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「はらはらする不安な時ばかり」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。子供は返事もしないので、きっとあの人が酷いことを言ったのだろう。侍女たちに聞かれるのも嫌だし、みっともないから、尋ねるのはやめた。子供をなだめるが、あの人は六日ばかり過ぎても、なんの連絡もない。今までになく長い間来ないので、意地でも来ないようでどうかしてる。わたしは冗談だとばかり思っていたのに、でも私達は頼りない仲だから、このまま終わってしまうかもしれないと思うと、心細く不安になった。物思いに沈んで、あの人が出て行った日に使った泔坏の水が目に入った。泔坏(ゆするつき)の水とは、髪をすくために用いた水を入れる器のこと。その水面に塵(ちり)が浮いているのを見て、こんなになるまでとあきれて、 絶えぬるか 影だにあらば 問ふべきを かたみの水は 水草ゐにけり二人の仲は終わってしまったのだろうか、影でも映っていたら、尋ねる事も、できるのに、形見の水には、水草が映えて影を見ることもできない。などと思っていたちょうどその日に、あの人は見えた。例によって打ち解けないままになった。このように、はらはらする不安な時ばかりで、少しも心の休まる時がないのが辛くてならない。
2018.10.31
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「怒って出て行く事になった」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。人から見れば仲の良い夫婦として、私たちの結婚生活は12年が過ぎた。だが、本当のところは、明けても暮れても、世間普通の夫婦ではない。そんな事を嘆きつつ、尽きない物思いをしながら暮らしているのだった。私の境遇と言えば、夜になっても、あの人が訪れて来ない時が多い。人が少なく心細く、頼りにしている父は、10年あまり、受領として、地方まわりばかりで、時々京にいる時も、四条、五条あたりに住んでいた。私の家は左近の馬場の片側に隣接していたので、父の家からはとても遠い。心細く暮らしている家も、修理や世話してくれる人もいないから、ひどく荒れていくばかりである。この家にあの人が出入りしていても、私が心細い思いをしているなどとは、深く考えたりしないからだろうなどと、さまざまに思い乱れる。 公務で忙しいと言うなんて、まるでこの荒れた家の蓬(よもぎ)よりも、仕事がたくさんあるみたいと物思いに沈んでいるうちに八月頃になった。 穏やかに暮らしていたある日、ちょっとしたことで言い合ったすえに、私もあの人も酷い事を言ってしまい、あの人が怒って出て行く事になった。あの人が縁側の外側の端の方に出て子どもを呼んで、もう来ないと出て行く。子どもが入って来て大声をあげて泣くので一体どうしたのと子供に尋ねた。
2018.10.30
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「はじめから見せるつもりだった」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あなたの薄情さが「今日」こそはっきり見てとれましたと返してきた。何年もずっと憎いと思ってきたはずなのに、どうして「今日」と限って、言ってしまったのでしょうと言う侍女もいる。あの人は自分の言ったことをひどくおもしろがっている。 今年は五月五日の端午(たんご)の節会(せちえ)が催されることにと、世間では大騒ぎである。なんとかして見たいと思うが、見物の席がない。 見たいと思うならと以前あの人が言ったのを聞いていたので、 双六を打とうと言った時、見物席を賭けにして勝負したことがある。わたしがよい目を出して勝ったので喜んで見物の準備をしていた。夜中の、人が寝静まった頃、硯を引き寄せて、すさび(勢いに任せ)書いた。あやめ草 おひにし数を かぞへつつ 引くや五月の せちに待たるる 沼に生えた菖蒲の数をかぞえながら、その根を引く、節会がひたすら待たれますと書いてさし出すと、あの人は笑って、 隠れ沼に おふる数をば 誰か知る あやめ知らずも 待たるなるかな 人目につかない沼に生えている菖蒲の数は誰にもわからないように、見物の席もどうなるかわからないのに、無性に待ち遠しいのだねと言う。はじめから見せるつもりだったので、宮さまの見物席と一続きで、二間あった席を仕切って、立派に整えて、見物させてくれた。
2018.10.29
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「今日こそはっきり見てとれました」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人は、まだとても苦しそうにしていたので、今もとても心配で。われもさぞ のどけきとこの うらならで かへる波路は あやしかりけり わたしも心のどかに床の中で過ごすこともできないで、帰る道すがら 不思議なほどせつなくなってしまった。 そして、あの人は、まだ苦しそうだったが、我慢して二、三日経って見えた。こうして徐々に健康を取り戻すと、いつものように間をおいて通って来る。その頃は、四月で、賀茂の祭りを見物に出かけると、あの人も来ていた。 あの人のようだと思い、向かい側に車をとめた。行列を待っている間、手持ち無沙汰だったこともあり、橘(たちばな)の実があったので、葵を添えて詠んだ。 あふひとか 聞けどもよそに たちばなの(五七五) 今日は葵祭で 人と逢う日と聞いていますのに、あなたは知らない顔でお立ちになっていてと言い、やや時が経ってから、 きみがつらさを 今日こそは見れ(七七) あなたの薄情さが今日こそはっきり見てとれましたと返してきた。 短連歌〔たんれんが〕という文芸があり、二人で五七五と七七、あるいは、七七と五七五を詠んでやり取りをする面白い文芸がある。格調の高い、雅な世界を追求するのではなく、発想のおもしろさや、突っ込みの鋭さ、頭の回転のはやさを楽しんだ文芸でもある。
2018.10.28
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「何度も何度も振り返ってしまう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。庭に植えてある花の周りの草が日の出の陽の光に照らされ目立った。早く帰宅しようと帰りを急いでいると粥など食べてからと言われた。帰る頃に、あの人が私も一緒に行こう。またここへ来るのは嫌でしょう。などと言うので、こうして伺っただけでも、人がどう言うのか心配。あなたをお迎えに来たと思われたら、とても嫌ですと言うと、あの人は、それではしかたがない。車を寄せるようにと男たちに言った。 牛車を寄せると、あの人は乗る所までなんとか歩きながら出てきた。しみじみと愛しく見ながら、お出かけは、いつになるでしょうかと思った。涙を浮かべていると、あの人は、心配なので、明後日には伺うと言う。あの人は、ひどく物足りない、寂しそうな様子である。 車を少し外に引き出して、牛を車につけている時に、簾越しに見ると、あの人は元の所に戻り、こちらを見て、寂しそうにしている。そんな様子を見ながら車が出ると、わたしは思わず、何度も何度も、振り返ってしまう。そして、昼ごろ、あの人から手紙が届いた。 かぎりかと 思ひつつ来し ほどよりも なかなかなるは 詫しかりけりもうあなたに逢うのも最後かと思ってここへ戻ってきたが、あの時より、今日の別れのほうがかえって辛く感じたとある。
2018.10.27
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「しとみ戸-風雨や寒さを防ぐもの」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。(通過した電車を目で追っている)灯していた提灯を消させて車から降りると、辺りは真っ暗で、入り口もわからないでいると、どうしたの、ここだよと言って手をとる。 ここへ来るのに、どうしてこんなに時間かかったのと言って、最近の様子をぽつりぽつりと話しだしたが、しばらくしてより、こう言う。 灯りをつけて。真っ暗だ。あなたはなにも心配することはないと言って、屏風の後ろに、ほのかに灯りをともした。まだ精進落としの魚なども食べないで、今夜あなたがいらっしゃったら、一緒にと思って用意してある。さあ、ここへなどと言って、お膳を運ばせた。少し食べたりしていると、以前から祈祷の僧たちが控えていて、夜が更けてから、加持祈祷の護身の修法にと部屋に入って来たので、 もうお休みください。いつもより少し楽になりましたと言うと、僧たちは、 そのようにお見受けしますと言って、出て行った。 (列車が去った方向から見ると残念そうな表情)夜が明けたので、侍女をお呼びくださいと言うと、まだ暗だろうから、もうしばらくここでと言ってるうちに東の空が明るくなってきた。召使いたちを呼んで、寒さを防ぐ、しとみ戸を上げさせて外を眺めた。 庭に植えてある草花が、はっきり見える程明るくなり帰りを急いだ。
2018.10.26
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「あの人の病状が心配でならない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。何故そんなに泣くのかと言った兄も乗って、抱きかかえて行ってしまった。心配でならない私の気持ちは言いようがない。一日に何度も手紙を送る。 わたしのことを憎いと思う人がいるだろうと思うけれど、仕方がない。返事は、侍女に代筆させて自分で返事ができないのが辛いと書いてある。 あの時よりもっと容態が悪くなっていると聞くと、あの人が言ったように、私自身が看病する事もできなくどうすればと嘆いている内に十日以上経った。読経や加持祈祷などして、いくらかよくなったようで、思っていたとおり、あの人自身からの返事があり本当にどうしてなのか、病気がよくならない。すでに何日も過ぎたが、こんなに苦しんだことは今までなかったせいか、あなたのことが心配でなどと、人のいない隙をみて、こまごまと書いてある。 気分がよくなってきたから、公然というわけにはいかないが、夜に来なさい。会わないで何日も経ったからなどと書かれてあったが人はどう思うだろう。わたしの方もまた、あの人の病状が心配でならないし、折り返し、同じことばかり言ってくるので急ぎ、牛車を寄こして下さいと伝えた。牛車に乗り行ってみると、寝殿から離れた渡り廊下のほうに、とてもきれいな部屋を用意して、あの人は端近の所で横になって待っていた。
2018.10.25
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「病状はますます悪くなってきた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人は、何より辛いのは、思いがけない時に、こんな別れをする事だ。わたしが死んだらどうなさるのだろう、きっと独り身ではないね。そうなったとしても、わたしの喪中には再婚しないでほしい。たとえ死ななくても、会うのはこれっきりだと思う。生きていても、この体ではここへ来られない。私がしっかりしてさえいれば、どんなことをしても邸に来ていただきたいと思うけれど、このまま、死んでしまったら、これがお会いできる最後になるだろう。そんなことを、横になったまま、しみじみと話して泣いている。侍女を呼び寄せて、私がこの人をどんなに大切に思っているかわかるだろう。こうして死んだら、二度と会うことができないと思うと、たまらなく辛い。などと言うと、皆泣いてしまう。わたしはなおさらなにも言えず、ただ泣くばかりで、こうしているうちに、病状はますます悪くなってきた。牛車を寄せて乗ろうとして、抱き起こされ、人に寄りかかってやっと乗る。こちらを振り返り、わたしをじっと見て、ひどく辛そうである。わたしのせつなさは言うまでもないが、兄が、何故そんなに泣くのです。縁起でもない。たいしたことはないでしょう。早くお乗りくださいと言う。
2018.10.24
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「泣かれるとよけいに苦しくなる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。ひきとむる ものとはなしに 逢坂の 関のくちめの 音にぞそほつる 逢坂の関が人を引き止められないように、わたしも姪を引き止められなくてただ琴を弾いて涙に濡れています。この叔母も、わたしと同じように姉のことを心配する人なのだと思った。 思ひやる 逢坂山の 関の音は 聞くにも袖ぞ くちめつきぬる 今頃は逢坂の関を越えているだろうと思いながら、弾かれる琴を聞いていると、涙で袖が朽ちてしまいそうです。などと姉のことを思っているうちに、年も改まり初春を迎えた。三月頃、あの人はわたしの所に来ていた時に苦しみだした。どうしようもなく苦しんで、もがいているのを見て大変な事になったと思う。言う事といえば、ここにずっといたいけれど、何をするにしても、なにかと不都合だから、邸に帰ろうと思うが、薄情だと思わないでくれ。急に余命いくばくもないような気がして、とても辛い。わたしが死んでも、思い出してもらえるようなことを何一つしてないのが、ほんとうに悲しい。などと言って泣くのを見ると、わたしも意識が朦朧として、またひどく、泣いてしまうので、泣かないで。泣かれるとよけいに苦しくなると言う。
2018.10.23
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「夜空を見上げると月がとても美しい」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。いよいよ姉が夫の赴任先へ出発という日、姉の家に行って会う。裝束を一組ばかりと身の回りの品などを硯箱一揃いに入れて行った。姉の家はひどく取り込んでいて騒がしかったが、わたしも旅立つ姉も、目も合わせないで、ただ向い合ったまま涙にくれていた。まわりの者が一同に、どうしてそんなに泣かれるのですかと聞いてくる。 そして、我慢してください。旅立ちに涙は不吉ですなどと言う。 今からこんな事では、牛車に乗るのを見届けるのも、どんなに辛いだろうと、思っていると、姉から早く入ってと言ってきたので、車を寄せて乗った。その時、旅立つ姉は二藍の小袿(こうちぎ)を着ていて、後に残るわたしは、薄物の赤朽葉色(あかくちばいろ)の小袿を着ていたが、お互いに脱いで、交換して別れたが、それは九月十日過ぎのことである。家に戻ってからも、あの人が、どうしてそんなに泣く。縁起でもないと、非難するほど、ひどく泣けてならなかったが、今日には関山辺りかと思う。夜空を見上げると月がとても美しいので、眺めながら物思いにふけっていた。叔母もまだ起きていて、琴を弾く手を止め、涙に濡れてますと言ってきた。
2018.10.22
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「心細いなどという言葉では表しきれない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。命日がすんで、例のごとくすることもなく、弾くというほどではないが、琴の塵をはらってかき鳴らしたりなどしながら思いを巡らせていた。 もう喪はあけたというのに、何故こんなに寂しくはかないとはと思う。いまはとて 弾きいづる琴の 音をきけば うちかえしても なほぞ悲しき 今はもう喪があけたと弾きはじめた琴の音を聞くと、昔のことが、思い出されて、いっそう悲しくなりますとあり、特別なことが、書いてあるわけではないが、母のことを思うと、なおさら泣けてくる。 なき人は おとづれもせで 琴の緒を 絶ちし月日ぞ かへりきにける 亡くなった母はもう帰って来ないで、わたしが琴の緒を絶った日の、母の命日が再びめぐってきた。こうしている間に、大勢の兄弟姉妹の中でも頼りにしている姉が、母の喪があけてから遠い夫の赴任国に行かなければならなかった。 夏までにはと延ばしていたので、近々出発することになった。姉との別れを思うと、心細いなどという言葉では表しきれない。
2018.10.21
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「喪服を着た時よりも悲しみがつのる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。母が亡くなってより、心細いながら秋冬も過ごした。同じ屋根の下には、兄が一人と叔母にあたる人が一緒に住んでいる。叔母を親のように思っているが、やはり母の生きていた昔を恋しく思う。泣きながら日々を過ごし、年が改まり、瞬く間に春夏も過ぎてしまった。一周忌の法事をすることになって、母が息をひきとったあの山寺で行う。あの時の事などを思い出すと、ますます胸がしめつけられ悲しくてならない。導師が、お集まりの皆さまは、ただ単に秋の山を見に来られたのではなく、故人が亡くなった所で、経義を悟るためにお越しになったのですという。導師の言葉を聞いてるだけで、意識が朦朧としてくるだけで、その後のことなどは上の空で何もわからなくなっていた。決まりの法事が終わって帰って来て喪服を脱いだが、鈍色の物は、喪服から扇にいたるまでお祓いなどをする時に和歌を詠む。 藤衣 流す涙の 川水は きしにもまさる ものにぞありける 喪服を川に流してお祓いすると、それを着た時よりも悲しみがつのる。流れる涙によって川水は岸にあふれる思うとさらに涙があふれる。
2018.10.20
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「空の煙となって旅立たれるとは」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。僧侶が母へ掛けて頂いた袈裟は葬儀の折に他の所へ置いていたのだろう。母が亡くなってより、ほかの物に紛れ込んでいたのを今偶然に見つけた。 この袈裟をお返ししなければと思い、まだ暗いうちから起きた。 筆を取り、この袈裟をなどと書き始めた途端に涙がこぼれ落ちてきた。 はちすばの 玉となるらむ むすぶにも 袖ぬれまさる けさの露かな母は今頃極楽の蓮の葉の玉となっていることでしょう。今朝、袈裟の紐を、結びながら悲しみをそそられ、私の袖は一層涙の露に濡れていますと書いた。この袈裟を掛けて下さった僧の兄も法師だったので、祈祷などして頂いた。とても頼りにしていたが、急に亡くなったと聞いて心が乱れた。 この弟君の気持ちはどんなだろう。わたしもほんとうに残念でならない。わたしが頼りにしている人ばかりがこんなことになってしまう。この兄君は事情があって、雲林院(うりんいん)にお仕えしていた人である。四十九日などが終わってから、こんな歌を送った。 思ひきや 雲の林を うちすてて 空のけぶりに たたむものとは 思ってもいない事でした。兄君が雲林院をあとに、空の煙となって、あの世に旅立たれるとは、私は侘びしいばかりで野でも山でも彷徨いたい。
2018.10.19
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「私の心細さを気遣い頻繁に通ってくる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。手ふれねど 花はさかりに なりにけり とどめおきける 露にかかりて 手入れもしないのに花は盛りになってしまった。母がこの世に残していった恵みの露を受けてなどと心の中で思う。身内には殿上に出仕する人もいないので、薄の穢を避ける必要がなく、皆が一緒に喪に服すことにし、それぞれ部屋を仕切ったりして過ごしている。わたしだけは悲しみの紛れることもなく、夜は念仏の声を聞き始める時から、ずっと泣き続けて夜を明かし四十九日の法事は誰も欠けることなく家で行う。あの人が大部分のことを取り仕切ってくれ、多くの人が弔問に訪れた。わたしの供養の品として仏像を描かせたが、皆それぞれに引き上げて行った。なおさらわたしの気持ちは心細さがつのって、いっそうどうしようもなく、あの人はわたしの心細さを気づかって、以前よりは頻繁に通ってくる。寺に行った時に取り散らかした物などを、何をすることもなく整理していた。母が日常使っていた道具類や、また書きかけの手紙などを見ると、母は息も絶えだえに筆を運ばせていた時に容態が悪くなったと思った。母が臨終の時に僧の兄が袈裟を掛けて下さったが、その袈裟が出て来た。
2018.10.18
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「虫の音の絶えない野辺となってしまった」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人は心配している事を、自己満足の如く煩わしいほど書き続けてくる。家にも急いで帰る気はしないけれど、思いどおりにはできないでいる。皆が寺を出る日になった。ここに来た時は、わたしの膝に寄りかかって、横になっていた母を、なんとか楽にしてあげたいと思っていた。 じぶんは汗だくになりながら、いくら病気が重くても治るはずと思っていた。道中も治るものと微かに望みがあったが、あの時と違って今度は一人だった。牛車に一人でとても楽に、あきれるほどゆったりと乗っていられる。母の事を思うと道すがら悲しくてたまらない。車を降りて辺りを見渡してみた。母と一緒に端近に出て、手入れをさせた草花なども、母が病気になってから、そのままにしていたが、一面に生い茂って色とりどりに咲き乱れている。その時の母の姿が目に浮かび、更にどうしてよいか分からない程悲しくなる。特別の供養なども、皆がそれぞれ思い思いにしてくれるのでありがたい。わたしはすることもなくただぼんやりと沈んでいるばかりしている。ひとむら薄 虫の音 君が植えし ひとむら薄 虫の音の しげき野辺とも なりにけるかな。あなたが植えた一群の薄(すすき)は 今や生い茂って、虫の音の絶えない野辺となってしまったとつぶやくばかり。
2018.10.17
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「私の方は、今は何も考えられない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。亡くなった人が見える所へ近寄ってみると、すぐ消えてしまうそうだ。遠くから見えるのに、近寄ると消える。どこの国だろうと思った。 「みみらくの島」と言うらしいと口々に話している。それを聞くと、知りたくなり、悲しみのあまり、こんなことをつぶやく。 ありとだに よそにても見む 名にし負はば われに聞かせよ みみらくの島せめて亡くなった母がいるというだけでも、遠くからでも見てみたい。「みみらく」という名なら、どこに母がいるか聞かせてほしい。みみらくの島よと言うのを、兄が聞いて、兄も泣きながら歌を詠んだ。 いづことか 音にのみ聞く みみらくの 島がくれにし 人を尋ねむ 話にだけきいている みみらくの島 その島に隠れてしまった母上を、どこを目あてに探したらいいのだろう。 こうしている間にも、あの人は立ったまま見舞ったり、毎日使者を、寄こしたりするけれど、わたしのほうは、今はなにも考えられない。あの人は穢(けがれ)のために逢えないのでもどかしいこと、心配していることなどを、煩わしいほど書き続けてくるけれど、意識がはっきりしない頃だから、あまり覚えていない。
2018.10.16
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「死なせてくれない子がいる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。母は何度も苦しい息の下から言われたことを何度も思い出すことになり、それでこんな状態になってしまったのだ。 あの人が聞きつけてやって来た。わたしは意識がはっきりせず、何もわからないので、侍女が会って様子を話すと、あの人は急に泣いた。穢(けがれ)も、いとわず入ろうとするので侍女が引き止めた。 とんでもないことなので、あの人は立ったまま見舞った。その頃のあの人の態度は、とてもしみじみと愛情がこもっているように見えた。あれこれ母の葬儀を、気を配って世話をする人が大勢いて滞りなくすませた。今はとてもひっそりとした山寺に集まって、することもなく過ごしている。夜、眠れないままに、嘆き明かしながら、山のあたりを見ていた。川霧の 麓をこめて 立ちぬれば 空にぞ秋の 山は見えける拾遺集秋・清原深養父の歌のように、霧が麓に立ちこめている。京に帰っても誰のところに身を寄せたらいいのだろう、いや、やはりこの山寺で死にたいと思うのだが、死なせてくれない子がいる。わが子ながらひどく恨めしいと思ったものだが、こうして十日あまり経った。僧たちが話してるのを聞くと、亡くなった人の姿が、見える所があるという。
2018.10.15
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「この先どうなさるのだろう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。まったくどうしようもなく侘しい事といったら世間の普通の人の、悲しみと比べ物にならない。大勢の子どもたちの中で、わたしは、死に遅れたくない、わたしも一緒にと、取り乱していた。そのせいか、どうしたのだろう、手足がただもう引きつって息も、絶えそうになり、後のことを頼む事のできる、あの人は京にいた。山寺でこんなことになったので、幼い道綱をそばに呼んで、やっとの事で、言ったのは、わたしは、このまま虚しく死ぬでしょう。父上に申し上げて頂きたいのは、私の事はどうなろうとも構わないで下さい。亡くなった母上の法事を、他の方々の法事以上に弔って下さいと伝えた。 いったいどうすれば良いのか、長い月日患って亡くなった母のことは、今ではどうしようもないと諦めて、わたしのほうに皆かかりっきりで、どうしてこんなことにと、母の死を泣いてた上にますます取り乱した。わたしは口はきけないが、まだ意識はあり、目も見えるころに、わたしを、心配している父が寄って来て、親は母上一人だけではない。どうしてと言って、薬湯を無理に口に注ぎ込み次第に回復していく。やはりどう考えても、生きている気がしないのは、亡くなった母が、患っていた間、ほかのことはなにも言わないで、ただ言うことといえば、わたしがこのように頼りなく生活していることをいつも嘆いていたので、 あなたはこの先どうなさるのだろうと、何度も苦しい息の下から言われた。
2018.10.14
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「思い通りにならないことばかり」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。曇っている夜の月と、わたしの将来とでは、不安で頼りないのは、どちらが勝っているのでしょう。返事は、冗談のように返って来た。 おしはかる 月は西へぞ ゆくさきは われのみこそは 知るべかりけれ 曇っている夜だって月は西へ行くとわかるように、あなたの将来だってわたしだけが知っている。心配することはない。などと、頼もしそうに思えるが、あの人が自分の家と思っている所は、ほかにあるようだから、本当に思い通りにならないことばかりの夫婦仲だ。幸運に恵まれたあの人のために、長い年月連れ添ってきたわたしなのに、大勢の子どももいないので、このように頼りなくて思い悩むことばかりが多い。このように寂しいながらも、母親が生きているうちはなんとか過ごしていた。その母も長い間患って、秋の初めの頃亡くなってしまった。まったくどうしようもなくわびしいことといったら、世間の普通の人の悲しみも比べものにならないくらいに感じた。
2018.10.13
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「どちらが勝っているのでしょう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。春が過ぎて夏の頃、あの人は宿直が多くなったような気がする。そのうえに、突然朝に来て一日を過ごし、日が暮れると参内したりする。その姿を不思議に思っていると、ひぐらしの初声が聞こえてきた。しみじみと、ああ、もう秋かと気づかされて和歌を詠んだ。 あやしくも 夜のゆくへを 知らぬかな 今日ひぐらしの 声は聞けども 今日一日中あなたの声を聞いていても、不思議でならないの、夜にどこへ行かれるかわからないからと詠んで聞かせた。さすがに出て行き難かったのだろう。このように特別のこともなかったので、あの人の心も、今のところわたしに熱心なように感じとれた。 月夜の頃、不吉な話をして、しみじみとした事を語り合った昔の、ことが思い出されて、嫌な気分なので、こう言った。 曇り夜の 月とわが身の ゆくすゑの おぼつかなさは いづれまされり曇っている夜の月と、わたしの将来とでは、不安で頼りないのは、どちらが勝っているのでしょう。返事は、冗談のように返って来た。
2018.10.12
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「掘ってさし上げるのは辛いこと」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。しばらくして賀茂川の河原へ、お祓(はらえ)に行った時に、あの人も一緒だったので、ここが宮さまのお邸よなどと話した。使いの者を邸に遣わし、お伺いしたいのですが機会がなくてと文を。今日も連れがいますので、先日お願い致しました薄(すすき)の事を、よろしくお願いしますと、おそばの人に言うようにと言って通り過ぎた。簡単な祓だったので、すぐに帰ったところ、宮さまから薄が届いていた。 見ると、長櫃(ながびつ)に、掘り取った薄がきれいに並べてあった。そして、青い色紙が結び文にしてあるので見ると、こう書いてある。 穂に出でば 道ゆく人も 招くべき 宿の薄を ほるがわりなさ 穂が出たならば、道行く人も招くにちがいない、そんな大切な薄を掘ってさし上げるのは辛いことでと書いてある。 とてもおもしろい歌で、この返事をどのようにしたのだろう。忘れてしまうほどなので、大した歌ではなかったと思うから、書かなくても良かったのではないかと思う。でも、これまでの歌でも、出来ばえはどうなのだろうと、考えてしまうものもあるとは思うけれど書き留めておいて残した。
2018.10.11
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「ほっそりとしなやかに見えた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。年が改まったが、これといって変わったこともない。あの人の心がいつもと違って優しい時は、すべてが平穏である。正月の初めからあの人は南廂にある殿上の間に昇る事を許されている。 賀茂神社の祭祀に奉仕の斎院の禊の日、宮さまから言葉があった。 見物に行かれるなら、そちらの牛車に乗せていただきたいとの事。 迎えに行ったが、宮さまはいつもの邸にはいらっしゃらなかった。 町の小路あたりかもしれないと思って、お訪ねすると思ったとおりだった。 宮さまがいらっしゃるので、まず硯を借りて、このように書いてさし入れた。 きみがこの 町の南に とみにおそき 春にはいまぞ たづねまゐれる 宮さまがいらっしゃるこの町の南に、遅い春が訪れたように、ようやくあなたのいらっしゃる所を捜して、やって来ました。 というわけで、宮さまはわたしたちと一緒に見物に出かけられた。その頃が過ぎてから、宮さまが町のお邸にいらっしゃる時に参上すると、去年見た時にも花がきれいだったが、薄(すすき)が群がり繁っていた。その薄の光景が、とてもほっそりとしなやかに見えたのを思い出して、 これを株分けなさるなら、少しいただきたいのですがと申し上げていた。
2018.10.10
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「気分もよくなり京へ帰った」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。 わたしのほうが、お訪ねしますと書いた手紙が届かなかったのだろうか。 女文字〔平仮名〕で書いて、こちらは男文字〔漢字〕で心苦しかった。 うらがくれ 見ることかたき 跡ならば 潮干を待たむ からきわざかな 入江が水で隠れてしまい、千鳥の足跡がなくなるように手紙がなくなったなら、潮が引くまで待っていましょう。それにしてもとても辛いことです。 そのような中、また、宮さまから文が届く。 うらもなく ふみやる跡を わたつうみの 潮の干るまも なににかはせむ なんの下心もなくさし上げた手紙ですから、潮が引き探せるようになり、手紙が出てくるのを待っていても、無駄でしょう。とある。 こうしているうちに、六月祓(みなづきばらえ)の時期も過ぎたのだろう。 七夕は明日あたりと思う。四十五日の忌も四十日ほど過ぎた。このところ気分が悪く、咳などもひどく出るので物の怪かもしれない。加持でもしてみようと思い、暑い頃でもあり、いつも出かける山寺に登る。七月も十五、六日になったので、お盆をする頃になってしまった。見ていると、人々が奇妙な格好でお供えを担いだり頭にのせたりしている。色々な支度をして集まってきて、あの人と一緒に、感心したり笑ったりもする。忌も過ぎ、気分もよくなり京へ帰った。秋、冬はこれということもなく過ぎた。
2018.10.09
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「私の手紙も宙に迷っているのだろうか」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。宮さまからの文を、あの人と一緒に読んで、何ともまあひどいことをおっしゃるなどと思わず口をついて出た。雨の晴れ間に、あの人がいつもの通っている所に行った日、例によって宮さまからお手紙が届いた。 殿はご不在ですと言っても、それでもやはりとだけおっしゃって、くださったのですと使いの者が言うので、持ってきたのを見てみた。とこなつに 恋しきことや なぐさむと 君が垣ほに をると知らずや あなたの家のなでしこを折って見ていたら、恋しさが慰められるかと思って、いつまでもここにいるのですが、そんなわたしの気持ちはわからないでしょう。 それにしても、ここで待つその甲斐もないので、帰りますと書いてある。それから二日ほど経って、あの人が来たので宮さまからの手紙を手に取り、宮さまからこの手紙がこういう次第で届きましたと言ってみせた。あの人は、日にちが経っているから今さら返事をするのもよくないなと言う。この頃は、あなたから手紙もいただけませんと話してみた、その返事は。水まさり うらもなぎさの ころなれば 千鳥の跡を ふみはまどふか大雨で水嵩が増して浜辺もなく千鳥がおりる場所に迷っているように、わたしの手紙も宙に迷っているのだろうかと思っていましたと言う。
2018.10.08
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「恋のせいで涙の乾く暇もないだろう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。いづこにも ながめのそそく ころなれば 世にふる人は のどけからじを どこでも長雨の降る忙しい季節ですから、宮さまと違って、のんびりしてはいられないのです。また、宮さまはこうおっしゃった。 あなたは、のんびりしていられないですって。 あめのした 騒ぐころしも 大水に 誰もこひぢに 濡れざらめやは 世の中は長雨で騒いでいるこの頃、誰もが恋しい人に逢えなくて涙で、袖を濡らしているはず、わたしだってのんびりなんかしていられません。 わたしは宮さまへ返事を書いた。 世とともに かつ見る人の こひぢをも ほす世あらじと 思ひこそやれ いつも次々と愛人と逢おうとしている人は、この長雨で逢えなく、その恋のせいで涙の乾く暇もないだろうとお察しします。また、宮さまから文が届いた。 しかもゐぬ 君ぞ濡るらむ 常にすむ ところにはまだ こひぢだになし 一人の女の所に落ち着いていないあなたこそ恋の涙に濡れているでしょうが、一人の女の所にいつも住んでいるわたしは、恋で濡れることなどありません。
2018.10.07
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「粗末な家なので雨漏りで騒いでいる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。また、宮さまから歌を きみとわれ なほしら糸の いかにして 憂きふしなくて 絶えむとぞ思ふ あなたとわたしとは、やはり気まずくならないうちに、つきあいをやめたほうがよさそうだね。 二人、三人の妻と言ったのは確かに少なすぎました。これ以上は、差し障りがあるのでやめておきますとおっしゃった返事に、 世をふとも 契りおきてし 仲よりは いとどゆゆしき ことも見ゆらむ 契りを交わした夫婦の仲なら、長年連れ添っても、別れ別れになる不吉なことも起こるでしょう。 でもわたしたち男同士は、そんなことは起きませんなどと申し上げられた。その頃、五月二十日過ぎごろから、四十五日の忌を避けようと思って、地方官を務めた父の所に行ったところ、宮さまが垣根を隔てて、すぐ隣に来ていらっしゃったが、六月頃まで雨がひどく降り続いた。あの人も宮さまも雨で外出できなかったのだろう。ここは粗末な家なので、雨漏りで騒いでいると、宮さまがこのように、おっしゃってきたのは、いっそう常識はずれのことだった。つれづれの ながめのうちに そそくらむ ことのすぢこそ をかしけりけれ 長雨ですることもなくぼんやりしていると、あなたのほうでは雨漏りで、忙しそうにしていらっしゃる様子、それも退屈がまぎれておもしろいですね。
2018.10.06
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「どうして一人や二人の妻で暇がない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。気の進まない役所の宮さま兵部卿宮章明親王の醍醐天皇の皇子から、このようにおっしゃってきた。 みだれ糸の つかさひとつに なりてしも くることのなど 絶えにたるらむ 乱れている糸が束ねられ一つになるように、折角貴女と同じ役所になったのに、来ていただけなく、どうして絶えてしまっているのでしょうか。 返事の歌を詠んだ。絶ゆといへば いとぞ悲しき 君により おなじつかさに くるかひもなく 絶えるなどとおっしゃると、とても悲しいです。宮さまを頼りにしてせっかく同じ役所になったのに、その甲斐もないです。 折り返し歌が送られる。 なつびきの いとことわりや ふためみめ よりありくまに ほどのふるかも 催馬楽の夏引の糸のように、二人も三人もの方の所に歩きまわっているうちに、こちらへ来る時間もなくなってしまったのだね。催馬楽(さいばら)とは、平安時代に隆盛した古代歌謡のこと。 返事の歌を詠む。 七ばかり ありもこそすれ なつびきの いとまやはなき ひとめふために 夏引の糸は、七ばかり、それほど多くの妻がいるのに、どうして一人や二人の妻で暇がないことがあるでしょうか。 夏引の糸とは、その年にできた繭(まゆ)から取った糸のことをいう。
2018.10.05
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「前世の宿縁のつたなさだろうと思う」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。明後日頃は逢坂の関の辺りなので、貴女に逢いに行くと便りがあった。時は七月五日のこと。わたしが長い物忌に籠もっていた頃なので、こう言ってきた返事には、天の川 なぬかを契る 心あらば 星あひばかりの かげを見よとや天の川で牽牛と織女が逢う七月七日に逢うつもりなら、一年に一度の、逢瀬で我慢しろとおっしゃるのですか。 わたしの言うことを、ごもっともと思ったのだろうか、少しわたしのことを心にかけているようで、何か月かが過ぎてゆく。あの気にくわないと思っていた町の小路の女の所では、今は、ありとあらゆる手段を使って愛情を取り戻そうと騒いでいると聞いた。わたしはそのことを聞いたので、少し気が楽になった。昔からうまくいかないわたしたちの仲はいまさらどうしようもない、いくら辛くても、それがわたしの前世の宿縁のつたなさだろうと思う。さまざまに心を乱しながら暮らしているうちに、あの人は、少納言を長年つとめて、四位になると、殿上の出仕をおりていた。今度の司召(ツカサメシ)で、ひどくひねくれていると見られている。なんとかの大輔(たいふ)などと言われるようになったので、世の中が、ひどく面白くないらしく、あちこちの女の所に通うほかは外出を、しなくなったので、たいそうのんびりとわたしの所に二、三日いたりした。
2018.10.04
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「貴女がずっと私を拒んでいるから」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。返事を持ち帰る使いが待っているので、急ぎこのように書いた。なつくべき 人もはなてば 陸奥の むまやかぎりに ならむとすらむ 可愛がるはずの飼い主が手放すと陸奥の馬はそれっきりもどらないように、あなたが見放したら、もうこれっきりになってしまうでしょうか。どう思ったのか、使いの者が手紙を折り返し持ってきた。われが名を おぶちの駒の あればこそ なつくにつかぬ 身とも知られめ あなたが尾駮の馬のように荒れるから、いくら飼い慣らそうとしても、わたしになついてくれない、あなた自身そのことを知ってほしい。少し憤慨して返歌を、したため使いの者に手渡した。こまうげに なりまさりつつ なつけぬを こなはたえずぞ 頼みきにける あなたはだんだんわたしの所に来るのが嫌になり、優しくしてくださらなく、なったのですが、わたしのほうはずっとあなたを頼りにしてきたのです。あわただしく使いの者がまた返歌を届けに来た。白河の 関のせけばや こまうくて あまたの日をば ひきわたりつる 白河の関のように、あなたがずっとわたしを拒んでいらっしゃるから、あなたの所へ行きづらくて、何日も経ってしまったのです。
2018.10.03
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「父恋しさにどんなに泣かせる事だろう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。侍女たちが愛情が足りないと言って恨むので、私はきまりが悪かった。そういう間に、あなたを訪ねて行ったことがあったけれど、あなたは独り寝の床に目覚めていたのに、いくら真木の戸を叩いても、月の光が漏れてくるばかりで、あなたは姿を見せなかった。あの時からあなたを嫌だと思い始めた。誰があんな浮気な女と夜を、明かしたりするものか。あなたは前世でどんな重い罪を犯したせいかと、嘆いているが、そういうことを言うのが罪なのだろう。今はもうわたしに、逢うことはやめて、嘆きを与えない人の世話になったらいいのではないか。わたしだって木や石ではないから、あなたを思う気持ちは抑えられないが、浜辺の浜木綿が何枚も重なったように、隔たってしまった衣を、悲しみの涙で濡らすことがあっても、あなたのことを思い出したら、わたしの思いの火で、わたしの目の涙は乾くだろう。今さら言っても甲斐のない事だが、甲斐国(かいのくに)の速見(へみ)の牧場の、荒馬のように離れていくあなたを、どうして繋ぎとめることができるだろう。などと思うものの、わたしを父親と思っているあの子を、片親育ちにして、父恋しさにどんなに泣かせる事だろうと思うと、可哀そうでならないと言う。
2018.10.02
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「貴女に会わず家に帰るしかない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。直ぐに帰って来るという言葉を本気にして信じて待っている子ども。いつも口真似するのを聞くたびに、辛いと思う涙が海のように溢れます。あなたに逢う機会もなく待っているのは甲斐がないとは知りながら、命のある限り捨てたりせず私を頼りにさせたお言葉が嘘ではない事を祈ります。直ぐに来て下さるのは、本当のお気持ちかどうかは、わかりません。お立ち寄り下さった折に、尋ねたいと思っていますと書き二階棚の中に置いた。久しく時を経て、あの人はやって来たけれど、わたしが出て行かないでいると、居辛くなって、質問のこの手紙だけを持って帰っていったが私も素直でない。そして、あの人からこのような返歌があった。 秋の紅葉が時とともに色褪せるように、飽きがくると愛情も冷めるのは、世間では普通のことだろうが、わたしは違うと書きしたためてある。嘆きに沈んでいるあなたを頼むと言い残して旅立たれた父上のお言葉で、愛情も一層深まってきたと言え、貴女を思う気持ちは絶える事はないとある。 私が来るのを待つ幼い子を早く見たいと、田子の浦に打ち寄せる波のように、何度も訪ねて行くけれど貴女は富士山の煙のように、嫉妬の炎を燃やしてる。空にある雲のようによそよそしく、私は貴女を絶えるどころか、白糸を、繰るようにあなたを絶えず思って訪ねるのに、あなたの侍女たちが、 愛情が足りないと言って恨むので、私はきまりが悪くいたたまれない。かといって馴染みの家もほかにないから、貴女に会わず家に帰るしかない。
2018.10.01
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