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「わが身も恋い焦がれて苦しい」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。097 権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ)1162~1241年。藤原定家。鎌倉時代初期の公家・歌人。藤原北家御子左流、正三位・藤原俊成の二男。最終官位は正二位・権中納言。小倉百人一首の撰者。原文来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつこぬひとを まつほのうらの ゆふなぎに やくやもしほの みもこがれつつ現代訳どれほど待っても来ない人を待ち焦がれているのは、松帆の浦の夕凪のころに焼かれる藻塩のように、わが身も恋い焦がれて苦しいものだ。
2022.01.31
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「降っているのは歳をとるわが身」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。096 入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん)1171~1244年。藤原公経。坊城内大臣実宗の次男。従一位太政大臣。公経が京都北山に西園寺を建て、その家を代々西園寺と呼ぶようになる。原文花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけりはなさそふ あらしのにはの ゆきならで ふりゆくものは わがみなりけり現代訳降っているのは 嵐が庭に散らしている桜の花吹雪ではなくて、実は降っているのは歳をとっていくわが身なのだなぁ。
2022.01.30
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「この悲しみに満ちた世の中」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。095 前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)1155~1225年。藤原忠通の六男。九条兼実の弟。三十八才で天台宗座主。十一才で延暦寺座主 覚快法親王の弟子。藤原良経や定家らとも親交があった。原文おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖おほけなく うきよのたみに おほふかな わがたつそまに すみぞめのそで現代訳身のほど知らずと言われるかもしれないが、この悲しみに満ちた世の中の人々の上に、比叡山に出家した私が平穏を願って墨染の袖を被いかけよう。
2022.01.29
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「寒々と身にしみてくることだ」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。094 参議雅経(さんぎまさつね)1170~1221年。刑部省の長官 頼経の子ども。藤原雅経のこと。雅経は定家、家隆らと共に新古今集を撰進。和歌と蹴鞠の飛鳥井家を興す。原文み吉野の 山の秋風 小夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなりみよしのの やまのあきかぜ さよふけて ふるさとさむく ころもうつなり現代訳吉野の山の秋風に、夜もしだいに更けてきて都があったこの里では衣をうつ砧(きぬた)の音が寒々と身にしみてくることだ。砧(きぬた)は洗濯した布を生乾きの状態で台に乗せ棒や槌でたたいて柔らかくしたり、皺をのばすための道具。
2022.01.28
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「渚にそって漕いでいる漁師の小船」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。093 鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)1192~1219年。鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男、実朝のこと。母は北条時政の娘・政子。12歳で征夷大将軍、二十七歳で右大臣。原文世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ あまの小舟の 綱手かなしもよのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのをぶねの つなでかなしも現代訳世の中はいつまでも変わらないでいてほしいものだ。渚に沿って漕ぐ漁師の小船を、ひき綱で引いている風情はいいものだからなぁ
2022.01.27
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「私の袖は潮が引いた時も満ちた時も」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。092 二条院讃岐(にじょういんのさぬき)1141-1217年。鎌倉時代前期の歌人。女房三十六歌仙の一人。父は源頼政。母は源斉頼の娘。同母兄に源仲綱。従姉妹に宜秋門院丹後。原文わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなわがそでは しほひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かわくまもなし現代訳わたしの袖は潮が引いたときも水面に見えない沖にあるあの石のように人は知らないでしょうが、恋の為に流す涙で 乾くひまさえありません
2022.01.26
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「わたしはたった一人寂しく寝る」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。091 後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)1169~1206年。本名は藤原良経。祖父は法性寺忠通、関白藤原兼実の次男叔父は慈円法師。早熟の天才。詩文、書道にも優れ、詩文の会を多く催す。原文きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣片敷き ひとりかも寝むきりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねむ現代訳こおろぎがしきりに鳴いている霜の降るこの寒い夜、むしろの上に衣の片袖を敷いて、わたしはたったひとり寂しく寝るのだろうか。
2022.01.25
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「雄島の漁夫の袖でさえ変わらない」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。090 殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)1131~1200年。藤原信成の娘。後白河天皇の第一皇女。亮子内親王に仕えた活発で有能な女官。歌を詠むのが早く千首を直ぐ詠め千首大輔と呼ばれた。原文見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらずみせばやな をじまのあまの そでだにも ぬれにぞぬれし いろはかはらず現代訳涙で色が変わった わたしの袖をあなたにお見せしたいものです。あの雄島の漁夫の袖でさえ、毎日波しぶきに濡れていても少しも変わらないものなのに。
2022.01.24
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「生きながらえていると心も弱くなる」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。089 式子内親王(しきしないしんのう)1149~1201年。日本の皇族。女房三十六歌仙。後白河天皇の第3皇女。母は藤原成子。高倉宮以仁王は同母兄弟。高倉天皇は異母弟にあたる。原文玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞするたまのをよ たえなばたえね ながらへば しのぶることの よわりもぞする現代訳わたしの命よ、絶えることなら早く絶えてほしい。このまま生きながらえていると、耐え忍んでいるわたしの心も弱くなってしまい、 秘めている思いが人に知られてしまう事になるから。
2022.01.23
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「私はこれからこの身をつくして」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。088 皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)生没年不詳。平安時代末期の女流歌人。父は源俊隆。大蔵卿源師隆の孫。崇徳天皇の中宮藤原聖子に仕えた。皇嘉門院聖子が忠通の子で兼実の姉。原文難波江の 蘆のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべきなにはえの あしのかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや こひわたるべき現代訳難波の入江に生えている芦を刈った根のひと節ほどの短いひと夜でしたがわたしはこれからこの身をつくして、あなたに恋しなければならないのでしょうか。
2022.01.22
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「霧が立ちもの寂しい秋の夕暮れ」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。087 寂蓮法師(じゃくれんほうし)1139~1202年。平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人。僧侶。俗名は藤原定長。叔父の藤原俊成の養子。従五位上・中務少輔。歌道に精進原文村雨の 露もまだひぬ 槇の葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれむらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きりたちのぼる あきのゆふぐれ現代訳あわただしく通り過ぎたにわか雨が残した露もまだ乾ききらないのに槇(まき)の葉にはもう霧が立ちのぼっていく秋の夕暮れであるなんとも、もの寂しいことではないか。
2022.01.21
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「本当は恋の悩みの所為なのに」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。086 西行法師(さいぎょうほうし)1118~1190年。鳥羽院に仕えていた武士。俗名は佐藤義清(のりきよ)23才で出家。僧侶・歌人。東北や四国など全国を旅して和歌を詠む。原文嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かななげけとて つきやはものを おもはする かこちがほなる わがなみだかな現代訳嘆き悲しめと月は私に物思いをさせるのだろうか。 いや、そうではあるまい。本当は恋の悩みの所為なのに、まるで月の仕業であるかのように流れるわたしの涙ではないか。
2022.01.20
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「寝室の隙間さえも私につれなくする」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。085 俊恵法師(しゅんえほうし)1113~没年不詳。平安時代末期の僧・歌人。父は源俊頼。母は橘敦隆の娘。早くに東大寺の僧となったが20年間、作歌活動から遠ざかっていた。原文夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけりよもすがら ものおもふころは あけやらで ねやのひまさへ つれなかりけり現代訳一晩中恋しい人を思って悩んでいるので、早く夜が明けたらよいと思っているのですが、なかなか夜は明けず、寝室の隙間さえもわたしにつれなく感じられます。
2022.01.19
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「辛い事も懐かしく思い出される」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。084 藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)1104~1177年。平安末期の公家・歌人。藤原北家末茂流。左京大夫顕輔の子左京大夫・藤原顕輔の次男。官位は正四位下・太皇太后宮大進。74才で死去。原文長らへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しきながらへば またこのごろや しのばれむ うしとみしよぞ いまはこひしき現代訳この先も生きながらえるならば、今のつらいことなども懐かしく思い出されるのだろうか。昔は辛いと思っていたことが今では懐かしく思い出されるのだから。
2022.01.18
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「この山奥でも辛いのか鹿が鳴いている」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。083 皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり)1114~1204年。藤原俊成(としなり)。藤原定家の父。藤原俊忠の子。後白河院の后。皇太后につかえ、後に正三位。最終官位は正三位。原文世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなるよのなかよ みちこそなけれ おもひいる やまのおくにも しかぞなくなる現代訳世の中というものは逃れる道がないものだ。この山奥に逃れてきたもののこの山奥でも、辛いことがあったのか 鹿が鳴いているではないか。
2022.01.17
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「この辛さに耐えかねるのは涙である」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。082 道因法師(どういんほうし)1090年~1182年。藤原敦頼(あつより)。崇徳天皇に仕え従五位下右馬助。80過ぎに出家。延暦寺に入る。住吉明神に月詣をし秀歌をと祈った。原文思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけりおもひわび さてもいのちは あるものを うきにたへぬは なみだなりけり現代訳つれない人のことを思い、これほど悩み苦しんでいても命だけはどうにかあるものの この辛さに耐えかねるのは 止めどなく流れる 涙であることだ。
2022.01.16
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「空には有明の月が残っているだけ」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。081 後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)1139~1191年。藤原実定。右大臣 藤原公能の長男。左大臣。祖父も徳大寺左大臣だったので後徳大寺左大臣と呼ばれた。原文ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる現代訳ほととぎすの鳴き声が聞こえたので、その方に目をやってみたがその姿はもう見えず空には有明の月が残っているばかりであった。
2022.01.15
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「心も乱れて今朝は物思いに沈んで」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。080 待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)生没年不詳。平安時代後期の歌人。前斎院六条と呼ばれていた時期もある。女房三十六歌仙・中古六歌仙の一人。父は神祇伯 源顕仲。夫とは死別。原文長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へながからむ こころもしらず くろかみの みだれてけさは ものをこそおもへ現代訳あなたの心は末永くまで決して変わらないかどうか、私の黒髪が乱れているように、私の心も乱れて、今朝は物思いに沈んでおります。
2022.01.14
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「なんと清らかで澄みきっている」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。079 左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)1090~1155年。平安時代後期の公家・歌人。修理大夫・藤原顕季の三男。堀河・鳥羽・崇徳・近衛の4代の天皇に仕え、正三位左京太夫にまで昇進。原文秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさあきかぜに たなびくくもの たえまより もれいづるつきの かげのさやけさ現代訳秋風に吹かれてたなびいている雲の切れ間から、もれでてくる月の光はなんと清らかで澄みきっていることであろう。
2022.01.13
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「いく晩目を覚まさせられたこと」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。078 源兼昌(みなもとのかねまさ) 生没年不詳。宇多天皇の皇子 敦実親王六代の孫にあたる。美濃介俊輔の次男。従五位下皇后宮大進を任ぜられたが、後に出家した。原文淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守あはぢしま かよふちどりの なくこゑに いくよれざめぬ すまのせきもり現代訳淡路島から通ってくる千鳥の鳴き声に、幾晩目を覚まさせられたことだろうか このいにしえの須磨の関守は。
2022.01.12
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「後にはきっと結ばれるものと思う」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。077 崇徳院(すとくいん)1119~1164年。崇徳天皇。鳥羽天皇の第一皇子。母は中宮・藤原璋子。1156年保元の乱で後白河天皇に敗れ、讃岐に配流後は讃岐院。原文瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふせをはやみ いはにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ現代訳川の流れが早いので、岩にせき止められた急流が時にはふたつに分かれてもまたひとつになるように、わたし達の間も、今はせき止められていようと後にはきっと結ばれるものと思っています。
2022.01.11
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「雲と見わけがつかないような白波」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。076 法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじのにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん)1097~1164年。藤原忠道の事で鳥羽、崇徳、近衛、後白河の四朝に仕える。太政大臣に二回、関白に三回、摂政に二回。弟の頼長と不和で保元の乱が起る。原文わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもゐにまがふ おきつしらなみ現代訳大海原に船を漕ぎ出してみると、遠くの方では、雲と見わけがつかないような白波が立っているのが見え、まことにおもしろい眺めではないか。
2022.01.10
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「むなしく今年の秋も過ぎてしまう」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。075 藤原基俊(ふじわらのもととし)1060~1142年。右大臣俊家の子。藤原道長の曽孫。従五位下左衛門佐。源俊頼とならぶ優れた歌人。藤原俊成(定家の父)はその弟子。原文契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめりちぎりおきし させもがつゆを いのちにて あはれことしの あきもいぬめり現代訳貴方が約束して下さった、させも草(よもぎ)についた恵みの露のような言葉を命のように恃んでいましたが、それもむなしく、今年の秋も過ぎてしまいます。「恃(たの)む」の意味は「心の中で期待して信じること、待ち望むこと」
2022.01.09
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「いっそう激しくなれとは祈らなかった」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。074 源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)1055~1129年。堀河、鳥羽、崇徳天皇に仕えた。堀河朝の歌壇の中心人物。堀河天皇の楽人。和歌の才能も認められ、歌合で作者・判者を務める。原文憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものをうかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを現代訳私に冷淡で、つれなかった人の心が変わるようにと、初瀬の観音さまにお祈りしたのだが初瀬の山おろしよ、そのようにあの人の冷たさがいっそう激しくなれとは祈らなかったではないか。
2022.01.08
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「美しい桜が霞んでしまわないように」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。073 前権中納言匡房(ごんちゅうなごんまさふさ)1041~1111年。学者が多い大江家出身。名前を大江匡房。赤染衛門の曾孫後冷泉・後三条・白河・堀河の四天皇に仕え、政治家としても活躍。原文高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむたかさごの をのへのさくら さきにけり とやまのかすみ たたずもあらなむ現代訳高砂の峰にも桜の花が咲いたようだから、その桜を見たいので手前の山の霞よ美しい桜が霞んでしまわないように、どうか立たないようにしてくれないか。
2022.01.07
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「気をつけないと袖が涙で濡れます」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。072 祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)生没年不詳。平安時代院政期の女流歌人。後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房女房三十六歌仙。一宮紀伊君とも呼ばれ、従五位上民部大輔春宮亮平経方の娘原文音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれおとにきく たかしのはまの あだなみは かけじやそでの ぬれもこそすれ現代訳有名な高師浜のあだ波には、引っ掛らないように気をつけないと袖が濡れてしまいます。同じく移り気だと、噂の高いあなたに思いをかけて気をつけないと、私の袖が涙で濡れます。
2022.01.06
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「田舎家にも秋風が吹き訪れる」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。071 大納言経信(だいなごんつねのぶ)1016~1097年。民部卿 道方の六男。源経信のこと。蔵人頭、参議。1091年に正二位大納言。平安時代後期の公家・歌人。管弦も巧みだった。原文夕されば 門田の稲葉 おとづれて 蘆のまろやに 秋風ぞ吹くゆふされば かどたのいなば おとづれて あしのまろやに あきかぜぞふく現代訳夕方になると、家の前の田んぼに秋の風が訪れ、稲葉がさやさやとよい音を立てて揺れ、その冷たくて心地好い秋風は私がいるこの葦葺きのそまつな田舎家にも秋風が吹き訪れることよ。
2022.01.05
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「秋の寂しい夕暮れがひろがっていた」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と百人一首の和歌の研鑽を公開してます。070 良選法師(りょうぜんほうし)生没年不詳。平安時代中期の僧・歌人。比叡山(天台宗)の僧で祇園別当。大原に隠棲。晩年は雲林院に住んだといわれる。65歳ぐらいで没した。原文さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ あきのゆふぐれ現代訳あまりにも寂しさがつのるので、草庵から出て辺りを見渡してみるとどこも同じように、秋の寂しい夕暮れがひろがっていた。
2022.01.04
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