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源氏物語〔12帖 須磨 7〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語12帖 須磨 の研鑽」を公開してます。二条の院では夏の衣類を作って須磨へ送る準備が進められ、かつては想像もできなかった孤独な生活を実感し、夫人は源氏の面影を忘れられずにいた。源氏がよく使っていた戸口や寄りかかっていた柱を見るたびに、かつて共に過ごした日々の尊さと寂しさが募り、胸が締めつけられるようであった。入道の宮もまた、東宮のために尽力していた源氏が逆境にあることを悲しんでいた。源氏の恋情に対しては冷淡を装い、世間の噂を避けるため努力していた宮だったが、今や尼僧として世俗を離れた境地にあり、源氏に対する感情も素直に哀惜の情が混じっていた。宮は、源氏の旅路に祈りを込めた歌を手紙に添えて送った。尚侍からの返信は、短くも苦しい想いがこもっていた。中納言の君からは、尚侍が源氏の不在を嘆く様子が伝えられ、源氏はその報告に涙した。紫の女王もまた心を込めて手紙を返し、彼女から送られた夜着や衣類には洗練された美意識が表れていた。それを見た源氏は、運命を恨めしく感じ、紫の女王と共に静かな生活を送る未来が奪われたことに無念さを覚えた。左大臣からは、若君の成長を知らせる便りも届き、源氏は我が子に対する親の情を新たにした。しかし、祖父母に守られている安心感があり、源氏は心を落ち着けることができた。なお、須磨へ移る際に筆者が触れなかったが、源氏は伊勢の御息所にも使者を送り、熱情的で典雅な手紙を受け取っていた。伊勢の御息所は源氏の消息を知ると、心の奥底から動かされ、現実であると信じ難い源氏の隠棲に想いを馳せた。その運命が長く続かないことを望む一方、暗い心の中で、この現実が夢の続きであるかのような感覚を抱く。御息所は伊勢の浜辺から須磨の浦にまで想いを送るように、悲しみや嘆きを込めた歌をいくつも綴り、長い手紙を書き続けた。御息所との恋が破れた経緯を思い出し、源氏は彼女に対する負い目と深い後悔を感じた。そんな御息所からの愛情がこもった手紙に源氏は強く心を動かされ、しばらくその使者を留めて伊勢の話を聞いたり、侍臣たちと語り合った。侍もまた源氏の優雅な風貌に触れ、喜びの涙を流したのである。
2024.11.27
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源氏物語〔12帖 須磨 6〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語12帖 須磨 の研鑽」を公開してます。道中でも夫人の面影が消えず、源氏は胸を痛めたまま船に乗り込んだ。時期は日が長く、風にも恵まれて午後には須磨に着いた。生まれて初めての旅に心細さと新鮮さが入り交じる源氏は、荒れ果てた大江殿の松を見て、自分が遠い唐国に名を残した平安朝の歌人のように、将来が見えないと感じる。波が寄せては返す姿を見ながら、ふるさとへの恋しさを詠んだ歌が口をつき、人々もその歌に心打たれた。遠く霞む山々を見ると、千里の旅路を詠み、涙を浮かべた中国詩人の心境が重なり、寂しさが募る。須磨の居所は、都の屋敷とは異なり、茅葺きの風情ある山荘で、垣根や珍しい建材が見慣れぬ趣を醸していた。見晴らしも美しく、ただの旅ならば面白く感じただろうが、源氏は仕方なくここでの日々を過ごす。領地の人々を呼び、家の整備を進めさせ、都に仕えるような生活とはほど遠い状況にもどかしさを覚えたが、山荘は次第に落ち着きある居所に整っていった。そうして迎えた五月雨の季節、源氏は京に残した愛しい人々を思い、孤独と悲しみに沈んだ。夫人、東宮、そして無邪気に遊ぶ若君のことを考えると京のことが恋しくてたまらない。源氏は京へ手紙を送ることを決め、夫人に対し、「松島の漁師もどんな気持ちで須磨の海に涙を流しているのか」と哀しみをこめて書いた。尚侍には中納言を通して「昔を懐かしむにつけ、会いたい気持ちが募る」と伝え、二条院、入道の宮、若君の乳母にもそれぞれ思いを託し、源氏の心は京へ向かった。京では、須磨からの使いが源氏の手紙を届けると、多くの人々が動揺に駆られた。二条の院の女王はその知らせに心を乱し、体調を崩して起き上がることもできず、泣き続ける彼女を女房たちはなだめるのに苦労していた。源氏の愛用していた品々や衣服の香りは、まるで亡き人の後を思うかのように女王の心を乱し、身近な存在を失った悲しみが彼女を襲った。その様子を見かねた少納言は、北山の僧都に祈祷を頼み、源氏と女王の幸福を仏に祈願した。
2024.11.26
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源氏物語〔12帖 須磨 5〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語12帖 須磨 の研鑽」を公開してます。源氏は出発の前、上から下までの女房たちを西の対に集め、生活に必要な絹布類を豊富に分け与えた。また、左大臣家にいる若君の乳母たちや花散里にも実用的な物品を贈った。そして、人目を避けながら尚侍にも別れの手紙を送った。源氏は京を去ることに悲しみを感じ、彼女に対する未練の歌を詠んだ。尚侍も涙を流しながら別れの歌を返したが、源氏は彼女との再会を断念し、手紙だけで別れることにした。出発前夜、源氏は院の墓参りのため北山へ向かい、その前に入道の宮へも挨拶に行った。宮は別れを悲しみながらも、東宮の未来に対して不安を抱いていた。源氏も東宮が無事即位する事を願うと述べ、別離の悲しみを交えながら話した。源氏は供の数を減らし、少人数で院の墓へ向かった。途中、右近衛将曹がかつての華やかな時代を思い出し、加茂の社に拝礼した。源氏も悲しみに浸り、歌を詠んで別れを告げた。墓に着いた源氏は、かつての皇帝との思い出に涙を流しながら祈った。月が雲に隠れる中、森の暗闇の中で、源氏は皇帝の幻影を見たかのような不思議な体験をした。その後、二条の院に戻り、東宮にも別れの挨拶をし、中宮へも最後の手紙を託した。源氏が出発の日、桜が散りかけた枝に手紙を添え、別れの思いを東宮に伝える。東宮は幼いながらも手紙を真剣に読み、「しばらく会えないだけでも恋しいのに、遠くに行ったらもっとつらくなる」と返事を書かせた。命婦は源氏の若い頃の恋を思い出し、過去の苦労を思い、自分に責任を感じて胸が痛む。返事には「何も言うことができない。寂しそうな様子を見て自分も悲しい」と書き、その後、「咲いてすぐ散るのはつらいが、再び春の都を訪れ、桜の花を楽しめることもあるだろう」と添えた。女房たちは東宮の殿で泣き交わし、源氏が不運な旅に出ることを皆が惜しんだ。源氏を慕う者は多いが、政府の圧力に恐れ、表立って同情を示す者はいなかった。みな源氏への感謝と無念を抱え、陰で政府を批判していたが、誰も動かず、源氏もその無力さに悲しみを覚えていた。当日、夜遅くまで夫人と語り合い、簡単な旅装で出発しようとしていた。
2024.11.25
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源氏物語〔12帖 須磨 4〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語12帖 須磨 の研鑽」を公開してます。源氏は鏡に映る自分の痩せた顔を見て「随分衰えたものだ」と嘆き、夫人もそれを見て涙を浮かべた。親王と中将が帰った後、源氏は花散里の寂しさを察し、彼女に会わねば恨まれるかもしれないと思い、夜遅くになって訪れた。花散里が「別れの際にここを訪れてくれたことが嬉しい」と喜ぶ様子に、源氏は彼女の生活が今後どうなるかを案じた。薄曇りの月が差し込み、広い池や築山が寂しげに見え、須磨の浦の孤独さを思い浮かべた。出発二日前、姫君は源氏がもう訪れないのではと落ち込んでいたが、月明かりの中を歩く源氏に気づき、二人は月を眺めながら語らった。「夜が短いですね。もうこうして一緒にいることもないでしょう。なぜもっと早く、あなたといられる時間を作らなかったのか」と源氏が悔やみ、恋の始まりからの思い出を語った。鶏が鳴き、源氏も世間体を気にして早朝に去らねばならなかった。月が沈むような気分で、花散里の袖に月影が差し、「宿る月さえ濡るる顔なる」という歌のような哀愁が漂っていた。花散里の寂しさがあまりに痛ましく、源氏は「行きめぐり、ついには住むべき月影の、しばし曇らん空を眺めるなかれ」と慰めを歌ったが、別れが儚く涙を誘った。旅支度が整い、源氏は現在の権勢に媚びない忠実な者たちを家司として残し、少人数の誠実な随行者を選んだ。持っていくのは日々必要な物だけで、飾り気のない品々と詩集、琴一つを選んだ。華美な装飾品は持たず、質素な生活を決意している。西の対に家の管理を任せ、所有地や財産の証書も夫人に託し、信頼する少納言の乳母を中心に倉庫や財産の管理を任せる手配を整えた。これまで東の対の女房として源氏に直接使われていた中の、中務、中将などという源氏の愛人らは、源氏の冷淡さに恨めしいところはあっても、接近して暮らすことに幸福を認めて満足 していた人たちで、今後は何を楽しみに女房勤めができようと思ったのであるが、長生きができてまた京へ帰るかもしれない私の所にいたいと思う人は西の対で勤めているがいいと源氏は言う。
2024.11.24
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源氏物語〔12帖 須磨 3〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語12帖 須磨 の研鑽」を公開してます。西の対へ行くと、格子が宵のまま下ろされておらず、夫人は夜通し物思いにふけっていたため、縁側のあちこちで寝ていた童女たちがようやく起き出し、夜着のまま往来している様子が趣深かった。気弱になっている源氏は、何年も留守にしている間に皆が散り散りに他所へ移ってしまうのではないかとありえないことまで想像し、心細さを感じた。源氏は夫人に昨晩、左大臣家を訪ねて夜が更けて一泊したことを告げ、「他のことを疑い悔しがってはいないか。京にいる間、せめてあなたと一緒にいたいと思っているが、いよいよ遠くへ行くことになり、どこにも挨拶を済ませておかなければならない家が多くある」と話した。夫人は「あなたの失脚以外に悔しいことなどない」と応じ、その様子には他人にはない深い悲しみが見られた。父の親王は初めから夫人に対し、手元で育てた姫君ほどの愛情を持たず、今は皇太后派を憚ってよそよそしい態度をとり、源氏の不幸も見舞いに来なかったため、夫人は人聞きも恥ずかしいと思いつつ、かえって存在を知られないほうがよかったと悔やんでいた。継母である宮の夫人が「あの人が幸福な女に見えたと思うと、その夢はすぐ消え去る。母も祖母も、今度は良人にさえ短い縁しかないのか」と嘆いたことを聞いた夫人は、人知れず恨めしく思い、親子の縁を絶ち、頼れる人もいない孤独な女王であった。源氏は夫人に「いつまでもこの状態に置かれるのなら、どんな佗びしい住まいでも迎えたい。しかし今それをするのは人聞きが悪いから控えているだけだ。勅勘を受けた人間は明るい場所へ出ることも許されない。のんきにしていると罪を重ねることになり、罪を犯していないことは自負しているが、前世の因縁か何かでこのようになっているため、愛する妻と共に流刑地に行くことは常識では考えられないことで、政府にまた迫害の口実を与えるようなものだ」と語った。昼頃まで寝室にいた源氏は帥の宮や三位中将の訪問を受け、着替えに無地の直衣を選び、かえって艶やかに見えた。
2024.11.23
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源氏物語〔12帖 須磨 2〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語 12帖 須磨 の研鑽」を公開してます。源氏は須磨への出立を前に、別れの悲しみに満たされていた。妻や情人たちは、共に行きたいと願うも、須磨のような人里離れた地に連れ立つことは、源氏自身にも彼女らにも耐えがたいものになると考え、一緒に連れて行くことはやめた。源氏のことを支え守られていた人々は、その決断に寂しさを抱いていた。左大臣も源氏の去りゆく運命を嘆き、「昔、院に愛されていた頃が嘘のようだ。何もかもが末世の中で、あなたの失脚は私にとっても悲嘆に耐えない」と述べ、源氏に寄り添った。源氏は己の運命を悟り、過去の愛憎や宮廷の複雑な事情を振り返りながらも、遠い地でその罰を引き受ける覚悟を示した。三位中将が加わり夜も更けると、源氏はかつての恋人である中納言の君に別れを告げた。翌朝、源氏は都を出発し、花々の咲き残る庭を眺めながら、女房たちとの別れに心を痛めた。彼の息子の若君や、左大臣家の人々の涙を見て、源氏はその離別の哀しみを深く噛みしめた。左大臣夫人からも惜別の言葉が届き、源氏は彼らへ歌を詠んで別れを惜しんだ。宮もまた悲しみの中で歌を返し、左大臣家は彼らの別れの歌が余韻を残し、女房たちの涙で満ちていた。源氏が二条の院へ帰って見ると、ここでも女房は宵からずっと歎き明かしたふうで、所々に かたまって世の成り行きを悲しんでいた。家職の詰め所を見ると、親しい侍臣は源氏について 行くはずで、その用意と、家族たちとの別れを惜しむために各自が家のほうへ行っていてだれ もいない。家職以外の者も始終集まって来ていたものであるが、訪ねて来ることは官辺の目が 恐ろしくてだれもできないのである。これまで門前に多かった馬や車はもとより影もないので ある。人生とはこんなに寂しいものであったのだと源氏は思った。食堂の大食卓なども使用す る人数が少なくて、半分ほどは塵を積もらせていた。畳は所々裏向けにしてあった。自分がいるうちにすでにこうである、まして去ってしまったあとの家はどんなに荒涼たるものになるだろうと源氏は思った。
2024.11.22
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源氏物語〔12帖 須磨 1〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語12帖 須磨 の研鑽」を公開してます。源氏物語の12帖「須磨」では、源氏が藤壺の女御や朧月夜との関係を知る人々からの嫉妬や誹謗中傷に苦しみ、ついには朝廷からの圧力によって都を追われ、須磨に隠棲することになる。須磨での源氏は、都での華やかな生活から一転し、荒々しい自然の中で孤独と向き合う。夜の嵐や海の波の音に囲まれ、心細さと寂しさに苛まれながらも、現世を離れたような静寂の中で自身の運命や人生について思索するようになり、やがて源氏は須磨での生活を通して、都での浮ついた生活や人間関係を振り返り、新たな覚悟を抱き始める。当帝の外戚の大臣一派が極端な圧迫をして源氏に不愉快な目を見せることが多くなって行く。 つとめて冷静にはしていても、このままで置けば今以上な禍いが起こって来るかもしれぬと源 氏は思うようになった。源氏が隠栖の地に擬している須磨という所は、昔は相当に家などもあ ったが、近ごろはさびれて人口も稀薄になり、漁夫の住んでいる数もわずかであると源氏は聞いていたが、田舎といっても人の多い所で、引き締まりのない隠栖になってしまってはいやであるし、そうかといって、京にあまり遠くては、人には言えぬことではあるが夫人のことが気がかりでならぬであろうしと、煩悶した結果須磨へ行こうと決心した。この際は源氏の心に上 ってくる過去も未来も皆悲しかった。いとわしく思った都も、いよいよ遠くへ離れて行こうとする時になっては、捨て去りがたい気のするものの多いことを源氏は感じていた。その中でも若い夫人が、近づく別れを日々に悲しんでいる様子の哀れさは何にもまさっていたましかった。 この人とはどんなことがあっても再会を遂げようという覚悟はあっても、考えてみれば、一日 二日の外泊をしていても恋しさに堪えられなかったし、女王もその間は同じように心細がって いたそんな間柄であるから、幾年と期間の定まった別居でもなし、無常の人世では、仮の別れが永久の別れになるやも計られないのである。
2024.11.21
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源氏物語〔11帖 花散里 3 完〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語11帖 花散里 の研鑽」を公開してます。これを聞いた女御も、もとから孤独の悲しみに浸っていたが、今さらまたその寂しさが身にしみてくる様子が見え、彼女の人柄が、ますます源氏の心を惹きつける優しさを感じさせた。女御は、「人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ(人の目もなく、荒れ果ててしまった宿では、橘の花が軒先の飾りとなっているのだろう)」と詠み、人に忘れられて荒れた宿に、誰の手も加えられず自然のままに咲く橘の花が、まるで宿の装飾のように咲き誇っている様子が詠まれている。ここでの「橘の花」は、かつての栄華や人の温もりを象徴する一方、今はただひっそりと咲き続けるその姿が、寂寥感や無常観を際立たせている。橘の香りや姿が、過ぎ去った時の流れや失われたものへの哀愁を感じさせ、美しくも切ない情景を表現し、少しの言葉に彼女らしさがにじんでいたので、源氏はこの女御こそ本当に気高い女性だと感じた。先ほどの家の女をはじめ、幾人かの女性を思い出していたが、その中で自然と女御の品位が際立った。源氏はさらに、西の座敷へ静かに、親しげに歩み寄り、恋しい思いを訴えた。長い時を経ても変わらぬ愛情を、率直な言葉で告げたのである。彼の恋人たちは、特別な身分や魅力を備えた女性たちが多く、長く関係を保つことに同意しない人々は去ってゆくが、それも仕方がないと源氏は考えていた。町の家の女性もその一人であり、今は他に愛人がいる身であった。(完)明日より(第12帖須磨)を公開予定。
2024.11.20
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源氏物語〔11帖 花散里 2〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語11帖 花散里 の研鑽」を公開してます。惟光が屋敷に入ると、寝殿の西端に女房たちが集まって話をしていた。惟光の声に気づいた女房たちは、源氏の歌を受け取りながらも、訪問者が誰かわからないふうを装い、「ほととぎす語らふ声はそれながらあなおぼつかな五月雨の空」という返歌を返した。彼女はわざとわからないふりをしているらしく、惟光は「門違いでしょうか」と言って退出し、彼女はそれを見送って心中で寂しさを感じ、悔しく思った。源氏も「知らぬふりをするのも当然だ」と理解しつつも物足りなさを覚え、彼女と同じほどの身分の五節が九州に行っていることを思い出した。彼の心はどこへ行っても女性たちに惹かれ、それが彼に相応の悩みをもたらしていた。長い時が過ぎても同じように愛し愛されたいと願い、多くの女性たちが源氏のせいで物思いに沈んでいた。源氏が目的として訪ねた家は、予想通りひっそりと静まり返り、寂しさが身に染み入るような佇まいであった。まず女御の居間を訪れ、彼女と話すうちに夜が更け、二十日月が上ると、大木が茂る庭はさらに暗く、軒近くの橘の木が懐かしい香りを漂わせていた。女御はすでに年を重ねていたが、柔和な上品さが漂い、かつて大いに寵愛を受けたわけではないものの、院が愛すべき人と見ていたことを源氏は思い出し、懐かしい昔の宮廷や思い出に涙を流した。そこへ杜鵑(ほととぎす)が啼き、先ほど町で聞いた声の同じ鳥が追ってきたようで、源氏はおかしくなり、「いにしへのこと語らへば杜鵑いかに知りてか」という古歌を小声で歌った。源氏は、「橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ(橘の香りが懐かしくて、ほととぎすが花が散るこの里を訪ねて尋ねている)」と詠み、昔の御代が恋しくなるときにはここへ来るのが最もふさわしいと感じたと伝え、「非常に慰められる一方で、また悲しみも覚えます。時代に順応しようとする人々ばかりですから、昔を語り合う相手が減ってゆきます。しかし、あなたのほうが私以上に寂しいでしょう」と話しかけた。
2024.11.19
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源氏物語〔11帖 花散里 1〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語11帖 花散里 の研鑽」を公開してます。源氏が「花散里」という女性に対して抱く気持ちや、花散里との関係が描かれている。花散里は、派手さや華やかさはないものの、源氏にとって心が安らぐ存在で、花散里は源氏の大勢いる女性たちの中でも特別な感情を抱かせ、安定した関係を築いている。花散里の落ち着いた性格と控えめな魅力が描かれ、源氏が心の拠り所と感じている様子が伝わってくる。「花散里」は、源氏が心の安らぎを求める場であり、他の女性とは違う特別な位置にいる人物を表している。源氏は、恋愛における苦しみは昔も今も変わらない思いであるが、近ごろは他からの耐えがたい圧迫が増し、心細くなっている。このため、世の中から離れたいという思いも浮かんでくるが、簡単に断ち切れない縁も数多くあった。麗景殿の女御は、皇子もおらず院が崩御した後は頼りない境遇となっていたが、源氏の援助で生活していた。この女御の妹である三の君とは、源氏が若いころに恋仲になり、その関係を絶つこともなく、かといって正妻として扱うこともせず、まれに訪れるのみだった。彼女は女として心痛することの多い立場である。物悲しい心境にある源氏は、急に彼女に会いたい気持ちが高まり、五月雨の晴れ間に出かけることにし、あえて簡素な身なりで少人数を従え、中川辺りを通ると、庭木が繁る小さな屋敷から琴の音が和琴に合わせて響いていた。源氏はその音に心惹かれ、往来に近い建物でもあるため車から少し体を出して眺めると、風に乗って大木の桂の葉の香りが漂い、加茂の祭りを思い出させた。源氏はその家に興味を抱き、よくよく考えると一度だけ訪れたことのある女性の家であった。久しく訪ねていない自分のことを彼女は忘れているかもしれないと思いつつも、どうしても通り過ぎることができず、じっと見つめていると杜鵑(ほととぎす)が鳴き、源氏に何かを促すようだった。そこで、車を引き返させ、惟光を使いに出して「をちかへりえぞ忍ばれぬ杜鵑ほの語らひし宿の垣根に(戻っては来たけれど、どうしても懐かしさを抑えられず、ほととぎすが昔語りをするように鳴いている)」という歌を伝えさせた。
2024.11.18
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源氏物語〔10帖 賢木 18 完〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。大臣は尚侍(女御)に、顔色が良くないのはしつこい物怪(もののけ)の影響だと言い、「もっと修法をさせておけばよかった」と話していると、ふと見慣れない帯が尚侍の着物に絡みついているのを発見し、不思議に思う。その後、几帳の前には見慣れない男の字で書かれた紙が散らかっているのも目に入り、大臣は驚きと恐れを感じる。「この紙は誰が書いたものか、不審だ。誰の字であるか確認したい」と言って尚侍に紙を求めるが、彼女は答えられず、狼狽している。状況が明らかになると尚侍は失神するように動揺し、大臣も「娘の恥をこれ以上晒すべきではない」と思うのが常であろうに、怒りのままに紙を拾い、ついに几帳の隙間から源氏が横になっている姿を見つける。源氏は驚いて顔を夜着で隠し、大臣はその無礼さに激しく怒りをあらわに。だが、直接怒りをぶつけることはせず、怒りと無念を胸に紙を持って寝殿へ去っていく。尚侍も深く恐れて気が遠くなり、源氏も彼女のために心を痛めながら彼女を慰めようとする。大臣は堪えきれず太后に源氏と尚侍の不品行を訴え、目撃した事実を述べる。「この字は源氏のものです。彼女は源氏に誘惑されて恋人同士になっていたが、敬意を表して黙って結婚を認めようとした。だが拒まれてしまい、宮中に入れましたが、あの関係があったせいで女御にはなれず寂しい思いをしていたのに、再びこのような罪を犯すとは残念でなりません。世間で源氏が斎院に恋文を送っているという噂があったが、私は信じなかった。あのようなことをしては神罰を受けるのは明白で、自分も無事では済まないと理解しているはずだと思っていたからです」これを聞いた太后は怒りを顔に表し、源氏への憎しみを募らせる。彼女は、「陛下も軽んじられている。兄の方である太子に娘を嫁がせようとはしなかったが、年若い源氏に嫁がせるために取っておいたのです。それを彼は誘惑し、父母も誰も非難せず結婚させた。私は妹を哀れに思い、他の女御たちに引けを取らせないために努力したが、今は源氏が好きなようにしているのがよいようだ」と憤る。大臣は後悔し、「この件は秘密にしていただきたい。陛下にも伝えないでください。もし源氏が改めないならば、自分が責任を負います」と懇願するが、太后の怒りは収まらず、源氏への憎悪が増すばかりで、彼を排除することを考え始める。(完)明日より(第11帖花散里)を公開予定。
2024.11.17
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源氏物語〔10帖 賢木 17〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。修法などもさせて尚侍の病の全快したこ とで家族は皆喜んでいた。こんなころである、得がたい機会であると恋人たちはしめし合わせ て、無理な方法を講じて毎夜源氏は逢いに行った。若い盛りのはなやかな容貌を持った人の病 で少し痩せたあとの顔は非常に美しいものであった。皇太后も同じ邸に住んでおいでになるこ ろであったから恐ろしいことなのであるが、こんなことのあればあるほどその恋がおもしろく なる源氏は忍んで行く夜を多く重ねることになったのである。こんなにまでなっては気がつく 人もあったであろうが、太后に訴えようとはだれもしなかった。大臣もむろん知らなかった。雨がにわかに大降りになって、雷鳴が急にはげしく起こってきたある夜明けに、公子たちや 太后付きの役人などが騒いであなたこなたと走り歩きもするし、そのほか平生この時間に出ていない人もその辺に出ている様子がうかがわれたし、また女房たちも恐ろしがって帳台の近くへ寄って来て、源氏は帰って行くにも行かれぬことになって、どうすればよいかと惑っ た。秘密に携わっている二人ほどの女房が困りきっていた。雷鳴がやんで、雨が少し小降りに なったころに、大巨が出て来て、最初に太后の御殿のほうへ見舞いに行ったのを、ちょうどま た雨がさっと音を立てて降り出していたので、源氏も尚侍も気がつかなかった。大臣は軽輩がするように突然座敷の御簾を上げて顔を出した。「どうだね、とてもこわい晩だったから、こちらのことを心配していたが出て来られなかった。中将や宮の亮は来ていたか」などという様子が、早口で大臣らしい落ち着きも何もない。源氏は発見されたくないということに気をつかいながらも、この大臣を左大臣に比べて思ってみるとおかしくてならなかった。 せめて座敷の中へはいってからものを言えばよかったのである。尚侍は困りながらいざり出て 来たが、顔の赤くなっているのを大臣はまだ病気がまったく快くはなっていないのかと思った。 熱があるのであろうと心配したのである。
2024.11.16
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源氏物語〔10帖 賢木 16〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。彼が人間としてさらに成熟していることを感慨深く見つめている。この場面全体を通じて、源氏と中宮の深い心の交錯と運命の悲哀が描かれ、彼らが世俗を離れ、それぞれの道を歩む様子が切なくも美しく描かれている。春の官吏の任命において、中宮に仕えていた人々は本来得られるはずの官職がもらえず、推薦された人々の位階もそのままにされ、悲嘆に暮れる者が多かった。中宮が出家したことで后の地位は消え、それに伴い財産も失うと解釈されたため、政府の待遇も冷たくなった。中宮はそれを予測して執着を持っていなかったが、仕える人々が不安な様子を見せると、心中に動揺が生じることもあった。それでも、中宮は自分の犠牲を覚悟し、息子である東宮の即位に障害がないように祈り、信仰に励んで不安を和らげていた。源氏も中宮のこの心情を理解し、共感していた。一方で、源氏に仕える役人たちも不遇で、左大臣は失意のうちに引退の願いを出したが、帝は彼を重んじて何度も辞表を返却した。それでも左大臣は出仕を拒み、結果として太政大臣一族だけが栄える状況となり、帝も世間も嘆いていた。左大臣の息子たちも以前は順調に昇進していたが、今やその栄光は過去のものとなり、三位中将も時勢に意気消沈していた。ある日、三位中将は詩集を持って二条の院へ訪れ、源氏も貴重な詩集を取り出し、韻を競う遊びを行った。学者たちも参加し、源氏の深い知識に感嘆し、右の組が敗北した。数日後、再戦の宴が開かれ、席上で詩が詠まれ、庭の花や自然の景色が盛り上げ役となった。源氏が特に可愛がっていた幼い少年が「高砂」を歌い、源氏はその愛らしさに服を与えた。その姿は席の者たちの心を打ち、源氏の美しさが際立っていた。宴が進む中、三位中将は源氏に杯を勧め、詩を詠み交わした。詩や歌の多くは源氏を称賛するもので、源氏もその場に満足し、周公の伝承を引用し口にした。兵部卿の宮もこの宴に参加し、音楽を楽しむなどして、二条の院での和やかなひとときを共に過ごした。その時分に尚侍が御所から自邸へ退出した。前から瘧病にかかっていたので、禁厭などの宮中でできない療法も実家で試みようとしてであった。
2024.11.15
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源氏物語〔10帖 賢木 15〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。中宮の父帝の一周忌を機に、彼女は法華経の八講を盛大に催した。十一月の初めには雪の中で亡き父を偲び、源氏もその場に参加して深く悲しみに浸っていた。十二月にはさらに崇厳な仏事が続き、その場で中宮は思い立って出家を表明した。出家の儀式が始まり、人々は涙に暮れ、特に源氏は驚きと悲しみに心を乱す。中宮が自身の出家を決意したことを「昨年の悲しみがあった時から考えていた」と伝えられると、源氏は深い悲しみと共に、御簾の奥の様子や薫香が立ち込める香りに極楽世界を思い浮かべ、哀切の想いに沈みこむ。中宮が出家を決意し、源氏が彼女の変化に心を揺さぶられる様子が描かれている。源氏は、中宮が出家することによって中宮が自分の手の届かない存在になることを理解し、愛慕と敬意の入り混じった複雑な感情を抱いた。中宮に対する源氏の思いは、もはや単なる恋愛感情を超えた崇高な敬意となっており、彼女が仏門に入ることでその感情がさらに強く、切なくなっている。中宮は出家を通じて世俗を離れ、信仰に生きる覚悟を固めたが、源氏が訪れると過去の思いが蘇り、涙を抑えきれなくなる。また、彼女は東宮(息子)への責任を果たすべく仏道に励んでおり、その背後には母としての深い愛情と心の苦悩がある。源氏もまた、二条の院に戻った後も中宮への思いが消えることはなかった。仏道に生きる決意をした中宮を見守る形でその愛慕を昇華させようと試みる。春が訪れると、華やかな宮中行事が続く中、中宮は自身の人生の無常を感じ、仏道への思いを強める。その寂しさと清らかさは、彼女の住まいの様子にも表れている。中宮邸に訪れた源氏は、彼女の身の回りの変化や、仏門に入った中宮の落ち着いた様子を見て、かつての華やかな宮廷生活を懐かしみ、失われた日々を痛ましく思う。仏道に入った中宮の姿は、源氏にとっても手の届かない存在へと変わり、彼は彼女の前で涙を流さずにはいられない。老いた女房たちは、出家を決意し、信仰に生きる中宮を称賛しつつ、かつての源氏の栄光や幸福に満ちた姿を思い起こしていた。
2024.11.14
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源氏物語〔10帖 賢木 14〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。中宮は、東宮に関することで信頼を寄せつつも感情を表に出さない理知的な態度を示し続け、源氏はそれに不満を感じていた。東宮の世話は源氏が行っており、今度ばかりは冷淡に振る舞えば怪しまれるだろうと考えた源氏は、ある日中宮が御所を出る日に帝を訪問した。帝は懐かしむように源氏と昔の話、今の話を交わし、院の面影を重ねるようであり、その会話の中で尚侍との関係についても理解を示しつつ、詩や歌の話に話題が移った。帝は斎宮の美しさやその下向の日の出来事を回想し、源氏も野の宮での曙の別れに心打たれたことを語り合った。その夜、二十日の月が夜空に輝き始め、夜の趣が増す中、帝は「音楽を聞きたい夜だ」と言われたが、源氏は「中宮が退出されると聞きましたので訪問しようと思っています」と述べた。院の遺言通りに親身に東宮の世話をしていることを帝に伝えた。帝は、「院は東宮を我が子のように愛するようにと命じたので、自分も兄弟以上に大切に思っているが、控えめに接するようにしている」と話された。その後、源氏が退出する際に藤大納言の息子である頭の弁が皮肉交じりに口ずさむも、源氏は何もとがめずにその場を去った。その後、源氏は「ただ今まで御前におりましたので、遅くなりました」と中宮に挨拶し、月明かりが照らす御所の庭を見渡して、院が御位におられた頃の懐かしい音楽遊びを思い出していた。源氏が中宮の悲しい別れと彼女の出家という深い転機を迎える場面である。まず、「九重に霧や隔つる雲の上の月をはるかに思ひやるかな」というのは、高貴な身分である中宮への思いを遠くから募らせる源氏の心情を示している。これは命婦が源氏に伝えた言葉であり、中宮の気配を微かに感じ、抑えきれぬ恋しさと哀れみを誘っている。この状況で源氏は、中宮への届かぬ想いを詠んだ「月影は見し世の秋に変はらねど隔つる霧のつらくもあるかな」という歌を口にします。この歌は、変わらない月影(彼女への想い)は以前と同じ秋を照らすが、今は隔てられる霧(隔離された現実)がその想いを苦しくさせているという意味です。中宮がその悲しい別れを経ての出家に至る過程では、彼女が東宮へ未来を託し、成長を促しながらも、思いが深く届いていないことに失望や哀れみを抱く描写があります。中宮の心情や、源氏を誘い出そうとする他の女性たちからの手紙が、彼の心を動かしつつも軽く流されている様子が描かれ、源氏がなおも中宮に特別な情を注ぐことが示されている。
2024.11.13
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源氏物語〔10帖 賢木 13〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。斎院からは木綿の片に「そのかみやいかがはありし木綿襷心にかけて忍ぶらんゆゑ」とだけ書かれていた。斎院の文字には細やかな味わいはないが、高雅で、漢字の崩し方はますます巧みになっており、成長した美しさが想像され胸を高鳴らせていたが、神罰を恐れないようにと自戒した。源氏は去年、野の宮での別れがちょうどこの頃であったことを思い出し、自分の恋愛がうまくいかないのは神々の加護によるものだと考えたが、恋愛に障害があるとより一層情熱が高まる自分の性格を知らなかったのである。もしそれを望んでいたのなら、加茂の女王との結婚も難しくはなかったはずだが、当時は無頓着であり、今となって後悔の念に駆られて涙を流すばかりであった。一方、斎院も普通の恋愛感情を込めた手紙を受け取るのではなく、これまで源氏から多くの文を受け取り、それに対して少し返事をすることもあったが、神聖な職に就いているにもかかわらず少しばかりの謹慎を欠いた行為でもあった。天台の経典六十巻を読み、難解な箇所を僧たちに尋ねるなどしながら寺に滞在する源氏を見て、僧たちは彼が仏の力によって寺に引き寄せられたと考え、皆が喜んでいた。静かな寺で朝夕に人生の儚さを感じながらも、紫の女王に対する深い愛情が源氏の帰宅を促し、彼は寺を後にすることを決める。出発前には盛大な法要を行い、僧たちや周囲の下層民にも多くの施しを行った。帰る際には寺の広場に集まった人々が涙ながらに彼を見送っており、喪服姿で黒い車に乗った源氏の美しい姿は人々の心を魅了した。夫人は幾日かのうちにさらに美しさを増したようであり、高雅な中にも源氏の愛に対する不安が見え隠れし、彼は一層愛おしさを感じた。紅葉の美しさが増す山から枝を折ってきた源氏は、長い間手紙も出さず寂しさを感じていたので、それを何気なく中宮への贈り物として届けさせ、命婦宛に手紙を添えた。そこには、近頃は宗教的な勉学に励んでいるため不在が続いた旨と紅葉の美しさを分かち合いたいという意が記されていた。珍しいほど美しい紅葉に喜ぶ中宮であったが、枝に添えられた手紙に気づくと、源氏の矛盾した行動に反感を覚え、瓶に挿した枝を庇の間の柱の前に出してしまった。
2024.11.12
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源氏物語〔10帖 賢木 12〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。源氏にあまりに似ているため中宮は世間を恐れて悩むこともあった。源氏は中宮への恋心を抱きつつも、自らの冷淡さを反省し隠棲を決め、秋の野の草花を眺めるために雲林院へと出かけた。源氏は母の兄である律師のいる寺で経を読み仏勤めに励もうと、数日滞在することにしたが、その間にも色づき始めた木々や秋草の花の哀れな様子に心を奪われていた。学僧たちを集めて論議を聞いたりもしたが、場所が場所だけに無常観が増し、なおも中宮への未練を強く感じる自分を見つめることとなった。月光のもと、僧たちが菊や紅葉の花を仏に捧げる様子を見て、僧にはこうした務めがあり未来への希望を持てることが羨ましいと感じた一方、自分はこの世への未練を断ち切れないでいた。律師が「念仏衆生摂取不捨」と唱える声を聞くと、ますます出家への思いと紫の女王への気がかりが募るばかりである。しばらく滞在しようと決めた源氏は恋妻である紫夫人に手紙を送った。「出家の真似事をしていますが、寺の生活は寂しく心細いばかりです。もう少し留まって法師たちから教えを受けようと思いますが、あなたはどう過ごしていますか」と書かれた檀紙は飾り気がなく美しかった。「浅茅生(あさじふ)の露の宿りに君を置きて四方の嵐ぞ静心なし」という歌も情が込められたもので、紫夫人はこれを読んで泣いた。返事は白い式紙に「風吹けば先づぞ乱るる色変はる浅茅が露にかかるささがに」と一言書かれてあった。源氏は「字がますます上達している」と独り言を言いながら微笑んだ。紫夫人の字は源氏に似つつも、わずかに艶やかな女性らしさが加わっていた。源氏は斎院がいる加茂が近いこともあり、女房の中将宛に「物思いが募って家を離れ、こんな所に泊まっていますが、それが誰のためかはお分かりでしょうか」と恨みを綴った手紙を送った。斎院には「かけまくも畏けれどもそのかみの秋思ほゆる木綿襷かな」と昔の想いを忘れがたく感じつつも、浅緑色の手紙を神々しい枝にかけて送った。中将からの返事には、長く続く日々の退屈さから昔を思い返すことがあり、あなたを思い出すこともあるが、ここでは何も現在に続くものはない、別世界だという思いが綴られていた。
2024.11.11
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源氏物語〔10帖 賢木 11〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。宮自身も東宮のためには源氏の好意を保っておく必要があると感じていた。源氏が人生を悲観して僧になってしまうことは避けねばならないと考えたが、同時に、頻繁にこのような出来事が続けば、世間の人々がどんな噂を立てるかは容易に想像できる。宮は、自分が尼になり、皇太后の不興を買って后の位を退くことが最良ではないかと考え始めた。そして、自分が院の遺言にどれだけ重く縛られているかを思うと、漢の戚夫人のように苛まれることはないにしても、世間の嘲笑を受ける運命にあると感じるようになっていた。これを機に尼の生活に入ることが最善だと宮は考えたが、東宮に会わずに姿を変えるのは申し訳ないと思い、目立たぬ形で御所に参内した。源氏は、病気を理由に宮に従うことはなく、普段は好意を表していたが、贈り物などの関係は変わらないまま、宮に会いに行こうとはしなかった。そのため、事情を知っている人たちは、源氏が深く悲観しているのだろうと同情していた。東宮は短い間に美しく成長され、久しぶりに母宮と会うことができた喜びに夢中になり、甘えたりする姿が非常に愛らしいものであるが、母宮もこの子を離れて信仰の道に入ることができるのかと自問していた。その上、宮中の空気は時の移り変わりに伴い、人の心も変わりゆくことを痛感させ、人生の無常を教えてくれるものだった。特に太后が復讐心に燃え、宮中に出入りする者たちが冷たい視線を投げかけることもあった。東宮を守る立場にいること自体がかえって東宮を危うくするのではないかと悩むのであった。中宮は「長くお目にかからなければ私の顔が変わってしまうかもしれません」と仰せになると、東宮は「式部のようにですか。そんなことはありませんよ」と笑った。中宮は「私が髪を短くして、黒い着物を着て夜居のお坊様のようになろうと思っていますので、次にお会いするのはずっと先になるかもしれません」と涙ながらに告げると、東宮は真剣な顔になり「長くおいでにならないと、私はあなたにお会いしたくてたまらなくなります」と涙を流した。東宮の美しい髪や愛らしい顔立ちは成長するに従ってますます源氏とそっくりであり、見間違える事もあるほどだった。
2024.11.10
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源氏物語〔10帖 賢木 10〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。宮は上着を源氏に押しつけ、逃げようとしたが、髪と衣が源氏の手に引かれていた。宮は自分の運命を悲しく思いながらも、非常に清らかな気高さを保ち、源氏に対して強く抵抗した。源氏は泣きながら愛を訴えたが、宮はあくまで冷静で、ただ「体調が良くなったら改めて話をしましょう」とだけ答えた。源氏は千言万語を尽くして自分の苦しい思いを伝えたが、宮は優しく受け止めつつも、二度と罪を犯すことはできないと心を固めた。夜が明けても源氏は宮のそばを離れたくなかったが、王命婦や弁が説得して、やっと源氏は退去することに同意した。宮は半ば死んだような状態で、何も言わず、ただ朝を迎えた。源氏は宮に対して、自分はもうすぐ死ぬだろうと告げた。それでも死後もこの世に執着することで罰を受けるのだろうと言い、宮への強い思いを表していた。彼は逢うことの難しさに苦しんでおり、今生きている間に宮に会えなければ、何世代にも渡って嘆き続けるだろうと言い、どんな状況になっても宮に執着し続けると告白した。宮はそれに対して嘆息をつき、長い生涯の恨みを人に残しても、自分の心を敵にしないでほしいという詩を詠んで、源氏の言葉を軽く受け流すような態度を見せた。その優美さに源氏は心を惹かれながらも、軽蔑されるのは辛く、これ以上自分を押し進めるのは控えなければならないと感じて、その場を去った。それ以来、源氏は宮に対して手紙を送ることをやめ、顔を見せることも避けるようになった。彼は自分が冷たく扱われたことに傷つき、宮から同情を感じるまで沈黙を守ろうと決めていた。彼は御所や東宮にも顔を出さず、引きこもってしまった。日々、冷たい態度への恨みが募る一方で、恋しさもますます強まり、まるで魂が抜けたように感じ、自分が病気にでもなったかのような状態に陥っていた。源氏は、この世での生活がますます虚しく感じられ、僧になろうかと思い詰めることが多くなっていたが、いつもその決意を揺るがすのは若い妻の存在であった。彼は、自分だけを頼りに生きている優しい妻を見捨てることができず、僧になる決心はつかないでいた。一方で、宮も心が大きく揺れていた。源氏が手紙も送らず、引きこもってしまったことに対して、命婦たちは彼を気の毒に思っていた。
2024.11.09
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源氏物語〔10帖 賢木 9〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。慎重に計画された行動で、宮にとっては夢のような出来事だった。源氏は誠実な言葉で宮の心を動かそうとしたが、宮は冷静さを失わず、それに応じなかった。次第に宮は胸の痛みを感じ始め、苦しむようになった。命婦や弁など、秘密を共有している女房たちが驚き、様々な手助けをした。源氏は宮が恨めしくてたまらない上に、この世が真っ暗になったように感じ、呆然としたまま朝まで寝室に留まっていた。宮の病状を聞きつけ、女房たちが頻繁に往来するようになり、源氏は無意識に塗籠に押し込まれてしまった。女房が源氏の上着をそっと持ってきたものの、彼女も恐れていた。宮は未来に対する悲観と、現在の状況に対する苦しみから体調を崩した。翌朝になっても回復せず、兄の兵部卿宮や中宮大夫が参殿し、祈りの僧を迎えるような話が進んでいた。源氏はこれを苦しく聞いていたが、夕方になってようやく宮の病状が少し収まった。源氏が一日を塗籠で過ごしていたことを中宮は知らず、命婦や弁も心配をかけないように黙っていた。宮は昼の座に出て静かに座っていた。病状が回復したらしいと兵部卿宮も帰り、居間には少数の人々しか残らなかった。普段から宮に仕えている親しい者だけが、几帳の後ろや襖子の陰などに控えていた。命婦は源氏をそっと外に出して帰す方法を考え、再び宮に近づかないようにしないと、また病状が悪化すると宮が気の毒だと囁いていた。源氏は塗籠の戸に手をかけ、そっと開けて屏風と壁の間を伝い、宮の近くまで進んだ。宮の横顔を影から眺める喜びに胸を躍らせ、涙まで流していた。宮は「まだ私は苦しい。死ぬのではないか」と言いながら外を眺めていたが、その横顔は非常に美しかった。髪の質や形、頭の輪郭は西の対の姫君とそっくりで、源氏は改めて二人がよく似ていることに驚いた。初恋の宮は他の誰よりも優れて見え、源氏は過去も未来も忘れて宮に近づき、そっと衣の褄を引いた。源氏の香の香りが立ち込め、宮は気づいて驚き、前に伏してしまった。源氏は、せめて一度でも振り返ってほしいと願ったが、宮は冷たく対応し、源氏は物足りなさと恨めしさを感じた。
2024.11.08
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源氏物語〔10帖 賢木 8〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。御修法のために御所に出入りする人が多い時期であり、このような密会が自分の手で行われることを中納言の君は恐れていた。朝夕に見飽きることがない源氏と稀に会えた尚侍の喜びは想像に難くない。尚侍も今が青春の盛りの姿で、美しく艶やかで若々しく、男性の心を強く惹きつける魅力を持っていた。やがて夜が明ける頃、下の庭から「宿直をいたしております」と高い声で近衛の下士が言った。これは中少将の誰かが女房の局に来て寝ているのを知り、意地悪な者が告げ口をしてわざわざ挨拶をさせにやったのだろうと源氏は考えた。御所の庭でのこうした挨拶回りは趣があるものの、源氏にとってはやや煩わしかった。さらに庭のあちこちで「寅一つ」(午前四時)と報告する声も聞こえてきた。尚侍は「心から袖を濡らすこともあるでしょう。明けたと知らせる声につけて」と詠い、その様子はどこかはかなげであった。源氏も「嘆きつつ我が世はこうして過ぎていくのだろうか、胸が晴れる時もなく」と詠い、落ち着かないまま別れを告げて出て行った。まだ朝には遠い暁の月夜で、霧が一面に広がる中、簡素な狩衣姿で歩く源氏は美しかった。この時、承香殿の女御の兄である頭中将が、藤壺の御殿から出て、月明かりに影を落とす立蔀の前に立っていたのだが、源氏はそのことを知らずに近づいてしまった。この出来事が後に批難の声を招くことになるだろう。源氏は尚侍との新たな関係ができたことに喜びを感じていた。中宮が一切隙を見せないご立派な方であることを認めながらも、その恋心がかなわぬことに対して、恨めしく悲しい思いを抱くことが多かった。源氏は御所へ参内することに気が進まなかったが、それでも東宮に会えないのは寂しいと感じていた。東宮には他に後援者がいなく、ただ源氏だけが中宮にとって頼りだったが、源氏は時折東宮に迷惑をかけるような行動をしていた。院が亡くなるまで、その秘密を全く知られずにいたことでも、東宮は大きな罪だと感じており、今また悪評が立てば、東宮には必ず大きな不幸が訪れると心配し、源氏の情熱を断ち切ろうと仏に祈っていた。宮は祈祷を頼み、できる限りの手段で源氏の恋心から身を守ろうとしていたが、ある時、思いもよらず源氏が寝所に近づいてきた。
2024.11.07
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源氏物語〔10帖 賢木 7〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。源氏は昔と変わらず、左大臣家を訪れては故夫人の女房たちを大切にしていた。大臣家の人々も、源氏が非常に若君を愛していることに感激し、若君は一層大切にされた。かつての源氏はあまりにも社会的に恵まれ過ぎていて、周囲の目が回るほどの華やかさだったが、最近ではかつての恋人たちとの関係も自然と途絶えがちになり、軽い関係だった女性たちの家に訪れることさえ、源氏には居心地の悪さを感じさせるようになっていた。そのため、余裕が生まれ、家庭の主人として落ち着いて暮らしていた。兵部卿宮の王女が幸福であることを皆が祝福した。少納言は、姫君の幸運は祖母の尼君が仏に祈った結果だと思っていた。父である親王も朗らかに二条の院を訪れ、夫人の生んだ他の王女たちは特に大きな幸運に恵まれていなかったが、ただ一人、姫君だけがその運命を負ったかのように見えたため、継母にあたる夫人は嫉妬を感じていた。紫の上は、小説にあるような継娘の幸運を現実に得たのだった。加茂の斎院は父帝の喪のために引退されたため、代わりに式部卿宮の朝顔の姫君がその職を継ぐこととなった。伊勢に女王が斎宮として行かれたことはあったが、加茂の斎院には内親王が就くことが多く、今回は適当な女御腹の宮様がいなかったか、そうした決まりがあったのである。源氏はこの女王に今も恋心を抱いていたが、結婚が不可能な神聖な職に就くことになったことを残念に思っていた。彼の側近である女房の中将は依然として源氏の用事をよくこなしており、手紙なども頻繁にやりとりしていた。源氏は当代の自身の不遇な立場には何も気にせず、斎院と尚侍に対する恋心を嘆いていた。帝は院の遺言通りに源氏を愛していたが、若くしてきわめて心の弱い方であり、母后や祖父の大臣の意向に従うしかなく、朝政に対して多くの不満があった。源氏は昔よりもさらに恋の自由がない境遇にいたが、それでも尚侍と文を通じて絶えず恋をささやくことで、少なからず幸福感を得ていた。宮中で五壇の御修法が行われ、帝が謹慎されていた頃、源氏は夢のようにして尚侍に近づいた。中納言の君が、かつての弘徽殿の細殿の小部屋に源氏を導いたのである。
2024.11.06
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源氏物語〔10帖 賢木 6〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。中宮の供奉を務める多くの高官たちは、院の生前と変わらぬ様子であったが、心の中では寂しさを抱えており、実家に帰ることがかえって無縁の地に思える中宮は、近年ほとんど実家に帰る機会がなかったことをしみじみと感じていた。年が変わっても、諒闇(喪に服す期間)の春は非常に寂しかった。源氏は特に寂しさを感じ、家に閉じこもって過ごしていた。例年なら一月の官吏の交代時期には、院の時代もそうだったしその後も二条の院の門は訪問客の馬や車で賑わっていたが、今年は明らかにその数が減っていた。宿直に来る人の夜具を入れた袋もあまり見かけなくなり、近しい家司たちだけが気楽に事務を行っているのを見て、源氏は自分の家の勢力が衰え、それに応じて人々の信頼も薄れていることを感じ、面白くなかった。右大臣家の六の君が二月に尚侍(ないしのかみ)になったのは、院の崩御によって前任の尚侍が尼となったためだ。大臣家が全力で後援し、六の君自身も美貌と品格を備えていたため、後宮の中でも際立った存在となった。皇太后は実家にいることが多く、稀に参内する際には梅壺の御殿を宿所としたため、弘徽殿が尚侍の曹司となり、隣の登花殿は長く放置されていたが、今では再び使われて賑やかになっていた。女房たちも多く侍り、華やかな後宮生活を送りつつも、尚侍は密かに源氏を想い続けていた。源氏から手紙が忍んで届くことも以前と変わらなかったが、六の君が後宮に入ってから源氏の情熱はさらに燃え上がっていた。院が生きていたころは遠慮があったが、皇太后は源氏に対する積年の恨みを晴らす時が来たと考え、彼に対する圧力が増していくのを見た源氏は、不快感を抱きながらも、予想していたとはいえ、その苦しみを常に味わうことに耐えられなくなっていた。左大臣も不快感を抱き、あまり御所に顔を出さなかった。亡くなった令嬢に対して東宮の話があったにもかかわらず、源氏に妻として迎えさせたことで、皇太后は不満を抱いていた。右大臣とはもともと仲が悪く、左大臣は前代である院の時代に政治を専横的に動かしたこともあったため、当代で右大臣が外戚として権力を握っているのを快く思わないのは当然だった。
2024.11.05
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源氏物語〔10帖 賢木 5〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。桐壺院は東宮を支えるように何度も言い聞かせていた。夜遅くになって東宮が帰り、その際に供奉した多くの公卿たちの姿はまるで行幸に匹敵するほどの盛大さだった。東宮が帰った後、桐壺院は最も深く悲しんだ。皇太后は来る予定だったが、中宮が院にずっと寄り添っていたことに不満を抱いて躊躇している間に院は崩御してしまった。慈悲深い桐壺院との別れに、多くの人々がどれほど悲しんだか計り知れない。院が天皇の位を退いた後も、政治はすべて順調に進んでいたが、今の天皇はまだ若く、外戚の大臣も人格者ではなかったため、将来的にその大臣が権力を握ることを恐れて官僚たちは不安を感じていた。院が最も愛した中宮や源氏も、特に深い悲しみの中にあった。院が亡くなった後の仏事では、多くの遺子の中で源氏が目立って誠実な弔いをしており、周囲の人々もそれを当然としつつも源氏の孝心に共感した。喪服姿の源氏は限りなく美しく、去年と今年と不幸が続いたことで彼の心は世を厭うようになり、出家を考えるほどだったが、彼には多くの絆があり、それは実現しなかった。四十九日までは女御や更衣たちが院の御所にこもっていたが、その日が過ぎると皆散り散りに実家へ帰って行った。十月二十日、空は寂しげで、誰もが世の終わりを感じるような心細い季節だった。中宮は最も悲しんでいたが、皇太后の性格をよく知っていたため、今後どのような扱いを受けるかという不安よりも、院の愛情に包まれていた日々を思い出す悲しみが大きかった。永久に院の御所に留まることはできず、皆が去らなければならないことも中宮にとって寂しさを感じさせた。中宮は三条の宮へ帰ることになり、兄である兵部卿の宮が迎えに来た。激しい風の中に雪が混じる日で、かつての賑やかだった御所も今や静まり返っていた。源氏は中宮の御殿を訪れ、院の在世中の話をしていたが、庭の松が雪に打たれて枯れ落ちる様子を見た中宮が詠んだ歌に源氏は深く心を動かされ、涙を流した。凍りついた池を眺めながら源氏もまた、自らの感情を和歌に託し、かつての院の影を見られないことに悲しみを覚えたが、その歌は源氏としてはまだ未熟なものだった。その後、王命婦もまた和歌を詠み、そのほかの女房たちもそれに続いた。
2024.11.04
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源氏物語〔10帖 賢木 4〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。「振り捨てて今日は行くとも鈴鹿川八十瀬の波に袖は濡れまい」すでに夜も更け、慌ただしい中で、翌日逢坂山の向こうから御息所の返事が届いた。「全てを振り捨てて今日は出発するけれども、鈴鹿川のいくつもの浅瀬に立つ波のような困難や障害があっても、自分の袖は涙で濡れることはないだろう」と簡素に書かれていたが、貴人らしさを感じさせる巧みな筆遣いであった。源氏はもう少し優しさがあれば、最上の文字となるだろうと思った。秋の夜明け、濃い霧がかかり、身にしみる空を眺めながら源氏は「行く先を眺めることもできない。この秋は逢坂山に霧が立ちはだかっている」と口ずさみ、一日中物思いにふけりながら過ごした。旅立った御息所は、さらに堪えがたい悲しみに包まれていただろう。院の病状は十月に入ってから重篤となり、この君を惜しむ者は誰一人としていなかった。帝も心配のあまり行幸されたが、衰弱した院は東宮のことを何度も帝に頼んだ。さらに源氏にまで話が及び、「私が生きている時と同じように、重要なことも些細なこともすべて彼に相談するように。年は若いが、国を治めるのに十分な資格を持っていると私は認めている。彼には一国を支配する才能が備わっているからこそ、私は彼がそのことで誤解を受けることがないよう、親王にはせず、人臣の列に加えたのだ。将来、大臣として国務を任せるつもりでいた。私が亡くなった後でも、この言葉を尊重してほしい」と遺言を残した。院は多くの希望を述べたが、それを全て書き写すことはできなかった。帝はこれが最後の会見であると感じ、院の言葉を悲しげに聞きながら、遺言を違えることはしないと何度も誓った。帝は以前にも増して美しく、その風采に院は満足し、頼もしく感じた。高貴な身分であるため、感情のままに父帝の元に留まることはできず、その日のうちに還幸されたが、二人の心には会見の後も長く悲しみが残った。東宮も同時に見舞いに行くはずだったが、大げさになることを懸念して別の日に見舞った。幼いながらも大人びた愛らしい様子に、久しぶりの再会に喜びが勝り、今の状況を深く理解せず、無邪気に笑顔で院の前に現れた。その横で中宮が泣いているため、院の心には様々な悲しみが押し寄せていた。
2024.11.03
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源氏物語〔10帖 賢木 3〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。長奉送使や官庁から参列した高官も名のある人々ばかりで、院が後援者として存在しているからである。出立の日に、源氏から別離の悲しみを綴った手紙が届いた。さらに、斎宮宛のものとして、斎布に添えられたものもあった。手紙には「いかずちの神ですら恋人の仲を裂くことはないと言います。八洲を守る国つ御神も心あるなら、飽きぬ別れの中を断たないでほしい。どう考えても神の意図が理解できず、私は納得できない」と書かれていた。斎宮はそれを受け取り、返事をした。宮の歌を女別当が代筆し、「国つ神が空に分け隔てをするというなら、まずはないがしろにされることをただしなければならない」と詠んだ。源氏は、宮中での式を見たいと思いながらも、去る者が見送りに出るのは気が引けると感じて家にとどまった。斎宮からの大人びた返歌を見て、源氏は微笑み、彼女が年齢以上にしっかりとした人物に成長していることに胸が高鳴った。恋をすべきではない相手に対して好奇心が湧くのは源氏の癖であり、顔を見る機会があった幼少期の斎宮のままで終わってしまったことを残念に思った。しかし、運命は予測できないものであり、再び彼女を見る機会があるかもしれないと源氏は考えた。見識高い美しい女性として名高い御息所に付き添われた斎宮の出発の列を一目見ようと物見車が多く出ていた日、斎宮は午後四時に宮中へ入った。御息所は、父の大臣が未来の后と見なして東宮の後宮に入れた自分をかつてどれほど華やかに扱ってくれたか、不幸な運命の末、后の輿ではなく、わずかに付き従う立場で自分が宮廷を目にする今となっては、感慨深いものがあった。十六歳で皇太子の妃となり、二十歳で未亡人となり、三十歳で再び内裏に入った御息所の歌は「その時のことを今日は思い出すまいと思えども、心の中で何かが悲しんでいる」と詠んだ。斎宮は十四歳であったが、美しさに包まれ、この世の女性とは思えぬほどの美貌であった。斎王の美しさに心を打たれながら、帝が別れの御櫛を髪に挿して渡される時、帝は悲しみに堪えかねて悄然としていた。式の終わりを待つ斎宮の女房たちの乗った車から見える袖の美しさは、特に人目を引いた。若い殿上役人たちはそれぞれ個人的に別れを惜しみ、行列は暗くなってから動き出し、二条から洞院の大路を折れる場所にある二条院の辺りで源氏は物思いに沈みながら榊に歌を添えて送った。
2024.11.02
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源氏物語〔10帖 賢木 2〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。九月七日、斎宮の出発が迫っていた。御息所も忙しく、会う余裕がないと言っていたが、手紙を何度も送ったため、最後の会見について躊躇しつつも、少なくとも物越し(直接顔を合わせない方法)でなら会おうと決めた。心の中では、昔の恋人との再会を待ち望んでいた。町を離れて広々とした野原に出ると、源氏は秋の深まりを感じた。草花は衰え、虫の声と松風の音が混じり合い、遠く野の宮からかすかに楽の音が聞こえてきた。その風情は非常に艶やかであった。源氏は、身分を隠し、控えめな行列を伴って野の宮に向かっていたが、あえて美しく装って来た。供の若者たちはその風流さを面白がっていた。源氏は心の中で、これまでこの野原を訪れなかったことを後悔していた。源氏が六条御息所を訪ねて、彼女が住んでいる野の宮に到着する。そこは質素な構えだが、丸木の鳥居などが神聖な雰囲気を醸し出していて、源氏は何となく神々の領域にいるような感覚を持つ。周囲には神官らしき男たちが集まり、独特の雰囲気が漂っている。源氏は、恋人である御息所がこんな場所で何ヶ月も過ごしていることに胸を痛める。源氏が訪問を知らせると、音楽の音がやみ、御簾(みす)の中から衣擦れの音が聞こえる。源氏は御息所と直接会いたいと伝えるが、彼女はなかなか出てこない。源氏は、「昔のように素直に会ってくれても良いのに」と感じ、御簾越しに榊の枝を差し入れて、自分の心情を伝える。彼は「私の心は常に変わらないのに、なぜ冷たくされるのか」と問いかける。それに対して、御息所も心の中では迷いながらも、「自分の気持ちはまだ残っているが、過去の出来事を思うと、会うのが辛い」と応じる。二人は昔の恋を思い出し、源氏は涙を流す。御息所も感情を抑えきれず、涙を流すが、彼女は伊勢行きを止めることはできないと感じている。夜が明け、秋の冷たい風が吹く中で、二人はつらい別れを迎える。源氏は涙ながらに宮を去り、二条の院に戻るまで涙を止められなかった。御息所も心乱れて、源氏との別れを悲しむ。彼女の出発が近づいているが、源氏からの手紙や贈り物に心が揺れる一方で、もはや恋は終わったと感じていた。源氏と御息所が再び会い、過去の恋に心を乱される様子が描かれ、二人の感情の揺れ動きが、別れの寂しさと重なり合い、切ない情景となっている。十六日、桂川で斎宮の御禊の式では、例年以上に華やかに行われた。
2024.11.01
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