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人の思惑ばかり気にしている人は、人から非難されたり、無視されたりすることに異常に神経を張りつめています。そして心の奥底には不快感を忌避する気持ちがあります。不快感に出会うことを極力避けているのです。予期不安があるとそうした場には顔を出さなくなります。これは不安、恐怖、不快感などに向き合っていない。少しも味わおうとしていない。無視しようとしているのです。感情の事実を認めることができないのです。すると意識はそこにとどまって、いつまでもくよくよと悩み続けることになります。普通の人も人から非難されたり、無視されることはあります。それは自分がミスや失敗をした結果だから、そうゆう仕打ちを受けても仕方ない。甘んじて受けるしかないと思っているのです。不快だけれどもその事実を素直に受け入れているのです。素直に不快な感情を受け入れると、意識がずっとそこにとどまることはありません。次の刺激によって流れていくようになっているのです。不快感にとらわれる人は、いつも逃げ腰の生活態度になり、いつも困難を避けるという消極的な生き方が身についてきます。生の欲望が強い我々はとても我慢のならない生き方です。森田理論で事実を認める生き方を身につけていただきたいと思います。
2013.03.07
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元ヤクルトの古田敦也さんは人生でスランプに陥った時は「人生のフォアボール」を狙えといわれます。古田さんは野球でスランプに陥った時は、ヒットを打つなどということは考えないようにしてバッターボックスに入るそうです。それは不調のときはボール球に手を出してしまう。また不思議なもので、調子の悪い時に限って打ちたくなるのです。だから「ボール球は絶対に振らない」「きわどい球は全部ファールでよい」「結果がでないときは打席に入ってもフォアボールしか狙いません」といいます。普通の野球選手は全打席ヒットを打ちたいのではないでしょうか。全打席そのように向かっていくのかと思っていました。そんな考え方もあるのかと大変驚きました。古田さんは不調のときの自分を、よく自覚しているのではないかと思います。自覚できれば自分の努力目標が決まります。それがフォアボールねらいだったのです。もし自覚できなかったら、自分を叱咤激励して、追い込んでいったのではないでしょうか。その結果ますますスランプに落ち込んでいくのではないでしょうか。自分を自覚すれば、その後の対応は外向きになってきます。我々もいつも完全を目指さないで、その時々の自分を自覚して、悪いなら悪いなりに、目標を下げて、今できる範囲のことを一生懸命にしていくしかないのではないでしょうか。
2013.03.04
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ワンクリック詐欺が社会問題となっています。パソコンや携帯電話、スマートフォンなどでインターネットに接続し、サイトを閲覧していたら、突然、「あなたのご登録が完了しました」「あなたの個体識別番号は×××××です。手続きを完了しました」などと表示されて、料金請求画面がでてきます。そしてその金額を指定日までに支払われないと法的手段に訴えるというものです。巧妙に作られており、実際に自らサイトにアクセスしたことにより料金請求番号がでてきますので、動揺してしまう方が多いようです。また自分の情報が相手に分かっているのではないかとおびえている方もいるようです。実際には何も分かってはいないのです。対処法としては一番いいのは、不安、恐怖でパニックになると思いますが、何もしないでじっとしていることです。ところが、不安や恐怖を取り除こうとして発信元にメールを送って、「私は会員になるつもりはありません」とか、「お金は支払いますから今後連絡はしないでください。」という対応は最悪です。メールをすることにより自分のメールアドレスを相手に知らせてしまうことになります。それこそが相手の思うつぼなのです。その後はどんどんメールなどが送られてきて、地獄をみます。もしそうされた場合は、最寄りの消費生活センター、警察署への届け出ということになると思います。特に神経質な人は不安、恐怖があるとすぐに取り払って、安心したい。安全を確信したいという気持ちになります。これはちょうどケガをしてかさぶたができた時、そのままにしておけばいつの間にか治ってきます。それを治ったかどうか心配で、かさぶたを剥いで傷口を見るようなものです。また、野菜などの苗を植えた時、はたして根付いたかどうか気になって、苗を引き抜いてみるようなものです。不安はとれないばかりか、不安を刺激するのでどんどんそれにとらわれて、身動きができなくなります。不安を抱えながらも、なすべきことをなしていくことは一つの能力だと思います。もしそうゆう能力がないのでしたら、森田理論を学習してその能力を身につけようではありませんか。これは一人では困難だと思いますし、時間がかかります。集談会で先輩の力を借りることでその思いは達成されると思います。ワンクリックサギの例でも自分ひとりで解決しようとすると、間違った対応で問題をこじらせてしまいます。友達に相談してみる、関係機関に相談してみればすぐに適切な助言を得ることができます。自分にできないことは人の力を借りることが大切です。
2013.02.27
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伝説のプロ野球コーチ高畠導宏の観察について2割5分しか打てない選手が普通の練習をしていては、それ以上に伸びることはないといいます。でもきちんとコーチをし、その人に合ったバッティングを身につけ、さらに相手ピッチャーの観察をして癖を見抜き、配球を研究してゆけば3割を打てる可能性がでてくるという。たとえば、他チームのピッチャーの過去3試合に、自分のチームの1番から9番まで、一球目はどういう入り方をして、二球目はこう来て、3球目はどう来る。というデーターを集めて細かく分析する。また1塁にランナーがいるときは、その打者にはこう入ってきて、2球目以降はこう投げてくる。ということも観察して分析している。またピッチャーの癖をよく観察していた。ピッチャーにはどんなに隠してもその人の癖が現れる。癖を隠そうとしていないピッチャーの投球を見れば次に投げる球種がたちどころに分かったという。相手チームに、今後脅威になりそうな選手がでてくると、何週間も敵のチームにくっついて移動し、観客席からそのピッチャーを徹底的に観察する。癖や配球、得意玉、性格、ピンチに強いか否か、あらゆることを観察する。そしてそのピッチャーを丸裸にしてしまう。投手の投げる球が分かっていれば、仮に150キロのストレートでも打ち返すことができるそうです。おそるべき観察です。我々も事実をこのように観察する態度を見習いたいものです。
2013.02.25
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あるマンションでエレベーターの事故がありました。雨の日に突然エレベーターが動かなくなくなったのです。原因はエレベーター機械室の水漏れで、制御盤がダメになったということです。その兆候はすでに半年ぐらい前にあったそうです。機械室の内部に白いカビのようなものがあったということです。また1カ月前の点検時には機械室内部に水がたまっていたことを把握していました。保守会社はそれを受けてせめて制御盤に雨水がかからないように対策を打つべきでしたが放置しました。そしてある雨の日に事件は起きたのです。大きなマンションであったため、防水のシートを天井に取り付けたうえ、制御盤の全面取り換えで5時間後には復旧させました。問題が残りました。100万円を超える高額な取り換え費用です。普通に考えると本来不作為の行為をした保守会社が持つべきものです。しかし保守会社の担当者は、これをマンションの管理組合、つまり居住者に負担させようとしました。隠ぺいを画策したのです。管理組合理事会には、雨漏りのことは伏せて、制御盤の不具合による事故と簡単に報告して費用の捻出の了承を取り付けようとしたのです。ところがある理事さんより、制御盤の耐用年数と前回の取り換え時期の質問がでました。するとあわてたのは保守会社です。つい2、3年前に取り換えていたのです。それからは他の理事さんからも異議で出て理事会は紛糾したということです。ついに保守会社は経過を正直に告白せざるを得なくなりました。結果的には、保守会社の100パーセント過失ということになりました。しかしそれだけではすみませんでした。保守会社は隠ぺいを図ろうとした。信頼できない会社であると結論づけられたのです。こうして信頼は完全に地に落ちたということです。最初から事実をありのままに認めていたらどうでしょう。損害金は当然保守会社が持たなければなりません。それは覚悟しなければなりません。でも事実を認め、素早い謝罪があったとすれば、信頼に足る素晴らしい保守会社として、その後も継続取引は可能ではなかったのではないでしょうか。事実を捻じ曲げることの恐ろしさを感じます。私たちもどんなに嫌な事実であっても、まずは事実を認めるという態度を養いたいものです。
2013.02.25
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事例をあげて説明します。友達が「今度の日曜日,遊びに行ってもいい?」と言ってきた。その時は特に予定はなかったので,「うん。いいよ。」と,よろこんで返事をした。日曜日になった。天気がよかったので,家族は「デパートに買い物に行こう。ほしいものを買ってあげるよ。」と言ったが,私は友達との約束があるので,行きたいけれども行かなかった。家族は,私をおいて,妹や弟をつれて買い物に行ってしまった。友達はなかなかやって来ない。電話をしても通じない。約束の時間から2時間が過ぎた。私はイライラしてきた。やがて家族は大きな買い物袋をさげて楽しそうに帰ってきた。その時,やっと友達が来た。思わず「おそいよ!」と言ってしまった。友達は,「ごめん、ごめん。宿題をしていたら時間がかかってしまって。」と言った。私はこれを聞いてますます腹が立った。たしかに明日(月曜日)出さなければならない宿題はある。でも,私は,それは友達といっしょにするか,夜やろうと思っていた。何よ,自分だけ宿題をして…,電話の一本くらい…,こっちは買い物にも行けずに…,こっちの身にもなってよ…。いろいろな言葉がうかんできた。これをあなたメッセージで対応すると、「約束をやぶるんじゃないよ。勉強をしていただって?自分勝手だよ。そのせいで,こっちは何もできずにいたんだから。」次は私メッセージでの対応例です。「2時間もおくれて来て,私はとてもイライラしていた。だってその間,何もできずにいたんだから。ずっと待っていたんだよ。」「あなたメッセージ」では、自分の考え(かくあるべし)を相手に押しつけています。非難、説教、命令、指示、禁止、叱責、怒りの言葉がでてきます。主語は「あなた」です。ちなみに母親がよく使う「あなたメッセージ」は、「ダメ」「がんばれ」「早くしなさい」だそうです。「私メッセージ」は、私が最初に感じた感情をそのまま相手に伝えます。私はこう感じました。私にはこう見えました。私はこうしてくれたら大変うれしいです。主語は「わたし」です。森田でいう「純な心」です。最初に感じた感情は、恐怖、不安、心配、腹が立つ、悲しさ、うれしさ、嫉妬した、はっとした、びっくりした、イライラした、心細くなったなどです。私の発言によって、相手がどう感じ、どう行動するかは相手に任せることです。私メッセージをご自分の生活の中に取り入れてみてください。他人に対して、○○してはいけない、○○しなさい、○○しなければならないなどの発言が少なくなってきます。集談会で自分の体験を発表し、他人の体験を聞く。その積み重ねが大切です。
2013.02.23
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広島、阪神で大活躍して2012年に引退した金本知憲さんの本に「覚悟のすすめ」というのがある。これは森田でいう、「自覚」、「事実を認める」ということと同じ意味である。金本さんは広島のドラフト4位で入団。広島で強化選手に指名された事は一度もなかった。2年目は1軍の試合に出られる「40人枠」からも外されていた。こんなエピソードがあった。巨人の桑田真澄投手と対戦したときのこと。ストレートはうなりを上げて伸びてきた。カープはそれこそ頭の上から落ちてくる感じだった。まさしく手も足も出ない。結果は三振。二軍に落とされた。桑田選手とは同年の生まれらしい。にもかかわらず実力は天と地ほどの差があった。そんな時普通は「悔しい」と感じるだろう。「何とか打てるようになってやる」プロの打者ならそう思うはずだ。けれども私にはそんな感情は湧いてこなかった。「プロでやるのは無理だ」素直にそう思った。しかし同時に二年から三年後に地道に力をつけていって注目される選手になろう。今できることを着実にやっていこう。私はこのように「覚悟」を決めた。これが私の原点です。今できることは何か。シーズンオフにも練習しよう。みんなが休んでいるオフに懸命に練習してみんなに追いついてやろうと考えたのである。その当時私に欠けていたのはパワーだった。もっと強い打球を打つためにオフも徹底的にバットを振った。体を大きくするため筋力トレーニングのジムにも毎日通った。食事も改善して、体重も少しずつ増やし、かつ体脂肪を最小限に抑えることで、パワーをアップさせるとともにスピードを失わない身体に変わってきた。こうして3年目は90試合に出場し一軍に定着できるようになったという。こんな場合神経症の人はどう考えるだろう。自分はなんとダメな人間なんだろう。能力がない人間は生きていくことはできない。これは親が悪いのだ。等々。劣等感で注意がどんどん内向的になり、自己否定、自己嫌悪で苦しむようになる。こうなってしまうのは、自分の現状を認めて、受け入れることができないからであると思う。現状、事実を素直に認めてしまうのか、反発してしまうのかはその後の展開がまるっきり反対になってしまうのである。
2013.02.22
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元西武の森監督は、プロ野球の監督は、冷蔵庫にあるものをうまく利用して、組み合わせておいしい料理を作るようなものだといっておられました。こうゆう考え方を基盤にしてチーム作りをしている球団は少ないと思います。強いチーム、常勝軍団を作るためにはとにかく他チームよりも素質があり力のある選手をお金を使って集めることが優先されています。自分のチームが今持っている戦力よりも、もっとよいものが他にあればすぐにそれと取り換えるという考えです。使い捨ての考え方です。大リーグなどはまさにこの考え方です。でもチームのオーナーや監督が、いつもそういう考え方をしていると選手は大変です。いつも戦々恐々としてびくびくしています。いつ自分が首を切られるのかという不安が付きまとうからです。そこには選手を育てる、成長させるということはありません。今現在実力があるかないかだけを求められるのです。こういう考えを推し進めていって、果たしてみる人がプロ野球に愛着を持てるでしょうか。金に物を言わしていると反発する人がでてくるのではないでしょうか。球団は金がかかる。選手は選手寿命が短くなる。プロ野球ファンは釈然としない。一つもよいことがありません。森田理論ではこういう考え方はしません。基本的には現在あるものを徹底的に活かすということです。欠点はそのままにして、長所を活かしていくということです。森監督と一緒です。選手の特徴、その中でも人にはないなにかキラリと光るものを見つけて、それを鍛えてできるだけ伸ばしていこうとするのです。自分の持っているものはほとんど見向きもしないで、人が持っているよさそうなものにばかり目を向ける生き方は今の「自分を否定」して生きていくことにつながります。また他人をもそのように見るということであり、同時に今現在の「他人を否定」して生きることになります。否定するというのは、森田でいう「物の性を尽くす」ということからみると正反対のことです。将来につながるものは見えてきません。
2013.02.21
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平成7年2月号の発見誌の記事を紹介します。三重野悌次郎さんの書かれたものです。三重野さんは、物事を事実に即して観察し具体的に話すことが大切であるといわれている。我々は自分の見聞きしたことを、あるがままに見て、あるがままに話していると信じている。だが事実は決してそうではない。たとえば、私はいつも失敗するという人に、では最近の失敗がいつ、どのようなことであったか」と聞くとたいていすぐに思いだせない。事実は、何日か何か月か前に一度仕事上の失敗があった。その前にもいつか失敗をしている。ということであって、その後は仕事の失敗も家庭での失敗もない。でも本人は「私はいつも失敗する」と信じているのである。これは一例であるがこのようなことはよくある。一般に「いつも」とか「みんな」とか、「絶対に」とかいうときは、ちょっと立ち止まって「果たしてそうか」と自問する必要がある。ある人は「みんな」の名人であった。「みんなそう言っている」というのが口癖だった。そこで誰が言ったのかと聞くと、親戚の女の人が一人言っただけで、それに自分も賛成だと、みんながいっていることになるのである。このような具体的でない話は、本人の気持ちが入っているということだと思う。つまり「かくあるべし」が含まれているのである。抽象的な話は森田理論で学習する事実本位の生活からどんどん離れていく。具体的に話したからといって、事実のすべてを網羅することはできません。でもそうした心掛けで少しは事実に近づくことができます。
2013.02.20
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本多信一さんが2011年9月号の生活の発見誌に書かれた記事を紹介します。本多さんが小学生のころ、担任のY先生が「実はおれね、学校をやめることになった」といわれたそうです。その先生は、私に輪をかけた超内向型で、生徒の前で話していると、すぐに顔が赤くなってくるんです。赤面恐怖です。それに生徒にじっと見つめられるとうつむいてしまう視線恐怖症も持っていた。父兄会から「Y先生は、赤面恐怖でもあり、子供の視線に耐えられないのだったら、学校をやめてもらいたい。」という要望が出されたというんです。本多さんはその先生に言ったそうです。「先生は内気です。私と同じです。クラスにも何人かそういう子はいますか。」というと「5人はいる」と、その子たちの名前を上げて、君もそうだと思う。本多さんはその先生に言ったそうです。「私のような内気な子は内気な先生を頼りに生きています。もし先生が辞めたら、私たち内気な子は、結局生きていけないと悟ってしまいます。先生を辞めないで、内気な子、神経質な子、緊張型の子供の先生として生きたらいいじゃないですか。」そうしたら先生の顔にぱあっと赤みがさして「そうだ、そうゆう考え方もある」といわれたそうです。神経症を抱えながらも仕事を続けることは苦しいと思います。でもその姿に励まされ、生きる力を得る人もいるのです。
2013.02.15
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良寛さんの晩年、三条地方を襲った大地震があった。死者1600人、倒壊家屋1万3000軒、焼失家屋1200軒という記録が残っている。この時良寛さんが山田さんという友人にあてた手紙が残っている。「地震は誠に大変に候。野僧草庵は何事もなく、親類中死者もなく、めでたく存じ候。しかし、災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ」と書いてあったという。この手紙に「逢う」という言葉を使っているが、これは人に逢う、懐かしい人に逢うという場合に使う言葉である。普通自然災害などは損害を被るという意味の「遭う」という言葉を使うはずである。この言葉を普通にとると東日本大震災などで家族をなくし、家を流された人にとってはなにを不謹慎なことをいうのかと思われるでしょう。しかし、良寛さんにとっては自然災害などの事実には、恨んだり泣き言を言わないで素直に受け入れますよという意思表明なのです。これは森田のどんなに理不尽な出来事であっても、事実は事実、受け入れるしかありませんという事と一致します。良寛さんにはいろんなエピソードが残されていますが、今現在の事実に素直に服従するというものばかりなのです。森田理論学習をする者にとってはとても参考になります。
2013.02.02
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事実について玉野井幹雄さんの話です。昔武士が茶会に招待されたとき、茶室に入るのに刀を持っていては失礼になると思い、刀を持たずに入ったところ、師匠から「武士たるものが刀を肌身から放すとはなにごとか」といって叱られたそうです。そこで次に参加する時には、刀を持って入ったところ、同じ師匠から今度は「茶室に刀を持って入るとはなにごとか」といって叱られたというのです。もし普通の人は、このように以前と違う対応をとられると混乱をきたし、動揺すると思います。また首尾一貫しないその場、その場の対応に対して腹立たしく思うでしょう。その師匠の品格を疑うと思います。その武士は、何の言い訳もせずに、師匠のいうとおりにしたということです。この武士は過去の言動に関係づけないで、目の前の事実に従ったということです。森田の「事実唯真」から見ると、まさに素晴らしい対応であると思います。師匠の過去の言動は過去の事実であって、現在の事実ではありません。森田先生の事実に従えというのは今現在の事実に従えということです。過去の事実よりも現在の事実に焦点を当てているのです。こんな笑い話があります。一学期の終業式の時、ある高校の校長先生が、全校生徒の前で、「この夏休みは受験生にとってとても大事な時です。テレビなど見る暇はない。勉強に専念するように。」夏休みが終わって始業式の時、「君たちはあの横浜高校の松坂の熱闘を見たか。ピンチにも果敢に真っ向勝負を挑んでいたではないか。あの気迫に学んで受験戦争を乗り切ろう。」あまりのちぐはぐな言動に笑い声が起きたということです。これも先の例と同じで、今現在の事実に従うのが森田だと思います。我々は過去の経験をもとにして現在を価値判断しています。「かくあるべし」を作り上げ、自ら窮地に追い込んでしまっていることはありませんでしょうか。
2013.01.28
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森田理論では事実をよく観察する。事実を正しく認識する。事実を受け入れる。事実に服従ということを学びます。最も大事な学習の一つです。ここでもう一度事実を整理してみたいと思います。私は事実を4つに分けています。1、自然にわき起こってくる感情の事実です。森田理論学習では主としてこれを扱っていると思います。2、自分の素質、性格など自分の存在そのもの、自分の行動の結果としての出来事3、他人の素質、性格など他人の存在そのもの、他人の行動の結果としての出来事4、自然災害や世の中の出来事私は常に、今の事実は何番の事実のことかなと、分類するようにしています。1番については欲望があるので不安、恐怖などがでてくる。不安、恐怖は自分にとっては大事なものであるから排除してはいけないし、できない。「かくあるべし」があると、無限大に膨らむ性質がある。「かくあるべし」を小さくすることが大切だと思っています。2番については言い訳、弁解、隠し事をしないで素直に認めると、次へ進むことができる。これが一番楽な生き方になります。認めないといつまでも苦しむことになるのだと思っています。3番については、批判、指示、命令ではなく、私メッセージの発信を常に意識しています。4番については、事前に不測の事態を察知したときは、可能な限り対策を立てて実行するようにしています。それでも災難がふりかかってきたときは、それは受け入れてゆくしかないと思っています。
2013.01.24
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高良興生院に入院していた人で色弱の人がいた。長身で色白の好青年だったが、軽い色弱で悩んでいた。君の気になることはといわれると、彼は慌てて言葉を制し、「それを言わないでくれ、それを聞くと僕はダメになってしまう」と、この世の末を見たような情けない声を出し、「ああ、もう駄目だ」と言って畳の上にパタンと崩れ落ちたという。彼は軽い色弱を、全人格の欠陥のように考えて、人生に絶望しているのである。私も赤緑色弱で、色盲検査の数字が読めないで友達から不思議がられ、ショックを受けたことがある。だから彼の気持ちはよく分かる。どうして我々は部分的弱点を絶対視して大げさに考えるのだろう。私は次のように考えます。私たちは強い優越欲求を持っています。ここに原因があります。他人よりもすべての面で、少しで優れているという「快」の感情に浸っていたいという気持ちがあります。快の感情をずっと継続して、「安心」を得たいという気持ちです。実際は不可能なことですが、不可能を可能にできると思っているのです。するとわずかな自分の容姿の欠点、健康上の問題、家族の抱えた問題、自分の能力の見劣り、貧乏であるなどということがもし現実につきつけられると、とても我慢ができなくなるのです。不快感のためにとても居心地が悪いのです。そして精神交互作用で、失望や絶望の淵に立たされるのです。そうならないために、欠点や弱点、問題点をなんとか人から隠そうとするのです。隠せないと逃げるようになります。終いには欠点はあってもかまわないけど、人に見つけられ指摘されるのは我慢できないと思うようになります。人に見つけられて、非難されたり、指摘されたりすると、たちまち立ち直れないほど傷ついてしまうのです。それを一番恐れているのです。また自己防衛が強くバリアを張りますから、人は容易に近かづかなくなります。ますます人から遠ざかります。森田学習をすると、色弱であることはどうすることもできない。受け入れることしかできない。と考える事ができるようになります。ここが大事な出発点となります。そのように自分を認めることができれば、色弱では向かない仕事と、色弱でもできる仕事を分けて考えることができます。。理科の教師、分析化学のような仕事、航空管制や医師、電車の運転手、パイロットなど色の識別をするような仕事は無理かもしれません。でもそれ以外のことは大丈夫です。自分のできることの中から、運命を切り開いてゆくことができるようになります。そのことを境遇に柔順のなるというのです。
2013.01.23
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地震で津波が押し寄せてきた。放射能の被害がでそうだ。こうした時はなるべく早く逃げないといけません。そのためにはできるだけ正確な情報が必要になります。森田先生によると、関東大震災の時はその情報がなく、流言飛語によりみんな右往左往しました。事実に基づく対応ができていたら、震災以外の混乱はなかったと思われます。対人タイプの人は、人から非難された、自尊心を傷つけられた。だから今後その人には近づかないようにしよう。挨拶もしない。必要な付き合いもやめて、まったく離れてしまいがちです。これは予期不安により、嫌な場面から逃げていることになります。嫌な感じが起きてきたという事実。その事実を認められないのです。受け入れることができないのです。その時は一時的に楽になるでしょう。でも事実を無視したことの代償は大きい。その後悩み続け、自己嫌悪感も起きてきます。嫌な気持ちになった。その事実はいかんともしがたい。本来その事実は受け入れるしか方法はないのです。事実に服従するしか道はないのです。先の例は事実に基づいて早く逃げないと生命が危ない。次の例は安易に事実を無視して逃げると、楽になるのではなく、反対に苦しみを増すだけになってしまいます。森田理論学習の中でよく逃げてはいけないという話がでますが、私は逃げなくてはいけないときもあるし、安易に逃げてはいけないときもあると思います。大切なことは事実をよく観察して、その事実を私情を交えないでそのまま認めること、そして受け入れるということに尽きると思います。
2013.01.18
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最近読んだ本の中に、自分の娘さんが知的障害児で筋力が弱く、運動会の徒競争ではいつもビリという人の話がありました。今年は足をねん挫している子がいるのでビリではないだろうと思っていたそうです。その運動会。家の娘は捻挫をした友達を気にかけながら、心配そうに、振り返り振り返りして走り続けたそうです。するとその友達が転んでしまったそうです。すると娘は友達のところに駆け寄り、手を引いて一緒に走り始めた。そしてゴールまで来た時、その子の肩をポンと押してその子を先にゴールさせたというのです。普通この子の立場になるとなんで私だけこんなかたわで生まれてきたの。どうしても受け入れられない。親のせいだ。責任とってもらいたい。自己否定。自暴自棄。これが普通ではないでしょうか。でもこの子は違います。そんな自分を認め、受け入れています。そして、その自分を土台にして、そこから人のためになることを行動として実践しています。盲目の天才ピアニスト辻井伸行さんも一緒ですね。目が見えない自分を恨んだりしていません。家族を怨むこともありません。辻井さんは研ぎ澄まされた耳の感性を十分に活かすことばかりを考えられています。森田で言う「生の欲望」の発揮そのものですね。自分の理不尽な事実を素直に認め、そこから出発しようとすること。森田での最重要の学習テーマです。森田先生は言います。人から少々間抜けと思われようがそんなことはどうでもよい。それよりも人を気軽に便利に幸せにすることを実践する。この態度を養うこと。これは対人タイプにとって、「かくあるべし」を少なくしないととてもではないができないことです。
2013.01.15
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森田先生は子供の教育は具体的に指示しないといけないといわれる。先生は電車道を横切る時、子供に対して静かに歩き、決して走ってはいけないということを教える。そしてこれを実行し教える。そうすれば子供は、それ相当に恐怖本能というものがあるから、必ず電車の行きちがいやその周囲の危険に対して、全力を挙げて、心の緊張が働くようになる。これを気をつけよ、気をつけよと追い立てるから、子供はあわてふためき、心の全般の緊張を取り乱し、一つ電車を見つめて、車道を抜けようとして、横から来た自転車につき当たるのである。森田先生の子、正一郎君は、その癖がついており、おばあちゃんに対して電車道では急いではいけない。ゆっくり歩かなければと言っていたそうです。家の外孫は私を見つけるとところ構わず走り回るので、これを応用しています。道路にでたときには、「走らずゆっくり歩け」というのです。すると左右をよく見て横断するようになりました。
2013.01.14
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森田先生はよく事実を観察し、時には自分で実際に実験をしてみたりしました。事実を述べるだけで、だからこうしなければいけない。こうするべきだなどということは書かれていません。そこにはただ圧倒的な事実の集積があるだけです。熊本第五高等学校二年級のこと。ある日学校から帰って、新聞をみると、市内の某所で、時々幽霊がでるということが、こまごまと書かれてある。私は早速幽霊探検を思い立った。友人など同行すれば、幽霊も出にくいだろうと思い、一人で出かけることにした。日暮れ前に明るいときに下見をした。そして理髪屋に行き理髪屋のおかみさんに噂話を聞き出した。理髪のおかみさんは、その家の病身の嫁が、姑に虐待された事、嫁は終に死に、家には不運がつづき、家は売ることになったことなど、よく話してくれた。最後に「それは幽霊も出る筈ですよ。出なくちゃなりませんよ」と結んだ。夜になった。空は半月の宵月夜で、薄明かりに、足元も危ぶみながら、その屋敷を一巡し、さらに井戸をのぞきこみ、便所を開き、物置の内を伸びあがり見たりした。その間どうか幽霊がでてくれればよいがと思ったり、一方には、自分の心からのまぼろしを起こさないようにと、丹田に力を入れ、身を整えゆっくりと歩いた。念のため、しばらくたたずんで待ったけれども、幸いにして幽霊は出てこなかった。私は安心して、胸をなでおろした。帰り道はさみしい暗い小道である。後ろから幽霊が冷たい手を首筋に当てられるようなことがあっても、決して驚いたりしないように、耳も目も、全身の注意は、後ろの方に張りきっていながら、幽霊に我が卑怯の心をみすかされないようにと、決して後ろを振り向かずに、しづしづと歩みを運んだ。町明かりがほのかにみえると、力が抜けて、勢いすさまじく、町の中に駆け込んだのである。
2013.01.14
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お寺の住職さんの話です。ある日サラリーマンの方が、会社の仕事で出向先にバスで向かっていたそうです。そのバスはぎゅうぎゅう詰めだったそうです。中の空気はすごい熱気で最悪の状態で、しかもバスの奥の方で赤ちゃんがギャアギャア泣いていたそうです。彼はなんでこんなバスに乗り合わせたのだろうと、自分の運の悪さを嘆いたそうです。すると赤ちゃんの泣き声がだんだんと大きくなりました。不快感も限界だと思っていたら、赤ちゃんを抱いたお母さんが人の中を近づいていることに気がつきました。お母さんはバスを降りようとしていたのです。彼は内心やれやれよかったと思いました。ここまでは、誰でも不快な気持ちの一つがなくなるのでうれしく思うでしょう。でも事態は予想外の方向に展開してきました。バス停でお母さんがバス停でバスを降りようとした時、運転手さんがお母さんに聞かれたそうです。「どこまで行きたいんですか。」するとお母さんは、「大学病院まで行きたいんですが、この子が泣いてみんなに迷惑をかけるので、ここで降りて歩こうと思います。」と答えました。さらに運転手さんは「赤ちゃん病気なんですか。」と聞くと「熱があってしんどいようなんです。風邪をひいたのだと思います。」とお母さんは答えます。すると運転手さんはマイクを持ってみんなに言いました。「ここに風邪をひいて熱のある赤ちゃんとお母さんがいます。みんなに迷惑になるのでここで降りて歩こうとしています。大学病院まで停留所はあと3つです。みなさん我慢していただけませんか。」一瞬乗客はシーンとなったそうです。その後何人かの人が拍手をしました。そしてその拍手はバス全体に響く大拍手になりました。お母さんは赤ちゃんを抱いたまま泣き始めました。彼も目頭が熱くなったそうです。そして「自分は素晴らしいバスに乗れてよかった」と思ったそうです。その赤ちゃんが泣いても、人の熱気でムッとしても、むしろそれらが有り難く感じられたそうです。私はこの話を聞いて、赤ちゃんの泣いている状況を運転手さんがみんなに話し、みんなが状況が分かり、その事実を共有化できたのでこんな素晴らしい体験につながったのだと思います。この事実を掴めなかったら、不快感がなくなって一件落着ということになっていたでしょう。私たちは事実をよくみない、分かろうとしない、先入観で事実を歪曲してしまいがちです。森田でいう十分に事実をつかもうとする態度は、このような素晴らしい体験ができるのだということを分かっていただきたいと思います。
2013.01.14
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あなたは事実をよく見ていると思いますか。そのように心がけても100パーセント完全に事実を把握することはできません。でも、そのように心がけることと、事実を見ないですぐに対応策を講じることは大変危険なことです。1985年(昭和60年)8月群馬県上野村の山中に日航ジャンボ機が墜落し、500名以上の尊い命が失われました。この事故の原因は、圧力隔壁の破壊によるものであり、それは同機がその7年前に着陸の際に起こした事故によって破壊された圧力隔壁の修理ミスに起因している。と結論づけられました。修理後の7年間に、圧力隔壁に近い胴体部分に異常を察知できる現象がなかったのかどうか、詳細に調べ上げたそうです。すると、事故機には、飛行中、化粧室のドアの開閉がしにくくなるトラブルが多発していたことが分かりました。昭和60年2月から墜落するまでのわずか半年余りの間に、計33件もの報告がされていた。このうち28件は圧力隔壁の近くの客室最後尾にある化粧室に集中していたそうです。日航も、事故前に、この化粧室のドアのトラブルについては調査していた。トラブルの原因は、客室後部の化粧室近くにあるコート収納庫に機内誌などの物資を大量に積み込んだ結果だと、自分たちの都合のよいように判断し、とりあえずコート収納庫の棚下に物品を積み込むことを禁止する措置をとったということです。もうそれ以上に問題点を洗い出すことはしませんでした。そしてあの大惨事が起きてしまったのです。もっともっと事実をよく見ていく必要があったのではないでしょうか。原因を早急に決めつけないで、もっとトラブルの原因を追及していたとしたら、仮に原因がつかめなくても、別の仮説を見出すことができたかもしれません。事実を見つめることを、早々と見切りをつけたことが問題だったのではないでしょうか。我々の日常生活ではこんな大きな問題は起こらないかもしれません。でも事実をよく観察しないで、分かったつもりになり、「かくあるべし」という物差しで対策を立ててしまうことはとても危険なことです。神経症の発症の防止ということからみると、事実をじっと見つめる。事実をもっと分かろうとする態度がとても大切であろうと思います。
2013.01.10
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私メッセージ、あなたメッセージというのがあります。かくあるべしをできるだけ小さくするのに大変有効です。例をあげてみましょう学校で生徒が脚立に上って展示物を下げているとき、足を踏み外して転落しそうになった時先生の対応あなたメッセージ 先生が生徒に向かって、すぐに降りろ。不注意にもほどがあると叱った。 私メッセージ 先生は、君が転落するかと思って恐ろしかったよ。学校の遠足である生徒が、集団からはぐれた。帰ってきた生徒に先生があなたメッセージ みんなから離れてダメとあれほど言ってたのにどうして決まりを守らないの。 私メッセージ 先生はあなたがいなくなったので、なにかあったのかととても心配したのよ。2歳の我が子が公園でよその子をなぐった。 あなたメッセージ どうしてそんな事をするの。悪い子ね。今度は絶対そんなことをしてはだめよ。私メッセージ お母さんは、なぐられた子はきっと痛かったと思うよ。夫が会社の飲み会で12時過ぎに酩酊状態で帰宅した。 あなたメッセージ 何様のつもりなの。こんなに酔っぱらって。近所の人に見られたらどうするのよ。私メッセージ 私はあなたが遅いから、何かあったのかととても心配してたのよ。子供に早く風呂に入るように言っているのにテレビを見てて風呂に入らない。 あなたメッセージ あなたはどうして言われたことをすぐにしてくれないのよ。 私メッセージ お母さんすぐに風呂に入ってくれると助かるんだけどね。同じ出来事に対して対応はまったく違います。あなたメッセージ」では、自分の考え(かくあるべし)を相手に押しつけています。非難、説教、命令、指示、禁止、叱責、怒りの言葉がでてきます。「私メッセージ」は、私が最初に感じた感情や事実をそのまま相手に伝えます。「かくあるべし」はありません。事実本位の対応です。私はこう感じました。私にはこう見えました。私はこうしてくれたら大変うれしいです。森田でいう「純な心」です。最初に感じた感情は、恐怖、不安、心配、腹が立つ、悲しさ、うれしさ、嫉妬した、はっとした、びっくりした、イライラした、心細くなったなどです。私の発言によって、相手がどう感じ、どう行動するかは相手に任せることです。私メッセージをご自分の生活の中に取り入れてみてください。他人に対して、○○してはいけない、○○しなさい、○○しなければならないなどの発言が少なくなってきます。今の言い方は「かくあるべし」ではなかったかなと、内省する態度を身につけましょう。
2013.01.10
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岩田真理さんは朝寝坊についてこんな話をしてくれました。私はとにかく朝起きるのが苦手。それをなんとか朝起きに変えようとされました。ところが早く起きても眠くてたまりません。頭も重い。午前中はずっと不機嫌なままです。午後になるとまた眠くてたまらない。できないと自分は意志が弱い。と自己嫌悪に陥りました。そしてある時思ったのです。私は結局「宵っ張りの朝寝坊」なのだ。毎朝苦痛を押して早起きできるほどの意志の力は持ち合わせていないのだ、ということです。そうして自分のことを認めてしまうと、今度は方法を考えるしかなくなります。朝起きしたいなら、そうした状況に自分を置けばよい。朝の時間に用事を持ってくればよい。それも自分ひとりのことではなく、習い事とか、約束とか、予約とか、起きなくては相手に迷惑がかかることを持ってくれば、いやでも早起きすることに気がつきました。このようにふがいないと思っていた自分を、あるがままに認めてゆくと次に進むことができました。私の場合の例です。仕事でミスをした時のことです。ミスは会社に損害を与えます。上司、担当の営業マン、得意先からきっとすごく叱られます。あからさまに嫌味を言われます。どうしようといういらだちが起こります。イヤだ、イヤだという感情が湧きおこります。予期不安です。以前はなんとかしてミスをひねりつぶすことを考えました。伝票操作をしようか、あるいは他の人に責任転嫁しようか、ミスをした商品を買い戻そうかなどなど。事実をしっかりと認識するとはどうゆうことでしよう。まずミスの状況を正しく内容把握することです。そして、そのイヤな感情が沸き起こったということを、しっかりと認めてしまうのです。すぐにごまかそうとするのではなく、そのミスを受け入れて、早く上司に報告することです。まな板の上の鯉のような気持ちで報告するのです。このように、自分の非を認めてしまえば、叱られるその時は苦しいですが、すぐにその苦しみは消えてゆきます。そしてすぐに事後処理に専念できるようになります。それを認めず、問題を隠したり、解決を先送りしたりすると、その後しばらく続く苦悩で心身とも疲れて果ててしまいます。
2013.01.09
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わがままな上司、理不尽なことを言う上司、金銭や女性問題を起こす上司。部下を奴隷のように扱う上司。多かれ少なかれどこの会社にも、こんな上司がいます。こんな上司とどう向き合っておられますか。普通ですと、そんな上司はとても許すことはできないでしょう。少し反発してみても、そんな上司に限って以前にまして威嚇してきます。どこか他所に転勤してくれればよいのに。事故で死んでくれればよいのになどと思ってしまいますよね。ある方の体験を聞きましたら、その方もずっとそう思いながら、憂鬱な会社生活を続けておられました。時には風邪で寝込んでいるのに無理やり出勤を命ぜられたりしたそうです。その上司は、自分が責任を持って処理するべき案件を忘れていて、突然部下に、どうなっているんだと叱り飛ばす人だったようです。その人にとってはとても腹立たしいことです。そんなある日、その方はふと森田の考えが頭に浮かんできたそうです。「事実を受け入れる」ということです。そういう理不尽とも思える上司がいるのは、事実なのだ。自分は今まで事実を受け入れることができず、事実に反抗しようとしていたのではないか。ひどい対応をする上司がいるというのはとても受け入れがたい事実だが、森田先生の言うように一旦事実を受け入れてみよう。そんな上司がいるという事実を、腹をくくって覚悟して認めることにしたそうです。そうすると、上司の机の上に未決済の案件がいくつもおかれていることに気がつきました。そのままにしておくと、期限ぎりぎりになって、すぐに処理しろと無理なことを言ってくるのが目に見えています。それを上司にいわれる前に、前もって処理することにしたそうです。また、本社の人に連絡して、上司になにか依頼する時は担当である自分にも知らせてもらうように手を打たれたのだそうです。とにかく意識して事実を正確に認識しようとすると、このような変化が生まれてくるのです。
2013.01.09
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ふと湧きあがった不安、恐怖、不快な感情、劣等感を感じる自分、ふがいないと思える自分自身、物足りないと思える他人、けしからんと思ってしまう他人、地震など理不尽な出来事などに対して私たちは、受け入れることができていません。「かくあるべし」でそれらの是非善悪を厳しく価値判断しています。そして、「かくあるべし」に合わせようとしています。森田理論では、神経症の悩みや苦しみはここから発生すると考えています。動物や幼児は、「かくあるべし」がありませんので、神経症に陥ることはありません。ですから神経症を治すためには、かくあるべしを小さくして、現状、現実、事実を正しくみて、事実を受け入れてゆけばよいのです。これは口でいうのは簡単ですが、大変難しいことです。私たちは生まれてこの方、かくあるべし的教育を受け続けてきました。そうした思考回路が骨の髄までしみ込んでいるのです。たとえば、2歳から3歳ぐらいの子供は食卓に置かれた、飲物をよくひっくり返します。その時お母さんはなんというでしょう。「またこぼして。いつも気をつけなさいと注意してるでしょ。」普通はこんな対応ではないでしょうか。そこにはコップに入った飲み物は絶対こぼしてはいけない。いつも注意して掴まないといけない。しつけをもっとしなければいけない。といった気持ちがあるのでしょう。これは一種の「かくあるべし」教育です。子供は、なにかにつけてこうした教育受け続けてきているのです。これでは「かくあるべし」思考の養成をしているようなものです。これをもし「あら、コップがひっくり返っちゃった。床がびちょびちょだよ。どうしよう」と言うとどうでしょうか。子供を叱っているわけではない。非難しているわけでもない。起こった現象をみて具体的に表現しているだけです。それを聞いて、子供がなにを感じるか、それは子供任せです。そうゆう教育を子供の時から受けていると、我々のような頑なな「かくあるべし」人間はできないのではないでしょうか。我々はすでに「かくあるべし」人間になっています。森田理論学習ではまずそれをはっきりと認識すること。そして「かくあるべし」から、事実本位、物事本位への転換を心がけていくこと。そのための理論学習はしっかりと用意されていますので、十分に学習してください。この大きな壁を乗り越えれば、目の前の人生は、いままでとは全く違った景色が広がってくることでしょう。
2013.01.09
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「かくあるべし」を小さくして、事実本位、物事本位の生活態度になると、神経症の悩みは少なくなります。ただこれは目の前に高い壁が立ちはだかっています。1人で体得するのは難しいと思います。そうゆう時は、体得した人と理論学習をすることが一番です。イソップ物語に「ブドウと狐」の話があるそうです。この狐がブドウをとって食べようとしたが、何回挑戦しても手が届かない。この狐は負け惜しみで、あのブドウはきっと酸っぱくて食べられるようなものではないと自分の気持ちを欺こうとした。さらに、もともと自分はブドウなんか欲しくなかったのだと、欲しいという事実をごまかそうとした。またそのブドウをとる力のない自分に対して、劣等感を抱いたり、そのような自分を生み育てた親を恨んだりした。ブドウを欲しくない人間になろうとか、ブドウをすぐ手に入れられる超能力を得たいと考えました。これは迷いです。迷いのもとは、事実をあるがままにみないことです。「自分はブドウが欲しい」という事実と、「自分の力ではブドウをとることができない」という事実をあるがままに認めることができないのです。苦しい困難な状況に直面したとき、野生の動物でしたら、四方八方力を尽くして及ばなければ、そのまま事実に服従します。ところが人間は、事実をあるがままに認めようとせず、観念で事実を偽ったり、自分を欺こうとします。森田の学習で最も大事なことは、世の中の事実を如実にありのままに認めるということです。
2013.01.07
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