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「アモイ市内の旅3」 「中国写真ライフ」では、福建「アモイ市内」の写真を公開しています。アモイで宿泊しているホテルから歩いて3分足らずのところに夜遅くまで開いている飲み屋があった。その飲み屋のご主人が作った地酒を飲みながら食事をしてホテルへ帰った。深夜0時過ぎに床に就き朝7時に起床。ホテルのレストランで軽く朝食を取った後昨夜訪れた海滄大橋まで再度行くためバス停まで徒歩で向かった。ホテルの向かい側へ行くために陸橋を渡ったが、写真はカルフール前の陸橋の上からホテル方向を撮影した。朝早いと道路も空いているが、アモイに限らず中国の交通事情も車が多くなり渋滞がひどくなって来るばかりである。中国各都市の人口も段々多くなり、バスは昼間でも混雑しているが特に朝9時頃など身動きが取れない。混雑したバスの中でもスリが財布や携帯電話を狙っているので盗られ易い所には入れないようにしたいものだ。中国人の友人も少なからずスリに遭遇しており注意が必要だが、私も3回スリに遭遇している。
2011.01.31
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「アモイ市内の旅2」 「中国写真ライフ」では、福建「アモイ市内」の写真を公開しています。海滄大橋は、アモイ島と海滄とを繋げた都市橋梁の機能を兼ねている。海滄大橋はアジア第一で世界第二位。アモイ島を出る第二の通路として、直接海滄の台湾系企業投資区に通じている。海滄大橋は全長約6キロで主橋が3キロ。車で走ると6分ほどで通り過ぎてしまう。海滄大橋の文字は、胡錦濤主席の前の江沢民が書いた筆字である。夜も8時近くにもなると冷え込んで羽毛ジャケットを着ていても寒さを感じるほどだった。ホテルへはバスで帰ろうとバス停までの500mほどの道を歩いた。寒い夜空の下では人通りも少なかった。バスでアモイ繁華街まで行き飲み屋で紹興酒を飲み体を温めてより帰った。
2011.01.30
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「アモイ市内の旅1」 「中国写真ライフ」では、福建「アモイ市内」の写真を公開しています。夕方5時の便に乗るため武夷山のホテルを3時過ぎに出て空港へ行った。フライト時間は40分程でアモイ空港へ着き、ホテルへ帰って来たのが6時近くになっていた。ホテルに荷物だけ置いてタクシーで海滄大橋の夜景を撮影に出向いた。予定を組んでいたのは、明日は一人で海滄大橋を見て回りたいと思っていた。海滄大橋を撮影するために別荘のレストランゲートを通らなければならずガードマンに許可を得るため苦労した。ねばり勝ちで何とか中へ入れた。レストランは終わりに近づき従業員が忙しそうに動き回っていた。レストラン私有地の道路から5mほどの高台に登り、そこより撮影した。
2011.01.29
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「武夷山探訪28」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山の画像もこれで最後になった。飛び石の上を歩きながら「石乳香」と呼ぶお茶の話を思い出していた。説明では、茶杯を口に近づけるだけで、甘くミルクのような香りがするとの事だったが、岩茶のミルクの香りで石乳香と呼ぶのか・・。兎に角、ゆっくりと時間を掛け、お茶を味わうそんな優雅な境遇になりたいものである。著名な高級茶の大紅袍が見える岩まで来た。写真は岩の高い所の猫の額ほどの土地に自生する大紅袍の茶畑があった。その大紅袍は高級で中央政府の幹部クラスが飲むとか言っていたが、一般には街に出回ってはいないとの事だった。お茶の堤や袋には特殊な原産地域産品の専用マークを使用することった。偽物の出回りを防いでいるとも話していた。私のガイドではなく現地のガイドはどんな薬も効かなかった皇后の腹の痛みが岩壁の上の「大紅袍」のお茶を飲ませ治ったというエピソードを話していたが詳細はメモしていなかったので分からない。 写真は武夷山の出口のゲートである。この日は、ガイドとホテルに帰りホテルのレストランで一緒に飲んだ。翌日の昼過ぎ武夷山からアモイ空港まで帰った。
2011.01.28
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「武夷山探訪27」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山の大紅袍景区の中に入って来た。写真は、大紅袍の親樹がある九龍茗叢園で、九龍茗叢園には様々な岩茶が植えられている。「肉桂」という名のお茶について肉桂の中国語を訳すとモクセイやシナモン。肉桂のお茶からはキンモクセイの香りがし、少し経つとシナモンのような香りがする。 岩茶の「佛手」という名の茶は柑橘系のスッキリとした香りがするとの事。また柑橘系の他に甘さも感じる事ができる。色々と説明を受けても果実のような甘さや苦さや香ばしさは私の味覚度合では理解できない。 「野生北斗」と呼ぶお茶にも出会った。 お茶の樹は挿し木をするが、野生の茶樹から摘んだ茶葉で作ったお茶を野生北斗と呼ぶ。 説明では熟した果実の濃厚な香りの後に、華やかな味わいの香りがするという。写真の文字は「入らないように」と書いてありその下に「違反した人は罰金になります」と・・茶畑の中に入り記念写真を撮る人も多い。
2011.01.27
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「武夷山探訪26」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山の岩茶は、福建省の武夷山市で生産される烏龍茶の1種である。お茶の樹が山肌を縫うように育ちまた山肌の岩に生育していた。青茶と呼ばれ烏龍茶の中でも最も貴重な岩茶一つで、香木にも似た独特な香りに富んでおり、また甘みまで感じる物が多く香りや味わいが持続する。武夷岩茶の生育する山肌は一枚岩が多く、その岩肌に岩茶を賛美した詩や題字が彫られており、その画像を載せた。17年ほど前、香港で生活していたがはじめは食事の時間が楽しみで時計を何度も見ながら待っていたこともある。飲茶と呼ぶ朝食時に、自分で選んで小皿に盛った料理をテーブルまで持って来る。1か月ほどすると油っこい匂いが鼻につき喉を通らないこともあったが、その時に香港人から教えてもらった事が料理を口に運んだあと烏龍茶を飲むことだった。私の日本での食習慣は食事を終えた後でお茶を飲む事であったので違和感を感じた。飲茶のときに飲む烏龍茶の器は大きくはなく杯のように小さく一口か二口で飲んでしまう。その岩茶烏龍茶の中でも知られているお茶が「晩甘居」と呼ぶお茶と岩に彫られている。
2011.01.26
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「武夷山探訪25」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山の大紅袍景区へのバス停から大紅袍景区の中へと入っていった。写真は寒椿の花なのだろうか?花に近寄り目を凝らしてみると花弁の外回りが茶色く枯れていた。少し離れて撮影してみたがその枯れた花弁は映ってはいなかった。下の画像の左側は切り立った岩山がそびえ立ち右側の狭い土地に烏龍茶の中でも最高級クラスの武夷山岩茶大紅袍を栽培していた。小ぶりの茶壷に大紅袍の茶葉を5g入れ、85度程のお湯を注ぎいれ飲むが、色が出なくなるまで5回ほどお茶を楽しむことができる。これより左側の岩肌に掘られた文字が印象的で次の更新ページでは岩肌に掘られた文字を公開したい。
2011.01.25
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「武夷山探訪24」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山のゲートを出て昼食を終えまたゲートを通るときにチケットを見せ、中へと入って行った。3日共通チケットを購入していたためゲートは何度出入りしても問題ない。はじめガイドは空腹での山歩きには問題ありと引き返して昼食を取った。だが食べ過ぎても山歩きは辛いもの。ガイドも食べ過ぎ辛そうにしていた。大紅袍景区へのバス停へ来たところで、食堂らしきものがあるので近くへ行きその光景を望遠で撮影した。ガイドに、わざわざ外に出なくても先程、引き返した近くに食堂が、あったのですねと聞いてみた。ガイドは、この中間地点の食堂は知っていたが、よく入るところで外の食堂には行った事がなかったため行きたかったのですと笑顔をみせた。私が普段食事をする10倍ほどの勘定を支払った私の気持ちは何も考えていない。何とも割り切れない思いでバスを待った。
2011.01.24
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「武夷山探訪23」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山で採れたであろう新鮮な山菜が並んでいたが、私はウィンドウに並べられた出来合いの物に目が行った。ガイドは海鮮ものに目移りしていたが私は海辺からと遠い武夷山で海鮮料理もないだろうと断った。それよりも肉料理の方がよいとガイドに告げて聞いてもらうとイノシシの肉ではと聞かれたので鍋料理かどうか確認した。注文を取る女性から注文された量が多いので鍋にすると食べきれない思いますから焼き物にされた方が良いのではと・・。一体どれだけ注文したのかと思いながらも串焼きに出来ないかと聞いても通じない。A5のノートに串焼きの絵を描いて見せた。絵には肉の間にネギを描いたが上手ですねと口を手で押さえて、そのようなものは有りませんと出来なく塩焼きで落ち着いた。下の画像は、雑穀パンのような饅頭で中には何も入ってないが、かりんとうのような味がしたものの食べきれず持ち帰った。
2011.01.23
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「武夷山探訪22」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山の別荘風の土楼家宴のレストランに入りバンガロー風の部屋に通された。ウェイトレスが入って来て私にメニューを見せるがメニューに書かれている料理の内容が分からず、視線はプライス欄へ。ほとんどが一品で60元と高いのでメニューをガイドに手渡した。ウェイトレスがガイドに話していたがウェイトレスは地元から来ているのではなく他省から来ていたので、彼らの言葉は分かった。その内容は調理場脇に採れたばかりの山菜やすでに調理できるように皿の上に盛った物も沢山あるので来て頂き選んで下さいとの事。私もガイドの後をついて行ったが豊富に山菜が洗われ籠に並べてあった。
2011.01.22
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「武夷山探訪21」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。予定では先に大紅袍景区へ行く段取りでガイドは私を連れてバス乗り継ぎ地点へ来た。だが私の空腹な思いを察してか、それとも空腹のまま山道を歩かせるのはガイドとして取るべき行動ではないと思ったのか?先に昼食を取ってより景区へ入る事になった。ガイド曰く、団体のガイドならば自由が利かないが、一人のガイドなら変更してもさほど問題ではないと反対側のバス停へ向かった。バスで一度外へ出てガイド仲間に聞いたというレストランまでタクシーで行った。出口から5分ほどの道のりだったが、歩けば20分以上かかってしまう。ガイドもはじめて来たというレストランの名前は土楼家宴と福建土楼に由来している。ガイドが何故私を土楼家宴へ連れて来たのかは定かではないが何となく高そうな雰囲気だった。
2011.01.21
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「武夷山探訪20」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山の中に入り乗り継ぎ停留所で、昼食を取ろうかどうか迷った。なぜならば出発を遅らせたものの返って起床が遅くなり朝食も取らずに慌ててホテルを出てしまったからだった。また昨夜ホテルの店でチョコレート類を買ったもののホテルを出るときにバッグに入れるのを忘れて来てしまった。食べるものがなくても普段は気にならないが無いと思うとバッグの中を探したりポケットの中を、まさぐったりした。いつもなら食べかけのビスケットの袋が丸めてバッグのポケットに入っていたが今日は影も形も見られなかった。ガイドが、そんな私の行動を見て取り何か忘れ物ですかと尋ねてきた。チョコレートやビスケットの話も出来なくただ何となく腹が減った事だけを伝えた。写真は玉女峰で、外に見える岩肌が美しいく、美女にたとえられこの名前が付いた。その玉女峰の前には九曲渓の二曲付近を筏下りをする旅行客を撮影した。この時ガイドは友人に電話を掛けていたが、レストランの場所を聞いているようだった。
2011.01.20
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「武夷山探訪19」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山も三日目になると疲れが出る。二日間毎朝8時に待ち合わせをしていた。だがガイドと話し合い今朝は11時にホテルロビーにて待ち合わせた。ホテル前よりタクシーを拾い、武夷山の南口ゲートまで行った。ホテルからは15分ほどと遠くはない。武夷山南ゲートより周遊バスに乗り、乗り継ぎ地点へ着いた頃は昼頃だった。列車風自動車が目の前を通り過ぎて行き、その光景を撮影したが列車をアップで撮った画像もあったが列車が小さく映っている画像を更新した。乗り継ぎ地点に立っているバス停の標識。メイン通りから奥へは中型バスで行った。もうそろそろ昼食を取りたかったが、ガイドからこの辺りでは食堂が少ないのでゲートの外で食べれば良かったと小声で話す。
2011.01.19
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「武夷山探訪18」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山の中を運行する周遊バスのバス停まで来たがバスのほかに列車型バスも運行している。天游峰は武夷山第一の景勝地であり、一番先に登ったが上から望む九曲渓は、登る疲れを吹き飛ばしてくれた。舟棺という四曲辺りから斜め上の洞窟を見上げると古代の棺が置かれている。一線天や竹筏の埠頭行きなどバスで連れて行ってくれるがルートをまず覚えそれから利用しないと問題が起こりそうだ。大木をくり抜き舟の形に見える棺を撮影しようとして偶然カメラが壊れた。武夷山に来てすぐ目にするのが大王峰である。九曲渓の入口にそびえており快晴時は息を飲む。 九曲渓の二曲を下った所に玉女峰が見えてくる。武夷山というより福建省の象徴的存在であり、福建省の絵葉書でも紹介されている。武夷山の中でまだ回り切れていないものの武夷山の四大景勝地は今日の大紅袍で回り終わる。
2011.01.18
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「武夷山探訪17」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。昨夜は武夷山のガイドと一緒に、ホテル近くの焼肉屋で夜中まで飲んだ。高級な焼肉屋でもない感じだったが、日本円で2万5千円ほど支払った。上海辺りでも2人で6千円ほどなので、何となく騙された気分で朝を迎えた。多分私の行動をガイドが詳細にチェックしお金を取れると踏んで料理屋に打診し自分へのバックマージンを取ったのではと疑ったりしたが、一度疑えばきりがなくなる。中国の一般の作業員の1か月の給料は、日本円で2万5千円ほどである。内陸部へ行けば1万5千円ほどであり、ガイドと行った焼肉屋の勘定が2人で2万5千円の請求を受け、支払ったものの何となく騙されている感じを拭えなかった。だが一人で旅行しておりガイドを付けてもらい、自由な行動をしていればガイドにとっては、絶好のカモであり少々は仕方がないと思った。別れ際には、明日またよろしくと握手をし、100元のチップを握らせている愚かな自分がいた。写真は武夷山南口入口であるが人が少ない。
2011.01.17
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「武夷山探訪16」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山の南入口で3日間有効の入場券を、買ってより武夷山へ入った。武夷山での周遊バスは何回乗っても無料、だが主要な観光名所には1回しか入れない。私は二日で3か所を見て回ったが、残す所は明日来る事にしてホテルへ戻った。ホテルに帰ってより、ガイドと共に、カメラ店へ行ったが1軒目では一眼レフの修理は出来ないとの事で2軒目に行った。2軒目では修理は可能だが技術者が出掛けており、いつ修理が出来るか分からなかった。それでも何とか修理をと故障の症状を紙に書き、修理の手付金として200元置いてきた。その後、烏龍茶をガイドの友人宅で飲むため歩いて15分ほどの道のりをガイドと行った。幻の烏龍茶を飲んだが普通の烏龍茶と変わらない味と感じたが、一般の烏龍茶と飲み比べてみると、その差は歴然だった。夕方食事の前にガイドの知り合いのマッサージ店で体をほぐしてもらったが、観光地のマッサージ店は気を付けないと高い料金を請求されるので、注意が必要であるが私は割安にしてもらった。
2011.01.16
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「武夷山探訪15」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山は烏龍茶の里としても知られる。武夷山の岩山の狭い茶畑で取れるお茶は、烏龍茶のなかでも秀でて高級品である。武夷山岩茶は自然が生み出したもので、銘茶の産地として古くから知られている。武夷山の烏龍茶の中でも高級品になると、100グラム2万円を超えるような高級茶が、売られているが中々お目にかかれない。春先の新茶の中でも最上級のお茶に手を加え、作られ1年の内、一時期しか取れない。写真は茶畑に立てられた警告表示で、茶畑に入るべからずと上手ではない字で書かれており、入った者は5元の罰金。
2011.01.15
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「武夷山探訪14」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山の南側を流れる九曲渓筏下りの、途中で突然のカメラ内部ミラーが落下した。旅先でのカメラのアクシデントは、突然にやって来るもので、そのために、予備のカメラを用意して持ち歩いている。だが、筏下りで川の中へカメラを、落としてしまう人もありガイドが気を遣い、予備カメラとレンズ類を預けておいた。カメラのミラーは、交換レンズを外すと、直ぐにカメラ内部に見えるミラーのことで、外部からの光を取り込む役目をしている。シャッター連写時には1秒間で5コマの、動きをするがミラーも同時に動く。10万枚の撮影に耐えれるが、ミラーの裏側を確認してみると接着作業に問題があると思った。再度接着剤でミラーを接着できたら撮影する度にレンズを外し定位置にセットし、また撮影するとミラーが外れるという事から開放されるのではと思ったが接着剤など持ち合わせてはいなかった。川下りの最終場面の30ショットほどは手作業で、ミラーを戻すという結構危ない事をやった。レンズをカメラにセットしシャッターを押すと、ミラーはレンズとカメラの空間で踊って落下。その落下するときに15万円ほどのレンズを、傷付けてしまう場合もあり、かなり慎重に行った。終点船着場でガイドが手を振って迎えてくれたが、筏の上から私も思わず手を振っており可笑しかった。ガイドに訳を話し、すぐに予備の一眼レフに、レンズを付け撮影を続けたがカメラが違うので、慣れるまでに、少し違和感があった。写真は、一線天で寄り添った巨岩の僅かな空間から、もれる光が細い一本の線に見える洞窟の画像。洞窟の入り口から登ってゆくが途中から体を、横向けないと登れないほど狭い空間もあった。
2011.01.14
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「武夷山探訪13」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山九曲渓の四曲を過ぎてより、船頭が船を漕ぐのを止めて写真の方を、指差し説明をしてくれた。昔、風葬が行われていた洞窟だとか、遺体を風にさらし風化を待つ葬事で、今はもちろん行われていない。私は船頭の話を聞きながらも画像の洞窟へ、レンズを向けシャッターを切っていたが、突然パリンという金属音のような、ミラーのガラス音のような音が聞こえた。私は一瞬、レンズを洞窟へ向けたので、霊が撮影を出来なくしてしまったとも思った。 気を取り直し、非科学的な考えはやめ、カメラの内部が壊れた事は間違いないと思った。どう考えても明らかにミラーに何かトラブル。私はモニターに撮影した画像を映し出したが、上のように画面は真っ黒になっていた。シャッターを押しても、カメラ内で何かが、引っ掛かってシャッターを押しても動かない。私は、慎重にレンズを取り外し中を見ると、ミラーが定位置になく、はずれていた。メーカーの説明では、10万回の耐久試験にも、耐えられると思い出したが、新しいカメラは、まだ2万回のシャッターも押していなかった。予備のカメラはガイドに渡してあったので、どうすればよいか考えた末に、シャッターを、切る度にパリンとミラーが外れた。何も撮影しないよりはと一枚撮影する毎に、レンズを外しミラーを定位置にセットし撮影を、続けるという気の遠くなる撮影を繰り返した。40万ものカメラがこのような欠陥品などと、思いながらも気を取り直し撮影した。
2011.01.13
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「武夷山探訪12」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山九曲渓の筏下りも半分ほど過ぎた。自然保護区に指定されているだけあって、九曲渓は神秘的な美しさがあった。船頭が一生懸命九曲渓のポイントが来ると、船を漕ぐ手を止めて説明してくれた。中国の人達は船頭に質問をしながら楽しい、会話をしながら、筏下りを過ごしていた。私は船頭が話すポイントが来ると、レンズを向けシャッターを切っていたが、ポイントの紹介説明はその時は、覚えているが時間が経つと、忘れてしまっていた。ただ船頭の説明の中で、奇岩や山の形を動物に、譬えて説明をしてくれたが、撮影している間に、奇岩を見るタイミングを逃してしまい一体何処が、その動物に似ているのかと首をひねった。星村碼頭を出発した筏から水面を見ると、山がきれいに映る時があるとの事だった。最初の湾曲を過ぎた所で青蛙石などが見える。流れが急になりかけると双乳峰が近くに見え、渓流沿いには上下水亀などの奇岩が見える。中国の小学生の女の子は、想像力を働かせ、船頭の言う岩に、別のものに見えると、自分で楽しそうに名前を付けていた。写真は五曲・小九曲・金鶏洞・四曲などと、彫られた岩の画像であるが、快晴なので鮮明に撮れている。
2011.01.12
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「武夷山探訪11」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。私達6人が筏に乗ると同時に船頭さん2人も、直ぐに乗り込み、約10キロの筏下りを、2時間程楽しんで頂きますと岸を離れた。観光客は6人ずつ乗せないと出発しないので、9人グループなどの場合、6人と3人に分かれて、筏下りをしなければならないが、写真のように、筏は次から次へと出て確認できる。筏の上には竹で作られた椅子が6脚作られており、椅子と椅子の間も20センチほど離れている。救命胴衣の着用は義務付けられており、着用するまで筏を出してはくれない。冬でもあり厚着をしていたので救命胴衣の、着用に手間取っていると船頭さんが、後ろから手を添えてくれたので助かった。ガイドからカメラバッグなど不必要なものは、私が預かりますからと言われ、交換レンズのみ、出したのち、予備のカメラと2本の交換レンズの入ったバッグを手渡すと、重たいですね~と笑った。お客さんの中には一眼レフのカメラを川の中へ落としてしまった人や筏下りの途中で不安定な姿勢のとき、筏が揺れカメラは水の中へポチャリ。カメラと思い出のデータは戻らなかったとの事。ストラップは首から提げておいた方が良い。写真は七曲付近を通過で、下の岩山が天游峰である。
2011.01.11
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「武夷山探訪10」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山九曲渓の筏下りを堪能した。ガイドが筏を待つ行列の中に入り込み、5人家族の旅行者が居ないか聞いて回った。行列の中間程の5人家族と交渉成立し、私は5人の家族と共に筏下りを楽しんだ。中国人5人は祖父母と父母と娘の5人だった。私は35歳ほどの父親と握手を交わした。すると奥さんや祖父母まで手を出し握手を、求められたので、何となく歓迎されている気分で、手を上下に振り強く握手をすると小学生の娘も、私日本人と握手するのは初めてと笑顔を見せた。筏には14センチ程の太い竹が16本程、横につなぎ合わされ、幅は2m20cm程。トヨタのランクルで2mないがそれより幅が広い。また長さに関しては、5m50cmほどあるが、実際のランクルでは1m20cmほど長い。家でも同じ事が言える。家の基礎の段階では、こんなに小さな家なのかと思っていても実際に、家が建ってみると基礎の段階で思った小さな、家から結構広いと思うのと同じである。以外に小さい筏と感じていた時、足に冷たさを、感じたが、それとほぼ同時に、私の横に、座った少女の父が、運動靴が水の中に・・と。筏の座席の足を置く所は、竹で一段高く作ってあり、その竹の上に足を乗せればスニーカーの水没は、防げたと思いながらもカメラの設定に、気を取られていたと笑ってみせた。写真は筏に乗りながら撮影した九曲と、岩に彫られた光景を撮影した。
2011.01.10
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「武夷山探訪9」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。朱熹は南宋の哲学者で1130年から1200年の70年間を生き、71歳になった時他界した。 朱熹は朱子学の創始者で朱子の名で知られる。福建省建州に生まれで18歳で科挙進士に合格。宋代の新しい儒学をまとめ上げ朱子学を、完成させた事でも知られている。朱熹の死後、朱子学は徳川幕府の官学として、明治維新までわが国思想の背景をなした。中国漢詩の偶成には、 少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んず可からず・・・若者は年をとり易く、学問は成就しにくい。ゆえ少しの時間でも軽々しくしてはならない。上記の漢詩を思い描きながら、誰も居ない武夷精舎の教室の椅子に、腰を下ろし、机に膝をつき思いにふけった。5分もしないうちに、ガヤガヤと、中国女性達の声が聞こえて来たので、机を、バン!と音がするほどに手を付き立ち上がった。外に出ると日差しが目に眩しいほどに感じた。ガイドから、次は筏に乗りましょうかと言われ、ガイドは乗らないので船着き場で待っていますと、筏乗り場まで案内してくれた。
2011.01.09
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「武夷山探訪8」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。隠屏峰の南麓の石段を上り、更に、南側へ進むと朱熹が建てた武夷精舎の、学校跡が資料館のように残されていた。朱熹が12世紀後半に開いた学校とのこと。初めは何の建物か分からなかった。朱熹の名は目にした事があったものの、朱熹が朱子学をまとめた事は知らなかった。朱子学は儒学であり身分制度の尊重や、君子権の重要性を説いており、朱子学は、13世紀には朝鮮に伝わり、朝鮮王朝の統治理念として用いられた。朝鮮は高麗の国教であった仏教を排し朱子学を、唯一の学問としたが、韓流時代ドラマでも、身分制度など如実に描かれている。武夷精舎は九曲渓の五曲にあり、朱熹が、54歳のときに築造した勉学の場であり、朱熹はここで5年間講学したとされる。南宋末に拡張されて紫陽書院となり、明代に朱熹から8代の孫の朱洵と朱?が、改建して朱文公祠と改称した。近年まで清朝初に再建された武夷精舎の、残址と石碑が残るのみであったが、2001年再建され現在に至る。武夷精舎の中の様子は次のページで更新。朱子は1130年に福建省で生まれ父より、学問を教わって論語や孟子の経典に親しんだ。
2011.01.08
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「武夷山探訪7」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山の茶洞から峰の登山道を、登って行くと隠屏峰にたどり着ける。隠屏峰の隠屏とは、峰が連なり、見え隠れする光景が屏風のように、見える事から隠屏の名がついたとの事。登山道の前方を見上げると天游峰の頂上を、目指して絶壁を登る人々が小さく見える。 そこを通り過ぎると巨大な一枚岩の、屏風のように切り立った隠屏峰が見えてくる。峰の西側には接笋峰があり、広場には、樹齢1000年以上はあろうかと思われる樹木が、ぽつりぽつりと立ち並んでいた。私一人に24歳のガイドがついてくれたが、案内をするより、仕事の愚痴をこぼす方が、多いように感じたが、私は黙って聞いていた。武夷山のガイドは急な石段が多く、登るたびに疲れが翌日まで残ってしまうと言う。特に36人ほどの団体ツアーのガイドなどになると、早く登りたい人やゆっくり上りたい人、また体の不調を訴える人など気の休まる時がないと言う。私は、笑いながらも、それが仕事なのだから、一生懸命にガイドの仕事をするしかないのではと、話すと、この狭い所でこのままガイドをして、時間だけがむやみに過ぎていく。中国全土を自由に行けれるガイドになるための、ガイドの資格免許をとりたいと話していたが、若いと言う事だけで羨む自分の心にハッとした。
2011.01.07
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「武夷山探訪6」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山の登山道は急傾斜の石段だった。中国人の登山客の中には、急な石段を、眺めただけで、登らずに引き返す人もある。私はカメラ機材だけで8キロほどあるバッグを、肩から提げているので、思いの外きつかった。天游峰の険しい登山道から、九曲渓へ下る途中、茶洞と記した石碑に、ピントを合わせてシャッターを切った。武夷山では烏龍茶の茶畑が有名である。茶洞と書かれているので洞窟かと思った。だが実際には大きな一枚岩どうしに挟まれ、洞窟のような狭い場所に茶の樹が、植えてあるから茶洞と呼ばれる由縁。九曲渓の河原へ下りてきたが水の流れる、せせらぎが聞こえるほど静かだった。筏下りの船頭の持つ太い竹竿が、川底を突き、水を切る音が心地よかった。写真は、九曲渓の河原から間近を、通り過ぎて行く筏下りの光景を撮影した。
2011.01.06
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「武夷山探訪5」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。写真は天游峰の上から望遠で撮影。武夷山へ来た目的は天游峰登りと、九曲渓のイカダ下りであるが、武夷山景区でも一番人気は天游峰である。旅行に出発する前に考えることは、山登りをしてより平野を旅するか、先に平野の観光地を観てより山登りをと、迷うことが多いが今回は後の方へ山を入れた。今までにも経験していることではあるが、先に登山をしてのち平野を観光すると、運動不足の場合、必ず足の筋肉痛になる。バスで移動し目的地に到着し下車。だが第一歩が痛くて気合を入れないと、痛くて大変だが、中国人も同じようだ。経験をもとに登山を後に持って来ると、それまでの観光で疲れが溜まってしまい、登山途中で何度も休憩をしないと登れない。私は普段から5キロほど歩いているため、余程のことがない限り大丈夫だが、中国人の中には、ぐったりし籠に乗り、移動する人も見かけるが、登山の途中から、ギブアップする人の場合厄介である。写真は、九曲渓の筏下りであるが、筏には6人しか乗ることができなく、私一人なのでガイドに5人グループを、探してもらい、筏下りをすることになるが、思いもよらないアクシデントに見舞われる。
2011.01.05
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「武夷山探訪4」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山は36の峰から構成された山で、そのほとんどが一枚岩からできている。海底が隆起した岩は圧巻であり、渓谷は全長60キロの九曲渓が有名である。武夷山で最も高い峰は天游峰と呼び、標高400メートル以上ある。天游峰の山頂の天游観に登るためには、幅の狭い急な石段を1時間以上掛けて登る。途中何度も休憩をしながら登り、普段いかに運動不足かを思い知らされる。冬なのだが背中に汗をかいているのが分かる。休憩をした後は、冷やされた冷たい汗が、背中に感じられ気持ち悪いと感じ背筋を伸ばす。だが、天游峰を登り出し少し経つと、その気持ち悪い感触も吹き飛んでしまう。天游峰を登って休憩をするたびに、下の九曲渓を望んでしまうが疲れも吹っ飛ぶ。また高い位置からの眺めは低い位置より、絶景であり、登っているときは、もう下山しようと何度も思った。そう思うものの九曲渓を見るたび、一歩でも高い位置から眺めたいという衝動に、かられているから不思議である。
2011.01.04
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「武夷山探訪3」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。昨夜は武夷山のホテルで食事をした。蛇のから揚げ料理が出たが久しぶりの、蛇料理はコリコリして美味かった。広東省で生活していたころは、よく蛇料理を食べに行ったものだった。大きな店に行くと白い綿の生地の袋に、蛇を入れて私の横へ持ってきて、今から料理する蛇の太さを見せてくれる。蛇を袋から出して「これで良いか」と、店に持って来るが、あまり感じの、良いものではないが習慣なので仕方ない。武夷山にも蛇料理はあるが、蛇をさばき、調理をして持って来るまでに時間が掛かり、肉や野菜の炒めものが多くなる。 蛇のしゃぶしゃぶも美味い。蛇を皿の上にきれいに並べ、赤味の肉を、網じゃくしに入れ、沸騰している湯に、暫く浸けたあと食べるが、これもまた美味い。蛇の肉をさばいた後に残った蛇の骨を、から揚げにしてもらうののまた美味しい。だが、時間が限られる山歩きでの食事は、やはり山菜料理が早くて美味しいのかも知れない。
2011.01.03
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「武夷山探訪2」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。武夷山は江西省と福建省の境界に、またがっており、武夷山の近くには、武夷山空港があり各都市から直接入れる。武夷山の主峰である黄崗山の海抜は、2158メートルあるが、これから入る武夷山は、海抜はそれほど高くはなく1000mほどである。黄崗山を中心にした武夷山風景区が世界遺産に、登録されたのはまだ12年ほど前の事である。武夷山の中に入ると自然の岩肌に、多くの文字が彫られている光景を目にする。どこの山の風景ともよく似ているが、茶畑が多いのも目にする事が出来る。また比較的低い丘陵や山が広がるが、赤く切り立った崖や柱のような峰が多く、その間をめぐる渓谷なども「武夷仙境」や、「奇秀甲東南」と呼ばれている。気候は、亜熱帯気候に属するため、冬でも比較的暖かいと感じた。羽毛ジャケットを持って行ったが汗ばむ、場面も多くあったが羽毛を脱ぐと、冬でもあり直ぐに寒さが襲ってきた。武夷山の降雨量は比較的多く、その雨が山を削り、雲を生み、美しい九極渓を作り出している。
2011.01.02
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「武夷山探訪1」 「中国写真ライフ」では、福建「武夷山」の写真を公開しています。新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。アモイ空港から武夷山空港まで飛び、空港まで旅行社の人に迎えに来て頂いた。私一人武夷山へ来たが、ガイドを一人、付けてくれるとのことで武夷山へ行った。写真は武夷山ゲート付近の風景。武夷山は福建省にある黄崗山を、中心とする山の総称で、黄山、桂林と並び、中国人が人生一度は訪れてみたい場所だ。山水の名勝として有名で、世界遺産に登録。ガイドと待ち合わせしていたが私の名前を、書いたカードを持った人が現れずヤキモキした。約束の待ち合わせ場所で15分ほど待っていると、「すみません、日本人の・・さんですか」と、中国語で声を掛けてきた青年が近寄ってきた。私の名前を書いたカードを忘れてきてしまい、同じところでず~っと待っていたという。握手をしてからチケットを買いに行くと言うので、段取りが悪いが大丈夫かなどと思ってみたりした。
2011.01.01
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