段が、伊藤さんに会ってみると驚いたことに、昨日までのへの輝きは半分になっていた。 1週間後に将棋連盟であったときには、完全に昔の伊藤さんの目に戻っていた。
そのことを本人に言ってみたが、まったく自覚はなかった。

三段リーグを戦っていた、 4月から9月の半年間、伊藤さんは崖っぷちに立たされていた。
そうなって初めて、自分の能力をフルに活用した。だが目が輝いていたのだが、半年しか続かなかった。
生きてきた30年の人生のうち、その半年間だけフル回転し、奇跡的なことを引き起こしたのだった。
天才と凡人の違いは、この奇跡的な期間の長短、持続性にあるのではないだろうか。
勝利の女神は、フル回転の気配に極めて敏感なのである。
(運を育てる 米長邦雄 クレスト社 149ページから引用)

この話は森田理論学習に取り組んでいる我々にも参考になる話である。
森田理論を自分のものにするためには、ある一定期間寝食を忘れるくらいに、のめりこむ時期を持つことが大きな意味を持つ。
私の体験で言うと20年、30年当たりさわらずの学習を続けているよりも、1年でも集中して取り組んだ方がはるかに得るものが多かった。
実は私は入会して20年間はほとんど森田理論の意味が分からなかったのである。
もちろん森田理論のキーワードは何回も学習してそれなりに分かっていたが、自分の生活とはかけ離れたところで理解していたにすぎない。学習のための学習を続けていたにすぎない。
森田理論の学習は20年も続けたが、森田的な生活に変化していなかったのである。

私が転機となったのは、試行錯誤の末に「森田理論全体像」を自ら作りだしてからであった。
これはこのブログですでに紹介しているものである。
今までバラバラに理解していた森田理論が、一つの筋の通った理論として理解出来始めたのである。
鷹などの鳥が、空から地上全体を見渡して広く獲物を見つけているようなものだった。
私は森田理論学習の中で大きな発見をしたのである。一旦掴んでしまうと、一生涯の宝物となった。
一旦掴んでしまうと、こんな簡単なことがなぜわからなかったのだろうと思うこともある。

森田理論全体像は4本の柱からなっている。
生の欲望、生の欲望と不安の関係、認識の誤り、その中でもとりわけ「かくあるべし」の弊害、事実本位・物事本位の養成である。これらが相互に密接に関連性をもっているのであった。
これを発見してからは、いろんな人から、いろんな話を聞いた時に、今森田理論全体像のどこらあたりの話をされているのかすぐに分かるようになった。
また自分の問題点や課題がよく分かるようになり、努力目標の方向性がはっきりと分かるようになった。
この時、私は今までとは違った地点にランプアップしているのだとしみじみと感じることができた。

これは野球界で言うと次のようなことだ。
野球の選手で二軍にずっとくすぶっていて、一軍に上がれない選手がいる。
片や、その選手と実力面ではあまり違わないのに、割合はやく一軍に上がって、しっかりと1軍に定着する選手もいる。
どこが違うのか。早く1軍にあたる選手は、もともと能力も実力もあって、2軍に甘んじている選手とは異質なのであろうか。あるいはコーチや監督に対してアピールがうまいのだろうか。
それらが全くないとはいえないかもしれない。
だが、一番大きいのは、ある時期に寝食を忘れるくらいに野球にのめり込んでいるかどうかであると思う。
ドラフトにかかるような選手は素質、能力、実力はアマとは違って、もともとある選手であると思う。
その段階からいかに早く1段階、2段階上のステップに上がりきるかどうかの違いのような気がする。
広島カープで言えば、菊池、丸、鈴木選手は入団したときは並みの選手であったが、猛練習の末に1軍選手になった。プロで活躍する選手は、入団してから一皮剥けた選手である。プロに入ったときは出発点で、入団してから猛練習によってレベルアップした選手である。
これらの選手は、今後怪我でもしない限り5年から10年、あるいはそれ以上にわたってレギュラーが約束された選手となった。

そういう意味で、森田理論はしっかりした芯の通った理論として整備されており、後は1年から3年程度はしゃにむに学習に取り組んでいく覚悟があるかどうか。そこが重要である。
そうすれば、人間として一回り大きな人間になることができて、さらに今後の一生にかけての宝物を手にすることは間違いのないことだと思う。
私は森田理論を自分のものにしようと思えば、ある一定時期森田理論学習にのめり込むことが必要であると思う。





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Last updated  2017.02.26 06:30:04
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