森田先生のお話です。
神経質は早いのは、 16、 17歳から発病して、 20、 24歳くらいで、煩悶を切り抜けることができたら、1番都合がよいかもしれぬ。
白隠禅師なども、神経衰弱の最も激しかった時は、 20歳を少し過ぎた時でもあったろうか。
お釈迦様は、 16 、 17歳から煩悶し、 29歳で山に入り、 35歳で切り抜けたのであります。
30歳あまりで発病するのは、神経質が足りない。
また発病して、 20年も30年も経って、治らない人は、もはや治したいという気力がなくなってしまう。
将来の希望がなくなり、無理な骨折りをするよりも、このままに、どうかこうか、日を暮らした方がよい、という気持ちになってしまう。
これに関連して、井上常七さんは、せいぜい3年くらいでよいと思う。
あまり短いのもまたいけないと言われている。
(森田全集第五巻 183頁より引用)
30歳あまりで発病するのはいけないと言われているが、その当時の状況を加味しないといけないと思う。
当時入院森田療法を受けている人は、ほとんどの人が10代後半から20代の人であった。
30代以上で入院森田療法に取り組む人は少なかったのである。当時の平均寿命も60歳までであった。
現代は平均寿命は90歳位までに伸びており、そういう年齢の縛りはないと思う。
インターネットなどで探して、森田理論は価値がありそうだと思った時が学習を始まる時である。
その際、3年くらいの期間で短期集中型で取り組むことは大いにお勧めしたい。
時代の変化が激しい時代に、森田理論が理解できて生活に応用でき、人生の煩悶がとれてくるのに10年以上もかかるようだと、新たに学習する人がいなくなると思う。
私は神経質者にとって、森田理論が素晴らしい内容を含んでいると感じ始めたのは、20年も過ぎてからであった。それまではなんども森田理論学習から手を引こうとしていた。
でも生活の発見会に所属し、集談会で色々世話役を持っていたため、手を引くことができなかったのである。特に集談会の参加者が5人未満のときは、集談会に参加する意義を見失っていた。
理論学習もマンネリ化しておりおもしろくない。
唯一楽しかったのは会が終わった後の飲み会であった。
イヤイヤ世話役を続けていたことが、その後大きく花開き、実を結ぶとはその当時は考えもしなかった。
その後、一つの集談会活動から、多くの集談会活動に関わるようになった。
派遣講師で他の集談会に参加したり、支部の活動に参加したり、全国レベルの活動に参加し始めたのである。
すると、生活の発見会は今まで見えてこなかったが、素晴らしい人材の宝庫であることに気がついた。
満天の夜空にきら星のように輝く人材がそこらじゅうに存在しておられたのである。
こんな経験は今までなかった。
普段は口もきけないような人たちでも、集談会活動の中では自由自在に交流できた。
これは岡田尊司氏が言われている「心の完全基地」作りにあたるものであると思う。
「心の安全基地」を持っていると、少々の荒波にでもなんとか立ち向かっていける。
その後、私は森田理論の学習の仕方に問題があると気がついた。
これを改善して、森田理論学習はすればするほど面白いと言えるものを作りたかった。
そして自分なりに「森田理論の全体像」の理論化に取り組み始めた。
これも7年ぐらい試行錯誤を繰り返したが、最終的には納得ができるものが出来上がった。
その内容についてはこのブログで何度も投稿してきた。
これこそ私が求めていた森田理論の理論化だった。
そのプログラムに沿って学習をしていくと、約3年間という期間で「森田という学校」を卒業できることがわかった。あらゆる機会をとらえて、声を大にして説明をしているが、まだまだ認知度が低い。
でもこれはとても役に立つという考え方が変わることがないので、自分のライフワークとしてか取り組みたいと思っているのである。
今や私のように、 20年も失意のうちに森田理論にしがみついている時代ではなくなった。
約3年間という期間で森田理論の真髄をつかみ、後は森田理論を実際の生活場面で縦横無尽に活用していけばよいのである。嘘だと思われる人が多いと思うが、これは紛れもない真実なのだ。
そうなればあなたの人生は前途洋々たるものになるはずである。
そのための足がかりとなる投稿をこれからも続けてゆきたい。
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