だまされた在日朝鮮人と日本人妻の悲劇を忘れるな! 「地上の楽園」は、「地上の地獄」だった!! 2024-10-3 はんぺん
「洗脳」 とは、恐ろしいモノ・・・というしかない。(社会主義)に洗脳された 日本共産党員の小島さん ・・・(見たこと)を封印して、(北朝鮮のウソ)で、日本人や在日朝鮮人をオルグ(勧誘)し続けたのだ・・・
言いたいことが、素直に言えない組織って、何だ??? 朝鮮総連 が、民主的組織? 日本共産党 は、民主的組織?
当時は、(社会主義全盛)の時代。社会主義そのものを否定する言論などは、無視されたり、排除されたり・・・・組織の中に(民主主義)は無く、(共産党)(共産主義)は、美化され続けた・・・・
皆さんは、どう思われるか? はんぺん
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知っていたのに「何も心配ない」 “ 地上の楽園 ” 北朝鮮へ人々を見送った男の懺悔 2013-11-10 週刊朝日
1959 年 12 月 14 日から 84 年まで続いた北朝鮮帰国事業。 在日朝鮮人と日本人妻ら 9 万 3340 人 が新潟港から北朝鮮に渡った。北朝鮮が 「地上の楽園」 だという話を信じて渡った在日朝鮮人たちだったが、現実は大きく違っていた。
当時、共産党で帰国事業に関わっていた小島晴則さん( 82 )は、 朝鮮総連でも一部の最高幹部しか北朝鮮の実情を知らなかった と話す。
当時の話を ジャーナリストの前川惠司氏 が聞いた。
* * *
北朝鮮の実像の片鱗に触れたのは、 64 年 7 月だった。日朝友好青年使節団 5 人の一人として訪朝したのだ。小島さんの資料では、すでに 8 万 1539 人を 「北の楽園」 へ見送っていた。 平壌の夜は真っ暗だった。街角で見かける女性の肌が汚れていた。車のタイヤはすり減り、ひびがはいっていた。全く予想外だった。
東海岸の都市、元山(ウォンサン)で、向こうから歩いてくる 30 人ほどの男たちの一団が日本語でしゃべっていた。帰国者だと直感した。近づいた途端、案内人が、「小島さん、しゃべらないでください」と止めた。しかし持ち前の気性で構わず小島さんは、「あんたたち、帰国者か」と声をかけた。
「そうだ」と返事が返ってきた。案内人がまた、「しゃべらないでください」と叫んだ。すると、男たちは沈黙し、もう口を開こうとしなかった。 3 週間の旅だったが、 5 日目には嫌になっていた。
北朝鮮社会のすばらしさを謳(うた)い、 多くの在日朝鮮人に「日本人が書いた本だから」と地上の楽園を信じさせた 『 38 度線の北』 の著者、歴史学者の寺尾五郎氏( 99 年没) に帰国後会うや、「聞くと見るとは大違いでした」と率直に吐露した。「そうなんだよ」と、平然とうなずく寺尾氏に、この人は自分をごまかしていると直感した、と小島さんは言う。
しかし、小島さんも同じだった。 朝鮮総連の幹部から、「私がまだ見ていない祖国はどうでした」と尋ねられ、「お国はすばらしかった」と答えた 。本当かなという表情を浮かべる幹部もいた。すでに帰国者は激減し、月に 1 度、船が出航するかどうかになっていた。
小島さんは 新潟県内 80 カ所で、訪朝報告会 を開いた。 ここでも平然と、「帰国者はなんの心配もなく幸福に暮らしている」としゃべったという。 「まだ、社会主義への幻想があったから」と釈明するが、それだけではなかったろう。 帰国事業は「仕事」だった。やめたら飯の食い上げだ 。訪朝後、帰国しようか迷っている人に、 「何も心配ない」と背中を押すこともあった。
「希望を持って帰る人たちに、帰るなとは言えなかった。頑張ってください、と言うしかなかった」と語った。
※週刊朝日 2013 年 11 月 15 日号
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