森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2021.11.19
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生活の発見誌10月号から森田先生のお話の引用です。

私はいま茶碗や時計やいろいろのものを置いた枕台の前に立って、皆さんにお話ししています。
そして私はいま、「この台はあぶない」ということにとらわれながら、話の仕方の工夫にもとらわれています。もし私が、自分のうしろにある枕台のことを忘れたならば、かならず何かの拍子にそれを蹴とばし、茶碗や時計をこわしてしまうことでしょう。つまり、現在の私は、この枕台と話の工夫との両方にとらわれています。
くわしくいえば、注意のリズムにしたがって、両方に交代にとらわれているのです。それは私どもの心の自然の動きでありまして、とらわれようと努力してもとらわれることはできないし、とらわれまいとはからってもそれはできないのであります。

この話は、心配ごとや不安は次々に湧き上がってくるようになっています。
千変万化、変化流動しているのです。その流れに乗って生きていくしかないのです。決して数多い心配ごとや不安を一つに絞るということはできません。
いくつもの気になることが同時並行的に頭の中を駆け巡っているというのが真実です。神経質性格者は、発揚性気質などの人から見ると、より多くの心配ごとや不安が湧き上がってきます。心配ごとや不安は問題や課題を突き付けてことごとく解決を迫っているように見えます。
それをいちいち処理しないと次のステージに進むことはできないと考えていると、心配ごとや不安は実に厄介な代物のように思えてきます。
自分を脅迫してきますので、ストレスが溜まります。生きづらさを感じるようになります。

森田理論は心配ごとや不安を一つに絞ってはいけない。
いくつも抱えている状態が自然であり、生活がスムーズに回転していくようになる。森田理論に「無所住心」というキーワードがあります。
これは昆虫が絶えず触角を四方八方に動かしながら、周囲の変化に臨機応変に対応しようとしています。私たちもあまりにも猪突猛進ではなく、周囲への目配りが必要ということです。
神経症に落ち込む人は、例外なく心配ごとや不安を一つに絞り、それを精神交互作用によってどんどん増悪させています。この弊害は身をもって感じています。

このことを上手に表現した川柳があります。

「神経症 とらわれ以外は 大雑把」

「神経症 とらわれ以外は 蚊帳の外」

「神経症 とらわれ以外は 無神経」


自分の神経症のことで頭のなかが一杯の人は、心配ごとや不安の数を増やして、その比率をどんどん下げて行けば、簡単に症状から解放されます。





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Last updated  2021.11.19 06:50:29
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森田生涯 @ Re[3]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ 今の生活は日中のほとんどが…
stst@ Re[2]:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、返信アドバイスをしていただ…
森田生涯 @ Re[1]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ コメントありがとうございま…
stst@ Re:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、こんばんは。 過去に何度かコ…
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